今日のニュース。
ノルウェーで銃乱射事件を起こした容疑者が
弁護士に日本人を要望したという。
理由は日本が文化多元主義では無いからだと聞いた。
ノルウェー人なのに、日本人の弁護人を頼むこと自体、
彼自身が文化多元主義者であることを示している。
第一に日本人はキリスト者は少ない。
しかも、多くのの日本人は文化多元主義者である。
キリスト者で無い可能性が高い他国の人を信頼するとは、
これほどの文化多元主義者は居ないと思う。
初詣へ出掛け、豆まきをする。
バレンタインデーにそわそわとして、
世界に唯一のホワイトデーを持つ。
若い人はハロウィーンも楽しむ。
彼岸や、お盆にお墓参りをして、各地方のお祭を持つ。
そしてクリスマスに、とどめが除夜の鐘。
花見や紅葉狩りも日本的なアニミズムと言えないか。
信仰はあるが宗教の無い国。
日本の何処が単一文化なのだろうか。
僕は日本には確かに独自の文化が存在すると思う。
それを素晴らしいと思うし誇りにも思っている。
しかしそれは同時にどの国と比べても
相当な多様性を有していると考えている。
隣の超大国、中国から影響。朝鮮半島からの影響。
南方文化、渤海、南蛮と呼んだ西洋。
それらを取捨選択しながら、
自らを創り上げた文化、文明。
それが日本という国ではないだろうか。
日本人の顔つきを良く見ればその民族の多様性も
容易に理解できる。
中国北方、中国南方、朝鮮半島、シベリア系、
モンゴル系、ポリネシア系、など回りを見渡しても、
テレビや雑誌で顔を見てもその違いが分かる。
頭蓋骨を分析すると、かなり正確にその人の
民族的ルーツを知ることが出来ると聞いた。
僕の瞳はカラコンと間違われるほど緑色に見える(らしい)。
でも僕の知る限り、西洋人に近親者は居ない。
遠い昔のご先祖様の一人が、ロシア人だったのではと推測している。
なに、みんな元を辿れば日本列島の外から来たわけだ。
単一主義というやっかいな妄想。
これも近代の持つ闇と無関係なのだろうか。
僕には良く解らない。
分かっているのは単一の考えしか認めない人の、
浅薄さと狭小さと傲慢さである。
2011年8月2日火曜日
羽黒山の五重塔
羽黒山の山門は佇まいが素晴らしい。
山門から杉林に囲まれた下りの階段が素晴らしい。
聞けば、ミシェランの観光ガイドで、
3ッ星を取っているのは、
羽黒山の杉並木の階段と松島の海岸だけだと言う。
まことに不思議な空間だった。
階段を下り切ると、
さほど広くない空間に幾つもの小さな祠。
様々な神々が祀られている。
川に架かった朱色の太鼓橋を渡る。
右手に岸壁があり、細い滝が流れ落ちている。
滝の前には二つの祠。
一つは滝そのものを(恐らく龍神を)祀っている。
祠に近づき、奥を覗くと、
ご本尊の滝そのものが祠越しに見える仕掛け。
ベリー、ジャパニーズ。凄くいい。
少し坂道を登ると、左手に千年杉のご神木。
今少し進むと、左手に石畳の参道があり
念願の五重塔が浮かんで見えた。
カナカナ蝉の鳴き声が、まことに見事なバックミュージック。
石畳の両脇にはやはり20mはあろうかという杉並木。
中心には堂々たる白木造りの五重塔。
全体が夏の木漏れ日にキラキラと輝いていた。
想像を超える威風堂々とした存在感。
本堂も金堂も持たない異質な様式。
白木で造られた(普通は漆などで彩色する)
唯一の五重塔だという。国宝に指定されている。
資料には明治期の「廃仏毀釈」の嵐から
この建物を守るため、仏塔でななく
神社の一部にしたのだという。
よくぞ守ってくれた。ありがとう、当時の人たち。
加えて庄内の山々は
古くからの修験道の聖地であったことも見逃せない。
「本地垂迹説」見事な神仏混合である。
五重塔を正面に右手にも道が延びている。
突き当たりから左手を見ると長い石の階段があった。
母は断念したが、僕は昇ってみたい。
母はゆっくり散歩して戻ると言う。あまり待たせられない。
階段を踏みしめる。
上から「ホーホケキョ」の鳴き声。カナカナ蝉の声に混じり合う。
やはり石階段の両脇を囲む杉並木が美しい。
しかし昇りは半ば急峻で息が上がる。
長い石段を10分は登っただろうか。
左手にお茶屋が現れた。休憩しよう。
羽黒山のミネラルウォーターを買う。とても美味しい。
お茶屋の前は崖になっており、
そこから庄内平野、そして日本海が一望できた。
(続けるのかな)
山門から杉林に囲まれた下りの階段が素晴らしい。
聞けば、ミシェランの観光ガイドで、
3ッ星を取っているのは、
羽黒山の杉並木の階段と松島の海岸だけだと言う。
まことに不思議な空間だった。
階段を下り切ると、
さほど広くない空間に幾つもの小さな祠。
様々な神々が祀られている。
川に架かった朱色の太鼓橋を渡る。
右手に岸壁があり、細い滝が流れ落ちている。
滝の前には二つの祠。
一つは滝そのものを(恐らく龍神を)祀っている。
祠に近づき、奥を覗くと、
ご本尊の滝そのものが祠越しに見える仕掛け。
ベリー、ジャパニーズ。凄くいい。
少し坂道を登ると、左手に千年杉のご神木。
今少し進むと、左手に石畳の参道があり
念願の五重塔が浮かんで見えた。
カナカナ蝉の鳴き声が、まことに見事なバックミュージック。
石畳の両脇にはやはり20mはあろうかという杉並木。
中心には堂々たる白木造りの五重塔。
全体が夏の木漏れ日にキラキラと輝いていた。
想像を超える威風堂々とした存在感。
本堂も金堂も持たない異質な様式。
白木で造られた(普通は漆などで彩色する)
唯一の五重塔だという。国宝に指定されている。
資料には明治期の「廃仏毀釈」の嵐から
この建物を守るため、仏塔でななく
神社の一部にしたのだという。
よくぞ守ってくれた。ありがとう、当時の人たち。
加えて庄内の山々は
古くからの修験道の聖地であったことも見逃せない。
「本地垂迹説」見事な神仏混合である。
五重塔を正面に右手にも道が延びている。
突き当たりから左手を見ると長い石の階段があった。
母は断念したが、僕は昇ってみたい。
母はゆっくり散歩して戻ると言う。あまり待たせられない。
階段を踏みしめる。
上から「ホーホケキョ」の鳴き声。カナカナ蝉の声に混じり合う。
やはり石階段の両脇を囲む杉並木が美しい。
しかし昇りは半ば急峻で息が上がる。
長い石段を10分は登っただろうか。
左手にお茶屋が現れた。休憩しよう。
羽黒山のミネラルウォーターを買う。とても美味しい。
お茶屋の前は崖になっており、
そこから庄内平野、そして日本海が一望できた。
(続けるのかな)
2011年7月31日日曜日
庄内への旅
山形を旅行した。
母親と二人、車の旅。
随分前に羽黒山の五重塔を見てから
訪ねてみたいと思っていた。
JR東日本、新幹線の無料雑誌「トランヴェール」
3月号の特集が「庄内建物巡り」だった。
雑誌には件の五重塔があり、旧豪商の館があり、
そして高橋兼吉なる宮大工の棟梁による
明治期の洋館建築が幾つかがあった。
「そうだ、山形へ行こう」
山形ならば運転があまり得意でない僕でも、
さほど遠い距離ではない。
一昨年大河ドラマ「天地人」を見てから、
新潟と山形の繋がりみたいなものが感じられた。
出掛ける直前に台風が日本列島を横断しており、
先行きが危ぶまれたが、杞憂に過ぎなかった。
台風一過。素晴らしい青空。
しかも湿度が低く、気温は高いが心地よい。
新潟と山形の間には高速道路が完備されていない。
海沿いに山形へ北上すると、高速を降りて一般道へ入る。
やれやれ、と思っていると眼前に海の景色。
岩が増えていくと景観が一変した。
「笹川の流れ」だと母が言う。「昔、来たことがある」
大きな小山のような一枚岩が点在する雄大な海岸。
水は今まで見たどの海よりも澄んで美しいブルーだった。
対岸には粟島が大きく見えた。
よい旅の予感がした。
鶴岡市に到着したのは12時を回っていた。
観光局を訪ねて情報を得てからと考えたが、時間が惜しい。
昼食もそこそこに羽黒山に向かった。
大きな杉林に囲まれた、羽黒山の山門は晴天なのに肌寒かった。
山門から下りの階段を眺めただけで、
ここは大変な処だと、そう感じた。
(つづく)
母親と二人、車の旅。
随分前に羽黒山の五重塔を見てから
訪ねてみたいと思っていた。
JR東日本、新幹線の無料雑誌「トランヴェール」
3月号の特集が「庄内建物巡り」だった。
雑誌には件の五重塔があり、旧豪商の館があり、
そして高橋兼吉なる宮大工の棟梁による
明治期の洋館建築が幾つかがあった。
「そうだ、山形へ行こう」
山形ならば運転があまり得意でない僕でも、
さほど遠い距離ではない。
一昨年大河ドラマ「天地人」を見てから、
新潟と山形の繋がりみたいなものが感じられた。
出掛ける直前に台風が日本列島を横断しており、
先行きが危ぶまれたが、杞憂に過ぎなかった。
台風一過。素晴らしい青空。
しかも湿度が低く、気温は高いが心地よい。
新潟と山形の間には高速道路が完備されていない。
海沿いに山形へ北上すると、高速を降りて一般道へ入る。
やれやれ、と思っていると眼前に海の景色。
岩が増えていくと景観が一変した。
「笹川の流れ」だと母が言う。「昔、来たことがある」
大きな小山のような一枚岩が点在する雄大な海岸。
水は今まで見たどの海よりも澄んで美しいブルーだった。
対岸には粟島が大きく見えた。
よい旅の予感がした。
鶴岡市に到着したのは12時を回っていた。
観光局を訪ねて情報を得てからと考えたが、時間が惜しい。
昼食もそこそこに羽黒山に向かった。
大きな杉林に囲まれた、羽黒山の山門は晴天なのに肌寒かった。
山門から下りの階段を眺めただけで、
ここは大変な処だと、そう感じた。
(つづく)
2011年7月28日木曜日
はかなさ
先週の土曜日、実家で新潟日報を読んだ。
小さな記事が目に止まった。
英国現代画家ルシアン・フロイト死去。
たぶん、89歳。
フロイト氏は高名な心理学者である
ジークムント・フロイト氏を祖父に持つ。
重厚で濃密なレアリズム絵画の巨匠で、
人物画を中心に室内画や風景を描いた。
現英国女王のエリザベス2世の公式な肖像画も描いている。
「砂丘の写真家」で知られる植田正治。
評論家の草森伸一氏が彼の写真の持つ
「はかなさ」についてを書いていた。
写真は瞬間を切り取ったものであり、
その意味ではどの写真家の写真も
はかないものだと言える。
しかし、アメリカイエローストーンの渓谷を写した
アダムスの写真は堅牢に感じられる。
「決定的瞬間」を撮ったとされる
フランスのアンリ・カルティエ・ブレッソンも、
感じられのは「はかなさ」などではない。
植田の写真は造形性が弱いわけでは決してない。
むしろプリントの焼きに拘った彼の作品は
明暗対比が明確で、シンプルな背景に対して
対象となる人物やモノは強くはっきりとしている。
けれど現実を写しながら、
幻想性を取り込んだそのイメージは
シャープな蜃気楼のようでもある。
植田と同じ履き物屋のせがれである
写真家のアラーキーは、もっと対象に近づき迫っている。
そこに彼が言う「センチメンタル」が生まれるのだろう。
対象を愛しながら、距離を取る植田との違いだ。
亡くなったフロイトの絵が好きだった。
彼は人間の肉体を美しく描かない。
ヌードをごてごてとした肉の塊のように描く。
肉体の質感と重み、それらの存在感を描く。
まるで祖父に反して人間には内面など無いかのように。
しかし描かれた彼らの視線は定まらず、
虚ろな、心の有り様が堅牢な鎧のような
肉体の後に見え隠れする。
抽象画家のモンドリアンやロスコと言いフロイトと言い、
僕には決して表現できない、することさえない
そういう作家たちに憧れる。
それでも自分が表したい世界は、
はかなく、移ろいやすい世界に違いない。
小さな記事が目に止まった。
英国現代画家ルシアン・フロイト死去。
たぶん、89歳。
フロイト氏は高名な心理学者である
ジークムント・フロイト氏を祖父に持つ。
重厚で濃密なレアリズム絵画の巨匠で、
人物画を中心に室内画や風景を描いた。
現英国女王のエリザベス2世の公式な肖像画も描いている。
「砂丘の写真家」で知られる植田正治。
評論家の草森伸一氏が彼の写真の持つ
「はかなさ」についてを書いていた。
写真は瞬間を切り取ったものであり、
その意味ではどの写真家の写真も
はかないものだと言える。
しかし、アメリカイエローストーンの渓谷を写した
アダムスの写真は堅牢に感じられる。
「決定的瞬間」を撮ったとされる
フランスのアンリ・カルティエ・ブレッソンも、
感じられのは「はかなさ」などではない。
植田の写真は造形性が弱いわけでは決してない。
むしろプリントの焼きに拘った彼の作品は
明暗対比が明確で、シンプルな背景に対して
対象となる人物やモノは強くはっきりとしている。
けれど現実を写しながら、
幻想性を取り込んだそのイメージは
シャープな蜃気楼のようでもある。
植田と同じ履き物屋のせがれである
写真家のアラーキーは、もっと対象に近づき迫っている。
そこに彼が言う「センチメンタル」が生まれるのだろう。
対象を愛しながら、距離を取る植田との違いだ。
亡くなったフロイトの絵が好きだった。
彼は人間の肉体を美しく描かない。
ヌードをごてごてとした肉の塊のように描く。
肉体の質感と重み、それらの存在感を描く。
まるで祖父に反して人間には内面など無いかのように。
しかし描かれた彼らの視線は定まらず、
虚ろな、心の有り様が堅牢な鎧のような
肉体の後に見え隠れする。
抽象画家のモンドリアンやロスコと言いフロイトと言い、
僕には決して表現できない、することさえない
そういう作家たちに憧れる。
それでも自分が表したい世界は、
はかなく、移ろいやすい世界に違いない。
2011年7月18日月曜日
中心と周辺(近代主義について)
画家モーリス・ドニの有名な言葉。
「絵画とは人物とか風景、静物である前に、
一定の秩序で集められた絵の具の集合に過ぎない」
この言葉が新印象派(点描派)の産み出す
契機になったとも言われるし、
抽象画や20世紀アートに影響を及ぼしたとされる。
藤森氏の本でモダニズム建築は日本の伝統建築の
影響を経て、柱による自由な平面図を獲得できたとあった。
絵画はどうなのだろうか。
マネやモネ、ドガ、そしてゴッホにゴーギャン。
いずれも名だたる浮世絵コレクターであり、
その影響を自らの絵画に生かして人たちだ。
欧州の人たちは驚いた事だろう。
数色に見える限られた色に、はっきりとした輪郭。
色彩は極めて鮮やかに思われただろう。
そして無意識に気付いたのではないか。
絵画の本質は平面であること、
それを構成する究極の要素は線と色彩なのだと。
まさにドニの言葉と一致しないだろうか。
もう一つ言うと江戸時代の文化・化政年間は
世界史上初めての民衆文化を持った時代だった。
イタリア・ルネッサンスは、
一部の貴族と富裕層による文化だった。
古代ギリシャ・ローマは奴隷制の上での市民社会だった。
(それを差し引いても凄いことは凄いのだが)
17世紀オランダの市民文化も富裕層の為のものだった。
浮世絵の値段は掛け蕎麦一杯とほぼ同額だったと聞く。
滑稽本も庶民に親しまれた。(女性も読んだ)
歌舞伎や寄席など演芸文化も花開いた。
(日本の庶民文化はこの時の形態が現在まで続いている)
アンディ・ウオーホルのポップアートは
江戸浮世絵文化の変形に思えてくる。
もう一つ20世紀の美術を作った大きな力、
キュビスムはセザンヌの絵画とアフリカ彫刻の影響を受けた
ピカソと盟友ブラックによって始められた。
欧州のモダニズム文化は日本やアフリカなど
欧州から見れば周辺の影響で作られたと言ってもよい。
まあ、中心と周辺と言う概念も甚だしい勘違いなのだろうが、
近代主義の主流は欧州であったのに、
主流は傍流によって刺激を受け、活性化して
その姿を変えて行くのだろう。
(つづくかな)
「絵画とは人物とか風景、静物である前に、
一定の秩序で集められた絵の具の集合に過ぎない」
この言葉が新印象派(点描派)の産み出す
契機になったとも言われるし、
抽象画や20世紀アートに影響を及ぼしたとされる。
藤森氏の本でモダニズム建築は日本の伝統建築の
影響を経て、柱による自由な平面図を獲得できたとあった。
絵画はどうなのだろうか。
マネやモネ、ドガ、そしてゴッホにゴーギャン。
いずれも名だたる浮世絵コレクターであり、
その影響を自らの絵画に生かして人たちだ。
欧州の人たちは驚いた事だろう。
数色に見える限られた色に、はっきりとした輪郭。
色彩は極めて鮮やかに思われただろう。
そして無意識に気付いたのではないか。
絵画の本質は平面であること、
それを構成する究極の要素は線と色彩なのだと。
まさにドニの言葉と一致しないだろうか。
もう一つ言うと江戸時代の文化・化政年間は
世界史上初めての民衆文化を持った時代だった。
イタリア・ルネッサンスは、
一部の貴族と富裕層による文化だった。
古代ギリシャ・ローマは奴隷制の上での市民社会だった。
(それを差し引いても凄いことは凄いのだが)
17世紀オランダの市民文化も富裕層の為のものだった。
浮世絵の値段は掛け蕎麦一杯とほぼ同額だったと聞く。
滑稽本も庶民に親しまれた。(女性も読んだ)
歌舞伎や寄席など演芸文化も花開いた。
(日本の庶民文化はこの時の形態が現在まで続いている)
アンディ・ウオーホルのポップアートは
江戸浮世絵文化の変形に思えてくる。
もう一つ20世紀の美術を作った大きな力、
キュビスムはセザンヌの絵画とアフリカ彫刻の影響を受けた
ピカソと盟友ブラックによって始められた。
欧州のモダニズム文化は日本やアフリカなど
欧州から見れば周辺の影響で作られたと言ってもよい。
まあ、中心と周辺と言う概念も甚だしい勘違いなのだろうが、
近代主義の主流は欧州であったのに、
主流は傍流によって刺激を受け、活性化して
その姿を変えて行くのだろう。
(つづくかな)
2011年7月12日火曜日
生きていく風景
ビッグイシューの連載コラム。
「自閉症の僕が生きていく風景」
筆者は東田直樹。
このコラムを読むようになって、
自閉症の人が抱える悩みや、
彼らの言動に対する無理解が
自分の中に強く在ったことを理解した。
電車の中で喋り続けたり、
奇声を上げたりするのは意志によるものではなく
むしろ、彼らの身体的・精神的な特徴によるものだと知った。
だから止めたくても止められないのだと。
第32回のタイトルに
「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とある。
僕はかつて付き合いのあった人に、
あなたは時々精神的障害のある人に見える
と言われたことがあった。
電車の中で常識では考えられない言動をしているのだと
そう言われた。
思い当たるところがあった。
昔から堅苦しい儀式が苦手で
奇声を上げたい気持ちを抑えていた。
訳もなく暴れたくなったり、
奇行をしようとするイメージが沸く。
今でもほぼ毎日そうだ。
実際には抑えられる訳だから、
自閉症の人とは違うし、
その苦しみは想像でしか分からない。
「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とは違うのだが、
人と同じようにそれらに惹かれる感覚はある。
人間絶対主義の人と話すと間違いなく変人と見られる。
いや確かに変人かも知れないが、
人間絶対主義傾向の人も単に自己愛が強いだけだったりする。
要するに「自分という人間を絶対分かって欲しい」
人間絶対主義なのだ。
男と女は随分と違う。
男同士、女同士でもそれぞれが違っている。
自閉症の人も、そうでない人も、その中間に居る人も
それぞれが問題を抱えている。
問題の多くは脳が勝手に創り出している。
僕らはそれに日々振り回されている。
生きていく風景はそれぞれが異なっている。
異なっていることを異なっているものとして
受け入れられたらいいな。
自分を許すように人のことを許せたらいいな。
そんなことを思ったりする。
許すも許さないも無いんだけどね。
本当はね。
「自閉症の僕が生きていく風景」
筆者は東田直樹。
このコラムを読むようになって、
自閉症の人が抱える悩みや、
彼らの言動に対する無理解が
自分の中に強く在ったことを理解した。
電車の中で喋り続けたり、
奇声を上げたりするのは意志によるものではなく
むしろ、彼らの身体的・精神的な特徴によるものだと知った。
だから止めたくても止められないのだと。
第32回のタイトルに
「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とある。
僕はかつて付き合いのあった人に、
あなたは時々精神的障害のある人に見える
と言われたことがあった。
電車の中で常識では考えられない言動をしているのだと
そう言われた。
思い当たるところがあった。
昔から堅苦しい儀式が苦手で
奇声を上げたい気持ちを抑えていた。
訳もなく暴れたくなったり、
奇行をしようとするイメージが沸く。
今でもほぼ毎日そうだ。
実際には抑えられる訳だから、
自閉症の人とは違うし、
その苦しみは想像でしか分からない。
「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とは違うのだが、
人と同じようにそれらに惹かれる感覚はある。
人間絶対主義の人と話すと間違いなく変人と見られる。
いや確かに変人かも知れないが、
人間絶対主義傾向の人も単に自己愛が強いだけだったりする。
要するに「自分という人間を絶対分かって欲しい」
人間絶対主義なのだ。
男と女は随分と違う。
男同士、女同士でもそれぞれが違っている。
自閉症の人も、そうでない人も、その中間に居る人も
それぞれが問題を抱えている。
問題の多くは脳が勝手に創り出している。
僕らはそれに日々振り回されている。
生きていく風景はそれぞれが異なっている。
異なっていることを異なっているものとして
受け入れられたらいいな。
自分を許すように人のことを許せたらいいな。
そんなことを思ったりする。
許すも許さないも無いんだけどね。
本当はね。
2011年7月10日日曜日
モダニズムの起源
建築史家で建築家の藤森照信。
彼の書いた「人類と建築の歴史」を読んだ。
大変面白く、興味深い本だった。
驚いたのはモダニズム建築の起源。
藤森はシカゴ万博の日本館だという。
それを見て感動したフランク・ロイド・ライト。
かれが日本館の建物、
平等院鳳凰堂を模して作られた建築にについて論じた本。
それがヨーロッパに渡り、
バウハウスのミース・ファンデル・ローエ、
ウオルター・グロビウスらに多大なる影響を与えたという。
19世紀までの欧州建築は歴史主義で、
インターナショナル様式と呼べるようなものでは無かった。
つまり、古代ギリシャ、古代ローマなどのスタイル。
それが20世紀の最初の30年で全く変わったらしい。
構造的にも壁で建築していた西洋に対して、
平等院様式の、柱で建築を組み立てるブランは画期的だった。
個人的には「日本美の再発見」を書いた、
独逸の建築家ブルーノ・タウトの功績もあると考える。
彼が賞賛した京都の桂離宮。
極めてシンプルな造形はまさにモダニズムに通じる。
彼の著作は欧州でかなり知られたらしい。
当然これらもバウハウスに影響を与えただろう。
もう一つはキュビスムの影響。
全てのフォルムを幾何的に単純化すること。
単純化した形を面として扱うこと。
面と面の組み合わせをずらしたり、
離したり自由に行うこと。
藤森氏によれば日本の影響を受けた上で、
数学的な幾何学を用いたことが、
モダニズム建築の基本となったという。
これを読み終えた時、
建築に先立って19世紀の印象派美術に対して、
日本の浮世絵版画が与えた影響が頭に浮かんだ。
(つづく)
彼の書いた「人類と建築の歴史」を読んだ。
大変面白く、興味深い本だった。
驚いたのはモダニズム建築の起源。
藤森はシカゴ万博の日本館だという。
それを見て感動したフランク・ロイド・ライト。
かれが日本館の建物、
平等院鳳凰堂を模して作られた建築にについて論じた本。
それがヨーロッパに渡り、
バウハウスのミース・ファンデル・ローエ、
ウオルター・グロビウスらに多大なる影響を与えたという。
19世紀までの欧州建築は歴史主義で、
インターナショナル様式と呼べるようなものでは無かった。
つまり、古代ギリシャ、古代ローマなどのスタイル。
それが20世紀の最初の30年で全く変わったらしい。
構造的にも壁で建築していた西洋に対して、
平等院様式の、柱で建築を組み立てるブランは画期的だった。
個人的には「日本美の再発見」を書いた、
独逸の建築家ブルーノ・タウトの功績もあると考える。
彼が賞賛した京都の桂離宮。
極めてシンプルな造形はまさにモダニズムに通じる。
彼の著作は欧州でかなり知られたらしい。
当然これらもバウハウスに影響を与えただろう。
もう一つはキュビスムの影響。
全てのフォルムを幾何的に単純化すること。
単純化した形を面として扱うこと。
面と面の組み合わせをずらしたり、
離したり自由に行うこと。
藤森氏によれば日本の影響を受けた上で、
数学的な幾何学を用いたことが、
モダニズム建築の基本となったという。
これを読み終えた時、
建築に先立って19世紀の印象派美術に対して、
日本の浮世絵版画が与えた影響が頭に浮かんだ。
(つづく)
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