2012年10月23日火曜日

ここではない何処かへ

中学生の頃だったと思う。

ビートルズやフォークソングに目覚めた頃。
そして自分がその時暮らしていた世界、
正確には新潟県小千谷市片貝町四ノ町、
其処とは全く違う場所への憧れを持った。

取り敢えず家を出て、東京へ行きたいと思った。
片貝町で一番見晴らしの良い、
片貝中学校のグランドで小さな自分の町や
その先に広がる田んぼ、
田んぼの向こうの越後三山、
左手の奥に見える長岡の街並を繰り返し眺めたものだった。
あの向こうには、オレの知らない世界が待っている、
そんな思い込みで景色を飽きずに眺めた。

東京に出てきて思ったのは、
何処へ行っても、それ自分の日常の世界になると言う
至極当たり前な事実だった。

初めての海外、スペインのバルセロナの街。
一人夜のタクシーに乗り込み、
通じない言葉でコミュニケーションしながら、
ピカソ美術館を目指した。
まだ日本人の観光客はそれほど多くなく、
ツアーの日本人が一人でタクシーに乗ることなど
滅多にない状況だったと思う。

人が良さそうな運転手さんが、
身振り手振りで、ぼくの行き先を探ろうとする、
その時彼の帰宅後の光景が浮かんだ。

「やーーっ、今日は変てこな日本人を
ピカソ美術館へ連れて行ったんだけど、
言葉が通じなくて参ったよ・・・・。」
そんなことを遅い食卓の妻や家族の前で、
チーズを片手に赤ワインを飲みながら語ったことだろう。
ぼくには異国でも彼らには日常でしかない。

「いまここにある世界」それがたぶんキーワードで
落とし穴なのだろう。
もう一つは「変わらない自分という主体」、
そんなものがあると思い込んでいること。

日々を日常の世界を「知っている」という思い込み。
「昨日と変わらない自分」がいると言う思い込み。
しかしそういう「日常への思い込み」と
「ここではない何処かへ」の憧れ、
それらの狭間にしか生きられないと思う
「思い込み」の世界でぼくは日々を生きている。

2012年10月4日木曜日

A Day In The Life

若者の1日は短く、1年は長い。
老人の1日は長く、1年は短い。

何かの雑誌で見つけた。
長く感じる時間は確かにある。
でも、1日が長いとは感じない。
けれど、1ヶ月はあっという間に過ぎる実感はある。

記憶が定かでなく、前後関係が混濁している。
だから、時々記録を取ったり、ブログにも書いたりしている。
様々なチケット(主に美術展)は20代から
スクラップブックに貼って保存してある。

30代前半までは、よく昔を振り返った。
若い時は定期的に自分の過去の作品を
引っ張り出しては眺めた。
自分の制作の方向性を模索していた時期だ。

今年中に終わらせたかったこと。
①ブログの全面リニューアル。
②絵本の編集を完成させる。

①はぼくの原稿さえ出来ていれば、
ブログデザインの藤塚さんにお願いするだけである。
フロントページのアイディアはまとまった。
各ページの構想はまだ頭の中。
それらの解説を全て「英文に訳す。これが難関。

②の絵本「きょうりゅうのプロントくん」
昨年集中して原案をまとめ、本制作の下絵を描いた。
線描したものを、パソコンで着色するか迷った。
半年考えて、作画を試行錯誤し、
やはりコピックで彩色することにした。

気がついたら、はや10月、神無月である。
今年もあと3ヶ月か・・・・。
ここからが勝負だ。(何が勝負なのか自分でも解らないが)

「今日の一日も人生の一日」
そんなことは福沢諭吉に言われなくても、
分かりきったことだ。

でもやるべきことがあって、
それを楽しめることは悪いことではない。
金木犀の香りを楽しめるのはたぶん週末までだ。
それは絵を描くことやお酒を味あうことに等しく
大切なことだと、人生の一日に思う。

2012年10月2日火曜日

芸術家の言葉

本来的な才能とは自分に出来ることを信じることだ。
ジョン・レノン(ロック・ミュージシャン)

芸術家であることを忘れるな。
くじけるな、恐れるな、何時にはそれが出来る。
神のごとく創造し、王のごとく命令し、
そして奴隷のごとく働け。
コンスタンチン・ブランクーシ(20世紀彫刻家)

誰もが芸術を理解したがっている。
ではなぜ小鳥の唄を理解しようとしないのだろう?
なぜ我々をとりまく全てのもの、
夜や花を完全に理解しようとせず、愛するのか?
しかし、問題が一枚の絵となると、
人々はそれを‘理解しなければならぬ’と考える。
パブロ・ピカソ(画家・彫刻家)

演劇とは風に刻まれた文字である。
ブルックス(劇作家)

選ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり。
ヴェルレーヌ(詩人)

何よりも大切なのは「感動」である。
要するに画家の定義は、
絵を描く人と言うよりも、
絶えず外部の感動を見出し、
絶えず自然を万物を賛美し、
感動の生活をおくる人、である。
長谷川潾次郎(画家・作家)

かたみとて何かのこさむ春は花
山ほととぎす秋は紅葉ば
良寛(禅僧・歌人・書家)

意識的に修得したものごとは
ある種の豊かさを持って、
自分自身を無意識に表現することを
可能にしてくれます。
アンリ・マチス(画家・彫刻家)

茶の湯とはただ湯を沸かし、
お茶を点て、飲むばかりのことなり。
千利休(茶人・禅僧)

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや
寺山修司(詩人・作家・映画監督)

人生山あり谷啓
谷啓(ミュージシャン・コメディアン)