2010年8月31日火曜日

ぜいご

 久しぶりの百薬でなかちゃんこと
 中田さんにあった。

 「なかちゃん。オレ深夜食堂のDVD手に入れたよ」。
 「オレも買ったよ。いいなあ~、あれは」。
 「ヤクザ役の松重豊。カッコイイんだよね~」。
 「ああ。刺されて倒れるとことかなあ~」。
 二人とも酔っているので声がでかい。
 「よしいちゃん!うるさいよ!」。
 同じく常連の岸野さんが怒るがお構えなし。

 「なかちゃん。深夜食堂のオープニング唄ってる
 鈴木常吉。あの唄はいいよ~ね」。
 「うん。じょうきちはいいよ・・」。
 「あれはつねきちじゃないのかな」。
 「うん。じょきちはいい」。なかちゃんは止まらない。

 鈴木畝吉のCDアルバム「ぜいご」。
 辞書で調べたら「贅語」とあり、
 意味は「とるに足らない言葉」とあった。
 
 番組オープニング曲の「思ひで」は勿論だが他の曲もいい。
 3曲目の「アカヒゲ」。
 「(略)生まれる前からずっと此処にいた
 生まれてさえこなけりゃ、ずっと此処にいた(略)」
 このフレーズが妙に気になり、気にいった。
 それのことをI氏にメールしたらそれを受け、
 一休禅師の今際の言葉が返信されてきた。

 「死にはせぬどくへも行かぬここに居る
 尋ねはするな物は言はぬぞ」 

 「ヒバリ、コゲラ、ツグミ
 カケス、ヒガラ、ツバメ
 何処の空で果てるやら」
 「アカヒゲ」より

2010年8月29日日曜日

片貝町(晩夏Ⅳ)

 「よくヤッポの家でギター弾いてたな。
 オメん家の犬のシロが好きらったや・・」。
 「シロな・・・。
 オラたちが中二の時の臨海学校から帰ったら、
 シロが死んでたがらや・・・」。

 15日の夜。片貝町二ノ丁割烹「かねし」の2階にいた。
 片貝中学校第28回卒業生「双葉会」の総会で集まっていた。
 およそ30人弱。100人の同級生の3分の1か。
 
 総会はようするに同級会なのだが、
 節目の年のお祭が盛んな片貝町では、
 多くの同級会が八月のお盆の時期に行われる。

 かねしの2回には和室の広間が幾つかあり、
 全て他学年の同級会で埋まっていた。
 他の地域では理解しがたいが二十歳に始まり、
 33歳、42歳の厄年、50歳、還暦祝いと
 ことある毎に同級会を上げて片貝町の秋季大祭に参加する。
 
 秋季大祭は毎年9月9日・10日と決まっている。重陽の節句だ。
 偶然見た志村けんのTV番組でも片貝の花火が紹介されていた。
 現在ではギネスブックに登録された世界一の四尺玉が有名である。

 片貝祭がユニークなのは、花火が中心の祭だけれど
 花火大会でなく、そのほとんどが町民の寄進として
 浅原神社に奉納されている処だろう。

 各同級会で節目の年に花火を奉納する。個人でも奉納する。
 町内毎にも花火を上げる。

 僕ら双葉会の42歳の会費は男子13万円だった。
 (女子7万円だったと思う)
 それだけの大金でおそろいの法被(はっぴ)を作り、
 様々な事前行事を行い、山車を制作し、花火を上げる。
 余所の人には理解不能な世界だろう。
 祭は平日だったりするわけで、当然仕事を休んで参加する。

 お祭には他の地域から見れば奇異に見えるものが多い。
 諏訪神社の御柱祭など、その最たるものだろう。
 片貝祭は奇祭ではないが、やはり独特なのだ。

 同級会の閉めの挨拶をしろと突然のぶりんに言われた。
 去年の祭でも町外在住者代表の挨拶をさせられた。

 「オラたちもいい年になったっけ、
 これからは一年一年が勝負らいや。
 還暦まで生きて、頑張ろーれーーー!」。
 僕の挨拶はいつも無茶苦茶である。 

 片貝町ではお盆を過ぎるとお祭の準備が本格化する。
 それぞれの町内の集落センターから
 お囃子の調べが聞こえてくる。 

2010年8月27日金曜日

文化のチカラ

 バブルが弾ける前に「メセナ」と言う名の
 企業による文化援助が多くあった。
 
 サントリーホールでクラシック音楽を聴いても、
 紀伊国屋ホールで友人の大高洋夫が主演していた
 第三舞台の「朝陽のような夕日をつれて」を観ていても
 メセナのお陰でチケットが以前より割安だった。
 
 美術展も大規模で金にものを言わせた名作展が
 目白押しだった記憶がある。
 メセナの下に協賛企業がたくさんあったのだ。
 それらのほとんどはバブル後に消えた。
 まさに泡のように消えたのだ。

 戦後の日本では他国に見られないような、
 ストーリー漫画が大人気となり、
 それらに基づいてアニメが多く創られた。
 どちらも中心にいたのは故手塚治虫氏である。
 現在では世界中の人々から、
 マンガとアニメは重要な日本文化と認知されている。

 お隣の韓国では国際美術展に力を入れているという。
 理由は営利目的でなく、文化の力で国際社会における
 名誉ある地位を得ようという目的があると聞く。

 バブルが弾けて予算を減らされた地方美術館で
 埋もれていた芸術家に光を当てる好企画が現れてきた。
 幾何学的な抽象のオノサトトシノブ。
 佐藤哲三や長谷川燐次郎もその中に入るだろう。

 かつて米国のニューディール政策は
 大恐慌のさなかに画家や様々芸儒家を保護した。
 公共事業として壁画の制作を依頼したり、
 画家に補助金を支給し作品を買い上げたのだ。
 そこに参加していた画家に、ポロックやロスコがいた。
 後のアメリカ抽象絵画黄金時代の中心人物である。

 日本人の多くが外国語を習得したとしても、
 そこで生み出され語られ受け継がれる日本文化、
 それが無くては意味が無い。
 外国の人とのコミュニケーションは手段である言語よりも
 語られる内容が重要だと思う。

 勿論それらがマンガとアニメだけでは困る。
 良いマンガやアニメは、良い文学や音楽、美術と同様に 
 優れた他ジャンルの表現を必要とする。

 文化は孤独からも生まれるが、
 孤立しては育たないのだ。
 
 「世の中は浮かれ溺れてナイル川。人生なめんなよ」。
 *TVドラマ「深夜食堂」より

2010年8月26日木曜日

給水室

 夜の街を歩いていた。
 見覚えのある裏通りに人影は無かった。

 どうして此処を歩いているのか
 思い出せなかった。
 馴染みの居酒屋へ行く途中だろうか。

 突然、自分が住んでいる集合住宅の火事を思い出した。
 躊躇している暇はない。
 すぐに119番通報をしなければならない。
 
 しかしその住宅の何処が火事なのか確信が持てない。
 記憶を辿りながら、家路を急いだ。
 遠くで消防車のサイレンの音が聞こえる。
 自分の集合住宅へ向かっているのだろう。

 四軒続きの長屋のような集合住宅。
 向かって一番右端に給水室があった。
 不思議なことだが、
 一番火の気のない給水室が出火場所だと確信した。
  
 慌てて走りながら家を目指す。
 手遅れにならなければいいが。
 燃えるものが無い給水室だったのは
 不幸中の幸いだったと思う。
 でも何故あそこから出火したのか?
 どう考えても訳が解らなかった。
 
 角を曲がり細い道を真っ直ぐに進む。
 あと30m程で家に着く。
 しかし、様子がおかしい。
 消防車どころか、救急車も何もいない。
 住宅の周りはとても静かなのだ。

 住宅に着いて右端の給水室へ向かう。
 その前で愕然とした。

 住宅の右端に給水室は無かった。
 そんなものは
 初めから存在して居なかったのである。

 (夢物語シリーズ・第2話)

2010年8月24日火曜日

守門村(晩夏Ⅲ)

 実家から10数キロ離れた処に
 堀之内町がある。
 現在は合併して北魚沼市だと思う。

 今年の正月まで百人一首を諳んじていた
 101歳になる祖母が堀之内病院に居る。
 冬に肺炎を患い、大事には至らなかったが
 それからずっと入院生活である。

 3月に見舞いに行った時はずっと寝たきりだった。
 会いに行っても意識が定かではないかもしれないと
 半ば諦めて出掛けた。

 丁度お昼前で、看護士さんが食堂へ
 祖母を連れて行こうとしたところだった。
 車椅子に乗せられた祖母は、
 母や僕が話しかけてもあまり反応が無かった。

 食堂に祖母の席があった。
 沢山のお年寄りが集まっていたが、
 ほとんどの人が眠っていた。
 中にはベッドに寝たきりのまま
 食堂に連れられていた。

 驚いたことに祖母は目の前のお茶を自分で飲み始めた。
 飲み物は気管に入るといけないのでゼリー状だった。
 祖母は茶碗に入ったお茶を左手にしっかりと抱え、
 右手でスプーンを使って口に運んだ。
 口に入ったお茶を顔全体の筋肉を総動員して
 租借していた。

 食べ物は全てお粥状になっていた。
 祖母は毎食時間を掛けて全てたいらげるという。
 一つひとつの食べ物を真剣に食べる祖母を見て
 生きることの凄さ、偉大さ、大変さを
 いっぺんに感じた。
 自分の祖母ながら凄い人だと思った。

 空き家なって数年になる祖母の家を訪ね、
 母の実家のお墓参りをした。
 北魚沼市須原。旧守門村。
 今でも冬は3mの大雪が降る。

 そんな厳冬の地で
 祖母は96歳になるまで独り暮らしをしていた。
 目の前に暮らす弟家族や、
 代わるがわる訪れる子どもたちに支えられてだが、
 基本的な生活は全て自分でこなしていた。

 雪に閉ざされ、美しいけれどとても厳しい
 そういう風土が越後の人を育んできたのだ。
 そう思った。 

 JR只見線に沿うように流れる魚野川は
 かつて深いターコイズブルーだった。

 *続く

2010年8月22日日曜日

クジラ汁(晩夏Ⅱ)

 帰った日の夕飯にクジラ汁を食べた。
 地元では「ゆうごう汁(夕顔汁=冬瓜汁)」と言う。

 塩鯨肉を塩抜きをして、
 冬瓜、茗荷、ジャガ芋、玉葱などと煮込む。
 煮干し。昆布の出汁に味噌で仕上げる。
 父の得意料理であり、僕の大好物だ。

 冬瓜は暑さに火照った身体を冷やし、
 保存の利く塩クジラ肉で精を付ける。
 夏バテを乗り切る理想的な料理で、
 何よりも美味しい。

 数年前、友人の加藤氏と函館に旅をした。
 競馬に忙しい加藤氏と別行動で観光をした。
 素晴らしい明治の洋館建築を堪能した後で
 古い民家を改築したお店で昼食を採った。
 そこのメニューに鯨汁があり、食べてみた。

 醤油味で具も実家とは違っていたが美味しかった。
 店の人に聞くと夏場の料理ではなく、
 本来はお正月のご馳走だと言われた。

 新潟と北海道という異なる地に受け継がれる
 鯨料理の文化。日本各地にまだあることだろう。
 秘密のケンミンショーで是非取り上げてもらいたいものだ。

 モツ煮とホルモン焼きでお腹が膨れた僕は、
 ゆうごう汁をおかわりしないで、
 次の日の楽しみに取って置いた。

 しかし異常なフェーン現象の暑さだった次の日朝
 ゆうごう汁は腐っていた。
 悪くならないように母親が、
 多量の氷を入れておいたに係わらずである。
 こんなことは新潟ではあまり聞いたことがない。
 温暖化なのだろう。

 今日のニュースでは、山形の立石寺近辺で、
 本来西日本に生息するクマゼミの声が観測されたとあった。
 芭蕉のあまりにも有名な句
 「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」の舞台である。
 芭蕉はニイニイ蝉の声を聞いてこの句を詠んだらしい。 

 15日も朝から異様な暑さだった。
 昼前に101歳の祖母の見舞いに
 10数キロ離れた堀之内病院へ行った。

 *続く 

2010年8月20日金曜日

晩夏Ⅰ

 涼しい朝だ。
 昨日までの猛烈な暑さが嘘のようだ。
 
 13日まで仕事で山中湖に居た。
 14日から昨日の午後まで郷里の新潟に居た。

 台風の後の新潟はフェーン現象で酷く蒸し暑かった。
 加えて老夫婦(両親)だけが生活するその家は、
 普段の空気の入れ替えが充分でなく、
 家の中には行き場のない湿気と熱気が漂っていた。

 二階の南東に位置した僕の寝室は普段使われていない。
 重く湿った暑苦しい部屋で寝た。
 クーラーを点けっ放しにしていても厭な汗をかいた。

 夕方に長岡駅に着いた。
 片貝行きのバスにはだいぶ時間があった。
 馴染みの古着屋を覗き、 
 ダメもとで居酒屋「酒小屋」へ向かった。
 お盆の時期だから休みだろうと思っていた。
 暖簾が下りている。しめた。

 「煮込みと酒をください」。そう言った。
 狭い店内にクーラーはない。
 窓も扉も開いているが、みな団扇で扇いでいる。
 酒小屋のメニューは「モツ煮込み340円」のみ。
 あとは一切なし。飲み物も酒と瓶ビール大のみ。
 50代、60代の男性が主な客。
 10人も入れば満席になるだろう。
 開店は午後4時。煮込みがなくなると閉店。
 だいたい六時過ぎ。

 平屋建ての外観も、壁の一部が剥げ落ちた店内も
 白い下着の半袖シャツの店主も完全に昭和の世界だ。
 僕はこの店に立ち寄るために
 午後五時ころに長岡駅着の新幹線に乗り込む。
 
 煮込みしかないが、客足は途切れない。
 回転率も良い。みなモツ煮一杯と酒二杯くらいで帰るからだ。
 当然煮込みは美味い。何処よりも美味しいと思う。
 だから行くチャンスがあれば必ず入る。

 蒸し暑い店内で、暖かいモツ煮と燗酒。
 「幸せとは撃ったばかりの暖かい銃」。ジョンの唄だ。
 「幸せとは食ったばかりの暖かいモツ煮」。こっちの方がいい。

 実家に帰ってから、地元の店「あおきや」で
 ホルモン焼き1000円を買う。
 カシラ、ハツ、ガツ、レバ、ヒラなどあらゆるモツが
 あおきや独特の甘辛いタレで味付けされている。
 これがビールに合う。たまらない。

 久しぶりのブログは吉田類の「居酒屋放浪記」みたいだな。
 花小金井の肉屋「だいとく」の味付けガツと
 ブラウンマッシュルームを食し、
 赤ワイン「王様の涙」を飲みながら書いた。
 
 *たぶん続く
 

2010年8月8日日曜日

ぼくの世界

 目をつむると
 月が上から
 落っこちてきて
 ぼくはあわてて
 両手で受けとめた

 半分だけ
 山吹色に輝く月を見て
 ぼくははじめは
 不安だったけど
 ああそうかと納得した

 ぼくが知っている
 この世界を
 支えているのは
 このぼくなんだと

 ぼくがいるから
 ぼくの世界は
 存在しているんだ


 (2000/10/9制作)

2010年8月7日土曜日

静かな奇譚

 サルスベリがおかしい。

 いつもの年ならば花がたわわに咲いている。
 9月までは花の盛が続いていた。

 しかし先日花小金井駅周辺の百日紅を見たら、
 花がいつもの3分の1も無い。
 近づいて良く見ると、花が終わって沢山の実がなっていた。

 異常な猛暑だというのに、
 百日紅は秋を迎えようとしているのか。
 暦の上では今日が「立秋」である。

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども
 風の音にぞ驚かれぬる」藤原敏行

 残暑お見舞いの時期になると、
 毎年この歌を思い出す。

 暑いのさ中に「小さな秋」を発見する感性の鋭さ、
 「驚かれぬる」と感動を歌う率直さを
 素晴らしいと感じるし凄いなあと思う。 

 画家長谷川燐二郎の言葉。
 「何よりも大切なのは‘感動’である。
 要するに画家の定義は、
 画を描く人と言うよりも、
 絶えず外部に感動を見出し、
 絶えず自然を万物を賛美し、
 感動の生活を送る人、である」。
 (私は何度同じことを手帖に書くのだろう)。

 僕は今日も暑さの中で過ぎ去りゆく夏空を眺める。

 「現実は精巧に出来た造られた夢である」。
 長谷川燐二郎

2010年8月4日水曜日

女の過程

 「女っていうのは一番が感情で二番に言葉で
 三番に理性なのだろうと、自分の悪癖をまた性に転嫁する」。
 金原ひとみ小説「TRIP TRAP/女の過程」より。

 金原ひとみの本を読むのは「蛇とピアス」以来だった。
 ストレートな語り口が凄いと感心していたが、
 2作目を読むことに二の足を踏んでいた。

 一番に感情では、男は女に叶わない訳だ。
 愚かな男は、感情と同時に体裁を考える。
 つまり本音をオブラートに包もうとする。
 そういうええカッコしいが男なのだろう。
 
 小説家姫野カオルコも女性の持ついやらしさに対して辛辣だ。
 姫野の小説、「レンタル(愛人)」の中で主人公の女性は
 同じ女性に対してこんな疑問を呈する。

 「結局、身体が目的だったのね」と男性に迫る女友達に
 それは自分の身体が目的になるほど素晴らしいことを 
 自慢しているに過ぎないと言ってのけるのだ。
 実は凄く自信過剰なんじゃないかと。

 テレビバラエティ番組でマツコデラックスが
 TBSのアナウンサーの悩みに答えるコーナーを見た。
 驚いたのは女子アナの一人がこう言ったことだった。

 「私は職場の飲み会でもすぐ気を利かせて
 みんなのお酒を用意したり、すごく気を遣ってしまう」。
 これは自慢ではなくて、悩みだと言うのだ。

 マツコの答えが良かった。
 「あんたはいいわよ。今だって計算出来ているんじゃない。
 自分がどう見られているか。大丈夫よ」。そう揶揄した。
 けれど女子アナがタレントのような役割を
 せえざろう得ない状況には同情していた。

 女の過程を読んで、女性は人生のそれぞれの段階で
 進化というか成長を余儀なくされているのかも知れない
 そう思った。
 
 男は進化や成長でなく、
 経験から学習することしかできないように思う。
 自分だけかもしれないが。

 女性が女性の狡さを露呈する小説を読んだことはあるが、
 男性が男性の愚かさを指弾する小説はあるのだろうか。
 たぶん在るのかも知れないが、僕はよく知らない。
 チャールズ・ブコウスキーの小説「女たち」が唯一それに近い。
 
 「人は結局、
 世界の不条理や自身の無力感に耐えうる力を持っているのだ」。
 金原ひとみ「TRIP TRAP/夏旅」より。

2010年8月1日日曜日

人生はおとぎ話だ

 Keep passing,open the window.
 「開いている窓の前は通り過ぎること」。

 「ガープの世界」に続いてジョン・アーヴィングの小説
 「ホテルニューハンプシャー」を読み終えた。
 見事な小説だった。友人の文士の言は正しかった。

 主人公の父親が 
 一家でホテル経営を始めるが上手くいかない。
 射殺されてしまう飼い熊のステートオブメイン。
 同性愛の長男、近親相姦の長女と次男。
 飛行機事故で亡くなる妻と三男。 
 小人症の次女。次女の自伝小説はベストセラーになる。
 オナラばかりする飼い犬のソロー。 
 悲運(sorrow)は漂う。どんな家庭にも必ずある。
 それでも人生は進んでいく。
 
 仏陀の話を思い出した。
 幼子を亡くした母親が仏陀の処へ来る。
 「どうか我が子を甦らせて欲しい」と。
 仏陀はこう答える。
 「一度も死人を出したことの無い家を探して
 麦粒を貰って来なさい。そうすればお子さんは生き返ります」と。

 母親は必死になって、家々を訪ねる。
 しかし死人を出したことの無い家は見つからない。
 母親は死が必然であることを悟り、
 仏陀の弟子になったという。

 アーヴィングの小説は仏教に通じる
 諦念のようなものを感じる。
 死も悲運も避けられないものだと。
 「人生はおとぎ話だ」と書く作家には
 おとぎ話には試練が多いことが分かっているのだ。

 だいぶ前に観た映画もビデオで借りて見直した。
 以前観た時は途中で寝てしまった記憶がある。
 映画も良く出来てはいた。
 「ガープの世界」とは比ぶべくもないが。

 ガープの世界は良い意味で原作をアレンジしてた。
 原作にない部分の挿入や、脚色が効果的だった。
 ホテルニューハンプシャーは原作に忠実過ぎた。
 小説と映画は別物だから、
 映画としての表現を追求した方が面白いに決まっている。

 「開いている窓の前は通り過ぎること」。
 死が避けられない運命であるならば、
 開いている窓から落ちようとする必要はない。
 窓の外が明るくても、暗くても
 それは大した問題ではないのだ。