2010年7月31日土曜日

SUMMER TIME

 洗濯紐に挟んであった大きめの洗濯バサミを掴んだ時だった。

 パリッという頼りない音と供に洗濯バサミは割れて 
 白いプラスチックは四散した。

 一瞬だけベランダに落ちた洗濯バサミの欠片を拾うことを
 疎ましく思ったが、次の瞬間には寿命のことを考えていた。
 
 あらゆるものは儚くその寿命を終える。
 自分が例外でないことは百も承知のはずだ。

 演劇界の巨星、つかこうへい氏が亡くなった。
 僕は彼の演劇を一度も観てはいない。
 映画化された「蒲田行進曲」を観て
 素晴らしい作品だと感心したくらいだ。

 一度だけ、つか氏の講演会を聞いたことがある。
 全共闘世代の彼は、慶応大で演劇を作演出をしていた時
 同級生から「こんな時に芝居なんかしやがって」と
 罵声を浴びせられたと話されていた。

 今通っている歯医者さんに雑誌SPAがあった。
 普段は読まないのだが、
 みうらじゅんとリリーフランキーの「グラビア魂」を
 一度くらい見てみようと思いページを開いた。

 ナイスボディのグラビア嬢と二人の解説を
 フムフムと眺め、ペラペラとページをめくった。

 やはり劇作家で演出家の鴻上尚史のコラムがあった。
 亡くなったつかこうへい氏への追悼文だった。
 つか氏が有名になられてから、
 在日朝鮮人であることを公にしたこと、
 氏のペンネームが「(い)つか公平(に)」に 
 由来しているらしいことなど書いてあった。
 その観点で代表作「熱海殺人事件」を眺めると
 ストーリーや台詞の意味が違って理解できると
 そう書いてあった。

 ジャニス・ジョップリンの代表曲'SUMMER TIME'。
 友人から借りたビデオでライブの様子を見たことがある。
 素晴らしいヴォーカルとバンドパフォーマンスだった。

 けれど絞り出すような彼女の歌声には、
 生命の炎を燃やし尽くすような痛々しさを感じた。
 早世してしまった彼女を知っているからだろうか。

 人の死を「惜しい」とか「早すぎる」と決めてしまう
 私たちの心とは何なのだろうか。

 壊れてしまった洗濯バサミをゴミ袋に捨てた。
 夏の時間は通り過ぎてゆく。   

2010年7月30日金曜日

指の中の天使

 左手の親指がポキッと折れて床に落ちた。
 母親が誤って折ってしまったのだ。
 小学校へ上がる前の冬のことだ。

 痛みは全くなかったが、恐ろしくて泣き叫んだ。
 母と父は北米大陸の先住民族のような格好で
 落ちた親指の周りをぐるぐると踊り祈っていた。
 死んだ筈の祖母は心配そうな面持ちで
 親指を眺めているだけだった。

 早くつけないと元には戻らない。
 そう分かっていても幼い僕にはなすすべもない。
 ただ「左手だったのは少しだけ幸運だった」と
 泣き叫びながら考えていた。

 指先の欠けた親指を見ると、中は空洞だった
 何故か骨も肉もなく、空洞だった。
 中が空洞だという事実もまた恐ろしかった。

 しばらくすると、落ちた親指の欠片から
 小さな小さな天使が出てきた。
 一人、二人、三人・・・・。全部で7人だった。

 1番目の天使が驚く僕にこう言った。
 「願い事を叶えてあげる」。
 「指を元に戻して」。
 やっとのことでそう言った。

 6人の天使が指を運び、(彼らは羽で空を舞った)
 1番目の天使がお呪いを唱えた。
 僕の指は元通りになった。

 ほっとして見渡すと辺りには天使の姿は無かった。
 父も母も亡くなった祖母の姿も、もはや無かった。 

 (夢物語シリーズ・第一話)

2010年7月29日木曜日

Over The Rainbow

 目が覚めたら雨の音がした。
 外は明るく雨模様ではない。

 カーテンを開けて空を見上げた。
 ぼんやりと虹が架かっていた。
 
 久しぶりの虹を眺めながら、
 以前のI氏のメールを思い出した。
 このブログにも掲載した「音楽について」である。

 目の前で演奏された音楽は、
 確かにそこに在ったと思われるし、
 断片的に思い出すことも出来るのだが、
 もうそこには存在しない。永遠に。

 目の前の虹は、そもそも存在しているのだろうか。
 見えている間は在るとも言えるのだが、
 光の反射に過ぎない虹は手に触れることも出来ない。
 まるで幻のような存在だ。

 しかし我々の目に映る全てのものは、
 やはり光の反射に過ぎないではないか。
 確かに手に触れたり、匂いを嗅いだり、
 食べ物なら口に入れて舌触りを確かめて味わうことだって可能だ。

 数年前に見たエリック・クラプトンのコンサート。
 満員の武道館でのアンコール曲。
 イントロを聴いても、何の曲か分からない。
 クラプトンの歌が始まる。'Over The Rainbow'だった。
 「いつの日か、虹を越えて。空は青い・・・」。
 美しく切ない、大人のための童謡のように感じた。

 実体がまだ存在していようがいまいが、
 過去に起きたことのみならず、目の前の世界も
 頭が創り出した物語に過ぎないのではないか。
 私たち自身が幻のような存在ではないか。

 それでも私たちは夢見ることを止めたりはしない。

 Rain(雨の)Bow(弓)。
 半弧を描く朝の虹を眺めながら
 そんなことを考えた。 

2010年7月26日月曜日

腐乱する生

 新宿の夏が憂鬱なのは、
 激しい暑さと腐乱の悪臭。

 朝8時前には西武新宿駅から
 新宿御苑の直ぐ隣にある職場へと向かう。
 
 好んで裏通りを通るので、
 勢い燃えるゴミ袋の列に出くわす。
 飲食店が多いからだ。
 ゴミ回収車の脇をすり抜ける。
 鼻腔を刺激する強烈な匂い。
 思わず息を止める。

 それでも裏通りをめったに変更しない。
 オレは「裏通りの男」(Back Street Boy)だからだ。

 3年前に半年間で二度職質を受けた。
 一度目は仕事帰りの午後6時近く。
 西武新宿駅の直ぐ近くだった。
 連日のように職質している警官を眺めたが、
 まさか自分のところへ来るとは思わなかった。
 二人組の警官に「ちょっといいですか?」と
 声を掛けられ、身体検査をされた。
 「新宿には何をしに来られましたか?」。
 「何って、仕事ですよ」。
 「ナイフは持ってませんか?」。
 「持ってない。何かあったの?」。
 「数日前に通報がありましてね・・・」。
 「特徴が似ているのかな」。
 「いいえ。ご協力ありがとうございました」。

 半年後、朝の10時前だった。
 西武新宿駅前に停車しているパトカーを見つけた。
 僕が歩道を渡ると、パトカーは発車した。
 30m先の横断歩道を渡る前にパトカーが止まり、
 素早く一人の警官が僕の行くてを塞いでこう言った。
 「ちょっといいですか?」。

 あっと言う間に続けて降りた二人の警官が加わり、
 都合3人に警官にがっちりと囲まれた。
 今度の職質と身体検査は入念だった。
 鞄の隅々まで、ポケットの中身まで調べられた。

 「半年前にも職務質問されたのですが、
 何か理由はあるのですか?」。
 警察官の答えは曖昧だった。

 一度目の職質の一ヶ月後、
 秋葉原で痛ましい事件が起こった。
 
 新宿の街は、僕には人が多すぎる。
 僕には街が大きすぎる。

 新宿に転勤して三度目の夏を迎えた。
 腐乱する臭いに慣れることはない。
 けれど最近になって、はたと考えた。
 腐乱には死のイメージがあるが、
 腐乱そのものは生を助長してきたのではないか。
 腐乱によって、生命の営みが育まれたのではないか。

 私自身が生と腐乱の中間にあるのではないか。
 死と腐乱の中間かもしれない。
 
 生も死も腐乱も、僕自身の幻想の中にあるにせよ、
 そのような幻想の夏の中に僕は今日もいる。

2010年7月25日日曜日

 昔
 よく一人で旅に出た
 
 それはいつもの
 樺太の
 海岸通りの
 さびれた道だったり
 光溢れる
 サイパンのビーチだったりした

 何か見覚えのある
 島の
 白い大きな灯台の
 丘の道を歩いたりした

 大阪の街の上を
 竜によく似た
 3メートルくらいの
 大きな鳥が飛んでいるのを
 見たことがある

 今ではあんまり
 旅をしなくなった

 砂ぼこり舞う
 満州が
 最後だったかも
 しれない


 2000/10/5 

2010年7月22日木曜日

銀河鉄道の夜

 猛暑が続いている。
 23日は暦の上で「大暑」だった。 
 
 昼に暑いのはまだ我慢が出来る。
 厭なのは夜になっても暑苦しいことだ。

 25℃を超えると「熱帯夜」と呼ばれているが、
 先日友人が「熱帯の夜に熱帯夜はない」と教えてくれた。
 熱帯の人たちは私たちより確実に健やかな眠りについている訳だ。
 熱帯には壁のない柱だけの家が存在する。必要がないからだろう。
 以前、写真で見たことがある。
 
 世界でも特有な蒸し暑く寝苦しい夜のために、
 冬の寒さを考慮しない、夏のための家を
 私たちの祖先は工夫してきたのだろう。
 
 アニメ「となりのトトロ」の舞台、
 さつきとめいの家にもそれが窺える。
 長い縁側があり、夏の夜はそこを開放する。
 家の中には蚊帳が吊ってある。

 僕の実家も30年以上前にはそうだった。
 縁側を開け放し、蚊帳を吊った。
 吹き抜けの斜め天井の高窓からは
 月やたなびく雲が見えた。

 目を凝らせば、
 遙か銀河を走る銀河鉄道が見えたかもしれない。
 
 「黄金虫投げ打つ闇の深さかな」虚子
 
 

2010年7月20日火曜日

1990

 「何故だろう?」。
 「もう少し大人になればわかるさ」。

 彼は空想の死を希望していた。
 つまり死にたい時に死に
 そして何度も復活したいと望んだのだ。
 それはおそらく生があまりにも重すぎた故でもなく
 生を実体あるものとしてとらえる能力に
 欠けていたためと思われる。
 実際彼はその人生のほとんどを
 幻想の中で費やしたと言ってもいい位だった。
 ただ本人にはどこまでが現実で
 どこまでが幻想なのか 
 はっきり区別をすることが難しかった。

 現実の中で「これは長い夢を見ているのだ」
 と感じることが度々だった。

 彼は時に異教の神に祈った。

 神々の中で彼に応える者は居なかった。

 (1990年制作)

2010年7月19日月曜日

真夏の果実

 梅雨明けをして、本格的な夏になった。
 昨日は各地で猛暑日を記録した。

 昨日の夕暮れは良かった。
 風が強かったためか、富士山がくっきりと見えた。
 夏の富士もよい。夕暮れとなれば格別だ。

 夕焼けがまた見事だった。
 大きな紫色の入道雲。茜色、オレンジ色、黄色の光。
 それらが刻々と形と色を変える。

 「あの雲を見給え。
 あれをそのまま表現できたら
 どんなに素晴らしいことだろう。
 モネならそれが出来る。
 彼には腕力がある。」ポール・セザンヌ

 高校生ころ陸上部に所属していた。
 練習帰りの帰り道で大空を見上げては、
 いつかあの空をそのまま描けるようになりたい、
 そう念じたものだった。
 
 夏の雲はいつも自分にとっての主題だ。
 恐竜のプロントくん、キャットくん、
 ‘レクイエム’の怪獣とロボットのシリーズ、
 ‘洪水のあと’の動物たちの肖像シリーズでも
 ずっと夏の雲を描き続けた。

 「もりもり盛り上がる雲へ歩む」山頭火

2010年7月13日火曜日

もやもやさまーず

 深夜放送の人気番組がゴールデンに移る。
 良くあることだが、大抵がつまらなくなる。
 
 何故だろう。
 色々と理由はあるだろうが、
 ゴールデンに移って張り切ってしまうと、
 深夜放送の自由さアドリブ感が無くなるから、
 そんな気がしている。

 その点「もやもやさまーず」は良い。
 深夜でも何度か見ていたが、
 日曜日の夜7時に移って良く見ている。
 持ち味の緩さが失われない。
 テレビ東京なのも良かったかもしれない。

 共演の大江アナがいい。
 さまーずの三村、大竹との距離感、リズムがいい。
 良くある散策・街紹介の番組なのだが、
 どうでもいいような場所ばかり訪ねている。
 
 一週間のゴールデンの番組で、
 これ程力の抜けた番組は、
 同じテレ東の「天空散歩」くらいではないか。

 サッカーのワールドカップが終わった。
 サッカーの試合自体は、それなりに楽しめた。
 辟易したのは、盛り上げようとするマスコミだ。
 
 報道の内容や、調子が異様だった。
 質の悪い、騒ぎたがりのファンと似ていた。
 朝の報道番組のコメントの「がんばれ日本」の
 連呼は何なのだろう。
 ただ便乗しようとする卑しさが感じられる。

 知り合いのサッカーファンが言っていた。
 彼は最近「坂の上の雲」を読んだと言い、
 こう続けた。

 「日露戦争の勝利と変わらないんですよ」。
 司馬遼太郎が書いていることだが、
 ほとんど引き分けに等しい勝利に
 大勝利とマスコミが煽り、国民が熱狂した。
 サッカー報道がそれに似ていると言う。
 同感だ。

 報道に必要なのは、熱狂では無く冷静さだ。
 共感はあってもよいが、検証が必要だ。
 法案や政策でも、賛成、反対の両論の対比が重要だ。
 
 気味の悪い熱狂よりは、
 一見取るに足らないものに光を当てる方が
 遙かに価値がある。
 それこそ茶の湯の「見立て」であろう。

 落ち着いて、のんびりのんきな
 「もやもやさまーず」が好きだ。 

2010年7月11日日曜日

やがて哀しき外国語

 日本の教育で「英語」が何故偏重されるのか。
 
 外国語を学ぶことには意味がある。
 世界は言語で成り立っている。
 現実の世界ではなく、
 我々の頭の中にある「世界」である。
 我々にとって世界は頭の中にしかない。

 日本語で作られた世界と、英語や他の外国語
 それらで考えたり聞いたり話したりする世界は
 少し違っているように思う。
 僕の拙い英語力でもそう感じる。

 外国語を学ぶことには意味があると思う。
 外国語に限らず、学ぶことは大抵意味があるだろう。
 けれど受験で何故英語が重要なのかが分からない。
 受験技術の差異化が易しいからだろうか。
 あまり身のある話とは思えない。

 何ヶ月か前の朝日新聞に4面の意見広告が出ていた。
 小学校からの英語教育に反対する意見広告だった。
 1ページ目は人気漫画の「ドラゴン桜」の主人公。
 曰く「小学校から英語なんてお前ら破滅するぞ」。
 2面にはNHK英会話で人気講師の意見が。
 まずは自国の文化をしっかり学ぼうと。
 文化にはまず自国文化の根っこが大切だと。
 同感だ。

 外国の方と交流する場で、必要なのは語学力よりも
 自国の文化に対する理解と、
 外国の文化を理解しようとする態度ではないか。
 英会話の技術ではなく文化的教養が大切なのではないか。
 大江健三郎氏が流暢とは言えない英語で
 ノーベル賞受賞のスピーチを行った時、強く思った。

 文化としての言語教育が受験技術としての道具になっている、
 そんな風に感じているのは僕だけではないだろう。
 小学校からの英語教育に強い懸念を抱くのは、
 ドラゴン桜の主人公と同じある。 

 おもろうてやがて哀しき・・・・。

2010年7月9日金曜日

百日紅

 一昨日の夜。
 夜の散歩が涼しいなと感じたら、
 虫の音が聞こえた。

 紫陽花の花が一気にしおれて、
 百日紅の花が咲き、夏到来を感じさせた。
 
 携帯のカメラで何枚の紫陽花を撮っただろうか。
 何枚の薔薇、名も知らぬ花を撮っただろうか。
 
 花を子細に眺め、写真を撮るようになると、
 花の時期が楽しみになる。
 春から夏の前に花々の一つのピークがあることに
 今年になって初めて気づいた。

 これからの時期は朝顔に向日葵だろうか。
 ひまわりの花は少年時代の憧憬の中にもある。
 だから「キャットくんとふしぎなプール」の世界で
 たびたびひまわりを描いた。

 暑さが苦手だったので、夏が嫌いだった。
 それでも夏の夕暮れに見る大きな入道雲はずっと好きだった。
 
 夏の夜の濃い木陰が創り出す、深い闇が今は好きだ。

2010年7月8日木曜日

諸行無常の響き

(友人のI氏からのメールが
 大変面白かったので、ここに掲載します。
 勿論、I氏の了解済みです。)

音楽を使って、実験してみることができる、と気がつきました。

近代以降は、レコードだの何だのと、録音技術があるので、
音楽は記録できるのだという「錯覚」が定着していますが、
その技術がなかった頃は、そういう錯覚の持ちようもなく、
人は、音楽・楽曲について、
けっこう「実相」に近い受け止め方をしていたのではないでしょうか。

で、現代でも、録音などしないでいることは可能ですから、
実際に楽曲を演奏してみて、その実相を見ることができるわけです。

音楽のすごいところは、
「なにも残らない」ということが確かめられることです。

もちろん、音楽だろうがなんだろうが、
何かが残る、などということは起こっていないのですが、
音楽以外は、それを実感するのがむづかしいわけです。

絵を描けば、その「絵」が目の前にちゃんと存在して、
いつまでも(まあ、数年、数十年ぐらいでも)残っている、
というように感じてしまうでしょう。

なにかの曲を弾いてみて、
それが、弾くそばから消えてしまうのを確かめるのは、
そんなにむづかしいことではありません。

で、それを観たうえで、
でも、この曲は確かにあった、というふうに思える、
それはどういうことだろう、
心は、何をやっているのだろう、
と考えてみるのは、とてもいいことだと思います。

ビートルズの、Come Together という曲は、「存在」しているのか?
それはどこに「在る」のか?

自分、とか、人生、とか、時代、とか、
そういうものに対する錯覚も、そこから見えてくるかも知れません。

というわけで、相変わらずのヒマ談義でした。

2010年7月4日日曜日

アフリカの星

 雑誌ビッグイシューで、南アフリカ共和国前大統領
 ネルソン・マンデラ氏の特集をしていた。

 南アフリカ共和国では、
 現在サッカーのワールドカップが開催されている。

 僕も日本戦を含め何試合か見ている。
 試合自体は楽しめるけれど、
 一体感を強調する報道は好きになれない。
 道徳を声高に叫ぶ人に似て、
 選手はともかく、
 外野からの一体感うんぬんは押しつけだと思う。

 でも、民族対立が激しい南アフリカ共和国の地で、
 民族融合を唱えることは、一体感の強要とは訳が違う。

 どんな人間にも欠点はあるはずだ。
 ジョン・レノンは偉大なミュージシャンだったが、
 彼自身が答えているように欠点も多い人間だった。

 マンデラ氏のことを断片的にしか知らないが、
 彼が27年にも及ぶ投獄の後で、
 敵対していた白人に対して報復をせずに、
 大統領として国をまとめアフリカを再建しようと努めたこと、
 これは立派だと思う。

 2年前発行の別なビッグイシューを手に入れたら、
 そこでもアフリカ文化についての特集があった。
 驚いたことに、対立する民族が第三者も交えて
 対話によって紛争を回避する智恵が
 元々彼の地にはあったと書かれてあった。

 マンデラ氏は、近代化で失われつつあった
 アフリカ文化の智恵を復活させたのかも知れない。
 
 西洋人がアフリカ文化を取り入れた最初の例は、
 ピカソが始めた「キュビスム(立体派)」によってだろう。

 それでも西洋は「暗黒のアフリカ」などと読んで
 彼の地を蔑んだ。
 「暗黒のアフリカ」は「暗黒の中世」と同じだ。
 近代化されていないものは
 全て「劣ったもの」として考える思想だ。

 近代主義は「理性」を重視し「狂気」を排除する。
 フーコーは近代主義が「精神病院」を生んだと書いた。
 アフリカのある地域では
 狂気を全ての人間が共有する本質と捉える伝統が
 いまでも残っていると言う。

 ぼくはアフリカについてほとんど何も知らない。
 けれど、多様なアフリカ文化の一端に触れたこと、
 「近代主義」の考え方とは違う思想の方法を知った事
 このことは良かったと思う。

 ワールドカップを見て、アフリカの選手の肉体が
 他の大陸の選手よりも逞しく立派に思えた。
 これは偏見や、差別に基づく考えなのだろうか。
 よく分からないが、そうではないと思いたい。