日本の教育で「英語」が何故偏重されるのか。
外国語を学ぶことには意味がある。
世界は言語で成り立っている。
現実の世界ではなく、
我々の頭の中にある「世界」である。
我々にとって世界は頭の中にしかない。
日本語で作られた世界と、英語や他の外国語
それらで考えたり聞いたり話したりする世界は
少し違っているように思う。
僕の拙い英語力でもそう感じる。
外国語を学ぶことには意味があると思う。
外国語に限らず、学ぶことは大抵意味があるだろう。
けれど受験で何故英語が重要なのかが分からない。
受験技術の差異化が易しいからだろうか。
あまり身のある話とは思えない。
何ヶ月か前の朝日新聞に4面の意見広告が出ていた。
小学校からの英語教育に反対する意見広告だった。
1ページ目は人気漫画の「ドラゴン桜」の主人公。
曰く「小学校から英語なんてお前ら破滅するぞ」。
2面にはNHK英会話で人気講師の意見が。
まずは自国の文化をしっかり学ぼうと。
文化にはまず自国文化の根っこが大切だと。
同感だ。
外国の方と交流する場で、必要なのは語学力よりも
自国の文化に対する理解と、
外国の文化を理解しようとする態度ではないか。
英会話の技術ではなく文化的教養が大切なのではないか。
大江健三郎氏が流暢とは言えない英語で
ノーベル賞受賞のスピーチを行った時、強く思った。
文化としての言語教育が受験技術としての道具になっている、
そんな風に感じているのは僕だけではないだろう。
小学校からの英語教育に強い懸念を抱くのは、
ドラゴン桜の主人公と同じある。
おもろうてやがて哀しき・・・・。
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