2010年10月31日日曜日

長岡現代美術館

 おそらく日本で最初の現代美術の常設館だったのだろう。
 
 それが新潟の長岡市の街中に在った。
 現在は閉店された長岡大和デパートの裏。
 大光相互銀行のビルの1階。
 そこに「長岡現代美術館」は在った。
   
 外壁には鉄のレリーフは斉藤義重の作品。
 高校時代にその存在を知り、展示替えの度に訪れた。
 入場料は当時学生50円だったと思う。

 土曜日の午後に良く行った記憶がある。
 受付に誰も居ないこともあった。
 受付右手奥の館内は真っ暗だ。
 あれは廃館になる直前だっただろうか。

 「すみません」。
 声をかけると2階から事務服姿のお姉さんが降りて来た。
 慌てて入場券を切り展示照明のスイッチを入れてくれた。
 
 高校の美術室を一回り大きくしたようなスペース。
 美術館と言うよりも画廊といった観だった。
 観客は勿論、僕一人。

 展示内容は日本・西洋の近代洋画の巨匠展
 日本・西洋の現代美術の巨匠展の
 おおまかに分けて4つのテーマだったと思う。

 日本近代だと岸田劉生、浅井忠、坂本繁二郎、
 藤田嗣治、児島善三郎、小糸源太郎などなど。
 劉生の絵は代表作とも言える「冬枯れの道路」だった。
 浅井忠の「春畝」も見事だった。

 西洋近代絵画ではセザンヌ、クレー、ピカソから
 当時好きだったシュールレアリズムの巨匠
 ダリ、マグリット、デルボーなどが在った。

 現代美術は当時ほとんど知らなかったが、
 大学生になって現代美術の存在とその魅力を知るようになり、
 昔見た作品と作家名が一致するようになった。

 日本の高松次郎、菅井汲、篠原有志男、荒川修作ら。
 西洋のカステラーニ、フォンタナ、ローゼンクイスト、
 そしてフランク・ステラなど。

 新潟では2番目の都市とはいえ東京の近代美術館にも無いような
 現代美術作品が地方美術館に収蔵されていたことは驚きである。

 のちの美術評論家三木多聞氏は
 当時東京近代美術館の学芸員であったが、
 後輩に「長岡現代美術館」を見に行けと
 檄を飛ばしていた事を美術雑誌で知った。

 「長岡現代美術館」は経営母体の大光相互銀行が
 経営不振に陥ったことにより、その幕を閉じた。
 大光コレクションと呼ばれた収蔵作品は
 一部が現・新潟近代美術館に収まったが、
 多くは他の美術館などに散逸した。

 高校1年生で絵の世界を志した自分が、
 恩師の助言によって美術館の存在を知り、
 貴重な時間を過ごすことが出来たのは幸福だった。

 「情けは人の為ならず」と云う。
 僕が自分が受けた恩恵を誰かに返すことができるのか、
 甚だ心許ない。

2010年10月28日木曜日

お兄ちゃんのハナビ

 映画館で観る映画は年に1度くらい。
 
 去年はチェコの短編アニメ特集を観た。
 今年は「13人の刺客」を観ようかなと思ってた。
 そんな時に中学の同級生からメールが来た。

 「お兄ちゃんのハナビ」を観て泣いたとあった。
 昨年、片貝中学校28回卒業「双葉会」の仲間とともに
 記念の花火を打ち上げ、山車を牽いた時に
 その映画の撮影が行われていた。

 オラたちの姿も映画に収められていると言う。
 インターネットで調べたら、職場のある新宿から
 目と鼻の先に上映館「武蔵野新宿」は在った。

 チーズバーガーと午後ティーを買って映画館へ。
 午後1時開演の回に間に合った。30分前までは仕事。
 凄く小さくて狭い印象。客は10人ぐらい。
 全体で100席ちょっとという感じ。
 前から3列目の中央に坐る。
 万が一泣いてしまっても、前にも横にも人は居ない。

 1時から15分間の予告上映とCMの間に食事を採る。
 上映前のこの間合いが新作上映館の独特の雰囲気だ。

 映画が始まる。
 予想通り?上等な文部省推薦映画の雰囲気。
 白血病の妹と引き籠もりの兄。重苦しいテーマ。
 実話を基にしたらしいが、どう展開するのだろうか。
 それでも舞台である故郷の風景に見入る。
 妹の担任役の佐藤隆太が故郷の訛りで喋っていた。

 正直に云って、自分の郷里が舞台でなかったら、
 この映画を観ることは無かっただろう。
 それでも予想通り?映画の半ばから泣いた。
 ラストまでほとんど泣き続けた。時折声を出して泣いた。
 席の後からも泣き声が聞こえた。一番前で良かった。

 たくさん泣いたら、何故かとてもすっきりした。
 よく泣く女性の気持ちが少しだけ分かった気がした。

 ラスト、桟敷場での数々の花火の打ち上げ場面。
 実際に片貝町に居るような気持ちになった。
 
 「お兄ちゃんのハナビ」を観て片貝の同級生にメールをした。

2010年10月24日日曜日

死の勝利

 人は必ず死ぬ。

 全く眠らない人は居るらしいが
 食べること、排泄することで生を維持している。
 これら二つをしない(出来ない)状態でも呼吸はする。
 生きるとは息することだと、ある法話で聞いた。

 今日見た「NHK日曜美術館」。
 画家ブリューゲルの「名作十選」を特集していた。
 作家で大学教授の荻野アンナ氏が解説していた。

 そのブリューゲル解説の中で荻野氏が語っていたのが
 「人間は必ず死ぬ」「人間はみな愚かである」だった。

 ブリューゲルほど「人間の愚かさとその滑稽さ」、
 「生と死」を深く見つめた画家はいないかも知れない。
 少なくともルネッサンス期ではそれがあて嵌る。

 商業都市として栄え、市民階級が台頭していたフランドル。
 そこでは元々「日常をありのまま克明に描く」伝統があった。
 フランドルにおけるブリューゲルの先輩画家である
 ファン・アイク、メムリンク、ボスなどがそうである。
 その伝統はやがてフェルメールの絵画に結実する。

 イタリアルネッサンスの
 理想化され美化され演劇化した絵画世界とは明らかに異なる。
 基本的にイタリア半島では絵画・美術作品は
 教会や国王、国の権威などのプロバガンダであった。
 そこでは「死」も理想化される。

 「死の勝利」はブリューゲル初期の傑作である。
 死の馬に導かれて、夥しい数の骸骨の大軍が人々に襲いかかる。
 そこでは武力も財力も、あらゆることが無力である。
 ボスの影響が伺われ、陰惨な光景が幻想的に美しく描かれている。

 まるでシェイクスピアの「マクベス」の一節のようだ。
 「綺麗は穢ない(きたない)。穢ないは綺麗」。

2010年10月21日木曜日

この空を飛べたら

 通勤途中でカラスに遭遇しない日はまず無い。
 朝の新宿の裏通りは飲食店の出す生ゴミがあるからだ。

 時にはカラスと目が遭う。
 カラスの目を見つめると、
 カラスもこちらを一瞥し飛び去って行く。

 テレビでカラスの知能は人間の4歳に匹敵するらしいと。
 それはチンパンジーを上回るかも知れないと言っていた。

 大学時代に読んだ本、数学者矢野健太郎著の「数学物語」。
 数学コンプレックスだった自分を克服したいと読んだ。
 最初にカラスは幾つまで数えられるかと書いてあった。

 ある実験によればカラスは4までの数を理解してるらしい。
 またテレビではカラスには感情表現の機能があり、
 これは人間以外の動物では類人猿でも有していないと、
 そう報じられていた。

 これには疑問だった。
 荘子の「知魚楽」でも「魚が楽しそうに泳いでいる」は
 実際には解らなくても主観として感じることであり、
 事実そう感じられるとあった。
 そういうことではないか。

 カラスに限らず鳥たちが空を飛び、
 辺りを睥睨する時、彼らはどんな思いでいるのか。
 無論、真剣に食物を物色しているだろうし、
 天敵に対する警戒も怠らないだろう。

 けれど僕は夢想するのだ。
 自分が鳥ならば世界は鳥の世界なのだと。
 人間がこの星の主体であるかのように勘違いしているように
 鳥たちもたぶん自分たちが
 この星の支配者だと思っているのではないか。
 
 これはノラ猫や鼠、昆虫でも同じではないか。
 木々や草花でさえそう思って存在しているのではないか。

 かつてこの星には恐竜たちが闊歩していた。
 それは1億5千万年の長きに渡る。
 この星で生態系の頂点に立つものは
 ことごとく絶滅している。

 けれどティラノザウルスのある種が進化して
 現在の鳥になったらしい。
 
 巨大な怪物が小さく変身することで
 種を生きながらえさせたのだ。

 ぼくもいつの日か進化して小さくなり、
 有翼となって飛翔するのだ。
 その時の空からの光景を見つめて生きているのだ。

2010年10月19日火曜日

なんでもない日

 朝に一杯のインスタントコーヒーを入れる。
 熱いコーヒーが冷めるまで少しずつ飲む。
 
 毎日ではないが、簡単なストレッチと筋トレもする。
 腕立て、腹筋背筋、や少林寺の突きや蹴りと体操。
 30分くらいかけてやる。

 メニューは時々変えている。
 飽きないように。効率が良いように。
 時々するテニスの怪我防止の意味合いもある。

 プロントくんの絵を描く。
 キャンバスに和紙を貼り、銀彩を施したもの。
 さらにその上にアルミ箔を貼ったもの。
 ボードに同様の下地を作ったもの。
 
 それらに墨のみで描いた作品。
 墨プラスアクリルで彩色した作品。
 アクリルのみで描いたもの。

 他に紙に描くスケッチ。
 スケッチブックに鉛筆、透明水彩で描いたもの。
 木炭紙に墨で描いたもの。

 カレンダーやポスターの裏紙に描いた作品は、
 余った絵の具を溶いて散らしたり、下地を実験する。
 普段使わない色を試したりする。
 紙に描く落書きのような線や彩色がいつも出来たらと思う。 

 10枚ほどのスケッチ作品とボードやキャンバスの作品を
 並べて比べて見て思った。
 スケッチ作品に比べると硬いのだ。
 キャンバスやボードの作品は。

 それでも出来上がった作品を眺めると、
 個展の展示の具体案やアニメや絵本の案が見えてくる。

 アニメは遅くても今年中には仕上げて編集をしたい。
 様々な制作の最後の最後に絵本を纏めよう。
 絵本が最も難しく、
 またこのシリーズの核となるだろう。
 
 芸術の秋は確かに制作に向いている。
 怠け者の自分を叱咤激励しよう。

 餃子の満州でうまか丼と餃子を食べ 
 帰ってから三ツ矢サイダーを飲んだ。
 お酒を飲まない日は何故か炭酸を飲むことが多い。
 なんでもない一日がこのブログとともに終わる。

2010年10月17日日曜日

ココアのひと匙

 文芸マンガ「坊ちゃんの時代」。
 原作関川夏央、作画谷口ジロー。

 10年も前に読んだ本が文庫本サイズになっていた。
 図書館で借りて、敢えて第五巻の
「不機嫌亭漱石」から読み始めた。

 晩年(とは言っても40代)の漱石が胃潰瘍を患い、
 箱根に転地療養に訪れるのだが却って病状は悪化。
 吐血した漱石は生死の境を彷徨う。
 そんな場面が谷口の精緻な筆で描かれている。

 第四巻は「明治流星雨」と題して
 幸徳秋水の生涯と所謂「大逆事件」の様子が
 これまた見てきたかのように描かれている。
 「ココアのひと匙」はこの事件に際して
 石川啄木が考えを吐露した詩のタイトルである。
 
 「見てきたかのように」は揶揄ではない。
 驚嘆しているのである。
 
 他に石川啄木、森鴎外の巻もあり、
 2回特集されている漱石を併せて全五巻となる。
 文学者及び文学が主軸となっているが、
 明治という時代を通して「日本の近代」とは何だったのか、
 それを問うている。

 「日本の近代」その評価と問題点を掘り下げてくれる
 きっかけになっている。

 歴史は一つの物語であるとも言える。
 過去と言うのは結局私たち一人一人の脳の中にしか存在しない。
 いやそこにも存在しているのかどうか。

 それでも、そのような認識にたってなお、
 「歴史」に学ぶことは重要だと考える。

 僕たち自身が自分たちの「坊っちゃんの時代」を生きている、
 そんな自覚を持ちたいと思うのだ。

2010年10月16日土曜日

四月と十月

 雑誌「四月と十月」。
 副題に画家のノートとある。

 複数の画家、イラストレーター、デザイナー、写真家などが
 短いエッセイと作品を載せている同人誌だ。
 毎年四月と十月の二回発行とある。

 何年か前に新潟近代美術館のカフェ
 「広告塔」でこれを見つけた。
 何冊かあったうちの一冊を買い
 今でも時々眺めて楽しんでいる。

 読み返す度に面白い。
 同人誌ならではのゆるさも楽しいのだが、掲載作品の質は高い。
 仲間内の馴れ合い感は無く、作品を世界に問うている。
 それでいてスケッチのような軽さもある。

 10人を超える掲載作家の住所も様々で、
 それぞれプロとして活躍している作家であるが、
 画壇的な匂いや流行を追う画商的な要素が感じられない。
 何よりもこのような雑誌を創る心意気がいい。

 他のナンバーも購入しようと思い、
 今年の春に「広告塔」を訪ねた。
 「もう、取り扱っておりません」。
 そう言われて残念だった。

 もう無くなったのかもしれない。
 インターネットで調べてみた。

 嬉しいことに雑誌は健在だった。
 取扱店が少し減っていて購入はちょっと手間だけど、
 今度まとめて何冊か購入しよう。
 ホームページのデザインが遊び心があって楽しい。
 是非覗いて見てください。
 
 僕のプロントくんのスケッチが
 このような雑誌に掲載されたらと思っただけでも楽しい。
 
 10月に入って制作のペースを
 掴みつつある。
 まだ夏日もあるが、秋は深まっている。
 アパート近くの石榴の実が熟れてきた。

2010年10月12日火曜日

神無月の夕暮れ

 土曜日のこと。
 仕事帰りに小川駅に下車し百薬へ向かった。
 朝からの雨が降り続いていた。

 百薬へ向かう駅前通りには30mほどの金木犀の並木がある。
 雨に打たれて道端に落ちたオレンジ色の花びらが
 細い川のように繋がっていた。

 去年の今頃も雨が降り、
 金木犀の花がすっかり散ってしまった事を思い出した。
 でも10数年も百薬に通い続けて
 金木犀の並木に気が付いたのは一体何時のことだろうか。
 数年より前でないと思うのだが。

 今年も神無月となった。
 作品制作が足りなかった。
 言い訳はしたくないので、残りの日々は制作に励もう。

 朝と夕暮れの空が美しい季節になった。
 ゴミゴミとした新宿の空にも、
 いやそんな新宿だからこそ秋の空は一層と美しい。
 夕暮れの暗闇は街を美しく見せる。

 仕事の帰りに数枚の風景写真を撮ることがあっても
 たいていは通り抜けるように西武新宿駅へと向かう。
 途中下車は小川駅。
 
 目指すは百薬の長の手前の金木犀と
 百薬の長のお酒である。

 明日はレバ刺しと熱燗を楽しもう。
 まだ金木犀が残っているといいのだけれど。

 「白玉の歯にしみとおる秋の夜の
 酒はしづかに飲むべかりけり」牧水

2010年10月8日金曜日

秋の訪れ

 花水木の

 葉が色づいた

 空が

 背後に退いてゆく

 秋の訪れは

 祭の後に似て
 
 黄昏のアスファルトを

 自転車で駆ける

 深い藍色と
 
 オレンジのグラデーション

 そんな秋の

 淋しさが好きだ

 (2000/10/5制作)

2010年10月4日月曜日

真夜中のディズニー・シー

 ディズニー・シーで夢想した。

 ほとんど電灯が消えた真夜中のディズニー・シーを
 懐中電灯を持って歩いたら
 怖いけど面白そうだなと。

 アトラクション「シンドバッドの冒険」を
 たった一人で乗ったら怖いだろうなと。

 1944年制作されたディズニーアニメ
 「ファンタジア」から「魔法使いの弟子」を先日観た。
 何年振りか分からない。
 
 プロジェクターで投影された大画面のそれは圧巻だった。
 「運動はその初期に頂点を迎える」と語ったのは
 マルセル・デュシャンだったろうか。
 それともアンドレ・ブルトンだったっけ。

 「ファンタジア」を観るとそう感じる。
 初期のフルカラーアニメにしてその頂点を極めている。
 
 僕はディズニーランドやその世界が好きではない。
 どちらかと言えば嫌いだと思う。
 全てが砂糖菓子で包まれたような世界が恐ろしいのだ。
 「楽しいこと」「盛り上がること」を強要された世界。
 ディズニーワールドにそんな天の邪鬼な見方をしてしまう。

 それでも「ファンタジア」や「ピノキオ」などは凄いと思う。
 何故だろうか。

 一つは話の内容など子ども向けに易しくし過ぎていないこと。
 もう一つは光と同等以上に闇が描かれていること。
 そしてこれが一番大きいかもしれないが、
 アニメの地位が確立されているわけでなく、
 その技法の可能性も確立されていない時代の
 創作に対する意欲と実験精神が現れていること等々である。

 ディズニー・シーの園内を歩いていると
 「凄いなあ」「大したモノだな」と感心する。
 母親のリクエストで訪ねた今回もそう思った。

 開園時のディズニー・シーは
 僕には何処までもよそよそしく、
 僕は「真夜中のディズニー・シー」を夢想した。