人は必ず死ぬ。
全く眠らない人は居るらしいが
食べること、排泄することで生を維持している。
これら二つをしない(出来ない)状態でも呼吸はする。
生きるとは息することだと、ある法話で聞いた。
今日見た「NHK日曜美術館」。
画家ブリューゲルの「名作十選」を特集していた。
作家で大学教授の荻野アンナ氏が解説していた。
そのブリューゲル解説の中で荻野氏が語っていたのが
「人間は必ず死ぬ」「人間はみな愚かである」だった。
ブリューゲルほど「人間の愚かさとその滑稽さ」、
「生と死」を深く見つめた画家はいないかも知れない。
少なくともルネッサンス期ではそれがあて嵌る。
商業都市として栄え、市民階級が台頭していたフランドル。
そこでは元々「日常をありのまま克明に描く」伝統があった。
フランドルにおけるブリューゲルの先輩画家である
ファン・アイク、メムリンク、ボスなどがそうである。
その伝統はやがてフェルメールの絵画に結実する。
イタリアルネッサンスの
理想化され美化され演劇化した絵画世界とは明らかに異なる。
基本的にイタリア半島では絵画・美術作品は
教会や国王、国の権威などのプロバガンダであった。
そこでは「死」も理想化される。
「死の勝利」はブリューゲル初期の傑作である。
死の馬に導かれて、夥しい数の骸骨の大軍が人々に襲いかかる。
そこでは武力も財力も、あらゆることが無力である。
ボスの影響が伺われ、陰惨な光景が幻想的に美しく描かれている。
まるでシェイクスピアの「マクベス」の一節のようだ。
「綺麗は穢ない(きたない)。穢ないは綺麗」。
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