2010年4月29日木曜日

青春の詩

 中学1年生の頃だった。
 
 ビートルズに続いて、フォークが心を捉えた。
 同級生の直登の姉ちゃんがレコードを持っていた。
 
 「岡林信康の世界」が衝撃だった。
 アングラフォークというか、
 拓郎の「結婚しようよ」とは別の世界だった。

 「チューリップのアップリケ」や「流れ者」
 そして「私たちの望むものは」。
 友人の大高が出演した芝居「僕たちの好きだった革命」。
 終了前に主演の中村雅俊がギターの弾き語りで歌っていた。

 「今あるうーふ幸せーーに留まってはならなあいーー。
 まあだ見ぬうーーー幸せにい今飛び立つのだあーーー」。
 今聞いても、ちょっとぐっと来る。
 古くさいメッセージソングだとは思わない。

 ガロのアルバム、拓郎のデビューアルバム「青春の詩」。
 ともに直登から借りて聞いた。姉さんの持ち物だ。
 オレと直登は好きな歌を折り込み風の紙に書き写した。
 題して「歌のアルバム」。
 そう、あの「一週間のご無沙汰でございました」、
 の玉置宏の名司会で始まった、あの番組と同じタイトルだ。
 
 そんな内に直登がフォークギターで作詞作曲を始めた。
 「涙に濡れた君の瞳」と言うたわいもない歌だったが、
 まだ作詞も作曲のしたことがないオレは負けたと思った。
 直登の2作目の「朝の光」は素朴だけどいい感じの歌だった。

 おまけに直登は自分の芸名も考え出した。
 「朝野日美子」、あさのひみこがその名だった。
 「朝、野原に出たら美しい子がいたよ」と言う
 馬鹿馬鹿しい名の由来だが、やはり負けたと思った。
 (たぶんつづく・・・)

2010年4月24日土曜日

絵画の天使

 久しぶりにのんびりした朝だ。
 
 火曜日に代休を取って休んだけれど、
 ライブの疲れと、溜まった家事、
 部屋掃除、風呂掃除、トイレ洗面掃除、片づけや
 図書館へ本の返却へ行ったら疲れてしまった。

 今日はこれから仕事だけど、ぐっすり寝たし天気もいい。
 朝ご飯に、ウインナとキャベツの炒め物、
 胡瓜と人参の漬物、買ってきたアスパラ入り竹輪天ぷら、
 玉葱人参豆腐の味噌汁を食べた。美味しかった。
 浅漬けには隠し味に昆布茶を入れる。

 風呂にゆっくり浸かって、身支度をする。
 毎朝こんなだといいな。

 ライブも無事終えたし、
 もう少しで仕事にも一区切りがつきそうだ。
 このところ、仕事以外でまともに絵を描いていない。
 ライブ中に聞こえた、もう一人の自分の声は
 絵描きとしての自分を叱咤する声だったのかも知れない。

 自らを画狂老人と名乗った、江戸時代の絵師葛飾北斎。
 彼の人生は正に画狂人にふさわしい。
 70代で、もう少し長生きできたら凄い絵師になれる
 そう書いている。
 
 事実、彼の代表作「富岳三十六景」は70代のシリーズだ。
 肉筆画の名作も多くは70代以降らしい。化け物だ。
 以前にこのブログで、晩年に良い仕事をした画家は
 それ程多くないと描いた。晩年にダメになる方がずっと多い。
 
 北斎は例外で、やはり晩年に彼が現した「北斎萬画」は
 多くの西欧の画家に影響を与えた。
 ゴッホの力強い輪郭線は北斎や広重から学んだものだ。
 僕が20代にもっとも感化された画家マチスは、
 著書「画家のノート」の中で北斎萬画の素晴らしさを称えている。

 北斎漫画は今日のマンガとは異なる。
 人物を中心に、ページ毎に同じ人物の様々なポーズが描かれている。
 例えば褌姿の曲芸師が、様々な角度とポーズで描写されている。
 正に萬の対象を現した画帳なのだ。

 昨日も仕事帰りに寄った百薬で、知り合いの白石さんに言われた。
 「よしいさん、今年は個展やらないの?」と。
 「今年は無理だけだと、来年には何とか・・・」。
 頭の中では来年も怪しいなと、思っている。
 
 北斎は生前から名声を博したが、
 お金に執着せず、画業にその人生を捧げた。
 かっこいいな。

 オレはピカソみたいに大金持ちになりたいな。
 晩年ダメになってもいいから。
 絵の神さま、ダメですかね?

 「若さとはこんな淋しい春なのか」
 住宅顕信(すみたくけんしん・俳人)

2010年4月23日金曜日

抱きしめたい

 ラストナンバーは'Hey Jude'だった。
 
 Golden Slumber,Carry That Weight,
The End,からHer Majestyへと続く
 アルバム「アビイロード」最高のメドレーが成功して、
 会場の盛り上がりは最高潮に達していた。 

 「ヘイジュード」でギターが弾きたかった。
 トーマさんのギター弦が切れたお陰で、
 僕のフェンダーはトーマさんの手にあった。

 今回のライブで嬉しかったことは、
 「ガール」や、「恋のアドバイス」
 「エイトデイズアウイーク」でギターを弾かせて貰えたことだ。
 
 自慢じゃないがギターは下手だ。ギターも、と言うべきだな。
 でも弾きたい。ワガママなオレ。

 ボーカルに集中して歌う。
 ルーシーインザスカイの時のジョンと違って、
 ポールは僕の中に入り込んだりしない。

 「苦痛を感じる時は、どんな時でも
  ヘイジュード、自制しなさい。
 自分の肩に、世界を背負ったりしちゃいけないよ」。

 客席の最後尾では、教え子三人と
 初めて会ったカナダ人の男性が踊っていた。
 'NA NA NA NANANANA-,NANANANA-,HEY JUDE'

一体感を強調するような音楽はちょっと苦手だ。 
 でもこの日だけは会場の合唱も心地よかった。
 アンコールの「抱きしめたい」も大合唱。
 「アウオナアホーヨオヘエエエーンド!!」。

 「僕には'LET IT BE'もロックなんですよ」。
 ライブの後で景山さんがそう言った。成る程。
 言われてみれば確かにそうだ。
 
 バンドメンバーの皆がライブの後の放心状態だった。
 いつもはクールなヒロシさんも嬉しそうだった。
 生ビールの後のラム酒オンザロックが喉に染みた。
 カワイさんがゾエさんとギター談義をしていた。
 
 モニター画面では、
 ジョンがストロベリーフィールズフォーエバーを歌っていた。
 (おわり)

Lucy In The Sky With Diamonds

 「すいません。後の方、前に詰めて下さい」。
 ライブハウス‘ラバーソウル’の入り口の
 ドア越しに中に入れなくて困って居る人がいた。

 椅子を手に、バンドの最前列まで、人が押し寄せる。
 なかなかの風景だ。
 1980年代の小劇場の世界みたいだ。

 「浦さん、早稲田の第三舞台を思い出すね」。
 客席に居た友人に、思わず語りかけた。
 
 「次の曲にいきます。
 ルーシーインザスカイウイズダイアモンド」。
 大森さんのシンセとゾエさんのギターでイントロが始まる。
 ‘Picture Yourself in The Boat on The River・・・’
 頭の中の小さなジョンレノンが歌ってる。
 良い感じだ。

 「ルーシー、良かったよ」。ヤクザ文士の岩井さんが、
 第1部終了の後の休憩の時そう言ってくれた。
 「ありがとう」。そう答えたが、心の中では
 オレじゃなくてジョンが歌ってたからなあーと思った。

 リハーサルで心配してた'Mother natuers son'
変拍子の'Happiness is warm gun'大作'A day in the life'
よしいのコーラスを名人高安氏に丸投げした
 'Here, there,and everywhere'などことごとく上手くいった。

 そして名作「アビイロード」のメドレー。
 歌いながら背中で演奏を聴いていて、こりゃ凄いわと思った。
 ドラムソロの後では、ドラマー景山さんへ万雷の拍手。
 ジャズのライブ以外ではこんな光景は見たことがない。

 (つづく)

2010年4月19日月曜日

春の祭典

 昨日の日曜日は快晴だった。
 
 土曜日に百薬に寄ったお陰で
 ぐっすりと寝て起きた。
 バンマスのポールさんから届いたメールに 
 ライブの曲順が書いてあった。
 
 朝からライブの練習をした。
 CDを聴きながら、ギターを弾き歌う。
 土曜日にあった緊張感が和らいでいた。
 
 Lucy in the sky with diamonds を
 CD無しで弾き語りで練習した時、
 左耳の上で、僕の声にハミングして歌う、
 ジョン・レノンの声が聞こえた。

 サビの部分の一番高いキーをジョンは歌う。
 「ルーシーィンザスカアイウイズダイアーモンズ」と。
 勿論CDプレーヤーは止まったままだ。

 幻聴ではない。
 幻聴の一種かも知れないが、言うなれば残聴である。
 同じ音を聞き続けると、脳内に音が残留するのだろう。
 それが日常化すれば、勿論立派な?精神病になる。
 太宰治の短編、「トカトントン」の世界である。

 「10人くらい集まるかな・・・・」。
 あまりパッとしない本番前のリハーサルの後で、
 バンドマスターのポールさんが言った。
 国分寺駅前のデニーズで本番前の腹ごしらえをし、
 景気づけに生ビールを飲んでいた。
 
 「5分前だけど始めよう」。
 開始5分前にもかかわらず、会場はすでに満員だった。
 
 それから2時間半。
 入れ替わりのお客を含め約50名のお客さんの前で、
 夢見心地で、歌い演奏した。
 
 地下一階にある縦長のライブハウス「ラバーソウル」。
 その名の通り、ビートルズをこよなくリスペクトする
 オーナーの気持ちが痛いほど伝わってくる店内だ。

 英国調のインテリアにビートルズの数々のポスター。
 彼ら使用と同じモデルとおぼしき沢山のギター。
 そしてモニターではこれから僕が歌うヘイジュードを
 ポールが歌っている映像見える。

 大勢のお客さんの熱気で盛り上がった店内。
 そんなただ中で一瞬頭をかすめる、もうひとりの自分の囁き。
 「オレは何でここにいるんだ!?」。
 「お前は絵描きで、ミュージシャンじゃない。 
 こんなに凄いメンバーと素晴らしいお客の前で、
 お前だけが場違いだ」と。

 「そうだな・・・」と頷く。
 けれど今はライブの真っ最中だ。集中しろ!
 よしいひろしAがよしいひろしBにそう命令する。
 (つづく)

2010年4月17日土曜日

NOWHERE MAN

 いよいよ明日がライブだと言うことに
 昨日の朝に気が付き、「これはいかん」と
 少し焦った。遅いって言うーの。

 僕はどちらかと言えば、悲観主義者だと自覚していた。
 違うみたいだ。楽観主義者じゃないかもしれないが、
 「まあいいか」「どうにかなるさ」と考える自分がいる。

 明日を気にして、今日頑張るよりも、
 「明日出来ることは今日するな」と思う。

 バンドをやっていると、
 多くの人が練習で完璧に出来るまで頑張ってるのを見て驚く。
 僕は半分も出来ていないのに、もういいかなと思う。
 半分くらい出来ると、もう完璧だなと考える。根拠はない。
 後で「出来てないじゃん」と気付く。いつもだからバカだ。

 今もブログを書きながら、ギター練習した方がと少しは思う。
 でも昨日も仕事から帰って、タモリ倶楽部が始まるまで弾いた。
 なんでもある程度やると飽きてしまう。
 そんな性分だ。
 
 テニスもやるが、練習が嫌いだ。
 試合の方が好きだ。当たり前か。

 NHKの連ドラで「ゲゲゲの女房」が始まった。
 水木しげるが番宣のインタビューでこう語っていた。
 「僕は体力がなかったから、
 売れっ子になっても無理出来なかった。
 他の連中は二晩徹夜出来たけど、
 僕は一晩しかできなかった・・・。
 二晩徹夜できた連中は早死にしてるな」。
 うん、やっぱり無理はいけないな。

 ゲゲゲの女房が凄いのは、
 なけなしの原稿料で水木氏が、
 高い戦艦のプラモデルを買ってきても
 責めたりせずに、一緒に作って楽しいかったと
 そう答えてることだ。

 もちろん、夫婦のことは夫婦にしか判らない。
 葛藤や危機は、山あり谷ありであっただろう。
 それでもこの二人は絶妙の組み合わせなんだろうなと思う。

 「よしいさん、今年は個展をやらないの?」と聞かれる。
 「今年は無理だね。出来たら来年にやりたいな」そう答える。
 内心はフルタイムで絵を描いている訳じゃないんだから、 
 毎年は無理でしょうと思う。

 でも傲慢な僕は、最近になって気が付いた。
 今年の個展がないことを残念だと、
 お世辞でも言ってくれるのはありがたいことだと。
 早く気づけよ、オレ。

 ブログも十人くらいだけど、楽しみしているとか。
 面白いとか、くだらないとか、バカみたいでいいとか
 感想を貰えてありがたい。

 ライブを見に来てくれる友人がいるのもありがたい。
 ライブを一緒に出来る仲間もありがたい。
 明日は良いステージにしたいな。
 練習しろよ。オレ。

 でも午後の仕事後は、とりあえず百薬で一杯だな・・・。
 大丈夫かオレ・・・・。

2010年4月14日水曜日

若葉のころ

 ビージーズの名曲「若葉のころ」。
 
 「君と僕。僕らの愛は決して死なない。
 誰が泣くと言うのだろう。
 若葉のころ(5月の初め)がやって来たのに」。

 中一の時に見た映画「小さな恋のメロディ」。
 主演のマーク・レスターと
 ヒロインのトレーシー・ハイドが、
 墓地の中を初めてデートする場面に
 流れたのがこの曲だった。

 桜が散ると、いよいよ若葉の季節だ。
 拝島駅から数百m出たところで玉川上水を横切る。
 ほんの一瞬だが、見逃さないように気を付ける。
 新緑の木々が緑のトンネルのように見える。

 玉川上水には雑木林が多い。
 桜並木のところもあるが、大方はナラやクヌギなど
 所謂、雑木が続いている。
 
 新緑の緑は、どうしてこんなに多様なのか、毎年驚く。
 しかし十日ほどすれば、みな同じような濃い緑色になる。

 一般的には素朴派の画家として知られるアンリ・ルソー。
 彼は、緑色の巨匠だ。
 彼くらいの腕前がないとこの新緑の美しさは表現出来ない。
 自称、世界で5本指に入る画家である僕でも難しい。

 檜花粉はまだまだび交っているし、(僕は花粉症です)
 4月は年度初めで、仕事はバカみたいに忙しい。
 体に鞭打って、今度の日曜日にあるライブ練習をしている。

 決して心穏やかな日々とは言えないが、
 若葉のころの美しさは、瞬間的にそれを忘れさせてくれる。

 「久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」
 紀友則 

2010年4月13日火曜日

花散る日に

 一昨日の暖かさ(暑さ)と
 昨日の寒さは酷かった。
 雨に強い風で体の芯が冷えた。

 土曜日は久しぶりに完全オフだった。
 朝から掃除に洗濯、服の入れ替えもした。
 一息ついて、ギターと歌の練習。

 夕方から、散歩しようと思ってた。
 羽村の堰に行けば多摩川沿いの桜が楽しめると思ったからだ。
 結局行かずに、夕方から黒ラベルを飲んだ。

 一缶飲んだら、良い気分になり、赤ワインも飲んだ。
 こうなったら行きつけの百薬へと思い外に出た。
 拝島駅から、小川駅までの桜を楽しもうと
 つい白角水割りとチーズクラッカーを買った。

 通勤電車の中でお酒を飲むような輩は、人間のクズだ。
 やっている自分が言うのだから間違いない。
 先頭車両は人がまばらだった。
 それを良いことに、缶を開ける。
 水割りが喉に心地よい。
 
 先日、曇り空の桜は良いと書いたばかりなのに、
 夕暮れ前の桜はやはり美しかった。
 まだ青さの残こる空に、夥しい桜の木が桜色に輝いていた。

 生まれて初めての電車での花見酒は楽しかった。
 悪いことは独りでする。そう決めている。

 百薬の長で、仲良くしてもらってる
 キムタクこと木村さんと飲んでると、携帯電話が振動した。
 出ると「トーマです」と酔った声。
 ビートルズセッションでおなじみのトーマさんだった。

 同じ仲間のドラマー、ドラさん主催の代々木公園
 「花見&アンプグドセッション」に参加して二次会だと言う。
 あちらは10名を超える参加で、飛び入りの外人さんが
 エリナリグビー?を歌ったり、
 知らないお爺さんが飛び入り参加など
 大盛り上がりだったらしい。

 次の日曜日、仕事の後で新宿のスタジオペンタに集合。
 職場から5分。便利だ。18日に控えたライブの練習。

 メンバーは昨日、酔っぱらい電話してきたトーマさん他8名。
 全員がビートルズセッションで知り合った人たち。
 年齢も職業も出身も違う。共通点はビートルズマニア。
 中学時代仲の良かった友達もみんなビートルズファン。
 ビートルズには感謝しても仕切れない。

 ライブも個展もお祭も、間近の準備が一番楽しい。
 18日のライブは、僕さえコケなければ大成功間違いなし?。
 やばい、今日も練習しようっと。

2010年4月9日金曜日

桜の木の下で

 桜の満開が続いている。
 花冷えのためだ。
 ソメイヨシノは青空よりも
 花曇りの朝の方が美しいのではないか。
 何日か前にそう思った。

 ソメイヨシノは、白っぽいピンク色だが、
 近づいて良く見ると、少し灰色がかっている。
 近づいてみるならば、しだれ桜、大島桜などが綺麗だ。

 塊として見ると、白さが明るさを感じさせて良い。
 曇りの日の灰色の背景だと、桜色がより鮮やかになる。
 勿論、夜桜で見れば漆黒の背景に白さがコントラストとなり、
 艶やかにさえ見える。

 英語や仏語などには「花見」と言う言葉がないらしい。
 中国や、朝鮮半島ではどうだろうか。
 花見と言う言葉の存在は別にして、
 そのような習慣があるとはあまり聞かない。
 あ、でも三国志には有名な「桃園の誓い」があったな。
 桜以外の花でやるのかも知れないな。

 三年前だったろうか。
 恒例になっている井の頭公園の仲間のとの花見。
 あまりの寒さに外での夜桜を諦め、いせや公園店で飲んだ。
 帰りに井の頭公園の池を覗いたら、
 雨も止んで水面が鏡のようになっていた。

 ライトに照らされた夜桜が水面に映り込み、
 妖しい光を放っていた。
 あまりの美しさに息をのんだ。
 美しさを感じると同時に、
 夢の世界のような幻想的な世界を恐ろしく感じた。

 「美しいものは同時に恐ろしい」。

 拝島駅から西武線の車両の中から、毎朝桜を見る。
 僕はこの時期、電車に乗る度に
 桜の精に生気をを吸い取られているのかも知れないな。 

2010年4月5日月曜日

なごり雪

 10cm近く積もっていた雪は、
 朝陽を浴びて輝いていた。
 陽が高さを増し、気温が上昇するにつれ、
 泡のように消えてしまった。
 まさに淡雪だと思った。

 珍しく父と出かけた。
 法事の引き物を探しに三条市燕に向かった。
 
 燕は古くから洋食器の町として知られ、
 昔は社会科の教科書に載るほどだった。
 ところが安価な輸入洋食器に押されて、
 その衰退が懸念させていた。

 しかし最近になって、大ヒット商品の
 初期I-podの鏡のようなボディが、
 燕の職人の手仕事の磨き技であることが喧伝され、
 再び、全国的な注目を浴びるようになった。

 長岡ICから関越高速に入る。
 高速道路を運転するのは何年振りだろうか。
 思い出した。
 友人の加藤さんと二人で、
 青森まで東北自動車道を走って以来だから4年だな。

 陽を浴びた雪山を遠目にしながらのドライブほど、
 楽しいものはない。
 さほど混んでいなければなおさらだ。
 
 目当ての鏡のように磨き込まれた小振りのビアカップを
 手に入れ、燕を後にした時は、雨が降り出しそうだった。

 明くる日、長岡市のホテルオークラで開かれる
 演芸ショーを見に行く父を送ろうとしたら、
 玄関に二人の女性がいた。近所の人だろう。
 二人とも60代半ばくらい。81歳の父よりだいぶ若い。

 「お願いします」と言われて何のことやら分からない。
 どうやら、同じ演芸ショーに行くらしい。
 
 その日の夕暮れ、茶の間で父と二人話した。
 「年を取ると、デートはやっぱゼン(銭)がねえとダメらな」。
 父が言う。件の近所の女性は父が誘ったのだと分かった。
 
 「恋をする気持ちだけは持ってねーとな」。父がほざいている。
 「恋する気持ちを持つだけで、若くいられるがらや」。
 さすがにこの人は自分の父だと、改めて思った。

 その日も夕方からの雨が降り、
 夜には雪に変わっていた。