2009年11月30日月曜日

祝宴 -双葉会旅行記2-

 鬼怒川温泉「あさや」に着く。
 チェックインして、部屋へ。
 缶ビールを買おうと外に出る。

 あさやを出て、坂道を下る。
 途中に見事に紅葉したもみじを見つけ、携帯で写真を撮る。
 さらに下ると、お土産屋さんや懐かしい射的屋さん。

 橋に出て、川原を見下ろす。
 溢れるような水流。紅葉した山並み。
 夕暮れが迫ってくる。

 片貝中学校第28回卒業生「双葉会」会長、正敏から電話。
 「4時半ぐれーに着くんだ、出向かえてくれや」。
 「わかったや」。ビールを買わずにホテルに戻る。

 最上階の露天風呂へ入る。
 同級生のヤサが居た。
 「ひろし、あっちの月見れや。」湯船に入って向かいの山を仰ぐ。
 山には上弦の月が煌々と輝いていた。傍らには黄色と赤のもみじ。
 時折、常世に極楽は現れる。あの瞬間、オレは極楽にいた。

 宴会がはじまる。
 同級会の旅行は八年振りだ。あの時と随分様子が違った。
 みんな、静かだった。いつも騒がしいジュウゼンも大人しい。
 バスで騒いで疲れたのだろう。

 孝雄と和子としみじみと話す。
 「成人の後、直登の車で只見ダムに行ったなーー」
 「なんであたしを誘ったが。」和子さんが言う。
 日本酒が染みる。
 みんな静かに話し、飲み食べている。

 二次会のカラオケで漸く気勢があがった。
 元気のないみんなを、励まそうとひろし(オレ)が立ち上がった。
 「心の旅」「東京」「さよなら」など、青春フォークをリクエストした。
 由美子さんの「Everyting」が素晴らしい。
 さすが片貝小学校合唱部だ。おらもだけど。
 
 鬼怒川の夜は更けていく・・・。(まだまだつづく)
 

2009年11月29日日曜日

晩秋 -双葉会旅行記1-

 昨日、お昼前に拝島を出た。
 鬼怒川温泉へ向かうためだ。
 天気が良くて、車窓から見た今年一番の紅葉だった。

 高田馬場でJRに乗り換え、西日暮里で東京メトロで北千住へ。
 北千住で東武鉄道に乗り換える。快速で鬼怒川温泉へ向かった。
 東武鉄道で日光へは行った事がある。でも鬼怒川温泉は初めてだ。

 電車に乗る夢を時々見る。
 仕事や、所用で何処かへ向かっているのだが、
 いつも乗り換えを間違って、目的地にたどり着けない。
 そんな夢だ。

 快速が各駅停車に変わったとたん、車外の風景が一変した。
 無人駅が多く、駅前には人家がまばら。
 しかし、紅葉はますます美しい。
 もみじの鮮やかな赤と黄色。えび茶色の雑木林。
 あと一週間もしないうちに、すっかり冬の景色に変わるだろう。
 
木々が電車に迫ってくる。
 まるで、夢の中で見た光景に思えてくる。
 遠くの山並みは、暮れかけた太陽の光を浴びて輝いている。

 頭の中で、ジョンが歌ってる。
 「ディアー、プルーデンス。出ておいでよ。
  新しい日に挨拶しなよ。
  太陽は昇り、空は青い。それらは美しい。君みたいに・・」と。
 
 かぐや姫が続いて唄う。「ひとりきり」だ。
 「汽車は行くよ。煙吐いてーー。トンネル越えたら竹中だーー」。
 
 北千住から2時間45分。鬼怒川温泉駅に到着。
 4時15分前だった(つづく)

2009年11月28日土曜日

ゼンマイじかけのカブト虫

 井上陽水のSONGS3。
 何とか見ようと起きていたが、
 1曲目「帰れない二人」を聞いたところで就寝。
 百薬で飲んだお酒と、食べたモツ焼きが効いたのだ。
 
 ビートルズセッションのためにビートルズの曲を練習する。
 大抵はギターを弾きながら、歌う。
 気分転換に歌うのが、陽水だ。
 
 高校時代、同級生の大塚くんからアルバム「もどり道」を借りた。
 陽水のライブアルバムだ。実は返していない。
 高三の時、文化祭クラス企画は音楽喫茶だった。
 そこで陽水の歌をやった。全曲「もどり道」から。

 「いつのまにか少女は」「夏祭り」「東へ西へ」「夢の中へ」など。
 陽水のフォーク曲はほとんど全部好きだ。
 変な歌も多い。シングルカットされた「御免」。

 「なんにもないけど、水でもどうですか」。
 よくシングルにしたなーと、当時も思った。

 「小春おばさん」、小春おばさんに会いに行く歌。
 「ゼンマイじかけのカブト虫」変だけどいいんだな。
 「時計仕掛けのオレンジ」のもじりだろうが、いい。

 「紙飛行機」、たまらなく好きだ。
 「白い一日」、繰り返し練習した。
 陽水に限らず、70年代のフォークには青春の煌めきとはかなさがある。
 まだ少しだけ牧歌的だった世界の、光と影を感じる。
  
 遠くない日に、ネイブのフォーク研究会で
 陽水の曲と五輪真弓の「少女」を歌おう。

2009年11月27日金曜日

椅子とテーブル

 作りたいもの。
 木製テーブルと椅子。

 テーブルは数年前に、一つ作った。
 四角い箱形のサイドテーブル。キャスター付きで色は白。

 椅子はテーブルを完成した直後から、作り始めた。
 でも、まだ2,3割しかできていない。
 背もたれと、座の部分が紅白の市松模様。

 8月からホームページを開設し、同時にブログを始めた。
 そうしたら、パソコン用の机が欲しくなった。
 天版はやはり紅白の市松模様。イメージ画は出来ている。

 絵画と比べると、彫刻や立体デザインは制作過程の自由度が低い。
 基礎的なデザインが決まったら、完成へ向かう道筋がはっきりしている。
 途中で迷う振幅が小さいのだ。
 「洪水のあと」シリーズでは、動物たちの木彫を初めに創り上げた。

 マチスは、非常に平面的で装飾的な絵画に至った後に、彫刻を始めた。
 現実的な量感を獲得するためだとマチスは語っているが、
 変化に富みながら、直線的な彫刻の制作過程を自分の中に取り入れる、
 そのためだったのではないかと想像する。

 心理学者のユングは、自己の成長の過程を具現化するために
 石工のギルドに入会し、自ら石を削り積み上げて、家を築いた
 家を造りながら、自己と自分の思想を明確にしていったのだ。

 机を春までに作ろうと思う。
   

2009年11月25日水曜日

小屋の力

 祖父は建築家だった。
 曾祖父より前は、何代かか続いた宮大工だった。
 
 昔の家。
 近代化や高度成長で、増改築を繰り返した家が多かった。
 小千谷市片貝の実家。典型的な日本家屋に、
 祖父が洋風の建築事務所を増築。二階まで吹き抜けの部屋だった。
 階段は表階段と裏階段の二つあった。
 表階段の上から、建築事務所の部屋を見下ろすことが出来た。

 北魚沼の母方の祖母の家。長岡市深沢町の親戚「筆や」の家。
 友人の家。どれも個性的でユニークだった。
 
 実家の片貝町の裏山の畑に行くと、手製の作業小屋があちこちにある。
 あり合わせの材料で作られた小屋は大きさも、間取りも
 個性がはっきり見て取れた。

 「小屋の力」と言う分厚い本。
 これには世界中の小屋と言う小屋が写真と文で紹介されている。
 フィンランドの海岸沿いにある、休暇小屋。
 アメリカで当時流行りだしたツリーハウスは、少年の夢だと思った。
 そして、巻末にはこれでもか、これでもかと続く作業小屋。

 日本国中の作業小屋が、山の中に海辺に畑の中、田んぼの中街中に
 あらゆる処に点在し、それらが写真で収められている。
 美しい。見飽きない。規格品でないことの美しさだろうか。

 今でも建築に関心があり、本を読んだり展覧会にも出掛ける。
 コルビジェ、ジョンソン、ライト、リートフェルト、ガウディに
 丹下健三、安藤忠雄ら近代建築の名匠はいずれも素晴らしい。

 けれど、それはそれとして無名の小屋にも確かに美しさ面白さがある。
 僕も自分の力で自分の小屋を建ててみたい。
 それは究極の夏休みの工作になるだろう。
 

2009年11月24日火曜日

ほらふき男爵

 このブログを読んで下さっている数少ない友人、知人。
 時折、思いがけない感想をいただく。
 曰く、「よしいさんって博識ね」と。

 僕は学問がないため、知的コンプレックスが強い。
 それが、このブログに反映されている。
 「針小棒大」なのである。
 よく知らないことを、知ったかするテクニック。
 それが、あるのかも知れない。

 浅田彰と島田雅彦の対談集「天使が通る」。
 当時、ニューアカデミズムブームの先頭にいた浅田彰と、
 気鋭の小説家島田雅彦が、ダンテの「神曲」を語っていた。

 ダンテの「神曲」を僕は読んでいない。
 (後日、漫画家永井豪のマンガ版は読んだ。)
 作家ボルヘスの講演集「七つの夜に」を読んだら、
 ボルヘスは「神曲」を世界文学の最高峰だと評していた。

 浅田彰と島田雅彦は様々な角度から「神曲」を語る。
 ダンテが生きていた時代背景、キリスト教神学、
 様々な文化的背景等を、素晴らしいうんちくで語る語る。
 
 感心しながら、ハタと気づいた。
 仕込みをしているのだなと。(遅いな、気づくのが。)
 当たり前のことだ。毎回の対談のテーマを決める。
 打ち合わせと対談に必要な資料を調べる。
 充分な調査と、もしかしたら対談直前の打ち合わせもあったりして
 素晴らしい対談が出来る訳だ。

 勿論、それにしても知識や思考の蓄積が必要なわけで、
 仕込みを否定しているわけでなく、プロとして必要なことだろう。
 舌を巻くような対談や記述には、「下調べ」が重要なのだ。
 それを「下調べ」なしの「もの凄い博識」と錯覚させるのだ。
 (錯覚してるのは、オレだけかなーーー)。

 日曜日、ビートルズセッションの帰り、帰路の東村山駅の休憩所。
 寒かったので、リュックの中の服を取り出して重ね着していた。
 背後にラジオの音と、何やら話しかける声。
 振り向くと、大きな紙袋に大量の荷物を持ったおっさんが居た。
 僕に話しかけているのだ。最初は何を言っているのか判然としない。
 そのうち「国分寺は暖かくていいよ・・。」とのたまう。

 身なりは汚れていないが、何やらホームレス風だ。
 話しかけるおっさんに適当に答える。そして考えた。
 「オレを同じホームレスと思っているのかな」と。
 紙袋は持っていなかったけど、まあ仲間に見えなくはない。

 学生の時、ホームレスの人と話をしたことがある。
 東京駅で、タバコをねだりに来た老人と話し、暫く一緒に座ってた。
 道行く人は、怪訝な面持ちで僕と僕の友人を見つめてた。
 当時、若いホームレスはいなかったからだ。
 「こんな時、田舎の知り合いとかに会いたくないな・・・」そう思った。

 東京は晩秋を迎えようとしている。
 
 
 

2009年11月23日月曜日

子どもほしいね

 友人で俳優の大高洋夫の新潟日報エッセイ「ナジラネ」。
 挿絵を描いて、来月で2年になる。とうとう最終回。
 「何を描く?」と聞いたら、10数年前にTV放映された
 「子どもほしいね」がDVD化されるので、そのことを書くと言う。

 「子どもほしいね」は三谷幸喜が作・演出。大高と工藤夕貴が主演。
 30分に満たない、短いホームコメディだった。
 オープニング。ニール・ヤングの名曲、
 ‘ONLY LOVE CAN BREAK YOUR HEART’。良かった。
 アドリブのような、二人の会話が楽しいかった。

 挿絵について。 
 2年間のほとんどは、旧作を含めた自作を、季節だけを
 念頭に置いて、選んで挿絵とした。
 内容に合わせて描き下ろすようになったのは、今年8月に
 大高の愛犬を描くように依頼され、大高と愛犬の肖像を
 描いたのが初めてだった。
 次がアントニオ・ガウディ。20世紀初頭スペインの建築家。
 バルセロナで彼の建築を直に見ていたが、難しかった。
 しかも、ガウディのエッセイは延期され結局ボツになる。

 10月はNHKの「世界1番紀行」ボリビア編。
 大高がリポーターを務めた。
 「ボリビアてばチチカカ湖しかしらねーや」よしい。
 「ボリビアはゲバラが死んだとこらや」大高。
 革命家ゲバラの肖像を描いた。
 10月号を後で見たら、ゲバラのことは一言も書いてなかった。

 11月号。郷里のJ1チーム、アルビレックス新潟の話。
 友人でアルビサポーターの室橋くんに資料を送って貰った。
 外国人選手のシュートシーンを描いてみた。
 途中で室橋くんに写メを送った。
 「よしい、この選手はガンバ大阪に移籍したや」室橋。
 「だめらか?」よしい。「だめら・・」室橋。
 描き直した。

 注文で描いたことも、あるにはあるが、今回は違った。
 大変だったが、勉強にもなった。
 友人の大高と組んで仕事できたが何よりも嬉しかった。
 
 また挿絵の依頼こねーーかなあ。。

2009年11月22日日曜日

気まぐれ美術館

 学生時代に友人の中島くんに言われた。
 「よしいの絵は村山塊多に似ているな」と。
 塊多は20代で早逝した、明治洋画界の鬼才である。

 当時、米国の抽象表現主義の画家ポロックやニューマンに憧れ、
 仏国の巨匠マチスに心酔していた僕には心外だった。
 よく考えれば、友人の僕を認めてくれて過大な褒め言葉として
 中島くんは言ってくれたのだ。
 (20年後に聞いたら「その通り」と言われました)

 芸術新潮で「気まぐれ美術館」を連載していた州之内徹。
 彼が愛した画家に塊多がいた。
 知り合いの先輩画家に「州之内はいいよ」と言われても
 若い時の自分は愚かで(今でも愚かに変わりはないが)
 近代日本の文化を創り上げた素晴らしい画家達を、
 まるで西洋人が日本美術を嘲るように、軽視していた。

 州之内が現代画廊を経営し、評論を書いた時も
 彼が取り上げた画家、美術家はあるいは時代遅れ、
 あるいは傍流、または無名に近い作家たった。

 例えば、僕の郷里新潟の画家佐藤哲三がそうだ。
 今では、彼の回顧展が美術館で開かれるようになって、
 世間でもその名を知る人が増えてきたが、
 州之内「気まぐれ」で取り上げた時はほとんど無名だった。

 だいぶ前テレビで、敏腕編集者のドキュメンタリーを
 やっていた。彼が手がける作家はみな売れると言うのだ。
 確かに凄い人だと感心した。
 しかし、自分が作家だったら担当になってほしくない。
 作品が作家のものなのか、編集者のものなのか解らなくなるからだ。
 勿論、編集の人の助言は重要で、
 そう言う意味では共同作業なのだろう。

 敬愛するポロックやニューマン、ロスコなどは
 自分を取り上げ、好意的な評論を書いてくれた
 クレメント・グリーンバーグに対しても
 対等以上の態度をはっきりと示していた。
 美術館や、画廊、顧客に対しても同様だ。
 彼らの態度の正しさは、彼らの作品が証明している。

 僕は今、塊多や、佐藤哲三のような優れた作品を
 生み出せたらと願っている。

2009年11月20日金曜日

秋のリズム

 ジャクソン・ポロックはアルコール中毒だった。
 名作「ラベンダーミスト」や「秋のリズム」を
 描いている頃は、禁酒に成功していた頃だ。

 ポロックの伝記映画「ポロック・愛のアトリエ」
 でもそれが描かれていた。
ずっと禁酒を貫いていた彼が、制作風景の撮影のために
 野外で絵を描く。
 慣れない撮影、寒さのためにバーボンに手を伸ばす。
 元のアル中に逆戻りしてしまう。

 自分で制作していて、絵の具が余る時がある。
 余った絵の具でポアリング(撒き散らし)を試みる。
 絵の具の粘性の違い、溶かす水の量や、
 滴らせ方撒き散らし方に依って表情が変わる。

 抽象的な表現は、対象としてのイメージ持たない分、
 表現行為に没頭出来る利点がある。
 しかし、逆に強い意志と作品の全体像を持たないと
 ただの造形遊びに陥ってしまう。

 最初の抽象画家の一人、ピエト・モンドリアンは
 キリスト教の持つ絶対的で厳格な神の世界を 、
 抽象表現で表したと言われている。
 抽象の方が普遍性を表し易いからだ。
 米国の優れた抽象表現主義の画家、マーク・ロスコ、
 バーネット・ニューマンはともにユダヤ人だった。
 知っての通り、ユダヤ教では神の姿を具象的には表さない。

 ピカソが完全抽象の入り口に、歴史上最も早く立ちながら、
 そこへと向かわなかったのは、彼の中にカソリック的な
 多神教的の素地があったからではないだろうか。
 (ピカソ自身は無神論的な態度を表明しているが)

 ポロックは大恐慌の時代の画家だった。
 多くの芸術家が退廃的になり、多くがアル中だったと聞く。
 
 僕は自分がアルコール中毒でないことを確認するために
 週に2,3度お酒を抜く。

 「酔のさめかけの星がでてゐる」放哉

2009年11月16日月曜日

プロントくんの航海

 アニメを描き足した。
 プロントくんが海に潜って泳ぐ場面、
 海底に古代遺跡がある場面を描いた。
 
 人間の眼は、映画のフィルムと同じらしい。
 つまり一つの光景を連続して眺めているわけでなく、
 網膜に細かく投影された、各場面をコマ送りで見ていると。
 まさにアニメーションの原理と同じだ。

 「見る」と言う行為は、経験に依って支えられていると、
 何かの本で読んだ。
 生まれつき視力がない人が、手術などで見えるようになった時、
 様々なトラブルが生じると。
 それは空間、特に遠近が分からないと言うことらしい。
 われわれは赤子の時に、寝返りや、ハイハイをしながら
 空間と遠近についての、膨大な経験と認識を繰り返し学んでるのだろう。

 男女で空間認識や、地図解読能力に多少の差が見られるのも、
 行動の違いで説明出来るのだろう。
 勿論、僕のように地図を読むのが苦手な男性もいる。

 絵を描いている時、最も気を遣うのが空間表現だ。
 絵は二次元だからそもそも空間はない。
 そこに空間があるように、錯覚させる。虚構を築くのだ。

 アニメーションでは、動きで命を吹き込む。
 元々動かない絵が動き出す。分かっていても驚くし嬉しい。
 初めてアニメーションを創り出した人、それらを見た人の
 感動と驚愕は想像に難くない。 
 

2009年11月15日日曜日

カーニバルの夕べ

 西武国分寺線の鷹の台駅。

 駅前には松明堂ギャラリーがある。
 今年の3月末に個展「洪水のあと」を開いたところだ。
 3何前にも個展「レクイエム」を開いた。

 この画廊にも立ち寄るけれど、楽しみは玉川上水の遊歩道。
 毎日、西武線からも紅葉を眺めている。
 それでも、玉川上水の遊歩道の中で味わう紅葉は格別だ。
 とりわけ鷹の台から東大和へ向けての道が一番だと思う。
 武蔵野の雑木林の緑が濃く深いからだ。

 途中、武蔵野美術大学へ向かう道へ曲がる。
 めあては大学ではなく、手前にある中華料理「東華園」。
 ここの肉野菜ラーメンは僕の中でラーメンランキング1位だ。
 普通の大盛の量はある。上にたっぷり載った肉野菜は、
 ゆうに普通の肉野菜炒めの量がある。
 これらがニンニクと胡麻たっぷりのちょっと辛めのスープに
 ちょっと細めの縮れ麺が馴染む。これを半ライスと食す。
 半ライスもどう見ても半ではない。
 僕には量が多いのだけれど、当然全部食べる。
 食べた後、ニンニク臭くなるのが難点。
 デートの前はお薦め出来ない。

 ラーメンで熱くなった体を持て余しながら、再び遊歩道へ。
 夜は、側にあるテニスコートや学校が無いところは真っ暗だ。
 
 暗闇は不思議だ。
 離れて完全な暗闇に見えても、近づくと光がある。
 「夢の中の光は何処から来るのか?」
 米国の美術家ジェームス・タレルの展覧会のタイトルだ。
 確かに、夢の中に現れる光は、眼で見ているものではない。

 すっかり、葉が落ちた夜の雑木林を見ていると
 「カーニバルの夕べ」を思い出す。
 仏国の画家、アンリ・ルソーの名作だ。
 あの絵の中にいる、アルルカンと村娘が現れそうな
 そんな気がする。

 今年の紅葉はこれからが本番だ。

2009年11月14日土曜日

スワンソングが聴こえる場所

 新所沢にあるスタジオネイブ。
 ここに毎月通っている。
 ビートルズ研究会に参加するためだ。

 ビートルズ研究会略してB研に参加するようになって、
 4年になるのだろうか。
 今年の2月にはB研のメンバーとライブもやった。

 今はB研への参加者が20名を超えることもあるが、
 4年前は数名、10名を超えることなどなかった。
 B研とは何か。ビートルズを研究する集まりに違い無いが、
それぞれがビートルズのメンバーのつもりになって
歌い演奏する。みんながかなりなビートルズマニア。

 B研のホスト役でジャズピアニストの高木氏に、
 初めてB研に誘われた時、アルバム「アビイロード」を全曲
 やると言われた。曲は全部知っている。アルバムは持ってるし。
 でも、やったことのあるのはYou Never Give Me Your Money
だけ。練習した。「ビコーズ」なんか音楽の専門家に
 レッスンを受けたりした。

 あれから4年近く。
 今度は大好きな「ホワイトアルバム」特集。嬉しい、楽しみ。

 「僕の言うことの半分は意味がないけど、
  君に近づきたくて言うのさ。ジュリア」

 自分の人生の終わりに、
 あるいは世の終わりに僕はどんな音楽を
 聴きたいと思うのだろうか。
 

2009年11月13日金曜日

うしろすがたのしぐれていくか

 山頭火と放哉を知ったのは偶然だった。
 雑誌「太陽」で特集をしていたのだ。
 もう20年以上前のことだ。

 高校生の時、本屋で「人間失格」を見つけて
 太宰にのめり込んだように、山頭火が好きになった。

 「どうしようもないわたしが歩いている」
 「何を求める風の中をゆく」
 「まっすぐな道でさみしい」
 「酔うてこほろぎと寝ていたよ」
 「壁をまともに何考えていた」 

 気に入った句を見つけてはノートに書いた。
 全4巻の句集も買った。
 古本屋で日記を見つけては読んだ。

 山頭火は放浪の人だった。
 「歩かない日はさみしい」と書いている。
 行乞のつらさを日記にしるしながら、歩き続けた。 

 「うしろすがたのしぐれていくか」
 山頭火には自分を見つめようとする眼差しがある。
 自嘲。自らを嗤っている。
 それを映像で映し出すように詠んでいる。
 愚かな自分を嗤いながら、それでも愛おしんでいる。

 山頭火は山を愛した。放哉が海を愛したように。
 人は山派と海派に分かれるようだ。
 僕は山派である。川派でもあるけれど。

 「ほろほろほろびゆくわたくしの秋」

 

2009年11月11日水曜日

柔らかい月

 東京へ来て驚いたこと。
 それは冬の富士山だ。

 浪人していた頃、東村山に住んでいた。
 西武線に乗った時、ふいに富士が見えた。 
 凄い!ありがたい。手を合わせたくなる。

 「富士には、月見草がよく似合う」か。
 太宰、よく言った。おれには富士は富士だけでいいけど。
 学生の頃、太宰を読みながら、中島みゆきを聞いた。
 暗い。すすんで暗い道へ進んだのだ。

 大学3年かな。プチ引きこもりをした。
 引きこもりなんて言葉が無い頃だ。
 ほんの何日か極力アパートにいた。

 中島みゆきの新しいアルバム「生きていてもいいですか」
 こればかりを繰り返し聞いていた。
 大学の同じ少林寺拳法部の友人が4人訪ねてきた。

 中島みゆきを流していたら、武藤くんが言った。
 「よしい、これ暗いから止めてくんない?」
 中島みゆきは唄ってた。
 「エレーーーン、生きていてもいいですかとー」。
 あーー、オレは暗くて重いんだと、漸く気づいた。
 やっと、ラジカセのストップを押した。

2009年11月10日火曜日

小さい秋

 拝島駅から西武新宿線に乗る。
 玉川上水を横切る一瞬がある。
 いつも、その一瞬に川を見る。

 新緑の頃は若草色のトンネル。
 紅葉の頃は錦色のトンネル。
 それらを眺める一瞬の至福。

 玉川上水駅までは乗車客が比較的少ない。
 紅葉の時期は線路に平行して走る玉川上水の並木を楽しむ。
 「世界の車窓から」で取り上げて欲しいくらいだ。
 「ちい散歩」の方がいいか。

 サトウハチローの「小さい秋」。
 守門村(現魚沼市)須原の祖母の家。
 もう無くなってしまった古い家を思い出す。
 北向きの階段箪笥を昇った処にあった高窓。
 そこから守門岳が見えた。

 「小さい秋」の歌を頭の中で反芻する。
 祖母の家と、浪速屋の柿の種の四角い金属の容器の
 外側に描かれた昔の農家の情景。
 この二つを思い出す。

 「なんぼう考えてもおんなじことの草枯るる」山頭火

2009年11月9日月曜日

秋のソナタ

 冬のソナタ。
 僕は見た。知り合いのぺ・ヨンジュンファンが
 見なさいと貸してくれたのだ。
 
 昔の日本の昼ドラの匂いがした。
 熱くくどい。でも最後まで観た。
 チェ・ジウじゃなくてぺ・ヨンジュンはいいなと思った。

 秋のソナタ。イングマル・ベルイマンの映画。
 あまり憶えてない。
 ベルイマンの映画は高田馬場の早稲田松竹で観た。 
 「処女の泉」は驚きだった。
 「叫びとささやき」は怖かった。
 テレビで観た「ある結婚の風景」。結婚は恐ろしいと思った。
 吉田拓郎の「結婚しようよ」と全然違ってた。

 映画は監督で観る時期が続いた。
 フェリーニの「道」「8・1/2」「女の都」「サテリコン」。
 キューブリックの「2001年宇宙の旅」「時計仕掛けのオレンジ」
 「シャイニング」。ヒッチコック「鳥」「裏窓」「サイコ」等々。

 黒沢明「蜘蛛の巣城」「生きる」「七人の侍」。
 ルイス。ブニュエル「アンダルシアの犬」「皆殺しの天使」。
 ヴィスコンティ、小津、ゴダール、溝口。
 デビット・リンチにブライアン・デ・パルマ。
 パトリス・ルコント、ピーター・グリナウエイ。竹中直人は新しい。

 去年、友人の岩井氏から寺山修司を借りた。
 「田園に死す」「書を捨てよ、街に出よう」は衝撃だった。 
 中学で観た「ジョニーは戦場に行った」と高校で観た
 「イージーライダー」以来だったかも知れない。
 
 

2009年11月8日日曜日

北のまほろば

 昔見た夢。
 一人で島を歩いている。
 夢の中では、北の樺太のような島。
 岬には白い灯台があった。
 そんな光景を夢の中で何度も見ている。

 11/6(金)にNHK総合で放映された「世界一番紀行」。
 高校の友人で俳優の大高洋夫が旅人として出ていた。
 新潟日報で「ナジラネ」と言うエッセイを大高が書き、
 僕が挿絵を担当して、もうすぐ2年が経つ。

 彼がシベリアの世界で一番寒い村を訪ねていた。
 以前にBSやハイビジョンで放映されたものだ。
 極寒の世界に生きる人々の生活が素朴に描かれていて面白かった。

 寒いところは好きではない。けれど北に憧れる。
 南の楽園はたしかに素晴らしいだろう。
 以前行ったハワイは素晴らしいリゾート地だった。
 ゴーギャンが住んだタヒチも素敵だ。

 けれど夢に出てくるののは北の大地だ。
 小学生の頃はムーミンシリーズ本を読んでいた。
 フィヨルドに憧れる。礼文島にも行ってみたい。
 オーロラが見られたら感動するだろうな。
 
 そういえばチェコも東欧だが北国だ。
 チェコにアニメに刺激されてアニメを描き直している。
 あっ、でもプロントくんは南の島生まれだ。
 けれど彼が旅した先は、きっと北国なのだろう。

2009年11月6日金曜日

ぼくらと遊ぼう

 チェコのアニメを見た。
 今日が最終日だった。

 ロシア(ソ連)のアニメ「チブラーシュカ」。
 同じく「霧に包まれたハリネズミ」のノルテンシュタイン。
 チェコのアニメもシュヴァンクマイエルは以前に見ていた。

 仕事帰りで初めは眠かったけど、10分程度の
 密度の濃いアニメ作品にどんどん引き込まれていった。
 共産圏の崩壊の前の作品がほとんど。
 製作に様々な規制があったに違いない。
 けれど、それを創作のバネにしているように感じられた。

 アニメだけど、ちっとも子ども向けに見えない。
 寓意的で象徴的な主題。陰影の深い画像。
 質感に拘った表現。長く暗い冬を持つ人たちの世界だ。
 けれどユーモアもある。

 昔見た「ウルトラQ」。今見ると子ども向けらしくない。
 8マンなんてタバコ吸うしな。共通しているのは
 「子どもはこんなもんだろう」と言う決めつけがないことだ。
 面白かったら、難解なものでも子どもは面白がる。
 分かるか分からないかが問題ではないのだ。
 心にざらっと引っかかるかどうかが大切だと思う。

 尊敬する友人、ケダモノ中西氏から「ブログに書くな」
 とメールが来た。せっかく「それ行け!中西くん」
 を連載するつもりだったのに。。残念!

2009年11月5日木曜日

B級グルメ

 アニメを試し撮りした。
 うーーーーん。まあこんなものか。
 音楽を付けるとか、どう発表するかなどと書いた。
 
 リズムがなーー。絵がどうとか、構成がどうとかではない。
 アニメの動きのリズム、場面の移り変わりのリズム、
 つまりシークエンスが今イチどころか、今サンだな。

 描くつもりだった、海底都市も面倒になって止めた。
 描き足して、編集し直そう。
 今年はアニメ制作の年にしよう。あと2ヶ月もないけど。

 TBSで始まったドラマ「深夜食堂」。なかなかいい。
 ビッグコミックオリジナルで連載されてるマンガが原作。
 それを忠実に実写化しる。主役の小林薫。似合っている。

 週に二回は通うモツ焼き「百薬の長」。
 名店だ。佇まいがまず良い。木造で昭和の雰囲気。
 店内はカウンターのみ。マスターが一人で切り盛りしている。
 
 マスターがいい。風情があって人柄が良い。
 メニューは多くなく、売り切れ続出。
 いつぞやは、チーズと梅干ししかなかった。それでも飲む。
 安くて美味しい。美味しいにも色々あって、
 ここは飽きのこない味だ。だから毎日でも飽きない。
 (週5日行ったことがある。友人の岩井さんは毎日?)

 場所は、教えない。小さな店内は十二、三人で満席だ。
 人が増えたら自分が入れなくなる。
 ほとんどが一人でやってくる。職種はさまざま。
 平均年齢は異様に高い。楽しい常連が多い。
 
 そう云えば「深夜食堂」もカウンターのみだな。
 明日はレバ刺しで一杯やりにいこう。 

2009年11月3日火曜日

裏通り

 寒いと思ったら、北国に雪の便りが届いた。
 例年よりずいぶん早い。
 温暖化のはずなのに。

 僕の子どもの頃、初雪は大体11月だった。
 紅葉が終わりの頃、寒い朝にカーテンを開ける。
 庭に一面の雪。長い冬のはじまりだ。
 名僧良寛も「冬夜長し」と云う漢詩で
 雪降る夜の長さ、大変さを詠んでいる。

 あの頃日本海側は、裏日本などと呼ばれていた。
 冬に積雪は2mを超えるが普通だった。
 毎日、毎日雪。一晩で1m積もることもあった。

 それでも、初雪の日の美しさは格別だった。
 母もよくそう言っていた。

 裏日本に生まれ育ったせいだろうか。
 仕事で毎日新宿に通っているが、裏通りを好んで歩く。
 あまりの人混みを避ける意味もあるが、単純に面白い。
 裏通りの猥雑さ、混沌とした感じ、思いがけない発見。
 人間臭く、人生を感じる。

 裏日本に生まれ育ったことは関係なく、
 自分の生き方が裏通り向きなのだろう。
 あっ、オレはBack Street Boy か。
 

2009年11月1日日曜日

二流の人

 友人であるケダモノ中西さんからメール。
 「日記が面白い。一年続けたらアル中じゃないと
 認めてやるよ」だってさ。はははは。

 ビートルズ研究会で仲間のリコ先輩みたいに
 「よしいさんの青は素敵ねーー」と何で素直に
 絵を褒めてくれないのか・・。まあいいけど。

 「レクイエム・怪獣と大ロボットシリーズ」も
 前回個展の「洪水のあと」も「暗いね・・・。」と言われる。
 実は「キャットくん」も「あくまくん天使」も
 別に明るくない。キャラクターが可愛く?見えるだけだ。

 今回のプロントくんは、明るい絵にしようと決めて描いた。
 アニメの原画を写メールで知り合いに送った。
 昔のバンド仲間、粟飯原さんに「哀愁がある」と返事が来た。
 勿論、褒め言葉と信じている。

 ちょっとしたベストセラーになった本「怖い絵」。
 3巻まで出ている。まだ1巻しか読んでないが面白かった
 たぶん3巻まで読むだろう。
 その中にはいかにも怖い絵と、えばドガの「踊り子」の絵のように
 一見怖くない絵もある。
 実は怖い絵だったと言われた絵の方が、脳裏に残った。

 「洪水のあと」の絵を見て、明るくなったね元気にそうに見える、
 言ってくれた人もいた。考えてみれば名画と呼ばれる作品に明るいと
 単純に言える絵はあるのだろうか。
 
 僕のライバル、ダ・ヴィンチの「モナリザ」もフェルメールの
 「青いターバンの少女」も宗達の「蓮池水禽図」も梁楷の山水画も
 明るい絵とは言えない。ピカソの人気シリーズ「青の時代」なんか
 色調も主題も暗い。

 明るい・暗いと言う二元論が面白くないんだな。
 僕はよく「よしいさんは明るいですね。悩みなんかないでしょう」
 と言われる。面倒だから「はい」と答える。