2014年10月18日土曜日

行こうぜ!東北6

「仙台で行きたいところがあるんです。」
今回の東北の旅でK氏のリクエストは2つだけ。
1つ目は秋田の安藤昌益の墓。
2つ目が、仙台にある、アサヒビールの
パイロットショップだった。

少し迷って発見。
広くない店内は、若い人で賑わっていた。
50を過ぎたおっさんは我々だけか。
普段のよしいは、サッポロビールを好む。

それでもつぎたての生ビールは美味い。
地元野菜のステックは濃厚な味わい。
枝豆、ソーセージで2杯目へ。
「2杯目は体験コーナーへ行きましょう」
パイロットショップでは、
自分で生ビールを注ぐと認定証が貰えると言う。

気乗りしなかったよしいだが、
やってみたら思いのほか楽しくて、
黒生ビールがより美味しく感じられた。
 

お酒に弱いK氏と別れ、
一人で地元の居酒屋へ入った。
宮城の地酒が全て揃い、
良心的な価格で提供されていた。
おでんやもつ焼きで、銘酒浦霞をあおる。

最終日は何も決めてなかったが、
芭蕉由来の松島に行きたくなった。
松島は、海に浮かぶ数々の島が
津波の威力を和らげ、
被害が他地域に比べてずっと少なかったと言う。

伊達正宗に由来する、瑞巌寺(ずいがんじ)
正宗嫡孫の寺、円通院はともに素晴らしかった。
瑞巌寺境内にある洞穴のような建物に、
ただならぬ気配を感じた。
ガイドさん(30分/ 千円)をお願いして、
由来を聞いた。

岩手の毛越寺と同じく、
慈覚大師円仁が開いた「松島寺」だと言う。
岩を刳り貫いて、僧侶の修行部屋や生活の部屋を
岩山の中に築き上げたらしい。
室町まで続いたが、北条氏に滅ぼされ、
その後伊達正宗によって
禅宗の寺として再興された。

東日本大震災による津波は、山門から境内に達し、
塩害によって多くの杉の木が、伐採されていた。

帰りの東北道は工事による渋滞だった。
昼に仙台を発ったが、東京に着いたのは7時過ぎだった。

今回行けなかった「龍泉洞」、毛越寺と並ぶ世界遺産の
「無量光院跡」「観自在王院跡」「金鶏山」ほか、
まだまだ行きたい処が、沢山見つかった旅だった。
東北は、素晴らしい。行こうぜ!東北。
(完)

*写真 仙台のアサヒビールパイロットショップ
(撮影 K氏)

2014年10月13日月曜日

チューリッヒ美術館展

畳二枚分より大きな巨大な絵。

モネの晩年の連作「水連」だ。
池そのものと、水連の花と葉。
池に映る、木陰や、空。
そして、池の奥の水草が、
等身大で描かれている。
とても、70代の老人が描いた
作品には見えない。

夕暮れの時間だろう。
黄色とオレンジの光と、
紫色の影が強いコントラストを描く。

水連の左手には「積藁」シリーズの傑作、
右手もは「ロンドン」シリーズの佳作があった。

チューリッヒ美術館展は、
著名な作家の作品が部屋毎に纏められ、
ちょっとした個展のような展示が、
珍しく且つ良い空間を作っていた。
一作家でない場合は「シュールレアリズム」や
「ドイツ表現主義」「抽象絵画」みたいに、
テーマ別に配置されていた。

オスカー・ココシュカの作品も、
展示数、作品の大きさや質で、
満足できるものだった。
彼が恋人と別れた後、
しばし精神を病んでいたことを、
解説の文章で、初めて知った。

巨大な「モンタナの風景」は、
荒々しいタッチと、生々しい色彩で、
アルプスの町並みが蠢いていた。
大好きな浦上玉堂を思い起こした。

他にもセザンヌの傑作、モンドリアンの代表作、
バルラッハの素晴らしい木彫作品、
ホドラーの風景、パウル・クレーの色彩、
神秘的で魅惑的なキリコの「塔」の絵、
ムンク、ピカソ、ブラック、マチス、ルソーなど、
錚々たる名作揃いで驚かされた。

展覧会の最後の部屋が、画家兼彫刻家の
アルベルト・ジャコメッティの作品群だった。
スイス出身のジャコメッティだから、
チューリッヒ美術館展には相応しいわけだ。
数点のブロンズ彫刻と、
日本人哲学者「矢内原」を描いた油彩。

ぼくはジャコメッティの素描と油彩が好きで、
彫刻にはあまり惹かれなかった。
でも、「広場を横切る男」と題された、
ヒョロ長の人物彫刻には彼の意図を感じた。

出口の売店で迷った末、
10枚の絵葉書を購入した。
こんなに買うことはまずない。
もっと買っておけば良かったと
後悔したことは、記憶にない。

2014年10月9日木曜日

行こうぜ!東北 5

岩手県で最も行きたかった場所が、毛越寺だった。
(「もうつうじ」と読みます)

宮古から、陸前高田、釜石と海沿いの道路を抜け、
毛越寺がある平泉町へと向かう。
山道をかなりの時間走る。
行けども行けども、長閑な田舎の風景。
「本当にこの道で合ってるのかな・・・」
ちょっと不安になるほどだった。

漸く毛越寺の駐車場に到着。
良い雰囲気に気が焦る。
斜め前方に小学校が見えた。
作りがシックで、景観に配慮しているのが見てとれた。

入場券を購入し山門を通る。
正面に本堂、左手に宝物殿がある。
右に進むと、毛越寺の中心「浄土庭園」があった。
 

回りの杉並木、借景の山並みが美しい。
中心の池は見る立ち位置によって、
その表情を変える。

世界遺産にふさわしい堂々とした雰囲気があり、
尚且つ控えめな奥ゆかしさも感じられた。
観光客はそれなりに居るのだが、
蝉の声だけが賑やかで、静けさを感じた。

中尊寺には以前出かけたが、
今回は断念した。
あの頃は藤原氏三代にも、大した興味はなかった。

「そう言えば、三陸って何を指すんですかね?」K氏
「陸前とかですね・・」曖昧によしいは答えた。
調べてみれば何のことはない。
「陸前、陸中、陸奥で三陸」だ。
知っていたようで、あやふや。
そんな生き方で齢55歳まで生きてきたわけだ。

毛越寺は想像を超えて素晴らしかった。
受付の女性が、品がよく美しかった。
そんな余韻を胸に、宿泊先の仙台へ向かった。
(続く)  
*写真 毛越寺(撮影 K氏)

2014年10月8日水曜日

マーク・ロスコ -イメージと神話-

神話無き時代の神話。
芸術は、そんな現代の神話にたとえられる。

ヤコブ・バール=テシューヴァ著の
「マーク・ロスコ」を読んだ。
米国戦後の画家、ロスコの作品と生涯を
概説したものである。

「芸術を賞味することは、
心と心が結婚することなのだ」
そうロスコは語る。
「悲劇的体験こそは芸術の唯一の源」

宗教人類学者の中沢新一は
「神話こそ最古の哲学だ」と言う。
ロスコの絵画はまた、
神話的な体験を絵画の中に潜ませている。

曖昧で茫洋とした矩形が画面に漂う。
一見単純で捉えどころがない。
多くて三つほどの、彩色された矩形(横長の四角形)が
縦一列に背景の色彩の中に漂う。
時に鮮やかに時に沈んだ色調で。

色彩は見る人に心へ、
直接的に語りかける。
矩形もまた、強いイメージを形成する。
それらは、変化するように見えながら、
決して変わることのない世界のようだ。

真理の世界や神の世界が、普遍的なように、
ロスコの絵画も普遍性への憧憬が、
見て取れる。

変らないもの、彼岸に対する憧れが、
ロスコの絵画のイメージを
より強固なものしているのだろう。

生きているものは、絶えず変化する。
生れて成長し、やがて老いて朽ち果てる。
移りゆくものを捉える営み。
多様で雑多な此岸への憧れを、
ぼくはTokyo UFOやtokyo Dragonに描いた。

表現や表現の根底にある哲学が異なっても、
芸術はイメージと神話なしには生まれない。

イメージの持つ力はとても強く、
神話は解釈されても、説明され尽きることは無い。
ロスコの絵画の深淵さには、そんな秘密があるのだろう。

2014年10月5日日曜日

行こうぜ! 東北4

盛岡から、山道をほぼ休憩なしで、
グリーピア宮古ホテルに着いたのは、
夕暮れ前の6時半ごろだった。

ホテル手前に多くの仮設住宅があり、
テレビで何度か見た、仮設の商店街の食堂も見えた。
「夕飯はあそこで食べたいですね・・」

ホテルでチェックインを済ませ、とりあえず部屋へ。
仮設の食堂へ向かう。チキンカツをつまみに
ビールを飲む。昼食抜きだったので尚美味い。

大浴場で疲れを取り、浴衣に着替えて
最上階のバーラウンジにK氏と行った。
店の看板には「リアス」と書いてあった。
「おっ!(朝ドラ)『あまちゃん』と同じだ!」
あまちゃんの大ファンだったぼくのテンションがあがった。

何となく店内も「あまちゃん」の「利明日(リアス)」に似ている。
「あちらが真似したんですよ」店のママさんが言う。
歌ったのは勿論「潮騒のメモリー」だ。
「来てよ~♪その火を飛び越えて~
砂に書いた~アイミスユー~♪」

朝風呂の後、広い敷地を散策。
暫く歩くと、崖地の松林の合間から、
朝の光に輝く宮古の海が見えた。「美しい」

朝食バイキングの大食堂へ。
夜はほとんど見かけなかった宿泊客。
こんなに居たのかと言うほどの盛況ぶり。

「ここの朝食美味いですね」
「よしいさん。それしか食べないの」
あまりの美味しさに御替りが抑え切れないK氏。
焼き魚に煮物など、一見ありふれた料理なのだが、
物凄く旨い。また食べに来たいと思った。

昨夜、仮設の食堂で被災地の絵葉書を買った。
リアス式海岸は津波の被害が大きい。
宮古たろうホテルや陸前高田を訪ねる。
大震災から3年が経ち、瓦礫こそ無かった。
しかし見渡す限り更地で、復興は始まったばかりだった。
(続く)

  
 
*宮古たろうホテル(撮影K氏)