2010年3月31日水曜日

淡雪

 3月末に実家のある新潟に居た。
 越後湯沢ではたくさんあった雪が、
 長岡駅周辺になると、ほとんど消えていた。

 お正月には何年振りかの大雪だったのに、
 残雪は思ったほどではなく拍子抜けした。
 それでも長岡駅を降りると凄く寒かった。
 やはり新潟は北国なんだと実感した。

 実家に着いて昼食を食べ、レンタカーに乗る。
 母と入院中の祖母を見舞いに行く。
 小千谷から、川口町を抜け、堀之内町に来ると
 2m近く積もった残雪があった。

 あいにくの曇天で、小出町に入ると
 冷たい雨が降り出した。

 101歳になる祖母はベッドで小さくなって寝ていた。
 看護婦さんに起こしてもいいかと尋ねると許可が下りた。
 祖母は寝ぼけた眼で僕と母を見た。
 母が色々と話しかけると、「うん、うん」と頷いた。

 帰る段になって、「帰るよ、また来るよ」と言うと、
 「下まで見送れなくてわるいのう」と祖母が言った。
 もう言葉が出てこないのではと思っていたので、驚いた。
 祖母にはいつも驚かされる。

 帰り道、雨はみぞれに変わり、夜には雪になった。
 翌朝、居間から庭を眺めると10cmほどの雪が積もっていた。

 「積もったね」と言うと母親は
 「今の時期の雪は‘淡雪‘と言って、
 降って積もってもすぐに消える」と言った。
 
 「淡雪」か。良い言葉だな。
 しばらく忘れていた。
 東京じゃ「なごり雪」だな。
 (つづく)

2010年3月23日火曜日

音のある風景

 昨夜からの冷たい雨が、今朝も降り続いている。
 心を静めて耳をすますと、色んな音が飛び込んで来る。

 雨音。道路を歩く人の靴音。車のエンジン音。
 目覚まし時計の針の音。外で何やら作業をしている音。
 そしてパソコンのキーのを叩く音。遠くで吠える犬の声。

 よく聞いてみると音は立体的だ。
 僕がバッハを好むのは彼の創造した音が、
 最もよく空間を感じさせてくれるからだ。
 
 不思議な体験をした。
 先月末のことである。
 
 新宿オペラシティーのコンサートホールに
 「井上郷子ピアノリサイタル」を聞きに行った時のことだ。
 構成の伊藤祐二氏は友人で現代音楽の作曲家。
 奥さんの井上郷子さんは現代音楽を専門とするピアニストだ。

 伊藤さんの企画するコンサートのことは、
 同じ美術家で現代音楽を愛好する知人に教えられた。
 ルネ小平の中ホールで、現代音楽のレクチャーコンサートが
 10年数年前のことだが、シリーズとして行われていた。

 今思い出しても、ユニークなコンサートだった。
 毎回異なるテーマで、様々な現代音楽を紹介していく。
 時には作曲家を招いて、自らの作品について語ってもらう。
 当時、面識のなかった伊藤さんは、学者のような面持ちで、
 言葉巧みに作品を紹介されていた。
 井上郷子さんもピアニストとして毎回参加されていた。

 ジョン・ケージの「竜安寺」、ライヒのピアノ曲
 近藤譲の「高窓」など、今まで話かCDでしか知らなかった
 現代音楽を、格安で良質な演奏で堪能できた。
 
 そしてモートン・フェルドマン。
 彼の「ロスコチャペル」は驚きだった。
 ロスコチャペルとは、米国抽象表現主義の代表的な画家、
 マーク・ロスコが最晩年に、ある教会のために制作した作品を指す。
 その作品へのオマージュとして創られた曲らしい。

 今年の井上さんのリサイタルは「フェルドマン特集」。
 新宿オペラシティーの地下ホールは200名を超す聴衆で満杯。
 伊藤さん曰く、毎回大勢の聴衆が集まるこのコンサートは、
 「現代音楽界の七不思議」だそうだ。

 「ロスコチャペル」に感銘を受けた僕は、とても楽しみにしていた。 
 
 前半のメニューはフェルドマンの初期の作品。
 素人の感想だが、曲自体が硬い印象だった。
 良いか悪いかは分からないが、「ロスコチャペル」にみられた、
 緊迫した中の伸びやかさは感じられなかった。
 
 後半は50分を超える大作である「バニータ・マーカスのために」。
 
 前半はぼんやりと聴いていた。
 今回のコンサートの自分のテーマは「集中して聴かないこと」だった。
 変かも知れないが、コンサートに行けば誰しつい集中してしまう。
 あとはうっかり寝てしまう。よくあることだ。

 僕は普段から、コンサートの時ステージに集中しない。
 周りをキョロキョロ見渡す。
 僕なりに音を探しているのだ。
 だから本当はステージを凝視している人より、
 集中しているのかもしれない。

 だけどこの日はさらに、出来るだけ考え事をした。
 自分の絵のことや、コンサートの会場の構造や、
 沢山の聴衆の身なりやその他のことなど。
 集中しないで聴いた時の、音楽の姿を見ようとした。

 途中から、ふわふわとした不思議な感覚が現れた。
 音の少ないフェルドマンの音楽で、衣擦れの音や、
 咳の音、果ては携帯電話のバイブ音まで聞こえてきた。
 それらがピアノと一体になって、会場に漂っていたのだ。

 これはあくまでも、僕個人の感想であり、
 限りなく妄想に近いと思う。

 けれど湯川秀樹が書いた「知魚楽」。
 恵子が荘子に向かって
 「君は魚ではない。だから君には魚の楽しみは分からない」
 こう宣う。荘子はこう応える。
 「君は僕ではない。
 君には僕の気持ちが分からない。
 僕には、魚たちが楽しんで泳いでいるのが分かったんだ」と。

 僕は、コンサート会場に漂っている音を確かに見たのだ。  

耳をすませば

 一昔前は、食品に賞味期限など記載されてなかった。
 だから怪しい食品でも、目で見て匂いを嗅ぎ、
 それでも分からない時は、食べてみて判断した。
 今でも基本的には同じだけど。

 ほぼ毎日、職場のある新宿へ向かう。
 ホームレスの人を横目で見ながら通勤する。
 いつも思う、もしホームレスになったら生活できるかなと。

 でも人は望んでホームレスになる訳ではない。
 だれも路上で生活が出来るかどうか考えてなる訳ではない。
 路上で、ただ必死に生きているだけだろう。

 雑誌「ビッグイシュージャパン」を愛読している。
 最初はホームレスの人が販売しているので、好奇心で買った。
 しだいに、内容にどんどん惹かれていった。
 大マスコミが流している情報は、色んなしがらみで
 管理され過ぎた情報が多いと感じる。
 簡単に言えば、奥歯に物が挟まった言い方が多いのだ。

 最新号に音についての特集があった。
 平安時代に桜島の噴火の音を、
 京に居る人が聞いた記録があるそうだ。
 京都から鹿児島までおよそ600kmある。

 音を聞くことに限らず、
 昔の人は気配を感じる能力が高かったのだろう。
 雲や風や、鳥のさえずりや虫たちの行動など、
 自然の持つ様々な情報を感じて読み取り、
 変化する世界の在りようを想像できたのだろう。

 だからこそ日本語には
 オノマトペ「擬声語・擬音語」が多いのだろう。

 「春の海ひねもすのたりのたりかな」蕪村 

2010年3月21日日曜日

4月になれば彼女は

 それにしても昨夜の嵐は凄まじかった。
 夜半に雨戸を全部閉めても、
 風の唸りが叫び声のようだった。

 一転して、今日の昼は3月とは思われないほど暖かく、
 夕暮れには夜の帳とともに、寒さが戻ってきた。

 今日は仕事で新宿のいつもの裏通りを歩いたが、
 頭の中で吉田拓郎が「春だったね」を歌っていた。
 帰り道は同じく拓郎の「また会おう」だった。
 途中で泉谷しげるが「春のからっ風」を歌ってた。
 拓郎も泉谷も特に楽しくはなさそうだった。
 
 僕はアイポッドは持っていないので
 頭の中を鳴り続ける音楽に合わせて、
 時折ハミングする。
 うっかりといい調子でS&Gの「冬の散歩道」歌ってしまい、
 周りの人に怪訝な目で見られた。

 街で目にする風景の一つ一つを、
 僕らは見ているようで見ていない。
 全体としても、細部であっても漠然と眺めているだけだ。
 
 だから、いつもと違う何かに焦点を合わせたとたん、
 見慣れた風景が何も知らない風景に感じられる。
 僕らは人を見ている時も、自分と言うフィルターを通して、
 その人を眺めている。

 自分という幻想からしか、
 世界を眺めることは出来ないように感じる。
 それでもそこにしか、世界は存在しないのだろう。

 西武線から見られる風景もすっかり様変わりした。
 梅が終わり、木蓮が盛りを過ぎ、
 うっすらとした新緑の緑と、桜の花がちらほらと見える。

 「4月になれば、彼女はやってくる
 川の流れは雨で水かさを増している」

 春の訪れとともに、
 今年も4分の1が過ぎようとしている。  

2010年3月20日土曜日

千と千尋の神隠し

 「千と千尋の神隠し」を見た時気付いた。
 宮崎駿作品のテーマはほとんど同じで、
 女の子の自立を描いていることに。

 それを友人のK氏にメールしたら、返事が来た。
 今頃気が付いたのかと。
 
 そう、最近になって気が付いたのだった。
 「千と千尋の神隠し」を再放送で見た時だった。
 K氏は続けて、カオナシの造形が素晴らしいと。
 あれこそ宮崎駿自身の無意識を、創造のデーモンを
 現しているのだと。

 確かにカオナシの凶暴さ、傍若無人なキャラクターは
 あの湯屋の世界の中で非常に象徴的だと感じる。
 カオナシは同時に、我々の日常に潜む暗黒の部分、
 暴力、破壊、事故や天災なども現しているのかも知れない。
  
 僕は、千尋が釜爺に働かせて貰うために、
 湯屋の階段を駆け下りる場面が好きだ。
 千とカオナシが海の中の電車に乗る場面が好きだ。

 NHKの朝のニュースで知った漫画家星野之宣の作品
 「宗像教授異考録」に嵌っている。
 宗像教授は考古学者で専門は鉄や金属の歴史である。

 金属の伝播と神話の関わり、海洋民族が果たした役割など
 教科書ではあまり関心を持てなかった世界が、
 活き活きと描かれている。
 
 ギリシャ神話と日本神話の共通性や、
 花咲爺さんの変遷なども興味深い。
 文化の持つ意味合いは、我々が思っている以上に深い。

 古代の世界においても文化の伝播は強く、
 似たような文化基盤を共有していたと思われる。
 それでも民族や地域、歴史の違いによって
 形成される文化のかたちは、それぞれ異なっている。

 戦争で、武力で他民族を侵略出来ても、
 他民族の文化を支配出来るわけではない。

 自国の文化に興味を持ち深い理解することと、
 他国の文化に憧れと畏敬の念を持つこと。
 この一見矛盾しているように思われることを、
 共存させる人が文化人であり、国際人なのではないか。

 心配することはない。
 すき焼きにオムライス、トンカツにカレーライス、
 洋食と言われるものは全て立派な日本食になっている。
 我々は他文化の受容において、最も優秀な存在である。
 それを自覚すればいいのだ。

 千と千尋の神隠しの世界も
 見事にコスモポリタンでありながら、
 何処から見ても和風であった。

2010年3月18日木曜日

顔のある月

 昔見た夢を童話風の物語にしてみようと思った。
 10年くらい前のことだ。
 構想を練りタイトルをつけてそのままにしてある。
 作品化の計画は今のところない。
 漱石の「夢十夜」みたいにしたかった。

 昔見た悪夢の幾つかは、
 今でもありありとその映像が浮かぶ。

 夜のスキー場の夢。
 大きな山のゲレンデを一人滑っている。
 ナイター照明が煌々と輝いている。
 ところが振り返ると照明は消え、
 底知れぬ闇が広がっている。

 あせって、スキーを走らせる。
 滑るスピードを追いかけるように、
 一つ一つ照明は消えていく。

 顔のある月の夢。
 尖った山の外側の道を歩いている。
 道の下は峻厳な崖になっている。
 山道を一人登っている。
 
 真っ暗な空にオレンジ色の月が現れる。
 バスケットボールより大きい月には、
 苦しそうな大人の男の顔があった。
 ギョロッとした目でこちらを睨んでいる。

 子どもの頃から世界にたった一人で、
 存在しているイメージがある。
 保育園の時、祖母と祖父と寝ていた。
 姉は両親と寝ていたのだろうか。
 一緒だった気もする。
 
 みんなが寝てしまって、一人起きていると、
 自分の肉体が宇宙に放り出されて、
 星々の合間に漂ってしまった気がした。
 僕は布団ごと宇宙空間に投げ出されていたのだ。

 月曜日に敬愛する先生と話す機会を持った。
 ヴィトゲンシュタインから、吉本隆明の話になり、
 やがて宮沢賢治の話になった。
 「よだかの星」を思い出して、
 先生と話している内に泣きそうになった。
 
 最後の場面、よだかが星になろうとして、
 東西南北全ての星々に頼むが断られる。
 力尽きて、よだかが堕ちていく彼の場面だ。

 おぼろげだが、宮沢賢治が童話において為し得たことを、
 自分の絵画の領域で出来ないだろうかと妄想した。

 「よだかの星はいつまでもいつまでも燃え続けました。
 いまでも燃えています。」
 

2010年3月13日土曜日

ゴールデンスランバー

 「かつてはあった、家に帰る道が。
 かつてはあったのだ、家に帰る道が。
 眠れ、幼子よ。泣いたりしないで。
 僕が子守唄を歌ってあげるから」。

 ビートルズ最後の収録アルバム「アビイロード」。
 B面の中盤を飾るポールの名曲だ。
 歌詞は英国が誇る伝承歌謡「マザーグース」から
 ポールがヒントを得たらしい。

 ジョンの曲「Cry Baby Cry」も
 マザーグースの影響が色濃い。

 以前にイラストレーター和田誠氏の装丁・挿絵の
 マザーグースを持っていた。
 巻末にあった原文英語詩を眺めると、
 日本語との趣の違いが感じられた。

 先日、職場で偶然「葉っぱのフレディ」の英文を目にした。
 10年ぶりだった。当時のベストセラー絵本である。
 その時も、英語版で読んでから、日本語版を読んだ。
 英文では泣いたが、日本語版では灌漑が薄かった。 
 再読のせいかもしれないと思ったが、
 今回英文で読んでやはり泣いた。
 親友ダニエルが、落葉してフレディに別れを告げる場面だ。

 4月18日日曜日にライブをやることになった。
 'Golden Slumber'もライブ曲の一つだ。
 バンドメンバーは、月に一度ライブスタジオ‘ネイブ’で
 ビートルズセッションをやっている仲間である。
 
 去年の2月にも同じメンバーとライブをやっている。
 レットイットビーやヘイジュードなどのヒット曲や
 A Day In The Life , Mother Nather Son など
 ちょっとマニアックな曲もやる予定である。

 明日は仕事の後、新宿のスタジオでライブの練習だ。
 花粉症と仕事疲れでヘロヘロの体だがライブは楽しみだ。
 久しぶりに熱を入れて練習をしている。
 ミッシェルのコーラスがなかなか手強い。

 ようやく暖かくなってきた。
 花粉症持ちには暫く痛し痒しの毎日だ。

 新しいフレディとダニエルが、もうすぐ誕生することだろう。 

2010年3月8日月曜日

つみきのいえ

 2月から、少しずつ絵を描き始めている。
 スケッチは休むことはない。
 描かない日はあるが、
 ずっと描かないことはない。

 紙にボールペンや色鉛筆。
 紙に墨汁や、透明水彩、アクリル絵具。
 ボール紙に油彩もする。
 紙はカレンダーやポスターの裏をよく使う。
 キャットくんの絵本の原画は、
 新聞紙にマジックインキとクレヨンだった。

 昨年暮れから、ボードに和紙を貼り、
 銀彩をしてプロントくんの彩色画を始めたが、
 未完成のまま放置していた。
 
 プロントくんは恐竜で、僕のオリジナルキャラクターだ。
 数少ない?僕の作品のファンから、
 プロントくんシリーズを描いて欲しいと言われていた。

 僕自身も、抽象画から、現在の様々なシリーズを
 生み出すきっかけとなったキャラクターでありながら、
 「あくまくんと天使」や「キャットくん」、
 「レクイエム」や「洪水の後」のように、
 自分の中でもシリーズとして未消化な作品だった。

 今年になって、個展「レクイエム」の時と同じように、
 銀彩した和紙の上に墨のみの絵画も描き始めた。
 プロントくんの絵だ。
 先日はアルミ箔を和紙の上に貼った。
 凹凸のある和紙の上にアルミ箔を貼ると、
 銀彩をした時以上に乱反射し、変化が生まれる。
 若い頃から支持体と描画材の研究をしておけば
 良かったと、いささか後悔をしている。

 ブログを書き始めて半年以上になる。
 花粉症のせいと、絵を中心の創作になったせいか、
 言葉が出にくくなった。
 単にブログを書く題材が乏しくなっただけの事かも知れない。

 不思議なことに数年前、下手な詩を連作した頃は、
 あまり絵が描けなかった頃だ。
 怪物ピカソも、最初の妻オルガとの離婚問題に悩んでいた頃、
 絵筆を取らず、もっぱらシュールな詩を書いていた。

 絵本「つみきのいえ」を読んだ。
 昨年米国アカデミー賞のアニメーション部門賞を獲った作者の
 絵本版だ。見事な作品だった。
 話の内容も鉛筆と水彩で描かれた絵も、素晴らしかった。
 アニメーション作品を買って見るつもりだ。

 プロントくんのアニメーションを作り直すつもりだ。
 絵本も描き上げたい。
 上手くいくかどうか分からないが、今年の目標だ。
 失敗だった前作アニメーションを教訓としたい。

 「書かない日はさみしい」山頭火
 「描かない日はさみしい」よしい 

2010年3月7日日曜日

春と修羅

 仕事の後で、上野に出掛けた時のこと。

前日とは違って暖かい午後だった。
 沈丁花の甘い香りが漂っていた。
 花の姿を探したが、辺りにそのその姿はなかった。

 暖かな夕暮れだった。
 満開の梅は盛りを過ぎていた。
 早咲きの大寒桜が咲いていた。

 ところが一転、
 今日、3月9日は真冬の寒さである。
 夕方からの雪が夜までに積もった
 なごり雪だ。
 こんなに寒暖差が激しい年も久しぶりだと感じる。

 芸術家になるには、野蛮でなければならない。
 繊細さは必要だが繊細だけの人は寧ろ向かない。
 たぶん文学や音楽、演劇や映画など全てに共通すると思う。
 勿論この野蛮人は繊細さを持ち合わせなければならない。

 野蛮力と繊細さ。
 この相矛盾する力が芸術の魔力を引き出すのだろう。
 
 ライバルのピカソが凄いなあーと思うは、
 創る力は勿論だが自分のスタイルを、 
 惜しげもなく壊す力ではないだろうか。
 普通は一生涯に一つのスタイルを確立するだけで精一杯である。
様々なスタイルを創っては壊すピカソは、
 幼児の残虐さを備えている。
 
 創るために、壊す勇気を持ち続けること。

 それは移りゆく春を感じ取り愛でながら、
 修羅として生きることを自覚することだ。

 それにしても柳の新緑は美しいと思う。

 「この道しかない春の雪ふる」山頭火 

2010年3月5日金曜日

円盤が舞い下りた

 春の気候は三寒四温と言うが、それにしても激しい。
 一昨日は真冬の寒さだったのに、今日は初夏の趣だ。

 以前は、大寒とか立春くらしか知らなかった。
 今は雨水や啓蟄などの言葉を知っている。 
 今年は明日、3月6日土曜日が啓蟄だ。

 務め先のある新宿で、いつも下車している西武新宿駅、
 明治通りに面したビルが、解体工事をしている。
 間口は10mに満たない。
 両側に立つ雑居ビルとの距離は、わずか数十センチ。
 
 ドリルやショベルカーなどで、一日一日解体は進む。
 当然シートや幌で覆われているが、
 通りすがりに隙間から中を覗く。
 ビルの柱のコンクリートはギザギザに切断され、
 そこからは太い鉄骨が何本も突き出している。
 中は凄まじい力で破壊が繰り返された跡が窺える。
 ビルの前には複数の警備員が通行人を誘導し、
 作業員の4トントラックが、ビルの残骸を運び出す。

 しばらくして、
 地上の部分はあらかた解体が終了し、シートは外された。
 隣のビルの、空調のダクトやパイプが見える。
 もちろん、傷一つ見当たらない。

 プロの仕事だ。

 「伸ばすにはまず縮めなければならない」とは老荘の言葉。
 「作るにはまず壊さなければならない」そんな言葉が浮かぶ。

 K氏から送られてきた、たぶんイタリア人作家の短編、
 「円盤が舞い下りた」。
 教会の上に円盤が舞い下りる。
 
 宇宙人が十字架を指さして牧師に尋ねる。
 これは何か?何の役に立つのか?と。
 牧師は応える。
 「これは我々の原罪を背負って十字架で亡くなった、
 神の子イエスの象徴だ」と。
 
 宇宙人は再び聞く。
 「地球人は原罪を犯したのか?」「あなたたちは?」
 「善と悪の木の実を食べたりしない。それは法律だから」と
 宇宙人は答える。
 
 僕は吹き出してしまった。
 キリスト教徒ではないが、罪を知らない宇宙人よりも、
 善と悪の狭間を生きる人間が愛おしいと言う牧師に共感した。

 画家としても、一人の人間としても、
 僕は逡巡と行動と後悔との間を行ったり来たりしている。
 
 何かを壊しても、何も創り出せないかも知れない。
 それでも壊すこと創ること間を、
 日々行ったり来たりしている。