2010年3月23日火曜日

音のある風景

 昨夜からの冷たい雨が、今朝も降り続いている。
 心を静めて耳をすますと、色んな音が飛び込んで来る。

 雨音。道路を歩く人の靴音。車のエンジン音。
 目覚まし時計の針の音。外で何やら作業をしている音。
 そしてパソコンのキーのを叩く音。遠くで吠える犬の声。

 よく聞いてみると音は立体的だ。
 僕がバッハを好むのは彼の創造した音が、
 最もよく空間を感じさせてくれるからだ。
 
 不思議な体験をした。
 先月末のことである。
 
 新宿オペラシティーのコンサートホールに
 「井上郷子ピアノリサイタル」を聞きに行った時のことだ。
 構成の伊藤祐二氏は友人で現代音楽の作曲家。
 奥さんの井上郷子さんは現代音楽を専門とするピアニストだ。

 伊藤さんの企画するコンサートのことは、
 同じ美術家で現代音楽を愛好する知人に教えられた。
 ルネ小平の中ホールで、現代音楽のレクチャーコンサートが
 10年数年前のことだが、シリーズとして行われていた。

 今思い出しても、ユニークなコンサートだった。
 毎回異なるテーマで、様々な現代音楽を紹介していく。
 時には作曲家を招いて、自らの作品について語ってもらう。
 当時、面識のなかった伊藤さんは、学者のような面持ちで、
 言葉巧みに作品を紹介されていた。
 井上郷子さんもピアニストとして毎回参加されていた。

 ジョン・ケージの「竜安寺」、ライヒのピアノ曲
 近藤譲の「高窓」など、今まで話かCDでしか知らなかった
 現代音楽を、格安で良質な演奏で堪能できた。
 
 そしてモートン・フェルドマン。
 彼の「ロスコチャペル」は驚きだった。
 ロスコチャペルとは、米国抽象表現主義の代表的な画家、
 マーク・ロスコが最晩年に、ある教会のために制作した作品を指す。
 その作品へのオマージュとして創られた曲らしい。

 今年の井上さんのリサイタルは「フェルドマン特集」。
 新宿オペラシティーの地下ホールは200名を超す聴衆で満杯。
 伊藤さん曰く、毎回大勢の聴衆が集まるこのコンサートは、
 「現代音楽界の七不思議」だそうだ。

 「ロスコチャペル」に感銘を受けた僕は、とても楽しみにしていた。 
 
 前半のメニューはフェルドマンの初期の作品。
 素人の感想だが、曲自体が硬い印象だった。
 良いか悪いかは分からないが、「ロスコチャペル」にみられた、
 緊迫した中の伸びやかさは感じられなかった。
 
 後半は50分を超える大作である「バニータ・マーカスのために」。
 
 前半はぼんやりと聴いていた。
 今回のコンサートの自分のテーマは「集中して聴かないこと」だった。
 変かも知れないが、コンサートに行けば誰しつい集中してしまう。
 あとはうっかり寝てしまう。よくあることだ。

 僕は普段から、コンサートの時ステージに集中しない。
 周りをキョロキョロ見渡す。
 僕なりに音を探しているのだ。
 だから本当はステージを凝視している人より、
 集中しているのかもしれない。

 だけどこの日はさらに、出来るだけ考え事をした。
 自分の絵のことや、コンサートの会場の構造や、
 沢山の聴衆の身なりやその他のことなど。
 集中しないで聴いた時の、音楽の姿を見ようとした。

 途中から、ふわふわとした不思議な感覚が現れた。
 音の少ないフェルドマンの音楽で、衣擦れの音や、
 咳の音、果ては携帯電話のバイブ音まで聞こえてきた。
 それらがピアノと一体になって、会場に漂っていたのだ。

 これはあくまでも、僕個人の感想であり、
 限りなく妄想に近いと思う。

 けれど湯川秀樹が書いた「知魚楽」。
 恵子が荘子に向かって
 「君は魚ではない。だから君には魚の楽しみは分からない」
 こう宣う。荘子はこう応える。
 「君は僕ではない。
 君には僕の気持ちが分からない。
 僕には、魚たちが楽しんで泳いでいるのが分かったんだ」と。

 僕は、コンサート会場に漂っている音を確かに見たのだ。  

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