2010年3月21日日曜日

4月になれば彼女は

 それにしても昨夜の嵐は凄まじかった。
 夜半に雨戸を全部閉めても、
 風の唸りが叫び声のようだった。

 一転して、今日の昼は3月とは思われないほど暖かく、
 夕暮れには夜の帳とともに、寒さが戻ってきた。

 今日は仕事で新宿のいつもの裏通りを歩いたが、
 頭の中で吉田拓郎が「春だったね」を歌っていた。
 帰り道は同じく拓郎の「また会おう」だった。
 途中で泉谷しげるが「春のからっ風」を歌ってた。
 拓郎も泉谷も特に楽しくはなさそうだった。
 
 僕はアイポッドは持っていないので
 頭の中を鳴り続ける音楽に合わせて、
 時折ハミングする。
 うっかりといい調子でS&Gの「冬の散歩道」歌ってしまい、
 周りの人に怪訝な目で見られた。

 街で目にする風景の一つ一つを、
 僕らは見ているようで見ていない。
 全体としても、細部であっても漠然と眺めているだけだ。
 
 だから、いつもと違う何かに焦点を合わせたとたん、
 見慣れた風景が何も知らない風景に感じられる。
 僕らは人を見ている時も、自分と言うフィルターを通して、
 その人を眺めている。

 自分という幻想からしか、
 世界を眺めることは出来ないように感じる。
 それでもそこにしか、世界は存在しないのだろう。

 西武線から見られる風景もすっかり様変わりした。
 梅が終わり、木蓮が盛りを過ぎ、
 うっすらとした新緑の緑と、桜の花がちらほらと見える。

 「4月になれば、彼女はやってくる
 川の流れは雨で水かさを増している」

 春の訪れとともに、
 今年も4分の1が過ぎようとしている。  

0 件のコメント:

コメントを投稿