それにしても昨夜の嵐は凄まじかった。
夜半に雨戸を全部閉めても、
風の唸りが叫び声のようだった。
一転して、今日の昼は3月とは思われないほど暖かく、
夕暮れには夜の帳とともに、寒さが戻ってきた。
今日は仕事で新宿のいつもの裏通りを歩いたが、
頭の中で吉田拓郎が「春だったね」を歌っていた。
帰り道は同じく拓郎の「また会おう」だった。
途中で泉谷しげるが「春のからっ風」を歌ってた。
拓郎も泉谷も特に楽しくはなさそうだった。
僕はアイポッドは持っていないので
頭の中を鳴り続ける音楽に合わせて、
時折ハミングする。
うっかりといい調子でS&Gの「冬の散歩道」歌ってしまい、
周りの人に怪訝な目で見られた。
街で目にする風景の一つ一つを、
僕らは見ているようで見ていない。
全体としても、細部であっても漠然と眺めているだけだ。
だから、いつもと違う何かに焦点を合わせたとたん、
見慣れた風景が何も知らない風景に感じられる。
僕らは人を見ている時も、自分と言うフィルターを通して、
その人を眺めている。
自分という幻想からしか、
世界を眺めることは出来ないように感じる。
それでもそこにしか、世界は存在しないのだろう。
西武線から見られる風景もすっかり様変わりした。
梅が終わり、木蓮が盛りを過ぎ、
うっすらとした新緑の緑と、桜の花がちらほらと見える。
「4月になれば、彼女はやってくる
川の流れは雨で水かさを増している」
春の訪れとともに、
今年も4分の1が過ぎようとしている。
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