2014年11月11日火曜日

きょうりゅうのプロントくん




プロントくんの絵本、「きょうりゅうのプロントくん」。
数年前から取り掛かり、昨年は彩色すれば完成の処まで行った。
しかし、2枚彩色したところで、頓挫。
どうにも彩色の感じが気に入らない。
線もどうにも硬い。

絵巻物風に描いた作品(写真参照)の方がよい。
どうしたものか・・・。
今年もあと1カ月半なのに・・・・。

2014年10月18日土曜日

行こうぜ!東北6

「仙台で行きたいところがあるんです。」
今回の東北の旅でK氏のリクエストは2つだけ。
1つ目は秋田の安藤昌益の墓。
2つ目が、仙台にある、アサヒビールの
パイロットショップだった。

少し迷って発見。
広くない店内は、若い人で賑わっていた。
50を過ぎたおっさんは我々だけか。
普段のよしいは、サッポロビールを好む。

それでもつぎたての生ビールは美味い。
地元野菜のステックは濃厚な味わい。
枝豆、ソーセージで2杯目へ。
「2杯目は体験コーナーへ行きましょう」
パイロットショップでは、
自分で生ビールを注ぐと認定証が貰えると言う。

気乗りしなかったよしいだが、
やってみたら思いのほか楽しくて、
黒生ビールがより美味しく感じられた。
 

お酒に弱いK氏と別れ、
一人で地元の居酒屋へ入った。
宮城の地酒が全て揃い、
良心的な価格で提供されていた。
おでんやもつ焼きで、銘酒浦霞をあおる。

最終日は何も決めてなかったが、
芭蕉由来の松島に行きたくなった。
松島は、海に浮かぶ数々の島が
津波の威力を和らげ、
被害が他地域に比べてずっと少なかったと言う。

伊達正宗に由来する、瑞巌寺(ずいがんじ)
正宗嫡孫の寺、円通院はともに素晴らしかった。
瑞巌寺境内にある洞穴のような建物に、
ただならぬ気配を感じた。
ガイドさん(30分/ 千円)をお願いして、
由来を聞いた。

岩手の毛越寺と同じく、
慈覚大師円仁が開いた「松島寺」だと言う。
岩を刳り貫いて、僧侶の修行部屋や生活の部屋を
岩山の中に築き上げたらしい。
室町まで続いたが、北条氏に滅ぼされ、
その後伊達正宗によって
禅宗の寺として再興された。

東日本大震災による津波は、山門から境内に達し、
塩害によって多くの杉の木が、伐採されていた。

帰りの東北道は工事による渋滞だった。
昼に仙台を発ったが、東京に着いたのは7時過ぎだった。

今回行けなかった「龍泉洞」、毛越寺と並ぶ世界遺産の
「無量光院跡」「観自在王院跡」「金鶏山」ほか、
まだまだ行きたい処が、沢山見つかった旅だった。
東北は、素晴らしい。行こうぜ!東北。
(完)

*写真 仙台のアサヒビールパイロットショップ
(撮影 K氏)

2014年10月13日月曜日

チューリッヒ美術館展

畳二枚分より大きな巨大な絵。

モネの晩年の連作「水連」だ。
池そのものと、水連の花と葉。
池に映る、木陰や、空。
そして、池の奥の水草が、
等身大で描かれている。
とても、70代の老人が描いた
作品には見えない。

夕暮れの時間だろう。
黄色とオレンジの光と、
紫色の影が強いコントラストを描く。

水連の左手には「積藁」シリーズの傑作、
右手もは「ロンドン」シリーズの佳作があった。

チューリッヒ美術館展は、
著名な作家の作品が部屋毎に纏められ、
ちょっとした個展のような展示が、
珍しく且つ良い空間を作っていた。
一作家でない場合は「シュールレアリズム」や
「ドイツ表現主義」「抽象絵画」みたいに、
テーマ別に配置されていた。

オスカー・ココシュカの作品も、
展示数、作品の大きさや質で、
満足できるものだった。
彼が恋人と別れた後、
しばし精神を病んでいたことを、
解説の文章で、初めて知った。

巨大な「モンタナの風景」は、
荒々しいタッチと、生々しい色彩で、
アルプスの町並みが蠢いていた。
大好きな浦上玉堂を思い起こした。

他にもセザンヌの傑作、モンドリアンの代表作、
バルラッハの素晴らしい木彫作品、
ホドラーの風景、パウル・クレーの色彩、
神秘的で魅惑的なキリコの「塔」の絵、
ムンク、ピカソ、ブラック、マチス、ルソーなど、
錚々たる名作揃いで驚かされた。

展覧会の最後の部屋が、画家兼彫刻家の
アルベルト・ジャコメッティの作品群だった。
スイス出身のジャコメッティだから、
チューリッヒ美術館展には相応しいわけだ。
数点のブロンズ彫刻と、
日本人哲学者「矢内原」を描いた油彩。

ぼくはジャコメッティの素描と油彩が好きで、
彫刻にはあまり惹かれなかった。
でも、「広場を横切る男」と題された、
ヒョロ長の人物彫刻には彼の意図を感じた。

出口の売店で迷った末、
10枚の絵葉書を購入した。
こんなに買うことはまずない。
もっと買っておけば良かったと
後悔したことは、記憶にない。

2014年10月9日木曜日

行こうぜ!東北 5

岩手県で最も行きたかった場所が、毛越寺だった。
(「もうつうじ」と読みます)

宮古から、陸前高田、釜石と海沿いの道路を抜け、
毛越寺がある平泉町へと向かう。
山道をかなりの時間走る。
行けども行けども、長閑な田舎の風景。
「本当にこの道で合ってるのかな・・・」
ちょっと不安になるほどだった。

漸く毛越寺の駐車場に到着。
良い雰囲気に気が焦る。
斜め前方に小学校が見えた。
作りがシックで、景観に配慮しているのが見てとれた。

入場券を購入し山門を通る。
正面に本堂、左手に宝物殿がある。
右に進むと、毛越寺の中心「浄土庭園」があった。
 

回りの杉並木、借景の山並みが美しい。
中心の池は見る立ち位置によって、
その表情を変える。

世界遺産にふさわしい堂々とした雰囲気があり、
尚且つ控えめな奥ゆかしさも感じられた。
観光客はそれなりに居るのだが、
蝉の声だけが賑やかで、静けさを感じた。

中尊寺には以前出かけたが、
今回は断念した。
あの頃は藤原氏三代にも、大した興味はなかった。

「そう言えば、三陸って何を指すんですかね?」K氏
「陸前とかですね・・」曖昧によしいは答えた。
調べてみれば何のことはない。
「陸前、陸中、陸奥で三陸」だ。
知っていたようで、あやふや。
そんな生き方で齢55歳まで生きてきたわけだ。

毛越寺は想像を超えて素晴らしかった。
受付の女性が、品がよく美しかった。
そんな余韻を胸に、宿泊先の仙台へ向かった。
(続く)  
*写真 毛越寺(撮影 K氏)

2014年10月8日水曜日

マーク・ロスコ -イメージと神話-

神話無き時代の神話。
芸術は、そんな現代の神話にたとえられる。

ヤコブ・バール=テシューヴァ著の
「マーク・ロスコ」を読んだ。
米国戦後の画家、ロスコの作品と生涯を
概説したものである。

「芸術を賞味することは、
心と心が結婚することなのだ」
そうロスコは語る。
「悲劇的体験こそは芸術の唯一の源」

宗教人類学者の中沢新一は
「神話こそ最古の哲学だ」と言う。
ロスコの絵画はまた、
神話的な体験を絵画の中に潜ませている。

曖昧で茫洋とした矩形が画面に漂う。
一見単純で捉えどころがない。
多くて三つほどの、彩色された矩形(横長の四角形)が
縦一列に背景の色彩の中に漂う。
時に鮮やかに時に沈んだ色調で。

色彩は見る人に心へ、
直接的に語りかける。
矩形もまた、強いイメージを形成する。
それらは、変化するように見えながら、
決して変わることのない世界のようだ。

真理の世界や神の世界が、普遍的なように、
ロスコの絵画も普遍性への憧憬が、
見て取れる。

変らないもの、彼岸に対する憧れが、
ロスコの絵画のイメージを
より強固なものしているのだろう。

生きているものは、絶えず変化する。
生れて成長し、やがて老いて朽ち果てる。
移りゆくものを捉える営み。
多様で雑多な此岸への憧れを、
ぼくはTokyo UFOやtokyo Dragonに描いた。

表現や表現の根底にある哲学が異なっても、
芸術はイメージと神話なしには生まれない。

イメージの持つ力はとても強く、
神話は解釈されても、説明され尽きることは無い。
ロスコの絵画の深淵さには、そんな秘密があるのだろう。

2014年10月5日日曜日

行こうぜ! 東北4

盛岡から、山道をほぼ休憩なしで、
グリーピア宮古ホテルに着いたのは、
夕暮れ前の6時半ごろだった。

ホテル手前に多くの仮設住宅があり、
テレビで何度か見た、仮設の商店街の食堂も見えた。
「夕飯はあそこで食べたいですね・・」

ホテルでチェックインを済ませ、とりあえず部屋へ。
仮設の食堂へ向かう。チキンカツをつまみに
ビールを飲む。昼食抜きだったので尚美味い。

大浴場で疲れを取り、浴衣に着替えて
最上階のバーラウンジにK氏と行った。
店の看板には「リアス」と書いてあった。
「おっ!(朝ドラ)『あまちゃん』と同じだ!」
あまちゃんの大ファンだったぼくのテンションがあがった。

何となく店内も「あまちゃん」の「利明日(リアス)」に似ている。
「あちらが真似したんですよ」店のママさんが言う。
歌ったのは勿論「潮騒のメモリー」だ。
「来てよ~♪その火を飛び越えて~
砂に書いた~アイミスユー~♪」

朝風呂の後、広い敷地を散策。
暫く歩くと、崖地の松林の合間から、
朝の光に輝く宮古の海が見えた。「美しい」

朝食バイキングの大食堂へ。
夜はほとんど見かけなかった宿泊客。
こんなに居たのかと言うほどの盛況ぶり。

「ここの朝食美味いですね」
「よしいさん。それしか食べないの」
あまりの美味しさに御替りが抑え切れないK氏。
焼き魚に煮物など、一見ありふれた料理なのだが、
物凄く旨い。また食べに来たいと思った。

昨夜、仮設の食堂で被災地の絵葉書を買った。
リアス式海岸は津波の被害が大きい。
宮古たろうホテルや陸前高田を訪ねる。
大震災から3年が経ち、瓦礫こそ無かった。
しかし見渡す限り更地で、復興は始まったばかりだった。
(続く)

  
 
*宮古たろうホテル(撮影K氏)

2014年9月25日木曜日

行こうぜ!東北3

東北の緑は深い。
以前、岩手山を望むサービスエリアでそう思った。

安藤昌益の墓所から、角館へ向かう。
田圃道から、山道へ入り、道の駅で小休止。
昼前に、漸く角館に着く。

さすがに観光名所だけあって、
駐車場も混み合っていた。
「お昼ごはん、どうしますかね?」
「ぼくは余りお腹が空いてないけど、
食べますかね・・・」とK氏。

安藤昌益の墓に着く前に、
「朝ごはんです」と言って、
一人、お握りとパンを食べるK氏。
6時に味噌ラーメン食べて、
2度目の朝ごはん。
ドライブインではソフトクリームも食べていた。

とりあえず武家屋敷に向かう。
想像した通り、美しい町並み。
建物もよいが、よく手入れされた庭が良い。

最も有名な青柳家に入る。ここだけ有料。
秋田蘭画の創始者、小野田直武の像や、絵を見る。
「なるほど・・。『解体新書』の表紙絵も、
小野田直武だったんだ・・・」
画家の端くれとして、秋田蘭画を知ってはいた。
しかし改めて日本近代洋画への道筋を
作っていた事実を知った。

結局、昼ごはんはソフトクリームだけだった。
角館から、岩手県の宮古へ向かう。
「けっこう、かかりますよ」
ナビの設定時間と距離を見て、K氏が言う。

盛岡を通過する時、通勤渋滞に巻き込まれる。
盛岡を抜けたとたん、凄い山道。
地図では主要道路だから、
大きな道だと思ったら、片側一車線。
ほとんど人家すら無い。
「やっぱり、東北の緑は濃いな・・」

そんな感慨に耽っていたら、
後ろの車に煽られた。
一車線だから、そのまま行くが、
見晴らしの良い、直線で抜かれた。
車の後ろにはシルバードライバーのマークがあった。

日暮れの頃に、グリーンピア三陸宮古ホテルに着いた。
(続く)

*写真 角館(撮影/K氏)



 

2014年9月15日月曜日

行こうぜ!東北 2

「運転中に聞く音楽を用意しました。」
K氏はそう言った。
カーステレオから流れた1曲目は
ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」だった。

「ため息の出るよーーな、恋の歓びに・・」
CDの1枚目は70年代の歌謡曲だった。
奥村チヨの「恋の奴隷」ピンキーとキラーズ
「恋の季節」全部「恋の」で始まる。

弘田美枝子「人形の家」千賀かほる「真夜中のギター」
どれもよく覚えている。

所沢インターから、車は東北道へ向かった。
運転はだいたい2時間で交替と決めていた。
K氏のプリウスを運転するのは、
以前青森と函館を旅した時以来。
8年ぶりだろうか。

夜の10時半に東京を出発。
途中で仮眠を取り、宮城県のインターで
朝食として味噌ラーメンを食す。
仙台味噌を使ったラーメンは美味しかった。

美しい岩手山を眺め、
最初の訪問地、秋田県北部にある
安藤昌益の墓を訪ねる。
K氏の希望だ。
K氏は仲間と高知県にある
幸徳秋水の墓を訪ねたことがあり、
安藤昌益の墓も行きたいと思ったいう。

江戸末期に「万民は平等」を唱えた
秋田藩の医師。著書に「自然真営道」がある。

「何かいいですね、ここ」
安藤昌益のことなど何一つ知らないで来た。
長閑な田園の中に建つお寺の墓地。
 
K氏とぼくは墓前に手を合わせた。
(続く)
*写真「安藤昌益の墓」 K氏撮影

2014年9月7日日曜日

行こうぜ!東北 1

二泊四日で東北三県を巡って来ました。
友人のプリウスで二泊四日(車中泊1)の観光の旅。

 


ぼくが行きたかったのは三か所。
秋田の角館、岩手の毛越寺(もうつうじ)と陸前高田。
(続く)


写真-上 毛越寺
     下 浄土ヶ浜
*7K氏撮影

2014年8月18日月曜日

ビリョクだけどムリョクじゃない

長崎、原爆の日の追悼式典。
市長が紹介した長崎県高校生の言葉。
「ビリョクだけどムリョクじゃない」
力づけられる言葉に、少しだけ涙した。

オバマ大統領が就任直後に
「世界の核兵器の廃絶」を訴え、
核軍縮が進むかに思われた。

しかし核兵器は無くならないどころか、
保有国の拡大が懸念されている。
日本でも、「核兵器の保有を」と
主張している政治家もいる。

福島原発事故で産み出された、
放射性廃棄物の仮処分場が問題になっている。
候補の自治体は、反対の声を上げている。

国会議員宿舎を廃止して、
その跡地に大きな地下貯蔵庫を作ったらどうか。
あるいは東京電力本社に保存所を建設する。

暴論と言われるだろう。
あの地域の住民なら激怒されるだろう。
では、何処に保存したら暴論ではないのだろうか。

政治家や官僚や東電が「絶対安全」な
仮処分場を作ろうとするならば、
都心こそが相応しいのではないか。
自分たちがリスクを背負わずに、
どうやって細心の「安全」を目指すのだろうか。

フィンランドの電力会社本社は、
原発の隣に建てられてるのを、
テレビで見て少しだけ感心した。
自分たちがリスクを負っているからだ。

フィンランドには「オンロカ」と呼ばれる
核廃棄物の最終処分場も建設されている。

日本では最終処分場の候補地すら未決定で、
あらゆるリスクは先送りされ、
未来と地域に負担を強いる。

核兵器廃絶の署名を集め、
各国の高校生と交流を試み、
核保有国へ手紙を書く、
長崎県の高校生の取り組み。

「ビリョクだけどムリョクじゃない」
に見習いたいと思った。

2014年8月6日水曜日

朝日のような夕日をつれて

鴻上尚史の本、
「孤独と不安のレッスン」を読んだ。

手を取る前にちょっとだけ躊躇した。
齢55歳にもなって、この手の啓蒙書は恥ずかしいかなと。
でもちょっと読み始めたら、想像以上に面白かった。

「本物の孤独」と向かい合うことの重要性、
「前向きの不安」は自分を成長させるなど、
当たり前のことだけど、なるほどなと思った。

日本では『世間』が西洋の神のような存在であり、
日本ほど世間による『同調圧力』の強い国はない。
「同じような存在」であることを強いる文化だということだ。
この「同調圧力」が日本社会を、
息苦しいものにしていると、鴻上氏は書く。

ただ八百万の神が居て、
神仏混淆もこの国の文化の姿である。

西洋文化、特にキリスト教プロテスタントの持つ、
「神」⇔「個人」という関係性は、
強力な「垂直圧力」を持つ文化を生んだと考えている。
その点についての鴻上氏の考えが知りたかった。

17年ぶりの公演となる、
「朝日のような夕日をつれて」を観に、
新宿紀伊国屋ホールへ友人と出かけた。
受付の脇にはいつものように、
鴻上氏が立っていた。

仏劇作家ベケットの「ゴドーを待ちながら」
神なき時代の不条理を描いた物語らしい。
鴻上氏が「ごあいさつ」で書いているように、
ベケットの戯曲が「朝日のような夕日をつれて」
の下敷として存在している。
「孤独と不安」もこの芝居の
重要なテーマとなっている。

33年前の早稲田大学構内テントで旗揚げされた、
劇団第三舞台の「朝日のような夕日をつれて」を観ている。
メンバーは友人の大高以外入れ替わっている。

それでも今年の3月に見た、
ローリングストーンズのライブみたいに、
年輪を重ねた、作演出と役者、スタッフによって、
この度の「朝日」も素晴らしい舞台だった。

2014年8月4日月曜日

すべての人の心に花を


 
早咲きの秋桜が真っ盛りだ。
オレンジ色が涼しげで良い。
桔梗の薄紫も大好きだ。
 
小ぶりな向日葵は夏らしくて良い。
百日紅は薄いピンクが良いと思う。
年々歳々花相似たり。
歳々年々人同じからず。
 
花が何故あのような色彩を持ったのか。
現代ならば遺伝子の掛け合わせも出来る。
しかし、そもそもどうやって色彩を得たのか?
それは現代の最新の生物学でも不明らしい。
 
全ての植物は、葉緑体と呼ばれる
組織を持っている。
この葉緑体が、太陽のエネルギーと
二酸化炭素を酸素に変えている。
いわゆる「光合成」だ。
 
二酸化炭素の排出量の制限は必要だろう。
でも排出権の売買は如何だろう。
排出規模に応じて、
それぞれ植林や緑化を義務付けたらどうだろうか。
 
東京や全ての都市が緑化したら
世界の風景は一変するだろう。
そして争いごとも、
少しは減るような気がするのだ。
 
「伸びるより咲いている」山頭火

2014年7月28日月曜日

真夏の夜の夢

「ライバルはダ・ヴィンチ。
えっ?レオナルド・ダ・ヴィンチだよ」
そう公言して10数年が経つ。

ぼくは自称‘世界で5本の指に入る画家’だが、
日本では50人にも入らない。
これは製本職人のナカちゃんの受け売りだ。
「日本の方がレベル高いんだよ!」
ナカちゃんは笑いながら、そう言い放つ。
いつもの百薬でビールを片手に。

ほとんどの画家は誇大妄想家だと思う。
絵に限らず、妄想は芸術の原点なのだろう。
けれど、どんなに愚かで傲慢な芸術家でも、
芸術には果てしない高みがあることを知っている。

本当は、どんな天才芸術家でも、
芸術そのものが持つ崇高さには及ばない。
人類が成しえた、大きな文化の厚みの中に、
一人ひとりの芸術家が存在しているだけなのだ。

ぼくがダ・ヴィンチを引き合いに出すのは、
彼もそういう大きな芸術の枠組みの中に居ること、
そして彼を「万能の天才」という肩書でくくるのは、
とてもつまらないことだと思うからだ。

ウィリアム・シェークスピアは芸術的には不毛の国だった、
16世紀の英国に忽然と現れた。
戯曲「真夏の夜の夢」は1595年、
シェイクスピア31歳の時の作とされる。
「ロミオとジュリエット」も同年作である。

バッハの多くの曲は、
すべて彼のオリジナルではなく、
当時存在したメロディを対位法や
その他の工夫により、
より高次な楽曲になったとされている。

シェイクスピアの戯曲も、
元から在ったお話を彼の独創によって
再創造された作品だとされている。

ダ・ヴィンチの絵画も、
当時のイタリア・ルネッサンスの影響なしには
存在しなかった。
けれど、「モナ・リザ」等に描かれた背景の風景、
あのような表現は以前になかったものだ。

彼らの時代、彼らの国では
現代の熱帯夜などなかったことだろう。
それでも暑かった日の夜に、
彼らはそれぞれの夢を描いたのだろう。

2014年7月20日日曜日

たそがれ王子


たそがれ時の風景が好きだ。
特に、夏の始まりから、終わりにかけて。

秋や冬も良いけれど、
夏の雲を背景とした夕暮れは格別だと思う。

積乱雲や様々な雲たちが、大空に浮かぶさま。
地球という星の、惑星としてのスケールを感じる。
強い夏の陽射しの空と、地上の木々や建物の闇。
このコントラストが夏のたそがれを、
よりドラマチックにしていると思う。

夏の暑さは疎ましい。
蒸し暑い日は尚更だ。
それでも、夕暮れ時になれば
「たそがれ王子」が顔を見せる。

たそがれ王子は夏の空を舞い、
雲の上に遊ぶ。
小さな笛やハーモニカを持っている。

たそがれ王子が奏でる音楽。
夕暮れのオレンジ色の光と混じり合い、
やがて美しく深い藍色になる。

*写真1-萩山駅周辺(7/11撮影)
  写真2-1984年ごろ作「たそがれ王子」

2014年7月2日水曜日

負の世界遺産

「戦前の治安維持法も
初めは一般人とは無関係だと思われていた」
85歳になった父が言った、

「それがいつの間にか拡大解釈されて、
あんな悪法になった」
特定秘密保護法は、どうなのだろうか。

不思議なのは、政府与党の人間でも
知ることが出来ない内容もあるし、
自分たちが野党になったら、
ますます知りえない。
そんな事態を想定しているのだろうか。
「こんなはずではなかった・・・」
彼らは(ぼくらは)そう呟かないだろうか。

セブンイレブンで雑誌「負の世界遺産」を買った。
チェルノブイリ原発、グランドゼロ、
アウシュビッツ強制収容所、板門店、
スリーマイル島、リオのファベーラ、
ビキニ環礁、知覧特攻平和会館、
長崎原爆資料館、ひめゆりの塔など
世界史の負の部分を特集したものだ。
「負の世界遺産」は人間の愚かさの証左でもある。
私自身の愚かさを見つめる本でもある。

昨日閣議決定した「集団的自衛権の行使容認」
特定秘密保護法と併せて、
21世紀の「負の遺産」になりはしないか。

原発の「絶対安全神話」の時も
それで得をしている人たちに
お人よしの国民は騙されていただけだった。
絶対安全なんて、「何でも突き破る矛」と
「どんなものでも跳ね返す盾」と
同じような論理だった。

集団的自衛権の容認の先にあるもの。
憲法9条との矛盾は甚だしく大きくなる。
「だから改憲しよう」と言い出したいのだろう。
軍事輸出に力を入れようとしている、
一部の企業と関連する行政は、
にんまりするのだろう。

「集団的自衛権の行使」については
憲法に抵触する可能性があるとされる。
今後日本の各地で訴訟が起きるだろう。

その時、三権分立がどう機能するのだろうか。
マスコミはそれをどう報道し、
どのような論評をするのだろうか。

私はそのような夏を
おろおろと歩くのだろうか。

2014年7月1日。
日本の悲劇はあの日から始まったと、
未来の日本人は記すのだろうか。

2014年6月28日土曜日

羊男と戦争

「どうしてここに隠れて住むようになったの?」(略)
「戦争に行きたくなかったからさ」
-羊男-村上春樹「羊をめぐる冒険」より

「気をつけるんだよ。殺されたくなければ、気を付けた方がいい
戦争というのは必ずあるんだ。いつでも必ずある。(略)
人間というのはね、心底では殺しあうのが好きなんだ。(略)」
-羊男-村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」より

-非戦を広告する-1982年6月1日・雑誌「広告批評」より

「まず、総理から前線へ」(コピー・糸井重里)

「殺されるために、生まれたんじゃない。
殺すために生まれてきたんじゃない」
(コピー・戸田裕一)

「いかない人がやりたがる」(コピー・岩崎俊一)

「誰のために死ぬのか、軍隊はいつも軍隊のためにある。(略)」
(コピー・小野田隆雄)

「戦争は、あなたが人を殺すこと」(コピー・上田耕平)

「兄弟みな人類」(コピー・佐々木克彦)

「とにかく死ぬのヤだもんね」(コピー・糸井重里)

「戦争はぜいたくだ」(コピー・犬山達四朗)

「アタシ、弱いのよ。」(コピー・糸井重里)

「戦死、お先にどうぞ。」(コピー・菅三鶴)

「若者がスニーカから窮屈な靴に履きかえることが
ないように、戦争に反対します。(略)」
(コピー・徳島昭)

「ノオー!」(コピー・多比羅孝)

2014年6月17日火曜日

小さなアトリエ -スタジオ・キャット-

小さな、とても小さなアトリエを得て1年半がたった。
アトリエの無かった以前と比べて、確実に制作時間が増えた。
 
「ぼくには日曜日がない」
と言った,パブロ・ピカソの真意が分かるようになった。
毎日、制作を欠かさないから、所謂日曜日など無い訳だ。
 
ヘボ絵描きにも精進は必要だ。
正確には精進などではない。
描きたいから描いている、
それだけのことだ。
 
 
 
 
 
お金持ちになる予定も、
画家としてブレークする予定もない。
 
でも大金持ちになったら、何がしたいか。
出来るだけ、今と同じことをしたい。
絵を描き、モノを作りたい。
アニメや絵本を創作したい。
 
ギターを弾いて、ピアノを鳴らしたい。
セッションやライブでシャウトしたい。
テニスが上手くなりたい。
試合に出て、もっと勝てるようになりたい。
教える仕事を除いて、今と同じことを望む。
 
もし大金を使うならば、
モンドリアンか誰かの絵を買いたい。
軽井沢か清里にアトリエを持ちたい。
 
でもこの小さなアトリエを
自分のホームグランドにしたい。
 
*写真左はアトリエの机上
右はアトリエ壁面
  

2014年6月8日日曜日

見知らぬ駅で

「すいません。
乗り過ごしたみたいなんですけど・・・」
ぼくは小さな駅の改札で駅員に尋ねた。

ひとつ前の駅を通り過ぎた時、
知らない駅の表示に気付いたのだ。
ぼくは、パスモの定期券を駅員に見せた。

「おかしいなあ・・・」
帽子をきっちりと被った真面目そうな若い駅員が言った。
「定期券の駅から、何度も乗り換えをしないと
ここの駅には着かないんです」
「えっ。〇〇駅から、何時間ぐらいかかりますか?」
「うーーん。〇時間ですね・・」

咄嗟に曜日と時間が気になった。
今日は何曜日で、今何時なのだろう?
駅の周りは小さな山に囲まれていた。
裸の山に、処々白いものが見えた。

駅舎を出て、階段を下った。
駅は丘の上にあった。奥多摩線に似ている。
近づいてみると、白いものは雪だった。
雪?今は何月なんだ?
白い雪は、残雪ではなく新雪だった。
でも寒くはない。

通りすがりの高校生に尋ねる。
「ここは何処ですか?」
詰襟の学生服をきた男の子が答える。
「〇〇漁港です」
「漁港?」
男の子は坂の下を指差した。

坂を下った右手には海が広がり、
太陽がキラキラと波間に揺れていた。
岸部には割合大きな港があり、
港の周りには街並みが見えた。

振り返ると駅舎があり、
小さな駅前の長い階段には、
通勤客や通学客とおぼしき人が見えた。

頭のうしろから、聴き慣れた声が聞こえた。
以前同僚だった人だ。誰だっけ?
「それでさ、こうなったわけ」
大きな声で隣の少女に話しかけている。

「ああ、〇〇〇さんか・・・・」
それで漸く、ぼくはこの夢から目覚めた。

2014年6月6日金曜日

大きな女王と小さな王様

女王は緋色のドレス
朝食のコーヒーを飲んだ後は
ピアノに向かって、鍵盤を叩く

お気に入りはドビッシー、ラベル、リスト
「巡礼の年」より「ゴンドラを漕ぐ女」
バックハウスが彼女のお手本

王様は濃紺の衣装
大きな薔薇の庭に立つ
小ぶりの花瓶に
サーモンピンクの花
薔薇の棘が王様の指を刺す

曇りがちな6月の空
湿った雨の匂い
丘の上に立つ王の屋敷
麓の牧草と羊の群れ
王様は公爵夫人に想いを寄せる

休日の午後
女王は薔薇の絵を描く
ありったけの集中力で

公爵は女王に微笑む
女王は微笑みを返す
ダージリンの香りと薔薇の香り

昼食の後
女王と王様と公爵夫人と公爵
四人は丸いテーブルに着き
カードゲームを始める
女王が勝ち、王様は負ける
公爵夫人が勝ち、公爵は負ける

子どもたちは知っている
やがて自分も大人になり
退屈な女王、王様、公爵夫人、公爵
そんな存在になることを
そして楽しくもないカードゲームを始めることを

大人たちは忘れている
そんな大人になることを
恐れていた自分がいたことを
そんな大人にはならないと
誓ったあの日のことを

今日も雨は降りだした
晩餐会の夜に
子どもたちの夢は
流れて消えた

2014年6月1日日曜日

夢見るテレーズ

瞳を閉じて、両手を頭上に組み合わせ、
左膝を立てて、スカートの中の下着を露わにするテレーズ。

思った以上に重厚感があり、
しっかりとした構成力を感じた。
それでいながら、堅苦しさは無い。
少女の上半身はしなやかで、
衣はあくまでも柔らかい。
色は渋みがありながら、
不用意に濁らせた処は何処にも見当たらない。

少女からはエロス(生きる力)を感じるが、
同時にタナトス(死へ向かう力)や、
生の危うさ、はかなさも感じる。

手前に描かれた皿をなめる猫や、
左手の椅子の脚は意図的に
描きかけのように表現されている。

絵画のリアリティには仕掛けが必要だ。
そして見たもの、感じたことに忠実でありながら、
そこから逸脱する意志が大切になる。、

エロスは移ろい行く生そのものであり、
タナトスは不変の死の世界を表す。
エロスとタナトスのせめぎあいは、
芸術の持つ「永遠への憧れ」と
常に変化して止まない「時代の精神」
という矛盾した主題と重なると思う。
 

バルテュスの絵画には、
そういった主題への挑戦が見て取れる。

時代の流行には背を向けて、
自らを「芸術家でなく職人」と呼んだバルテュス。
ピカソがバルテュスを
「20世紀最後の巨匠」と言ったのも
さもありなんと思わせる。
それほど力に溢れた作品群だった。

少女は画家のイメージの源泉であり、
バルテュス芸術の道警の象徴であったのだろう。

21世紀の東京でバルテュスと出会えて、
幸せなひとときを得た。

2014年5月11日日曜日

朝めしの問題




朝ごはんをほとんど毎日作って食べている。
和食が多いが、たまにパンの時もある。
朝、ごはんを炊くと弁当かお握りをこしらえる。

        
倹約もあるし、ダイエットもあるが、やはり作るのが好きなのだ。
自分で自分の好みの味にするわけだから、
美味いに決まっている。

絵を描いても、ギターで歌っても、雑文を書いても、
最初の顧客は自分自身だ。
自分を楽しませること、自分を感動させること、
そうでなければ、人は喜んでくれない。
たぶん、北大路魯山人も同じことを言っただろう。

美味しそうな朝ごはんは、自分を元気にする。

上-ハムチーズトーストにバジルのせ/野菜とハムのサラダ
下-豚焼肉キャベツサラダ/豚汁/ごはんに梅干し   
    
                 
   
            

2014年5月5日月曜日

卵男とセイウチ男

ハンプティ・ダンプティは卵男。
いつも卵を食べている。

セイウチ男は牡蠣が好き。
狂った大工と手を握り、
牡蠣を騙して、ムシャムシャムシャ。

不思議なバスが行き着くところ。
マーマレードの海の上、
若草色のボートに乗って、
世界の果てで、出会う人。

卵男はこう尋ねる。
「一番大きくて、一番小さいものはなあに?」
セイウチ男はこう答える。
「一番綺麗で、一番醜いものさ」
アリスは少し恐ろしくなる。

ベンチの上にはコーンフレーク。
バスが来るのを待っている。
××企業のシャツを着て、
鼻の下を伸ばしている。

卵男は塀の上。
ハンプティとダンプティ。
二人は知っている。
何処にも意味など無いことを。
それでも意味を求める心。

セイウチ男は岩の上。
波打ち際がお気に入り。
海の彼方を見つめている。
特に深い考えはない。

月曜日は頑固者。
金曜日は浮気者。
卵男とセイウチ男。

あなたは薔薇の名前を、
アリスに向かって叫ぶだろう。

2014年5月2日金曜日

東京百景Ⅱ


  
 
NHK朝ドラで社旗現象になった
「あまちゃん」の脚本家クドカンこと宮藤官九郎。
監督をした「少年メリケンサック」のインタビューで
こう答えていた。
「何か面白いことないかなと、いつもキョロキョロしている。
だから、よく職務質問にあう」
 
ぼくは光の具合がいい時、やはりキョロキョロしてしまう。
風景に魔法がかかる瞬間を捉えたいからだ。
だからクドカンほどじゃないけど、
ときどき職務質問に遭う。
 
上/新宿駅南口 2011/4/11
中/小平市萩山団地 2013/1/20
下/東村山小川駅近辺 2010/1/9
 

2014年4月27日日曜日

東京百景



荒木経惟(アラーキー)や、植田正治の写真が好きだ。

アラーキーの風景写真は、日常的なのにどこか違う。
対象はごくありふれた街並み、空。
でもアラーキーが撮ると、独特の情緒が生まれる。不思議だ。

植田正治の写真は鳥取砂丘のシリーズが有名。
家族や、近所の子供たちが、
砂丘と空のみの背景に、
植田の演出通りのポーズをとる。

ぼくも風景写真を時々撮っている。
それらはTokyo UFO Tokyo Dragon
の背景にも現れる。

大好きな二入の写真家の影響で、
ちょっと不思議な感じの写真が
撮れると嬉しい。

上はお茶の水駅周辺 (2010年2月3日)
下はお台場周辺である。(2013年5月4日)

2014年4月20日日曜日

明日なき世界

「風の谷のナウシカ」を久しぶりに読んだ。

戦争という人災がもたらした未来の世界。
瘴気と言う毒を吐き出す腐海。
利害や欲望のために、戦争を止められない
皇帝や権力者たち。

数年前と違って、
今の世界とダブって見えて来た。
とても残念なことに。

敵愾心を煽る社会。
単一の価値観を押し付けようとする権力者。
福島原発事故は腐海と同じく、
人の住めない世界を作り出した。

「原発の絶対安全神話」
「原発停止による電力不足」
「電力コストが安い原発」
ほんの少し前に、私たちが信じ込まされていたこと。
ほんの少し前のことだ。

「喉もと過ぎれば、熱さを忘れる」
でも本当に煮え湯を飲まされた人は、決して忘れはしない。
故郷を失くした人たちだ。

坂本龍一がビッグイシューのインタビューで語っていた。
「今まで敵だと思っていた人とも連携する必要がある。
そうしないと後20年で世界は終わってしまうかもしれない」
仲間内で自分たちの正しさを確かめあってもダメだと。
自分と反対の人を向き合う度量が必要だと。

本当の敵は、私の中にあるのだろう。
欲深く、権力や権威に弱い私の中に。

「苦しみや悲劇やおろかさは
清浄な世界でもなくなりはしない。
それは人間の一部だから」
そうナウシカは言う。

「俺たちみんなの中にヒトラーはいるけど、
同時に僕らは愛と平和をもっている」
ジョン・レノン

自分の中のヒトラー(弱さ・醜さ)を認めること。
それがヒトラーにならない為の秘訣だろう。

どんな人間でも過ちは犯す。
国家も権力者も人間の集まりだから、過ちを犯す。
自分も国家もおろかさと向き合わないといけない。
おろかさと向き合うことでしか、
私たちは学べないのだと思うから。

2014年4月19日土曜日

ナウシカの言葉

「どんなにみじめな生命であっても、

生命はそれ自体の力によって

生きています。

この星では生命は

それ自体が奇蹟なのです」


「生きることは変わることだ。

王蟲も粘菌も草木も

人間も変わっていくだろう。

腐海も共に生きるだろう」


「苦しみや悲劇やおろかさは

清浄な世界でもなくなりはしない。

それは人間の一部だから。

だからこそ苦界にあっても、

喜びやかがやきもまたあるのに・・・」


「巨大な墓や下僕などなくとも

私たちは世界の美しさ残酷さを

知ることができる。

私達の神は一枚の葉や

一匹の蟲にすら

宿っているからだ」

2014年4月6日日曜日

はるヲうるひと

春は恐ろしい。
気温差が大きく、老人がよく死ぬ。
自律神経がおかしくなる。

自殺者が多いのも春。
性犯罪が多いのも春。
前の彼女にふられたのも、
初恋の由美ちゃんにふられたのも春だ。

劇団ちからわざ第12回公演「はるヲうるひと」
素晴らしく、恐ろしい芝居である。
劇団主宰・作の佐藤二郎。
人間の持つ業、欲望や暴力性を露わにする。

友人の大高洋夫が演じる真柴哲雄。
はるヲうる娼婦たちの女衒として、暴力的に宿を支配する。
芝居は親子愛や兄弟愛、そして愛と欲望はどう違うのかを問う。
恐ろしく赤裸々に、情け容赦なく。

性を扱うのは難しい。でも我々は性を避けて生きられない。
それを、自分の性欲を、否定しようがしまいがである。

最近読み終えた米国作家のジョン・アーヴィングの小説、
「ひとりの体で」In  One  Person.
バイセクシャルである作家の自伝的小説らしい。
初めて恋したのが残虐なレスリング選手の男子。
次に恋したのが大柄で美しいトランスジェンダーの司書。
エイズの嵐と死に行く友人。家族たち。
下品な場面もエロスもさらりと描ききる。

エロス=生きる欲望(性欲も)タナトス=死への欲望(怖れ)
「はるヲうるひと」はエロスとタナトスを正面から描こうとしている。
芸術を創る人は「野蛮人」でないといけない。
芸術には狂気や毒が含まれているからだ。
しかも「繊細」でないといけない。世界を感じ取る力が必要だからだ。
この二つを併せ持つ、強靭な精神力を作り上げる努力が不可欠だ。

ヘボ絵描きの自分を奮い立たせてくれる、そんな芝居だった。

それにしても演出・堤泰之氏の大高評はよかった。
「大高洋夫は自ら焼いたパンを稽古場でみんなに振る舞うぐらい
よいパパなのに、殺し屋の目をしている」

羨ましい。
ぼくのライバル、ダヴィンチもピカソもゴーギャンも
殺し屋の目をしている。
ぼくの目は・・・・・。
残念ながら、優しい子羊の目なのだ。

2014年4月5日土曜日

ひさかたの

「ひさかたの光のどけき春の日のしづ心なく花の散るらむ」




紀友則

2014年4月2日水曜日

じゃみる *泣き叫ぶ

「あそこんちのオジ、ごーぎじゃみて、あたけてたのー」
「そいがー。なしたがろうかねー」

*訳 「あそこの家の次男坊が、物凄く泣き叫んで暴れていたよ」
 「そうなの。どうしたんだろうかねー」

「じゃみる」とか「あたける」てば、まだ使こうてるがろうかね。
(使っているんだろうかね)
オラは普段東京にいるすけ、(居るので)
なんも(全然)わからねーの。

しかし春になったのー。
こないさ(この前)実家の片貝(新潟県小千谷市片貝町)
に帰ってたまげた(驚いた)がども(だけでど)、
いっこ(ほとんど)雪がねえ。
こんげにねーがは、記憶にねえぐれーら。(無いほどだ)

たまげたと言えば、仲間と箱根に行ったが。
オラたちは朝から呑んでいい気分らった。
箱根湯本の干物屋さんの前、
お土産の干物を七輪で試食してたが。

人だかりの中に外人さんが居ての。
オラに英語で話しかけてきたがて。
「オラはヒッチハイクで西日本に行ぐ気らども、
オメさんどう思う?」
オラは答えた。
「日本じゃヒッチハイクはあんまポピュラーらねんだ、
難しいども、不可能ではねえと思うれ」
「オメさんは芸術家らか」と外人さん。
「そうら。オメさん何処から来なしたが?」(来たのですか)
「ニューヨーク」
「オラの知り合いにニューヨーク出身のしょ(人)が居るれ」
*会話は全部英語でした

ほしたけば(そうしていると)、
外人さんとオラをずっとカメラが追っかけているがに(ことに)
オラは気が付いて尋ねたが。
「オメさんらてば、何のが」
「テレビ東京らて」
「この外人さんを追っ掛けてるが。
『YOUは何しに日本へ』らて」
「ほいが」(そうですか)
「使うか分からんども、オンエアしてもいいろかね」
「どうせ使わんがろう。いいれ」(いいですよ)

テレビに出るがはしょうしい(恥ずかしい)んだいいろも、
たまげたども面白かったてー。

東京は桜が満開で、新緑の季節になったの。
花粉症がねーけば、いい季節らの。

2014年3月22日土曜日

気まぐれ美術館

昔、銀座にあった「現代画廊」
美術評論家の州之内徹が画廊主だった。

確か一度だけ迷いこんだ記憶がある。
20代の頃だったと思う。
もしかしたら、州之内氏本人もそこに居たかもしれない。
でもぼくはちらっと作品を眺めて、
すぐにその場を立ち去ってしまった。

当時のぼくは抽象画の最先端の作品を求めていた。
もはや古典と呼んでもいいような
米国の抽象表現主義の作家の作品、
ジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマン、
マーク・ロスコらの作品を見られる機会は、
東京に居てもほとんどなかった。

ぼくが高校時代慣れ親しんでいた「長岡現代美術館」
あそこに匹敵する美術館さえ東京には無かったのである。
ごくたまに美術館ではなく、銀座の画廊で
それらやもっと新しい作品群に出会うことが出来た。

州之内氏の好みは、時流の抽象画には見向きもせず、
村山槐多や靉光など一世代よりもっと古い具象画や、
現代でも無名な、彼の独自の審美眼で見いだされた作家などが、
彼の画廊に飾られていた。

「よしいの絵は槐多に似ている」
画学生だった頃、友人の中島くんがそうい言った。

「槐多?」ぼくは答えに窮したが、
不満な表情を隠せなかったと思う。
ポロックやマチスに憧れていた当時のぼくには、、
明らかに嬉しくない評価だったからだ。
(今では身に余る評価だと思っている)

州之内氏が長年に渡って雑誌「芸術新潮」で連載していたのが、
「気まぐれ美術館」である。
35才で抽象画からプロントくんへ画題を変えた。
40を過ぎて読み始めた、「気まぐれ美術館」は
たちまちお気にi入りの美術評論集になった。

欲しい絵と感動する絵は違う。
感動しても欲しくない絵もたくさんある。
「モナリザ」を自宅には飾りたくない。
そういうことだ。

美術品を見ること、それを欲することの不思議さを
「気まぐれ美術館」から多くを学んだと思う。

2014年3月18日火曜日

クラゲ月

「クラゲ月」
「何、クラゲ月って?」
「あの月、クラゲに似ている」

3月上旬の昼下がり。
向かいの団地の上空に、
白いクラゲ月が出ていた、

クラゲ月は青い空の中をふわりふわり
気持ちよさそうに泳いでいた。

「あの月は(地球の反対側の)
ブラジルでも見えるのかな?」
と彼女は聞いた。
「さあ。月と太陽と地球の位置関係だな。
今度調べてみるよ・・・」

もちろん、調べてなどいない。
ただクラゲ月は良いなと、
次にクラゲ月を見るのはいつだろうかと考えた。

万葉の人も平安の人も、
メソポタミアやエジプト古王国のひとも、
きっとクラゲ月を見ていたのだろう。

あの月を見た、どれだけの人が
あれを「クラゲ月」と呼んだのだろうか。

春の昼の日差しとクラゲ月。
とても良い取り合わせだ。

宇宙空間を漂って、
地球にたどり着いた生命体。
ぼくらはそれらの末裔だ。

そして海から舞い上がったクラゲは
月になって、空を漂っている。

2014年3月11日火曜日

東北へ行こう

今年の夏に東北へ行こう。
そう考えている。
友人のK氏のプリウスに乗って。
K氏ともそんな話をしている。

何処へ行くのかは、未定。
でもぼくは仙台と岩手には行ってみたい。
福島にも行きたいけれど、2泊3日くらいの予定だからキツイ。
上手くいって3泊4日か。

仙台には行ったことがない。
前にK氏と青森まで、
運転交代のプリウスで行った時、
東北自動車道で通っただけ。
休憩所に寄ったのかも覚えていない。

岩手は岩手山が綺麗で、
山の緑が他県よりずっと濃く感じられた。
盛岡冷麺も美味しかった。
そのあと連続テレビ朝ドラ「あまちゃん」を見て、
ますます気になっていた。

昨年の夏。
知人の彫刻家が陸前高田へ出かけた。
「五百羅漢」を彫るプロジェクトのサポート講師としてである。
「よしいさんも来ない?」
そう誘われていた。でも行けなかった。
プロジェクトは今年も継続しているらしい。
そこへも行ってみたい。

気の小さなぼくは、震災直後の東北を訪れる勇気がなかった。
中越地震の時は実家だから、被災地へ行って暫く生活した。
あれとは比べものにならない大災害。
原発のこともあまりに無知で恥ずかしかった。
だから福島には申し訳ない、そんな気持ちだ。

でもぼくは観光に行くのだ。
福島にもいずれ、観光で出掛けたい。
只見線から会津若松。それから太平洋へ向かう。
それが何時になるかは分からない。
もしかしたら、今年の訪問先が
福島になるかも知れない。

でもとりあえず、
今年の夏、東北へ行こう。
そう思っている。

2014年2月27日木曜日

2014年2月18日火曜日

Tokyo UFO Tokyo Dragon

昨年、日課として毎日描いたUFOの絵。

元々は引っ越しを機に、
風景画を日課として色鉛筆で紙に描いた。
無印の文庫版ノートにだ。
何か欠けていると思っていたが、
空にUFOを浮かべたら、風景が動き出した。

約1年間続けたら、飽きた。
と言うより、マンネリが厭だった。
だから、UFO以外のものを
空に浮かべて描いてみた。

何ともしっくりこない。でもUFOに戻す気は無い。
ある日、北欧の写真を見て、
その風景をスケッチした。
北欧と言えば、ドラゴンかなと描いてみた。
いい感じ。
UFOの時と同じような手応えがあった。
それから毎日、ドラゴンの絵を描き続けている。

ぼくが自分に課題を課すのは、
自分が怠け者だと知っているからだ。
50代も中盤に入った。
気が付けば60代になっているだろう。
(もちろん、生きていればの話だが。。)

もう一度、初心者のようにスケッチすること。
そして新しいテーマを見つけること。
ライバルは、ダヴィンチでピカソでもない。
日本が世界に誇る、漫画家たちである。

ぼくは漫画家になりたいわけではない。
漫画家のように、風景や人物を自在に描く。
それを、漫画の手法でなく、自分の絵画の手法で。

色鉛筆で描きためた作品を、
スキャンして、スライドショーで眺めてみた。
いい感じだ。昨年、チャレンジして失敗に終わったアニメ、
「レクイエムー巨大ロボットの行進ー」よりずっといい。
回りの反応も、良すぎるほどよい。
あの芸術音痴でギタリストの清人くんも、
黙って見入って、一言。
「かっこいいな・・・」

今年の半ばには、ホームページから
閲覧できるようにしたい。
これをTokyo UFO Tokyo Dragonと名付けた。
東京発のUFO、ドラゴンと言うわけだ。
当然、海外受けも狙っている。

本田圭祐以上に英語には磨きを掛けているが、
未だに海外から、何のオファーも来ない。
たぶん、これからなのだろう・・・・・・。

2014年2月11日火曜日

赤いピアノ

赤いピアノを買った。
赤と言っても臙脂(エンジ)色。

ビートルズ研究会に出るようになり、
7年前はほとんど、ボーカルとコーラスだけ。
たまにギターとピアノを弾いていた。

ギター歴は短くないが、上達しなかった。
アンプ内蔵のエレキ、ピッグノーズを知人から頂き、
毎日練習するようになった。
アシカが芸を覚えるみたいに、
ギターはそれでも上達した。(でも下手だけど)

高校時代からの憧れのギター曲
‘Here Comes The Sun'
弾けるようになった。(もちろん下手だけど)
それからDear Prudence も。(下手だけど)
Black Bird は修行中。
全然無理だが「ベートーベンをぶっとばせ!」のイントロ、
カッコイイから弾いてみたい。(夢だけど)
とにかく今は、下手なギターをかき鳴らしながら歌っている。

ピアノは高校一年生の頃か。
同級生でバンドのキーボードをやっていた
裕之君に手取り足取り教えてもらった。
コード(和音)も知らず、ただ機械的に覚えた。(正にアシカか)
レパートリーは4曲。Let It Be ,Hey Jude ,Love, Marth My Dear.
ラブはジョンのソロ曲、マーサマイディアはポールの曲で、
どちらもイントロしか弾けない。
でも50歳を過ぎるまで、それを忘れたりしなかった。

引っ越しして1年が過ぎた。
研究会でもピアノが弾けるとセッションの幅が広がる。
最近、ブログを書いてないのは、
政のことを書こうと思って纏まらなかったのと、
ピアノの練習が、楽しいからだ。

もうどう考えても、ぼくの人生の残りは多くない。
ピアノが弾きたかったなと思って、年老いるより、
ガンガン弾いて、シャウトする不良ジジイになりたい。
3月にストーンズを見に行くことだし。
(彼らは不良ジジイの手本だ)

ずっと弾きたかった、「セクシー・セディ」が弾けるようになった。
嬉しい。本当に嬉しい。
ピアノコード(和音)の仕組みはギターのそれより易しい。
セッションでレットイットビーやヘイジュードの他に弾いた曲は、
ジョンのマザーのみ。(これは勘で弾けるようなった。我ながら凄い)
今年、あと何曲弾けるようになるか、
本当に楽しみなのである。

2014年2月1日土曜日

ビートルズナンバー  ベスト10

高校生のころ。
毎月、自分の好きなビートルズのナンバーを
大学ノートに書きつづっていた。
高1の時は由美ちゃんや、他の友人にも見せていた。

バンドセッションに参加するようになって約7年。
ただ聴いていた時と、演奏して聴くのとだいぶ違う。
自分の好みでもないし、演奏したいと思ったこともない曲が
やたらカッコ好く聴こえて、驚くことがある。

それでは発表します。
第1位  Dear Prudence    (ホワイトアルバム)
第2位  Help          (ヘルプ)
第3位  Day tripper       (リボルバー)
第4位  Get Back        (レットイットビー)
第5位  A Hard Days Night  (アハードデイズナイト)
第6位  Black Bird      (ホワイトアルバム)
第7位  While My Guitar Gently Weeps (ホワイトアルバム)
第8位  I Feel Fine       (パストマスターズ2)
第9位  Strawberry Fields Forever  (マジカルミステリーツアー)
第10位 Let It Be        (レットイットビー)
次点   I Want To Hold Your Hands (パストマスターズ1) 
     Lucy In The Sky With Diamonds (サージェントペッパー) 
      *カッコはアルバムタイトル

こうしてみると、後期の曲、特にホワイトアルバムが多い。
しかもジョン寄り。(巷のベスト10はポール寄りだ)
実は、ぼくはビートルズ初期のナンバーの熱心なファンではなかった。
好きなアルバムは「アハードデイズナイト」と「ヘルプ」のみ。
2つとも映画をみた影響が大きかった。
1位のDear Prudennce は当時からほぼ不動の1位。
最近、やっとギターでも弾けるようになって嬉しい。

幻の音楽エンターテイメント番組「音楽寅さん」
ゴールデン街で寅さんこと桑田圭祐がバーで唄う。
‘Slow Dawn' や‘All I Got To Do' シビれた。
あんな風に弾き語り出来たらと思った。

そしてビートルズ研究会。
新所沢スタジオ・ネイブで毎月開かれている
このセッションには初期ナンバーのファンが多い。
そして、それはやっぱりカッコ良かった。

7年前のぼくはほとんどロックンロールナンバーのが唄えなかった。
シャウトが出来なかった。シャウトしまくる大森先輩が羨ましかった。
今は、少しずつだがシャウト出来るようになってきた。
次のベスト10には‘Money'みないな、
かっちょいい、ロックンロールナンバーが入っているかもしれない。

2014年1月30日木曜日

「よこしまな僕」 第一句集

「自分」
厭なこともつまらないこともぼくの人生
こんな俺を責めない俺は偉い
よこしまな僕もほんとうの僕
どうしようもない脳天気でいよう
自嘲なんかしないすぐに自嘲する
いい気になっているもっといい気になろう

「酒」
反省などしない串の数を眺めながら呑む
酒匂ふ脳みそで想い出している
酒が好きなのか呑まずにいられないのかわからない

「生きる」
ただじたばたと生きる
ドキドキとわくわくの狭間を生きたい
ひまつぶし人生の方をつぶそうよ
死へ向かう我と我が身は生きている

「日常」
退廃も虚無さえもない二十一世紀
電車の中の声も姿もまぼろしなのか
退屈という日常の檻に隠れている
一瞬ごと一瞬だけを信じている

「季節」
雲はなく影もしづかに日曜日の朝
なんだか今朝は墓石も輝いて
黄金の粉をふりまく日暮れかな

「真理・道徳」
ぼくの神はぼくの中にいる君の神は君の中にいる
道徳は天使のような悪魔のささやき
人類みんなナルシスト
神は神で人は人で精いっぱい

*第二句集の予定はまったくありません

2014年1月18日土曜日

ばかっ、うんめぇのっし! (凄く、美味しいですね)

オラはふだんは標準語(厭な言葉らの)で話すども、
地元んしょ(新潟県中越地方の人たち)としゃべる時は、
ぜってぇ、方言で話すがらて。
*注「がらて」は「ですよ」「がら」は「です」接尾語の「ら」は「だ」

話す時らけらなくて、メールもめんどして方言にしてるがですて。(います)
なしてかと言うと、オラは自分が新潟の田舎もん(者)らということに
こって(とても)誇りに思ってるすけ。(ので)

言葉は文化ら。
グローバルな時代らとか、ゆうとるども
そらけば(そうなれば)、尚更自分らが居る場所が、
いってえ(一体)何がらかが、大事になるとオラは思う。

あっ、話がそれてしもた。
こないさ(この前)喰った、ロールカステラケーキ。
ばか、うんめぇかった。
オラの実家がある、新潟県小千谷市片貝町。
隣の長岡市越路町。駅前の洋菓子屋さん「本條屋」

オラは近くのこの店を知らんでいた。
しかも(だいぶ)前、友達の小酒井がオラ家に来て、
「食うてみれや」と渡してくいたがが、(くれたのが)
本條屋のシュークリーム。
たまげた。(驚いた)あんま(あまりに)旨くて。

オラも行ってみたけば、
シュークリームを頼むと、いっつも待たさいる。(される)
変らと思ってたけば、
シュークリームは注文を受けてから、
中のカスタードクリームを入れてるがらと。

オラは普段は、洋菓子をあんま喰わねー。
どっちかと言えば、和菓子の方が好きら。
だども、ここん家(ち)の洋菓子は別ら。

東京んしょ(の人達)にも喰わしてくいたけば、(あげたならば)
「まっで(とても)違う!」と標準語で言ってたて。
値段を教えたけば、尚更たまげてた。(驚いてた)

新潟にはうんめぇもんが、いっぺことあるの。
困るがは、つい喰いすぎてしもて(しまって)
太ることらの。
まあ、いいかの。
ばかっ、うんめんだの。

2014年1月16日木曜日

ヴォルスの言葉 -大岡 信 編・訳ー

「反映集(ルフレ)」

カッシでにこと、石や魚
ルーペで見た岩
塩の海、そして空が
ぼくに人間の重要性を忘れさせ
こせついたぼくらの挙動に
背を向けさせ
港のさざ波の中に
永遠を示してみせた
あの繰り返すことなしに
繰り返している波の中に

ぼくの黄色い犬は 夜になるといきいきとする
うるさいほどにはしゃぎまわる
眠りながら考える
かれは知っている すべてが同じだと
あしたの夜と同じだと

むだなことだ
神を名づけたり
ものごとを完全に知ろうとしたりすることは
見るときは 見ているものを利用することに
夢中になったりするべきではない
あるものをあるがままに見るだけだ

統一へ、美へ、そして空へ
向かっている一本の道が見えているとき
ものの細部の重要性は失せる
でもそれらは いぜん魅惑的だ

ぼくがどこかへ到着するときぼくは眼に見えないくらい小さな
カバンを持っている
さてまた出発するときは いつでもトラックが必要だ

すべての愛はただひとつの愛に導く
ひとりひとりの愛の彼方に
無名のひとつの愛がある

いまだに成熟しきれない
白人種というやつが
ヨハン・セバスチャン・バッハのような賢人を生んだということは
これは奇蹟だ

個人的な祈りは祈りではない
ほんのひとことの祈りでも
宇宙を所有することができる
祈りを体操と混同するな
祈りはどんなものでもありうるし
どんなものにも祈ることはできる
それがほんとの祈りでありさえすれば

武器をもたない臆病者のほうが
武器を手にした臆病者より好ましい
武器をもつということ自体臆病なのだ

ぼくが夢見るすべてのことは
とても大きい とても
美しい未知の都市で起きる
広大な場末の町々 そして海
ぼくにはとてもスケッチできない

一瞬ごと
ひとつひとつのもののなか
永遠はそこにある

言葉はカメレオンだ
音楽は抽象的である権利をもつ
どんなものでも説明できない体験は夢に導く
音楽を説明するな
夢を説明するな
つかみ得ぬものすべての中に貫流している
すべてのものが韻を踏むのを知らねばならぬ

2014年1月9日木曜日

神の数式

なぜ、唯一の絶対神が生まれたのか?
それは太陽信仰と結びついていると言う。
太陽は天空に一つしか見えないから。

なぜ、太陽信仰が生まれたのか?
それは約1万年前に、氷河期が終わり農耕が始まり、
種撒きの時期を知るために暦が必要になったからだ。

でもそれだけでは不十分だ。
太陽信仰は世界各地に存在するが、
一神教は中東地域でしか生れていない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がそうだ。
砂漠地帯という地勢上の特徴と関係があるのか。

中国や日本、中南米などでは一神教にはならなかった。
太陽信仰の前は大地・地母神信仰が主流だった。
古代ギリシャ・古代ローマの多神教は、
自然の分類(天地・海・太陽・川など)や、
生産物・文明・権力(酒・鍛冶・軍事・伝令)と結びついている。
日本でも八百万の神は同じような対応を持っている。

現代の理論物理学はビッグバンの秘密に、
かなり肉薄しているらしい。
ビッグバンの秘密は「世界の始まり」を
解き明かす鍵と考えられている。
その数式は「神の数式」と呼ばれいる。

「神の数式」=唯一の原理=絶対神や一神教に結びつくのか。
なぜ「神」の名前を冠するのか。
ホーキング博士もそのような原理を
「神」と呼びたいと語っていたそうだ。
神の名前が必要なのか。

難しいことは良く分からないけれど、
物理学の世界は、仏教の世界観に近しく感じる。
現実や過去・現在・未来などの時間の概念の不確かさ。

「天国なんてないと思ってごらん。
私たちの下に地獄はなく、頭上にあるのは空だけ」
ジョン・レノンの“Imagine”だ。

「報いぞと見るは愚かの心なり。良きことにつけ、
悪しきことにも」一休

「運命」や「神の意志」には、
人間と同じような意識を持った「人格神」が想定されている。
そこには常に「目的」や「意味」が投影されている。
人は「無意味」に耐えられないからだろうか。
そもそも耐える必要などないのではないか。
私たちは、笑ったり泣いたりする。
そこに意味づけは必要なのだろうか。