2010年6月29日火曜日

水無月の終わりに

 夕方から酷い土砂降りだ。
 雷も聞こえた。

 梅雨らしくなったと言えばそれまでだが、
 数年前から、夕立が熱帯のそれに似てきたようだ。
 この何年かのことだけど。

 月曜日に歯医者へ行った。
 口内炎の原因が、奥歯の金属の破損だと思い至ったからだ。

 知人に紹介されたその歯科医は手際が良かった。
 てきぱきと診断し、レントゲンを撮り、
 奥歯の金属を外すと、口内炎にレーザー治療をした。
 その間、約30分弱。

 レーザー治療を施すと炎症部分は無くなったようだった。
 (炎症でなく裂傷だと件の歯科医師は言った)。

 痛みを感じてから、かれこれ一ヶ月になる。
 二週間は痛み止めを飲み続けた。
 月曜日まで、染みる感じは無くならなかった。
 酒もほとんど飲めなかった。
 痛みで集中力は続かず、
 ブログを書く気力もなかった。

 体の何処かに痛みがあるとそればかりが気になる。
 気にせざろう得なくなる。
 激しい痛みならばなおのことである。
 
 昨年の6月は、夏風邪が長引いて体調を崩した。
 一昨年は、眼に経験のない異常を感じた。
 モノが断片的に、バラバラに見えたのだ。
 初めは恐ろしかった。幻覚を見ているのかと思った。
 後になってある医師にこう言われた。
 「それは調節障害ですね。老化です」。

 ここ三年続けて6月に体調を崩している。
 歳のせいにはしたくない。
 ペースが保てていないからだ。
 
 絵を描くペース。音楽するペース。テニスするペース。
 ペースを守って、それらを続けること。
 水無月の終わりに、そう自分に言い聞かせた。

 「蒸し暑く生きものが生きものの中に」山頭火  

ぼくらはみなひとりぼっちだ。でも孤独なんかじゃない。

 村上春樹の1Q84・BOOK3を読んだ。
 
 知り合いのハルキマニアの女性は
 気に入ったとおっしゃった。
 「BOOK1・2で、分からなかったことが、
 よく分かった」と。

 僕は、正反対の感想だ。
 1と2で象徴的だった表現が、3で説明的になったと。
 1と2で語られた謎を解くために3を書いたようだと。
 
 ピカソと自ら別れた唯一の女性、
 フランソワーズ・ジロー。
 彼女は存命で、ニューヨークで画家として暮らしている。
 二人の憎愛劇はジローの著作でも知られる。

 僕は数年前にその本を元にした映画を観た。
 アンソニー・ホプキンスがピカソを好演していた。

 最近のインタビューにジローはこう答えている。
 「ピカソから離れたのは、彼のことが分かったから。
 彼の神秘性が消えたから、興味が持てなくなった」と。

 残酷だが正確な言葉だなと思った。
 芸術も恋愛も強い妄想・幻想を必要とする。
 妄想や幻想が謎であればあるほど惹かれることがある。
 謎が消えること。それは手品のネタばらしだ。

 優れた芸術ほど、汲みせぬ謎がある。
 私たちがモナリザに惹かれるのは、分かるからではない。
 謎がいつまでも消えないからだ。

 芸術よりも恋愛が醒めやすいのは、謎がばれ易いからだろう。
 
 BOOK3は僕にはネタばらしに感じられた。
 個人的にはとても残念だった。
 でもいい加減な僕である。
 後で読み直してこれは良いなどと言いかねない。

 BOOK3のある章に、ぼくのブログのフロントページの
 「ぼくらはみなひとりぼっちだ。でも孤独なんかじゃない」と
 ほとんど同じ言葉がタイトルとして使われていた。

 僕の詩「黒い人」に、春樹氏のフレーズを
 一カ所だが引用している。
 春樹氏も僕のブログのフロントページにある
 この言葉を引用したのかも知れない。まさか。
 たぶん、同じことを思いついたのだろう。
 どちらも大差はないが。

 「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」
 世阿弥 「風姿花伝」より 

2010年6月25日金曜日

夏至の日に

 6月21日(月)は夏至だった。
 梅雨入りしてから、晴れの日が多い。
 
 月曜日も、朝陽の眩しさに目が覚めた。
 五時前だった。
 このところカーテンだけでは眩しいので、
 雨戸を閉めて眠っている。
 それでも起きてしまった。
 
 暑さのせいか、紫陽花が少し元気がない。
 雨の日の楽しみは、雨に濡れた紫陽花の花だ。

 自分がこんなにも紫陽花が好きなのか、
 毎日のように携帯で写真を撮っていることに
 驚いている。
 
 それにしてもあちこちに紫陽花の花がある。

 桔梗の花や、秋桜が好きだった。
 夏の暑さが一段落した気分になれるからだ。
 大好きな秋が近づいている感じが良いからだ。

 春には花水木。
 春の始まりにあの白い花は清々しい。

 今はそれぞれの季節の花々が一層愛おしくなった。
 
 「年々歳々花相似たり。
 歳々年々人同じからず。」

2010年6月22日火曜日

気らくに行こうぜ

 「気らくに行こうぜ、俺たちは
 あせってみたって同じこと
 仕事もなければ、金もない
 何とかなるぜ、世の中は
 気らくに行こう、気らくに行こう」。
 歌の後でナレーション。
 「車はガソリンで走るのです」。
 モービル石油。

 70年代のテレビCMの傑作だった。
 複数の男たちが、森の中の小道で
 フォルクスワーゲン「ビートル」を押している。
 男たちの内に一人が故鈴木ヒロミツ。
 サロペットのジーンズにTシャツ。
 長髪のヒッピー風の姿だった。

 「適当」とか「いい加減」って、好きな言葉だ。
 釈迦の言う「中庸」に近い感じがする。

 「根性」とか「忍耐」が好きじゃない。
 「努力」もかつては好きで無かった。
 ただ自分の過去を振り返って見たら、
 好きなことには人一倍努力してたことに気がついた。

 英語では‘Take it easy’を良く使う。
 イーグルスの曲のタイトルにもなっている。
 日本語で言えば「気らくに行こうぜ」だろう。

 「気らくに行く」ことが実は難しい。
 だから英語のこのフレーズがあるのだろう。
 
 「忙しい」を口にするのは易しい。
 しかし何故「忙しい」のか?
 「忙しい」を続けたいのか、止めたいのか?
 
 仕事であくせくし過ぎるのはカッコいいのか?
 「飄々と生きる」は死語なのか?

 僕とは忙しいと言うことで、
 「仕事をしている」とアピールしているみたいだ。
 たぶんマインドの指令で、
 「仕事をしている自分」を周りに認めて欲しいのだろう。
 馬鹿みたいだぞ、オレ。

 僕は家の壁と職場の壁にある言葉を書いた。
 「のん気に生きるぞ」と。
 「のん気」は「気らく」よりさらに難しい。
 やはり「気らくに行こうぜ」にしようと思う。
 
 「世は定めなきこそいみじけれ」兼行法師 
 「世の中は気らくに行こうぜ、意味はないけど」ひろし

2010年6月20日日曜日

のん気に生きるぞ!

 郷里の秋季大祭、片貝祭。
 今では、世界一の四尺玉を始め
 花火の祭の祭としてすっかり有名になってしまった。

 昔は定番のお囃子ひとつ「のんきな父さん」が
 かからなくなった。

 「のんきな父さん、お馬のお稽古
 お馬が走り出して止まらない。
 子どもが面白がって、父さん何処行くの?
 わたしゃ知らないお馬に聞いとくれ。
 はは、のん気だね。」 

 山車を牽きながら、お囃子に合わせて
 大きな声で歌いながら練り歩いた。
 昔は観光客も、近郷の者に限られていた。
 今や、東京などから観光バスが来る。 
 
 長閑(のどか)さが失われて、当然なのだろう。
 長閑さは、日本中の至る所で失われているのだろうか。

 「等閑視」(とうかんし)と言う言葉がある。
 好きな言葉だ。
 「等く長閑に視る」。
 辞書を引くと「いいかげんに考えること」など
 良い意味ではないらしい。

 僕の解釈はこうである。
 物事と自分と適切な距離を持って、
 出来るだけ客観的に眺めること。
 同時に、一つの狭い見方に収斂しないで、
 様々な観点から視ることをイメージする。

 「のん気に生きるぞ!」は雑誌ビッグイシューに
 コラムを連載している雨宮かりんの言葉である。
 ある独立系のメーデーのデモ行進で
 シュプレヒコールとして用いたら「うけた」とあった。

 「のん気に生きる。のん気に行く」。
 これは一つの指標ではないか。
 のん気でない今の時代へのアンチテーゼではないか。

 まあそんなに力まないで、
 ここはひとつ「のん気」にいきましょう。
 

2010年6月18日金曜日

王様の話2(ヒンドゥー神話より)

 神々の王インドラが、あることから、
その神格から降格されて、
豚の身体にされてしまったことがあった。

 豚になった彼は、泥の中を元気にころげまわって暮らし、
成長し、つがいになる雌豚と出会って、
たくさんの子豚をもうけた。

 天の神たちは、
自分たちの王が
 いつまでもそのような姿でいるのを眺めているうちに、
とうとう我慢ができなくなって、
彼のところまで降りて来て、こう言った。

「あなたは我々の王様なのですよ。それなのに、
こんな所でこんなことをしているなんて」
 すると、豚は答えた。
「お前たちは、これのすばらしさも分からずに、
何を言っているんだ? 
お前たちこそ、これになってみろ。
そうすれば、そのすばらしさが分かる」

 その後、何を言っても相手にしないので、
ある日、強行策をとることに決めて、
彼の愛着の対象である子豚たちを殺してしまった。

 彼は嘆き悲しんで過ごした。
そしてその嘆きが治まると、妻である雌豚に
「さあ、また新しく子供を作ろう」と言った。

 これはまずいと思った神々は、
その雌豚も連れ去ってしまった。

 彼は呻吟し、深く嘆き悲しむ日々を過ごしたが、
やがて、別の雌豚に心を動かすようになっていった。

 どうしても駄目だと分かったので、
神々はついに彼の肉体を奪ってしまうしかないと考えた。
 剣が豚の心臓を貫くと、
その身体の中から、彼が出てきて言った。
「わたしが、これをすばらしいと言っていたって? 
まさか。さあ早く行こう」 

(2010年6月 I氏より送付される)

2010年6月17日木曜日

黒い人

 もう少しで
 眠れそうなのに 
 心臓が
 ドクドク
 打ち始めると
 黒い人が現れる

 瞳はほとんど閉じられて
 頭の底は
 夢の扉を開けようとしている

 黒い人は
 廊下に立ち
 ふすまの蔭から
 こちらをうかがう


 黒い人は
 闇の世界に住む
 黒い人に
 光はとどかない
 黒い人に
 音はとどかない

 眠りに落ちるやいなや
 黒い人は
 私の上に襲いかかる
 私は
 心の中で
 思い切り叫ぼうとする

 黒い人は
 真っ黒な顔で
 虚無と一体となり 
 私は
 虚無に取り込まれまいと
 必死で
 必死で目を覚まそうとする

 黒い人は
 気配だけを残して 
 私の頭の中と
 目の前の廊下を
 しばらく行き来する

 眠りの神が
 大きなハンマーで
 頭の後をたたく

 瞳を閉じる
 ほんのわずかのすきまから
 黒い人が
 立っているのが見えた
 
 いつからか
 黒い人は 
 現れなくなった

 彼は
 私自身であったのだと
 今ではそう思う

 (制作年不明)

2010年6月8日火曜日

キャットくんとふしぎなプール

 独りで磯にいた。

 磯の内側は穏やかな浅瀬。
 磯の外側は、水深3m近く。波が荒い。

 場所は新潟県の海水浴場「笠島」。
 小学校時代を通して、
 年に一度の海水浴を楽しみしていた。

 僕には2歳年上の姉がいるが姉は水泳を好まず、
 高学年になると母と二人で出かけた。
 母は海の家で、一人読書にいそしんでいたので、
 海辺にはいつも独りで出掛けたのだった。

 波が荒いと、磯の外側の深い処には潜れない。
 無理して外海に出ると、岩場に体を叩きつけられる。
 それでも波が穏やかな時、磯には多くの海の生き物が見えた。
 水中メガネを付けて、海の底へ潜ると
 自分が海の世界の住人になった気分だった。

 怖い思いを何度もしたせいだろうか。
 成人してからも、独り磯で遊んで溺れそうになっている、
 そんな夢を度々見た。

 少年時代の体験や、夢の世界から
 「キャットくんとふしぎなプール」は生まれた。

2010年6月6日日曜日

皮膚と心

 水曜日の午前中のことだった。
 舌のつけ根に違和感を感じた。

 ジンジンと痺れるような感じ。
 まだ痛いほどではなかったが、
 夕方には話しをしただけで鈍い痛みが走った。

 「口内炎だろうか・・」。舌に出来た経験はない。
 とりあえずショコラBBを買った。
 夕飯はさらにビタミンBを取ろうと、豚生姜焼き定食にした。

 染みる。染みて痛い。考えてみれば当たり前だ。
 生姜は傷に染みるはずだ。馬鹿じゃないか。
 それでもビタミンBを取れば翌日には治っているだろう、
 そんな気持ちでいた。
 
 日頃から自分は口が立ちすぎると思い直した折だった。
 針小棒大な言葉を吐き出している、悪い癖だ。
 このブログでも毎回のようにそれが見え隠れする。
 しかし反省が出来ない、いや、する気持ちがない。

 「酷い口内炎ですね。4日くらい掛かりますよ」。
 病院の医師にはそう告げられた。「塗り薬を出します」。
 「飲み薬は無いんですか?」。「ありません」。
 不安は現実になった。塗り薬を塗って暫くはいい。
 しかし、お茶を飲んでも染みるのだ。
 (お茶は染みると後でわかった。)

 昼にサンドイッチを買った。傷口に張り付くように痛む。
 バナナもダメ。意外に酸味もあると分かった。
 染みると思った、うどんや雑炊の方が辛くない。

 発症して明日で6日目。4日はとうに過ぎている。
 「これは何かの試練なのだろうな」。
 根拠などないが、そう考える。
 試練と言うより体からのサインなのだ。
 
 酒を抜いて内臓が綺麗になって、
 おまけにお腹でも引っ込んだら、一石二鳥だななどと、
 虫の良いことを考えたりする。
 どちらにしても飲めないし、飲みたく無いから仕方ないけど。

 死ぬ覚悟など、とうてい出来ないのだなと、
 生にしがみついている自分を知っただけでも良かった。

 突然、できものが全身に出来て、
 絶望して「死にたい」などと言った主人公の女性が、
 夫に励まされて行った皮膚科の治療を得て、
 良くなったとたん幸福を感じる、
 太宰治の「皮膚と心」を思い出した。