2010年11月30日火曜日

夢のデパート

 西岸良平のマンガ「三丁目の夕日」。

 いつだったか、昔のデパートが描かれていた。
 昔のデパートの屋上はミニ遊園地だったと。
 
 驚いたのは今年閉鎖になった
 長岡大和デパートと同じ屋上モノレールが描かれていたこと。
 あれは全国のデパートにあったらしいことを知った。

 僕も乗った記憶がかすかだがある。
 狭いデパートの屋上を乗り物で一周するだけなのだが、
 幼い日の自分にはとてつもなく高い処に感じられた。
 あのような高揚感は後日ディズニーランドに行っても
 全く得ることは出来なかった。
 
 以前にも書いた気がするが、
 僕のお気に入りは乗り物ではなくて、
 電動紙芝居だった。

 10円?を入れるのと覗き箱の中がパッと明るくなる。
 音楽とともに語りが始まり、
 目の前の絵が、カシャカシャとスライドする。

 人気アニメだった「鉄腕アトム」や
 「狼少年ケン」を観たような気がしている。
 わずか1,2分で、中途半端で完結しないまま
 「続く」で終わったと思う。
 再び10円を入れても同じ話しか観られない。
 そのような機械が何台かあり、
 機械毎に全く違う話を観ることが出来た。

 初めて外国人を見たのもそのデパートではなかったか。
 階段をちょっと年下の女の子が歩いていた。
 外国人は珍しかった地方都市でも子どもはもっと珍しかった。
 テレビでしか見たことのない異国の少女は
 芸能人のように感じられた。
 
 大和の6階(7階かな?)は大食堂。
 当時のデパートの大食堂は華やかだった。
 入口前の食品サンプルを見るだけで心がときめいた。

 いつもお子様ランチや、チョコパフェ、 
 プリンアラモードなどを食べたい思っていたが、
 食べるのは決まって一番安い中華ソバだった。
 でもこれがまた美味しく感じられたのだ。
 ウェハウスが載ったアイスクリームを
 一度くらい食べた記憶があるが定かではない。
 昔は今よりも食べ物に対する‘憧れ’があったのだろう。

 3階か4階にオモチャ売り場のコーナーがあった。
 決して買って貰えることは無かったが、
 触って遊べるサンプルもあって
 親が買い物をしている間飽きもせずに遊んでいた。

 そんな夢のデパートはもはや無い。 
 わずかに記憶の片隅と
 「三丁目の夕日」の世界にあるのみである。

2010年11月25日木曜日

晩秋

 長期天気予報はまだまだ当てにならない。

 今年は秋が短く、
 いきなり冬のような気候になると報じられていた。
 11月に入って、寒い日もあるが概ね穏やかである。

 拝島駅からの車窓の眺めも晩秋の趣となった。
 東大和市駅、駅前の大イチョウの木も黄色に輝いている。

 朝の情報番組では京都の紅葉名所を紹介していた。
 旅番組も紅葉、紅葉だ。
 紅葉ファンとしては嬉しい限りだ。

 鮮やかなモミジも、イチョウもいい。
 ドウダンツツジも見事だ。
 けれど、玉川上水沿いの雑木林の紅葉。
 これが堪らない。

 新緑の時期を除きほとんど同じ緑だった雑木林の葉。
 晩秋の紅葉は燻し銀の輝きだ。
 色はあくまでも落ち着いた赤茶やくすんだ黄色など。

 まるで、パウル・クレーの絵画のようだ。
 彼の代表作の一つ「秋のしらせ」。
 渋い色調のグラデーションを背景に、紅葉した木が一本。

 今年はまだ、
 玉川上水道の落ち葉を充分に踏みしめていない。
 秋の終わりは近い。

2010年11月21日日曜日

一瞬を描く

 葛飾北斎の富嶽三十六景から「神奈川沖裏」。
 遠くに富士を臨み、画面全体を大きな波が揺れる。
 
 安藤広重の東海道五十三次から「四日市」。
 強風に揺れる柳の木を中心に、
 手前に向かって転がる笠を追いかける旅人。

 いずれの場面も
 当時出来たばかりの写真技術では捉えられない、
 ある場面の一瞬を描いている。
 それらは映画の一場面のようでもある。

 「今を表現すること」。
 「近代の絵画」について
 詩人のボードレールはそう語ったらしい。
 何を当たり前のことをと思う人は多いと思う。

 しかし当時のサロンでは宗教画や歴史画が主流だった。
 だから、当時の都市や田舎の風景、風俗や肖像や静物など
 印象派の画家たちが好んだ主題は、
 サロン(官製展覧会)においては劣る画題とされたのだった。

 そんな印象派の画家達が浮世絵をみて意を強くしたことだろう。
 実際に彼らの多くは熱心な浮世絵コレクターだった。
 マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャンら
 浮世絵の構図や色彩表現、線と色面の効果などを学んだ。

 毎日の通勤で見かける光景。
 同じ瞬間は二度と来ないと、そう思う。

 「同じ川に二度と入れない」といった
 古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの気持ちが
 歳を重ねる毎に分かる気がしてきた。

2010年11月20日土曜日

ばか、うんめーっのっし!

 風邪を引いた。

 一昨日の朝のことだ。
 喉の痛みで目が覚めた。
 急に寒くなって、玉川上水沿いの雑木林が
 紅葉の見頃を迎えたなと思った矢先だった。

 仕事を休み薬を飲んで寝たら、半日で改善した。
 まだ油断はならない。
 それでも午後から仕事に行き、
 早めに帰って休んでいた。

 9時に寝ようと思ったが、
 テレビのチャンネルを回すと「秘密のケンミンショー」が始まった。
 しかも2時間スペシャル。マズイ。まずいよ。

 ちょっと見て寝るつもりだった。
 しかし、10時を回った時それは始まった。
 スペシャル企画「ケンミン代表酒豪サミット」である。
 
 火曜日から三日酒を飲んでない。
 風邪さえ引かなければ、今日は百薬で呑んでいた。
 せめて旨い酒と肴を眺めたい、そう思った。面白そうだし。

 新潟代表は元バレー選手の川合俊一だった。
 酒は「緑川」、肴はするめイカの天ぷら。
 次々と登場する各地の銘酒とつまみに心が躍った。

 自分なりに仮想の酒と肴の組み合わせを考えた。
 まずは赤ワイン。チリワインのサンライズで上等。
 肴は味付けガツにクレソンを和えたサラダ。うんまい。
 次はビール。サッポロの黒ラベルか
 キリンのハートランド。グビグビグビ、ぷっはーだ。
 つまみには枝豆。時期はずれだけど、
 黒崎の茶豆ならの冷凍でもいいや。

 次は日本酒。やはり村上の〆張鶴か。
 ちょっと温めの燗酒で馬刺しを食す。
 もうたまらない。おでんに湯豆腐があったら最高。

 焼酎は沖縄の古酒(クースー)。
 食堂やんばるのイカ墨ソーメンとはゴールデンコンビ。
 留めはウイスキー。バーボンもスコッチもラムもいい。
 けれど、やっぱりニッカの竹鶴。
 肴はカモンベールチーズに、板チョコ。太るぜ、オレ。

 今日はだいぶ体調がいい。
 午後からの仕事の後は、とりあえず百薬で燗酒を。
 カシラとナンコツがあればいいんだけどな。

 間違いなく、
 こってうんめーこってさ。
 

2010年11月16日火曜日

第一句集「よこしまな僕」

 よこしまな僕もほんとうの僕

 反省などしない串の数を数えながら呑む

 酒匂う脳みそで憶い出している


 頭のうしろから銀杏の匂い

 君は正しいだからなんだっていうんだ

 退廃も虚無さえもない二十一世紀


 退屈という日常の檻に隠れている

 神々しくあくまでも神々しいパチンコ屋のあかり

 どうしようもない脳天気でいよう


 雲はなく影も静かに日曜日の朝
 
 木の葉降るひねもす眠い十一月か

 なんだか今朝は墓石も輝いて


 坂道を転げ落ちるように生きる

 道徳は天使のような悪魔のささやき

 こんなにひどい自分を責めない


 生きるただじたばたと生きる

 煙突がすっきりとくっきりと朝

 まっすぐな土手の道を歩く 

2010年11月14日日曜日

明日のジョー

 近藤正臣がかっこいい。

 NHK大河ドラマ「龍馬伝」で
 土佐藩主山内容堂を演じている。
 
 あれがあの青春ドラマ「柔道一直線」で
 一条直也役の桜木健一のライバル役だった近藤正臣か。
 記憶の片隅にある近藤正臣は足でピアノを弾いたり、
 高校の校舎から校舎へ飛び移る気障なハンサム男だった。

 ところが容堂役の近藤はどうだ。
 他の役者を圧倒する存在感を示している。
 ああ、オラもかっこいいジジイになりてえ。

 大人気の朝ドラ「ゲゲゲの女房」の後、
 10月から始まった朝ドラ「てっぱん」。
 意外と面白い。

 この中でどう見ても主役に見えてしまう富司純子。
 ご高齢なのにもの凄く綺麗だ。
 ヒロインの母親役の安田成美も綺麗だけど敵わない。
 ヒロインの娘も評判がいいらしいが、名も知らない。
 とにかく富司純子がいい。

 美人の上に何とも言えない雰囲気と味わいがある。
 凛としていると言えばいいのだろうか。
 お婆ちゃん役なのが惜しい。
 
 綺麗な格好をして、ソフトバンクのCMじゃないけれど
 孫みたいな男性と恋愛もので出て欲しい。
 (ソフトバンクCMの若尾綾子も綺麗だと思う)。

 ジョン・アーヴィングの小説「未亡人の2年間」では
 少年の時に人妻と関係した主人公が、
 生き別れになってからも思い続け、
 すっかり高齢になったかつての恋人と再会し、
 再び結ばれるという大人の寓話が描かれていた。

 別に僕は年上好みじゃない。
 どちらかと言えば年下の方が好みだ。

 けれど、かつての美男美女が
 高齢になって魅力と味わいを増していることを嬉しく思う。
 
 オラもかっこよくなるべく、
 明日から努力を始めよう。 
 「明日はどっちだ・・・・」。

2010年11月12日金曜日

ダ・ヴィンチと利休

 ダ・ヴィンチと利休。

 この二人を比較しその背景を比較したら、
 西洋と日本の近世の形が見えてくるのではないか、
 そう考えて調べてみた。

 僕がライバルと認めるレオナルド・ダ・ヴィンチは、
 云わずと知れたイタリアルネッサンスの万能の天才である。
 彼はキリスト教への信仰は持っていたようだが、
 聖書の教義の科学的な誤りには、気付いていた。

 時代背景は大航海時代の幕開けであり、
 異国からの様々な文化・文物がもたらされた。
 イタリアは小国に分裂しており、内戦のみならず
 国外からの侵略があった。

 千利休は「侘び茶」を大成し、
 その後の日本文化の形を作った一人である。
 彼は「侘び寂び」の精神性を追求し広めた人であり、
 様々な美術・工芸を組み合わせによって見立てる人であり、
 自分の精神を表すために、茶碗や茶室などをデザインした人である。

 室町後期から安土桃山時代は、
 中国・明との貿易で唐物と呼ばれる中国の書画・工芸がブームとなり
 大航海時代のスペイン・ポルトガルなどが南蛮文化を伝え、
 ベトナムに日本人町が生まれた時代だった。
 そして正に戦国時代。
 
 戦争の時代、異文化の流入、大商人の台頭など
 数多くの共通点を持つことが見えてくるのだ。
 宗教の衰退によって中世の価値観が壊れた時代でもある。
 
 そこで生み出された文化は
 いずれも後の時代に継承・発展し
 今日まで続いているものが少なくない。
 
 ダ・ヴィンチと利休は近代的な「自意識」を持ち、
 それを外に対して発信した人たちだった。

 「茶の湯とはただ茶を点てて飲むことなり」利休

2010年11月9日火曜日

僕の胸でおやすみ

 秋はフォークだ。

 友人との飲み会で花小金井の居酒屋虎居」に行った。
 虎居は様々な総菜を何種類もカウンターに並べ、
 客は目の前料理を見て注文出来る、近頃珍しい店だ。

 あればいつも注文するのが、ポテトサラダ。
 ドラマ「深夜食堂」の中ではエレクト大木の好物だった。
 ちょっと玉ねぎの苦みが効いていて、飽きが来ない。

 それから明太子のスパゲッティ。 
 最近は身体を気にして、明太子もパスタも食べない。
 でも此処では食べる。意味無いじゃん、オレ。

 鯵の南蛮漬けも美味。
 カラッと揚がった鯵に酸味のきいた酢醤油。
 玉ねぎ、ピーマンなどの野菜がミックス。
 
 あまり置いてないけど、たまにある砂肝炒めが絶品。
 砂肝特有の臭みがなく、甘い肉汁が焼酎によく合う。
 
 値段が安く、美味しいのでいつも満杯の盛況ぶり。
 しかも9時前に閉店なのでダラダラしなくていい。
 酒にだらしないくせに、いやだらしないオレだから
 酒はさっと飲んでさっと終わりにしたい。
 そうでないとずっと飲んでしまって、悲惨な結果になる。

 二次会では同じ花小金井のカラオケボックスへ。
 ここでは酒を飲まない。全員ソフトドリンクのみ。
 
 久しぶりにかぐや姫の唄を聴いた。
 「僕の胸でおやすみ」。

 秋はフォークだなと、確信した。

2010年11月5日金曜日

へうげもの

 戦国武将で誰が好きか?

 そう知人に尋ねられたことがある。
 彼は上杉謙信と答えた。
 「よっちゃんは?」。そう聞かれて初めて考えた。

 そして出た答えは千利休だった。
 利休は武将ではない。
 魚屋の息子で、堺の商人だった。
 だから知人の質問の答えにはなっていない。

 それでも戦国時代を生き抜いた人物として
 誰よりも利休に惹かれる。
 彼は「侘び茶」と言う「茶の湯」の世界を完成し
 近世以降の日本の文化に大きく影響を与えた。

 そういう強烈な美意識と精神世界を持っていながら、
 権力者に近づきその中枢に坐り、自らも権力を行使する。
 一方で茶道具で金儲けもする俗物の塊のような側面を持つ。
 そういう相反する振幅の大きさが好きだ。
 
 織田信長に仕え、後に豊臣秀吉の茶頭となる。
 「へうげもの」は利休の後継者とも云われる
 古田織部が主人公の漫画だが、
 織部と利休とのやり取りが面白い。
 利休と楽茶碗の創始者、長次郎とのやり取りが面白い。
 利休と秀吉のやり取りが面白い。
 
 利休は古くから日本にあった「見立て」を重視する。
 中国のもの、朝鮮のもの、あるいはベトナムや西洋のもの
 様々なものを本来とは違う形で
 茶の湯の道具として「見立て」るのである。

 また「完璧なもの」ばかりでなく「不完全な美」を愛した。
 だから市井の中に在りながら、
 まるで山中で隠遁している印象の茶室をデザインした。

 中国の「完全な美」を追求する精神に対して、
 「不完全さ」の中に移りゆく美を求めた。
 それこそが「侘び」と呼ばれるものではないか。

 そのことは長次郎にアドバイスした思われる
 黒楽茶碗にも現れている。
 手捻りで低温度で焼成された楽茶碗は見た目にも、
 脆そうで、わずかだが形が歪ませている。
 
 見事に咲いた朝顔を見たいと訪れた秀吉に対し、
 庭の全ての朝顔をむしり取って迎えた。
 呆然と茶室に入った秀吉が目にしたのは、
 床の間に飾られた、一輪の朝顔だったと云う。

 一昨年の夏だったろうか。
 国立博物館で行われていた、
 「対決・日本の美術」展では長次郎の楽茶碗と
 光悦の楽茶碗が飾られていた。 

 どちらも驚くほどの名品だった。
 利休を含めたあまたの才人により、
 現在に続く日本文化・美術が形作られたのだと思った。
 
 日本人は奢ってはいけないと思う。
 私たちは確かに素晴らしい文化を持っている。
 そのことをもっと知った方がいいし、
 誇りに思うべきだと思う。

 しかし、かつて詩人の高橋睦夫氏が述べていたことだが
 日本人は外への憧れを持つことで成長してきたのだと。
 それは、これからもそうあるべきであると。

 利休とその弟子にあたる織部は
 ともに主君の怒りを買い、自刃して果てている。
 彼らは自らの美学に殉じたように思われる。