葛飾北斎の富嶽三十六景から「神奈川沖裏」。
遠くに富士を臨み、画面全体を大きな波が揺れる。
安藤広重の東海道五十三次から「四日市」。
強風に揺れる柳の木を中心に、
手前に向かって転がる笠を追いかける旅人。
いずれの場面も
当時出来たばかりの写真技術では捉えられない、
ある場面の一瞬を描いている。
それらは映画の一場面のようでもある。
「今を表現すること」。
「近代の絵画」について
詩人のボードレールはそう語ったらしい。
何を当たり前のことをと思う人は多いと思う。
しかし当時のサロンでは宗教画や歴史画が主流だった。
だから、当時の都市や田舎の風景、風俗や肖像や静物など
印象派の画家たちが好んだ主題は、
サロン(官製展覧会)においては劣る画題とされたのだった。
そんな印象派の画家達が浮世絵をみて意を強くしたことだろう。
実際に彼らの多くは熱心な浮世絵コレクターだった。
マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャンら
浮世絵の構図や色彩表現、線と色面の効果などを学んだ。
毎日の通勤で見かける光景。
同じ瞬間は二度と来ないと、そう思う。
「同じ川に二度と入れない」といった
古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの気持ちが
歳を重ねる毎に分かる気がしてきた。
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