2011年7月31日日曜日

庄内への旅

山形を旅行した。
母親と二人、車の旅。

随分前に羽黒山の五重塔を見てから
訪ねてみたいと思っていた。

JR東日本、新幹線の無料雑誌「トランヴェール」
3月号の特集が「庄内建物巡り」だった。
雑誌には件の五重塔があり、旧豪商の館があり、
そして高橋兼吉なる宮大工の棟梁による
明治期の洋館建築が幾つかがあった。

「そうだ、山形へ行こう」
山形ならば運転があまり得意でない僕でも、
さほど遠い距離ではない。
一昨年大河ドラマ「天地人」を見てから、
新潟と山形の繋がりみたいなものが感じられた。

出掛ける直前に台風が日本列島を横断しており、
先行きが危ぶまれたが、杞憂に過ぎなかった。
台風一過。素晴らしい青空。
しかも湿度が低く、気温は高いが心地よい。

新潟と山形の間には高速道路が完備されていない。
海沿いに山形へ北上すると、高速を降りて一般道へ入る。
やれやれ、と思っていると眼前に海の景色。
岩が増えていくと景観が一変した。
「笹川の流れ」だと母が言う。「昔、来たことがある」

大きな小山のような一枚岩が点在する雄大な海岸。
水は今まで見たどの海よりも澄んで美しいブルーだった。
対岸には粟島が大きく見えた。
よい旅の予感がした。

鶴岡市に到着したのは12時を回っていた。
観光局を訪ねて情報を得てからと考えたが、時間が惜しい。
昼食もそこそこに羽黒山に向かった。

大きな杉林に囲まれた、羽黒山の山門は晴天なのに肌寒かった。
山門から下りの階段を眺めただけで、
ここは大変な処だと、そう感じた。
(つづく)

2011年7月28日木曜日

はかなさ

先週の土曜日、実家で新潟日報を読んだ。
小さな記事が目に止まった。
英国現代画家ルシアン・フロイト死去。
たぶん、89歳。
フロイト氏は高名な心理学者である
ジークムント・フロイト氏を祖父に持つ。

重厚で濃密なレアリズム絵画の巨匠で、
人物画を中心に室内画や風景を描いた。
現英国女王のエリザベス2世の公式な肖像画も描いている。

「砂丘の写真家」で知られる植田正治。
評論家の草森伸一氏が彼の写真の持つ
「はかなさ」についてを書いていた。

写真は瞬間を切り取ったものであり、
その意味ではどの写真家の写真も
はかないものだと言える。

しかし、アメリカイエローストーンの渓谷を写した
アダムスの写真は堅牢に感じられる。
「決定的瞬間」を撮ったとされる
フランスのアンリ・カルティエ・ブレッソンも、
感じられのは「はかなさ」などではない。

植田の写真は造形性が弱いわけでは決してない。
むしろプリントの焼きに拘った彼の作品は
明暗対比が明確で、シンプルな背景に対して
対象となる人物やモノは強くはっきりとしている。

けれど現実を写しながら、
幻想性を取り込んだそのイメージは
シャープな蜃気楼のようでもある。

植田と同じ履き物屋のせがれである
写真家のアラーキーは、もっと対象に近づき迫っている。
そこに彼が言う「センチメンタル」が生まれるのだろう。
対象を愛しながら、距離を取る植田との違いだ。

亡くなったフロイトの絵が好きだった。
彼は人間の肉体を美しく描かない。
ヌードをごてごてとした肉の塊のように描く。
肉体の質感と重み、それらの存在感を描く。
まるで祖父に反して人間には内面など無いかのように。

しかし描かれた彼らの視線は定まらず、
虚ろな、心の有り様が堅牢な鎧のような
肉体の後に見え隠れする。

抽象画家のモンドリアンやロスコと言いフロイトと言い、
僕には決して表現できない、することさえない
そういう作家たちに憧れる。

それでも自分が表したい世界は、
はかなく、移ろいやすい世界に違いない。

2011年7月18日月曜日

中心と周辺(近代主義について)

画家モーリス・ドニの有名な言葉。
「絵画とは人物とか風景、静物である前に、
一定の秩序で集められた絵の具の集合に過ぎない」

この言葉が新印象派(点描派)の産み出す
契機になったとも言われるし、
抽象画や20世紀アートに影響を及ぼしたとされる。

藤森氏の本でモダニズム建築は日本の伝統建築の
影響を経て、柱による自由な平面図を獲得できたとあった。

絵画はどうなのだろうか。
マネやモネ、ドガ、そしてゴッホにゴーギャン。
いずれも名だたる浮世絵コレクターであり、
その影響を自らの絵画に生かして人たちだ。

欧州の人たちは驚いた事だろう。
数色に見える限られた色に、はっきりとした輪郭。
色彩は極めて鮮やかに思われただろう。
そして無意識に気付いたのではないか。
絵画の本質は平面であること、
それを構成する究極の要素は線と色彩なのだと。
まさにドニの言葉と一致しないだろうか。

もう一つ言うと江戸時代の文化・化政年間は
世界史上初めての民衆文化を持った時代だった。

イタリア・ルネッサンスは、
一部の貴族と富裕層による文化だった。
古代ギリシャ・ローマは奴隷制の上での市民社会だった。
(それを差し引いても凄いことは凄いのだが)
17世紀オランダの市民文化も富裕層の為のものだった。

浮世絵の値段は掛け蕎麦一杯とほぼ同額だったと聞く。
滑稽本も庶民に親しまれた。(女性も読んだ)
歌舞伎や寄席など演芸文化も花開いた。
(日本の庶民文化はこの時の形態が現在まで続いている)

アンディ・ウオーホルのポップアートは
江戸浮世絵文化の変形に思えてくる。

もう一つ20世紀の美術を作った大きな力、
キュビスムはセザンヌの絵画とアフリカ彫刻の影響を受けた
ピカソと盟友ブラックによって始められた。

欧州のモダニズム文化は日本やアフリカなど
欧州から見れば周辺の影響で作られたと言ってもよい。
まあ、中心と周辺と言う概念も甚だしい勘違いなのだろうが、
近代主義の主流は欧州であったのに、
主流は傍流によって刺激を受け、活性化して
その姿を変えて行くのだろう。
(つづくかな)

2011年7月12日火曜日

生きていく風景

ビッグイシューの連載コラム。
「自閉症の僕が生きていく風景」
筆者は東田直樹。

このコラムを読むようになって、
自閉症の人が抱える悩みや、
彼らの言動に対する無理解が
自分の中に強く在ったことを理解した。

電車の中で喋り続けたり、
奇声を上げたりするのは意志によるものではなく
むしろ、彼らの身体的・精神的な特徴によるものだと知った。
だから止めたくても止められないのだと。

第32回のタイトルに
「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とある。

僕はかつて付き合いのあった人に、
あなたは時々精神的障害のある人に見える
と言われたことがあった。
電車の中で常識では考えられない言動をしているのだと
そう言われた。

思い当たるところがあった。
昔から堅苦しい儀式が苦手で
奇声を上げたい気持ちを抑えていた。
訳もなく暴れたくなったり、
奇行をしようとするイメージが沸く。
今でもほぼ毎日そうだ。

実際には抑えられる訳だから、
自閉症の人とは違うし、
その苦しみは想像でしか分からない。

「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とは違うのだが、
人と同じようにそれらに惹かれる感覚はある。

人間絶対主義の人と話すと間違いなく変人と見られる。
いや確かに変人かも知れないが、
人間絶対主義傾向の人も単に自己愛が強いだけだったりする。
要するに「自分という人間を絶対分かって欲しい」
人間絶対主義なのだ。

男と女は随分と違う。
男同士、女同士でもそれぞれが違っている。

自閉症の人も、そうでない人も、その中間に居る人も
それぞれが問題を抱えている。
問題の多くは脳が勝手に創り出している。
僕らはそれに日々振り回されている。

生きていく風景はそれぞれが異なっている。
異なっていることを異なっているものとして
受け入れられたらいいな。
自分を許すように人のことを許せたらいいな。
そんなことを思ったりする。
許すも許さないも無いんだけどね。
本当はね。

2011年7月10日日曜日

モダニズムの起源

建築史家で建築家の藤森照信。
彼の書いた「人類と建築の歴史」を読んだ。
大変面白く、興味深い本だった。

驚いたのはモダニズム建築の起源。
藤森はシカゴ万博の日本館だという。
それを見て感動したフランク・ロイド・ライト。

かれが日本館の建物、
平等院鳳凰堂を模して作られた建築にについて論じた本。
それがヨーロッパに渡り、
バウハウスのミース・ファンデル・ローエ、
ウオルター・グロビウスらに多大なる影響を与えたという。

19世紀までの欧州建築は歴史主義で、
インターナショナル様式と呼べるようなものでは無かった。
つまり、古代ギリシャ、古代ローマなどのスタイル。
それが20世紀の最初の30年で全く変わったらしい。
構造的にも壁で建築していた西洋に対して、
平等院様式の、柱で建築を組み立てるブランは画期的だった。

個人的には「日本美の再発見」を書いた、
独逸の建築家ブルーノ・タウトの功績もあると考える。
彼が賞賛した京都の桂離宮。
極めてシンプルな造形はまさにモダニズムに通じる。
彼の著作は欧州でかなり知られたらしい。
当然これらもバウハウスに影響を与えただろう。

もう一つはキュビスムの影響。
全てのフォルムを幾何的に単純化すること。
単純化した形を面として扱うこと。
面と面の組み合わせをずらしたり、
離したり自由に行うこと。

藤森氏によれば日本の影響を受けた上で、
数学的な幾何学を用いたことが、
モダニズム建築の基本となったという。

これを読み終えた時、
建築に先立って19世紀の印象派美術に対して、
日本の浮世絵版画が与えた影響が頭に浮かんだ。
(つづく)

2011年7月6日水曜日

リア王

水曜日に携帯電話を無くした。
今年に入って2回目。
一度目は西武拝島線、玉川上水駅の車両の中。
翌日に見つかった。

自分の携帯に電話した。
聞き慣れた男の人の声。
夕飯に寄った、思い出横町の定食屋のマスター。
落ちていたのを拾って預かってくれていた。

昨日、1週間以上見つからなかった絵日記が出てきた。
毎日、デタラメな英語と緩い絵を描いていた。
諦めたかけた処に職場の段ボールから発見。

去年から落とし物が悉く見つかっている。
エレキギター、(落とすなよ、オレ)他数点。
ほとんどが電車の中。たいていは酔っている。

その前の数年間、落とし物は必ず紛失していた。
メガネが2点、帽子は5,6個、傘多数。
メガネは電車の途中に無くしているのだが、
何故か出てこなかった。

他にも手提げ袋や何か。
見つからない周期と見つかる周期。
何故だが解らないがそんなものは在る。
まるで、ギャンブルにおけるツキの波のように。

短い一時期のギャンブル体験。
毎日のようにパチンコ屋に通い、そこそこ勝っていた。
ある日から連日負けるようになり、
ただでさえ苦しい学生の身分なので止めた。

先日読み終えたシェイクスピアの「リア王」。
小学校の予餞会の劇がなんとリア王だった。
オレはリア王の末娘、コーディリアと結婚する
フランス王の役で、同級生の紀美子がコーディリアだった。
予餞会当日。シェイクスピアの四大悲劇の一つなのに、
何故か客席は爆笑の嵐。田舎の小学生がリア王だもんな。
オレなんかがフランス王と思ったら笑うよな。

信じた長女、次女に裏切られたリア王。
最後は錯乱の上に死ぬのだが、
かつて王であった自分をただの老人だと自覚する姿が良い。

マクベスもそうだが、
人間を見えない運命に翻弄された存在と描く。
本当は翻弄も何も無く、あらゆるものが移りゆくだけなのだろう。

携帯を無くしたくらいでオタオタとする、
そんな自分の愚かさを嗤おう。
しかし、暑いねーー。

2011年7月3日日曜日

ポスト・モダニズム(近代主義について)

大学時代の現代美術論の教授。
美術評論家の藤枝晃雄氏。
授業は勿論だが、著書でも影響を受けた。

名著「ジャクソン・ポロック」。
「現代美術の展開」や「現代美術の彼岸」とともに
自宅の本棚に今でもある。

「日本は生まれながらのポスト・モダニズムで
モダニズムが欠如している」とかつて指摘されていた。
氏は日本の美術は文学的な色彩の濃い
シュルレアリズムの影響が根強く、
モダニズムの主流たるキュビスムや抽象絵画の系譜
が発展してこなかったという。

ポスト・モダニズムと言えば建築。
その先鞭をつけたのが建築界の巨匠フィリップ・ジョンソン。
彼はモダニズムの延長線にあったミニマリズム。
その標語であったLess is More.
「(より)少ないことは(より)豊か」といった意味か。
それを Less is Bore.と言ったジョンソン。
「(より)少ないことは退屈だ」という意味だ。
ジョンソンはモダニズムの様式に
西洋の古典要素、古代ローマや古代ギリシャ、ゴシック様式、
それらを取り入れることで現代建築の流れを変えた。

藤枝氏の言うモダニズムには
哲学者カントからの「根底を問う」といった
還元主義の思想がある。
絵画の構造や要素を明らかにして
「絵画とは何か」を問い続ける。

ダーウィンの進化論がそうだが、ルーツを辿ること、
集合論に基づいて分類すること、
これらにモダニズムの秘密がある。

絵画においてはモンドリアンの新造形主義を例にとろう。
絵画を線と色彩という要素に還元して、
その組み合わせによって絵画を成立させる。
水平線と垂直線は黒。色面は赤・黄・青に白。
それ以外を持ち込まないし、認めない。

でも、何故そのような考えに取り憑かれたのか。
そこが解らないと、モダニズム、近代主義の秘密は
解き明かされないと思うに到った。
(たぶん、続く)