2012年11月30日金曜日

日本のフォークベスト10

発表します。
ぼくが選んだ日本のフォークベスト10。
第10位 「竹田の子守歌」     赤い鳥
第9位  「カレーライス」     遠藤賢司
第8位  「白雪姫の毒リンゴ」  泉谷しげる 
第7位  「白い一日」       井上陽水
第6位  「どうにかなるさ」    かまやつひろし
第5位  「愛と風のように」    BUZZ
第4位  「私たちの望むものは」岡林信康
第3位  「あの素晴らしい愛をもう一度」
       加藤和彦と北山修
第2位  「少女」          五輪真弓
第1位  「されど私の人生は」  吉田拓郎

1位の「されど」は斉藤哲夫の作曲だが、拓郎の歌がいい。
ユーミン、中島みゆきはニューミュージックよりなので選外。
次点以下は ガロの「美しすぎて」と
山本コータローとウィークエンドの「岬めぐり」、
かぐや姫の「ぼくの胸でおやすみ」、
あのねのねの「別れの哀しみ」。なんか選外の方がいいな。

アルバムは
「元気です」     吉田拓郎
「もどり道」      井上陽水
「岡林信康の世界」 岡林信康
「DAY BY DAY」 泉谷しげる
「おめまだ春らかや」富所正一   など。
「おめまだ春らかや」は新潟で活躍したフォーク歌手。
越後弁丸出しの詩と繰り返しの多い曲構成。
20代で信濃川に身を投げて死んだ。

「人よりも遅れている。人よりも遅れている。
おめ、まだ春らかや。
人はへぇー秋らてがんに・・・。
人はみな秋の季節、人はみな秋の季節。
長い道を歩いている、長い道を歩いている。
これでいいのか、これで悪いのか
おれにはよー分からんけど
きっと、行き着く所は
みんな、同じなんだろうな」と越後の人を唄っている。

選外だけど凄いフォークだと思うのは
サトウハチローの「小さい秋」です。

2012年11月27日火曜日

白雪姫の毒リンゴ

モツ焼き「百薬の長」で知り合いの
ナカちゃんことナカタさん。

「いやーっ、よっしいちゃん。泉谷はいいねーっ。
あの『毒リンゴ』は最高だねーーーっ」
何でもナカタさんはNHKのBSで
泉谷のライブを聴いて見直したのだと言う。

そんなナカタさんに泉谷しげるのCD,
[DAY BY DAY]を貸してあげた。
ナカタさんは毎日、車の中で聴き続けたという。
2ヶ月後に返して貰ったが、
「あの音楽が耳から離れねえんだよー」という。
替わりに憂歌団とフォークベスト盤みたいな
CDを貸したけど、お気に召さないらしい。

秋はフォークがいい。
久しぶりに友人から貰った加川良を聞いた。
「焼そば一杯、20円~~~っ」心に沁みた。

ユーミンの2枚組ベスト盤も買った。
ビートルズ研究会というのバンドセッションを
毎月、新所沢で主催しているジャズピアニストのタカギさん。
田無の「だるまさん」でセッション仲間で呑んだ時、
「ユーミンは『ひこうき雲』から『コバルトアワー』までは
素晴らしい。中島みゆきも初期は凄くイイ」
とのたまった。至極同感である。

次回はぼくの好きなフォーク曲ベストを紹介します。

終わりなき世界

イチョウの木は2億5千万年前から、
現在の姿と同じ状態で存在していたらしい。
だから「生きた化石」と呼ばれているのだと、
通勤電車の車内映像で見て知った。

2億5千万年前と言えば、
まだ恐竜が存在していた時代だと思う。
凄いなと思った。何が凄いのかはよく分からないけれど。

東京の紅葉が見頃を迎えた。
通勤で乗る、拝島駅から田無駅までの眺め、
玉川上水歩道の並木が堪らない。
美しくて、毎日毎回感動してしまう。

東大和市駅の直ぐ脇に、ひときわ大きなイチョウの木がある。
毎年のようにその紅葉を楽しみに待っている。
毎日、真剣に紅葉見物をしていると、
今まで知らなかった紅葉ポイントを発見する。
晩秋の季節が一年で一番好きだ。

テレビ番組「ホンマでっかTV]を久しぶりに見た。
コンピュータの暴走が世界を破滅させるという、
映画ターミネーターの世界が現実となる危険があるらしい。

そう言えばスマートフォンが言うことを聞かなくて、
フリーズして困ると聞いたことがある。
メールその他で先廻りして単語や文章がでる。
時々、自分が書いているのか、
機械が勝手に書いているのか 分からないなと感じることがある。

暴走したコンピュータが核ボタンを押すことは、
考えただけで恐ろしいが、可能性があるのだという。
機械は周到に人類を滅ぼすのだろうか。
そしてその世界でも、
まだイチョウの木は存在しているのだろうか。

ラースとその彼女

芸術とは妄想力である。

写実的な絵画やリアリズムの小説、ドキュメンタリー映画は
違うと言う人もいるかも知れない。
しかしそこに「絵画世界」や「小説世界」が
存在していると思わせるのが芸術の妄想力なのだ。

映画「ラースとその彼女」を観た。
人付き合いの苦手で真面目なラースに彼女が出来る。
名前はビビアン。職業は看護師。
問題はビビアンが本当の人間ではなく、
精巧に作られた人形(ダッチワイフ)だと言うこと。

ああ、そうだ。恋愛もまた妄想力なのだ。
人形か、人間か違いはあるけれど。

意外にもお話は純愛で家族愛の映画だった。
ラースは兄と義姉にビビアンを紹介する。
所属の教会の仲間や会社の同僚にも紹介する。
真面目で優しいラースの妄想の彼女を
周囲は本当の恋人として接する。

ラースは彼を産んで直ぐに亡くなった母親に、
抱いてもらった記憶がない。
だから成人の女性に抱擁されると、
激しい痛みを感じてしまう。

兄と義姉はラースをカウンセラーに連れて行く。
もちろん、ビアンカも連れてだ。
ラースはビアンカの治療の付き添いと思い込んでいる。

自分の幼年期の母親に対する葛藤を、
しだいにラースは自覚していく。
それはビアンカとの別れに繋がっていくのだが。

芸術の妄想力は強力だと思う。
我々は芸術なしに生きられるかも知れないが、
我々はどうしようもなく芸術を欲する。
私自身、自らのささやかな創作に救われているし、
多くの偉大な芸術家の魂に慰められている。

映画「ラースとその彼女」を観て、
そんな思いを強くした。

「真実は醜い。
真実に滅ぼされないために、
我々は芸術を持つ」
ニーチェ