2012年11月27日火曜日

ラースとその彼女

芸術とは妄想力である。

写実的な絵画やリアリズムの小説、ドキュメンタリー映画は
違うと言う人もいるかも知れない。
しかしそこに「絵画世界」や「小説世界」が
存在していると思わせるのが芸術の妄想力なのだ。

映画「ラースとその彼女」を観た。
人付き合いの苦手で真面目なラースに彼女が出来る。
名前はビビアン。職業は看護師。
問題はビビアンが本当の人間ではなく、
精巧に作られた人形(ダッチワイフ)だと言うこと。

ああ、そうだ。恋愛もまた妄想力なのだ。
人形か、人間か違いはあるけれど。

意外にもお話は純愛で家族愛の映画だった。
ラースは兄と義姉にビビアンを紹介する。
所属の教会の仲間や会社の同僚にも紹介する。
真面目で優しいラースの妄想の彼女を
周囲は本当の恋人として接する。

ラースは彼を産んで直ぐに亡くなった母親に、
抱いてもらった記憶がない。
だから成人の女性に抱擁されると、
激しい痛みを感じてしまう。

兄と義姉はラースをカウンセラーに連れて行く。
もちろん、ビアンカも連れてだ。
ラースはビアンカの治療の付き添いと思い込んでいる。

自分の幼年期の母親に対する葛藤を、
しだいにラースは自覚していく。
それはビアンカとの別れに繋がっていくのだが。

芸術の妄想力は強力だと思う。
我々は芸術なしに生きられるかも知れないが、
我々はどうしようもなく芸術を欲する。
私自身、自らのささやかな創作に救われているし、
多くの偉大な芸術家の魂に慰められている。

映画「ラースとその彼女」を観て、
そんな思いを強くした。

「真実は醜い。
真実に滅ぼされないために、
我々は芸術を持つ」
ニーチェ

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