2013年5月26日日曜日

ぼくは負け犬

ビートルズのアルバムFOR SALE。
2曲目がI'm a loser ジョンの歌だ。
直訳すると「ぼくは負け犬」
恋に破れた男の歌。

「八重の桜」を見ていたら、
中村獅童演じる勇ましい武士が、
作戦参謀に向かってこう叫ぶ。
「ぬしは腰抜けか~~~!」と。

「腰抜け」「弱虫」「負け犬」「女々しい」
いずれも居丈高な人が、
回りを責める時の常套句だ。
でもそう言う人の多くは厳しい現場や、
ましてや戦地には赴かない。
(中村獅童は武闘派役だけど)

あれが史実とは思わないけど、
「八重の桜」の慶喜公は、
家臣を焚き付けといて尻を捲る、
困った指揮官として描かれている。

村上春樹の小説「ダンス・ダンス・ダンス」に、
羊の格好をした羊男が出てくる。
彼は「戦争に行きたくない」ので隠棲している。
「いつか必ず戦争は始まるよ」と羊男は言う。

国際関係が悪くなると、
とたんに他国や他民族へ攻撃的になってしまう。
でも本当に自分が一兵卒として
戦地に行くことなど、ほとんど誰も想いもしない。

自分が特攻隊員として出撃しなければならない、
そんな夢を見たことがある。
同級生はすでに行ってしまっている。
夢の中で、悲しくて、恐ろしくて泣いてしまった。
本当にそうだったら、
気が狂ってしまうしまうかも知れない。

負け犬、腰抜けと罵られても、
知らんぷりして、生きていく。
そういう人に、ぼくはなりたい。

2013年5月8日水曜日

A HARD DAYS NIGHT

A HARD DAYS NIGHT
言わずと知れた、ビートルズの名曲。
そして同題のアルバム。(映画もよい)

ビートルズ最高のアルバムとして
よくサージェント・ペッパーが挙げられる。
米国ビルボード誌の歴代最高のアルバムランキングで、
第1位に選ばれたからだ。

まあ悪くはない。
そもそもビートルズのオリジナルアルバムは、
悪くないどころか、どれも凄くいい。
ビートルズのほとんどのアルバムを
聞いているファンにとって、
どれがベストかは難しい。

それでも敢えて言おう。
アルバム A HARD DAYS NIGHTが一番だと。
これほど完成度が高く、
ビートルズの魅力に溢れたアルバムはないと。
しかも全曲で30分ちょっと。
信じられない。

しかしながら、
ぼくの一番好きなアルバムはホワイトアルバムだ。
あのまとまりや一体感のない、バラバラな音楽。
ヘンテコな曲が多いアルバム。
しかしどうしても、このアルバムが好きだ。

次に好きなアルバムが、LET IT BE。
これも完成度の高いABBEY ROADに比べて
旗色が悪く、出来損ないみたいだと悪口を叩かれる。
小六で初めて聞いたビートルズだから、
致し方ない。

A HARD DAYS NIGHTは昔から好きだった。
けれど年を取ってライブセッションに夢中になって、
このアルバムの素晴らしさに気付かされた。

予定は無いが、次のライブでは
アルバム全曲を演奏してみたい。
それがヘボロッカー、よしい・レノンの
ささやかな望みである。

2013年5月7日火曜日

十字路の悪魔(クロスロード)

クロスロード。
言わずと知れた、
ロックの元祖、ロバート・ジョンソンが
悪魔に魂を売り渡した場所だ。

しかしこれは伝説である。
悪魔は何処に居るのか?
たぶん、私たち一人一人の心の中に。
悪魔は決して、私たちの外には居ないのだ。

問題は十字路でも、悪魔でもない。
ロックンロールが、人の魂を揺さぶることだ。
ロックはROCK。即ち人を揺さぶる音楽のことだ。

ぼくは何時、自分の中の悪魔に、
自分の魂を売り払ってしまったのだろうかと?
日本酒やビール、赤いワインを飲みながら、
ロックンロールを聴きながら、
悪魔と取引したのだろうか。
酔った後の記憶は、ほぼ九割方ない。
だから、悪魔との取引の記憶はない。

ぼくは絵描きだから、
ライブはしても、音楽の取引はしないし、あり得ない。
美術に関しても、取引の予定は無い。

けれども、時々こう考える。
ぼくと悪魔の取引は終了しているのだと。
ぼくの作品が、世界に認められた時、
そのような悪魔がぼくの前に姿を見せる。

ぼくは悪魔に告げるだろう。
この十字路では、おまえの技は通用しない。
お前の力は、ロバート・ジョンソンへ
ロックの魂を伝えた時に
既に失われてしまったのだと。

それでも悪魔はこんな風に言うのだ。
「お前がお前の欲望と折り合いがつかなければ、
オレはお前の魂を手に入れる。
それは、いつでも供給されるのだ」

悪魔はいつまでも、
十字路に立っている。

2013年5月6日月曜日

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

ベストセラーになった村上春樹の書き下ろし小説。
「色彩を持たない多崎つくると、
彼の巡礼の年」を見て驚いた。

小説のタイトルとか内容とかではない。
表紙の絵が、米国のカラーフィールドペインティングの画家
モーリス・ルイスの作品だったからだ。

ぼくは学生の頃から、ルイスに憧れていて、
彼の分厚いカタログも持っていた。
カラーフィールドペインティング。
直訳すると「色彩の場の絵画」
大きく明快な色面を絵画の主題としている。
小説の絵画は、ルイスの晩年の
通称ストライプシリーズと言われている。

村上春樹の短編集「神の子どもたちはみな踊る」
その表紙には日本のシュールレアリスト
北脇昇の作品「空港」である。

日米のどちらかと言うと
やや地味な画家の作品の選択には感心した。
(ついでに言うと「1Q84」の文庫版の表紙。
奇想の画家ヒロイムス・ボスの代表作
「快楽の園」が使われていた)

ぼくは昔からの春樹ファンを自認している。
読んでないのは「アンダーグランド」くらいで
好きな作品は繰り返し読んでいる。
(一番好きなのは「羊をめぐる冒険」だ)

毎年、ノーベル賞選考の時期になると、
村上春樹が受賞するか話題になる。
ぼくは大好きな作家だから敢えて言う。
彼はノーベル賞を獲るような作家ではない。
獲る必要もないと思う。

春樹は好きな作家の一人に
米国の小説家、ジョン・アーヴィングを挙げている。
ぼくも好きで何冊か読んでいる。
彼はリアリスティックな文体で
大人のためのお伽噺を綴る。
翻訳で読んでもアーヴィングの方が、
村上春樹よりノーベル文学賞に相応しいと思う。

芥川賞を獲った作家はあまたいる。
まあ獲ることは大変なことだし、名誉なことだと思う。
けれど獲りたくて獲れなかった太宰治の経歴に、
芥川賞のキャリアは必要ない。

ノーベル文学賞は芥川賞とは比べものにならない。
もし獲ったら日本中の春樹ファンが、
ファンじゃない人も喜ぶだろう。

エンタテインメントでも純文学でもない。
そこが村上文学を魅力ではないだろうか。
だから村上春樹にとって、
そもそも賞は必要がないように思うのだ。