2010年12月27日月曜日

一炊の夢

 自分の記憶が疑わしい。

 まるで映画「ブレードランナー」みたいだ。
 自分の過去の写真や、作品、文章など様々な痕跡。
 それらを見ると、そんな過去を持っていると思う。

 けれど、それらが「刷り込み」では無いと言う保証はない。
 ブレードランナーの「レプリカント(人造人間)」。
 彼らは数年の命にも関わらず、
 刷り込まれ捏造された過去を「在った」ものと信じている。
 彼らと私はどこがどう違うのか?

 たまに、いや割合記憶が飛ぶことがある。
 例えば昨日の一日。
 「何をしたのか」「何を食べたか」「何を見たのか」
 これらを子細に想い出そうすると想い出せない。
 
 僕は緑内障で毎日の点眼が欠かせない。
 しかし、10分前に点眼したのか確信が持てない。
 仕方なく、点眼をしたらカレンダーに印をつけている。

 一昨日、いつもように「百薬の長」で呑み、
 キムちゃん、白石さんとスナック「京子」へ行った。
 何を歌ったかは半分くらい覚えている。
 店を出てキムちゃんと別れてから定かでない。
 気が付いたら、着替えもしないで布団で寝ていた。

 記憶違いも甚だしい。思いこみが酷い。
 何が少年力だ。老人力バンザイ!

 「過去」は存在せず、過去は想起しか出来ない。
 「現在」も認識出来ない。「未来」全く存在しない。
 「時間を哲学する」の著者、中島義道氏はそう書く。
 時間を線的に空間的に捉えようとした
 これまでの「時間概念」を批判する。
 
 分かりもせず、存在しない悠久の時間を妄想する。
 そして人生を儚いと嘆く。それは不幸だと言う。
 「長い」とか「短い」とかの相対化を無意味化している。

 もう僕らは「過去」や「未来」に
 患わされなくてもいいのだと思った。
 その哲学自体が中島氏の妄想に過ぎないとしても。

 とどのつまり「自分」という幻想なのだろう。
 「この私という病」。

 「私が生きている時死は存在せず、
 死が存在する時、私は存在しない。
 ゆえに私と死は無関係である」
 誰の言葉だったか、やはり思い出せない。

2010年12月25日土曜日

「世の中は・・・」 (深夜食堂より)

 漫画「深夜食堂」のドラマ版。
 
 DVDを知人に廻しているが大好評だ。
 漫画には無いキャラクター。
 それがオダギリジョーが演じる
 着流しの世捨て人?だ。
 
 彼の出演は短く、ドラマの流れと関係はない。
 けれど彼が吐き出す箴言のような台詞。
 「世の中は・・」で始まり、強烈な印象を残す。
 ドラマ全編の彼の台詞を集めてみた。

 「世の中は二人が良ければ吉野川。人生なめんなよ」
 「世の中はさすらい迷って戻り川。人生なめんなよ」
 「世の中は浮かれ沈んでナイル川。人生なめんなよ」
 
 「世の中は下流中流有栖川。人生なめんなよ」
 「世の中は付かず離れず隅田川。人生なめんなよ」
 「世の中は酸いも甘いも長瀬川。お見事!」

 こう書いて見てもドラマを見ていない人には
 さっぱりピンと来ないだろう。

 是非、「深夜食堂」を見てこのセリフを味わって下さい。 

2010年12月21日火曜日

ジーキル博士とハイド氏

 トイレの夢。

 子どもの頃、トイレの夢を見ると
 次の朝はシーツに地図を描いていた。
 
 昔の田舎ではトイレは離れにあり昼でも暗い。
 しかもボッチャントイレだった。
 
 だからトイレが怖かった。
 このことは宮崎駿も書いており、
 トイレが怖い処で無くなって
 人間の想像力も変わったと述べていた。

 アニメ「魔女の宅急便」を見ると、
 西洋でもかつてトイレは離れというか
 家の外に在ったことが分かる。

 ずっと悪夢に悩まされてきたが、
 最近は、悪夢を見るとこれは夢なんだと気付くようになった。
 夢の中で夢に気付くと、厭な夢から醒めることが出来る。
 でもそれが限りなく日常に近いと、夢と判断するのは難しい。

 ある晩こんな夢を見た。
 いつものように百薬の長で飲んでいた。
 うっかりと寝てしまったが、起きるとまた同じ場所に居た。
 夢の中で寝て、また起きて同じ場所に居たのは初めてだった。 
 こうなると夢と現実の区別は困難だ。

 毎日同じ夢の続きを見ていたら、
 それは完全にもう一つの日常になるだろう。
 二つの日常は僕らを破滅に導くのだろうか?
 それとも幸福になれるのだろうか?
 
 ジーキル博士とハイド氏。
 一人の人間の二つの人生は悪夢になるのだろうか?

2010年12月16日木曜日

捨てちまえ、脳

 僕のアパートの壁には様々なものが飾ってある。

 入口の暖簾にはポロック風のドリッピング。
 ドアの脇には、ティッシュ箱に「あくまくんと天使」から
 天使の彫刻の写真をカラーコピーして貼ってある。
 
 靴箱の上には板で作ったキャットくん人形。
 クリスマスのスノードーム、サンタや雪だるまの人形など。
 壁面にはキャンバスやボードに描いた大小のプロントくん。
 「ケーキ」を運ぶ天使の絵。
 彫刻家、三沢厚彦の犬型カード。
 青梅線と西武線の時刻表。

 本棚には大小のフィギュア。
 キカイダー、ハカイダーに鉄人28号。
 鉄腕アトム、熊の帽子を被ったキューピーちゃん。
 北欧のガラスのキノコ人形、アジアの金属製の狛犬。

 個展「レクイエム」から
 「怪獣と巨大ロボット」のカラーコピーの作品。
 たむらしげる氏イラストのエコバック。
 知人の俳句が書かれたいくつかの書。
 「気らくにいこうぜ」のメモ。

 そして友人で俳優の大高洋夫の芝居で貰ったチラシ。
 白地に黒の明朝体で「捨てちまえ、脳」とだけ書かれている。
 
 「捨てちまえ、脳」は「捨てちまえ、自意識」かな。
 「捨てちまえ、この私という病」かな。

 捨てられない自分に自分の欲深さを感じる。
 今朝は霜で畑が真っ白だった。
 富士山が朝陽に輝いていた。 

2010年12月13日月曜日

雨は似合わない

 師走の空に雨が降った。
 冷たい雨だ。

 武蔵野の林はあっという間に冬枯れの相になった。
 冬の朝は寒いが、冬景色は悪くない。
 
 18日のビートルズセッションへ向けて
 毎日のようにギターを弾き歌っている。
 ライブじゃないのにこんなに練習するのは
 久しぶりのことだ。 
 何だか少しだけ上手くなった気がする。

 プロントくんの絵本。
 次回の個展で一番最後に仕上げるつもりだった。
 けれど2週間くらい前から、
 急にアイデアが浮かんで試し描きが佳境を迎えている。
 このまま仕上げらればいいのだけれど。
 自分で仕上がりが楽しみな時が一番よい。

 趣味と実益のテニスの腕が上がったようだ。
 前の感覚が体力が戻って来たことと、
 以前よりも、技術を客観的に捉えられるようになった。

 僕は絵描きだけれど、音楽もテニスも好きだ。
 でも歌が詠めて、ダンスが出来ることに憧れる。
 たぶん一生出来ないと思うけれど、なおのこと憧れる。

 けれども最も大切なことは、
 呼吸をすること、飲むこと食べること。
 見ること、聞くこと、そして眠ること。

 冬だから、雨は似合わない。
 冬だから、青空が美しい。

2010年12月11日土曜日

「少年力」宣言

 未知なるものへの憧れと、好奇心を失わない心、
 それを「少年力」と呼ぼう。

 人は生きている限り歳を重ね老いる。
 しかし「少年力」を胸に秘めた人間は
 男女を問わず「青春」を生きる。

 「少年力」が大切にするもの。
 それは「遊び」だ。
 ゲームやエンタティメントをすることも遊びだが、
 何も特別な遊びを指すわけではない。
 空や雲、花々やビルの谷間を眺めて何か感じる心、
 日常の中に在るものと、頭の中に在るものを結びつけること。
 それが「遊び」だ。

 「少年力」は「大人」になることを拒否しない。
 それどころか、大人になることを受け入れて、
 大人の思考を持つこと。
 これは「少年力」にとってプラスだ。

 古いもの、古い文化を大切にしながら、
 新しいものとの融合を夢見る。
 純粋さと素朴さを持ちながら、
 大胆さ、ある種の野蛮さを持つことを畏れない。

 あらゆることに妥協するように見えながら、
 「遊び」では譲らない。でも勝ち負けに拘らない。
 合い言葉は「ナウいヤング」。
 目標は「気らくに行こうぜ」。
 理想は「酔生夢死」。違うか・・・。 

 そんな「少年力」を持った年寄りになるべく、
 努力を重ねたい。でもがんばらないんだよ。

2010年12月6日月曜日

ヒロシです 2010

 自虐ネタの芸人ヒロシが復活している。

 「笑点」に出演したあと「笑っていいとも」に出演。
 両方ともほとんど同じネタだったが、見飽きない。
 「いいとも増刊号」で3回目を見た。
 繰り返し見ると、味わいが増す。面白い。

 「ヒロシです・・・・・。
 視力はいいのに、未来が見えません・・・」。
 「ヒロシです・・・・・。
 3年前まで、ヒロシさん一生応援します。一生ラブですの
 ファンレターがたくさん来ました・・・。
 みんな、死んだのでしょうか?・・・・」。
 「ヒロシです・・・・・。
 とうとう、もうすぐ消えそうな
 お笑いタレントランキングからも消えました・・・・・」。
 「ヒロシです・・・・・。ヒロシです・・・・・。
 ヒロシです・・・・・」。

 同じネタで何度も面白いのは古典落語の世界である。
 枕(話始め)もオチも同じでも面白い。
 
 「笑点」の大喜利メンバーで活躍中の春風亭昇太。
 彼の創作落語を芸術劇場と浅草演芸場で2回観た。
 同じ落語で海外旅行中の日本人をテーマにした話だった。
 この人売れるだろうなと思っていたら、
 まもなく「笑点」のレギュラーになった。
 「笑点」では、50歳を過ぎて結婚出来ない自分を
 よくネタにしている。

 人を攻撃するネタは瞬発力はあっても長続きしない。
 自分を馬鹿だなあというネタは人を安心させる。
 ああ、そうか馬鹿なのはオレだけじゃないんだと。

 「フーテンの寅さん」があれだけ国民的人気を博したのも
 自分を尊大に見せない、むしろ自嘲する、
 そんな処にあったのではないか。

 自虐ネタも高じると卑屈になる。
 卑屈には恨みなどの負の感情が伴うが、
 自分を笑うことで人を楽しませた時、
 それはある種の客観性を有するようになると思う。

 名前が同じ「ヒロシ」ということもあるが、
 芸人「ヒロシ」の復活は嬉しい。

 「うしろすがたのしぐれていくか」山頭火
 山頭火は究極の自嘲俳人であると思う。

2010年12月4日土曜日

ある日常 2

 仕事を終えると真っ直ぐ駅に向かう。

 西武新宿駅まで徒歩で約10分ちょっと。
 以前は服飾店や雑貨など見て帰ることがあった。
 今はほとんどない。
 
 3年前から献血をしようと思っているが寄らない。
 TSUTAYAで映画を借りようと思うが、
 職場を出るとその気持ちが無くなっている。
 人混みの中に居ると一刻も早くと足が駅へと向かう。

 通るルートもほとんど同じ。
 出来る限り裏道を歩く。人が少ないからだ。
 たまに伊勢丹の前を通る。デスプレイが面白い。
 でも伊勢丹をすぎれば裏通りへ入り込む。
 
 駅に着くととりあえず急行に乗り込む。
 席が無い時は次のを待つが、
 なるべく早く新宿を立ち去ろうとする。
 たまに来るには面白いが、毎日通うと辟易する。

 電車で座ると、本を開く。
 読みかけの「ジーキル博士とハイド氏」だ。
 ラストのジーキル博士の遺稿が面白い。
 巻末の解説にもあったが、フランケンシュタインや
 ドラキュラ伯爵なども原作を読むと全く趣が違うとのこと。
 同じ原作者スチーヴンソンの「宝島」も読もうかと考える。

 本を読まず小さなノートに
 絵や次の個展のアイディアや文章をかくことがある。
 電車の中で思わぬインスピレーションを得ることがあるのだ。

 週に一度か二度、途中の小川駅で下車する。
 モツ焼きの店「百薬の長」に寄るためだ。
 後はほとんどアパートのある羽村駅に直行する。

 夕食を作る時は駅前の西友に寄る。
 やはり駅前の餃子の満州で食べることもある。
 先日は小松菜炒めセットを食べた。美味しかった。

 歩いて5分でアパートに着く。

2010年12月2日木曜日

ある日常

 毎朝、目を覚ましてから家を出るまで
 およそ75分。

 寒い朝はエアコンにスイッチを入れる。
 設定温度は18度。30分で切れるタイマーも入れる。
 風呂に火を点けて、5分から10分テレビを見る。

 テレビを見ないで洗い物をする時もある。
 週に一、二度弁当を作る時は気合いを入れる。
 弁当を作らなくても、朝ご飯の準備は毎朝する。

 風呂に入って、身体や髪を洗い髭を剃る。
 顔にクリームを塗り髪を乾かすまでが30分。
 今日のうらないカウントダウンも毎日見てる。
 でも髪を乾かしながらだから、全く頭に入らない。

 朝ご飯は10分から15分で作って10分で食べる。
 ご飯におかずが一、二品。味噌汁も時々作る。
 テレビを見ているが、最近はNHKが多い。
 ゴシップが少ないからだ。
 教育テレビを見ることもある。
 作家平野啓一郎のショパンの話は面白かった。

 身支度をして、駅へ向かう。
 ゴミ出しは基本的に前の晩に済ませておく。
 
 駅に着いて、電車の中へ。
 青梅線から、拝島で西武新宿線へ。
 ここで座ってホッと一息。
 
 メールもするが、読書が欠かせない。
 拝島から玉川上水駅までは風景が綺麗なので、
 新緑の春と、紅葉の頃は車外を眺める。
 冬の富士山も毎日ように見とれてしまう。

 今朝は雑誌ビッグイシューを読んだ。
 一応全部見たのだが、巻頭インタビューのオノ・ヨーコ。
 インタビューの英訳文(実は英語のインタビューなので原文)を読む。
 15分も読まない内に睡魔が襲う。
 読書は寝るためのきっかけなのか。

 目が覚めると高田馬場駅だ。

2010年12月1日水曜日

白い灯台

 坂道を歩いていた。

 左手は海。
 砂浜ではなく崖になっている。
 さほど険しくはないが、波が岩に砕けている。
 
 空は抜けるように青く、
 白い雲がふわりと浮かんでいた。
 
 坂道を登り切った処には、白い灯台がある。
 灯台を目指して歩いていた筈だが、
 右手に見える花園に目を奪われている内に見えなくなった。

 ここは何処なのか、にわかには解らない。
 季節は夏で、どうやら北の島らしい。
 樺太だろうか・・・。
 
 そんなことを思案しながら、さらに先を行く。
 まばらに木造平屋建ての建物が見える。
 いずれも、北の地に相応しい造りだ。

 一人きりだが寂しくはない。
 誰かに出会う予感もない。
 ただしんとした心持ちで歩いている。
 不安も畏れもない、不思議な心持ち。

 振り返ると、
 さっき見えなくなった
 白い灯台が見えた。

 *夢シリーズ第3話

2010年11月30日火曜日

夢のデパート

 西岸良平のマンガ「三丁目の夕日」。

 いつだったか、昔のデパートが描かれていた。
 昔のデパートの屋上はミニ遊園地だったと。
 
 驚いたのは今年閉鎖になった
 長岡大和デパートと同じ屋上モノレールが描かれていたこと。
 あれは全国のデパートにあったらしいことを知った。

 僕も乗った記憶がかすかだがある。
 狭いデパートの屋上を乗り物で一周するだけなのだが、
 幼い日の自分にはとてつもなく高い処に感じられた。
 あのような高揚感は後日ディズニーランドに行っても
 全く得ることは出来なかった。
 
 以前にも書いた気がするが、
 僕のお気に入りは乗り物ではなくて、
 電動紙芝居だった。

 10円?を入れるのと覗き箱の中がパッと明るくなる。
 音楽とともに語りが始まり、
 目の前の絵が、カシャカシャとスライドする。

 人気アニメだった「鉄腕アトム」や
 「狼少年ケン」を観たような気がしている。
 わずか1,2分で、中途半端で完結しないまま
 「続く」で終わったと思う。
 再び10円を入れても同じ話しか観られない。
 そのような機械が何台かあり、
 機械毎に全く違う話を観ることが出来た。

 初めて外国人を見たのもそのデパートではなかったか。
 階段をちょっと年下の女の子が歩いていた。
 外国人は珍しかった地方都市でも子どもはもっと珍しかった。
 テレビでしか見たことのない異国の少女は
 芸能人のように感じられた。
 
 大和の6階(7階かな?)は大食堂。
 当時のデパートの大食堂は華やかだった。
 入口前の食品サンプルを見るだけで心がときめいた。

 いつもお子様ランチや、チョコパフェ、 
 プリンアラモードなどを食べたい思っていたが、
 食べるのは決まって一番安い中華ソバだった。
 でもこれがまた美味しく感じられたのだ。
 ウェハウスが載ったアイスクリームを
 一度くらい食べた記憶があるが定かではない。
 昔は今よりも食べ物に対する‘憧れ’があったのだろう。

 3階か4階にオモチャ売り場のコーナーがあった。
 決して買って貰えることは無かったが、
 触って遊べるサンプルもあって
 親が買い物をしている間飽きもせずに遊んでいた。

 そんな夢のデパートはもはや無い。 
 わずかに記憶の片隅と
 「三丁目の夕日」の世界にあるのみである。

2010年11月25日木曜日

晩秋

 長期天気予報はまだまだ当てにならない。

 今年は秋が短く、
 いきなり冬のような気候になると報じられていた。
 11月に入って、寒い日もあるが概ね穏やかである。

 拝島駅からの車窓の眺めも晩秋の趣となった。
 東大和市駅、駅前の大イチョウの木も黄色に輝いている。

 朝の情報番組では京都の紅葉名所を紹介していた。
 旅番組も紅葉、紅葉だ。
 紅葉ファンとしては嬉しい限りだ。

 鮮やかなモミジも、イチョウもいい。
 ドウダンツツジも見事だ。
 けれど、玉川上水沿いの雑木林の紅葉。
 これが堪らない。

 新緑の時期を除きほとんど同じ緑だった雑木林の葉。
 晩秋の紅葉は燻し銀の輝きだ。
 色はあくまでも落ち着いた赤茶やくすんだ黄色など。

 まるで、パウル・クレーの絵画のようだ。
 彼の代表作の一つ「秋のしらせ」。
 渋い色調のグラデーションを背景に、紅葉した木が一本。

 今年はまだ、
 玉川上水道の落ち葉を充分に踏みしめていない。
 秋の終わりは近い。

2010年11月21日日曜日

一瞬を描く

 葛飾北斎の富嶽三十六景から「神奈川沖裏」。
 遠くに富士を臨み、画面全体を大きな波が揺れる。
 
 安藤広重の東海道五十三次から「四日市」。
 強風に揺れる柳の木を中心に、
 手前に向かって転がる笠を追いかける旅人。

 いずれの場面も
 当時出来たばかりの写真技術では捉えられない、
 ある場面の一瞬を描いている。
 それらは映画の一場面のようでもある。

 「今を表現すること」。
 「近代の絵画」について
 詩人のボードレールはそう語ったらしい。
 何を当たり前のことをと思う人は多いと思う。

 しかし当時のサロンでは宗教画や歴史画が主流だった。
 だから、当時の都市や田舎の風景、風俗や肖像や静物など
 印象派の画家たちが好んだ主題は、
 サロン(官製展覧会)においては劣る画題とされたのだった。

 そんな印象派の画家達が浮世絵をみて意を強くしたことだろう。
 実際に彼らの多くは熱心な浮世絵コレクターだった。
 マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャンら
 浮世絵の構図や色彩表現、線と色面の効果などを学んだ。

 毎日の通勤で見かける光景。
 同じ瞬間は二度と来ないと、そう思う。

 「同じ川に二度と入れない」といった
 古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの気持ちが
 歳を重ねる毎に分かる気がしてきた。

2010年11月20日土曜日

ばか、うんめーっのっし!

 風邪を引いた。

 一昨日の朝のことだ。
 喉の痛みで目が覚めた。
 急に寒くなって、玉川上水沿いの雑木林が
 紅葉の見頃を迎えたなと思った矢先だった。

 仕事を休み薬を飲んで寝たら、半日で改善した。
 まだ油断はならない。
 それでも午後から仕事に行き、
 早めに帰って休んでいた。

 9時に寝ようと思ったが、
 テレビのチャンネルを回すと「秘密のケンミンショー」が始まった。
 しかも2時間スペシャル。マズイ。まずいよ。

 ちょっと見て寝るつもりだった。
 しかし、10時を回った時それは始まった。
 スペシャル企画「ケンミン代表酒豪サミット」である。
 
 火曜日から三日酒を飲んでない。
 風邪さえ引かなければ、今日は百薬で呑んでいた。
 せめて旨い酒と肴を眺めたい、そう思った。面白そうだし。

 新潟代表は元バレー選手の川合俊一だった。
 酒は「緑川」、肴はするめイカの天ぷら。
 次々と登場する各地の銘酒とつまみに心が躍った。

 自分なりに仮想の酒と肴の組み合わせを考えた。
 まずは赤ワイン。チリワインのサンライズで上等。
 肴は味付けガツにクレソンを和えたサラダ。うんまい。
 次はビール。サッポロの黒ラベルか
 キリンのハートランド。グビグビグビ、ぷっはーだ。
 つまみには枝豆。時期はずれだけど、
 黒崎の茶豆ならの冷凍でもいいや。

 次は日本酒。やはり村上の〆張鶴か。
 ちょっと温めの燗酒で馬刺しを食す。
 もうたまらない。おでんに湯豆腐があったら最高。

 焼酎は沖縄の古酒(クースー)。
 食堂やんばるのイカ墨ソーメンとはゴールデンコンビ。
 留めはウイスキー。バーボンもスコッチもラムもいい。
 けれど、やっぱりニッカの竹鶴。
 肴はカモンベールチーズに、板チョコ。太るぜ、オレ。

 今日はだいぶ体調がいい。
 午後からの仕事の後は、とりあえず百薬で燗酒を。
 カシラとナンコツがあればいいんだけどな。

 間違いなく、
 こってうんめーこってさ。
 

2010年11月16日火曜日

第一句集「よこしまな僕」

 よこしまな僕もほんとうの僕

 反省などしない串の数を数えながら呑む

 酒匂う脳みそで憶い出している


 頭のうしろから銀杏の匂い

 君は正しいだからなんだっていうんだ

 退廃も虚無さえもない二十一世紀


 退屈という日常の檻に隠れている

 神々しくあくまでも神々しいパチンコ屋のあかり

 どうしようもない脳天気でいよう


 雲はなく影も静かに日曜日の朝
 
 木の葉降るひねもす眠い十一月か

 なんだか今朝は墓石も輝いて


 坂道を転げ落ちるように生きる

 道徳は天使のような悪魔のささやき

 こんなにひどい自分を責めない


 生きるただじたばたと生きる

 煙突がすっきりとくっきりと朝

 まっすぐな土手の道を歩く 

2010年11月14日日曜日

明日のジョー

 近藤正臣がかっこいい。

 NHK大河ドラマ「龍馬伝」で
 土佐藩主山内容堂を演じている。
 
 あれがあの青春ドラマ「柔道一直線」で
 一条直也役の桜木健一のライバル役だった近藤正臣か。
 記憶の片隅にある近藤正臣は足でピアノを弾いたり、
 高校の校舎から校舎へ飛び移る気障なハンサム男だった。

 ところが容堂役の近藤はどうだ。
 他の役者を圧倒する存在感を示している。
 ああ、オラもかっこいいジジイになりてえ。

 大人気の朝ドラ「ゲゲゲの女房」の後、
 10月から始まった朝ドラ「てっぱん」。
 意外と面白い。

 この中でどう見ても主役に見えてしまう富司純子。
 ご高齢なのにもの凄く綺麗だ。
 ヒロインの母親役の安田成美も綺麗だけど敵わない。
 ヒロインの娘も評判がいいらしいが、名も知らない。
 とにかく富司純子がいい。

 美人の上に何とも言えない雰囲気と味わいがある。
 凛としていると言えばいいのだろうか。
 お婆ちゃん役なのが惜しい。
 
 綺麗な格好をして、ソフトバンクのCMじゃないけれど
 孫みたいな男性と恋愛もので出て欲しい。
 (ソフトバンクCMの若尾綾子も綺麗だと思う)。

 ジョン・アーヴィングの小説「未亡人の2年間」では
 少年の時に人妻と関係した主人公が、
 生き別れになってからも思い続け、
 すっかり高齢になったかつての恋人と再会し、
 再び結ばれるという大人の寓話が描かれていた。

 別に僕は年上好みじゃない。
 どちらかと言えば年下の方が好みだ。

 けれど、かつての美男美女が
 高齢になって魅力と味わいを増していることを嬉しく思う。
 
 オラもかっこよくなるべく、
 明日から努力を始めよう。 
 「明日はどっちだ・・・・」。

2010年11月12日金曜日

ダ・ヴィンチと利休

 ダ・ヴィンチと利休。

 この二人を比較しその背景を比較したら、
 西洋と日本の近世の形が見えてくるのではないか、
 そう考えて調べてみた。

 僕がライバルと認めるレオナルド・ダ・ヴィンチは、
 云わずと知れたイタリアルネッサンスの万能の天才である。
 彼はキリスト教への信仰は持っていたようだが、
 聖書の教義の科学的な誤りには、気付いていた。

 時代背景は大航海時代の幕開けであり、
 異国からの様々な文化・文物がもたらされた。
 イタリアは小国に分裂しており、内戦のみならず
 国外からの侵略があった。

 千利休は「侘び茶」を大成し、
 その後の日本文化の形を作った一人である。
 彼は「侘び寂び」の精神性を追求し広めた人であり、
 様々な美術・工芸を組み合わせによって見立てる人であり、
 自分の精神を表すために、茶碗や茶室などをデザインした人である。

 室町後期から安土桃山時代は、
 中国・明との貿易で唐物と呼ばれる中国の書画・工芸がブームとなり
 大航海時代のスペイン・ポルトガルなどが南蛮文化を伝え、
 ベトナムに日本人町が生まれた時代だった。
 そして正に戦国時代。
 
 戦争の時代、異文化の流入、大商人の台頭など
 数多くの共通点を持つことが見えてくるのだ。
 宗教の衰退によって中世の価値観が壊れた時代でもある。
 
 そこで生み出された文化は
 いずれも後の時代に継承・発展し
 今日まで続いているものが少なくない。
 
 ダ・ヴィンチと利休は近代的な「自意識」を持ち、
 それを外に対して発信した人たちだった。

 「茶の湯とはただ茶を点てて飲むことなり」利休

2010年11月9日火曜日

僕の胸でおやすみ

 秋はフォークだ。

 友人との飲み会で花小金井の居酒屋虎居」に行った。
 虎居は様々な総菜を何種類もカウンターに並べ、
 客は目の前料理を見て注文出来る、近頃珍しい店だ。

 あればいつも注文するのが、ポテトサラダ。
 ドラマ「深夜食堂」の中ではエレクト大木の好物だった。
 ちょっと玉ねぎの苦みが効いていて、飽きが来ない。

 それから明太子のスパゲッティ。 
 最近は身体を気にして、明太子もパスタも食べない。
 でも此処では食べる。意味無いじゃん、オレ。

 鯵の南蛮漬けも美味。
 カラッと揚がった鯵に酸味のきいた酢醤油。
 玉ねぎ、ピーマンなどの野菜がミックス。
 
 あまり置いてないけど、たまにある砂肝炒めが絶品。
 砂肝特有の臭みがなく、甘い肉汁が焼酎によく合う。
 
 値段が安く、美味しいのでいつも満杯の盛況ぶり。
 しかも9時前に閉店なのでダラダラしなくていい。
 酒にだらしないくせに、いやだらしないオレだから
 酒はさっと飲んでさっと終わりにしたい。
 そうでないとずっと飲んでしまって、悲惨な結果になる。

 二次会では同じ花小金井のカラオケボックスへ。
 ここでは酒を飲まない。全員ソフトドリンクのみ。
 
 久しぶりにかぐや姫の唄を聴いた。
 「僕の胸でおやすみ」。

 秋はフォークだなと、確信した。

2010年11月5日金曜日

へうげもの

 戦国武将で誰が好きか?

 そう知人に尋ねられたことがある。
 彼は上杉謙信と答えた。
 「よっちゃんは?」。そう聞かれて初めて考えた。

 そして出た答えは千利休だった。
 利休は武将ではない。
 魚屋の息子で、堺の商人だった。
 だから知人の質問の答えにはなっていない。

 それでも戦国時代を生き抜いた人物として
 誰よりも利休に惹かれる。
 彼は「侘び茶」と言う「茶の湯」の世界を完成し
 近世以降の日本の文化に大きく影響を与えた。

 そういう強烈な美意識と精神世界を持っていながら、
 権力者に近づきその中枢に坐り、自らも権力を行使する。
 一方で茶道具で金儲けもする俗物の塊のような側面を持つ。
 そういう相反する振幅の大きさが好きだ。
 
 織田信長に仕え、後に豊臣秀吉の茶頭となる。
 「へうげもの」は利休の後継者とも云われる
 古田織部が主人公の漫画だが、
 織部と利休とのやり取りが面白い。
 利休と楽茶碗の創始者、長次郎とのやり取りが面白い。
 利休と秀吉のやり取りが面白い。
 
 利休は古くから日本にあった「見立て」を重視する。
 中国のもの、朝鮮のもの、あるいはベトナムや西洋のもの
 様々なものを本来とは違う形で
 茶の湯の道具として「見立て」るのである。

 また「完璧なもの」ばかりでなく「不完全な美」を愛した。
 だから市井の中に在りながら、
 まるで山中で隠遁している印象の茶室をデザインした。

 中国の「完全な美」を追求する精神に対して、
 「不完全さ」の中に移りゆく美を求めた。
 それこそが「侘び」と呼ばれるものではないか。

 そのことは長次郎にアドバイスした思われる
 黒楽茶碗にも現れている。
 手捻りで低温度で焼成された楽茶碗は見た目にも、
 脆そうで、わずかだが形が歪ませている。
 
 見事に咲いた朝顔を見たいと訪れた秀吉に対し、
 庭の全ての朝顔をむしり取って迎えた。
 呆然と茶室に入った秀吉が目にしたのは、
 床の間に飾られた、一輪の朝顔だったと云う。

 一昨年の夏だったろうか。
 国立博物館で行われていた、
 「対決・日本の美術」展では長次郎の楽茶碗と
 光悦の楽茶碗が飾られていた。 

 どちらも驚くほどの名品だった。
 利休を含めたあまたの才人により、
 現在に続く日本文化・美術が形作られたのだと思った。
 
 日本人は奢ってはいけないと思う。
 私たちは確かに素晴らしい文化を持っている。
 そのことをもっと知った方がいいし、
 誇りに思うべきだと思う。

 しかし、かつて詩人の高橋睦夫氏が述べていたことだが
 日本人は外への憧れを持つことで成長してきたのだと。
 それは、これからもそうあるべきであると。

 利休とその弟子にあたる織部は
 ともに主君の怒りを買い、自刃して果てている。
 彼らは自らの美学に殉じたように思われる。

2010年10月31日日曜日

長岡現代美術館

 おそらく日本で最初の現代美術の常設館だったのだろう。
 
 それが新潟の長岡市の街中に在った。
 現在は閉店された長岡大和デパートの裏。
 大光相互銀行のビルの1階。
 そこに「長岡現代美術館」は在った。
   
 外壁には鉄のレリーフは斉藤義重の作品。
 高校時代にその存在を知り、展示替えの度に訪れた。
 入場料は当時学生50円だったと思う。

 土曜日の午後に良く行った記憶がある。
 受付に誰も居ないこともあった。
 受付右手奥の館内は真っ暗だ。
 あれは廃館になる直前だっただろうか。

 「すみません」。
 声をかけると2階から事務服姿のお姉さんが降りて来た。
 慌てて入場券を切り展示照明のスイッチを入れてくれた。
 
 高校の美術室を一回り大きくしたようなスペース。
 美術館と言うよりも画廊といった観だった。
 観客は勿論、僕一人。

 展示内容は日本・西洋の近代洋画の巨匠展
 日本・西洋の現代美術の巨匠展の
 おおまかに分けて4つのテーマだったと思う。

 日本近代だと岸田劉生、浅井忠、坂本繁二郎、
 藤田嗣治、児島善三郎、小糸源太郎などなど。
 劉生の絵は代表作とも言える「冬枯れの道路」だった。
 浅井忠の「春畝」も見事だった。

 西洋近代絵画ではセザンヌ、クレー、ピカソから
 当時好きだったシュールレアリズムの巨匠
 ダリ、マグリット、デルボーなどが在った。

 現代美術は当時ほとんど知らなかったが、
 大学生になって現代美術の存在とその魅力を知るようになり、
 昔見た作品と作家名が一致するようになった。

 日本の高松次郎、菅井汲、篠原有志男、荒川修作ら。
 西洋のカステラーニ、フォンタナ、ローゼンクイスト、
 そしてフランク・ステラなど。

 新潟では2番目の都市とはいえ東京の近代美術館にも無いような
 現代美術作品が地方美術館に収蔵されていたことは驚きである。

 のちの美術評論家三木多聞氏は
 当時東京近代美術館の学芸員であったが、
 後輩に「長岡現代美術館」を見に行けと
 檄を飛ばしていた事を美術雑誌で知った。

 「長岡現代美術館」は経営母体の大光相互銀行が
 経営不振に陥ったことにより、その幕を閉じた。
 大光コレクションと呼ばれた収蔵作品は
 一部が現・新潟近代美術館に収まったが、
 多くは他の美術館などに散逸した。

 高校1年生で絵の世界を志した自分が、
 恩師の助言によって美術館の存在を知り、
 貴重な時間を過ごすことが出来たのは幸福だった。

 「情けは人の為ならず」と云う。
 僕が自分が受けた恩恵を誰かに返すことができるのか、
 甚だ心許ない。

2010年10月28日木曜日

お兄ちゃんのハナビ

 映画館で観る映画は年に1度くらい。
 
 去年はチェコの短編アニメ特集を観た。
 今年は「13人の刺客」を観ようかなと思ってた。
 そんな時に中学の同級生からメールが来た。

 「お兄ちゃんのハナビ」を観て泣いたとあった。
 昨年、片貝中学校28回卒業「双葉会」の仲間とともに
 記念の花火を打ち上げ、山車を牽いた時に
 その映画の撮影が行われていた。

 オラたちの姿も映画に収められていると言う。
 インターネットで調べたら、職場のある新宿から
 目と鼻の先に上映館「武蔵野新宿」は在った。

 チーズバーガーと午後ティーを買って映画館へ。
 午後1時開演の回に間に合った。30分前までは仕事。
 凄く小さくて狭い印象。客は10人ぐらい。
 全体で100席ちょっとという感じ。
 前から3列目の中央に坐る。
 万が一泣いてしまっても、前にも横にも人は居ない。

 1時から15分間の予告上映とCMの間に食事を採る。
 上映前のこの間合いが新作上映館の独特の雰囲気だ。

 映画が始まる。
 予想通り?上等な文部省推薦映画の雰囲気。
 白血病の妹と引き籠もりの兄。重苦しいテーマ。
 実話を基にしたらしいが、どう展開するのだろうか。
 それでも舞台である故郷の風景に見入る。
 妹の担任役の佐藤隆太が故郷の訛りで喋っていた。

 正直に云って、自分の郷里が舞台でなかったら、
 この映画を観ることは無かっただろう。
 それでも予想通り?映画の半ばから泣いた。
 ラストまでほとんど泣き続けた。時折声を出して泣いた。
 席の後からも泣き声が聞こえた。一番前で良かった。

 たくさん泣いたら、何故かとてもすっきりした。
 よく泣く女性の気持ちが少しだけ分かった気がした。

 ラスト、桟敷場での数々の花火の打ち上げ場面。
 実際に片貝町に居るような気持ちになった。
 
 「お兄ちゃんのハナビ」を観て片貝の同級生にメールをした。

2010年10月24日日曜日

死の勝利

 人は必ず死ぬ。

 全く眠らない人は居るらしいが
 食べること、排泄することで生を維持している。
 これら二つをしない(出来ない)状態でも呼吸はする。
 生きるとは息することだと、ある法話で聞いた。

 今日見た「NHK日曜美術館」。
 画家ブリューゲルの「名作十選」を特集していた。
 作家で大学教授の荻野アンナ氏が解説していた。

 そのブリューゲル解説の中で荻野氏が語っていたのが
 「人間は必ず死ぬ」「人間はみな愚かである」だった。

 ブリューゲルほど「人間の愚かさとその滑稽さ」、
 「生と死」を深く見つめた画家はいないかも知れない。
 少なくともルネッサンス期ではそれがあて嵌る。

 商業都市として栄え、市民階級が台頭していたフランドル。
 そこでは元々「日常をありのまま克明に描く」伝統があった。
 フランドルにおけるブリューゲルの先輩画家である
 ファン・アイク、メムリンク、ボスなどがそうである。
 その伝統はやがてフェルメールの絵画に結実する。

 イタリアルネッサンスの
 理想化され美化され演劇化した絵画世界とは明らかに異なる。
 基本的にイタリア半島では絵画・美術作品は
 教会や国王、国の権威などのプロバガンダであった。
 そこでは「死」も理想化される。

 「死の勝利」はブリューゲル初期の傑作である。
 死の馬に導かれて、夥しい数の骸骨の大軍が人々に襲いかかる。
 そこでは武力も財力も、あらゆることが無力である。
 ボスの影響が伺われ、陰惨な光景が幻想的に美しく描かれている。

 まるでシェイクスピアの「マクベス」の一節のようだ。
 「綺麗は穢ない(きたない)。穢ないは綺麗」。

2010年10月21日木曜日

この空を飛べたら

 通勤途中でカラスに遭遇しない日はまず無い。
 朝の新宿の裏通りは飲食店の出す生ゴミがあるからだ。

 時にはカラスと目が遭う。
 カラスの目を見つめると、
 カラスもこちらを一瞥し飛び去って行く。

 テレビでカラスの知能は人間の4歳に匹敵するらしいと。
 それはチンパンジーを上回るかも知れないと言っていた。

 大学時代に読んだ本、数学者矢野健太郎著の「数学物語」。
 数学コンプレックスだった自分を克服したいと読んだ。
 最初にカラスは幾つまで数えられるかと書いてあった。

 ある実験によればカラスは4までの数を理解してるらしい。
 またテレビではカラスには感情表現の機能があり、
 これは人間以外の動物では類人猿でも有していないと、
 そう報じられていた。

 これには疑問だった。
 荘子の「知魚楽」でも「魚が楽しそうに泳いでいる」は
 実際には解らなくても主観として感じることであり、
 事実そう感じられるとあった。
 そういうことではないか。

 カラスに限らず鳥たちが空を飛び、
 辺りを睥睨する時、彼らはどんな思いでいるのか。
 無論、真剣に食物を物色しているだろうし、
 天敵に対する警戒も怠らないだろう。

 けれど僕は夢想するのだ。
 自分が鳥ならば世界は鳥の世界なのだと。
 人間がこの星の主体であるかのように勘違いしているように
 鳥たちもたぶん自分たちが
 この星の支配者だと思っているのではないか。
 
 これはノラ猫や鼠、昆虫でも同じではないか。
 木々や草花でさえそう思って存在しているのではないか。

 かつてこの星には恐竜たちが闊歩していた。
 それは1億5千万年の長きに渡る。
 この星で生態系の頂点に立つものは
 ことごとく絶滅している。

 けれどティラノザウルスのある種が進化して
 現在の鳥になったらしい。
 
 巨大な怪物が小さく変身することで
 種を生きながらえさせたのだ。

 ぼくもいつの日か進化して小さくなり、
 有翼となって飛翔するのだ。
 その時の空からの光景を見つめて生きているのだ。

2010年10月19日火曜日

なんでもない日

 朝に一杯のインスタントコーヒーを入れる。
 熱いコーヒーが冷めるまで少しずつ飲む。
 
 毎日ではないが、簡単なストレッチと筋トレもする。
 腕立て、腹筋背筋、や少林寺の突きや蹴りと体操。
 30分くらいかけてやる。

 メニューは時々変えている。
 飽きないように。効率が良いように。
 時々するテニスの怪我防止の意味合いもある。

 プロントくんの絵を描く。
 キャンバスに和紙を貼り、銀彩を施したもの。
 さらにその上にアルミ箔を貼ったもの。
 ボードに同様の下地を作ったもの。
 
 それらに墨のみで描いた作品。
 墨プラスアクリルで彩色した作品。
 アクリルのみで描いたもの。

 他に紙に描くスケッチ。
 スケッチブックに鉛筆、透明水彩で描いたもの。
 木炭紙に墨で描いたもの。

 カレンダーやポスターの裏紙に描いた作品は、
 余った絵の具を溶いて散らしたり、下地を実験する。
 普段使わない色を試したりする。
 紙に描く落書きのような線や彩色がいつも出来たらと思う。 

 10枚ほどのスケッチ作品とボードやキャンバスの作品を
 並べて比べて見て思った。
 スケッチ作品に比べると硬いのだ。
 キャンバスやボードの作品は。

 それでも出来上がった作品を眺めると、
 個展の展示の具体案やアニメや絵本の案が見えてくる。

 アニメは遅くても今年中には仕上げて編集をしたい。
 様々な制作の最後の最後に絵本を纏めよう。
 絵本が最も難しく、
 またこのシリーズの核となるだろう。
 
 芸術の秋は確かに制作に向いている。
 怠け者の自分を叱咤激励しよう。

 餃子の満州でうまか丼と餃子を食べ 
 帰ってから三ツ矢サイダーを飲んだ。
 お酒を飲まない日は何故か炭酸を飲むことが多い。
 なんでもない一日がこのブログとともに終わる。

2010年10月17日日曜日

ココアのひと匙

 文芸マンガ「坊ちゃんの時代」。
 原作関川夏央、作画谷口ジロー。

 10年も前に読んだ本が文庫本サイズになっていた。
 図書館で借りて、敢えて第五巻の
「不機嫌亭漱石」から読み始めた。

 晩年(とは言っても40代)の漱石が胃潰瘍を患い、
 箱根に転地療養に訪れるのだが却って病状は悪化。
 吐血した漱石は生死の境を彷徨う。
 そんな場面が谷口の精緻な筆で描かれている。

 第四巻は「明治流星雨」と題して
 幸徳秋水の生涯と所謂「大逆事件」の様子が
 これまた見てきたかのように描かれている。
 「ココアのひと匙」はこの事件に際して
 石川啄木が考えを吐露した詩のタイトルである。
 
 「見てきたかのように」は揶揄ではない。
 驚嘆しているのである。
 
 他に石川啄木、森鴎外の巻もあり、
 2回特集されている漱石を併せて全五巻となる。
 文学者及び文学が主軸となっているが、
 明治という時代を通して「日本の近代」とは何だったのか、
 それを問うている。

 「日本の近代」その評価と問題点を掘り下げてくれる
 きっかけになっている。

 歴史は一つの物語であるとも言える。
 過去と言うのは結局私たち一人一人の脳の中にしか存在しない。
 いやそこにも存在しているのかどうか。

 それでも、そのような認識にたってなお、
 「歴史」に学ぶことは重要だと考える。

 僕たち自身が自分たちの「坊っちゃんの時代」を生きている、
 そんな自覚を持ちたいと思うのだ。

2010年10月16日土曜日

四月と十月

 雑誌「四月と十月」。
 副題に画家のノートとある。

 複数の画家、イラストレーター、デザイナー、写真家などが
 短いエッセイと作品を載せている同人誌だ。
 毎年四月と十月の二回発行とある。

 何年か前に新潟近代美術館のカフェ
 「広告塔」でこれを見つけた。
 何冊かあったうちの一冊を買い
 今でも時々眺めて楽しんでいる。

 読み返す度に面白い。
 同人誌ならではのゆるさも楽しいのだが、掲載作品の質は高い。
 仲間内の馴れ合い感は無く、作品を世界に問うている。
 それでいてスケッチのような軽さもある。

 10人を超える掲載作家の住所も様々で、
 それぞれプロとして活躍している作家であるが、
 画壇的な匂いや流行を追う画商的な要素が感じられない。
 何よりもこのような雑誌を創る心意気がいい。

 他のナンバーも購入しようと思い、
 今年の春に「広告塔」を訪ねた。
 「もう、取り扱っておりません」。
 そう言われて残念だった。

 もう無くなったのかもしれない。
 インターネットで調べてみた。

 嬉しいことに雑誌は健在だった。
 取扱店が少し減っていて購入はちょっと手間だけど、
 今度まとめて何冊か購入しよう。
 ホームページのデザインが遊び心があって楽しい。
 是非覗いて見てください。
 
 僕のプロントくんのスケッチが
 このような雑誌に掲載されたらと思っただけでも楽しい。
 
 10月に入って制作のペースを
 掴みつつある。
 まだ夏日もあるが、秋は深まっている。
 アパート近くの石榴の実が熟れてきた。

2010年10月12日火曜日

神無月の夕暮れ

 土曜日のこと。
 仕事帰りに小川駅に下車し百薬へ向かった。
 朝からの雨が降り続いていた。

 百薬へ向かう駅前通りには30mほどの金木犀の並木がある。
 雨に打たれて道端に落ちたオレンジ色の花びらが
 細い川のように繋がっていた。

 去年の今頃も雨が降り、
 金木犀の花がすっかり散ってしまった事を思い出した。
 でも10数年も百薬に通い続けて
 金木犀の並木に気が付いたのは一体何時のことだろうか。
 数年より前でないと思うのだが。

 今年も神無月となった。
 作品制作が足りなかった。
 言い訳はしたくないので、残りの日々は制作に励もう。

 朝と夕暮れの空が美しい季節になった。
 ゴミゴミとした新宿の空にも、
 いやそんな新宿だからこそ秋の空は一層と美しい。
 夕暮れの暗闇は街を美しく見せる。

 仕事の帰りに数枚の風景写真を撮ることがあっても
 たいていは通り抜けるように西武新宿駅へと向かう。
 途中下車は小川駅。
 
 目指すは百薬の長の手前の金木犀と
 百薬の長のお酒である。

 明日はレバ刺しと熱燗を楽しもう。
 まだ金木犀が残っているといいのだけれど。

 「白玉の歯にしみとおる秋の夜の
 酒はしづかに飲むべかりけり」牧水

2010年10月8日金曜日

秋の訪れ

 花水木の

 葉が色づいた

 空が

 背後に退いてゆく

 秋の訪れは

 祭の後に似て
 
 黄昏のアスファルトを

 自転車で駆ける

 深い藍色と
 
 オレンジのグラデーション

 そんな秋の

 淋しさが好きだ

 (2000/10/5制作)

2010年10月4日月曜日

真夜中のディズニー・シー

 ディズニー・シーで夢想した。

 ほとんど電灯が消えた真夜中のディズニー・シーを
 懐中電灯を持って歩いたら
 怖いけど面白そうだなと。

 アトラクション「シンドバッドの冒険」を
 たった一人で乗ったら怖いだろうなと。

 1944年制作されたディズニーアニメ
 「ファンタジア」から「魔法使いの弟子」を先日観た。
 何年振りか分からない。
 
 プロジェクターで投影された大画面のそれは圧巻だった。
 「運動はその初期に頂点を迎える」と語ったのは
 マルセル・デュシャンだったろうか。
 それともアンドレ・ブルトンだったっけ。

 「ファンタジア」を観るとそう感じる。
 初期のフルカラーアニメにしてその頂点を極めている。
 
 僕はディズニーランドやその世界が好きではない。
 どちらかと言えば嫌いだと思う。
 全てが砂糖菓子で包まれたような世界が恐ろしいのだ。
 「楽しいこと」「盛り上がること」を強要された世界。
 ディズニーワールドにそんな天の邪鬼な見方をしてしまう。

 それでも「ファンタジア」や「ピノキオ」などは凄いと思う。
 何故だろうか。

 一つは話の内容など子ども向けに易しくし過ぎていないこと。
 もう一つは光と同等以上に闇が描かれていること。
 そしてこれが一番大きいかもしれないが、
 アニメの地位が確立されているわけでなく、
 その技法の可能性も確立されていない時代の
 創作に対する意欲と実験精神が現れていること等々である。

 ディズニー・シーの園内を歩いていると
 「凄いなあ」「大したモノだな」と感心する。
 母親のリクエストで訪ねた今回もそう思った。

 開園時のディズニー・シーは
 僕には何処までもよそよそしく、
 僕は「真夜中のディズニー・シー」を夢想した。

2010年9月27日月曜日

ひとりの時間

 ぼくが
 絵を描く時
 まわりに誰かがいても
 それはひとりの時間

 電車の中で
 言葉をしぼり出す
 満員電車でも
 それはひとりの時間

 のみ屋のカウンターで
 ひとりハイサワーを飲む
 おっさんが話しかけても
 それはひとりの時間

 ひとりといる時も
 ぼくは何かと繋がっている
 それでもやっぱり
 ひとりの時間

 (2000.10.9制作)

2010年9月26日日曜日

雨に負けて

 雨に負けて飲み屋に入った。

 風が吹いたので飲み屋に入った。
 陽射しに負けて飲み屋に入った。
 台風が来たので飲み屋に入った。

 一日に五杯のお酒をグビグビと飲み、
 少しのモツ焼きと厚揚げと
 ガツ醤油を食べる。

 向かいで誰かが居ない人の悪口を言えば、
 面白そうなので相槌を打ち、
 横に出来上がった親父が居れば、
 「もう帰んなよ」と諭す。

 帰り道に酔ったままで電話をしては
 言ったことを忘れてしまい、
 電車に乗り過ごしては
 起こしてくれなかった他人を恨む。

 今日も一日ウソをついた。
 ウソばかりついて
 何がウソなのか解らなくなった。

 人の話は参考程度に聞き流し、
 書を読んでは前のページが想い出せない。
 昨日何を食べたのかも想い出せない。
 
 熱い夏にはビールをあおり、
 寒い冬には燗酒をゴクリ。

 みんなに変人・変態と呼ばれ
 いつもニタニタ笑っている。
 
 そんなバカな自分が好きだ。

 *注 この詩(文)はフィクションであり、
  特定の個人・団体とは関係在りません。

2010年9月24日金曜日

センチメンタルな秋

 「寒さ、暑さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。
 今日秋分の日(お彼岸)は見事に涼しくなった。
 朝5時過ぎに起きると、
 日の出が随分遅くなったことが実感できる。

 あまりの土砂降りの大雨で、
 鷹の台の松明堂ギャラリーに出掛けることを断念した。

 お陰で午前中にプロントの水彩画を、
 夕方から夜にかけてパネルに和紙を貼ったボードに
 墨絵を描いた。
 6時間以上描いたのは今年になって初めてかもしれない。

 I氏よりメール在り。
 本日午後6時よりNHK総合で「アラーキー」こと
 写真家の荒木経惟氏の特集があるとのお知らせ。

 アラーキーは大好きな写真家だ。
 写真家と言う範疇に収まらない芸術家だと思う。
 でも見事に写真家である。

 30代の半ばに10年以上続けていた抽象画から
 具象的なイメージの絵へ一大転換した。
 その前後からアラーキーの写真を良く見るようになった。
 随筆なども買って読んだ。

 「センチメンタルでいいんだよ」。アラーキーはそう宣う。
 そうか、と励まされた思いがした。

 僕は自分の頭の中で創り上げた「近代主義」と闘っていた。
 「モダニズム」常に最新のものを要求する。
 その要求に応えたいと考えていた。
 
 「センチメンタルでいいんだよ」。
 自分にとってのリアリティ。センチメンタルな世界。
 それは自分が経験してきた世界の中にある。

 僕にとって最初の絵画とは
 8マンや鉄腕アトム、鉄人28号だった。
 自分が影響されてきた文化とその背景を探ること、
 それは自分にとっての「近代主義」を探ることでもあるのだろう。

 秋は一気に深まる気配だ。
 僕の大好きなセンチメンタルな秋がやって来る。 

2010年9月20日月曜日

沈黙のリズム

 新宿の末広亭。
 数年前に母と行った。
 生まれて初めて歌舞伎座で
 歌舞伎を見た次の日のことだった。

 出演予定でなかった桂歌丸が出た。
 それだけでも少し驚いたのに開口一番
 「昨日歌舞伎座で歌舞伎を見てきた」と宣うので
 さらに驚いた。

 歌丸師匠は続けて言った。
 若い時から歌舞伎を見ている、
 自分の師匠から見るように言われたと。
 お芝居の筋や演技でなく、
 お囃子や口上のリズムが大切なんだと言っていた。

 趣味でバンドセッションに参加している。
 ビートルズ研究会だ。
 そこの仲間と今年ライブをやったことはブログでも書いた。
 
 バンドで重要なのはリズムがカチッと合うこと。
 ドラムとベースのリズム律がバンドの要だが
 ギターやボーカルも合わないいけないのは当然のことだ。
 
 絵画や造形表現でもリズムが大切だ。
 ただ上手な絵と凄い絵は線や筆触のリズムが違う。
 書でも同じだと思う。

 音楽や演芸、絵画や書で
 何となくは上手いけれど面白くない表現がある。
 これはただリズムを合わせるのと
 拍を意識してリズムを刻むとの違いだと思う。
 リズムは刻まれなければならないのだ。

 それが質感を生む。リズムと質感。
 そして表現に手触りが生まれる。
 綺麗なだけの表現には手応えがないのは質感がないからだ。

 2回目の個展のタイトルを「沈黙のリズム」とした。
 150号の抽象画の題名を考えている時思いついた。
 その時は何となくなくだったが、
 今になって思うと絵画や書、文学など
 音を奏でぬ表現で優れたものには遍く沈黙のリズム」が流れている。

2010年9月19日日曜日

よくばりな犬

 洗濯物を干そうとした。
 Tシャツを二枚を手にしていたが
 後一枚なので無理して三枚を両手に持った。

 紫色のTシャツを洗濯紐に掛けたと思った。
 次のシャツを掛けようと思った瞬間
 シャツはコンクリートのベランダに落ちた。
 運悪く昨夜の局地的な豪雨による水溜まりがあった。
 シャツは濡れて汚れてしまった。

 イソップ童話の「よくばりな犬」を思い出した。
 水面に映る自分の口にくわえた肉を 
 違う犬の肉と勘違いして取ろうとして
 自分の肉を川に流してしまうあの話である。

 2枚のシャツなら落とさなかっただろう。
 残りが3枚だったので、つい欲張った。
 「よくばりな犬」と同じだ。

 自分の愚かさに気付いても、
 そのことで自分を責めたりしない。
 責めることと反省することは自己完結している。
 そういう場合が多い。
 反省すればする程、同じことを繰り返す訳だ。

 反省をせずにただ見つめること。
 それを心掛けている。
 
 油断していると直ぐに「オレはダメな奴だ」とか
 「もうイヤだ」とか「年を取ったな」とか思ってしまう。
 マインドは強力だから、引きずられるのは簡単だ。

 マインドとは付き合わないと生活できないけれど、
 マインドの奴隷にならないこと。
 マインドもまたヘメレケソなのだから。
 
 僕は欲望を肯定する。
 けれど欲望の奴隷にはなりたくないのだ。

2010年9月16日木曜日

生と死

 トイレの中で考える

 今日も一日

 生きながらえて

 今日も一歩

 死に近づく

 あたりまえのことだけど

 あたりまえとは

 思わなかった

 今生きているということ
 
 そして

 死につつあるということ

 (2000/9/2制作)

2010年9月14日火曜日

少年老いやすく、学成り難し

 「キムちゃんは小中で廃品回収やってた?」。
 「オレは大学でもやってたよ」。
 「それはアルバイトでしょう」。

 キムちゃんこと木村さんは百薬の常連。
 青森出身の木村さんと新潟出身の僕は
 年が近いこともあり、仲良くさせてもらってる。

 「やったよね。町内会毎にリヤカー牽いてさ。
 中学になると、悪い先輩が瓶だけ金になるから
 瓶を酒屋に売ったり、エロ本持って帰ったりさ」。
 「オレの中学なんてさ、
 夏休みの宿題が乾燥どくだみ1kgだよ」。
 「どうするの?それ」。
 「どくだみの葉は漢方薬になるから売るんだよ。
 それが生徒会予算の収入源になったんだ」。
 「よしいさん、若いのにやってることは古いねーー」。
 いつも若いとうそぶく僕を知って木村さんはワザと言う。

 「オレ、スズメバチに刺されたことあるよ」と木村さん。
 「親に言ったら自力で治せと言われたよ。
 そしたら暫くしてまたスズメバチに刺されたんだ」。
 「えーーーっ。2回目はマズイよ。下手したら死ぬんだよ」。
 「うん。さすがに高熱が出て医者に行ったよ」。
 「オレは小4の時、クマンバチが頭を刺してさ」。
 「頭はやばいよ」。
 「オレも熱出して、全身にじんま疹が出たんだよ・・・。
 あれでオレの神童時代は終わったんだ」と最後だけホラを吹いた。

 「オレ中三の時に学校の応援団長になってさ」。
 「よしいさん。オレは高校の時応援団長やってたよ」。
 「えっ、あの名門○○○高校の応援団!キムちゃん凄いなー」。

 話は尽きず二人は百薬を出て「スナック京子」に向かった。
 
 *続かない 

2010年9月13日月曜日

スープカレー

 たまにカレーを作る。
 大抵はポトフやトマトスープを作った次の日、
 材料を足してカレールーを入れて作る。

 これだとずっとカレーと言うことにならなくて
 ほとんど同じ材料で違う味が楽しめる。
 
 カレーを作って厭なこと。
 後片づけだ。
 べっとりカレールーが鍋に付いている。
 スプーンでルーを削り落としてから
 しばらく水に漬けて洗う。
 めんどくさい。

 ある日スープカレーを作ってみた。
 以前COCO壱番屋で一度食べたことがあったが、
 自分で作ったことはなかった。
 
 テレビ番組で札幌のスープカレー屋さんを特集しており
 それを見てたら無償に食べたくなった。

 僕の作り方は自己流なので
 本当のスープカレーとは言えないものだと思う。

 鶏肉モモとニンニク、玉葱を炒める。
 カレー粉と黒胡椒、砂糖、ウコン、塩とポン酢を少々。
 火が通ったら、日本酒、水を入れ固形スープを入れる。
 さらに玉葱、トマト、生姜を投入。チキンスープ顆粒も入れる。
 煮立ってから人参ジャガ芋を少し入れる。
 白ワイン、ウスターソースを入れ味を整える。
 全体に火が通ったら、カレールーを少しだけ入れる。
 完成したら別に茄子、パプリカ、オクラを炒める。
 白いご飯を丸い島のように固め、
 周りに焼き野菜を載せ、スープカレーを注ぐ。
 
 美味しい。
 あっさりしているから飽きが来ない。
 何よりもスープカレーが優れているのは
 後片付けがとても楽チンだということ。
 
 今日はスープカレーだ。

2010年9月10日金曜日

仏教が好き

 以前買った雑誌PENの特集「キリスト教とは何か」。
 聖書について、教会について、宗派の違いについて
 キリスト教文化について分かり易く書いてある。

 僕は美術の世界からキリスト教に関心を持った。
 たぶん、同じ時期にニーチェとマルクスを読み
 それらの背後にキリスト教があることを漠然と知った。

 ニーチェやユング、ボルヘスやカフカを読んだり
 フェルメールやセザンヌ、ニューマンなどの絵画を見ても
 キリスト教とその文化の影響を考えない訳にはいかない。
 彼らの文化にはキリスト教の思想が深く入り込んでいるし、
 近代を受け入れた我々の文化にもそれらは入り込んでいる。 

 今、読みかけの本「仏教が好き」。
 中沢新一と河合隼雄の対談集だ。
 これは仏教についての本であると同時に
 比較宗教の本でもある。

 河合隼雄の本はI氏を通じて随分読んだ。
 ユングを読んだ後で、対談集が主だった。
 中沢新一はニューアカブームの頃
 「チベットのモーツアルト」を途中で断念した後
 ずっと縁がなかった。

 南方熊楠への関心から「森のバロック」を読み
 これは凄い人なんだなと思い、
 「僕の叔父さん網野善彦」を読んで親近感を持った。

 デカルト的に空間や量を均質に見つめ、
 何処までも個別的に分析をする西洋近代主義の行き詰まりと
 仏教の持つ「合理性」や「相対性」を
 比較検討しているところが面白い。
 勿論、キリスト教やイスラム教の長所を認めながらである。

 僕には前世という概念が解らない。
 僕は生命が誕生してから35億年、
 受け継がれてきた生命のリレイヤーだと思っているからだ。
 姓名判断も理解できない。
 星占いは良く見るが根拠は理解できない。
 易を共時性の現れとするユングの考えは少し解る。 
 意味のある偶然の一致として見る考えである。

 占いのほとんどは個人の欲望に基づいているのではないか。
 僕は欲望を否定する者ではない、むしろ肯定派だ。
 だけどオカルト的なものが持つ馬鹿みたいな合理主義
 ご都合主義が嫌いだ。

 僕は神秘主義を否定する者ではない。
 本当の神秘主義はオカルト的なものと対極にある
 そう思っているからだ。

 まあ神秘主義もカルマもヘメレケソなのだろう。
 仏教の優れたところは
 全てを心の現れでしかないと言いながら、
 その心も自分という存在も妄想だと言うところだろう。
 ヘメレケソ。

 「世界の中に神秘はない。
 世界が在ることが神秘だ」。
 ヴィトゲンシュタイン

2010年9月9日木曜日

サラダホープ

 郷里の片貝では四尺玉が打ち上げられ、
 最後の花火が終わって人々が家路に着く頃だろう。
 祭の後の何とも言えない静寂も好きだ。

 東京は台風によるの豪雨の後で、一度に秋めいてきた。
 花小金井周辺の自転車道路の秋桜は
 盛りを過ぎたように見えた。
 早咲きの秋桜だったのかもしれない。

 うだるような暑さの8月終わりに
 職場の中庭の空から見た「ひつじ雲」。
 テニスコートの木陰で感じた秋の風。
 
 気がつけば日の出は遅くなり、
 秋の夕暮れは釣瓶落とし。
 蝉の声はか細くなり、
 虫の音はいよいよ賑やかになっている。

 先日は百薬の長で久しぶりに煮込みを頼んだ。
 美味しかった。
 マスターは猛暑で売れ行きの悪かった煮込みが
 今日はよく売れたと話していた。

 郷里ではお祭の日の今日、
 多くの家であおきやのホルモンを食べていることだろう。
 そしてもっと多くの家で、
 すっかり新潟名産となった亀田製菓の「サラダホープ」、
 これを食べながら、ビールやお酒を飲んでいることだろう。

 あーあ、ちょっと羨ましいな・・・。

2010年9月5日日曜日

国連ジョーク

 20代の頃同じ職場に居たI氏から、
 「国連ジョーク」なるものを聞いた。
 
 国連職員の間でかつて流行っていた
 各国の国民性を表したジョークだという。
 その内容はこうだったと記憶する。

 豪華客船が座礁した。沈没は時間の問題である。
 ところが客船の救命ボードは
 子ども、女性、お年寄り分しか用意されていない。

 船員は国別の客室に行き、
 男性は海へ飛び込むように説得しなければならない。

 アメリカの男性には「皆さんには多額の保険が掛けられている」
 と説得する。
 ドイツの男性には「国際法上こう定められている」と説得する。
 イギリスの男性には「紳士は飛び込みます」と説得する。
 フランスの男性には「愛する人のために飛び込んで」と説得する。
 イタリアの男性には「モテる男は飛び込んで」と説得する。

 そして日本の男性には
 「皆さん飛び込むようですよ」と説得する。

 今朝の報道番組で石川県のある市の職員が
 「限界集落」を再生に取り組んでいる様子が紹介されていた。
 お米を特産物としての売り出すことにに成功し、
 農産物の直売場を作り、そこが大盛況となる。

 官民の垣根を超えた新しい試みは当然強い抵抗があった。
 「前例がないから」と。

 彼の成功は職場の上司、地域の人、近隣の若者、省庁など
 異なる集団を動かして結びつけたことにあると思った。
 何よりも「常識・定説」を打ち破ろうとする
 彼の意志・情熱・行動に裏打ちされたものだが。
 彼はこう言う。「これが前例になる。全国に繋がる」と。

 これを特集したテレビ局も見直した。
 日本人は「右にならえ」だけではないのだ。
 
 「もりもり盛り上がる雲へ歩む」山頭火

2010年9月2日木曜日

LET IT BE (晩夏Ⅴ)

 「よしい!録音するんだ、歌えや!」。
 今井豆腐店を経営する清人が言う。
 「ここで Let it be やるがかや・・」。
 
 8月16日の夜9時半。長岡の街の裏通り。
 オレは高校の同級生小酒井、清人、ムロコと
 居酒屋「みち草」で飲んで良い気分だった。

 二軒目へ向かう路上で、清人が持っていた携帯
 i-phoneを取り出して自慢しだした。
 「これてば、すげーがれ!」。興奮している。
 「携帯らてがんに、4ch の録音編集が出来るがて」。
 イヤホンで聞くギター二本とボーカルが二声で
 「Let it be」が聞こえてきた。

 高三の文化祭で清人と二人だけのユニット
 「ミー&ケイ」でビートルズを演った時を思い出した。
 「よしいっ!また二人でライブやろうて!」
 「何処でか?」「長岡駅前でいいねかや!」
 この年で路上ライブか。
 片貝で知られたら、さぞや評判になるだろうな・・。

 「ギター、いい音らな・・。」
 「高校の時初めて買った1万2千円のギターらて」。
  清人が言う。
 「まあ、ネックと弦がフラットになるように
 改造したがらどもな」。

 「ブラックバードよ飛べ。ブラックバードよ飛べ
 暗く黒い夜の光の中へ」。

 'Let it be'を歌い直すつもりが
 曲は'Black Bird'に変わっていた。
 録音した音源をイヤホンで聴いた清人が言った。
 「やっぱ、オメは音痴らな・・」。
 
 *「晩夏シリーズ」終 

2010年8月31日火曜日

ぜいご

 久しぶりの百薬でなかちゃんこと
 中田さんにあった。

 「なかちゃん。オレ深夜食堂のDVD手に入れたよ」。
 「オレも買ったよ。いいなあ~、あれは」。
 「ヤクザ役の松重豊。カッコイイんだよね~」。
 「ああ。刺されて倒れるとことかなあ~」。
 二人とも酔っているので声がでかい。
 「よしいちゃん!うるさいよ!」。
 同じく常連の岸野さんが怒るがお構えなし。

 「なかちゃん。深夜食堂のオープニング唄ってる
 鈴木常吉。あの唄はいいよ~ね」。
 「うん。じょうきちはいいよ・・」。
 「あれはつねきちじゃないのかな」。
 「うん。じょきちはいい」。なかちゃんは止まらない。

 鈴木畝吉のCDアルバム「ぜいご」。
 辞書で調べたら「贅語」とあり、
 意味は「とるに足らない言葉」とあった。
 
 番組オープニング曲の「思ひで」は勿論だが他の曲もいい。
 3曲目の「アカヒゲ」。
 「(略)生まれる前からずっと此処にいた
 生まれてさえこなけりゃ、ずっと此処にいた(略)」
 このフレーズが妙に気になり、気にいった。
 それのことをI氏にメールしたらそれを受け、
 一休禅師の今際の言葉が返信されてきた。

 「死にはせぬどくへも行かぬここに居る
 尋ねはするな物は言はぬぞ」 

 「ヒバリ、コゲラ、ツグミ
 カケス、ヒガラ、ツバメ
 何処の空で果てるやら」
 「アカヒゲ」より

2010年8月29日日曜日

片貝町(晩夏Ⅳ)

 「よくヤッポの家でギター弾いてたな。
 オメん家の犬のシロが好きらったや・・」。
 「シロな・・・。
 オラたちが中二の時の臨海学校から帰ったら、
 シロが死んでたがらや・・・」。

 15日の夜。片貝町二ノ丁割烹「かねし」の2階にいた。
 片貝中学校第28回卒業生「双葉会」の総会で集まっていた。
 およそ30人弱。100人の同級生の3分の1か。
 
 総会はようするに同級会なのだが、
 節目の年のお祭が盛んな片貝町では、
 多くの同級会が八月のお盆の時期に行われる。

 かねしの2回には和室の広間が幾つかあり、
 全て他学年の同級会で埋まっていた。
 他の地域では理解しがたいが二十歳に始まり、
 33歳、42歳の厄年、50歳、還暦祝いと
 ことある毎に同級会を上げて片貝町の秋季大祭に参加する。
 
 秋季大祭は毎年9月9日・10日と決まっている。重陽の節句だ。
 偶然見た志村けんのTV番組でも片貝の花火が紹介されていた。
 現在ではギネスブックに登録された世界一の四尺玉が有名である。

 片貝祭がユニークなのは、花火が中心の祭だけれど
 花火大会でなく、そのほとんどが町民の寄進として
 浅原神社に奉納されている処だろう。

 各同級会で節目の年に花火を奉納する。個人でも奉納する。
 町内毎にも花火を上げる。

 僕ら双葉会の42歳の会費は男子13万円だった。
 (女子7万円だったと思う)
 それだけの大金でおそろいの法被(はっぴ)を作り、
 様々な事前行事を行い、山車を制作し、花火を上げる。
 余所の人には理解不能な世界だろう。
 祭は平日だったりするわけで、当然仕事を休んで参加する。

 お祭には他の地域から見れば奇異に見えるものが多い。
 諏訪神社の御柱祭など、その最たるものだろう。
 片貝祭は奇祭ではないが、やはり独特なのだ。

 同級会の閉めの挨拶をしろと突然のぶりんに言われた。
 去年の祭でも町外在住者代表の挨拶をさせられた。

 「オラたちもいい年になったっけ、
 これからは一年一年が勝負らいや。
 還暦まで生きて、頑張ろーれーーー!」。
 僕の挨拶はいつも無茶苦茶である。 

 片貝町ではお盆を過ぎるとお祭の準備が本格化する。
 それぞれの町内の集落センターから
 お囃子の調べが聞こえてくる。 

2010年8月27日金曜日

文化のチカラ

 バブルが弾ける前に「メセナ」と言う名の
 企業による文化援助が多くあった。
 
 サントリーホールでクラシック音楽を聴いても、
 紀伊国屋ホールで友人の大高洋夫が主演していた
 第三舞台の「朝陽のような夕日をつれて」を観ていても
 メセナのお陰でチケットが以前より割安だった。
 
 美術展も大規模で金にものを言わせた名作展が
 目白押しだった記憶がある。
 メセナの下に協賛企業がたくさんあったのだ。
 それらのほとんどはバブル後に消えた。
 まさに泡のように消えたのだ。

 戦後の日本では他国に見られないような、
 ストーリー漫画が大人気となり、
 それらに基づいてアニメが多く創られた。
 どちらも中心にいたのは故手塚治虫氏である。
 現在では世界中の人々から、
 マンガとアニメは重要な日本文化と認知されている。

 お隣の韓国では国際美術展に力を入れているという。
 理由は営利目的でなく、文化の力で国際社会における
 名誉ある地位を得ようという目的があると聞く。

 バブルが弾けて予算を減らされた地方美術館で
 埋もれていた芸術家に光を当てる好企画が現れてきた。
 幾何学的な抽象のオノサトトシノブ。
 佐藤哲三や長谷川燐次郎もその中に入るだろう。

 かつて米国のニューディール政策は
 大恐慌のさなかに画家や様々芸儒家を保護した。
 公共事業として壁画の制作を依頼したり、
 画家に補助金を支給し作品を買い上げたのだ。
 そこに参加していた画家に、ポロックやロスコがいた。
 後のアメリカ抽象絵画黄金時代の中心人物である。

 日本人の多くが外国語を習得したとしても、
 そこで生み出され語られ受け継がれる日本文化、
 それが無くては意味が無い。
 外国の人とのコミュニケーションは手段である言語よりも
 語られる内容が重要だと思う。

 勿論それらがマンガとアニメだけでは困る。
 良いマンガやアニメは、良い文学や音楽、美術と同様に 
 優れた他ジャンルの表現を必要とする。

 文化は孤独からも生まれるが、
 孤立しては育たないのだ。
 
 「世の中は浮かれ溺れてナイル川。人生なめんなよ」。
 *TVドラマ「深夜食堂」より

2010年8月26日木曜日

給水室

 夜の街を歩いていた。
 見覚えのある裏通りに人影は無かった。

 どうして此処を歩いているのか
 思い出せなかった。
 馴染みの居酒屋へ行く途中だろうか。

 突然、自分が住んでいる集合住宅の火事を思い出した。
 躊躇している暇はない。
 すぐに119番通報をしなければならない。
 
 しかしその住宅の何処が火事なのか確信が持てない。
 記憶を辿りながら、家路を急いだ。
 遠くで消防車のサイレンの音が聞こえる。
 自分の集合住宅へ向かっているのだろう。

 四軒続きの長屋のような集合住宅。
 向かって一番右端に給水室があった。
 不思議なことだが、
 一番火の気のない給水室が出火場所だと確信した。
  
 慌てて走りながら家を目指す。
 手遅れにならなければいいが。
 燃えるものが無い給水室だったのは
 不幸中の幸いだったと思う。
 でも何故あそこから出火したのか?
 どう考えても訳が解らなかった。
 
 角を曲がり細い道を真っ直ぐに進む。
 あと30m程で家に着く。
 しかし、様子がおかしい。
 消防車どころか、救急車も何もいない。
 住宅の周りはとても静かなのだ。

 住宅に着いて右端の給水室へ向かう。
 その前で愕然とした。

 住宅の右端に給水室は無かった。
 そんなものは
 初めから存在して居なかったのである。

 (夢物語シリーズ・第2話)

2010年8月24日火曜日

守門村(晩夏Ⅲ)

 実家から10数キロ離れた処に
 堀之内町がある。
 現在は合併して北魚沼市だと思う。

 今年の正月まで百人一首を諳んじていた
 101歳になる祖母が堀之内病院に居る。
 冬に肺炎を患い、大事には至らなかったが
 それからずっと入院生活である。

 3月に見舞いに行った時はずっと寝たきりだった。
 会いに行っても意識が定かではないかもしれないと
 半ば諦めて出掛けた。

 丁度お昼前で、看護士さんが食堂へ
 祖母を連れて行こうとしたところだった。
 車椅子に乗せられた祖母は、
 母や僕が話しかけてもあまり反応が無かった。

 食堂に祖母の席があった。
 沢山のお年寄りが集まっていたが、
 ほとんどの人が眠っていた。
 中にはベッドに寝たきりのまま
 食堂に連れられていた。

 驚いたことに祖母は目の前のお茶を自分で飲み始めた。
 飲み物は気管に入るといけないのでゼリー状だった。
 祖母は茶碗に入ったお茶を左手にしっかりと抱え、
 右手でスプーンを使って口に運んだ。
 口に入ったお茶を顔全体の筋肉を総動員して
 租借していた。

 食べ物は全てお粥状になっていた。
 祖母は毎食時間を掛けて全てたいらげるという。
 一つひとつの食べ物を真剣に食べる祖母を見て
 生きることの凄さ、偉大さ、大変さを
 いっぺんに感じた。
 自分の祖母ながら凄い人だと思った。

 空き家なって数年になる祖母の家を訪ね、
 母の実家のお墓参りをした。
 北魚沼市須原。旧守門村。
 今でも冬は3mの大雪が降る。

 そんな厳冬の地で
 祖母は96歳になるまで独り暮らしをしていた。
 目の前に暮らす弟家族や、
 代わるがわる訪れる子どもたちに支えられてだが、
 基本的な生活は全て自分でこなしていた。

 雪に閉ざされ、美しいけれどとても厳しい
 そういう風土が越後の人を育んできたのだ。
 そう思った。 

 JR只見線に沿うように流れる魚野川は
 かつて深いターコイズブルーだった。

 *続く

2010年8月22日日曜日

クジラ汁(晩夏Ⅱ)

 帰った日の夕飯にクジラ汁を食べた。
 地元では「ゆうごう汁(夕顔汁=冬瓜汁)」と言う。

 塩鯨肉を塩抜きをして、
 冬瓜、茗荷、ジャガ芋、玉葱などと煮込む。
 煮干し。昆布の出汁に味噌で仕上げる。
 父の得意料理であり、僕の大好物だ。

 冬瓜は暑さに火照った身体を冷やし、
 保存の利く塩クジラ肉で精を付ける。
 夏バテを乗り切る理想的な料理で、
 何よりも美味しい。

 数年前、友人の加藤氏と函館に旅をした。
 競馬に忙しい加藤氏と別行動で観光をした。
 素晴らしい明治の洋館建築を堪能した後で
 古い民家を改築したお店で昼食を採った。
 そこのメニューに鯨汁があり、食べてみた。

 醤油味で具も実家とは違っていたが美味しかった。
 店の人に聞くと夏場の料理ではなく、
 本来はお正月のご馳走だと言われた。

 新潟と北海道という異なる地に受け継がれる
 鯨料理の文化。日本各地にまだあることだろう。
 秘密のケンミンショーで是非取り上げてもらいたいものだ。

 モツ煮とホルモン焼きでお腹が膨れた僕は、
 ゆうごう汁をおかわりしないで、
 次の日の楽しみに取って置いた。

 しかし異常なフェーン現象の暑さだった次の日朝
 ゆうごう汁は腐っていた。
 悪くならないように母親が、
 多量の氷を入れておいたに係わらずである。
 こんなことは新潟ではあまり聞いたことがない。
 温暖化なのだろう。

 今日のニュースでは、山形の立石寺近辺で、
 本来西日本に生息するクマゼミの声が観測されたとあった。
 芭蕉のあまりにも有名な句
 「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」の舞台である。
 芭蕉はニイニイ蝉の声を聞いてこの句を詠んだらしい。 

 15日も朝から異様な暑さだった。
 昼前に101歳の祖母の見舞いに
 10数キロ離れた堀之内病院へ行った。

 *続く 

2010年8月20日金曜日

晩夏Ⅰ

 涼しい朝だ。
 昨日までの猛烈な暑さが嘘のようだ。
 
 13日まで仕事で山中湖に居た。
 14日から昨日の午後まで郷里の新潟に居た。

 台風の後の新潟はフェーン現象で酷く蒸し暑かった。
 加えて老夫婦(両親)だけが生活するその家は、
 普段の空気の入れ替えが充分でなく、
 家の中には行き場のない湿気と熱気が漂っていた。

 二階の南東に位置した僕の寝室は普段使われていない。
 重く湿った暑苦しい部屋で寝た。
 クーラーを点けっ放しにしていても厭な汗をかいた。

 夕方に長岡駅に着いた。
 片貝行きのバスにはだいぶ時間があった。
 馴染みの古着屋を覗き、 
 ダメもとで居酒屋「酒小屋」へ向かった。
 お盆の時期だから休みだろうと思っていた。
 暖簾が下りている。しめた。

 「煮込みと酒をください」。そう言った。
 狭い店内にクーラーはない。
 窓も扉も開いているが、みな団扇で扇いでいる。
 酒小屋のメニューは「モツ煮込み340円」のみ。
 あとは一切なし。飲み物も酒と瓶ビール大のみ。
 50代、60代の男性が主な客。
 10人も入れば満席になるだろう。
 開店は午後4時。煮込みがなくなると閉店。
 だいたい六時過ぎ。

 平屋建ての外観も、壁の一部が剥げ落ちた店内も
 白い下着の半袖シャツの店主も完全に昭和の世界だ。
 僕はこの店に立ち寄るために
 午後五時ころに長岡駅着の新幹線に乗り込む。
 
 煮込みしかないが、客足は途切れない。
 回転率も良い。みなモツ煮一杯と酒二杯くらいで帰るからだ。
 当然煮込みは美味い。何処よりも美味しいと思う。
 だから行くチャンスがあれば必ず入る。

 蒸し暑い店内で、暖かいモツ煮と燗酒。
 「幸せとは撃ったばかりの暖かい銃」。ジョンの唄だ。
 「幸せとは食ったばかりの暖かいモツ煮」。こっちの方がいい。

 実家に帰ってから、地元の店「あおきや」で
 ホルモン焼き1000円を買う。
 カシラ、ハツ、ガツ、レバ、ヒラなどあらゆるモツが
 あおきや独特の甘辛いタレで味付けされている。
 これがビールに合う。たまらない。

 久しぶりのブログは吉田類の「居酒屋放浪記」みたいだな。
 花小金井の肉屋「だいとく」の味付けガツと
 ブラウンマッシュルームを食し、
 赤ワイン「王様の涙」を飲みながら書いた。
 
 *たぶん続く
 

2010年8月8日日曜日

ぼくの世界

 目をつむると
 月が上から
 落っこちてきて
 ぼくはあわてて
 両手で受けとめた

 半分だけ
 山吹色に輝く月を見て
 ぼくははじめは
 不安だったけど
 ああそうかと納得した

 ぼくが知っている
 この世界を
 支えているのは
 このぼくなんだと

 ぼくがいるから
 ぼくの世界は
 存在しているんだ


 (2000/10/9制作)

2010年8月7日土曜日

静かな奇譚

 サルスベリがおかしい。

 いつもの年ならば花がたわわに咲いている。
 9月までは花の盛が続いていた。

 しかし先日花小金井駅周辺の百日紅を見たら、
 花がいつもの3分の1も無い。
 近づいて良く見ると、花が終わって沢山の実がなっていた。

 異常な猛暑だというのに、
 百日紅は秋を迎えようとしているのか。
 暦の上では今日が「立秋」である。

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども
 風の音にぞ驚かれぬる」藤原敏行

 残暑お見舞いの時期になると、
 毎年この歌を思い出す。

 暑いのさ中に「小さな秋」を発見する感性の鋭さ、
 「驚かれぬる」と感動を歌う率直さを
 素晴らしいと感じるし凄いなあと思う。 

 画家長谷川燐二郎の言葉。
 「何よりも大切なのは‘感動’である。
 要するに画家の定義は、
 画を描く人と言うよりも、
 絶えず外部に感動を見出し、
 絶えず自然を万物を賛美し、
 感動の生活を送る人、である」。
 (私は何度同じことを手帖に書くのだろう)。

 僕は今日も暑さの中で過ぎ去りゆく夏空を眺める。

 「現実は精巧に出来た造られた夢である」。
 長谷川燐二郎

2010年8月4日水曜日

女の過程

 「女っていうのは一番が感情で二番に言葉で
 三番に理性なのだろうと、自分の悪癖をまた性に転嫁する」。
 金原ひとみ小説「TRIP TRAP/女の過程」より。

 金原ひとみの本を読むのは「蛇とピアス」以来だった。
 ストレートな語り口が凄いと感心していたが、
 2作目を読むことに二の足を踏んでいた。

 一番に感情では、男は女に叶わない訳だ。
 愚かな男は、感情と同時に体裁を考える。
 つまり本音をオブラートに包もうとする。
 そういうええカッコしいが男なのだろう。
 
 小説家姫野カオルコも女性の持ついやらしさに対して辛辣だ。
 姫野の小説、「レンタル(愛人)」の中で主人公の女性は
 同じ女性に対してこんな疑問を呈する。

 「結局、身体が目的だったのね」と男性に迫る女友達に
 それは自分の身体が目的になるほど素晴らしいことを 
 自慢しているに過ぎないと言ってのけるのだ。
 実は凄く自信過剰なんじゃないかと。

 テレビバラエティ番組でマツコデラックスが
 TBSのアナウンサーの悩みに答えるコーナーを見た。
 驚いたのは女子アナの一人がこう言ったことだった。

 「私は職場の飲み会でもすぐ気を利かせて
 みんなのお酒を用意したり、すごく気を遣ってしまう」。
 これは自慢ではなくて、悩みだと言うのだ。

 マツコの答えが良かった。
 「あんたはいいわよ。今だって計算出来ているんじゃない。
 自分がどう見られているか。大丈夫よ」。そう揶揄した。
 けれど女子アナがタレントのような役割を
 せえざろう得ない状況には同情していた。

 女の過程を読んで、女性は人生のそれぞれの段階で
 進化というか成長を余儀なくされているのかも知れない
 そう思った。
 
 男は進化や成長でなく、
 経験から学習することしかできないように思う。
 自分だけかもしれないが。

 女性が女性の狡さを露呈する小説を読んだことはあるが、
 男性が男性の愚かさを指弾する小説はあるのだろうか。
 たぶん在るのかも知れないが、僕はよく知らない。
 チャールズ・ブコウスキーの小説「女たち」が唯一それに近い。
 
 「人は結局、
 世界の不条理や自身の無力感に耐えうる力を持っているのだ」。
 金原ひとみ「TRIP TRAP/夏旅」より。

2010年8月1日日曜日

人生はおとぎ話だ

 Keep passing,open the window.
 「開いている窓の前は通り過ぎること」。

 「ガープの世界」に続いてジョン・アーヴィングの小説
 「ホテルニューハンプシャー」を読み終えた。
 見事な小説だった。友人の文士の言は正しかった。

 主人公の父親が 
 一家でホテル経営を始めるが上手くいかない。
 射殺されてしまう飼い熊のステートオブメイン。
 同性愛の長男、近親相姦の長女と次男。
 飛行機事故で亡くなる妻と三男。 
 小人症の次女。次女の自伝小説はベストセラーになる。
 オナラばかりする飼い犬のソロー。 
 悲運(sorrow)は漂う。どんな家庭にも必ずある。
 それでも人生は進んでいく。
 
 仏陀の話を思い出した。
 幼子を亡くした母親が仏陀の処へ来る。
 「どうか我が子を甦らせて欲しい」と。
 仏陀はこう答える。
 「一度も死人を出したことの無い家を探して
 麦粒を貰って来なさい。そうすればお子さんは生き返ります」と。

 母親は必死になって、家々を訪ねる。
 しかし死人を出したことの無い家は見つからない。
 母親は死が必然であることを悟り、
 仏陀の弟子になったという。

 アーヴィングの小説は仏教に通じる
 諦念のようなものを感じる。
 死も悲運も避けられないものだと。
 「人生はおとぎ話だ」と書く作家には
 おとぎ話には試練が多いことが分かっているのだ。

 だいぶ前に観た映画もビデオで借りて見直した。
 以前観た時は途中で寝てしまった記憶がある。
 映画も良く出来てはいた。
 「ガープの世界」とは比ぶべくもないが。

 ガープの世界は良い意味で原作をアレンジしてた。
 原作にない部分の挿入や、脚色が効果的だった。
 ホテルニューハンプシャーは原作に忠実過ぎた。
 小説と映画は別物だから、
 映画としての表現を追求した方が面白いに決まっている。

 「開いている窓の前は通り過ぎること」。
 死が避けられない運命であるならば、
 開いている窓から落ちようとする必要はない。
 窓の外が明るくても、暗くても
 それは大した問題ではないのだ。

2010年7月31日土曜日

SUMMER TIME

 洗濯紐に挟んであった大きめの洗濯バサミを掴んだ時だった。

 パリッという頼りない音と供に洗濯バサミは割れて 
 白いプラスチックは四散した。

 一瞬だけベランダに落ちた洗濯バサミの欠片を拾うことを
 疎ましく思ったが、次の瞬間には寿命のことを考えていた。
 
 あらゆるものは儚くその寿命を終える。
 自分が例外でないことは百も承知のはずだ。

 演劇界の巨星、つかこうへい氏が亡くなった。
 僕は彼の演劇を一度も観てはいない。
 映画化された「蒲田行進曲」を観て
 素晴らしい作品だと感心したくらいだ。

 一度だけ、つか氏の講演会を聞いたことがある。
 全共闘世代の彼は、慶応大で演劇を作演出をしていた時
 同級生から「こんな時に芝居なんかしやがって」と
 罵声を浴びせられたと話されていた。

 今通っている歯医者さんに雑誌SPAがあった。
 普段は読まないのだが、
 みうらじゅんとリリーフランキーの「グラビア魂」を
 一度くらい見てみようと思いページを開いた。

 ナイスボディのグラビア嬢と二人の解説を
 フムフムと眺め、ペラペラとページをめくった。

 やはり劇作家で演出家の鴻上尚史のコラムがあった。
 亡くなったつかこうへい氏への追悼文だった。
 つか氏が有名になられてから、
 在日朝鮮人であることを公にしたこと、
 氏のペンネームが「(い)つか公平(に)」に 
 由来しているらしいことなど書いてあった。
 その観点で代表作「熱海殺人事件」を眺めると
 ストーリーや台詞の意味が違って理解できると
 そう書いてあった。

 ジャニス・ジョップリンの代表曲'SUMMER TIME'。
 友人から借りたビデオでライブの様子を見たことがある。
 素晴らしいヴォーカルとバンドパフォーマンスだった。

 けれど絞り出すような彼女の歌声には、
 生命の炎を燃やし尽くすような痛々しさを感じた。
 早世してしまった彼女を知っているからだろうか。

 人の死を「惜しい」とか「早すぎる」と決めてしまう
 私たちの心とは何なのだろうか。

 壊れてしまった洗濯バサミをゴミ袋に捨てた。
 夏の時間は通り過ぎてゆく。   

2010年7月30日金曜日

指の中の天使

 左手の親指がポキッと折れて床に落ちた。
 母親が誤って折ってしまったのだ。
 小学校へ上がる前の冬のことだ。

 痛みは全くなかったが、恐ろしくて泣き叫んだ。
 母と父は北米大陸の先住民族のような格好で
 落ちた親指の周りをぐるぐると踊り祈っていた。
 死んだ筈の祖母は心配そうな面持ちで
 親指を眺めているだけだった。

 早くつけないと元には戻らない。
 そう分かっていても幼い僕にはなすすべもない。
 ただ「左手だったのは少しだけ幸運だった」と
 泣き叫びながら考えていた。

 指先の欠けた親指を見ると、中は空洞だった
 何故か骨も肉もなく、空洞だった。
 中が空洞だという事実もまた恐ろしかった。

 しばらくすると、落ちた親指の欠片から
 小さな小さな天使が出てきた。
 一人、二人、三人・・・・。全部で7人だった。

 1番目の天使が驚く僕にこう言った。
 「願い事を叶えてあげる」。
 「指を元に戻して」。
 やっとのことでそう言った。

 6人の天使が指を運び、(彼らは羽で空を舞った)
 1番目の天使がお呪いを唱えた。
 僕の指は元通りになった。

 ほっとして見渡すと辺りには天使の姿は無かった。
 父も母も亡くなった祖母の姿も、もはや無かった。 

 (夢物語シリーズ・第一話)

2010年7月29日木曜日

Over The Rainbow

 目が覚めたら雨の音がした。
 外は明るく雨模様ではない。

 カーテンを開けて空を見上げた。
 ぼんやりと虹が架かっていた。
 
 久しぶりの虹を眺めながら、
 以前のI氏のメールを思い出した。
 このブログにも掲載した「音楽について」である。

 目の前で演奏された音楽は、
 確かにそこに在ったと思われるし、
 断片的に思い出すことも出来るのだが、
 もうそこには存在しない。永遠に。

 目の前の虹は、そもそも存在しているのだろうか。
 見えている間は在るとも言えるのだが、
 光の反射に過ぎない虹は手に触れることも出来ない。
 まるで幻のような存在だ。

 しかし我々の目に映る全てのものは、
 やはり光の反射に過ぎないではないか。
 確かに手に触れたり、匂いを嗅いだり、
 食べ物なら口に入れて舌触りを確かめて味わうことだって可能だ。

 数年前に見たエリック・クラプトンのコンサート。
 満員の武道館でのアンコール曲。
 イントロを聴いても、何の曲か分からない。
 クラプトンの歌が始まる。'Over The Rainbow'だった。
 「いつの日か、虹を越えて。空は青い・・・」。
 美しく切ない、大人のための童謡のように感じた。

 実体がまだ存在していようがいまいが、
 過去に起きたことのみならず、目の前の世界も
 頭が創り出した物語に過ぎないのではないか。
 私たち自身が幻のような存在ではないか。

 それでも私たちは夢見ることを止めたりはしない。

 Rain(雨の)Bow(弓)。
 半弧を描く朝の虹を眺めながら
 そんなことを考えた。 

2010年7月26日月曜日

腐乱する生

 新宿の夏が憂鬱なのは、
 激しい暑さと腐乱の悪臭。

 朝8時前には西武新宿駅から
 新宿御苑の直ぐ隣にある職場へと向かう。
 
 好んで裏通りを通るので、
 勢い燃えるゴミ袋の列に出くわす。
 飲食店が多いからだ。
 ゴミ回収車の脇をすり抜ける。
 鼻腔を刺激する強烈な匂い。
 思わず息を止める。

 それでも裏通りをめったに変更しない。
 オレは「裏通りの男」(Back Street Boy)だからだ。

 3年前に半年間で二度職質を受けた。
 一度目は仕事帰りの午後6時近く。
 西武新宿駅の直ぐ近くだった。
 連日のように職質している警官を眺めたが、
 まさか自分のところへ来るとは思わなかった。
 二人組の警官に「ちょっといいですか?」と
 声を掛けられ、身体検査をされた。
 「新宿には何をしに来られましたか?」。
 「何って、仕事ですよ」。
 「ナイフは持ってませんか?」。
 「持ってない。何かあったの?」。
 「数日前に通報がありましてね・・・」。
 「特徴が似ているのかな」。
 「いいえ。ご協力ありがとうございました」。

 半年後、朝の10時前だった。
 西武新宿駅前に停車しているパトカーを見つけた。
 僕が歩道を渡ると、パトカーは発車した。
 30m先の横断歩道を渡る前にパトカーが止まり、
 素早く一人の警官が僕の行くてを塞いでこう言った。
 「ちょっといいですか?」。

 あっと言う間に続けて降りた二人の警官が加わり、
 都合3人に警官にがっちりと囲まれた。
 今度の職質と身体検査は入念だった。
 鞄の隅々まで、ポケットの中身まで調べられた。

 「半年前にも職務質問されたのですが、
 何か理由はあるのですか?」。
 警察官の答えは曖昧だった。

 一度目の職質の一ヶ月後、
 秋葉原で痛ましい事件が起こった。
 
 新宿の街は、僕には人が多すぎる。
 僕には街が大きすぎる。

 新宿に転勤して三度目の夏を迎えた。
 腐乱する臭いに慣れることはない。
 けれど最近になって、はたと考えた。
 腐乱には死のイメージがあるが、
 腐乱そのものは生を助長してきたのではないか。
 腐乱によって、生命の営みが育まれたのではないか。

 私自身が生と腐乱の中間にあるのではないか。
 死と腐乱の中間かもしれない。
 
 生も死も腐乱も、僕自身の幻想の中にあるにせよ、
 そのような幻想の夏の中に僕は今日もいる。

2010年7月25日日曜日

 昔
 よく一人で旅に出た
 
 それはいつもの
 樺太の
 海岸通りの
 さびれた道だったり
 光溢れる
 サイパンのビーチだったりした

 何か見覚えのある
 島の
 白い大きな灯台の
 丘の道を歩いたりした

 大阪の街の上を
 竜によく似た
 3メートルくらいの
 大きな鳥が飛んでいるのを
 見たことがある

 今ではあんまり
 旅をしなくなった

 砂ぼこり舞う
 満州が
 最後だったかも
 しれない


 2000/10/5 

2010年7月22日木曜日

銀河鉄道の夜

 猛暑が続いている。
 23日は暦の上で「大暑」だった。 
 
 昼に暑いのはまだ我慢が出来る。
 厭なのは夜になっても暑苦しいことだ。

 25℃を超えると「熱帯夜」と呼ばれているが、
 先日友人が「熱帯の夜に熱帯夜はない」と教えてくれた。
 熱帯の人たちは私たちより確実に健やかな眠りについている訳だ。
 熱帯には壁のない柱だけの家が存在する。必要がないからだろう。
 以前、写真で見たことがある。
 
 世界でも特有な蒸し暑く寝苦しい夜のために、
 冬の寒さを考慮しない、夏のための家を
 私たちの祖先は工夫してきたのだろう。
 
 アニメ「となりのトトロ」の舞台、
 さつきとめいの家にもそれが窺える。
 長い縁側があり、夏の夜はそこを開放する。
 家の中には蚊帳が吊ってある。

 僕の実家も30年以上前にはそうだった。
 縁側を開け放し、蚊帳を吊った。
 吹き抜けの斜め天井の高窓からは
 月やたなびく雲が見えた。

 目を凝らせば、
 遙か銀河を走る銀河鉄道が見えたかもしれない。
 
 「黄金虫投げ打つ闇の深さかな」虚子
 
 

2010年7月20日火曜日

1990

 「何故だろう?」。
 「もう少し大人になればわかるさ」。

 彼は空想の死を希望していた。
 つまり死にたい時に死に
 そして何度も復活したいと望んだのだ。
 それはおそらく生があまりにも重すぎた故でもなく
 生を実体あるものとしてとらえる能力に
 欠けていたためと思われる。
 実際彼はその人生のほとんどを
 幻想の中で費やしたと言ってもいい位だった。
 ただ本人にはどこまでが現実で
 どこまでが幻想なのか 
 はっきり区別をすることが難しかった。

 現実の中で「これは長い夢を見ているのだ」
 と感じることが度々だった。

 彼は時に異教の神に祈った。

 神々の中で彼に応える者は居なかった。

 (1990年制作)

2010年7月19日月曜日

真夏の果実

 梅雨明けをして、本格的な夏になった。
 昨日は各地で猛暑日を記録した。

 昨日の夕暮れは良かった。
 風が強かったためか、富士山がくっきりと見えた。
 夏の富士もよい。夕暮れとなれば格別だ。

 夕焼けがまた見事だった。
 大きな紫色の入道雲。茜色、オレンジ色、黄色の光。
 それらが刻々と形と色を変える。

 「あの雲を見給え。
 あれをそのまま表現できたら
 どんなに素晴らしいことだろう。
 モネならそれが出来る。
 彼には腕力がある。」ポール・セザンヌ

 高校生ころ陸上部に所属していた。
 練習帰りの帰り道で大空を見上げては、
 いつかあの空をそのまま描けるようになりたい、
 そう念じたものだった。
 
 夏の雲はいつも自分にとっての主題だ。
 恐竜のプロントくん、キャットくん、
 ‘レクイエム’の怪獣とロボットのシリーズ、
 ‘洪水のあと’の動物たちの肖像シリーズでも
 ずっと夏の雲を描き続けた。

 「もりもり盛り上がる雲へ歩む」山頭火

2010年7月13日火曜日

もやもやさまーず

 深夜放送の人気番組がゴールデンに移る。
 良くあることだが、大抵がつまらなくなる。
 
 何故だろう。
 色々と理由はあるだろうが、
 ゴールデンに移って張り切ってしまうと、
 深夜放送の自由さアドリブ感が無くなるから、
 そんな気がしている。

 その点「もやもやさまーず」は良い。
 深夜でも何度か見ていたが、
 日曜日の夜7時に移って良く見ている。
 持ち味の緩さが失われない。
 テレビ東京なのも良かったかもしれない。

 共演の大江アナがいい。
 さまーずの三村、大竹との距離感、リズムがいい。
 良くある散策・街紹介の番組なのだが、
 どうでもいいような場所ばかり訪ねている。
 
 一週間のゴールデンの番組で、
 これ程力の抜けた番組は、
 同じテレ東の「天空散歩」くらいではないか。

 サッカーのワールドカップが終わった。
 サッカーの試合自体は、それなりに楽しめた。
 辟易したのは、盛り上げようとするマスコミだ。
 
 報道の内容や、調子が異様だった。
 質の悪い、騒ぎたがりのファンと似ていた。
 朝の報道番組のコメントの「がんばれ日本」の
 連呼は何なのだろう。
 ただ便乗しようとする卑しさが感じられる。

 知り合いのサッカーファンが言っていた。
 彼は最近「坂の上の雲」を読んだと言い、
 こう続けた。

 「日露戦争の勝利と変わらないんですよ」。
 司馬遼太郎が書いていることだが、
 ほとんど引き分けに等しい勝利に
 大勝利とマスコミが煽り、国民が熱狂した。
 サッカー報道がそれに似ていると言う。
 同感だ。

 報道に必要なのは、熱狂では無く冷静さだ。
 共感はあってもよいが、検証が必要だ。
 法案や政策でも、賛成、反対の両論の対比が重要だ。
 
 気味の悪い熱狂よりは、
 一見取るに足らないものに光を当てる方が
 遙かに価値がある。
 それこそ茶の湯の「見立て」であろう。

 落ち着いて、のんびりのんきな
 「もやもやさまーず」が好きだ。 

2010年7月11日日曜日

やがて哀しき外国語

 日本の教育で「英語」が何故偏重されるのか。
 
 外国語を学ぶことには意味がある。
 世界は言語で成り立っている。
 現実の世界ではなく、
 我々の頭の中にある「世界」である。
 我々にとって世界は頭の中にしかない。

 日本語で作られた世界と、英語や他の外国語
 それらで考えたり聞いたり話したりする世界は
 少し違っているように思う。
 僕の拙い英語力でもそう感じる。

 外国語を学ぶことには意味があると思う。
 外国語に限らず、学ぶことは大抵意味があるだろう。
 けれど受験で何故英語が重要なのかが分からない。
 受験技術の差異化が易しいからだろうか。
 あまり身のある話とは思えない。

 何ヶ月か前の朝日新聞に4面の意見広告が出ていた。
 小学校からの英語教育に反対する意見広告だった。
 1ページ目は人気漫画の「ドラゴン桜」の主人公。
 曰く「小学校から英語なんてお前ら破滅するぞ」。
 2面にはNHK英会話で人気講師の意見が。
 まずは自国の文化をしっかり学ぼうと。
 文化にはまず自国文化の根っこが大切だと。
 同感だ。

 外国の方と交流する場で、必要なのは語学力よりも
 自国の文化に対する理解と、
 外国の文化を理解しようとする態度ではないか。
 英会話の技術ではなく文化的教養が大切なのではないか。
 大江健三郎氏が流暢とは言えない英語で
 ノーベル賞受賞のスピーチを行った時、強く思った。

 文化としての言語教育が受験技術としての道具になっている、
 そんな風に感じているのは僕だけではないだろう。
 小学校からの英語教育に強い懸念を抱くのは、
 ドラゴン桜の主人公と同じある。 

 おもろうてやがて哀しき・・・・。

2010年7月9日金曜日

百日紅

 一昨日の夜。
 夜の散歩が涼しいなと感じたら、
 虫の音が聞こえた。

 紫陽花の花が一気にしおれて、
 百日紅の花が咲き、夏到来を感じさせた。
 
 携帯のカメラで何枚の紫陽花を撮っただろうか。
 何枚の薔薇、名も知らぬ花を撮っただろうか。
 
 花を子細に眺め、写真を撮るようになると、
 花の時期が楽しみになる。
 春から夏の前に花々の一つのピークがあることに
 今年になって初めて気づいた。

 これからの時期は朝顔に向日葵だろうか。
 ひまわりの花は少年時代の憧憬の中にもある。
 だから「キャットくんとふしぎなプール」の世界で
 たびたびひまわりを描いた。

 暑さが苦手だったので、夏が嫌いだった。
 それでも夏の夕暮れに見る大きな入道雲はずっと好きだった。
 
 夏の夜の濃い木陰が創り出す、深い闇が今は好きだ。

2010年7月8日木曜日

諸行無常の響き

(友人のI氏からのメールが
 大変面白かったので、ここに掲載します。
 勿論、I氏の了解済みです。)

音楽を使って、実験してみることができる、と気がつきました。

近代以降は、レコードだの何だのと、録音技術があるので、
音楽は記録できるのだという「錯覚」が定着していますが、
その技術がなかった頃は、そういう錯覚の持ちようもなく、
人は、音楽・楽曲について、
けっこう「実相」に近い受け止め方をしていたのではないでしょうか。

で、現代でも、録音などしないでいることは可能ですから、
実際に楽曲を演奏してみて、その実相を見ることができるわけです。

音楽のすごいところは、
「なにも残らない」ということが確かめられることです。

もちろん、音楽だろうがなんだろうが、
何かが残る、などということは起こっていないのですが、
音楽以外は、それを実感するのがむづかしいわけです。

絵を描けば、その「絵」が目の前にちゃんと存在して、
いつまでも(まあ、数年、数十年ぐらいでも)残っている、
というように感じてしまうでしょう。

なにかの曲を弾いてみて、
それが、弾くそばから消えてしまうのを確かめるのは、
そんなにむづかしいことではありません。

で、それを観たうえで、
でも、この曲は確かにあった、というふうに思える、
それはどういうことだろう、
心は、何をやっているのだろう、
と考えてみるのは、とてもいいことだと思います。

ビートルズの、Come Together という曲は、「存在」しているのか?
それはどこに「在る」のか?

自分、とか、人生、とか、時代、とか、
そういうものに対する錯覚も、そこから見えてくるかも知れません。

というわけで、相変わらずのヒマ談義でした。

2010年7月4日日曜日

アフリカの星

 雑誌ビッグイシューで、南アフリカ共和国前大統領
 ネルソン・マンデラ氏の特集をしていた。

 南アフリカ共和国では、
 現在サッカーのワールドカップが開催されている。

 僕も日本戦を含め何試合か見ている。
 試合自体は楽しめるけれど、
 一体感を強調する報道は好きになれない。
 道徳を声高に叫ぶ人に似て、
 選手はともかく、
 外野からの一体感うんぬんは押しつけだと思う。

 でも、民族対立が激しい南アフリカ共和国の地で、
 民族融合を唱えることは、一体感の強要とは訳が違う。

 どんな人間にも欠点はあるはずだ。
 ジョン・レノンは偉大なミュージシャンだったが、
 彼自身が答えているように欠点も多い人間だった。

 マンデラ氏のことを断片的にしか知らないが、
 彼が27年にも及ぶ投獄の後で、
 敵対していた白人に対して報復をせずに、
 大統領として国をまとめアフリカを再建しようと努めたこと、
 これは立派だと思う。

 2年前発行の別なビッグイシューを手に入れたら、
 そこでもアフリカ文化についての特集があった。
 驚いたことに、対立する民族が第三者も交えて
 対話によって紛争を回避する智恵が
 元々彼の地にはあったと書かれてあった。

 マンデラ氏は、近代化で失われつつあった
 アフリカ文化の智恵を復活させたのかも知れない。
 
 西洋人がアフリカ文化を取り入れた最初の例は、
 ピカソが始めた「キュビスム(立体派)」によってだろう。

 それでも西洋は「暗黒のアフリカ」などと読んで
 彼の地を蔑んだ。
 「暗黒のアフリカ」は「暗黒の中世」と同じだ。
 近代化されていないものは
 全て「劣ったもの」として考える思想だ。

 近代主義は「理性」を重視し「狂気」を排除する。
 フーコーは近代主義が「精神病院」を生んだと書いた。
 アフリカのある地域では
 狂気を全ての人間が共有する本質と捉える伝統が
 いまでも残っていると言う。

 ぼくはアフリカについてほとんど何も知らない。
 けれど、多様なアフリカ文化の一端に触れたこと、
 「近代主義」の考え方とは違う思想の方法を知った事
 このことは良かったと思う。

 ワールドカップを見て、アフリカの選手の肉体が
 他の大陸の選手よりも逞しく立派に思えた。
 これは偏見や、差別に基づく考えなのだろうか。
 よく分からないが、そうではないと思いたい。

2010年6月29日火曜日

水無月の終わりに

 夕方から酷い土砂降りだ。
 雷も聞こえた。

 梅雨らしくなったと言えばそれまでだが、
 数年前から、夕立が熱帯のそれに似てきたようだ。
 この何年かのことだけど。

 月曜日に歯医者へ行った。
 口内炎の原因が、奥歯の金属の破損だと思い至ったからだ。

 知人に紹介されたその歯科医は手際が良かった。
 てきぱきと診断し、レントゲンを撮り、
 奥歯の金属を外すと、口内炎にレーザー治療をした。
 その間、約30分弱。

 レーザー治療を施すと炎症部分は無くなったようだった。
 (炎症でなく裂傷だと件の歯科医師は言った)。

 痛みを感じてから、かれこれ一ヶ月になる。
 二週間は痛み止めを飲み続けた。
 月曜日まで、染みる感じは無くならなかった。
 酒もほとんど飲めなかった。
 痛みで集中力は続かず、
 ブログを書く気力もなかった。

 体の何処かに痛みがあるとそればかりが気になる。
 気にせざろう得なくなる。
 激しい痛みならばなおのことである。
 
 昨年の6月は、夏風邪が長引いて体調を崩した。
 一昨年は、眼に経験のない異常を感じた。
 モノが断片的に、バラバラに見えたのだ。
 初めは恐ろしかった。幻覚を見ているのかと思った。
 後になってある医師にこう言われた。
 「それは調節障害ですね。老化です」。

 ここ三年続けて6月に体調を崩している。
 歳のせいにはしたくない。
 ペースが保てていないからだ。
 
 絵を描くペース。音楽するペース。テニスするペース。
 ペースを守って、それらを続けること。
 水無月の終わりに、そう自分に言い聞かせた。

 「蒸し暑く生きものが生きものの中に」山頭火  

ぼくらはみなひとりぼっちだ。でも孤独なんかじゃない。

 村上春樹の1Q84・BOOK3を読んだ。
 
 知り合いのハルキマニアの女性は
 気に入ったとおっしゃった。
 「BOOK1・2で、分からなかったことが、
 よく分かった」と。

 僕は、正反対の感想だ。
 1と2で象徴的だった表現が、3で説明的になったと。
 1と2で語られた謎を解くために3を書いたようだと。
 
 ピカソと自ら別れた唯一の女性、
 フランソワーズ・ジロー。
 彼女は存命で、ニューヨークで画家として暮らしている。
 二人の憎愛劇はジローの著作でも知られる。

 僕は数年前にその本を元にした映画を観た。
 アンソニー・ホプキンスがピカソを好演していた。

 最近のインタビューにジローはこう答えている。
 「ピカソから離れたのは、彼のことが分かったから。
 彼の神秘性が消えたから、興味が持てなくなった」と。

 残酷だが正確な言葉だなと思った。
 芸術も恋愛も強い妄想・幻想を必要とする。
 妄想や幻想が謎であればあるほど惹かれることがある。
 謎が消えること。それは手品のネタばらしだ。

 優れた芸術ほど、汲みせぬ謎がある。
 私たちがモナリザに惹かれるのは、分かるからではない。
 謎がいつまでも消えないからだ。

 芸術よりも恋愛が醒めやすいのは、謎がばれ易いからだろう。
 
 BOOK3は僕にはネタばらしに感じられた。
 個人的にはとても残念だった。
 でもいい加減な僕である。
 後で読み直してこれは良いなどと言いかねない。

 BOOK3のある章に、ぼくのブログのフロントページの
 「ぼくらはみなひとりぼっちだ。でも孤独なんかじゃない」と
 ほとんど同じ言葉がタイトルとして使われていた。

 僕の詩「黒い人」に、春樹氏のフレーズを
 一カ所だが引用している。
 春樹氏も僕のブログのフロントページにある
 この言葉を引用したのかも知れない。まさか。
 たぶん、同じことを思いついたのだろう。
 どちらも大差はないが。

 「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」
 世阿弥 「風姿花伝」より 

2010年6月25日金曜日

夏至の日に

 6月21日(月)は夏至だった。
 梅雨入りしてから、晴れの日が多い。
 
 月曜日も、朝陽の眩しさに目が覚めた。
 五時前だった。
 このところカーテンだけでは眩しいので、
 雨戸を閉めて眠っている。
 それでも起きてしまった。
 
 暑さのせいか、紫陽花が少し元気がない。
 雨の日の楽しみは、雨に濡れた紫陽花の花だ。

 自分がこんなにも紫陽花が好きなのか、
 毎日のように携帯で写真を撮っていることに
 驚いている。
 
 それにしてもあちこちに紫陽花の花がある。

 桔梗の花や、秋桜が好きだった。
 夏の暑さが一段落した気分になれるからだ。
 大好きな秋が近づいている感じが良いからだ。

 春には花水木。
 春の始まりにあの白い花は清々しい。

 今はそれぞれの季節の花々が一層愛おしくなった。
 
 「年々歳々花相似たり。
 歳々年々人同じからず。」

2010年6月22日火曜日

気らくに行こうぜ

 「気らくに行こうぜ、俺たちは
 あせってみたって同じこと
 仕事もなければ、金もない
 何とかなるぜ、世の中は
 気らくに行こう、気らくに行こう」。
 歌の後でナレーション。
 「車はガソリンで走るのです」。
 モービル石油。

 70年代のテレビCMの傑作だった。
 複数の男たちが、森の中の小道で
 フォルクスワーゲン「ビートル」を押している。
 男たちの内に一人が故鈴木ヒロミツ。
 サロペットのジーンズにTシャツ。
 長髪のヒッピー風の姿だった。

 「適当」とか「いい加減」って、好きな言葉だ。
 釈迦の言う「中庸」に近い感じがする。

 「根性」とか「忍耐」が好きじゃない。
 「努力」もかつては好きで無かった。
 ただ自分の過去を振り返って見たら、
 好きなことには人一倍努力してたことに気がついた。

 英語では‘Take it easy’を良く使う。
 イーグルスの曲のタイトルにもなっている。
 日本語で言えば「気らくに行こうぜ」だろう。

 「気らくに行く」ことが実は難しい。
 だから英語のこのフレーズがあるのだろう。
 
 「忙しい」を口にするのは易しい。
 しかし何故「忙しい」のか?
 「忙しい」を続けたいのか、止めたいのか?
 
 仕事であくせくし過ぎるのはカッコいいのか?
 「飄々と生きる」は死語なのか?

 僕とは忙しいと言うことで、
 「仕事をしている」とアピールしているみたいだ。
 たぶんマインドの指令で、
 「仕事をしている自分」を周りに認めて欲しいのだろう。
 馬鹿みたいだぞ、オレ。

 僕は家の壁と職場の壁にある言葉を書いた。
 「のん気に生きるぞ」と。
 「のん気」は「気らく」よりさらに難しい。
 やはり「気らくに行こうぜ」にしようと思う。
 
 「世は定めなきこそいみじけれ」兼行法師 
 「世の中は気らくに行こうぜ、意味はないけど」ひろし

2010年6月20日日曜日

のん気に生きるぞ!

 郷里の秋季大祭、片貝祭。
 今では、世界一の四尺玉を始め
 花火の祭の祭としてすっかり有名になってしまった。

 昔は定番のお囃子ひとつ「のんきな父さん」が
 かからなくなった。

 「のんきな父さん、お馬のお稽古
 お馬が走り出して止まらない。
 子どもが面白がって、父さん何処行くの?
 わたしゃ知らないお馬に聞いとくれ。
 はは、のん気だね。」 

 山車を牽きながら、お囃子に合わせて
 大きな声で歌いながら練り歩いた。
 昔は観光客も、近郷の者に限られていた。
 今や、東京などから観光バスが来る。 
 
 長閑(のどか)さが失われて、当然なのだろう。
 長閑さは、日本中の至る所で失われているのだろうか。

 「等閑視」(とうかんし)と言う言葉がある。
 好きな言葉だ。
 「等く長閑に視る」。
 辞書を引くと「いいかげんに考えること」など
 良い意味ではないらしい。

 僕の解釈はこうである。
 物事と自分と適切な距離を持って、
 出来るだけ客観的に眺めること。
 同時に、一つの狭い見方に収斂しないで、
 様々な観点から視ることをイメージする。

 「のん気に生きるぞ!」は雑誌ビッグイシューに
 コラムを連載している雨宮かりんの言葉である。
 ある独立系のメーデーのデモ行進で
 シュプレヒコールとして用いたら「うけた」とあった。

 「のん気に生きる。のん気に行く」。
 これは一つの指標ではないか。
 のん気でない今の時代へのアンチテーゼではないか。

 まあそんなに力まないで、
 ここはひとつ「のん気」にいきましょう。
 

2010年6月18日金曜日

王様の話2(ヒンドゥー神話より)

 神々の王インドラが、あることから、
その神格から降格されて、
豚の身体にされてしまったことがあった。

 豚になった彼は、泥の中を元気にころげまわって暮らし、
成長し、つがいになる雌豚と出会って、
たくさんの子豚をもうけた。

 天の神たちは、
自分たちの王が
 いつまでもそのような姿でいるのを眺めているうちに、
とうとう我慢ができなくなって、
彼のところまで降りて来て、こう言った。

「あなたは我々の王様なのですよ。それなのに、
こんな所でこんなことをしているなんて」
 すると、豚は答えた。
「お前たちは、これのすばらしさも分からずに、
何を言っているんだ? 
お前たちこそ、これになってみろ。
そうすれば、そのすばらしさが分かる」

 その後、何を言っても相手にしないので、
ある日、強行策をとることに決めて、
彼の愛着の対象である子豚たちを殺してしまった。

 彼は嘆き悲しんで過ごした。
そしてその嘆きが治まると、妻である雌豚に
「さあ、また新しく子供を作ろう」と言った。

 これはまずいと思った神々は、
その雌豚も連れ去ってしまった。

 彼は呻吟し、深く嘆き悲しむ日々を過ごしたが、
やがて、別の雌豚に心を動かすようになっていった。

 どうしても駄目だと分かったので、
神々はついに彼の肉体を奪ってしまうしかないと考えた。
 剣が豚の心臓を貫くと、
その身体の中から、彼が出てきて言った。
「わたしが、これをすばらしいと言っていたって? 
まさか。さあ早く行こう」 

(2010年6月 I氏より送付される)

2010年6月17日木曜日

黒い人

 もう少しで
 眠れそうなのに 
 心臓が
 ドクドク
 打ち始めると
 黒い人が現れる

 瞳はほとんど閉じられて
 頭の底は
 夢の扉を開けようとしている

 黒い人は
 廊下に立ち
 ふすまの蔭から
 こちらをうかがう


 黒い人は
 闇の世界に住む
 黒い人に
 光はとどかない
 黒い人に
 音はとどかない

 眠りに落ちるやいなや
 黒い人は
 私の上に襲いかかる
 私は
 心の中で
 思い切り叫ぼうとする

 黒い人は
 真っ黒な顔で
 虚無と一体となり 
 私は
 虚無に取り込まれまいと
 必死で
 必死で目を覚まそうとする

 黒い人は
 気配だけを残して 
 私の頭の中と
 目の前の廊下を
 しばらく行き来する

 眠りの神が
 大きなハンマーで
 頭の後をたたく

 瞳を閉じる
 ほんのわずかのすきまから
 黒い人が
 立っているのが見えた
 
 いつからか
 黒い人は 
 現れなくなった

 彼は
 私自身であったのだと
 今ではそう思う

 (制作年不明)

2010年6月8日火曜日

キャットくんとふしぎなプール

 独りで磯にいた。

 磯の内側は穏やかな浅瀬。
 磯の外側は、水深3m近く。波が荒い。

 場所は新潟県の海水浴場「笠島」。
 小学校時代を通して、
 年に一度の海水浴を楽しみしていた。

 僕には2歳年上の姉がいるが姉は水泳を好まず、
 高学年になると母と二人で出かけた。
 母は海の家で、一人読書にいそしんでいたので、
 海辺にはいつも独りで出掛けたのだった。

 波が荒いと、磯の外側の深い処には潜れない。
 無理して外海に出ると、岩場に体を叩きつけられる。
 それでも波が穏やかな時、磯には多くの海の生き物が見えた。
 水中メガネを付けて、海の底へ潜ると
 自分が海の世界の住人になった気分だった。

 怖い思いを何度もしたせいだろうか。
 成人してからも、独り磯で遊んで溺れそうになっている、
 そんな夢を度々見た。

 少年時代の体験や、夢の世界から
 「キャットくんとふしぎなプール」は生まれた。

2010年6月6日日曜日

皮膚と心

 水曜日の午前中のことだった。
 舌のつけ根に違和感を感じた。

 ジンジンと痺れるような感じ。
 まだ痛いほどではなかったが、
 夕方には話しをしただけで鈍い痛みが走った。

 「口内炎だろうか・・」。舌に出来た経験はない。
 とりあえずショコラBBを買った。
 夕飯はさらにビタミンBを取ろうと、豚生姜焼き定食にした。

 染みる。染みて痛い。考えてみれば当たり前だ。
 生姜は傷に染みるはずだ。馬鹿じゃないか。
 それでもビタミンBを取れば翌日には治っているだろう、
 そんな気持ちでいた。
 
 日頃から自分は口が立ちすぎると思い直した折だった。
 針小棒大な言葉を吐き出している、悪い癖だ。
 このブログでも毎回のようにそれが見え隠れする。
 しかし反省が出来ない、いや、する気持ちがない。

 「酷い口内炎ですね。4日くらい掛かりますよ」。
 病院の医師にはそう告げられた。「塗り薬を出します」。
 「飲み薬は無いんですか?」。「ありません」。
 不安は現実になった。塗り薬を塗って暫くはいい。
 しかし、お茶を飲んでも染みるのだ。
 (お茶は染みると後でわかった。)

 昼にサンドイッチを買った。傷口に張り付くように痛む。
 バナナもダメ。意外に酸味もあると分かった。
 染みると思った、うどんや雑炊の方が辛くない。

 発症して明日で6日目。4日はとうに過ぎている。
 「これは何かの試練なのだろうな」。
 根拠などないが、そう考える。
 試練と言うより体からのサインなのだ。
 
 酒を抜いて内臓が綺麗になって、
 おまけにお腹でも引っ込んだら、一石二鳥だななどと、
 虫の良いことを考えたりする。
 どちらにしても飲めないし、飲みたく無いから仕方ないけど。

 死ぬ覚悟など、とうてい出来ないのだなと、
 生にしがみついている自分を知っただけでも良かった。

 突然、できものが全身に出来て、
 絶望して「死にたい」などと言った主人公の女性が、
 夫に励まされて行った皮膚科の治療を得て、
 良くなったとたん幸福を感じる、
 太宰治の「皮膚と心」を思い出した。

2010年5月31日月曜日

薔薇の名前

 「手にとるように哲学がわかる本」
 を今朝読み終えた。

 たぶん10年近く前に買って
 そのままにしておいた本だ。

 その中にあったトマス・アクィナスの「スコラ哲学」。
 「唯名論」と「実在論」について述べてあった。

 「唯名論」では、例えば個々の種類も生育も違う
 薔薇の花が存在する、そういう考えだ。
 「実在論」では個々の薔薇が在るのではなく
 薔薇という概念こそが実在するという考えだ。

 映画「薔薇の名前」の原作はウンベルト・エーコ。
 イタリア人の現代記号論の哲学者であり、
 当時は大学教授でもあった。
 
 中世の僧院を舞台に起こる連続殺人事件。
 謎を解くのは修道士役のショーン・コネリー。
 異端裁判や、存在しない筈のアリストテレスの著書。

 アリストテレスの著書に書かれた「笑いについて」を巡って、
 禁欲を旨とした当時のキリスト教世界に
 反する著作の秘密を守ろうとする修道院の暗部を描いていた。
 「ダヴィンチコード」の下敷きはこの作品に違いない。

 暗い修道院の中に図書館があり、写本をしたり、 
 薬や様々な実用品が作られたりしている。
 当時の修道院が祈りの場で在るだけでなく、
 教育機関や医療機関、芸術制作の場など、
 様々な顔を持っていたことが窺える。
 
 中世からルネッサンスにかけて、
 キリスト教神学と古代ギリシャ哲学をどう結びつけるか苦心した。
 スコラ哲学や、新プラトン主義などがそうだ。
 と「手に取るように哲学がわかる本」に書いてあった。

 「唯名論」と「実在論」も、「普遍論争」と言う。
 スコラ哲学の中心人物トマス・アクイナスによって
 「信仰」と「理性」の矛盾をどう解決するか。
 神の領域と人間の領域を分けることで解決したとある。
 「分けること」。ここにヒントがありそうだ。 

 ブログを書いている僕も何となくしか分かってない。
 けれど、この辺り西洋の近代主義始まりの秘密がある、
 そのことだけは分かってきた。

 薔薇の季節が盛りを過ぎて、
 紫陽花の季節が始まった。
 そのことだけははっきりと分かる。
 

2010年5月29日土曜日

ハートの女王

 薔薇の季節になっていた。

 一昨日休暇を取り、近所を散歩をした。
 晴れているけど雲が多いので日陰が適度に出来る。
 湿り気の少ない風が心地よかった。

 住宅地に入ると、あちこちの庭に満開の薔薇の花。
 色も種類も異なっており、楽しめた。
 薔薇好きが多いのに驚かされる。 

 「不思議の国のアリス」に出てくる
 ハートの女王の叫び声が聞こえてきそうだ。
 「首を刎ねろ!」

 細い道をすり抜けて多摩川へ向かって歩く。
 古くからの農家だった家が何軒もある。
 広い敷地に昔からの蔵。
 松や楓の大きな木々。

 川の少し手前が小高い丘のようになっている。
 その上から多摩川と秋川の山並みを眺める。
 
 のんびりとした休日の、適度な散歩のお陰だろうか
 次の日には、何日も続いた首の痛みが消えていた。

 ハートの女王が、僕の首を刎ねる代わりに
 僕の首にまとわりついていた、
 目に見えない小さな悪魔の首を刎ねてくれたみたいだ。
  
 「花発(ひら)けば風雨多く
 人生 別離足(おお)し」唐詩選

2010年5月24日月曜日

日本美の再発見

 ずいぶん昔に読んだ本のタイトル。
 ドイツ人建築家ブルーノ・タウト著、
 「日本美の再発見」。

 桂離宮のようなシンプルな造形を
 日本美の最高峰とし、
 日光東照宮をイカモノと切り捨てた。

 最初に日光東照宮を訪れた時、
 この本の影響で醜悪な建築と決めつけていた。
 しかしその後数度、東照宮を訪れたが
 観る度に心地よく感じるようになった。
 実は東照宮と桂離宮はいずれも江戸時代の初期
 ほぼ同時期に作られている。 

 桂離宮には相当な憧れがあった。
 10年ほど前に幸運にも訪れる機会があった。
 夢にまで見た建築だった。

 しかし良かったには良かったが、
 想像ほどではなかった。
 あまりに憧れが強すぎたのかもしれない。
 完全予約制のこの建物に再び訪れる可能性は
 極めて低い。もう一度見られたらと思う。

 東照宮に見られる全てをイメージで 
 埋め尽くすような建築・彫刻は南アジアに顕著だ。
 アンコールワットやバリ島の芸術がそうだ。

 装飾過多とも言える東照宮の世界と
 シンプルの極み桂離宮。
 日本人の感性がこれらの対極と言える二つの世界を
 同時に持てたことが素晴らしいと思う。

 明治期に日本が近代化を成し遂げた時、
 世界の国々は東洋の奇跡と考えたことだろう。
 西欧の文脈に無い国々は、
その多くが植民地のようになっていたからだ。
 しかし日本もまた
 他国を植民地とした歴史を忘れることは出来ない。

 もう一つ、近代化した日本がキリスト教化しなかったこと。
 戦前は強力な天皇制のためだと理解された。
 しかし戦後、宗教思想信条が自由となっても、
 日本のキリスト教徒が飛躍的に増えた形跡はない。

 古代においても外来の宗教仏教と
 日本の神々を共存させた智恵を持つ日本人である。
 他の宗教とに対して
 どちらかと言えば不寛容な一神教であるキリスト教を
 文化を別にして受け入れるのが難しいのかもしれない。

 日本人は日本文化の多様性をもっと認識したらいいと思う。
 そして日本文化を敬愛すると伴に、
 日本人が海外の文化に対して常に憧れを持ち、
 それらを自分たちの文化の中に、
 受け入れる柔軟性を持ち得たこと
 これを評価すべきと考える。
 
 日本人が内向きになると、
 詰まらない背比べをして他人を妬み、
 自国文化至上主義になってしむのではないか、
 そしてそれ日本が本来持っていた
 多様性と柔軟性から遠いのではないか、
 そんなことを考える今日この頃である。

雨の日と月曜日の朝は

 昨日から首が痛い。
 久しぶりのことだ。

 一昨日のビートルズセッションの疲れだけではない。
 4月からの仕事の疲れ、4月のライブの疲れ、
 連休の法事の疲れと先々週のテニスの試合の疲れ、 
 それらがまとめて出た感じがする。

 でも、今日も寄った百薬のお酒は美味しかった。
 だから大丈夫。
 きっと明日には良くなっている筈だ。
 根拠はないけど。

 先日のブログに日本は自然も文化も多様である、
 そう書いた。
 今日も知人と話していて同じことを言った。

 日本の文化の特徴は何か?
 ずっと考え続けているテーマだ。
 一つは話し言葉といての日本語。
 語感や文法、言い回しをも含めて、
 日本語と言う言葉が担ってきた意味。
 そして多様な方言文化。
 これは日本が強力な中央集権国家を明治まで持たず、
 封建制のもと地方が一つの国としての機能してきた
 そのことの証左だと思う。

 もう一つは書き言葉としての日本語。
 漢字を母体としながらも、
 ひらがなとカタカナを生み出し、
 さらにアルファベットを含め
 四つの書き言葉を持つ国は他にないだろう。

 日本は中国、朝鮮半島を師と仰ぎながら、
 それとは異なる価値観を持った。
 
 中国の絵画・工芸は単独としての完璧さを目指す。
 日本文化は単独の完璧を嫌う。
 むしろ掛け軸と花の組み合わせなど、
 お互いを補い合うことで、美を高め合う。

 日本ほど不完全なものに美を見いだす国はない。
 割れた茶碗を接いで、元よりも良しとする国はない。
 これを単純に「和」など呼んではいけないと思う。

 なぜなら予めまとめようとされた「調和」などでなく、
 異質なものを組み合わせて
 「面白さ」「響き合い」を楽しんでいたからである。

 日本は仏教を取り入れた大和時代から、
 日本の神々を否定などせず、
 仏の仲間や守護する存在として残した。

 キリスト教では、異なるものは「異端」である。
 何という違いだろうか。
 (つづく)

2010年5月23日日曜日

ガープの世界

 たぶん雑誌ぴあの映画評を読んだのだと思う。
 今はなくなった名画座三鷹オスカーで、
 「ガープの世界」を観た。
 20年以上前のことだ。

 ビートルズの曲When I'm Sixtyfourが
 オープニングのガープ誕生の場面で流れていた。
 
 原作者はジョン・アーヴィング。
 やはり彼の原作の「ホテルニューハンプシャー」。
 こちらも映画化されていて、名画座で観た。

 なぜか原作の小説は読んだことがなかったが、
 何年か前に「未亡人の一年」と言うタイトルに惹かれ、
 初めてアーヴィングを読んだ。

 面白かった。
 少年だった主人公が人妻と関係する場面から始まり、
 人妻が失踪し未亡人になり、老人になっても
 彼は彼女を思い続ける。
 そこに画家である夫と、その娘の物語が加わる。

 全体としてはお伽噺なのだが、
 性や生理的な現象を描写する彼の筆裁きは、
 生々しいが同時にドライだ。
 現象の記述を簡潔に、努めて客観的にしているからだろう。
 自分の文に入れ込んでいる感じが少ない。

 そして一人一人の人物造形が見事である。
 それぞれの人物の性格や行動が、人物と一体化している。

 そして人間はと言うものは「欲望の虜」なのだと知らされる。
 それぞれが思惑や欲望、偏見を持った存在だと知らされる。
 主人公のガープとて例外ではない。

 それは同時に、
 我々一人一人が不完全な存在で、欲望の虜だと言うことだ。

 「自分は常識がある」と言う人は、
 控えめに見ても、非常識な人が多い。
 「私は人のために働いている」そう主張する人ほど、
 自己利益や思い通りにしたい欲求が強いと感じる。
 「道徳」を声高かに叫ぶ人ほど道徳心が弱いと思う。
 道徳の本質は人に規律を求めることではなく、
 誰よりも自分自身を律することだからだ。

 心理学的に言えば「補償」だろうか。
 自分が無意識に弱点だと思っていることを
 何とか隠そうと努める。

 ガープの世界を読み終えて、
 そんな思いがなお強くなった。

 「どうしようもないわたしが歩いてゐる」山頭火

2010年5月18日火曜日

朝の読書

 まだ寝ていられるのに、
 起きて読みかけの本を読む。

 辺りは静かで、
 時折少し離れた線路から電車の音が聞こえる。
 雨でも、曇りでも構わないけれど、
 晴れていて暑くなければなおのこと良い。

 今、読みかけの本はアーヴィングの「ガープの世界」。
 若桑みどりの「絵画を読むーイコノロジー入門ー」。
 実家で見つけた上山春平の「日本の思想ー土着と欧化の系譜ー」。
 雑誌ペンの「キリスト教とは何か」。
 ニーチェ「道徳の系譜」。などなど。

 寝る前の本は悪夢の原因になることを最近知った。
 朝ならば何を読んでも心配はない。
 毎朝、西武線に乗るとメールの後本を読む。
 10分か20分読むと、ほとんど寝てしまう。

 本に限らず、朝型の僕は大抵のことが
 朝やるのが望ましい。
 夜に描いた作品は朝の光で眺めると、
 出来不出来がよりはっきりと分かるように感じる。

 ユーミンの名曲「雨の街を」。
 「いつか眠い眼を覚まし、こんな朝が来てたら。
 どこまでも遠いところへ歩いて行けそうよ」。
 雨上がりの朝のイメージが良い。

 同じくユーミンの「朝陽の中で微笑んで」。
 「朝陽の中で微笑んで。銀のベールの向こうから。
 夜明けの霧が溶け始め、ざわめく街が夢を誘う」。
 ハイファイセットのバージョンが好きだった。
 
 小説も歌も、細部は具体的でありながら
 寓意性に富んだものが好きだ。
 
 絵画でも作品の中に入り込むことはある。
 その場合作品の中に入った自分の後ろ姿を見ている自分が居る。

 しかし音楽や文学の場合は入り込んだ世界とより一体化する。
 夢の中と同じなので、自分の姿は見えない。
 それが楽しく、同時にちょっと厭だ。
 
 夜に、お酒を飲みながら音楽を聴き、小説を読むのもいい。
 けれど、空っぽな心と体でする朝の読書が好きだ。 

2010年5月16日日曜日

欲望という名の電車

 暇つぶしに見ているNHK教育の「英語教育」番組。
 様々な英語の名言が紹介されていた。
 アインシュタインなど著名な人の言葉だ。

 その中で興味を惹いたもの。
 「人生とは自分を探すためものでなく、
 自分自身を創造するためものである」。
 Life is not finding yourself,
Life is about creating yourself.
 誰の言葉かは記憶してない。

 サッカーの中田英寿が自分探しの旅に出掛ける前から、
 「自分探し」なる言葉が流行っていた。
それは自分の中に眠っている、
 宝のような才能・資質に、
 ある日突然気付くための「自分探し」らしい。

 資質は、例えば野球などスポーツが分かり易いが、
 興味・関心と行動、たゆまぬ研鑽だけが、資質を才能に高める。
 旅をしていて突然気付く自分の資質とは何だろうか。
 自分とは創り上げるものだと、僕もそう考える。

 「気楽なさとり方」と言う本をK氏からいただいた。
 禅の世界で言う悟りとは、
 人が仙人や神のようになることではないらしい。

 人は肉体を持って生きている以上、
 「欲望」「煩悩」を完全に捨て去ることは不可能だと言う。
 けれど、自分の「欲望」や「煩悩」に気付き、
 それをコントロールし、そこから自由になることは可能だと
 著者の宝彩有菜は言う。
 
 僕は「悟り」とはほど遠い人間で、それを目指す考えはない。
 本にも在ったが「悟り」自体が欲望となりうる。
 けれど、自分の感情や行動のパターンが
 自分の持つ「マインド」に依るものだと気付いた。
 そしてそれが変更可能だということにも。

 本は気楽に読めたが、
 「自分探し」などという馬鹿げたことでない、
 自分のマインドに気付くことは
 そんなに気楽なことではないことが分かった。
 
 「才能なんてクズの積み重ねだ」ジョン・レノン

2010年5月12日水曜日

無限の空間

 高一の僕が、由美ちゃんに渡したカセットテープ。
 タイトルは「吉井宏の世界」。書いてて恥ずかしい。
 由美ちゃんは聞いたことも覚えてないだろうな。
 
 アルバム「岡林信康の世界」を真似た。
 当時の代表作「無限の空間」。
 無意識に小野ヨーコのアルバム「無限の大宇宙」、
 これをもじったのかも知れない。

 「無限の空間」は小学生の頃から感じてた
 この世界に自分一人が存在していると言った
 孤独感やある種の虚無感を表した歌だった。
 その歌詞をここに書く勇気はない。

 そのテープを今でも持っている。
 怖いもの見たさで聞いてみたい気もする。
 
 清人とやったデュオ‘ミー&ケイ’。
 清人が好きだったPink Lady から名付けた。
 3年生のクラス企画ライブ喫茶でビートルズをやった。
 そのテープもある。清人のギターがいいので
 今聞いても恥ずかしくはない。

 昔描いた絵は、今見てもほおーーとか、なかなかだなーとか思う。
 多少下手だと思っても、今では描けないなと思う。

 歌や演奏、文章は聞き直したり、読み直したりしても
 絵のようにいいなあとは思えない。ちょっと酸っぱい感じ。
 しょっぱい感じか。恥ずかしい。
 でも止められない。

 昔の絵や、歌、文章や写真に触れると、
 今や幻影の中の風景を思い浮かべる。

 その中で僕は自転車で坂道を登ったり、
 50ccのバイクで海を目指して、峠を越えたりしている。
 冬の弱い陽射しの中で白いマスクをして笑ってた
 大島由美さんのことをごく希にだが、思い出したりする。

 「私の耳は貝の殻。海の響きを懐かしむ」コクトー

2010年5月6日木曜日

北方記念博物館

 宮大工だったご先祖様は代々「伝八」を名乗った。
 田舎では珍しくない「屋号」と呼ばれるものだ。

 父が宮大工だったご先祖様のことで自慢しているのが
 県内に建てられた数々の寺社・仏閣、
 ご先祖様が作った実家の大きな仏壇、
 そして五代前の伝八の弟子達が
 亡くなった伝八のために建ててくれた実家のお墓である。

 新潟県の観光名所に「北方記念博物館」がある。
 数年前に友人の加藤氏、川畑氏と尋ねた。
 その前に見たのは20年以上も前だ。

 広大な敷地に贅を尽くした大きな庭。
 当時の栄華が偲ばれる巨大でがっしりとした屋敷。
 素晴らしい欄間や床の間。螺鈿細工の見事な調度品。
 かつての土蔵の倉には美術品、日用品、農具などが
 ところ狭しと展示されている。

 そこにある別棟の奇妙な三角形の茶室。
 建築の平面が三角形でユニークなのだが、
 最近になってこれを建てたのは
 先祖である伝八だと言う記事を文献の中に父が見つけた。

 伝八が棟梁として建てたと聞いた
 寺社・建築はこれで三つ見たことになった。
 まだ県内に2つ以上は残っていると聞いている。

 実家に向かう新幹線の中で
 トランヴェールと言う無料の雑誌を手にした。
 作家の伊集院静がエッセイを連載している。

 その中に日本の自然の多様さが書かれていた。
 ヨーロッパの自然と比較してである。
 自然は勿論だが、文化も多様だと思った。
 
 一神教であるキリスト教は、
 宗教的な圧力が仏教や、神道に比べて強いように感じる。
 キリスト教が背景として成立した近代主義、
 近代社会も同様に単一な価値への強制力が強い。

 昔読んだ哲学者の梅原猛の著作に、
 教会と寺社・仏閣の比較が書かれていたと記憶する。
 それは南方熊楠の引用だったかも知れない。

 曰く、寺社・仏閣は周囲に木を植え、大きく育てたが、
 ゴシックの教会は内部空間に、
 木の代わりの巨大な柱を構築したのだと。

 木や巨大な柱は、
 天と地を繋げる梯子の役割を持っているらしい。

 僕も日本の自然と文化は、
 多様性に素晴らしさがあると考える。
 そして父や親戚の方々と同様に、
 日本の文化を象徴する建築に携わった
 ご先祖伝八を誇りに思っている。  

端午の節句

 メジロを見たのは久しぶりだった。

 ウグイス色の小さな体に大きな白目に大きな黒目。 
 実家のお墓のある裏山への登り口の
 満開の八重桜に止まっていた。
 頭の上で、「ホーホケキョ」とウグイスの声がした。

 3日前のことだ。
 新潟の春は東京よりも2,3週間遅い。 
 ソメイヨシノは終わっていたが、
 しだれ桜、八重桜、大島桜、山桜、桃などが楽しめた。
 新緑も始まったばかりの萌葱色をしていた。

 あくる朝、自宅の庭に愛らしい小鳥が居た。
 オレンジがかった茶色のボディと白黒の頭部。
 母に聞くと「ヤマガラ」だと言う。

 ゴールデンウイークに実家に帰るのは久しぶりだった。
 祖母の三十三周忌の法要があったためだ。
 
 大がかりな法要は田舎でも減っていると思う。
 お金も手間も掛かるからだ。
 法要は宗教的な意味合いは勿論だが、
 普段はめったに会わないような親族が結集する意味合いがある。
 こちらの方の意味が大きいかも知れない。
 しかし僕より若い世代は、そんな場に集まろうとはしない。
 親戚同士のつきあいも若い世代にはない。

 僕の実家で行われる法事もこれが最後だろうと感じてた。
 参加される親戚も昔の半分近くまで減っている。

 子どもの頃、法事が何だが解らないが、
 たくさんの顔も知らない親戚が大勢集まって、
 それだけで興奮したものだった。

 県外の親戚は泊まりなので、食事の準備もおおわらわだった。
 後からその親戚の多くは亡くなった祖父の兄弟だと知った。

 僕の曾祖父までは、代々宮大工だった。
 祖父と三人の男兄弟はみな建築家になった。

 自分も年を取ったなと思う。
 祖父や祖母の自分の知らない話を聞くのが楽しい。
 そして見たことのない曾祖父伝八(屋号)や
 その前の代の伝八の話に興味を持っているが、
 50歳で若い芸者と出奔した曾祖父を知る人は居なくなった。

 家には宮大工の棟梁として記した建築図面が残るのみである。
 
 実家近所のよその庭では、
 大きな鯉のぼりが風を受けて、気持ちよさそうに泳いでいた。

2010年5月1日土曜日

紙ふうせん

 1970年代には様々なフォークの名曲が登場した。
 拓郎も陽水も中島みゆき、ユーミンも70年代デビューだ。

 60年代のグループサウンズの嵐の後は、
 70年代のフォークの時代がやってきたのだ。
 
 忌野清志郎のRCサクセッションも、
 フォークバンドとしてスタートした。
 ヒット曲「僕の好きな先生」。

 清志郎は「ピーター・ポール&マリーが好きだった。
 フォークの方がかっこよく思えた」と答えている。

 古井戸の「さなえちゃん」もこの頃のヒット曲だ。
 「ゆうこのグライダー」って曲もあったな。
 泉谷しげるの「春夏秋冬」も持ってたな。
 そして赤い鳥の「紙ふうせん」。
 初めてギターの弾き語りが出来た曲だ。
 
 「落ちて来たら、今度はもっと
 高く、高く打ち上げようよ・・・」。
 簡単なコードとシンプルな歌詞。
 
 うん、オレにも出来る。
 直登だって歌を作ったんだ、オレに出来ないはずがない。

「僕は空を飛んでいる」と言う歌だった気がする。
 ギターコードが増えるに従い、曲が増えて行った。
 エコーを効かせるために風呂場で録音したりした。

 高校生の時、同級生の裕之君にピアノを習った。
 でも、楽譜は読めないし、ギターコードみたいな
 ピアノコードも憶えられない。
 マンツーマンで、指遣いを教わった。
 その時覚えたのが'LET IT BE''HEY JUDE'だった。
 あれから、うん十年。
 ピアノの腕はほとんど上達していない。
 
 和音が何となくだが、分かりかけたので、
 それらを使って、ピアノ弾き語りの曲も作った。
 ギター曲と併せて全部で20数曲。テープに録音した。
 
 高一の時、同じクラスの由美ちゃんに聞いて貰った。
 もちろん、彼女が好きだったからだ。
 (つづく・・・・だろうか) 

2010年4月29日木曜日

青春の詩

 中学1年生の頃だった。
 
 ビートルズに続いて、フォークが心を捉えた。
 同級生の直登の姉ちゃんがレコードを持っていた。
 
 「岡林信康の世界」が衝撃だった。
 アングラフォークというか、
 拓郎の「結婚しようよ」とは別の世界だった。

 「チューリップのアップリケ」や「流れ者」
 そして「私たちの望むものは」。
 友人の大高が出演した芝居「僕たちの好きだった革命」。
 終了前に主演の中村雅俊がギターの弾き語りで歌っていた。

 「今あるうーふ幸せーーに留まってはならなあいーー。
 まあだ見ぬうーーー幸せにい今飛び立つのだあーーー」。
 今聞いても、ちょっとぐっと来る。
 古くさいメッセージソングだとは思わない。

 ガロのアルバム、拓郎のデビューアルバム「青春の詩」。
 ともに直登から借りて聞いた。姉さんの持ち物だ。
 オレと直登は好きな歌を折り込み風の紙に書き写した。
 題して「歌のアルバム」。
 そう、あの「一週間のご無沙汰でございました」、
 の玉置宏の名司会で始まった、あの番組と同じタイトルだ。
 
 そんな内に直登がフォークギターで作詞作曲を始めた。
 「涙に濡れた君の瞳」と言うたわいもない歌だったが、
 まだ作詞も作曲のしたことがないオレは負けたと思った。
 直登の2作目の「朝の光」は素朴だけどいい感じの歌だった。

 おまけに直登は自分の芸名も考え出した。
 「朝野日美子」、あさのひみこがその名だった。
 「朝、野原に出たら美しい子がいたよ」と言う
 馬鹿馬鹿しい名の由来だが、やはり負けたと思った。
 (たぶんつづく・・・)

2010年4月24日土曜日

絵画の天使

 久しぶりにのんびりした朝だ。
 
 火曜日に代休を取って休んだけれど、
 ライブの疲れと、溜まった家事、
 部屋掃除、風呂掃除、トイレ洗面掃除、片づけや
 図書館へ本の返却へ行ったら疲れてしまった。

 今日はこれから仕事だけど、ぐっすり寝たし天気もいい。
 朝ご飯に、ウインナとキャベツの炒め物、
 胡瓜と人参の漬物、買ってきたアスパラ入り竹輪天ぷら、
 玉葱人参豆腐の味噌汁を食べた。美味しかった。
 浅漬けには隠し味に昆布茶を入れる。

 風呂にゆっくり浸かって、身支度をする。
 毎朝こんなだといいな。

 ライブも無事終えたし、
 もう少しで仕事にも一区切りがつきそうだ。
 このところ、仕事以外でまともに絵を描いていない。
 ライブ中に聞こえた、もう一人の自分の声は
 絵描きとしての自分を叱咤する声だったのかも知れない。

 自らを画狂老人と名乗った、江戸時代の絵師葛飾北斎。
 彼の人生は正に画狂人にふさわしい。
 70代で、もう少し長生きできたら凄い絵師になれる
 そう書いている。
 
 事実、彼の代表作「富岳三十六景」は70代のシリーズだ。
 肉筆画の名作も多くは70代以降らしい。化け物だ。
 以前にこのブログで、晩年に良い仕事をした画家は
 それ程多くないと描いた。晩年にダメになる方がずっと多い。
 
 北斎は例外で、やはり晩年に彼が現した「北斎萬画」は
 多くの西欧の画家に影響を与えた。
 ゴッホの力強い輪郭線は北斎や広重から学んだものだ。
 僕が20代にもっとも感化された画家マチスは、
 著書「画家のノート」の中で北斎萬画の素晴らしさを称えている。

 北斎漫画は今日のマンガとは異なる。
 人物を中心に、ページ毎に同じ人物の様々なポーズが描かれている。
 例えば褌姿の曲芸師が、様々な角度とポーズで描写されている。
 正に萬の対象を現した画帳なのだ。

 昨日も仕事帰りに寄った百薬で、知り合いの白石さんに言われた。
 「よしいさん、今年は個展やらないの?」と。
 「今年は無理だけだと、来年には何とか・・・」。
 頭の中では来年も怪しいなと、思っている。
 
 北斎は生前から名声を博したが、
 お金に執着せず、画業にその人生を捧げた。
 かっこいいな。

 オレはピカソみたいに大金持ちになりたいな。
 晩年ダメになってもいいから。
 絵の神さま、ダメですかね?

 「若さとはこんな淋しい春なのか」
 住宅顕信(すみたくけんしん・俳人)

2010年4月23日金曜日

抱きしめたい

 ラストナンバーは'Hey Jude'だった。
 
 Golden Slumber,Carry That Weight,
The End,からHer Majestyへと続く
 アルバム「アビイロード」最高のメドレーが成功して、
 会場の盛り上がりは最高潮に達していた。 

 「ヘイジュード」でギターが弾きたかった。
 トーマさんのギター弦が切れたお陰で、
 僕のフェンダーはトーマさんの手にあった。

 今回のライブで嬉しかったことは、
 「ガール」や、「恋のアドバイス」
 「エイトデイズアウイーク」でギターを弾かせて貰えたことだ。
 
 自慢じゃないがギターは下手だ。ギターも、と言うべきだな。
 でも弾きたい。ワガママなオレ。

 ボーカルに集中して歌う。
 ルーシーインザスカイの時のジョンと違って、
 ポールは僕の中に入り込んだりしない。

 「苦痛を感じる時は、どんな時でも
  ヘイジュード、自制しなさい。
 自分の肩に、世界を背負ったりしちゃいけないよ」。

 客席の最後尾では、教え子三人と
 初めて会ったカナダ人の男性が踊っていた。
 'NA NA NA NANANANA-,NANANANA-,HEY JUDE'

一体感を強調するような音楽はちょっと苦手だ。 
 でもこの日だけは会場の合唱も心地よかった。
 アンコールの「抱きしめたい」も大合唱。
 「アウオナアホーヨオヘエエエーンド!!」。

 「僕には'LET IT BE'もロックなんですよ」。
 ライブの後で景山さんがそう言った。成る程。
 言われてみれば確かにそうだ。
 
 バンドメンバーの皆がライブの後の放心状態だった。
 いつもはクールなヒロシさんも嬉しそうだった。
 生ビールの後のラム酒オンザロックが喉に染みた。
 カワイさんがゾエさんとギター談義をしていた。
 
 モニター画面では、
 ジョンがストロベリーフィールズフォーエバーを歌っていた。
 (おわり)

Lucy In The Sky With Diamonds

 「すいません。後の方、前に詰めて下さい」。
 ライブハウス‘ラバーソウル’の入り口の
 ドア越しに中に入れなくて困って居る人がいた。

 椅子を手に、バンドの最前列まで、人が押し寄せる。
 なかなかの風景だ。
 1980年代の小劇場の世界みたいだ。

 「浦さん、早稲田の第三舞台を思い出すね」。
 客席に居た友人に、思わず語りかけた。
 
 「次の曲にいきます。
 ルーシーインザスカイウイズダイアモンド」。
 大森さんのシンセとゾエさんのギターでイントロが始まる。
 ‘Picture Yourself in The Boat on The River・・・’
 頭の中の小さなジョンレノンが歌ってる。
 良い感じだ。

 「ルーシー、良かったよ」。ヤクザ文士の岩井さんが、
 第1部終了の後の休憩の時そう言ってくれた。
 「ありがとう」。そう答えたが、心の中では
 オレじゃなくてジョンが歌ってたからなあーと思った。

 リハーサルで心配してた'Mother natuers son'
変拍子の'Happiness is warm gun'大作'A day in the life'
よしいのコーラスを名人高安氏に丸投げした
 'Here, there,and everywhere'などことごとく上手くいった。

 そして名作「アビイロード」のメドレー。
 歌いながら背中で演奏を聴いていて、こりゃ凄いわと思った。
 ドラムソロの後では、ドラマー景山さんへ万雷の拍手。
 ジャズのライブ以外ではこんな光景は見たことがない。

 (つづく)

2010年4月19日月曜日

春の祭典

 昨日の日曜日は快晴だった。
 
 土曜日に百薬に寄ったお陰で
 ぐっすりと寝て起きた。
 バンマスのポールさんから届いたメールに 
 ライブの曲順が書いてあった。
 
 朝からライブの練習をした。
 CDを聴きながら、ギターを弾き歌う。
 土曜日にあった緊張感が和らいでいた。
 
 Lucy in the sky with diamonds を
 CD無しで弾き語りで練習した時、
 左耳の上で、僕の声にハミングして歌う、
 ジョン・レノンの声が聞こえた。

 サビの部分の一番高いキーをジョンは歌う。
 「ルーシーィンザスカアイウイズダイアーモンズ」と。
 勿論CDプレーヤーは止まったままだ。

 幻聴ではない。
 幻聴の一種かも知れないが、言うなれば残聴である。
 同じ音を聞き続けると、脳内に音が残留するのだろう。
 それが日常化すれば、勿論立派な?精神病になる。
 太宰治の短編、「トカトントン」の世界である。

 「10人くらい集まるかな・・・・」。
 あまりパッとしない本番前のリハーサルの後で、
 バンドマスターのポールさんが言った。
 国分寺駅前のデニーズで本番前の腹ごしらえをし、
 景気づけに生ビールを飲んでいた。
 
 「5分前だけど始めよう」。
 開始5分前にもかかわらず、会場はすでに満員だった。
 
 それから2時間半。
 入れ替わりのお客を含め約50名のお客さんの前で、
 夢見心地で、歌い演奏した。
 
 地下一階にある縦長のライブハウス「ラバーソウル」。
 その名の通り、ビートルズをこよなくリスペクトする
 オーナーの気持ちが痛いほど伝わってくる店内だ。

 英国調のインテリアにビートルズの数々のポスター。
 彼ら使用と同じモデルとおぼしき沢山のギター。
 そしてモニターではこれから僕が歌うヘイジュードを
 ポールが歌っている映像見える。

 大勢のお客さんの熱気で盛り上がった店内。
 そんなただ中で一瞬頭をかすめる、もうひとりの自分の囁き。
 「オレは何でここにいるんだ!?」。
 「お前は絵描きで、ミュージシャンじゃない。 
 こんなに凄いメンバーと素晴らしいお客の前で、
 お前だけが場違いだ」と。

 「そうだな・・・」と頷く。
 けれど今はライブの真っ最中だ。集中しろ!
 よしいひろしAがよしいひろしBにそう命令する。
 (つづく)

2010年4月17日土曜日

NOWHERE MAN

 いよいよ明日がライブだと言うことに
 昨日の朝に気が付き、「これはいかん」と
 少し焦った。遅いって言うーの。

 僕はどちらかと言えば、悲観主義者だと自覚していた。
 違うみたいだ。楽観主義者じゃないかもしれないが、
 「まあいいか」「どうにかなるさ」と考える自分がいる。

 明日を気にして、今日頑張るよりも、
 「明日出来ることは今日するな」と思う。

 バンドをやっていると、
 多くの人が練習で完璧に出来るまで頑張ってるのを見て驚く。
 僕は半分も出来ていないのに、もういいかなと思う。
 半分くらい出来ると、もう完璧だなと考える。根拠はない。
 後で「出来てないじゃん」と気付く。いつもだからバカだ。

 今もブログを書きながら、ギター練習した方がと少しは思う。
 でも昨日も仕事から帰って、タモリ倶楽部が始まるまで弾いた。
 なんでもある程度やると飽きてしまう。
 そんな性分だ。
 
 テニスもやるが、練習が嫌いだ。
 試合の方が好きだ。当たり前か。

 NHKの連ドラで「ゲゲゲの女房」が始まった。
 水木しげるが番宣のインタビューでこう語っていた。
 「僕は体力がなかったから、
 売れっ子になっても無理出来なかった。
 他の連中は二晩徹夜出来たけど、
 僕は一晩しかできなかった・・・。
 二晩徹夜できた連中は早死にしてるな」。
 うん、やっぱり無理はいけないな。

 ゲゲゲの女房が凄いのは、
 なけなしの原稿料で水木氏が、
 高い戦艦のプラモデルを買ってきても
 責めたりせずに、一緒に作って楽しいかったと
 そう答えてることだ。

 もちろん、夫婦のことは夫婦にしか判らない。
 葛藤や危機は、山あり谷ありであっただろう。
 それでもこの二人は絶妙の組み合わせなんだろうなと思う。

 「よしいさん、今年は個展をやらないの?」と聞かれる。
 「今年は無理だね。出来たら来年にやりたいな」そう答える。
 内心はフルタイムで絵を描いている訳じゃないんだから、 
 毎年は無理でしょうと思う。

 でも傲慢な僕は、最近になって気が付いた。
 今年の個展がないことを残念だと、
 お世辞でも言ってくれるのはありがたいことだと。
 早く気づけよ、オレ。

 ブログも十人くらいだけど、楽しみしているとか。
 面白いとか、くだらないとか、バカみたいでいいとか
 感想を貰えてありがたい。

 ライブを見に来てくれる友人がいるのもありがたい。
 ライブを一緒に出来る仲間もありがたい。
 明日は良いステージにしたいな。
 練習しろよ。オレ。

 でも午後の仕事後は、とりあえず百薬で一杯だな・・・。
 大丈夫かオレ・・・・。

2010年4月14日水曜日

若葉のころ

 ビージーズの名曲「若葉のころ」。
 
 「君と僕。僕らの愛は決して死なない。
 誰が泣くと言うのだろう。
 若葉のころ(5月の初め)がやって来たのに」。

 中一の時に見た映画「小さな恋のメロディ」。
 主演のマーク・レスターと
 ヒロインのトレーシー・ハイドが、
 墓地の中を初めてデートする場面に
 流れたのがこの曲だった。

 桜が散ると、いよいよ若葉の季節だ。
 拝島駅から数百m出たところで玉川上水を横切る。
 ほんの一瞬だが、見逃さないように気を付ける。
 新緑の木々が緑のトンネルのように見える。

 玉川上水には雑木林が多い。
 桜並木のところもあるが、大方はナラやクヌギなど
 所謂、雑木が続いている。
 
 新緑の緑は、どうしてこんなに多様なのか、毎年驚く。
 しかし十日ほどすれば、みな同じような濃い緑色になる。

 一般的には素朴派の画家として知られるアンリ・ルソー。
 彼は、緑色の巨匠だ。
 彼くらいの腕前がないとこの新緑の美しさは表現出来ない。
 自称、世界で5本指に入る画家である僕でも難しい。

 檜花粉はまだまだび交っているし、(僕は花粉症です)
 4月は年度初めで、仕事はバカみたいに忙しい。
 体に鞭打って、今度の日曜日にあるライブ練習をしている。

 決して心穏やかな日々とは言えないが、
 若葉のころの美しさは、瞬間的にそれを忘れさせてくれる。

 「久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」
 紀友則 

2010年4月13日火曜日

花散る日に

 一昨日の暖かさ(暑さ)と
 昨日の寒さは酷かった。
 雨に強い風で体の芯が冷えた。

 土曜日は久しぶりに完全オフだった。
 朝から掃除に洗濯、服の入れ替えもした。
 一息ついて、ギターと歌の練習。

 夕方から、散歩しようと思ってた。
 羽村の堰に行けば多摩川沿いの桜が楽しめると思ったからだ。
 結局行かずに、夕方から黒ラベルを飲んだ。

 一缶飲んだら、良い気分になり、赤ワインも飲んだ。
 こうなったら行きつけの百薬へと思い外に出た。
 拝島駅から、小川駅までの桜を楽しもうと
 つい白角水割りとチーズクラッカーを買った。

 通勤電車の中でお酒を飲むような輩は、人間のクズだ。
 やっている自分が言うのだから間違いない。
 先頭車両は人がまばらだった。
 それを良いことに、缶を開ける。
 水割りが喉に心地よい。
 
 先日、曇り空の桜は良いと書いたばかりなのに、
 夕暮れ前の桜はやはり美しかった。
 まだ青さの残こる空に、夥しい桜の木が桜色に輝いていた。

 生まれて初めての電車での花見酒は楽しかった。
 悪いことは独りでする。そう決めている。

 百薬の長で、仲良くしてもらってる
 キムタクこと木村さんと飲んでると、携帯電話が振動した。
 出ると「トーマです」と酔った声。
 ビートルズセッションでおなじみのトーマさんだった。

 同じ仲間のドラマー、ドラさん主催の代々木公園
 「花見&アンプグドセッション」に参加して二次会だと言う。
 あちらは10名を超える参加で、飛び入りの外人さんが
 エリナリグビー?を歌ったり、
 知らないお爺さんが飛び入り参加など
 大盛り上がりだったらしい。

 次の日曜日、仕事の後で新宿のスタジオペンタに集合。
 職場から5分。便利だ。18日に控えたライブの練習。

 メンバーは昨日、酔っぱらい電話してきたトーマさん他8名。
 全員がビートルズセッションで知り合った人たち。
 年齢も職業も出身も違う。共通点はビートルズマニア。
 中学時代仲の良かった友達もみんなビートルズファン。
 ビートルズには感謝しても仕切れない。

 ライブも個展もお祭も、間近の準備が一番楽しい。
 18日のライブは、僕さえコケなければ大成功間違いなし?。
 やばい、今日も練習しようっと。

2010年4月9日金曜日

桜の木の下で

 桜の満開が続いている。
 花冷えのためだ。
 ソメイヨシノは青空よりも
 花曇りの朝の方が美しいのではないか。
 何日か前にそう思った。

 ソメイヨシノは、白っぽいピンク色だが、
 近づいて良く見ると、少し灰色がかっている。
 近づいてみるならば、しだれ桜、大島桜などが綺麗だ。

 塊として見ると、白さが明るさを感じさせて良い。
 曇りの日の灰色の背景だと、桜色がより鮮やかになる。
 勿論、夜桜で見れば漆黒の背景に白さがコントラストとなり、
 艶やかにさえ見える。

 英語や仏語などには「花見」と言う言葉がないらしい。
 中国や、朝鮮半島ではどうだろうか。
 花見と言う言葉の存在は別にして、
 そのような習慣があるとはあまり聞かない。
 あ、でも三国志には有名な「桃園の誓い」があったな。
 桜以外の花でやるのかも知れないな。

 三年前だったろうか。
 恒例になっている井の頭公園の仲間のとの花見。
 あまりの寒さに外での夜桜を諦め、いせや公園店で飲んだ。
 帰りに井の頭公園の池を覗いたら、
 雨も止んで水面が鏡のようになっていた。

 ライトに照らされた夜桜が水面に映り込み、
 妖しい光を放っていた。
 あまりの美しさに息をのんだ。
 美しさを感じると同時に、
 夢の世界のような幻想的な世界を恐ろしく感じた。

 「美しいものは同時に恐ろしい」。

 拝島駅から西武線の車両の中から、毎朝桜を見る。
 僕はこの時期、電車に乗る度に
 桜の精に生気をを吸い取られているのかも知れないな。 

2010年4月5日月曜日

なごり雪

 10cm近く積もっていた雪は、
 朝陽を浴びて輝いていた。
 陽が高さを増し、気温が上昇するにつれ、
 泡のように消えてしまった。
 まさに淡雪だと思った。

 珍しく父と出かけた。
 法事の引き物を探しに三条市燕に向かった。
 
 燕は古くから洋食器の町として知られ、
 昔は社会科の教科書に載るほどだった。
 ところが安価な輸入洋食器に押されて、
 その衰退が懸念させていた。

 しかし最近になって、大ヒット商品の
 初期I-podの鏡のようなボディが、
 燕の職人の手仕事の磨き技であることが喧伝され、
 再び、全国的な注目を浴びるようになった。

 長岡ICから関越高速に入る。
 高速道路を運転するのは何年振りだろうか。
 思い出した。
 友人の加藤さんと二人で、
 青森まで東北自動車道を走って以来だから4年だな。

 陽を浴びた雪山を遠目にしながらのドライブほど、
 楽しいものはない。
 さほど混んでいなければなおさらだ。
 
 目当ての鏡のように磨き込まれた小振りのビアカップを
 手に入れ、燕を後にした時は、雨が降り出しそうだった。

 明くる日、長岡市のホテルオークラで開かれる
 演芸ショーを見に行く父を送ろうとしたら、
 玄関に二人の女性がいた。近所の人だろう。
 二人とも60代半ばくらい。81歳の父よりだいぶ若い。

 「お願いします」と言われて何のことやら分からない。
 どうやら、同じ演芸ショーに行くらしい。
 
 その日の夕暮れ、茶の間で父と二人話した。
 「年を取ると、デートはやっぱゼン(銭)がねえとダメらな」。
 父が言う。件の近所の女性は父が誘ったのだと分かった。
 
 「恋をする気持ちだけは持ってねーとな」。父がほざいている。
 「恋する気持ちを持つだけで、若くいられるがらや」。
 さすがにこの人は自分の父だと、改めて思った。

 その日も夕方からの雨が降り、
 夜には雪に変わっていた。 
 

 

2010年3月31日水曜日

淡雪

 3月末に実家のある新潟に居た。
 越後湯沢ではたくさんあった雪が、
 長岡駅周辺になると、ほとんど消えていた。

 お正月には何年振りかの大雪だったのに、
 残雪は思ったほどではなく拍子抜けした。
 それでも長岡駅を降りると凄く寒かった。
 やはり新潟は北国なんだと実感した。

 実家に着いて昼食を食べ、レンタカーに乗る。
 母と入院中の祖母を見舞いに行く。
 小千谷から、川口町を抜け、堀之内町に来ると
 2m近く積もった残雪があった。

 あいにくの曇天で、小出町に入ると
 冷たい雨が降り出した。

 101歳になる祖母はベッドで小さくなって寝ていた。
 看護婦さんに起こしてもいいかと尋ねると許可が下りた。
 祖母は寝ぼけた眼で僕と母を見た。
 母が色々と話しかけると、「うん、うん」と頷いた。

 帰る段になって、「帰るよ、また来るよ」と言うと、
 「下まで見送れなくてわるいのう」と祖母が言った。
 もう言葉が出てこないのではと思っていたので、驚いた。
 祖母にはいつも驚かされる。

 帰り道、雨はみぞれに変わり、夜には雪になった。
 翌朝、居間から庭を眺めると10cmほどの雪が積もっていた。

 「積もったね」と言うと母親は
 「今の時期の雪は‘淡雪‘と言って、
 降って積もってもすぐに消える」と言った。
 
 「淡雪」か。良い言葉だな。
 しばらく忘れていた。
 東京じゃ「なごり雪」だな。
 (つづく)

2010年3月23日火曜日

音のある風景

 昨夜からの冷たい雨が、今朝も降り続いている。
 心を静めて耳をすますと、色んな音が飛び込んで来る。

 雨音。道路を歩く人の靴音。車のエンジン音。
 目覚まし時計の針の音。外で何やら作業をしている音。
 そしてパソコンのキーのを叩く音。遠くで吠える犬の声。

 よく聞いてみると音は立体的だ。
 僕がバッハを好むのは彼の創造した音が、
 最もよく空間を感じさせてくれるからだ。
 
 不思議な体験をした。
 先月末のことである。
 
 新宿オペラシティーのコンサートホールに
 「井上郷子ピアノリサイタル」を聞きに行った時のことだ。
 構成の伊藤祐二氏は友人で現代音楽の作曲家。
 奥さんの井上郷子さんは現代音楽を専門とするピアニストだ。

 伊藤さんの企画するコンサートのことは、
 同じ美術家で現代音楽を愛好する知人に教えられた。
 ルネ小平の中ホールで、現代音楽のレクチャーコンサートが
 10年数年前のことだが、シリーズとして行われていた。

 今思い出しても、ユニークなコンサートだった。
 毎回異なるテーマで、様々な現代音楽を紹介していく。
 時には作曲家を招いて、自らの作品について語ってもらう。
 当時、面識のなかった伊藤さんは、学者のような面持ちで、
 言葉巧みに作品を紹介されていた。
 井上郷子さんもピアニストとして毎回参加されていた。

 ジョン・ケージの「竜安寺」、ライヒのピアノ曲
 近藤譲の「高窓」など、今まで話かCDでしか知らなかった
 現代音楽を、格安で良質な演奏で堪能できた。
 
 そしてモートン・フェルドマン。
 彼の「ロスコチャペル」は驚きだった。
 ロスコチャペルとは、米国抽象表現主義の代表的な画家、
 マーク・ロスコが最晩年に、ある教会のために制作した作品を指す。
 その作品へのオマージュとして創られた曲らしい。

 今年の井上さんのリサイタルは「フェルドマン特集」。
 新宿オペラシティーの地下ホールは200名を超す聴衆で満杯。
 伊藤さん曰く、毎回大勢の聴衆が集まるこのコンサートは、
 「現代音楽界の七不思議」だそうだ。

 「ロスコチャペル」に感銘を受けた僕は、とても楽しみにしていた。 
 
 前半のメニューはフェルドマンの初期の作品。
 素人の感想だが、曲自体が硬い印象だった。
 良いか悪いかは分からないが、「ロスコチャペル」にみられた、
 緊迫した中の伸びやかさは感じられなかった。
 
 後半は50分を超える大作である「バニータ・マーカスのために」。
 
 前半はぼんやりと聴いていた。
 今回のコンサートの自分のテーマは「集中して聴かないこと」だった。
 変かも知れないが、コンサートに行けば誰しつい集中してしまう。
 あとはうっかり寝てしまう。よくあることだ。

 僕は普段から、コンサートの時ステージに集中しない。
 周りをキョロキョロ見渡す。
 僕なりに音を探しているのだ。
 だから本当はステージを凝視している人より、
 集中しているのかもしれない。

 だけどこの日はさらに、出来るだけ考え事をした。
 自分の絵のことや、コンサートの会場の構造や、
 沢山の聴衆の身なりやその他のことなど。
 集中しないで聴いた時の、音楽の姿を見ようとした。

 途中から、ふわふわとした不思議な感覚が現れた。
 音の少ないフェルドマンの音楽で、衣擦れの音や、
 咳の音、果ては携帯電話のバイブ音まで聞こえてきた。
 それらがピアノと一体になって、会場に漂っていたのだ。

 これはあくまでも、僕個人の感想であり、
 限りなく妄想に近いと思う。

 けれど湯川秀樹が書いた「知魚楽」。
 恵子が荘子に向かって
 「君は魚ではない。だから君には魚の楽しみは分からない」
 こう宣う。荘子はこう応える。
 「君は僕ではない。
 君には僕の気持ちが分からない。
 僕には、魚たちが楽しんで泳いでいるのが分かったんだ」と。

 僕は、コンサート会場に漂っている音を確かに見たのだ。  

耳をすませば

 一昔前は、食品に賞味期限など記載されてなかった。
 だから怪しい食品でも、目で見て匂いを嗅ぎ、
 それでも分からない時は、食べてみて判断した。
 今でも基本的には同じだけど。

 ほぼ毎日、職場のある新宿へ向かう。
 ホームレスの人を横目で見ながら通勤する。
 いつも思う、もしホームレスになったら生活できるかなと。

 でも人は望んでホームレスになる訳ではない。
 だれも路上で生活が出来るかどうか考えてなる訳ではない。
 路上で、ただ必死に生きているだけだろう。

 雑誌「ビッグイシュージャパン」を愛読している。
 最初はホームレスの人が販売しているので、好奇心で買った。
 しだいに、内容にどんどん惹かれていった。
 大マスコミが流している情報は、色んなしがらみで
 管理され過ぎた情報が多いと感じる。
 簡単に言えば、奥歯に物が挟まった言い方が多いのだ。

 最新号に音についての特集があった。
 平安時代に桜島の噴火の音を、
 京に居る人が聞いた記録があるそうだ。
 京都から鹿児島までおよそ600kmある。

 音を聞くことに限らず、
 昔の人は気配を感じる能力が高かったのだろう。
 雲や風や、鳥のさえずりや虫たちの行動など、
 自然の持つ様々な情報を感じて読み取り、
 変化する世界の在りようを想像できたのだろう。

 だからこそ日本語には
 オノマトペ「擬声語・擬音語」が多いのだろう。

 「春の海ひねもすのたりのたりかな」蕪村 

2010年3月21日日曜日

4月になれば彼女は

 それにしても昨夜の嵐は凄まじかった。
 夜半に雨戸を全部閉めても、
 風の唸りが叫び声のようだった。

 一転して、今日の昼は3月とは思われないほど暖かく、
 夕暮れには夜の帳とともに、寒さが戻ってきた。

 今日は仕事で新宿のいつもの裏通りを歩いたが、
 頭の中で吉田拓郎が「春だったね」を歌っていた。
 帰り道は同じく拓郎の「また会おう」だった。
 途中で泉谷しげるが「春のからっ風」を歌ってた。
 拓郎も泉谷も特に楽しくはなさそうだった。
 
 僕はアイポッドは持っていないので
 頭の中を鳴り続ける音楽に合わせて、
 時折ハミングする。
 うっかりといい調子でS&Gの「冬の散歩道」歌ってしまい、
 周りの人に怪訝な目で見られた。

 街で目にする風景の一つ一つを、
 僕らは見ているようで見ていない。
 全体としても、細部であっても漠然と眺めているだけだ。
 
 だから、いつもと違う何かに焦点を合わせたとたん、
 見慣れた風景が何も知らない風景に感じられる。
 僕らは人を見ている時も、自分と言うフィルターを通して、
 その人を眺めている。

 自分という幻想からしか、
 世界を眺めることは出来ないように感じる。
 それでもそこにしか、世界は存在しないのだろう。

 西武線から見られる風景もすっかり様変わりした。
 梅が終わり、木蓮が盛りを過ぎ、
 うっすらとした新緑の緑と、桜の花がちらほらと見える。

 「4月になれば、彼女はやってくる
 川の流れは雨で水かさを増している」

 春の訪れとともに、
 今年も4分の1が過ぎようとしている。  

2010年3月20日土曜日

千と千尋の神隠し

 「千と千尋の神隠し」を見た時気付いた。
 宮崎駿作品のテーマはほとんど同じで、
 女の子の自立を描いていることに。

 それを友人のK氏にメールしたら、返事が来た。
 今頃気が付いたのかと。
 
 そう、最近になって気が付いたのだった。
 「千と千尋の神隠し」を再放送で見た時だった。
 K氏は続けて、カオナシの造形が素晴らしいと。
 あれこそ宮崎駿自身の無意識を、創造のデーモンを
 現しているのだと。

 確かにカオナシの凶暴さ、傍若無人なキャラクターは
 あの湯屋の世界の中で非常に象徴的だと感じる。
 カオナシは同時に、我々の日常に潜む暗黒の部分、
 暴力、破壊、事故や天災なども現しているのかも知れない。
  
 僕は、千尋が釜爺に働かせて貰うために、
 湯屋の階段を駆け下りる場面が好きだ。
 千とカオナシが海の中の電車に乗る場面が好きだ。

 NHKの朝のニュースで知った漫画家星野之宣の作品
 「宗像教授異考録」に嵌っている。
 宗像教授は考古学者で専門は鉄や金属の歴史である。

 金属の伝播と神話の関わり、海洋民族が果たした役割など
 教科書ではあまり関心を持てなかった世界が、
 活き活きと描かれている。
 
 ギリシャ神話と日本神話の共通性や、
 花咲爺さんの変遷なども興味深い。
 文化の持つ意味合いは、我々が思っている以上に深い。

 古代の世界においても文化の伝播は強く、
 似たような文化基盤を共有していたと思われる。
 それでも民族や地域、歴史の違いによって
 形成される文化のかたちは、それぞれ異なっている。

 戦争で、武力で他民族を侵略出来ても、
 他民族の文化を支配出来るわけではない。

 自国の文化に興味を持ち深い理解することと、
 他国の文化に憧れと畏敬の念を持つこと。
 この一見矛盾しているように思われることを、
 共存させる人が文化人であり、国際人なのではないか。

 心配することはない。
 すき焼きにオムライス、トンカツにカレーライス、
 洋食と言われるものは全て立派な日本食になっている。
 我々は他文化の受容において、最も優秀な存在である。
 それを自覚すればいいのだ。

 千と千尋の神隠しの世界も
 見事にコスモポリタンでありながら、
 何処から見ても和風であった。

2010年3月18日木曜日

顔のある月

 昔見た夢を童話風の物語にしてみようと思った。
 10年くらい前のことだ。
 構想を練りタイトルをつけてそのままにしてある。
 作品化の計画は今のところない。
 漱石の「夢十夜」みたいにしたかった。

 昔見た悪夢の幾つかは、
 今でもありありとその映像が浮かぶ。

 夜のスキー場の夢。
 大きな山のゲレンデを一人滑っている。
 ナイター照明が煌々と輝いている。
 ところが振り返ると照明は消え、
 底知れぬ闇が広がっている。

 あせって、スキーを走らせる。
 滑るスピードを追いかけるように、
 一つ一つ照明は消えていく。

 顔のある月の夢。
 尖った山の外側の道を歩いている。
 道の下は峻厳な崖になっている。
 山道を一人登っている。
 
 真っ暗な空にオレンジ色の月が現れる。
 バスケットボールより大きい月には、
 苦しそうな大人の男の顔があった。
 ギョロッとした目でこちらを睨んでいる。

 子どもの頃から世界にたった一人で、
 存在しているイメージがある。
 保育園の時、祖母と祖父と寝ていた。
 姉は両親と寝ていたのだろうか。
 一緒だった気もする。
 
 みんなが寝てしまって、一人起きていると、
 自分の肉体が宇宙に放り出されて、
 星々の合間に漂ってしまった気がした。
 僕は布団ごと宇宙空間に投げ出されていたのだ。

 月曜日に敬愛する先生と話す機会を持った。
 ヴィトゲンシュタインから、吉本隆明の話になり、
 やがて宮沢賢治の話になった。
 「よだかの星」を思い出して、
 先生と話している内に泣きそうになった。
 
 最後の場面、よだかが星になろうとして、
 東西南北全ての星々に頼むが断られる。
 力尽きて、よだかが堕ちていく彼の場面だ。

 おぼろげだが、宮沢賢治が童話において為し得たことを、
 自分の絵画の領域で出来ないだろうかと妄想した。

 「よだかの星はいつまでもいつまでも燃え続けました。
 いまでも燃えています。」
 

2010年3月13日土曜日

ゴールデンスランバー

 「かつてはあった、家に帰る道が。
 かつてはあったのだ、家に帰る道が。
 眠れ、幼子よ。泣いたりしないで。
 僕が子守唄を歌ってあげるから」。

 ビートルズ最後の収録アルバム「アビイロード」。
 B面の中盤を飾るポールの名曲だ。
 歌詞は英国が誇る伝承歌謡「マザーグース」から
 ポールがヒントを得たらしい。

 ジョンの曲「Cry Baby Cry」も
 マザーグースの影響が色濃い。

 以前にイラストレーター和田誠氏の装丁・挿絵の
 マザーグースを持っていた。
 巻末にあった原文英語詩を眺めると、
 日本語との趣の違いが感じられた。

 先日、職場で偶然「葉っぱのフレディ」の英文を目にした。
 10年ぶりだった。当時のベストセラー絵本である。
 その時も、英語版で読んでから、日本語版を読んだ。
 英文では泣いたが、日本語版では灌漑が薄かった。 
 再読のせいかもしれないと思ったが、
 今回英文で読んでやはり泣いた。
 親友ダニエルが、落葉してフレディに別れを告げる場面だ。

 4月18日日曜日にライブをやることになった。
 'Golden Slumber'もライブ曲の一つだ。
 バンドメンバーは、月に一度ライブスタジオ‘ネイブ’で
 ビートルズセッションをやっている仲間である。
 
 去年の2月にも同じメンバーとライブをやっている。
 レットイットビーやヘイジュードなどのヒット曲や
 A Day In The Life , Mother Nather Son など
 ちょっとマニアックな曲もやる予定である。

 明日は仕事の後、新宿のスタジオでライブの練習だ。
 花粉症と仕事疲れでヘロヘロの体だがライブは楽しみだ。
 久しぶりに熱を入れて練習をしている。
 ミッシェルのコーラスがなかなか手強い。

 ようやく暖かくなってきた。
 花粉症持ちには暫く痛し痒しの毎日だ。

 新しいフレディとダニエルが、もうすぐ誕生することだろう。 

2010年3月8日月曜日

つみきのいえ

 2月から、少しずつ絵を描き始めている。
 スケッチは休むことはない。
 描かない日はあるが、
 ずっと描かないことはない。

 紙にボールペンや色鉛筆。
 紙に墨汁や、透明水彩、アクリル絵具。
 ボール紙に油彩もする。
 紙はカレンダーやポスターの裏をよく使う。
 キャットくんの絵本の原画は、
 新聞紙にマジックインキとクレヨンだった。

 昨年暮れから、ボードに和紙を貼り、
 銀彩をしてプロントくんの彩色画を始めたが、
 未完成のまま放置していた。
 
 プロントくんは恐竜で、僕のオリジナルキャラクターだ。
 数少ない?僕の作品のファンから、
 プロントくんシリーズを描いて欲しいと言われていた。

 僕自身も、抽象画から、現在の様々なシリーズを
 生み出すきっかけとなったキャラクターでありながら、
 「あくまくんと天使」や「キャットくん」、
 「レクイエム」や「洪水の後」のように、
 自分の中でもシリーズとして未消化な作品だった。

 今年になって、個展「レクイエム」の時と同じように、
 銀彩した和紙の上に墨のみの絵画も描き始めた。
 プロントくんの絵だ。
 先日はアルミ箔を和紙の上に貼った。
 凹凸のある和紙の上にアルミ箔を貼ると、
 銀彩をした時以上に乱反射し、変化が生まれる。
 若い頃から支持体と描画材の研究をしておけば
 良かったと、いささか後悔をしている。

 ブログを書き始めて半年以上になる。
 花粉症のせいと、絵を中心の創作になったせいか、
 言葉が出にくくなった。
 単にブログを書く題材が乏しくなっただけの事かも知れない。

 不思議なことに数年前、下手な詩を連作した頃は、
 あまり絵が描けなかった頃だ。
 怪物ピカソも、最初の妻オルガとの離婚問題に悩んでいた頃、
 絵筆を取らず、もっぱらシュールな詩を書いていた。

 絵本「つみきのいえ」を読んだ。
 昨年米国アカデミー賞のアニメーション部門賞を獲った作者の
 絵本版だ。見事な作品だった。
 話の内容も鉛筆と水彩で描かれた絵も、素晴らしかった。
 アニメーション作品を買って見るつもりだ。

 プロントくんのアニメーションを作り直すつもりだ。
 絵本も描き上げたい。
 上手くいくかどうか分からないが、今年の目標だ。
 失敗だった前作アニメーションを教訓としたい。

 「書かない日はさみしい」山頭火
 「描かない日はさみしい」よしい 

2010年3月7日日曜日

春と修羅

 仕事の後で、上野に出掛けた時のこと。

前日とは違って暖かい午後だった。
 沈丁花の甘い香りが漂っていた。
 花の姿を探したが、辺りにそのその姿はなかった。

 暖かな夕暮れだった。
 満開の梅は盛りを過ぎていた。
 早咲きの大寒桜が咲いていた。

 ところが一転、
 今日、3月9日は真冬の寒さである。
 夕方からの雪が夜までに積もった
 なごり雪だ。
 こんなに寒暖差が激しい年も久しぶりだと感じる。

 芸術家になるには、野蛮でなければならない。
 繊細さは必要だが繊細だけの人は寧ろ向かない。
 たぶん文学や音楽、演劇や映画など全てに共通すると思う。
 勿論この野蛮人は繊細さを持ち合わせなければならない。

 野蛮力と繊細さ。
 この相矛盾する力が芸術の魔力を引き出すのだろう。
 
 ライバルのピカソが凄いなあーと思うは、
 創る力は勿論だが自分のスタイルを、 
 惜しげもなく壊す力ではないだろうか。
 普通は一生涯に一つのスタイルを確立するだけで精一杯である。
様々なスタイルを創っては壊すピカソは、
 幼児の残虐さを備えている。
 
 創るために、壊す勇気を持ち続けること。

 それは移りゆく春を感じ取り愛でながら、
 修羅として生きることを自覚することだ。

 それにしても柳の新緑は美しいと思う。

 「この道しかない春の雪ふる」山頭火 

2010年3月5日金曜日

円盤が舞い下りた

 春の気候は三寒四温と言うが、それにしても激しい。
 一昨日は真冬の寒さだったのに、今日は初夏の趣だ。

 以前は、大寒とか立春くらしか知らなかった。
 今は雨水や啓蟄などの言葉を知っている。 
 今年は明日、3月6日土曜日が啓蟄だ。

 務め先のある新宿で、いつも下車している西武新宿駅、
 明治通りに面したビルが、解体工事をしている。
 間口は10mに満たない。
 両側に立つ雑居ビルとの距離は、わずか数十センチ。
 
 ドリルやショベルカーなどで、一日一日解体は進む。
 当然シートや幌で覆われているが、
 通りすがりに隙間から中を覗く。
 ビルの柱のコンクリートはギザギザに切断され、
 そこからは太い鉄骨が何本も突き出している。
 中は凄まじい力で破壊が繰り返された跡が窺える。
 ビルの前には複数の警備員が通行人を誘導し、
 作業員の4トントラックが、ビルの残骸を運び出す。

 しばらくして、
 地上の部分はあらかた解体が終了し、シートは外された。
 隣のビルの、空調のダクトやパイプが見える。
 もちろん、傷一つ見当たらない。

 プロの仕事だ。

 「伸ばすにはまず縮めなければならない」とは老荘の言葉。
 「作るにはまず壊さなければならない」そんな言葉が浮かぶ。

 K氏から送られてきた、たぶんイタリア人作家の短編、
 「円盤が舞い下りた」。
 教会の上に円盤が舞い下りる。
 
 宇宙人が十字架を指さして牧師に尋ねる。
 これは何か?何の役に立つのか?と。
 牧師は応える。
 「これは我々の原罪を背負って十字架で亡くなった、
 神の子イエスの象徴だ」と。
 
 宇宙人は再び聞く。
 「地球人は原罪を犯したのか?」「あなたたちは?」
 「善と悪の木の実を食べたりしない。それは法律だから」と
 宇宙人は答える。
 
 僕は吹き出してしまった。
 キリスト教徒ではないが、罪を知らない宇宙人よりも、
 善と悪の狭間を生きる人間が愛おしいと言う牧師に共感した。

 画家としても、一人の人間としても、
 僕は逡巡と行動と後悔との間を行ったり来たりしている。
 
 何かを壊しても、何も創り出せないかも知れない。
 それでも壊すこと創ること間を、
 日々行ったり来たりしている。  

2010年2月25日木曜日

バロックの時代

 カラヴァッジオ。
 バロックの絵画は彼によって形作られた。
 そのことをボルゲーゼ美術館展で思い知らされた。

カラヴァジオの時代の画家達が
 みな、暗い背景に強烈な光の前景を描いた。
 レンブラントや画家の王と呼ばれるヴェラスケスにも
 その影響がありありと伺える。

 けれども実を言うと、バロックというものが好きなれない。
 何だか大袈裟でわざとらしい。
 よく考えれば、ルネッサンスの絵画・美術だって
 相当にわざとらしい。ダヴィンチ、ミケランジェロもそうだ。
 
 しかし、ルネッサンスの美術はわざとらしくても大仰ではない。
 そこにある種の落ち着きや静寂がある。
 しかしバロックの芸術は、ルーベンスが殊にそうだが
 化粧の濃い感じが厭だ。服装もけばけばしい。

 自慢じゃないが、僕は花柄のシャツを何枚か持っている。
 60年代、70年代のファッションが好きだ。
 華やかな、女性的な美は大好きだ。じゃあ、何故なのか。

 それはルネッサンスのファッションだって、華やかだけど
 けばけばしいものではない、ということだろうか。
 カラヴァジオを認めるが、好きにはなれない。

 しかし、レンブラント、ヴェラスケスは好きだ。
 ヴェラスケスの傑作「女官たち」を
 プラド美術館で見た時の驚きは、今でも忘れられない。
 実物を見るまでは如何ほどものかと訝しく思っていたのにだ。
 しかし実際には、縦3mほどの巨大な作品に圧倒されたのだ。
 それは大きさのためでなく、内容と画力に依ってである。

 バロック美術はカソリック(旧教)がプロテスタント(新教)に
 対抗するためのプロバガンダとして始まったとも言われている。
 それが王権の拡大と共に、宮廷美術と結びついた。

 そして、それはやがてロココ美術に繋がっていくのだ。 

2010年2月21日日曜日

早春譜

 梅の花が見頃になった。
 紅梅に白梅、時折蝋梅やサンシュも見える。
 春の訪れとともに、朝の美しい富士の姿が消える。

 何日か前から、花粉症が出始めた。
 昨年ほど酷くないが、折角の春の喜びも半減する。
 それでも春の明るい日差しは格別だ。
 朝六時半に家を出ても、玄関が暗くない。

 ジョージ・ハリソンのビートルズ時代の名曲、
 Here Comes The Sun。
 「ほら、太陽がやって来た。もう大丈夫」と歌う。
 北国である英国のジョージの気持ちが、良く伝わってくる。
 雪国、新潟で生まれた僕も同じ気持ちだ。

 上野に出掛けた。
 東京都美術館でやっている「ボルゲーゼ美術館展」を見るためと
 上野動物園で動物をスケッチするためだ。
 ボルゲーゼ美術館展は思ったより空いていた。
 目玉はラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」だ。
 
 ラファエロをダ・ヴィンチと比肩するのは
 間違っていると以前にも書いた。
 ダ・ヴィンチが傑出した天才だからだ。
 それでも「一角獣と貴婦人」良い作品だった。
 何よりも一角獣を抱く手先の表情は流石だ。
 引き締まった顔とデフォルメされた肩も良い。
 明るく青い空と、婦人のエンジ色の服の対比も良い。

 しかし、背景の風景描写はいただけない。
 この作品だけでなく、ヴェネツィア派の巨匠ヴェロネーゼの
 「魚に説法する聖アントニウス」も人物は良いが、
 背景が良くなかった。
 弟子に描かせたかもしれないが、
 ダ・ヴィンチやミケランジェロなら、描き直しただろう。

 ダ・ヴィンチはライバルと認めていたボッチチェリの作品に対しても、
 背景の不出来を指摘しているほどだ。
 これは単に彼らの腕のせいではなく、背景に重きを置かなかった
 当時の画家に共通した考えのせいかもしれない。

 しかし流石に僕のライバル、ダ・ヴィンチはそうではなかった。
 彼は背景の持つ重要性を良く認識していたのだ。
 絵画は平面でありながら、空間表現を追求する芸術だ。
 絵画の空間表現は、背景への認識、その描写で大きく変わってくる。
 
 他の多くの画家達は人物に心血を注いだ。それも中心の。
 背景を弟子に任せた画家もいただろう。
 それは現代日本の漫画家のシステムにも似ている。

 そしてバロックの巨匠、カラバッジオ。
 (つづく)