2010年2月21日日曜日

早春譜

 梅の花が見頃になった。
 紅梅に白梅、時折蝋梅やサンシュも見える。
 春の訪れとともに、朝の美しい富士の姿が消える。

 何日か前から、花粉症が出始めた。
 昨年ほど酷くないが、折角の春の喜びも半減する。
 それでも春の明るい日差しは格別だ。
 朝六時半に家を出ても、玄関が暗くない。

 ジョージ・ハリソンのビートルズ時代の名曲、
 Here Comes The Sun。
 「ほら、太陽がやって来た。もう大丈夫」と歌う。
 北国である英国のジョージの気持ちが、良く伝わってくる。
 雪国、新潟で生まれた僕も同じ気持ちだ。

 上野に出掛けた。
 東京都美術館でやっている「ボルゲーゼ美術館展」を見るためと
 上野動物園で動物をスケッチするためだ。
 ボルゲーゼ美術館展は思ったより空いていた。
 目玉はラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」だ。
 
 ラファエロをダ・ヴィンチと比肩するのは
 間違っていると以前にも書いた。
 ダ・ヴィンチが傑出した天才だからだ。
 それでも「一角獣と貴婦人」良い作品だった。
 何よりも一角獣を抱く手先の表情は流石だ。
 引き締まった顔とデフォルメされた肩も良い。
 明るく青い空と、婦人のエンジ色の服の対比も良い。

 しかし、背景の風景描写はいただけない。
 この作品だけでなく、ヴェネツィア派の巨匠ヴェロネーゼの
 「魚に説法する聖アントニウス」も人物は良いが、
 背景が良くなかった。
 弟子に描かせたかもしれないが、
 ダ・ヴィンチやミケランジェロなら、描き直しただろう。

 ダ・ヴィンチはライバルと認めていたボッチチェリの作品に対しても、
 背景の不出来を指摘しているほどだ。
 これは単に彼らの腕のせいではなく、背景に重きを置かなかった
 当時の画家に共通した考えのせいかもしれない。

 しかし流石に僕のライバル、ダ・ヴィンチはそうではなかった。
 彼は背景の持つ重要性を良く認識していたのだ。
 絵画は平面でありながら、空間表現を追求する芸術だ。
 絵画の空間表現は、背景への認識、その描写で大きく変わってくる。
 
 他の多くの画家達は人物に心血を注いだ。それも中心の。
 背景を弟子に任せた画家もいただろう。
 それは現代日本の漫画家のシステムにも似ている。

 そしてバロックの巨匠、カラバッジオ。
 (つづく)

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