2015年9月22日火曜日

闘いはこれからだ  -はだかの王様-

従軍記者の経験もある、
元朝日新聞記者のむのたけじさん。

インタビューにこう答えていた。
「次の選挙で、与党が負ければ、
安保法案を廃案にできる。
私はそのための闘いを始めている。」
現在100歳。
今回の強行採決をめげていない。

今回のことで見えてきたこと。
安保法案の改悪は、米国の要請のみでなかったこと。
評論家の佐高信氏が言っていた。
軍需産業は独占企業で、
とても儲かるのだと。
つまり、経済界は軍需産業を振興するために、
今回の安全保障関連法案に賛成だったのだと。

後方支援で、武器弾薬を自衛隊が補給する。
その弾薬は、米国製でなく日本製なのだろうか。

大マスコミは大企業をスポンサーとしている。
何故彼らが、与党議員の
「マスコミを懲らしめる」発言に
もっと反発しなかったのか。
残念ながら権力者たちの翼賛化は、
思った以上に進んでいるのだろうか。

報道ステーションでの報道。
ドイツ国軍へのインタビューと特集。
彼らはこう答えた。
「ドイツ軍が忠誠を誓うのは、将軍や、
政府に対してではない。
我々が忠誠を誓うのは、
国民に対してだけです」
これには、ナチスドイツの過ちへの、
ドイツ国民の強い反省の念がある。

国会議員も公務員も、
権力に忠誠を誓うのではない。
主権者の国民に対して忠誠をちかい、
直接責任を負うのだ。
大企業にも、社会的責任がある。

だから、国民に対して
「非国民」とか「デモはテロ」だなどと
発言する政治家はアウトなのだ。

権力者は強大だが、弱点も明確だ。
彼らは利権という欲望で繋がっている。
負けても、負けてもめげることなく、
「王様は裸だ」と言う勇気を持つこと。
そして、自らの中の敵を知ること。
ヘタレな俺だが、
ヘタレにはヘタレなりの闘いがある。

2015年9月14日月曜日

芸術と剽窃

芸術家は泥棒である。

そんな一節を本の中に見つけた。
芸術家は自分に先行した時代の
様々なスタイル、技術、思想的感覚的背景を、
まずは真似ることによって学ぶ。
それを盗む行為に例えているのだ。

20世紀を代表する芸術家の一人、
パブロ・ピカソがその典型だった。
少年時代はラファエロのように描き、
やがてゴッホ、ロートレックの影響を受ける。
さらにセザンヌ、アフリカの極端に抽象化された仮面、
彫刻に多大なる影響を受け、
キュビスム(立体派)を生んだ。
彼のその後のカメレオンのような七変化も、
彼が学んだ芸術の多大さ、多様さに負っている。

近代日本の天才芸術家、北大路魯山人は
講演などで過去に学ぶことの大切さを、
繰り返し説いている。
そして良寛の書や、明時代の染付から学び、
自らの書画、作陶の世界を大きく前進させた。

それでは、創作と盗作の違いはあるのか?
ピカソの場合も魯山人の場合も、
手本とした対象が分かりながらも、
それぞれがピカソの作品、
魯山人の作品になりえている。

剽窃や模倣は芸術の肥やしとなるが、
単なる盗用となる場合もあるのである。
いったいどっちなんだ?
それは個々に分析し判断する他ないのである。