2012年12月17日月曜日

終の棲家

かつて繰り返し、家の夢を見た。
現実には存在しない家や部屋の夢だ。

それらは時に懐かしいものもあったが、
多くは恐ろしいものだった。
それらの家に自分以外の人はおらず、
ぼくは恐怖を感じながら、
家の奥へ、奥へとやがて真っ暗な部屋へと
向かおうとするのだった。

あるものは恐ろしくはなく、
友人や家族が出てきたりした。
けれどどうにも奇妙な家や部屋が多かった。

それらの部屋や建物の一部は、
未だにぼくの心の何処かへ存在している。
ふいにそれらは頭の中をよぎったりする。
もはやそれらは恐ろしくも奇妙でもなく、
過去に存在した新潟の実家の記憶や、
親戚や友人の家の記憶と等しく、
自分の記憶の一部になっている。

かつて本当に在ったと思われることと、
夢の中や想像の中で存在したことの違いが、
ぼくの中で明瞭ではなくなってきている。

これを退化や老化、あるいは呆けの症状、
幻覚みたいな精神的な疾患の兆候と、
言えば言えるのかもしれない。

しかし、一方でやはり現実の世界は、
そもそもが危うく脆いもので、
それぞれの勝手な妄想から出来ているのだと、
強く思う今日この頃である。

2012年12月13日木曜日

怪物の誕生

その怪物がいつ生まれたのか。
正確には分からない。
およそ20万年前というが、
昔過ぎて見当もつかない。
その原型は700万年前だと言われても、
さらに見当もつかない。

怪物が地上に現れてた時、
それが大きな力を持っているとは思われなかった。
さほど大きい訳でも、力が強い訳でも、
走力、跳躍力、その他の身体能力が、
取り立てて他の生物を凌駕していた訳でもない。
つまり、怪物は怪物と認識されていなかった。

怪物自身も自分が怪物なのだとは、
今現在も気づいていないと思われる。
しかし、怪物は存在する。
怪物はこの地上を覆うように存在する。

怪物の特徴は二足歩行をすること。
「言葉」を使って、情報伝達が出来ること。
環境に適合できない、弱い身体を守るため、
衣が身体を覆っていることなどがある。

そしてさらに、頑強とは言えない身体を
他の生物よりも強固にするために、
道具を作り出したことが挙げられる。
怪物は今では、この星のあらゆるものを、
全て破壊できる道具さえ創り出したのだ。

怪物は他の生物を手名付け、
自らの家臣として従えるようになる。
そして、いにしえの王たちがそうであったように、
家臣の一部を家族のように扱ったりする。
家臣が王をどう思っているかを、気にもせずに。

それでも怪物は時に不安になる。
その手に余る道具を目にして。
もう他の生物の仲間にはなれない己を思って。
怪物として、王として君臨していると言う、
その妄想を時に自覚して。

怪物も多くは夜に眠る。
そして時には甘美な夢を見る。
そして再び目覚めた時に、
怪物は怪物になるのだ。

2012年12月11日火曜日

いつか引越する日

引越の経験を数えてみた。

新潟では一度だけ。
旧居から新居へ移った。11歳の時だったと思う。
初めて自分の個室が出来た。
道路拡張に伴い、ほとんどの家が建て直した。
それまでの道路は舗装されておらず、
大雪の年は、除雪車が間に合わず、
しばし(時にはかなりの期間)通行止めになった。

18歳で上京し、最初の住居は練馬区豊島園。
東京で都心からさほど遠くないのに、
アパートの回りには大根畑が多くあり、
「東京なのに・・・」と驚いた。西日のキツい部屋だった。

1年間の浪人生活の後、
大学に近い、東村山へ移った。
4畳半から、6畳になっただけで嬉しかった。
中学の同級生、10人近くが泊まったことがある。

仕事が西多摩郡瑞穂町に決まり、
東青梅の独身者用住居に住んだ。これが四回目。
結婚して福生に移ったが、すぐに青梅の公営住宅に転居。
福生が初めての風呂付き住居だった。

河辺にマンションを購入して、10年以上住んだ。
羽村市五ノ神の1DKのアパートに移る。
8年近く住んで、この12月23日に、
萩山の団地に移り住む。通算では9回目の引越になる。

8階の2DK。眺めが良く、駅から近く、リフォームも綺麗で、
気に入ったので、直ぐに契約した。
板の間の1部屋をアトリエにするつもりだ。

天才浮世絵師、葛飾北斎は、
引越マニアみたいな人だったらしい。
一日に2回引っ越したこともあると言う。
彼の独創的な視点を持つ作品群、
「富嶽三十六景」シリーズは、新しい土地を求める、
彼の貪欲な好奇心から生まれたのだろう。

引越の荷造りその他で忙しい毎日だが、
新しい土地で、
新しい生活と新しい作品が始まることを念じて、
日々を過ごしている。

2012年12月5日水曜日

哲学者(宗教家)の言葉2

「世界の中に神秘はない。
世界が在ることが神秘だ」
ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)

「怪物と対峙した時には、自らが怪物にならないよう、
気を付けなければならない。
深淵を覗く時、深淵もまたあなたを覗いているのだ」
ニーチェ(1844-1900)

「幸福だから笑うのではない。
笑っているから、幸福なのだ」
アラン(1868-1951)

「安定していないこと。
それが、世界がここに存在するときの定まった形式である」
ショーペンハウエル(1768-1860)

「人生は短くなどない。
ただ与えられた時間の
ほとんどを無駄遣いしているだけなのだ」
セネカ(BC1-AD65)

「苦悩の元は事柄ではない。
その事柄についての自分の思いだ」
エピクロス(55-135)

「一日の憂いは一日にて足れり」
キリスト(不明)

「明日ありと思う心の仇桜。
夜半に嵐も吹くものがな」
親鸞(1173-1262)

「かたみとて何か残さむ春は花
山ほととぎす秋はもみじば」
良寛(1748-1831)

2012年12月4日火曜日

哲学者の言葉

高校生の時、それも入学して直ぐに、
自分が勉強に向いていないことに気づいてしまった。
まあ、中学の時も勉強はしなかったから、
気づくのが遅過ぎた訳だが。

前にもブログに書いたと思うが、
美術の道を選んだのは、
勉強には向かない、運動はクラスの荒木に敵わない、
音楽はクラスの清人に敵わない、
文学や批評ではクラスのムロコに敵わない、
女を口説かせたら小酒井に敵わない、(関係ないな)
謂わば消去法で選んだだけだった。

自分に本当に自信があったら、
ただのアホとして生きていけたかも知れない。
いや、どっちにせよただの阿呆には違いないのだが、
フォークデュオの「あのねのね」の影響で、
ちょっと知的なカモフラージュがしたかったのか、
勉強に替わる知的なものを求めていたのか、
哲学の本を読むことにした。

あのねのねの清水国明が本で書いていたのが、
ドイツの哲学者「ニーチェ」だった。
高校時代、安保闘争後の世代の我々は
「三無主義」とか「無気力世代」と言われてた。
「新人類」とか「ゆとり世代」と同じ、
自分より下の世代を揶揄するレッテルだ。
クラスに哲学書を読む生徒は、
他に居なかったと記憶している。

よく分からないのに
ショーペンハウエルの「自殺について」を買った。
「全ての悪心は、生きようとする意思が、
あたりかまわず激しく働くことから生じるものである」
とあり、ふーんと思った。

ショーペンハウエルは「受動的ニヒリズム」で
ニーチェは「能動的ニヒリズム」と知ったのは
その頃だったのか、大学時代だったのか。

大学のトイレの個室で、
ニーチェの言葉の落書きを見つけた。

「君の愛を伴い、君の想像を伴って、
君の孤独の状態へ赴け。
私を見よ。自らを超えて創造しようと欲し、
かくして滅びる者を、私は愛する」

その隣にはこの言葉をもじった、
所謂「下ネタ」の言葉が書いてあった。
その個室は「お気に入り」になり、
用は出来る限りそのトイレで足した。

「ニーチェをもっと読もう」そう思った。
(続くかも知れない)

2012年11月30日金曜日

日本のフォークベスト10

発表します。
ぼくが選んだ日本のフォークベスト10。
第10位 「竹田の子守歌」     赤い鳥
第9位  「カレーライス」     遠藤賢司
第8位  「白雪姫の毒リンゴ」  泉谷しげる 
第7位  「白い一日」       井上陽水
第6位  「どうにかなるさ」    かまやつひろし
第5位  「愛と風のように」    BUZZ
第4位  「私たちの望むものは」岡林信康
第3位  「あの素晴らしい愛をもう一度」
       加藤和彦と北山修
第2位  「少女」          五輪真弓
第1位  「されど私の人生は」  吉田拓郎

1位の「されど」は斉藤哲夫の作曲だが、拓郎の歌がいい。
ユーミン、中島みゆきはニューミュージックよりなので選外。
次点以下は ガロの「美しすぎて」と
山本コータローとウィークエンドの「岬めぐり」、
かぐや姫の「ぼくの胸でおやすみ」、
あのねのねの「別れの哀しみ」。なんか選外の方がいいな。

アルバムは
「元気です」     吉田拓郎
「もどり道」      井上陽水
「岡林信康の世界」 岡林信康
「DAY BY DAY」 泉谷しげる
「おめまだ春らかや」富所正一   など。
「おめまだ春らかや」は新潟で活躍したフォーク歌手。
越後弁丸出しの詩と繰り返しの多い曲構成。
20代で信濃川に身を投げて死んだ。

「人よりも遅れている。人よりも遅れている。
おめ、まだ春らかや。
人はへぇー秋らてがんに・・・。
人はみな秋の季節、人はみな秋の季節。
長い道を歩いている、長い道を歩いている。
これでいいのか、これで悪いのか
おれにはよー分からんけど
きっと、行き着く所は
みんな、同じなんだろうな」と越後の人を唄っている。

選外だけど凄いフォークだと思うのは
サトウハチローの「小さい秋」です。

2012年11月27日火曜日

白雪姫の毒リンゴ

モツ焼き「百薬の長」で知り合いの
ナカちゃんことナカタさん。

「いやーっ、よっしいちゃん。泉谷はいいねーっ。
あの『毒リンゴ』は最高だねーーーっ」
何でもナカタさんはNHKのBSで
泉谷のライブを聴いて見直したのだと言う。

そんなナカタさんに泉谷しげるのCD,
[DAY BY DAY]を貸してあげた。
ナカタさんは毎日、車の中で聴き続けたという。
2ヶ月後に返して貰ったが、
「あの音楽が耳から離れねえんだよー」という。
替わりに憂歌団とフォークベスト盤みたいな
CDを貸したけど、お気に召さないらしい。

秋はフォークがいい。
久しぶりに友人から貰った加川良を聞いた。
「焼そば一杯、20円~~~っ」心に沁みた。

ユーミンの2枚組ベスト盤も買った。
ビートルズ研究会というのバンドセッションを
毎月、新所沢で主催しているジャズピアニストのタカギさん。
田無の「だるまさん」でセッション仲間で呑んだ時、
「ユーミンは『ひこうき雲』から『コバルトアワー』までは
素晴らしい。中島みゆきも初期は凄くイイ」
とのたまった。至極同感である。

次回はぼくの好きなフォーク曲ベストを紹介します。

終わりなき世界

イチョウの木は2億5千万年前から、
現在の姿と同じ状態で存在していたらしい。
だから「生きた化石」と呼ばれているのだと、
通勤電車の車内映像で見て知った。

2億5千万年前と言えば、
まだ恐竜が存在していた時代だと思う。
凄いなと思った。何が凄いのかはよく分からないけれど。

東京の紅葉が見頃を迎えた。
通勤で乗る、拝島駅から田無駅までの眺め、
玉川上水歩道の並木が堪らない。
美しくて、毎日毎回感動してしまう。

東大和市駅の直ぐ脇に、ひときわ大きなイチョウの木がある。
毎年のようにその紅葉を楽しみに待っている。
毎日、真剣に紅葉見物をしていると、
今まで知らなかった紅葉ポイントを発見する。
晩秋の季節が一年で一番好きだ。

テレビ番組「ホンマでっかTV]を久しぶりに見た。
コンピュータの暴走が世界を破滅させるという、
映画ターミネーターの世界が現実となる危険があるらしい。

そう言えばスマートフォンが言うことを聞かなくて、
フリーズして困ると聞いたことがある。
メールその他で先廻りして単語や文章がでる。
時々、自分が書いているのか、
機械が勝手に書いているのか 分からないなと感じることがある。

暴走したコンピュータが核ボタンを押すことは、
考えただけで恐ろしいが、可能性があるのだという。
機械は周到に人類を滅ぼすのだろうか。
そしてその世界でも、
まだイチョウの木は存在しているのだろうか。

ラースとその彼女

芸術とは妄想力である。

写実的な絵画やリアリズムの小説、ドキュメンタリー映画は
違うと言う人もいるかも知れない。
しかしそこに「絵画世界」や「小説世界」が
存在していると思わせるのが芸術の妄想力なのだ。

映画「ラースとその彼女」を観た。
人付き合いの苦手で真面目なラースに彼女が出来る。
名前はビビアン。職業は看護師。
問題はビビアンが本当の人間ではなく、
精巧に作られた人形(ダッチワイフ)だと言うこと。

ああ、そうだ。恋愛もまた妄想力なのだ。
人形か、人間か違いはあるけれど。

意外にもお話は純愛で家族愛の映画だった。
ラースは兄と義姉にビビアンを紹介する。
所属の教会の仲間や会社の同僚にも紹介する。
真面目で優しいラースの妄想の彼女を
周囲は本当の恋人として接する。

ラースは彼を産んで直ぐに亡くなった母親に、
抱いてもらった記憶がない。
だから成人の女性に抱擁されると、
激しい痛みを感じてしまう。

兄と義姉はラースをカウンセラーに連れて行く。
もちろん、ビアンカも連れてだ。
ラースはビアンカの治療の付き添いと思い込んでいる。

自分の幼年期の母親に対する葛藤を、
しだいにラースは自覚していく。
それはビアンカとの別れに繋がっていくのだが。

芸術の妄想力は強力だと思う。
我々は芸術なしに生きられるかも知れないが、
我々はどうしようもなく芸術を欲する。
私自身、自らのささやかな創作に救われているし、
多くの偉大な芸術家の魂に慰められている。

映画「ラースとその彼女」を観て、
そんな思いを強くした。

「真実は醜い。
真実に滅ぼされないために、
我々は芸術を持つ」
ニーチェ

2012年10月23日火曜日

ここではない何処かへ

中学生の頃だったと思う。

ビートルズやフォークソングに目覚めた頃。
そして自分がその時暮らしていた世界、
正確には新潟県小千谷市片貝町四ノ町、
其処とは全く違う場所への憧れを持った。

取り敢えず家を出て、東京へ行きたいと思った。
片貝町で一番見晴らしの良い、
片貝中学校のグランドで小さな自分の町や
その先に広がる田んぼ、
田んぼの向こうの越後三山、
左手の奥に見える長岡の街並を繰り返し眺めたものだった。
あの向こうには、オレの知らない世界が待っている、
そんな思い込みで景色を飽きずに眺めた。

東京に出てきて思ったのは、
何処へ行っても、それ自分の日常の世界になると言う
至極当たり前な事実だった。

初めての海外、スペインのバルセロナの街。
一人夜のタクシーに乗り込み、
通じない言葉でコミュニケーションしながら、
ピカソ美術館を目指した。
まだ日本人の観光客はそれほど多くなく、
ツアーの日本人が一人でタクシーに乗ることなど
滅多にない状況だったと思う。

人が良さそうな運転手さんが、
身振り手振りで、ぼくの行き先を探ろうとする、
その時彼の帰宅後の光景が浮かんだ。

「やーーっ、今日は変てこな日本人を
ピカソ美術館へ連れて行ったんだけど、
言葉が通じなくて参ったよ・・・・。」
そんなことを遅い食卓の妻や家族の前で、
チーズを片手に赤ワインを飲みながら語ったことだろう。
ぼくには異国でも彼らには日常でしかない。

「いまここにある世界」それがたぶんキーワードで
落とし穴なのだろう。
もう一つは「変わらない自分という主体」、
そんなものがあると思い込んでいること。

日々を日常の世界を「知っている」という思い込み。
「昨日と変わらない自分」がいると言う思い込み。
しかしそういう「日常への思い込み」と
「ここではない何処かへ」の憧れ、
それらの狭間にしか生きられないと思う
「思い込み」の世界でぼくは日々を生きている。

2012年10月4日木曜日

A Day In The Life

若者の1日は短く、1年は長い。
老人の1日は長く、1年は短い。

何かの雑誌で見つけた。
長く感じる時間は確かにある。
でも、1日が長いとは感じない。
けれど、1ヶ月はあっという間に過ぎる実感はある。

記憶が定かでなく、前後関係が混濁している。
だから、時々記録を取ったり、ブログにも書いたりしている。
様々なチケット(主に美術展)は20代から
スクラップブックに貼って保存してある。

30代前半までは、よく昔を振り返った。
若い時は定期的に自分の過去の作品を
引っ張り出しては眺めた。
自分の制作の方向性を模索していた時期だ。

今年中に終わらせたかったこと。
①ブログの全面リニューアル。
②絵本の編集を完成させる。

①はぼくの原稿さえ出来ていれば、
ブログデザインの藤塚さんにお願いするだけである。
フロントページのアイディアはまとまった。
各ページの構想はまだ頭の中。
それらの解説を全て「英文に訳す。これが難関。

②の絵本「きょうりゅうのプロントくん」
昨年集中して原案をまとめ、本制作の下絵を描いた。
線描したものを、パソコンで着色するか迷った。
半年考えて、作画を試行錯誤し、
やはりコピックで彩色することにした。

気がついたら、はや10月、神無月である。
今年もあと3ヶ月か・・・・。
ここからが勝負だ。(何が勝負なのか自分でも解らないが)

「今日の一日も人生の一日」
そんなことは福沢諭吉に言われなくても、
分かりきったことだ。

でもやるべきことがあって、
それを楽しめることは悪いことではない。
金木犀の香りを楽しめるのはたぶん週末までだ。
それは絵を描くことやお酒を味あうことに等しく
大切なことだと、人生の一日に思う。

2012年10月2日火曜日

芸術家の言葉

本来的な才能とは自分に出来ることを信じることだ。
ジョン・レノン(ロック・ミュージシャン)

芸術家であることを忘れるな。
くじけるな、恐れるな、何時にはそれが出来る。
神のごとく創造し、王のごとく命令し、
そして奴隷のごとく働け。
コンスタンチン・ブランクーシ(20世紀彫刻家)

誰もが芸術を理解したがっている。
ではなぜ小鳥の唄を理解しようとしないのだろう?
なぜ我々をとりまく全てのもの、
夜や花を完全に理解しようとせず、愛するのか?
しかし、問題が一枚の絵となると、
人々はそれを‘理解しなければならぬ’と考える。
パブロ・ピカソ(画家・彫刻家)

演劇とは風に刻まれた文字である。
ブルックス(劇作家)

選ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり。
ヴェルレーヌ(詩人)

何よりも大切なのは「感動」である。
要するに画家の定義は、
絵を描く人と言うよりも、
絶えず外部の感動を見出し、
絶えず自然を万物を賛美し、
感動の生活をおくる人、である。
長谷川潾次郎(画家・作家)

かたみとて何かのこさむ春は花
山ほととぎす秋は紅葉ば
良寛(禅僧・歌人・書家)

意識的に修得したものごとは
ある種の豊かさを持って、
自分自身を無意識に表現することを
可能にしてくれます。
アンリ・マチス(画家・彫刻家)

茶の湯とはただ湯を沸かし、
お茶を点て、飲むばかりのことなり。
千利休(茶人・禅僧)

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや
寺山修司(詩人・作家・映画監督)

人生山あり谷啓
谷啓(ミュージシャン・コメディアン)

2012年9月25日火曜日

原点に帰る

昨年から新年の誓いを立てることにした。
残り少ない人生を有意義に過ごすには
自分に課題を課すのもよかろうと思ったからだ。

昨年度の誓いは二つ。
①絵日記をつけること。
②体重計を買うこと。
①は達成出来た。
②は達成出来ずに今年の6月に購入した。

絵日記をつけることは、たぶん小学校の低学年以来だと思う。
何故絵日記か?理由は二つ。
①今まで取り組んでない課題は有意義だと思ったこと
②数年前に小学校時代の絵日記を発見し、
これは自分にとって原点だなと思ったから。

石川啄木のローマ字日記を真似て
全文を英語で書くことを決めた。
勿論、めちゃくちゃな英文でである。

絵日記を始めて数日後、101歳の祖母が亡くなった。
暮れより予想したことだったので、驚きはなかった。
亡くなった祖母を見て、101年間の生涯を想った。

3月には東日本大震災があった。
他の帰宅困難者と過ごした夜、原発の爆発や、
電車の運休、停電の夜のことなどを書いた。

年の後半になると飽きてきた。ネタ切れである。
一週間に2度は百薬の長で呑んでいる記述。
来年は止めようと思った。

でも成果は幾つかあった。
自分の日常を外側から眺め描写する。
英語だから、内心の吐露なんて無し。(書けないし)
絵は様々なアングル(主に俯瞰図)で試みた。
だって、何十回も呑んでる場面を描くのだもの。
工夫ぐらいする。

描写するには、もう一度写生が大切だと分かった。
だから今年の誓いは写生を日課とすることにした。
現在まで続いていて、達成は問題ないと思う。
しかも、飽きない。英文はポップスの詩や人の文章の写し。
「原点に帰る」これが今年のテーマなのだ。

2012年9月23日日曜日

停電の夜に

イタリアのベルルスコーニ前首相。
原発推進を目論んだが、国民投票を実施。
原発推進を否決されたら、推進を断念した。

スイスでも推進か否か国民投票を行ったという。
北欧ではかなり前に国民の信を問うている。
ドイツのメルケル首相は、原子力の専門家に
頼らない委員会で(メルケル首相は物理学が専門らしい)
「原発推進は倫理的に問題がある」として
全原発の廃炉を決定し、解体作業に取り組んでいる。

問題は原発推進か原発停止かではなく、
いずれにせよ国民に信を問うている点にある。
そして国民の声を尊重している。

日本には国民投票自体が行われたことがない。
原発の是非を国民投票で計る署名活動が行われた。
しかし今日まで実施の予定は聞いていない。

多数派がいつも正しいなんてことは無い。
ヒトラーだって、(不正はあっただろうけど)
選挙で勝利して、首相になっているのだから。

国民投票を行うには事前に十分な準備や論議が必要だろう。
それでもエネルギー政策のような
国民全体の将来像を決める時に、
国民の直接的な審査を仰ぐことはあっていいのではないか。
色んな事柄は不透明なこの国では必要なことではないか。

「オスプレイを東京に配備して欲しい。
そうすれば沖縄の人の気持ちが分かるから」
と沖縄の婦人がインタビューに答えていた。
「東京に原発を」は広瀬隆氏の本だが、
原発推進の国フィンランドでは、本社ビルが
原子力発電所の隣に立っている。

2011年3月11日以降に分かったことは、
電気エネルギーが独占支配されていたことと、
絶対に安全な原発は無かったことだと、ぼくは考えている。

本当の理由がよく分からない計画停電の夜、
闇の中で「ずっと騙されていたんだな」と思った。

2012年9月20日木曜日

乙なもの

今年の1月のことだった。
北京の故宮博物館が誇る絵画「清明上河図」
これが日本の東京国立博物館へやってきた。

展示期間は2週間ちょっと。
宋代最後の皇帝、徽宗が国を追われた後で
絵師にかつての宋の街の賑わいを描かせて
懐かしんだとの説がある。

高さは30cmくらい、長さは10mくらいだったか。
河を中心に両岸には家が建ち並び、
市場が立ち、人々の営みが事細かに描かれている。
圧巻は大きな船が橋の下を潜ろうとする場面。
帆をたたみ、マスト(帆柱)を外して横たえる。
人々はせわしなく働いている。
その描写はまさに神業かと思うほどだ。

中国の宋代の芸術は、完璧な表現を目指していた。
絵画でも陶芸でも、おそらくその他の芸術でも。
中国に学び、その文化を尊重しながらも、
日本人は不完全なものをも愛した。

いやむしろ古びて汚れたもの、欠けたり壊れたもの、
それらがやがて日本的な美意識を生み出したのだ。
甲(=優れたもの・一流のもの)に対して
乙(=おつ/2番手なもの・一流にはない親しみ味わいのあるもの)
を自らの独自性の現れと考えたのではないか。

声高な「ますらおぶり(男性的なもの)」がかつての日本を滅ぼした。
戦国時代でさえ大切にしていた文化の持つ価値を、
「たおやめぶり(女性的なもの)」と蔑むような時代はごめんだ。

もっと乙な時代を創りたいとぼくは願う。

2012年8月28日火曜日

俺に訊け!

プチダイエットを試みて、はや三ヶ月。

一進一退を繰り返している。
おかしい。なんかおかしいぞ。
テレビでは一ヶ月ではっきりと効果が出ると言っていた。
近所の人には
「最近、太ったんじゃないの?」と言われた

痩せてちょこっとでも格好良くなりたい。
都内某所で俳優の村上弘明氏を見かけてからだ。
格好よかった。すっきりして控えめで物腰も素敵だった。
いままでお目にかかった、
どんな女優や俳優よりも憧れてしまった。
(ゲイじゃないけど、素直に同性として素敵だと思った)

体重計を買って、カレンダーに毎日記録。
食事の見直し。自炊を増やし加工食品と卵を減らした。
アーモンドの食物繊維が良いと聞き、毎日食べている。
食べる前に自己暗示にかける。
「お腹は空いているか?」「よく噛んで食べよう」
「ゆっくり食べよう」これを毎食前に心の中で唱える。
ドリフか?(「歯、磨いたか?」チョーさんが言ってたね)

これで上手くいっていたら、
表題の「俺に訊け!」が生きる訳だが、
世の中、そう上手くは運ばない。

俺に訊いても無駄だよ、でも自分の身体に問いかけること
それはそんなに悪くないよ。
三ヶ月後にきっと・・・・・・・・・・。

2012年8月23日木曜日

イマジン

歴史から学ぶのは難しい。

日露戦争の後、日本中で講和条約が軟弱だと
政府を非難する抗議活動が起きたという。
マスコミもそれを煽った。
歴史小説家の司馬遼太郎は
「ロシアに勝ったという驕りがその後の日本を狂わせた。」
とその著書に書いている。

第2次世界大戦では、当時の軍部もほとんどが
「勝ち目が無い」と分かりながら、日米開戦に踏み切った。
国民やマスコミはそれを支持していたのだ。

中国を見ていると、国内の不満を体制にぶつけられないから、
反日をガス抜きにしているようにも思われる。
日本はどうなのだろうか。
同じように内政問題の様々な不満のはけ口を
隣国へ向けてはいないだろうか。

物事は、特に他者が絡む場合は
劇的に良い結果を期待するのは難しい。
革命後の悲惨さはフランス革命のみならず、
世界史には珍しくない。

オリンピックの閉会式でジョンのイマジンが流れた。
よく考えてみれば皮肉な話だ。
オリンピックはぼくも好きで見ている。
しかし、それは正に国同士の争いを現している。
ジョンはこう唄う。
「国なんてないと思ってごらん」と。

ナショナリズムについつい熱くなってしまう、
ぼくのような人間をジョンは嗜めているのだろうか。

南アフリカの元大統領のネルソン・マンデラ氏。
獄中に在っても、看守に対して敬意を払ったという。
彼は敵の中に潜む「憎しみの対象」が
自分の影に過ぎないことを知っていたのだろう。

「みんなが今日のために生きていると思ってごらん」
ぼくはちょっとだけ、ジョンとマンデラ氏に学ぼうと思う。

2012年8月7日火曜日

真珠の耳飾りの少女

「真珠の耳飾りの少女」を以前に西洋美術館で見たのは
確か25年以上前だったと思う。
並びながら遠目で眺める。
離れて見ても、輝くような肌色と青いターバン、
黄色い衣装、髪飾りが漆黒の背景と鋭い対比を描く。
要するに「絵力が強い」と感じる。

隣の西洋美術館で展示されていた
「真珠の首飾りの少女」。これも名品だった。
特に柔らかな女性の輪郭が冴えていた。

前にも書いたが、フェルメールの短い生涯で
晩年に当たる時期の作品は良くない。
(ついでに言うと初期の作品も優れていない)
タッチ(筆触)が硬く、表現は以前の模倣に陥っている。

良い時期の彼の光の表現は神業に思われる。
肉眼で見える筈も無い「光の粒子」を感じさせる。
絵の具という物質が光に変質している錯覚を覚える。
長い絵画の歴史の中でも特筆されるべき表現だ。

フェルメールの作品に会えると
自分の画家としての素養・画力が試される思いがする。
他の画家だと素直に感動したり、がっかりしたり出来るのだが
フェルメールは、それ以外に自分や他の作家の作品を
ある角度から判定する材料にもなっている感じがするのだ。

「洪水のあと/動物たちの肖像シリーズ」の小品「放蕩息子」は、
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」を見た次の日に描き上げた。

優れた芸術表現はどこまでもオーソドックスでありながら、
基本を徹底することで、基本や常識を超えたある地点へ到達する。
それはスポーツ選手の優れた業とも共通する何かだ。

芸術はこの世界に現れた一つの奇跡なのだと思う。
けれどその奇跡はありふれた日常の中に潜んでいるのだ。

2012年7月19日木曜日

愛こそはすべて

「愛したい」よりも「愛されたい」のではないか。
「愛したい」のは他者ではなく、自分自身ではないのか。

愛は欲望の形態であり、苦の原因である。
そんな愛を「素晴らしいもの」としたことが良かったのか。
近代の不幸は「愛を至上のもの」と
勘違いした処にあるのではないか。
身も蓋もない話をすると、
愛は人間の持つ異性(同性の場合もある)に対する欲望を
いささかロマンテックなものに言い換えただけなのだろう。
要は肉体に対する本能的な欲情を、
言葉を駆使して「精神的なもの」のオブラートに包みたいのだ。

ぼくは「愛」を否定したい訳では無い。
音楽、文学、絵画、映画や様々な表現は
「愛」をテーマにしている。
ビートルズもほとんどが男女の恋愛をテーマにしている。
人間は言葉と妄想の生き物である。
だから現実の幻想の上に「愛」の幻想を置きたいのだろう。
芸術も「愛」同じ幻想で成り立っている。

極めつけは「愛こそはすべて」
「君たちに必要なのは愛なんだ」とジョンは歌う。
けれど彼は自分の歌に対する過剰な意味づけを嫌った。
当然だろう。「あんたはこう言った(歌った)じゃないか」
そんなことを言われたらたまったものじゃないだろう。
「歌は歌だ。大した意味はない」そうジョンは言う。

要するに「愛」に対する過大評価が嫌なのだ。
「愛と精神」を口にする人の欺瞞が嫌いなのだ。
「肉体と性」を認めた上で「愛と精神」を語って欲しいのだ。

高校生の時、出会ったスタンダールの言葉。
「性欲を伴わない愛は、恋愛とは言わない」
そうだよな、と思ってしまった。

作家姫野カオルコの小説や評論。
異性に対する外見や肉体の賞賛ほどの褒め言葉は、
他にはないと繰り返し姫野は言う。

実際の話、顔が素敵だとか、かっこいいとか美しいくらいの
褒め言葉が他にあるのだろうか。
「悪い人ね」これほどの賞賛があるだろうか。
「よしいくんはいい人だけど・・・」(残念!)

「愛とは愛されたいと願うこと」ジョン・レノン‘LOVE’より

2012年7月8日日曜日

リンダ・リンダ

女優、星野真里のショートパンツと網タイツ姿にやられた。
初めて見た佃井智美のジャージパンツ姿も良かった。

鴻上尚史作・演出の芝居「リンダ・リンダ」の舞台。
紀伊國屋サザンシアターでの8年ぶりの再演は、
前回より遙かに素晴らしかった。
高校時代の友人、大高洋夫は元過激派リーダーを好演していた。

リンダ・リンダはブルーハーツの音楽をベースに、
あるロックバンドが福島で隔離されている汚染牛を救うべく、
農場の柵を爆破しようと試みる設定だった。
8年前は、諫早湾の堤防を爆破しようとする
設定だったと記憶している。

前の舞台では劇中歌のブルーハーツが
芝居から浮いているように感じた。
今回はドラマに集中出来た。そして歌も効果的に感じられた。
歌を無理にブルーハーツっぽくしないで、
それぞれの役者の歌になっていた。
役者の芝居の肉付けが明確で、実在感があった。
舞台美術や照明、音響も格段に良かった。

けれど劇場の最後部は空席が目立った。
鴻上と大高の芝居を見続けて30数年で初めてのことだった。

毎回の芝居で配られる、鴻上の「ごあいさつ」。
「・・・僕自身、今現在、プロの作家と演出家として
生活しています。(略)けれど、お客さんが一人も来なくなっても、
僕はどんな形であれ、作品を創り続けたいと思っています」

8年前の「リンダ・リンダ」があまり好きで無かった僕は、
今回の上演を見に行くかどうか、ちょっとだけ迷った。
だけど、来て良かった。満足して活力を貰った。
それは決して、女優陣の綺麗で魅力的な足だけからではない。
けれど、舞台は肉体の表現であり、肉体は美しく見えるのだ。

2012年7月7日土曜日

ヒッグス粒子

世紀の大発見らしい。

何しろ宇宙の始まり、物質の始まり、
生命の始まりに関わっているのだという。
この世界が始まった時、素粒子しか存在せず、
それらは質量を持たなかったという。
想像しにくいが、全てが光のようなエネルギーだったのだろう。
ヒッグス粒子は世界の始まりで素粒子を包み込み、
それらを動きにくくすることで、「質量」を与えたのだと言う。

考えてみれば宇宙空間では「無重力」を体験出来る。
「無重力」は「無質量」では無い。
質量はあるのにそれを感じないことは、考えてみると不思議だ。

昨年読んだ唯一の理系本。
村山斉著の「宇宙は何で出来ているのか」。
「反物質」とか「暗黒物質」とか聞き慣れない言葉が出てくる。
何でも我々が知っている宇宙の物質を全て集めても
宇宙全体の確か10分の一程度にしかならないと言うから驚きだ。

ヒッグス粒子の発見は、「宇宙の謎」を解き明かす
新たな1ページを築くのだろう。

日常を超えたスケールを持つ「宇宙物理学」の分野は
普段の我々とはかけ離れたイメージもある。

芸術もそうだが、狭い日常から離れて
もう一つの世界、多元的な世界が自分の中にも
自分の遙か外側にも存在していると感じること。
それらが萎んでしまいそうな小さな日常を
豊かにするのだと思っている。

東京片貝会

故郷のお祭の木遣り唄。それを聞きながら涙が止まらなくなった。

ここは東京のど真ん中。日本テレビ麹町ビルの隣、
東京グリーンパレスの宴会場である。
6月24日日曜日の午後4時過ぎ。
新潟の小さな町に過ぎない小千谷市片貝町。
そこの出身者の集まりである「東京片貝会」

ステージ上にはわざわざ新潟からバスで駆けつけた
39名と東京近郊在住の新潟県小千谷市片貝町出身の79名。
そのほとんどが毎年、秋の大祭で唄われる木遣りを熱唱していた。

午前中の仕事を終えて携帯を手にすると、3通のメール。
その内2通が、中学の同級生、正敏からのものだった。
「朝からバスで、東京へ向かっています。
宏は今日、出席しますか?」

午後1時まで仕事だった。東京片貝会は1時に開始していた。
片貝町は特異な町だといえる。
これと言った特徴のない田舎町なのに、
秋祭りに打ち上げられる四尺玉(直径約120cm)は
世界最大の打ち上げ花火としてギネスブックに登録されている。
重陽の節句である毎年9月9日10日は全国から
片貝町出身者が集まってくる。
成人や厄年還暦には中学校の同級会で山車を出して
打ち上げ花火(スターマイン)を奉納するのだ。
お祭では何度も何度も繰り返し木遣りが歌われる。

「本町二丁目のやな~~~ああっ
なあ~~~はよう、なあはようよおっせぇ~~~ええっ
本町二丁目のや、糸屋ああの娘、はあやれこの~~~せ」
要は糸屋の娘の次女に惚れて願をかける内容の唄だ。

その故郷の唄を聞いて涙が止まらなくなったのは
故郷を奪われた福島県の人たちのことを思い、
自分の故郷が同じようになったら、どんな思いだろうかと
想像したからだ。

故郷が普通にあること。
この世界が当たり前のように存在していることは
様々な幸運によっているのだと思わずにいられない

2012年6月30日土曜日

くだらない日

7月になったら、「くだらない日」を定めよう。
くだらない日には仕事や家事、あらゆる有用なことをしない。
くだらないことしかしない。無駄なことしかしない。

朝、目が覚めたらまずくだらないことを考える。
普通のくだらないことではない。
ものすごく、くだらないことを考える。
うっかり人に話したら「くだらねーーーー」と馬鹿にされるようなこと。
考えてる自分があまりのくだらなさに
思わず吹き出してしまうような、そんなくだらなことを考えよう。

くだらないことを考えたら、くだらないことをしよう。
うっかり人に話したら、「お前、何くだらないことしてんの?」と
揶揄されるような、そんなくだらないことをしよう。

くだらない日を迎えるには、日々の努力が肝心だ。
常日ごろから、くだらないことを考える習慣、
くだらないことをする癖、これを身に付けないといけない。

人からは「あの人はくだらない人だ」と陰口の一つも
叩かれないようでは、心がけが足りない。
間違っても「立派な人だ」「真面目な人だ」などと
思われてはいけない。それはほめ言葉などではない。

人からは「バッカじゃないの?」と軽口の一つも
浴びせられるような、そういう言動に努めないといけない。

こんなブログでぐだぐだと真面目に「くだらないこと」を
論ずるようではいけない。
そうだ。すぐに行動しないといけない。
「くだらない日」への準備に向けて。
よおーーーしっ。くだらないことをするぞ!

2012年6月21日木曜日

人生はハッピー

朝、目が覚めたからハッピーだ。朝ごはんを食べてハッピーだ。
お風呂に入って、髪を洗ってなおハッピー。

拝島駅で座れてハッピーだ。
端の席でなおハッピー。
雑誌、ビッグイシューを読んでハッピーで、
眠くなって、寝たからなおハッピー。

西武新宿で起きてハッピー。
歩けてハッピー。
朝からエレキ弾いてハッピー。
ビートルズのDear Prudenceでシャウトしてなおハッピー。

仕事が出来てハッピーじゃん。
おやつにバナナとコーヒーが旨い。
お昼には丸ごとリンゴのパイが最高。
サンドイッチに紅茶でハッピー。

また仕事してハッピー。
テニスが出来てハッピー。
夕飯の黒ムツ西京焼きがハッピー。
大根おろしに、ナス挽肉炒め、五目野菜にお味噌汁。
梅干しに小ライスでハッピー。

疲れた身体、電車に座れてハッピー。
ぼやけた頭で考える。
今日はハッピーだったと。
そして本当はハッピーなんか必要ないと。
それが分かって凄くハッピー。

2012年6月19日火曜日

キャットくんのあゆみ

2012年もはや梅雨となり、紫陽花の美しい季節となった。
半年ぶりにブログを書いている。

台風の影響で、雨は激しい音を立てている。
昨年末に3年ぶりの個展を計画した。
「キャットくんのあゆみ」と題し、ささやかな画業を振り返ることにした。

同時に昨年11月から、絵本「きょうりゅうのプロントくん」の
下書きをまとめる作業が続いた。
絵本の絵は大変だが、文章はもっと大変だった。
ブログに費やす言語能力の余裕と時間がなくなった。

3月末に個展が決まり、告知の意味も含めて
ブログを再開しようとした。
ところが新しいパソコン、ソニーのVAIOの日本語機能が使えなくなった。
詐欺にあったような気分。
日本のパソコンなのに日本語は標準装備ではなくなったらしい。
ブーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!

個展には初日から沢山のお客様が来てくれた。
沢山のご感想、励ましを戴いた。
作品を見る人は、作者にも気づかない作品の特徴を教えてくれる。
最終日に来てくれたグラフィックデザイナーの女性は
「どの作品も抽象画の構成を感じる」と言った。

10数年に渡る抽象画制作は、プロントくんやキャットくん、
あくまくんと天使、巨大ロボットと怪獣、そして動物人間になっても、
ベースとして絵をかたち作る。

10回目の個展で、一区切りして、
新しいシリーズを始めたいと願う。
「年々歳々花相似たり。歳々年々人同じからずや」

衰えることで、より素直な表現が出来たらなと思う.

*知人2名から、日本語変換は絶対出来る筈だと
指摘がありました。パソコンに詳しい2人なので、
正しいのだと思います。文章の削除や訂正はしませんが、
間違いとの指摘を表記いたしました。