2012年12月4日火曜日

哲学者の言葉

高校生の時、それも入学して直ぐに、
自分が勉強に向いていないことに気づいてしまった。
まあ、中学の時も勉強はしなかったから、
気づくのが遅過ぎた訳だが。

前にもブログに書いたと思うが、
美術の道を選んだのは、
勉強には向かない、運動はクラスの荒木に敵わない、
音楽はクラスの清人に敵わない、
文学や批評ではクラスのムロコに敵わない、
女を口説かせたら小酒井に敵わない、(関係ないな)
謂わば消去法で選んだだけだった。

自分に本当に自信があったら、
ただのアホとして生きていけたかも知れない。
いや、どっちにせよただの阿呆には違いないのだが、
フォークデュオの「あのねのね」の影響で、
ちょっと知的なカモフラージュがしたかったのか、
勉強に替わる知的なものを求めていたのか、
哲学の本を読むことにした。

あのねのねの清水国明が本で書いていたのが、
ドイツの哲学者「ニーチェ」だった。
高校時代、安保闘争後の世代の我々は
「三無主義」とか「無気力世代」と言われてた。
「新人類」とか「ゆとり世代」と同じ、
自分より下の世代を揶揄するレッテルだ。
クラスに哲学書を読む生徒は、
他に居なかったと記憶している。

よく分からないのに
ショーペンハウエルの「自殺について」を買った。
「全ての悪心は、生きようとする意思が、
あたりかまわず激しく働くことから生じるものである」
とあり、ふーんと思った。

ショーペンハウエルは「受動的ニヒリズム」で
ニーチェは「能動的ニヒリズム」と知ったのは
その頃だったのか、大学時代だったのか。

大学のトイレの個室で、
ニーチェの言葉の落書きを見つけた。

「君の愛を伴い、君の想像を伴って、
君の孤独の状態へ赴け。
私を見よ。自らを超えて創造しようと欲し、
かくして滅びる者を、私は愛する」

その隣にはこの言葉をもじった、
所謂「下ネタ」の言葉が書いてあった。
その個室は「お気に入り」になり、
用は出来る限りそのトイレで足した。

「ニーチェをもっと読もう」そう思った。
(続くかも知れない)

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