2009年9月30日水曜日

海の家

 秋の海が好きだ。
  
 夏の海の家のラーメンが好きだ。あまりダシが効いてなくて、
具も多くなく薄い醤油味のあのラーメンが好きだ。
あのラーメンが何故旨いのか。
それは海のロケーションと雰囲気に合っているからだろう。

 眺めるなら、秋の海がいい。晴れた穏やかな秋の日の海。
それはもう現実にはない海だと気がついた。
自分の記憶、妄想の中にある海。
 記憶の中にある海の家も、海の家のラーメンもたぶん存在しない。

 「私の耳は貝の殻。海の響きをなつかしむ」コクトー
 
 東京国立博物館の日本館の常設展で、思いかけず梁楷の国宝の絵画4点を見た。
 多分、10年以上、もしかしたら20年以上前に見た作品だ。
 同じ作品でも、当然時間で変化する。見ている自分ももっと変化している筈だ。

 印象はほとんど変わらない。変わったのは梁楷に対する理解かもしれない。
 前に目にした時は、梁楷という南宋を代表する画家の名さえ知らなかった。
 でも目の前の絵の深遠さに惹かれた。
 その時見た、夏桂(伝夏桂)の「山水図」もあった。
 じっと見つめていたら、自分が絵の中に入り込んでいくような、
そんな錯覚をおぼえた。
 夏桂の絵が欲しくなった。
 無理だけど。

 「真実は醜い。真実に滅ぼされないためにわれわれは芸術を持つ」ニーチェ
 
 秋の、新潟の海が見たくなった。
 

2009年9月29日火曜日

タモリ倶楽部

タモリ倶楽部が好きだ。

それほど熱心に見ているわけではない。
金曜日に起きていれば見る程度だ。
あまり盛り上げないのがミソなのだろう。
鉄道マニアものなど、マニアではない人も楽しめる。

ベストセラーでロングセラーのものはマレである。
表現の世界でも、ビートルズの音楽や
太宰の小説などあるにはあるが、多くはない。
子規は月並みを嫌った。流行りを追うと月並みなると戒めた。

ピカソは夥しくスタイルを変えた。
ひとつの様式がピークを迎える前に新しい様式を模索した。
いくつもの頂点を作り出しながら、芸術を展開した。
マチスは晩年のインタビューでこう答えている。
「私はこれまでにずっと同じものを探求してきました」
学生の頃からマチスに傾倒していた私だが、
自分はピカソタイプなんだと最近は思うようになった。

タモリ倶楽部の居酒屋巡りが好きだ。
井筒監督やなぎらけんいちなど、
だらだらと飲みながらだらだたと話しているのを見るのが好きだ。

酒飲みは、酒飲みを見ると安心するのだ。
本当は安心など出来ないのに。
まだオレは大丈夫だと、そう思って飲んでいるのだ。
今日は酒を抜いた。
 

「酔うてこほろぎと寝ていたよ」   山頭火

2009年9月27日日曜日

日常

 子規のこと。
 歌も、散文も一見簡素で凡庸なようだが、そうではない。
 病床にあって、見ること聞くこと読むこと考えることを徹底した強さがあると感じる。
 生きるとはそれぞれの日常を生きることだ。若くても年を取っても、どんな状況でも
 今しかない。子規を読んでるとそう感じる。

 英国で活躍する、現代の画家ルシアン・フロイトの画集を買った。
 氏は重厚な油絵で、ヌードを中心とした人物画で著名な画家である。
 もの凄くリアルなのに、日常に潜むもう一つの現実を示している感じがする。

 美術は具象的であれ抽象的であれ、美術でしか表せない世界を生み出しているのだ。
 絵画は精神の窓だと思う。それがどの様な窓であれそれぞれがそれぞれの窓を持つことが
 大切に思う。

2009年9月26日土曜日

なじら

 秋が好きだ。
 夏の暑さが苦手だったからだろう。子どもの頃、暑い夏の楽しみと言えばプール、冷えたスイカ
 そして海だった。実家に車はなく電車を乗り継いで行く海は、夏最大のイヴェントだった。
 プールや海での体験が、絵本「キャットくんとふしぎなプール」の原型となった。

 郷里、小千谷市片貝町ではお盆を過ぎると重陽の節句に行われる秋季大祭の準備に入り、
 集会所からお囃子の曲が聞こえてくる。薄が白い穂を風に揺らし、田んぼには一面黄金色が広がる。
 町の人はみな夏の終わりを嘆くより、実りの秋をお祭とともに祝うのだ。

 往く我ととどまる汝に秋ふたつ    子規

 新しいホームページが出来たので、知人にメールで知らせている。
 敬愛している先輩に子規の「病床六尺」を読んでいる、子規はいいですねとメールしたら、
 「 子規は生きていくことに自信を持った人だった。」と返事があり、得心がいった。
 
 「なじら」とは新潟中越地方の方言で「どうですか(調子は)」の意味である。
 高校時代の友人で俳優の大高洋夫が新潟日報ので「ナジラネ」というタイトルの日曜エッセーを
 連載している。ナジラネはなじらと同意である。そこにボクが挿絵を描いている。
 よかったら見て下さい。

 それにしても、秋(あき)はいい。
 

 

2009年9月23日水曜日

日々のこと

 今日初めて自分でブログを更新した。ブログ制作者の藤塚さんの力をお借りしてだが。
 
 先日9月9日、10日に行われた郷里新潟県片貝町の秋季大祭に数年ぶりに出た。
 酒を飲みながら、同級生と山車を引いて町を練り歩く。山車を引きながら見る町景色。
 たくさんの夜店、夥しい見物客、山側に見える花火。
 花火は山車を引きながら見るのが一番楽しく美しく感じる。

 子どもの頃お祭りの朝のことを強く思い出す。
 まだ舗装されていない道の所々に、門柱が建てられていた。町全体が神聖な結界となっていた。
 現在2万人を超える観光客が集まるようになった。
 ビートルズの「インマイライフ」じゃないけれど、変わってしまったものも残っているものもある。

 今朝永井均の「マンガは哲学する」を読み終えた。
 「天才バカボン」「デビルマン」「ドラえもん」を取り上げながら、永劫回帰や自分とは何か
 世界や死とは何かを問うていて、刺激的だった。問いを学ぶ。学問。

 昨晩見た白州次郎のドラマ。面白かった。戦時中のことを考えると常識を疑うことは大切なのだ
 と思う。常識そのものが必要だとしても。永井均のテーマもそこにある。

いよいよ秋本番ですね

ホームページも完成しましたし、芸術の秋です!よしいさんの新作を大いに期待しています。

フジツカ