秋の海が好きだ。
夏の海の家のラーメンが好きだ。あまりダシが効いてなくて、
具も多くなく薄い醤油味のあのラーメンが好きだ。
あのラーメンが何故旨いのか。
それは海のロケーションと雰囲気に合っているからだろう。
眺めるなら、秋の海がいい。晴れた穏やかな秋の日の海。
それはもう現実にはない海だと気がついた。
自分の記憶、妄想の中にある海。
記憶の中にある海の家も、海の家のラーメンもたぶん存在しない。
「私の耳は貝の殻。海の響きをなつかしむ」コクトー
東京国立博物館の日本館の常設展で、思いかけず梁楷の国宝の絵画4点を見た。
多分、10年以上、もしかしたら20年以上前に見た作品だ。
同じ作品でも、当然時間で変化する。見ている自分ももっと変化している筈だ。
印象はほとんど変わらない。変わったのは梁楷に対する理解かもしれない。
前に目にした時は、梁楷という南宋を代表する画家の名さえ知らなかった。
でも目の前の絵の深遠さに惹かれた。
その時見た、夏桂(伝夏桂)の「山水図」もあった。
じっと見つめていたら、自分が絵の中に入り込んでいくような、
そんな錯覚をおぼえた。
夏桂の絵が欲しくなった。
無理だけど。
「真実は醜い。真実に滅ぼされないためにわれわれは芸術を持つ」ニーチェ
秋の、新潟の海が見たくなった。
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