2011年1月30日日曜日

病床六尺

 「ひろしちゃんは昔はよく病気したいね」
 「えっ。そうらったっけのう」
 「よく熱を出したり、腹壊したりしたねかて」

 年始で訪れた隣町の親戚。
 自営業「筆や」を営む繁さんとの会話。
 
 病弱とは言わないまでも、
 自分が思ってた以上に病気をしていたのだ。
 
 思えば、喉が弱くて扁桃腺がよく腫れた。
 蓄膿症で小学4年生から通院していた。
 胃腸が弱く、腹痛や下痢をした。
 中学からは頭痛持ちになった。
 正露丸(凄い名前だ)とノーシン(脳がしん?)
 この二つが放せなかった。

 おまけに色白で皮膚が弱く、
 海に行っては酷い日焼けに苦しみ、
 山へ出掛けては漆かぶれに苦しんだ。
 じんま疹も玉子ほかの食べ過ぎなどでなった。

 20代で原因不明のじんま疹に苦しみ、
 病院での最終診断は
 ジゼル薔薇色症候群。なんじゃそりゃ!(ホントの話です)

 今回の胃炎は峠を越えた。
 昨日の夕方から食欲は戻り、胃痛は弱くなった。
 今日は日がな一日、掃除・洗濯以外はゴロゴロとした。
 身体の芯から冷えるような感じも無くなった。
 お陰で胃炎ダイエット計画も頓挫するだろう。
 明日からのリバウンドが恐ろしい。

 「病床六尺」を書いた正岡子規。
 彼は、悟りというのは平気で死を迎えられる事ではなくて、
 いかなる状況でも平気で生きていられる事だと言った。

 ダイエットに失敗してもリバウンドしても
 平気で生きていこうと心に誓った。

2011年1月29日土曜日

素敵なダイエット

 胃痛になった。
 
 水曜日の夜に異変はあった。
 寒気がして、夕食の後胃が重かった。
 風邪を引いたのだろう。
 そう思って葛根湯を買って飲んだ。

 木曜日の朝、さらに胃が重く食欲は無い。
 二日酔いでもめったに朝食を抜かないのに
 食べないで職場へ向かった。
 
 仕出し弁当の昼食を食べると胃が痛み出した。
 午後の仕事を終えて、自宅へ向かった。
 電車の中でもズキズキと痛い。

 10年近く前に罹った急性胃炎に似た痛みだ。
 だけど、嘔吐と下痢の症状が無い。
 食欲は無くミックスジュースと胃腸薬を買って帰った。

 翌日になっても症状は治まらず、
 却って痛みが増した。朝も昼も食べられなかった。
 医者に行くことにしたが、ふと思った。
 これで痩せたらラッキーだと。

 この前のビートルズ研究会のセッションで、
 ドラマーの景やんがスッキリ痩せていた。
 「どうしたの?痩せたね」
 「原因不明の高熱が出て、寝込んだら痩せました」
 病気は気の毒だし、なりたくは無いが、
 これはこれで究極のダイエットではあるな、
 そんな不謹慎なことを思い浮かべていた。

 医者では胃炎と診断された。
 薬を飲んだら、治った気がして食事した。
 早朝に激痛があったが、回復に向かっている。
 胃炎を機に胃が小さくなって、痩せたらいいな。
 
 大雪の見舞いに実家へ電話をした。
 小千谷市は2mをゆうに超える積雪だという。
 母は疲れで持病の膀胱炎が出たと言っていた。

 「おらは胃炎になったて」そう母に言うと
 飲みが足らねえがねーがかと宣った。
 流石にわが母親である。

 「うまそうな雪がふうわりふわりかな」蕪村

2011年1月23日日曜日

教育テレビ

 例年、年末から年始の時期に、
 NHKで人気のあった番組がまとめて放映されている。

 今年は名物教授マイケル・サンデルの「ハーバード熱中教室」、
 坂本龍一が音楽の歴史と
 それぞれの音楽の特徴を実演つきで語る音楽の学校「スコラ」、
 この二つだった。

 どちらも面白かった。 

 「熱中教室」はテレビで見た内容が活字化されて刊行されている。
 上巻を読んだ。活字だとよりよくその様子が分かる。

 ハーバードで人気のなかった政治哲学という科目が
 1000人を超える学生を集めるようになったという。

 米国の新保守主義の考えの根底が少し分かった。
 リバタリアン。自由主義者と訳せば良いのだろうか。
 これは市場原理主義とも重なっていることが分かった。

 オバマ政権の国民皆保険制度に反対する考えの根底であり、
 スーパーエリート達の高収入を裏付ける根拠である。

 彼らの思想は哲学者ジョン・ロックに由来しており、
 個人を絶対視するその考えから、
 社会福祉を擬声にしても個人を守ろうとし、
 課税でさえも個人の権利の侵害に当たると考える。

 リバタリアンは欧州の福祉政策を社会主義的と呼ぶのだろう。
 しかし社会主義の中国では貧富の差が拡大している。
 資本主義と社会主義の色分けは怪しく、
 それこそサンデル氏の政治哲学の理論から学ぶべきことなのだ。

 西洋的な思想、近代主義もそうだが
 それにはキリスト教の思想、特にプロテスタントが根底にある。
 だからサンデル氏の授業に喝采を送りながらも、
 東洋人の自分としては違和感も覚える。

 それにしても日本の近代化は「違和感」をどう取り込み、
 消化し「和風」にしていくかの歴史だったのではないか。
 それは「洋食」「洋館」が和風であることと同義であろう。
 西洋文明への憧れとその違和感の消化が、
 日本の国の文化に変革をもたらしたと思う。

 そしてますます目先を追おうとする日本社会に必要なのは
 理念を問うことではないだろうか。
 そういう思いを強くする。

2011年1月20日木曜日

アレクサンダーのカード

 エジンバラ在住の妹、スーザンから手紙が来た。
 2年ぶりのことだ。

 中にはどう見ても児童画のイラストカード。
 決して上手いとは言えないが、
 色彩とデザインにセンスが感じられた。

 よく見ると、クリスマスツリーの周りに三つの靴下。
 それぞれにアレクサンダー、ミリー、ロディの名前。
 スー(スーザン)の子ども達の名前だ。

 カードはしっかりとした作りで、
 家庭用のパソコンなどで印刷されたものとは思えない。
 裏面にはアレクサンダーのデザインによるとあった。
 日本の写真入り年賀状印刷業者のように
 オリジナルのクリスマスカードを作る業者が居るのだろう。

 いいなあ。
 思わず顔が緩んだ。
 
 中を見ると懐かしい殴り書きのスーの筆記体。
 僕の日本語なみの下手な文字に、
 流石我が妹よ、と思った。
 血は全く繋がって無いけれど。

 メキシコ湾海流の影響で
 大した雪の降らないはずのスコットランドで
 大雪が降ったらしい。
 学校は一週間休みだと。
 同じ島国なのにおおらかだ。

 フランス語教師のスーも子ども達もみな休み。
 ソリやスケート遊び、かまくら作りにココアを楽しんでると
 手紙にあった。

 よしいの名前がカッコイイと子ども達の評判らしい。
 任天堂のゲームWiiマリオゲーム。
 その中に「ヨッシー」という恐竜のキャラクターと
 同じ名前だからが理由らしい。

 随分昔に、スーと歩いたエジンバラの街を思い出した。
 飛行機の上から見た街並みはお伽噺の世界みたいだった。
 まだ返事は書いていない。
 来月まで書こうと思う。

2011年1月15日土曜日

雪の断面

 母方の祖母風間サイが亡くなった。
 101歳だった。
 あと一ヶ月すれば102歳の誕生日だった。

 正月に帰省した時に祖母を見舞った。
 起きている時は母の声に頷いたり、
 言葉にならない声を囁くように発していた。

 血や体液が上手く循環しなくなり、
 両足が浮腫んでいた。
 必死に呼吸している祖母を見ながら
 もう頑張らなくて良いよと心の中で呟いた。

 だから訃報が母から届いた時に、
 悲しいよりもホッとした。

 喪主の挨拶で叔父がこう言っていた。
 「私は母が人の悪口を言っているのを聞いたことがない」と。
 
 97歳で庭で転倒し、入院するまで
 冬は積雪が4mを超える北魚沼守門村で独り暮らした。
 5人の子どもが代わるがわる訪ね、
 向かいに弟家族が住んでいて助けられていたとはいえ、
 なまじの体力、精神力ではないなと
 我が祖母ながら感心していた。
 偉大な人だったなと思っている。

 自己抑制のとても強い人だった。
 感情を露わにするのを見たことがない。
 日常を淡々と噛みしめるように生活していた。
 
 60歳を過ぎて短歌を始め、
 郷里の歌人宮柊二が主催する「コスモスの会」で作歌に励んでいた。
 86歳で歌集を纏める決意をして
 「雪の断面」を編纂・発行した。

 面立ちは晩年次第に「良寛和尚」に似ていった。
 国宝「百済観音」のあの面立ちと共通している。
 百済人の末裔ではないかと想像している。
 
 「雪割れば土より立ちて湯気白し卯月半ばを春の陽ざしに」
 風間サイ -「雪の断面」老ひとりの死より-

2011年1月11日火曜日

美の壺

 美の壺がいい。
 
 金曜日の夜10時からNHK教育でやっている。
 だいぶ前に「屋敷林」をやっていた。

 上越新幹線で群馬北部と
 新潟の湯沢から川口辺りで見かける。
 住宅密集地でない、風に家が吹きさらされるような土地だ。
 強い風から家屋や庭などを守るのが目的の林である。
  
 前から独特な風情があるなと気になっていた。
 それを「美の壺」は取り上げた。
 偉い。

 その後だったと思うが、
 「昭和のモダン商店建築」も良かった。
 西日暮里など東京の下町や、青梅駅商店街にも残っている。
 家のファッサード、つまり正面の壁面全体を
 店の看板に見立てて個性的な意匠を凝らした建築である。
 
 宮崎駿氏が「千と千尋の神隠し」で取材したという
 小金井公園内「東京たてもの博物館」にも
 幾つかのモダンでレトロな商店が移築されて楽しめる。

 それらの建築はほとんどが素人のデザインによっていたり、
 町の左官屋さん大工さんの工夫に依るものだという。

 他にも「朝顔」や「根付け」など渋いレパートリー。
 「良寛の書」や「魯山人」など所謂正統派美術内容もある。
 それらも面白かった。亡くなった谷啓氏が出ていた頃だ。

 「茶の湯」では日本人の美意識が中国・朝鮮半島から学び、
 そこから独自の発展を遂げたことが
 分かり易く解説されていた。

 テレビ東京の「なんでも鑑定団」も好きだし面白い。
 けれどお金の価値ではなく、
 何を愛でて、面白いと思うのか、 
 そんな美意識を世に問う「美の壺」はやっぱり偉い。

2011年1月7日金曜日

津軽

 寒くて目が覚めた。
 昨日は小寒だった。

 新潟に帰る前は大雪が降った。
 福島県の会津や鳥取などが雪害に遭った。

 去年の正月は10年振りの雪下ろしをした。
 今年も覚悟して帰った。
 しかし毎日雪は降るが、積もらない。
 雨の日もあり、来る前よりも雪は減った。

 それでも屋根の上には30cmの雪が積もっている。
 雨を受けた雪は溶けてまた凍るので固く重くなる。
 次に大雪が来たら直ぐに下ろさないといけない。
 大雪は続いたり、何度も来たりする。

 東京の知人と飲み会で会った。
 知人も新潟の出身だ。
 「新潟にいて一番嬉しかったのは3月ね」
 「雷が鳴って、雨が降るとどんどん雪が溶けたね」
 「そう。それが嬉しくってねぇー」
 「雪が割れて地面が見えると蕗のとうの花が咲くんだよね」
 「とにかく春が待ち遠しかったわ」
 
 生ビールと日本酒と焼酎お湯割りでふにゃとした脳みそで
 高校時代の自分をぼんやりと想い出していた。

 暮れから太宰の「津軽」を読み直したいと思っていた。
 もう何度も読んでいるのに、青森新幹線の開通のせいだろうか。
 太宰が友人の歓待を受けている場面が何だか好きだ。
 つい過剰な歓待をしてしまう津軽の人に親近感を憶えてしまう。

 二次会のカラオケでは
 太田裕美の「雨だれ」と五輪真弓の「少女」を歌った。
 どちらも冬の歌だ。

2011年1月5日水曜日

新年の誓い

 正月に太った。

 いつものことだが、やはり今年もだった。
 体重計を買おう。いや、買う。
 体重をカレンダーに書く。
 これが今年の目標だ。
 断じて「痩せる」でも「ダイエット」でもない。

 テレビを聴きながら書いている。
 バラエティ番組で明石家さんまがカッコイイ願い事を言った。
 「願い事が無くなりますように」
 どこかで使おう。

 昨年暮れに拝島駅中の本屋さん。
 新潮文庫が毎年出している文庫形式の日記。
 買うかどうか迷って買わなかった。
 真っさらな無印商品のノートに書けばいいからだ。

 絵日記を書いてみようと思う。
 今日書いてみた。
 石川啄木の「ローマ字日記」を意識して、
 「英文絵日記」にした。
 英文と言っても基本は一行。
 絵はゆるゆるの落書き。
 
 新しいことを始める年にする。
 そう言う願いを込めた。

 「プロントくん」の個展へ向けて、
 絵本とアニメを完成させる。
 絵画作品はかなり出来た。
 けれど、個展の顔になる作品が出来ていない。

 とりあえず8月まで頑張ろう。
 今気が付いた。
 1年の折り返しは7月なのに、
 夏が終わる9月を折り返しと思っている。
 4月からの1年間では10月が折り返しだ。
 それがごっちゃになっていた事に気付いた。

 欲深い僕には今年の抱負は他にもある。
 「1日1日を生きる」
 これを一番の抱負にしよう。