2010年2月25日木曜日

バロックの時代

 カラヴァッジオ。
 バロックの絵画は彼によって形作られた。
 そのことをボルゲーゼ美術館展で思い知らされた。

カラヴァジオの時代の画家達が
 みな、暗い背景に強烈な光の前景を描いた。
 レンブラントや画家の王と呼ばれるヴェラスケスにも
 その影響がありありと伺える。

 けれども実を言うと、バロックというものが好きなれない。
 何だか大袈裟でわざとらしい。
 よく考えれば、ルネッサンスの絵画・美術だって
 相当にわざとらしい。ダヴィンチ、ミケランジェロもそうだ。
 
 しかし、ルネッサンスの美術はわざとらしくても大仰ではない。
 そこにある種の落ち着きや静寂がある。
 しかしバロックの芸術は、ルーベンスが殊にそうだが
 化粧の濃い感じが厭だ。服装もけばけばしい。

 自慢じゃないが、僕は花柄のシャツを何枚か持っている。
 60年代、70年代のファッションが好きだ。
 華やかな、女性的な美は大好きだ。じゃあ、何故なのか。

 それはルネッサンスのファッションだって、華やかだけど
 けばけばしいものではない、ということだろうか。
 カラヴァジオを認めるが、好きにはなれない。

 しかし、レンブラント、ヴェラスケスは好きだ。
 ヴェラスケスの傑作「女官たち」を
 プラド美術館で見た時の驚きは、今でも忘れられない。
 実物を見るまでは如何ほどものかと訝しく思っていたのにだ。
 しかし実際には、縦3mほどの巨大な作品に圧倒されたのだ。
 それは大きさのためでなく、内容と画力に依ってである。

 バロック美術はカソリック(旧教)がプロテスタント(新教)に
 対抗するためのプロバガンダとして始まったとも言われている。
 それが王権の拡大と共に、宮廷美術と結びついた。

 そして、それはやがてロココ美術に繋がっていくのだ。 

2010年2月21日日曜日

早春譜

 梅の花が見頃になった。
 紅梅に白梅、時折蝋梅やサンシュも見える。
 春の訪れとともに、朝の美しい富士の姿が消える。

 何日か前から、花粉症が出始めた。
 昨年ほど酷くないが、折角の春の喜びも半減する。
 それでも春の明るい日差しは格別だ。
 朝六時半に家を出ても、玄関が暗くない。

 ジョージ・ハリソンのビートルズ時代の名曲、
 Here Comes The Sun。
 「ほら、太陽がやって来た。もう大丈夫」と歌う。
 北国である英国のジョージの気持ちが、良く伝わってくる。
 雪国、新潟で生まれた僕も同じ気持ちだ。

 上野に出掛けた。
 東京都美術館でやっている「ボルゲーゼ美術館展」を見るためと
 上野動物園で動物をスケッチするためだ。
 ボルゲーゼ美術館展は思ったより空いていた。
 目玉はラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」だ。
 
 ラファエロをダ・ヴィンチと比肩するのは
 間違っていると以前にも書いた。
 ダ・ヴィンチが傑出した天才だからだ。
 それでも「一角獣と貴婦人」良い作品だった。
 何よりも一角獣を抱く手先の表情は流石だ。
 引き締まった顔とデフォルメされた肩も良い。
 明るく青い空と、婦人のエンジ色の服の対比も良い。

 しかし、背景の風景描写はいただけない。
 この作品だけでなく、ヴェネツィア派の巨匠ヴェロネーゼの
 「魚に説法する聖アントニウス」も人物は良いが、
 背景が良くなかった。
 弟子に描かせたかもしれないが、
 ダ・ヴィンチやミケランジェロなら、描き直しただろう。

 ダ・ヴィンチはライバルと認めていたボッチチェリの作品に対しても、
 背景の不出来を指摘しているほどだ。
 これは単に彼らの腕のせいではなく、背景に重きを置かなかった
 当時の画家に共通した考えのせいかもしれない。

 しかし流石に僕のライバル、ダ・ヴィンチはそうではなかった。
 彼は背景の持つ重要性を良く認識していたのだ。
 絵画は平面でありながら、空間表現を追求する芸術だ。
 絵画の空間表現は、背景への認識、その描写で大きく変わってくる。
 
 他の多くの画家達は人物に心血を注いだ。それも中心の。
 背景を弟子に任せた画家もいただろう。
 それは現代日本の漫画家のシステムにも似ている。

 そしてバロックの巨匠、カラバッジオ。
 (つづく)

2010年2月20日土曜日

聖なる山へ

 セザンヌは絵が下手だった。
 僕が言ってるのではない。
 セザンヌの親友だった、
 作家エミール・ゾラが小説「制作」にそう書いた。
 (ゾラは読んでないけど、評論に書いてある)

 セザンヌは天才の資質を持ちながら、
 それを絵で発揮する才能を持たなかったと。

 セザンヌの初期の作品を見ると、
 確かに画学生としてみても、あまり上手ではない。
 はっきり下手だと言った方がいいくらいだ。
 それでも非凡なものも感じさせる。
 主題や表現の中に、ある種の過剰さがあるからだ。
 妖しげなエロスと、塊のような絵具の厚塗りがそうだ。

 20世紀の巨匠、ピカソもマチスも
 セザンヌから一番影響を受けたと語っている。
 同時代のゴーガンを含め、
 セザンヌが美術界に与えた影響は計り知れない。
 日本においても岸田劉生や中村幣を始め、その存在は大きい。

 美術界だけでなく、現象学の哲学者メルロ・ポンティは
 その著書「知覚の現象学」でセザンヌを論じている。
 
 印象派の巨匠モネをこよなく愛する僕も、
 やはりセザンヌの絵には脱帽している。
 彼が到達した芸術の高さと彼の不器用さと頑固さと不遇、
 その落差は、多くの芸術家を勇気づける。

 そして彼の信念、意志の強さは、
 画家としての資質以上に孤高のものだと感じる。
 そして彼の絵の持つ絶妙のバランス感覚。
 それはアンバランスと紙一重のバランスだ。

 またセザンヌは印象派の中で珍しく、
 浮世絵や東洋の美術に関心を払わなかった人物だが、
 彼の世界の存在に対する捉え方が、
 何処か東洋的のそれと通じるように感じている。

 セザンヌが彼にとっての聖なる山
 「サント・ヴィクトワール山」を描いた作品を目の前にすると、
 そこに東洋の山水画を見る思いがする。

 「セザンヌが描こうとしたのは根源の世界である。
 だからこそ、彼の作品を前にすると
 原初の状態にある自然を見るような気がするのだ」。
 メルロ・ポンティ 哲学者 

2010年2月19日金曜日

道化の華

 「ここを過ぎて哀しみの街
 友は哀しき目持て僕を見る」太宰

 時々、詩のようなものを書く。
 ごくたまにだ。
 「破壊の神」は06年に書いたものだ。
 
 立春が過ぎ、雨水も過ぎた。
 昨日の朝、雪が降った。
 勤め先の新宿の街も雪化粧してた。
 新宿御苑とNTTタワーの対比が面白かった。

 雪の降る日も、霜の朝もあるが、
 冬のピークは過ぎた。
 これからは朝の富士山を拝む日もめっきりと減るだろう。
 
 一昨日の夜、NHKの「知るを楽しむ」。
 亡くなったフォークシンガー、「高田渡」を特集してた。
 解説はなぎら健壱。南こうせつも出ていた。

 晩年の高田渡を、吉祥寺で何度も見かけた。
 たいていは酔っぱらっていた。
 青ざめた顔で、眼だけがギラギラしていた。
 いせや公園店の立ち飲みカウンターで、
 昼間からウーロンハイを飲んでいた。

 変わらない潔さ、
 貧しさも、時代遅れも。ものともせず、
 高田渡は歌い続けた。
 それが晩年の再評価に繋がったのだろう。

 変わらないことと
 変わり続けること。

 「選ばれてあることの
  恍惚と不安と、
 二つ我にあり」。 ヴェルレイヌ

2010年2月17日水曜日

「破壊の神」

 破壊の神は言う
 「破壊は美しい」
 心の中の小さな悪魔が応える
 「そうだ、破壊は美しい
 でも何故美しいのだろう?」
 「破壊はおまえの心に
 畏怖の気持ちを起こさせる
 かつてあった風景に思いを寄せて
 失ったものの大きさに愕然とさせる」
 続けて言う
 「無差別な破壊だけが平等なのだ
 富めるものにも、貧しい者にも
 また強いものにも、弱いものにも
 老人、子ども、大人
 女性、男性の区別無く
 破壊の力はゆき渡る」
 「それでは破壊の神、
 あなただけが何者にも破壊されないのですか?」
 「いやすべてが破壊されて
 俺の仕事が終えた時、
 創造の神が
 俺を殺しにやってくる」
 

2010年2月15日月曜日

月と6ペンス

 昨日見た、日曜美術館。
 「魯山人」を特集していた。

 北大路魯山人は、今や漫画「美味しんぼ」の
 海原雄山のモデルとして知られているのかも知れない。
 書家、篆刻家にして、陶芸家。画家としても知られる。
 そして日本料理を今の形に創り上げた美食家の一人だ。

 傲岸不遜で口が悪く、敵が多かった。
 あまり近づきたくないタイプの人間に思える。
 陶芸家を名乗りながら、轆轤などは職人に轢かせ、
 自らは削りなどの仕上げや、絵付けのみを行った場合も多く、
 職人的な陶芸家でなく、プロデューサー的だったとも言われる。

 それでも魯山人の陶芸は、
 一目で魯山人だと感じさせる造形力がある。
 またどんな陶芸家にも真似できない自在さと、
 趣味の高さ、気品がある。

 魯山人について著書があり、番組に出演していた
 林屋晴三氏はこう語った。
 「魯山人は陶芸の技術については、アマチュアである。
 しかし、偉大なるアマチュアはプロフッショナルを
 凌駕するものである」と。良い言葉だ。

 英国の美術史家ケネス・クラーク氏は
 19世紀にコンスタブルやターナーが現れるまで、
 英国美術は大したものを生み出していないと語っている。
 ただし、建築を除いてと。
 しかし、英国における偉大な住宅建築は、
 みなアマチュアに依るものらしい。

 魯山人は何よりも古陶を手本にしていた。
 桃山時代の美をことさら愛し、意識していた。
 魯山人の斬新さは一重に「温故知新」と言うことだろう。

 林屋氏によれば、魯山人は備前が最も優れていると言う。
 その通りなのかも知れない。
 けれど、焼いて割れてしまった備前焼きや志野焼きを
 接いだり、銀彩などで甦らした魯山人が好きだ。
 
 「できの悪い焼き物ほど可愛い」、そう言っていた。
 「できの悪いオレほど可愛い」よしい。

 



 
 

2010年2月10日水曜日

へうげもの

 一昨日見た、NHK歴史番組「ヒストリア」。
 「へうげもの」と言うタイトルで、
 茶人古田織部を特集していた。
 
 「へうげもの」は「ひょうげもの」と読み、
 「ひょうきん者」を意味するらしい。
 しかし今日の「ひょうきん者」とはいささか違うようだ。

 茶の湯には疎い僕であるが、茶の湯の世界が、
 世界中の何処の国と比べても、
 独自な日本の美意識を創り上げたように思う。

 焼き物の形は、世界中のほとんどで左右対称、
 あるいは均整のとれた形を基本としている。
 中国北宋時代の青磁など、正に完璧な形、
 バランス、色、地肌を追求している。
 
 中国、朝鮮半島を師に持ちながら、
 日本は不完全なもの、非対称なもの、
 あるいは滅びゆくものを愛おしむ感性を育んだ。
 その中心的な役割を果たしたのが茶の湯ではなかったか。

 利休が依頼し、それに応えた楽焼き茶碗は
 柔らかくやや脆い印象の造形が、はかなさを現している。
 それこそが「侘び寂び」と言うことなのだろう。

 それに対して、織部焼きの美学は正に破天荒な感じだ。
 他国に見られない、多様な器の形はこの時期に生まれたのだ。
 それらは、日本の戦国武将の強烈な美意識を体現している。

 日本文化は西欧と比べても、よほど柔軟で多様なのではないか。
 少なくても安土桃山時代までの西洋との文明、文化の差は
 さほど無かったと、西洋史の松田智雄氏は著書に書いている。
 それは当時の西欧少年使節団の記録にも残こされていると言う。

 「へうげもの」を貫き、権力者家康に異を唱えた織部は、
 最後に切腹させられ、家は断絶させられた。

 それでも織部は死を前にして、
 「特別何も言うべき事はない」と記している。
 とても敵うものではないが、
 その潔さに学びたい。 
 

色彩の悪魔

 家電は昔「白もの」と言われたらしい。
 (今も言うのかもしれない)。
 冷蔵庫、炊飯器、洗濯機などみな白かった。
 今でもエアコンを始め、白が主流だ。

 最近になって少しずつ変わってきた。
 パナソニックは色を全面に押し出した
 Night Color シリーズを宣伝している。

 車も長らく白が主流だ。
 それから新幹線。電車の色彩は何とかならないかな。
 関西の阪急電鉄のような大人の色が増えるといいな。
 名前を失念したが、以前「情熱大陸」で、
 車両デザインの専門家を見た。
 彼のデザインした車両は主に九州で活躍している。
 その妥協のないデザインはどれを見ても素晴らしい。

 英国を取り立ててデザイン大国とは感じないが、
 テニスのウインブルドンを見ていると、
 センターコートのモスグリーンの色彩に伝統とセンスを感じる。 
 あと雑誌で見た英国の郵便ポスト。
 色とデザインが時代毎に違って楽しい。
 多様な文化と歴史を持つ我が国にデザインは、
 何故か多様性を嫌っているように感じる。
 これはデザイナーの責任ということもるが、
 それを受容する地域や会社、一般市民の感性の問題でもある。

 古代色彩は権威であり、重要な意味を担っていた。
 中世、近世においても似たようなものだったろう。
 大相撲を見ると、土俵の上に吊された屋根のそれぞれの角に
 東西南北を示す青、白、赤、黒の房が下げられている。
 恥ずかしながら、それに気付いたのが何年前のことだったか。

 19世紀のヨーロッパ、特にパリで浮世絵のブームが起きた。
 印象派の画家で影響を受けなかった者は、ほとんど居ない。
 斬新な構図や、人物や風景の平面的な表し方もだが、
 やはり、色彩に驚いたようだ。

 ゴッホなど、日本に行きたいと本気で考えていたようだ。
 日本に行きさえすれば、日本人のような色彩家になれると、
 そう信じていた様子である。
 
 色は面白く、楽しい。そしてとても難しく、悩ましい。

 画家としての僕は、日々「色彩の悪魔」と戯れ、
 そして格闘している。

2010年2月8日月曜日

赤と黒

 一昨日、拝島駅構内の本屋さんで見つけた。
 「ニーチェの言葉」。
 開いて見つけた最初の言葉。
 著書「力への意志」からだった。

 「自分を尊敬せよ」。
 そう書いてあった。流石だ。
 自分を卑下する者は、人を卑下する。
 僕がそうだから、間違いない。

 自分を尊敬するのではなく、
 尊大に見せようとする者。
 これはコンプレックスが強い人だ。
 自分に自信があったなら、尊大にはならない。
 尊大な人は、必要以上に自分を誇示する。

 けれど、こんな風に自分を分析したり、
 反省したり、ラジバンダリ。(古い)。
 それよりも尊敬せよと言う。
 自分が尊敬する自分になれと言う。
 大きなお世話かもしれない。
 でも、かっこいいなと思う。
 良い時のニーチェの言葉には切れがある。

 毎日通う、新宿の朝の風景。
 新宿国際劇場を横目に、裏道から甲州街道へ。
 その手前に小さな映画館。
 昨年唯一映画館で観た映画、
 チェコのアニメを上映した映画館。
 そこのポスターに目を止めた。

 最初に見たのは、懐かしの映画「8・1/2」。
 マルチェロ・マストロヤンニ主演、
 フェデリコ・フェリーニ監督、音楽はたぶんニーノ・ロータ。
 イタリア映画、黄金のトリオ。

 その隣に見慣れないハンサムのポスター。
 大きく「赤と黒」と書いてある。
 映画のプログラムには同じスタンダールが原作の
 「パルムの僧院」もある。
 
 観てみようかなと、立ち止まった。

 小六の時、新築の家で初めて自分の部屋が与えられた。
 僕の勉強机の本棚には、父親の文学全集。
 赤茶けた背表紙を時折眺めていた。
 その中で気になったタイトルが「赤と黒」。
 
 僕の人生は、もうそんなには長くない。
 長年の宿題を片づける時期かもしれない。

 「この人生と寸分違わぬ人生を、
  永遠に繰り返す、そう思って生きよ」。
 ニーチェ

2010年2月7日日曜日

中心と周辺

 日本は世界地図では極東に位置すると言われる。
 極東。東の果てと言う意味か。
 西欧中心の考えだ。

 行ったことはないが、北極や南極あるいは
 樺太やパタゴニアへ出掛けたら、 
 ここは世界の果てだと思うのだろうか。
 そんな見方は西欧中心主義と大差はない。

 初めての海外、スペインへ旅した時に
 経由して降り立ったのが、アラスカ・アンカレッジ空港だった。
 空港からの眺めは壮観だった。
 途中、飛行機の窓からマッキンレー山の威容が見えた。
 冒険家、植村直己さんが消息を絶った山だ。
 
 人を拒絶するような極寒の地にも、人々の営みはある。

 「世界の中心で愛を叫ぶ」じゃないけれど(見てないけれど)
 何処が中心で、何処が周辺かは主観の問題、
 あるいはある文化視点の刷り込みにしか過ぎないのだろう。

 昨日テレビで「フラガール」を観た。
 途中からだったけれど、以前もテレビで観ていた。
 ヒロイン蒼井優の親友徳永えりが、フラガールを離れる時泣いた。
 先生役の松雪泰子が、東京に帰ろうとする時泣いた。
 クライマックスの踊りの前に凄く泣いた。

 舞台が福島県なのも良かった。
 方言が良かった。「スイングガールズ」もだけど。
 実話を基に作られているのでリアリティが感じられた。

 僕は今日も東京の周辺に住んで、このブログを書いている。
 ここは確かに世界の中心でもある。
 

2010年2月5日金曜日

VOYAGE -6人のアーティストによる旅-

 昨日、一昨日と酒を抜いた。
 一昨日は飲むつもりが飲みそびれて止めた。
 昨日は「崖の上のポニョ」を見るために飲まなかった。
 飲むと眠くなるからだ。

 今日の朝食。
 「モヤシ炒め」、「葱シメジ豆腐の味噌汁」、
 「金目鯛の酒粕漬焼き」、「白米」。旨かった。
 やっぱりまんま(白米)だなと思う。
 
 昼は余り物で適当に食べる。
 夜は一昨日買いすぎて、手を付けてない食材で飲む。
 国産鶏手羽中の塩焼き、豚バラ塩焼き、
 シシトウ、長ネギも塩焼きで。茄子は生姜焼きにしよう。
 あとは手羽中とソーセージ入りのポトフ風鍋。
 人参と茹で卵のサラダもあると、ちょっと食べ過ぎか。
 久しぶりの缶ビールと日本酒、赤ワインも少し。

 40歳を過ぎた頃から、健康診断で黄信号や赤信号を 
 戴くようになった。長年のツケが身体に現れているのだ。
 ある意味身体は正直なのだと思う。

 今もLDLコルステロールが数値が高く、
 医師から体質改善か投薬治療かを迫られている。
 投薬は厭だから、出来る範囲で生活改善を図る。

 その1,朝から飲まない。
 その2,浴びるほど飲まない。
 その3,寝る前に飲まない。
 その4,・・・・・もういい。

 以前、百薬の長で隣に坐った70歳過ぎに男性から言われた。
 「いいか、兄ちゃん。朝から飲んだらダメだ。朝は」。
 「じゃあ、昼からは?」。
 「昼はちょっとならいい」。「夜は?」。
 「夜はまあ、沢山飲むな・・・」。
 酒飲みはこんなものである。僕は今週に2,3回断酒している。

 昨日、東京都写真美術館に行った。
 気鋭の写真家、石川直樹氏が出品している展覧会
VOYAGEを見るためである。絵を教えている生徒10人を連れてだ。

 若手中心の写真家・映像作家6名による展観だったが、良かった。
 写真展には何度か出掛けているが、写真・映像の質、展示の仕方
 いずれも素晴らしいものだった。石川氏本人が自作や他の作家の作品
 また、写真の面白さや見所を解説してくださった。

 特に尾仲浩二氏の写真に惹かれた。
 一見すると、素人のスナップ写真のような、何処でもありそうな
 ありふれた風景写真に見える。けれど全然違う。何なんだ?

 作品脇に作家それぞれが作品や自身についてのコメントを書いている。
 普通は写真作品のことや、制作姿勢や信条を書くのだが、
 尾仲さんは違った。
 「11日 晴れのちくもり
 モーニングセット 坂道に水仙満開 関門トンネル(中略)
 レバ刺 焼酎 地酒筑前」と毎日こんな調子である。気に入った。

 今日はプロントくんの墨絵を何点か描いて、早めのお酒にしよう。
 「飲まない日はさみしい」山頭火   

 
 

2010年2月4日木曜日

よく遊び、よく学べ

 二月は逃げる。
 油断していると、直ぐに過ぎ去る。
 
 「人生は短く、芸術は長し」。
 古代ギリシャの言葉だが、
 元は「技術は長し」だったらしい。

 江戸の人々は良く遊んだ。
 遊びの良いところは、
 「何かのため」ではないところだろう。

 江戸初期の画家、久隅守景の「夕顔棚納涼図」。
 ふんどし姿の親父と腰巻き姿の女房と傍らの息子。
 夏の夕暮れに、夕顔棚の下で茣蓙を敷いて涼んでいる。
 空には満月。

 以前「美の巨人」でも紹介されていた、国宝の水墨画である。
 月を愛で、夕顔を愛で、夏の夕暮れの風を愛でる。
 ささやかな会話を楽しむ。
 話なんかしなくてもいいかも知れない。

 巨匠スタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」。
 雪に閉ざされた山の中の高級ホテル。
 冬の間は閉鎖されている、そのホテルに管理人一家が過ごす。

 小説家を志す管理人の男性は、次第に心を病んでゆく。
 それでも彼は広いロビーの真ん中で、一心に小説を書き続ける。
 ある日妻が書きかけの原稿を目にして、恐怖におののく。

 ALL WORKS NO PLAY MAKES JACK A DULL BOY.
「仕事(勉強)ばかりで遊ばない、ジャックはダメな少年になる」
 山のように積まれた原稿には、すべて同じ文章が書かれていた。
 
 英文は英語のことわざである。
 日本語では「よく遊び、よく学べ」となるが、
 ちょっとニュアンスが異なる。

 老齢になって外国語や、新しい学問を学ぶ人がいる。
 人生の晩年に差し掛かって新しい試みをする人を、
 揶揄する人も居る。「何の役にも立たない」と。

 勉強と違い、学問は遊びである。
 そこには「知る楽しみ」があるだけで、
 役に立つ、立たないは意味がない。

 尊敬する先輩に、先日ばったり会った。
 先輩は早々と仕事を退職し、大学の市民講座を聴講している。
 「よしいさん、マルクスの経済学は
 アリストテレスから来ているのですよ」。
 いきなりの高水準な話に、ついてゆくこともままならない。

 だが先輩を見ていると、「学ぶ人は遊び、遊ぶ人は学ぶ」
 と言う考えが頭に浮かぶ。
 それは対価と報酬を要求する労働や勉強とは真逆である。

 僕は「よく遊び、よく遊ぶ」。


 

2010年2月2日火曜日

雪の朝に

 不思議な感じがした。
 一昨日の夜のことだ。

 新宿では激しい雨が降っていて寒かった。
 それがみぞれに変わり、やがて雪になった。
 雪になったら、寒さが少し緩んだ気がした。

 気温が下がって雪になったのに、寒さが緩む。
 それが不思議な感じだったのだ。
 雨やみぞれだと身体が濡れる。
 雪だとほとんど濡れない。その差だと気付いた。

 18歳で東京へ出てきて、閉口したのは寒さだった。
 晴れた日の夜のからっ風には参った。
 新潟では経験したことのない寒さに感じた。
 昼との温度差が、なおそう感じさせるのだろう。

 一夜明けて、仕事へ出掛けようとした。
 TVニュースは青梅線の送電線が雪で故障だと告げた。
 やれやれ。

 いつもより2時間遅れで拝島に着く。
 ホームは人の群でごった返している。
 普通なら始発だから必ず坐って行く。
 叶わないので、先頭車両に乗り込む。

 鉄ちゃんじゃないけど、先頭で線路を見るのは楽しい。
 雪景色ならなおさらだ。
 咲いたばかりの紅梅が雪を被って紅白になっていた。
 玉川上水駅から、東大和市駅までの昇り道が楽しい。

 江戸時代の人々は遊びが大好きだったらしい。
 しかもお金の掛からない遊びが。
 花見、月見、枯木見までしたそうな。

 当然雪の日は雪見だったことだろう。
 雪の日の朝に雪見をした。