2011年11月1日火曜日

クレオパトラの夢

イタリアの静物画家、ジョルジョ・モランディ。
生涯に2千点もの瓶の絵を
油絵の具で描いた画家。

風景画も少しあるが、ほとんどが瓶の絵。
大きさや種類、色は違っても瓶の絵。
構図もほとんど変わらない。
でも全部が少しずつ違う。
色彩も灰色、茶褐色を主として少しづつ違う。

生涯独身で、妹たちが彼の世話をしたと言う。
アトリエに閉じこもり、日々瓶に向かい合い、描き続けた。

世間的に見たら、完全な変人だろう。
でも芸術家に限らず、スポーツ選手でも科学者でも
人と同じことをしている人は、人と違う水準には行けない。
だから、ダヴィンチもアインシュタインもイチローも
変人のカテゴリーに入るのだろう。

人は自分の日常を大切にしながら、
自分には無い「日常」を生きる人に憧れる。
そこには多分に愛憎が入り混じっている。

モランディの廉価版の画集が欲しい。
たぶん出ていないから、買うことは出来ない。
長谷川利行の廉価版画集も無い。
佐藤哲三画集もないなー。
ハンマー・スホイ、アントニオ・ロペス・ガルシアの画集、
これらも見当たらない。

日本の若手芸術家の作品集を
次々に出版している求龍堂。
出してくれないかなと思う。

自分の描きたいものを模索していた若き日。
自分の個展の夢を見た。
そこには自分の描いたことのない作品群が展示されていた。

絵を描くことは夢見る行為なのかも知れない。
僕はもう、見知らぬ自分の作品の夢を見ない。

2011年10月28日金曜日

尾が北を向けば・・・

今年は珍しく映画(DVDだけど)の年だ。
最近も大作「アラビアのローレンス」
「ベンハー」を立て続けに観た。
10月末現在で26本観ている。
昨年は16本だから既に10本多い。

それにしても「ベンハー」は圧巻だった。
テレビ画面であれだから、
映画館の大画面で大サウンドで観たら
さぞかし凄いだろうと想像した。

ベンハーはユダヤ人の裕福な家の息子の話だが、
古代ローマに支配された当時のユダヤ国に出現した、
イエス・キリストの物語が絡んでいる。

有名な4頭立ての戦車によるレースのシーンに続いて、
ゴルゴダの丘でのキリストの処刑が描かれていた。
処刑の時に黒雲が湧き上がり、稲妻が落ち、豪雨となる。
その時に奇跡が起きる。

不治の病に冒されたベンハーの母と妹が
キリストの死とともに完治するのだ。
キリストの復活も描かれている。
キリスト教はキリストの奇跡を
基盤としている宗教なのだろうかと思った。

そのキリスト教から近代主義が生まれ
奇跡と神秘を表面的には排除したのを不思議に思った。

反対に仏教は、仏陀自身は徹底的な合理主義で
奇跡や神秘を排したにもかかわらず、
神秘主義や多神教的な世界に変容していったこと
これも不思議だなと思った。

2011年10月20日木曜日

ほこ×たて

「熱しやすく冷めやすい」
だからブームに弱い。
なでしこジャパンなんて、大して興味もなかった。
準決勝でスウェーデン戦を観てから、
前からのサポーターのように応援した。

「長いものには巻かれろ」
正しいか正しくないかは問題じゃない。
むしろそんな考えは危険だ。
実際に世の中に正しいことは沢山ある。
多数派になれるかなれないか、それが問題だ。

パソコンではOSでWINDOWSが一人勝ちした。
シェア(販売占有率と言うのかな)を占めることが勝ち負けの分かれ目。
昔々、ビデオテープの世界でもβとVHSの闘いがあり、
シェアで勝ったVHSの勝利に終わった。

村上春樹の小説「羊をめぐる冒険」
何度か読みかえした。村上春樹の傑作だと思う。
その中で主人公は謎の男に仕事を依頼される。
星印のついた一匹の羊を見つけて欲しいと。

政治家と情報産業と株。
この3つが結びついたところ。小説の黒幕もそんな人だ。
さらに官僚と司法が手を取り合ったら無敵だろう。
日本の多くが滅んでも、権力は残り続ける。
まるで太平洋戦争の時と同じだ。

大震災で原発事故が起きる前に、
同じような構造があったことをNHKの特番や
6年前に出版された本などから知った。
けれど、何せにわか原発問題研究家である。

「絶対に安全だ」と朝から晩まで言われ続ける。
大きな民放で、よく知っている俳優やタレントが出演している。
政府や政党も後押ししている。
信じない方がよほどのへそ曲がりか、
高度に頭脳明晰の人々に限られてしまうだろう。
あとは利害関係がないこと。お金をもらっていないこと。
そういえば太平洋戦争も基本的には経済戦争だった。
多くの戦争がそうであったかのように。

絶対安全な建造物と何でも壊す天災。
矛と盾のことを僕はよく知らなかった。

油断はならない。
僕は自らが熱しやすく冷めやすい、
長ものに巻かれる、そんな人間だと知っているからだ。
矛盾に気付くセンサーを持つ、そういう人に僕はなりたい。

2011年10月11日火曜日

近代化と世間

確か「人間失格」だったろうか。
太宰は「世間」についてこう語っていたと記憶する。
「世間とはあなたのことだ」

かつて大人はこう言った。
「そんなことでは世間様に顔向け出来ない」などと。
この場合明らかに、言っている本人が世間そのものだと解る。

以前観た、鴻上尚史の演劇。
タイトルは忘れてしまった。
大罪を犯した息子の父が
「成人した息子の罪を謝罪するつもりはない。
本人が罪を償えばよいのだから」とマスコミに答える。

酷いバッシングに家族や周囲が謝罪するように奨める。
しかし、父親は断固としてそれに応じようとはしない。
彼以外の周囲には、個人という概念が欠如している。

親子であっても親は親、子は子だと思われず、
家族という括りがあり、(それが世間なのだろう)
親子は一体だという思い込みがある。

RCのアルバム‘Covers ’のImagineのカヴァー曲。
理想を歌う清志郎に揶揄するコーラスが入る。
「僕らは不思議でわらっちゃう」と。
清志郎をわらうコーラスは世間そのもののではないか。
エンディングは弱気になったボーカル。
「夢かもしれない。無いかもしれない」
と繰り返す。

ドイツ中世史が専門の阿部謹也の「近代化と世間」を読んだ。
ヨーロッパにもかつては個人という概念がなかったそうだ。
ルネッサンス以前にキリスト教の発達で、
教会が罪の告白、所謂「告解」を強要するようになったこと。
それらを通して個人が産み出されたという。

仏教ではそもそも「自分」というものが妄想だという。
それに共感しながらも、
「世間」の思惑を優先させる様々な場面に出会うと
「個人」を持ち得ない日本に危うさを感じる。

しかし、南方熊楠を始め個人で闘い、
社会を変えたあまたの日本人もかつていたのだ。
「世間」のせいにして、
そこへ逃げ込むことだけは止めたいと思う。

2011年10月8日土曜日

生きることは芸術に値するか

画家、長谷川利行の伝記本
「アウトローと呼ばれた画家」を読んだ。

「生きることは芸術に値するか」
この痛烈な言説。利行独特の逆説。
「自然は芸術を模倣する」に匹敵すると思う。

彼の背水の陣を敷いたかのような生き様。
絵を押し売りし、幾ばくのお金を得る。
木賃宿に泊まり、カフェやレビューを愛し、
絵が描けて、酒が呑めれば良しとする日常。

そんな彼を梅原龍之介や安井曾太郎は嫌ったとある。
当然だろう。
利行は児童画を画架に貼り付けて
「これがボクの手本だ」と言っていたらしい。

日本のフォーブ(野獣派)とも言われた利行の絵。
確かに原色をキャンバスや紙に叩き付けるように見える。
しかし彼の黒の鮮やかなこと。
画面を引き締めていること。
黒の扱いは紛れもなく巨匠の表現だ。
マネやマチスを彷彿とさせるが、いずれとも違っている。

しかし、利行の魅力は何とも言えない抒情にある。
生活、人生、絵画が一体となった彼しか描けない世界がある。
野良犬のようだと揶揄されても、
野良犬として人生を貫いた気品がある。

否、そんな生易しいものでは無かっただろう。
彼は晩年、手術や鎮痛剤を拒否して、
救済病院で孤独死している。
時代が彼をそうさせた部分もあるだろう。

利行になれないへっぽこ絵描きは、
彼の絵にたまらなく憧れる。
生き様は到底真似できないから、
なおのこと憧れる。

2011年10月5日水曜日

プロントくんの冒険

途中になっていたアニメーションと絵本。
ともに恐竜のプロントくんを主題にしたものだが、
どちらも完成に向けて制作に励んでいる。

アニメーションが難しい。
2年前の作品は全く酷かった。
今回はその反省の基に制作しているが
多少マシになっていると思っている。
(でないとマズイよな・・)
アニメには独特の文法がある。
各場面の絵・動きが大切なのは勿論のことだが、
シーン(場面)とシーンの繋がり、シークエンスがさらに重要だ。

絵本は「キャットくんとふしぎなプール」以来の
2冊目になるが、今回は製本も自分でやるつもりだ。
知り合いにキャットくんの絵本を最近ほめられた。
単純なので「そうかなーー」とすぐにその気になる。
 
キャット直感的に浮かんだ映像を絵にまとめ
最後にストーリーを考えて調整した作品だった。
敬愛する絵本・アニメ作家のたむらしげる氏に送った。
氏からは「アニメにすると良いですね」と返事がきた。
直ぐにアニメ化に取り組んだが、3ヶ月で挫折した。
アニメの表現方法がまるで分からなかった。
10年ほど前のことだ。

今回の「プロントくん」の絵本は予め何度も話を考えている。
絵を描き内容の修正を繰り返している。
アニメと絵本では大筋は同じでも、
違うストーリーで作っている。

最近ブログを書く気持ちになれなかったのは
僕の決して豊かではない言語の能力を総動員して、
プロントくんの絵本のストーリーに取り組んでいるからだと思う。

今年になって毎日つけている英語絵日記で
言葉を使っている影響もあるかもしれない。

先日、1年ぶりに行ったジブリ美術館。
特別企画で大人も乗れるネコバスが展示されていた。
車窓から見えるのは夏の夕暮れ。
大好きな「となりのトトロ」で何度も見ている
あのエンディングの場面だ。
トトロは宮崎アニメでも傑出した作品だと思う。

僕の1分余りのミニミニアニメ。
素人なりに自分の世界が表せたらと思っている。

2011年9月30日金曜日

ある秋の日の情景

秋の日の始まり
陽射しは柔らかく影を落とす
玉川上水歩道の林を抜けて
川底の水面はあるいは黒く
あるいは白く、光と闇を反映している

川辺の土手には曼珠沙華
鮮やかな赤い花弁は此岸から彼岸へと誘う
とりとめもなく日々のことを話し合った
読んだ本の話、最近観た古い映画のこと
アラビアのローレンス

フェルメールの手紙を読む青衣の女
通信文化の幕開けと市民文化の成熟
17世紀フランドルのレシピ
固くなったパンとミルクで作るお粥
あの絵は間違いなく傑作だと
見る前から想像が膨らむ

ネコバスに乗った
ふかふかの天井に触れた
車窓から見える風景は
繰り返し観たあの夏の夕暮れ
バナナ味のアイスクリーム

帰り道、夕焼けの空に一筋のひこうき雲
茜色の雲を左右に分かつ
大きく個性的な三鷹の住宅街を歩く
遠目にも印象的で大きな緑色の銅葺きの屋根
山本有三記念館の洋館だと気付いた

暮れかかる秋の夕暮れ
駅ビルの灯り、街灯、ネオンなど
様々な色の灯りが目の前に在った

2011年9月29日木曜日

秋らのーー。

ばか涼しなってきたのーー。
こないさまで、まっで暑かったてがんに。

日暮れが早なった。
雲が高なって、秋の気配らの。
まんまが旨なってくるの。
あっちぇーと、冷てーもんばっか飲んで食欲が出ねの。

ビールとかハイボールとかホッピーばっか飲んでると
腹がしゃっけなって、調子が悪ならの。
だんだ、オラは夏でもなるたけ燗酒らや。

8月のあっちぇー日に百薬に行ってそ、
いつもみてーに燗酒もらったがらや。
ほしたら、常連の一人がマスターに聞いた。
「マスター、燗酒今日何人目?」「よしいさんで二人目」
ビールやサワー、ウーロンハイを飲んでるもんばっからった。

秋はいいのー。
あったけー、モツ煮込みがうんまなる。
おでんもいいのーー。燗酒は温めが好きら。
ほろ酔い気分でそ、おあいそして外に出れば月ら。

ススキが見えればさらにいいのお。
秋桜もいいのお。花水木が色づくの。
金木犀ももうじきらのー。

やっと秋になったのー。
いかった、いかった。

2011年9月20日火曜日

Covers

ニューヨーク出身の知り合いの米国人。
彼がこんなことを言っていた。
自分はオバマ支持だが、彼は原発を廃棄したりしない。
「なぜなら、彼の支持基盤は原発の発電会社だからだ」

ブッシュは彼自身が石油メジャーのオーナーだが、
火力発電会社が支持基盤だという。
米国では火力発電と原子力発電の会社が別組織なのだ。
当然、利害関係が異なり日本のような独占ではない。

彼はこうも続けた。
ドイツのメルケル首相が「脱原発」を宣言したことに驚いた。
「左派よりの政権なら分かるが、彼女は保守派だ」
だからより素晴らしいと思う。そしてこう続けた。
「海洋プレートの近くに原発を作るなんてクレージーだ」

管前首相は「原発からの脱却を口にした。(個人的見解と言い直したが)
今朝のニュースで野田首相の国連演説が報道されていた。
野田首相は「日本の原発を世界一安全にする」と語り、
今後も原発を推進していくことを世界へ向けて発信した。
朝の報道ではNHKだけが
それに対する反対意見も報道していたように思う。

「脱原発」から「原発推進」へ。
政権政党の方針が180度変わったと言うのに、
マスコミはほとんど沈黙している。何故だろう。

この国ではこの問題を決して国民的議題にしない
そんな空気、何処からかの意志が感じられる。
何故かこの問題で「世論調査」が行われない。
NHKとテレ朝「ニュースステーション」では、
連続して原発の問題を取り上げていたと思う。
それらは大きな広がりを見せようとしない。

9月19日敬老の日。
明治公園で行われた「さようなら原発」の集会に出掛けた。
大江健三郎、山本太郎ほかが呼びかけたこともあり、
会場は人が入りきらないほどの活況を呈していた。

僕の頭の中では、
今は亡き忌野清志郎がRCサクセション時代に作った
反原発のアルバムCovers の Love me tender が流れていた。

「放射能はいらねー、牛乳が飲みてえ・・
何言ってんだ、ふざけんじゃねー。核などいらねえ・・
何言ってんだ、止めときな。いくら理屈をこねても・・・
ほんの少し考えれば、オレにも分かるさ・・・」

「脱原発」か「原発推進」か。
せめて論議ぐらい、まともにして欲しいと思う。
それでも大江氏が述べていたように、
「集会やデモに参加して訴えていく」道しかないのだろう。

あきらめないこと、希望を失わないこと。
それを自分に言い聞かせている。

2011年9月13日火曜日

普遍性と無常

西洋文明は普遍性を目指して発展したのだろうか。
グローバルスタンダード(地球的基準と訳すとおかしい)
なるものは、一つの基準に過ぎないのに
あたかも普遍的理念のように喧伝されている。

東洋の思想が普遍性の構築よりも、
普遍なものなど存在しない、
「無常」であることを考えたのは興味深い。

東洋的な意味の無常は、無秩序であるとか混沌であること、
無政府状態(アナーキズム)であることを意味しないと思う。
むしろ「無常」だからこそ「日常」を、凡庸なまでの日常を
大切にして生きようという考えだと解釈している。

しかしながら近代社会は西洋的な「普遍性」の獲得とともに
進歩してきたことも事実であると思う。
東洋がよくて西洋が良くないと早計に言うことは出来ない。

「普遍性」という理想に向かって、
あらゆることを技術革新に変換していった強さがあった。
考えてみれば「モダニズム=近代主義」の思想は
「より新しいこと」「より優れていること」「より強いこと」を追求してきた。

伝統的な価値観、文化を守ろうとする国や地域が、
そのような西洋の「近代主義」に破れ、
あるいは呑み込まれたのも無理のないことである。

「普遍性」が危険なのはそれが一つの基準を
強力に垂直的に押しつける点にあると思う。
(グローバルスタンダードがその良い例だろう)
だからこそ、水平性の強い文化は押さえつけられてしまうのだ。

そんな西洋において、20世紀の後半のフランスを中心に、
構造主義哲学という、それまでの「人間中心主義」や
「普遍主義」「近代主義」を打ち破ろうとした
思想が現れたことは特筆に値すると思う。
彼らは普遍的と信じられてきた
「キリスト教的世界観」や「西洋近代主義」が
世界の中のひとつの文化・思想に過ぎないことを露わにした。

内田樹著の「寝ながら学べる構造主義」を読んでそんなことを考えた。
今、網野善彦著の「無縁。公界・楽」と
阿部勤也著の「近代化と世間」を読んでいる。

もう少し「普遍性と無常」について考察してみたい。

2011年9月8日木曜日

天使は瞳を閉じて

「ここではないどこかへ」
芝居の「ごあいさつ」で鴻上尚史はそう書いていた。

8月20日土曜日の夜7時。
鴻上主宰の虚構の劇団に友人の大高が出演していた。
「天使は瞳を閉じて」
20年振りの再演だろうか。
第三舞台じゃないから、再演とは言わないのかな。

鴻上は当時、原爆による崩壊後の世界をよく描いていた。
「天使は瞳を閉じて」はそれが原発事故後の世界に変わっていた。
天使と人間になった天使と、人間の話。

かつての記憶が甦ってきた。
街と外を遮断する「透明な壁」。人々の生活を見つめる天使。
壁の外への強い憧れ。謎の薬「コーマエンジェル」
為政者とマスコミの癒着。壁を壊す取り組み。
そしてついに壁は崩壊する。
ベルリンの壁の崩壊の時期だったかもしれない。

鴻上氏は今でも夜中に「どこか」へ行きたくなり
街をあてもなく徘徊するそうだ。
「ここではないどこかへ」
まるで「オズの魔法使い」のドロシーみたいだ。
「虹を越えて」は名曲だった。
旅の果てに訪れたのは、かつての故郷だった。

「ここではないどこかへ」の憧れはかつてあった。
だから東京に出てきたのだし、今でも住んでいる。
新潟の片貝町の同級生は町外の仲間を「旅人」と言う。

20代の頃は海外で生活することを夢見たりした。
今では海外移住どころか、海外旅行も面倒くさい。
「ここではないどこかへ」へ出掛けて何か見つかるのだろうか。
見つかるかもしれない。でも自分の役割ではないように思うのだ。

自分が探し求めるものは「いまここに」あるのではないか。
足下にあるのに見えていないだけなのではないか。
すでに見えているのに、意識と感覚が及んでないだけではないか。

「ここではないどこかへ」も「いまここ」も比喩にしか過ぎない。
探したり求めたりする必要さえないのかもしれない。
何かを求めるのは単に迷っているだけなのかもしれない。
そうして、今日もじたばたと生きる。

2011年9月1日木曜日

五時に夢中

東京MX1テレビ。
月から金までの午後5時から放送。
土曜だけ午前11時から。それでも「5時に夢中」

司会は逸見太郎。
あの名アナウンサー逸見政孝の息子だ。
日替わりのレギュラー出演者が濃い。

マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブを始め
北斗晶、美保純、玉袋筋太郎(凄い芸名だ)などなど。
極めつけは岩井志摩子の木曜日。
とにかく下品。でも面白い。

「夕刊ベスト8」(半端だ)のコーナーで
何かにつけて下ネタに、そして自分の彼氏の自慢話に持って行く。
司会の逸見キャスターと女性キャスターは困惑すのだが、お構いなし。
明らかに番組の売りは、あけすけで生々しい語りなのだ。

北斗晶とレギュラーを組んでいるタレントのちはる。
以前、中国の新幹線事故後に列車を埋めた暴挙について一言。
「日本の原発も似たようなものだから、あんまり言えないな」
「うーーーーん」侮れない、そう思った。
自分にはあの暴挙と日本の原発事故を並べて考える視点が無かった。
でも「安全神話」の強引な形成や、事故後の対応を見ると
どっちが暴挙なのかと思った。日本の方が酷くないか。

民放大手でこんな発言をしたら、一発降板ではないか。
そういえば某テレビ局を降板させられた北野誠も時々出ている。

でもあくまでも、「5時に夢中」のウリは下ネタと下品さである。
僕はどちらかと言えば「上品」なのだが、
下ネタも下品も嫌いではない。
かつて同僚だったテニス仲間に
「こんな下品な芸術家は見たことがない」
と言われたことがある。

失礼だな~、上品な芸術家に向かって・・・・。

*お詫びと訂正
「中国新幹線と原発について」の発言はタレントのちはるではなく
月曜日担当のトレーダー若林さんでした。
お詫びして訂正いたします。

2011年8月27日土曜日

アニマリス・リノセリス

風を受けて、透明で筒型の羽が高速で回転する。
ギアの回転が駆動部に伝わる。
前後12本の足が交互に上がり下がりする。
ゆっくりと。
そして、前進をはじめた。

名前は「アニマリス・リノセリス」。動物のサイを意味するらしい。
「大人の科学」の付録で組立式のプラスチック教材 だ。
教材。まさにオモチャじゃなくて教材なのだ。
まあ感覚的には限りなくプラモデル作りに近いけれど。

随分とむかし。
月に一度、小学校の体育館にその販売業者はやってきた。
「学研の科学と学習」だ。
勉強の嫌いな僕は「科学」しか買わなかった。
普段、雑誌や漫画本を買ってくれなかった両親が
「学研の科学」だけはお小遣いをくれた。

娯楽の少ない当時の田舎である。
「学研の科学」は東京の文化がそのまま来た
くらいのインパクトがあった。

毎号楽しみにして様々な付録教材を組み立てたのだが、
記憶に残っているのは「羽ばたき機」と「カメラ」だけだ。

「羽ばたき機」はゴム動力で羽ばたいて見事に飛んだ。
この感動は忘れられない。
「カメラ」はピポイントカメラなのだが、
何度試しても何も写らなかった。
あまりにガッカリしたのを記憶している。

オランダのアーティスト、テオ・ヤンセン。
彼の風で動く巨大な彫刻‘ビースト’を
初めてテレビで見たのは10年以上前だったろうか。
日テレの「世界まるみえテレビ」だったと思う。
複雑に組み立てられた夥しい数の樹脂性パイプ。
それが風を受けて動き出す様は圧巻だった。

それに目を付けて「大人の科学」で教材化した学研は偉い。
「大人の科学」自体が昔の「学研の科学」世代を標的にしている。
僕が夢中になった「羽ばたき機」も復刻していた。
テオ・ヤンセンの「ミニ・ビースト」もある。買おうっと。

忙しい上に気管支炎で体調が思わしくない8月だった。
「アニマリス・リノセリス」のお陰で
夏休みの工作を完成した達成感があった。

2011年8月25日木曜日

激しい雨が降る

扇風機の回る音
雨樋を通って水の落ちる音
はぜるような雨音

午前9時半の暗い室内
1000円ショップの間接照明
ペットボトルのお茶「伊右衛門」

花まるマーケットの料理紹介
人参のポタージュスープ
胡瓜と生姜の春巻
圧力鍋で作る豚肉のスペアリブ

今日は豚汁と豚丼にオクラ・大葉・胡瓜ミックスを載せようか
朝御飯は温めなおしたホットケーキ
牛乳を混ぜて作る冷たいポタージュスープ

大人の科学・別冊
テオ・ヤンセンの「ミニ・リノセロス」
組み立てると風で動く彫刻

今年の夏は終わろうとしている
個展の計画を進めなかった
まとまった制作はほとんどしなかった

昨日の夕暮れ
不思議な雲がさっと現れて
さっと消えていった

夕食は美味香の中華料理
「美味しい」と北京語で言ったら
台湾出身の奥さんは
「とても驚いた」と日本語で言った

帰り道からポツリポツリと雨
雨はやがて強い線を描き
それは束になった

そして今も激しい雨が降る

2011年8月21日日曜日

丙申堂(旧風間邸)

もう随分昔のことになる。
青梅市の小さな図書館に「日本の民家」全集があった。

大判の美術全集の趣。
現存する江戸期からの民家が
北は北海道から南は沖縄まで収集されていた。
全何巻だったのかは憶えていないが、
写真や図版を模写した。それらは今でも取ってある。

建築史家の藤森照信の本を読むまで、
近代建築の原点が日本建築にあるとは考えていなかった。
けれど大好きなモンドリアンの絵と
憧れの桂離宮の造形美には何らかの共通点があるなと感じてた。

日本の民家の障子の格子にも共通点を感じていた。
様々な民家にはそれぞれ独自の格子の様式があった。
それを酒田市の鐙屋や旧本間邸で実物を見ることができた。

二泊三日の最終日。
鶴岡に戻って丙申堂・旧風間邸を訪ねることにした。
風間は母親の旧姓である。何か繋がりがあるやも知れない。

本間邸ほど期待していなかったのだが、
邸内に入るなり保存状態の良さと格式に驚いた。
雰囲気というか、佇まいが何とも言えずに良いのだ。

聞けば、海運業や銀行を興した風間氏は越後の出身。
母親と同じ一族の可能性もあると、案内の人から聞いた。

廊下のように長く続く土間が石畳。
土壁も漆喰も梁も基本的に建築当時のままだというが
何処にも傷んだところが見当たらない。
よほど大切に保管維持され、修復されていることが分かる。

奥に進むと20畳はあろうかという板の間。
二階までの吹き抜けの梁には三角形のトランス構造になっている。
台所から繋がる後2階は住み込みの大工さんの部屋だという。

玄関へ戻って、前二階へ上がる。
石葺きの屋根と中庭が見える。何とも美しい。

戦災を免れた鶴岡や酒田には多くの文化財が残っていた。
加えて、豊かな自然と修験道など日本独自の宗教文化。
山形の旅は実りの多い旅だった。
(終)

2011年8月19日金曜日

パンドラの函

太平洋戦争終戦(敗戦)に関する特番があった。
二つの番組に惹かれた。

一つはある米国人将校の話。
彼は軍人でありながら、広島・長崎の惨状を知り、
核兵器廃絶を訴え、そのための活動を続けた。
在軍中に彼の意見を取り入れる者は居なかった。
その後、日本の平和式典にも参加し、
亡くなるまで様々な活動を続けた。

もう一つは日本陸軍の小隊の話。
スパイとおぼしき中国人の少年を
処刑するか、解放するか論議になった。
彼らはその少年を保護しかくまうことにした。

少年と小隊の隊員の間には不思議な友情が芽生え、
爆弾で片眼を失った少年に、隊員達は義眼を買って与えた。
敗戦で強制送還されることになった小隊に、
少年は別れを告げに会いに来たという。

いずれも自分の不利益や危険を承知で、
人間としての志操の高さ、尊厳を大切にした例だろう。

けれども同時に人は弱いものでもある。
自らの欲望に弱い。地位や名誉に弱い。権力に弱い。
弱いからより弱い人を見つけ出し、時にいじめる。
自らの弱さを認めたくなくて、大きな組織や権力と同化し、
同化しない他の組織や権力を憎み、排除し、攻撃しようとする。

米国人の多くは広島・長崎の惨状を知らない。
日本人も多くが中国、朝鮮半島、その他の惨状を学ばない。
自国の悲劇に目を向けても、自らの汚点には目をつむる。

情報化社会と言われて長い年月が経つ。
確かに様々な情報が入手し易くなった側面はある。
しかし多くのマスコミが自社の利益(マスコミ収入)のため、
権力におもねず、情報の共有と透明性を守ることをしなくなっている。
戦前の日本社会の反省は生かされようとはしない。

人は歴史から学ぼうとせず、
私は私の弱さから目を背け続けている。
それでも非常時に尊厳を持った人たちに学びたいし、
パンドラの函の底には希望もあるのだと思いたい。

2011年8月7日日曜日

狐とカーナビゲーター

山形の旅の主な目的は3つ。
羽黒山の五重塔。高橋兼吉の洋館建築。
そして旧本間邸を始めとする豪商の館。

一日目に羽黒山五重塔と三神合祭神社を見た。
二日目は洋館建築を見て旧本間邸などを見るつもりだった。

洋館は取り壊しを免れて、致道博物館に移築されていた。
思ったよりも保存状態が良くなくて、
建物内部が往時のままではないのが残念だった。
それでも高橋の「旧鶴岡警察署」と「旧西田川郡役所」や
築100年以上の合掌造りの農家を堪能した。

昼食後に、庭好きの母が喜ぶだろうと思いつきで行った玉川寺。
(「ぎょくせんじ」と読む)閑かな山里にあり、予想を超える素晴らしい庭。
木々も池も石も全てが良かった。参拝者は母と僕の二人だけだった。
それでもお寺を囲む回り廊下には朱色の毛氈が敷かれていた。

鮮やかな庭の緑と毛氈の朱色。
それらの対比を楽しみながら、お菓子付きの抹茶を堪能した。
抹茶の温度も程よくて、お菓子の甘みと茶の苦みが心地よかった。
山形の奥深さが味わえた思いがした。

酒田市の旧本間邸に向かう。
「この道はさっき通った道らて」母が言う。
「そうらな・・・」
しかしカーナビの通りに車は動いている。
狐に化かされたのだろうか。
ナビは同じ道をぐるぐると回れと指示している。
三回同じ処を回って、ナビの指示を無視した。
漸く、酒田へ向かう。30分はロスした。

その後も狐との闘いは続いた。
僕のカーナビ入力ミスが輪をかけた。
鐙屋を旧本間邸と間違えて入った。
やっと旧本間邸に着いたのは閉館の30分前だった。
(あと一回つづく)

2011年8月3日水曜日

テロと文化多元主義

今日のニュース。
ノルウェーで銃乱射事件を起こした容疑者が
弁護士に日本人を要望したという。
理由は日本が文化多元主義では無いからだと聞いた。

ノルウェー人なのに、日本人の弁護人を頼むこと自体、
彼自身が文化多元主義者であることを示している。
第一に日本人はキリスト者は少ない。
しかも、多くのの日本人は文化多元主義者である。
キリスト者で無い可能性が高い他国の人を信頼するとは、
これほどの文化多元主義者は居ないと思う。

初詣へ出掛け、豆まきをする。
バレンタインデーにそわそわとして、
世界に唯一のホワイトデーを持つ。
若い人はハロウィーンも楽しむ。
彼岸や、お盆にお墓参りをして、各地方のお祭を持つ。
そしてクリスマスに、とどめが除夜の鐘。
花見や紅葉狩りも日本的なアニミズムと言えないか。

信仰はあるが宗教の無い国。
日本の何処が単一文化なのだろうか。

僕は日本には確かに独自の文化が存在すると思う。
それを素晴らしいと思うし誇りにも思っている。
しかしそれは同時にどの国と比べても
相当な多様性を有していると考えている。

隣の超大国、中国から影響。朝鮮半島からの影響。
南方文化、渤海、南蛮と呼んだ西洋。
それらを取捨選択しながら、
自らを創り上げた文化、文明。
それが日本という国ではないだろうか。

日本人の顔つきを良く見ればその民族の多様性も
容易に理解できる。
中国北方、中国南方、朝鮮半島、シベリア系、
モンゴル系、ポリネシア系、など回りを見渡しても、
テレビや雑誌で顔を見てもその違いが分かる。
頭蓋骨を分析すると、かなり正確にその人の
民族的ルーツを知ることが出来ると聞いた。

僕の瞳はカラコンと間違われるほど緑色に見える(らしい)。
でも僕の知る限り、西洋人に近親者は居ない。
遠い昔のご先祖様の一人が、ロシア人だったのではと推測している。
なに、みんな元を辿れば日本列島の外から来たわけだ。

単一主義というやっかいな妄想。
これも近代の持つ闇と無関係なのだろうか。
僕には良く解らない。

分かっているのは単一の考えしか認めない人の、
浅薄さと狭小さと傲慢さである。

2011年8月2日火曜日

羽黒山の五重塔

羽黒山の山門は佇まいが素晴らしい。
山門から杉林に囲まれた下りの階段が素晴らしい。
聞けば、ミシェランの観光ガイドで、
3ッ星を取っているのは、
羽黒山の杉並木の階段と松島の海岸だけだと言う。

まことに不思議な空間だった。
階段を下り切ると、
さほど広くない空間に幾つもの小さな祠。
様々な神々が祀られている。

川に架かった朱色の太鼓橋を渡る。
右手に岸壁があり、細い滝が流れ落ちている。
滝の前には二つの祠。
一つは滝そのものを(恐らく龍神を)祀っている。
祠に近づき、奥を覗くと、
ご本尊の滝そのものが祠越しに見える仕掛け。
ベリー、ジャパニーズ。凄くいい。

少し坂道を登ると、左手に千年杉のご神木。
今少し進むと、左手に石畳の参道があり
念願の五重塔が浮かんで見えた。
カナカナ蝉の鳴き声が、まことに見事なバックミュージック。

石畳の両脇にはやはり20mはあろうかという杉並木。
中心には堂々たる白木造りの五重塔。
全体が夏の木漏れ日にキラキラと輝いていた。
想像を超える威風堂々とした存在感。

本堂も金堂も持たない異質な様式。
白木で造られた(普通は漆などで彩色する)
唯一の五重塔だという。国宝に指定されている。

資料には明治期の「廃仏毀釈」の嵐から
この建物を守るため、仏塔でななく
神社の一部にしたのだという。
よくぞ守ってくれた。ありがとう、当時の人たち。

加えて庄内の山々は
古くからの修験道の聖地であったことも見逃せない。
「本地垂迹説」見事な神仏混合である。

五重塔を正面に右手にも道が延びている。
突き当たりから左手を見ると長い石の階段があった。
母は断念したが、僕は昇ってみたい。
母はゆっくり散歩して戻ると言う。あまり待たせられない。

階段を踏みしめる。
上から「ホーホケキョ」の鳴き声。カナカナ蝉の声に混じり合う。
やはり石階段の両脇を囲む杉並木が美しい。
しかし昇りは半ば急峻で息が上がる。

長い石段を10分は登っただろうか。
左手にお茶屋が現れた。休憩しよう。
羽黒山のミネラルウォーターを買う。とても美味しい。
お茶屋の前は崖になっており、
そこから庄内平野、そして日本海が一望できた。
(続けるのかな)

2011年7月31日日曜日

庄内への旅

山形を旅行した。
母親と二人、車の旅。

随分前に羽黒山の五重塔を見てから
訪ねてみたいと思っていた。

JR東日本、新幹線の無料雑誌「トランヴェール」
3月号の特集が「庄内建物巡り」だった。
雑誌には件の五重塔があり、旧豪商の館があり、
そして高橋兼吉なる宮大工の棟梁による
明治期の洋館建築が幾つかがあった。

「そうだ、山形へ行こう」
山形ならば運転があまり得意でない僕でも、
さほど遠い距離ではない。
一昨年大河ドラマ「天地人」を見てから、
新潟と山形の繋がりみたいなものが感じられた。

出掛ける直前に台風が日本列島を横断しており、
先行きが危ぶまれたが、杞憂に過ぎなかった。
台風一過。素晴らしい青空。
しかも湿度が低く、気温は高いが心地よい。

新潟と山形の間には高速道路が完備されていない。
海沿いに山形へ北上すると、高速を降りて一般道へ入る。
やれやれ、と思っていると眼前に海の景色。
岩が増えていくと景観が一変した。
「笹川の流れ」だと母が言う。「昔、来たことがある」

大きな小山のような一枚岩が点在する雄大な海岸。
水は今まで見たどの海よりも澄んで美しいブルーだった。
対岸には粟島が大きく見えた。
よい旅の予感がした。

鶴岡市に到着したのは12時を回っていた。
観光局を訪ねて情報を得てからと考えたが、時間が惜しい。
昼食もそこそこに羽黒山に向かった。

大きな杉林に囲まれた、羽黒山の山門は晴天なのに肌寒かった。
山門から下りの階段を眺めただけで、
ここは大変な処だと、そう感じた。
(つづく)

2011年7月28日木曜日

はかなさ

先週の土曜日、実家で新潟日報を読んだ。
小さな記事が目に止まった。
英国現代画家ルシアン・フロイト死去。
たぶん、89歳。
フロイト氏は高名な心理学者である
ジークムント・フロイト氏を祖父に持つ。

重厚で濃密なレアリズム絵画の巨匠で、
人物画を中心に室内画や風景を描いた。
現英国女王のエリザベス2世の公式な肖像画も描いている。

「砂丘の写真家」で知られる植田正治。
評論家の草森伸一氏が彼の写真の持つ
「はかなさ」についてを書いていた。

写真は瞬間を切り取ったものであり、
その意味ではどの写真家の写真も
はかないものだと言える。

しかし、アメリカイエローストーンの渓谷を写した
アダムスの写真は堅牢に感じられる。
「決定的瞬間」を撮ったとされる
フランスのアンリ・カルティエ・ブレッソンも、
感じられのは「はかなさ」などではない。

植田の写真は造形性が弱いわけでは決してない。
むしろプリントの焼きに拘った彼の作品は
明暗対比が明確で、シンプルな背景に対して
対象となる人物やモノは強くはっきりとしている。

けれど現実を写しながら、
幻想性を取り込んだそのイメージは
シャープな蜃気楼のようでもある。

植田と同じ履き物屋のせがれである
写真家のアラーキーは、もっと対象に近づき迫っている。
そこに彼が言う「センチメンタル」が生まれるのだろう。
対象を愛しながら、距離を取る植田との違いだ。

亡くなったフロイトの絵が好きだった。
彼は人間の肉体を美しく描かない。
ヌードをごてごてとした肉の塊のように描く。
肉体の質感と重み、それらの存在感を描く。
まるで祖父に反して人間には内面など無いかのように。

しかし描かれた彼らの視線は定まらず、
虚ろな、心の有り様が堅牢な鎧のような
肉体の後に見え隠れする。

抽象画家のモンドリアンやロスコと言いフロイトと言い、
僕には決して表現できない、することさえない
そういう作家たちに憧れる。

それでも自分が表したい世界は、
はかなく、移ろいやすい世界に違いない。

2011年7月18日月曜日

中心と周辺(近代主義について)

画家モーリス・ドニの有名な言葉。
「絵画とは人物とか風景、静物である前に、
一定の秩序で集められた絵の具の集合に過ぎない」

この言葉が新印象派(点描派)の産み出す
契機になったとも言われるし、
抽象画や20世紀アートに影響を及ぼしたとされる。

藤森氏の本でモダニズム建築は日本の伝統建築の
影響を経て、柱による自由な平面図を獲得できたとあった。

絵画はどうなのだろうか。
マネやモネ、ドガ、そしてゴッホにゴーギャン。
いずれも名だたる浮世絵コレクターであり、
その影響を自らの絵画に生かして人たちだ。

欧州の人たちは驚いた事だろう。
数色に見える限られた色に、はっきりとした輪郭。
色彩は極めて鮮やかに思われただろう。
そして無意識に気付いたのではないか。
絵画の本質は平面であること、
それを構成する究極の要素は線と色彩なのだと。
まさにドニの言葉と一致しないだろうか。

もう一つ言うと江戸時代の文化・化政年間は
世界史上初めての民衆文化を持った時代だった。

イタリア・ルネッサンスは、
一部の貴族と富裕層による文化だった。
古代ギリシャ・ローマは奴隷制の上での市民社会だった。
(それを差し引いても凄いことは凄いのだが)
17世紀オランダの市民文化も富裕層の為のものだった。

浮世絵の値段は掛け蕎麦一杯とほぼ同額だったと聞く。
滑稽本も庶民に親しまれた。(女性も読んだ)
歌舞伎や寄席など演芸文化も花開いた。
(日本の庶民文化はこの時の形態が現在まで続いている)

アンディ・ウオーホルのポップアートは
江戸浮世絵文化の変形に思えてくる。

もう一つ20世紀の美術を作った大きな力、
キュビスムはセザンヌの絵画とアフリカ彫刻の影響を受けた
ピカソと盟友ブラックによって始められた。

欧州のモダニズム文化は日本やアフリカなど
欧州から見れば周辺の影響で作られたと言ってもよい。
まあ、中心と周辺と言う概念も甚だしい勘違いなのだろうが、
近代主義の主流は欧州であったのに、
主流は傍流によって刺激を受け、活性化して
その姿を変えて行くのだろう。
(つづくかな)

2011年7月12日火曜日

生きていく風景

ビッグイシューの連載コラム。
「自閉症の僕が生きていく風景」
筆者は東田直樹。

このコラムを読むようになって、
自閉症の人が抱える悩みや、
彼らの言動に対する無理解が
自分の中に強く在ったことを理解した。

電車の中で喋り続けたり、
奇声を上げたりするのは意志によるものではなく
むしろ、彼らの身体的・精神的な特徴によるものだと知った。
だから止めたくても止められないのだと。

第32回のタイトルに
「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とある。

僕はかつて付き合いのあった人に、
あなたは時々精神的障害のある人に見える
と言われたことがあった。
電車の中で常識では考えられない言動をしているのだと
そう言われた。

思い当たるところがあった。
昔から堅苦しい儀式が苦手で
奇声を上げたい気持ちを抑えていた。
訳もなく暴れたくなったり、
奇行をしようとするイメージが沸く。
今でもほぼ毎日そうだ。

実際には抑えられる訳だから、
自閉症の人とは違うし、
その苦しみは想像でしか分からない。

「人よりも光や水や砂に惹かれる感覚」とは違うのだが、
人と同じようにそれらに惹かれる感覚はある。

人間絶対主義の人と話すと間違いなく変人と見られる。
いや確かに変人かも知れないが、
人間絶対主義傾向の人も単に自己愛が強いだけだったりする。
要するに「自分という人間を絶対分かって欲しい」
人間絶対主義なのだ。

男と女は随分と違う。
男同士、女同士でもそれぞれが違っている。

自閉症の人も、そうでない人も、その中間に居る人も
それぞれが問題を抱えている。
問題の多くは脳が勝手に創り出している。
僕らはそれに日々振り回されている。

生きていく風景はそれぞれが異なっている。
異なっていることを異なっているものとして
受け入れられたらいいな。
自分を許すように人のことを許せたらいいな。
そんなことを思ったりする。
許すも許さないも無いんだけどね。
本当はね。

2011年7月10日日曜日

モダニズムの起源

建築史家で建築家の藤森照信。
彼の書いた「人類と建築の歴史」を読んだ。
大変面白く、興味深い本だった。

驚いたのはモダニズム建築の起源。
藤森はシカゴ万博の日本館だという。
それを見て感動したフランク・ロイド・ライト。

かれが日本館の建物、
平等院鳳凰堂を模して作られた建築にについて論じた本。
それがヨーロッパに渡り、
バウハウスのミース・ファンデル・ローエ、
ウオルター・グロビウスらに多大なる影響を与えたという。

19世紀までの欧州建築は歴史主義で、
インターナショナル様式と呼べるようなものでは無かった。
つまり、古代ギリシャ、古代ローマなどのスタイル。
それが20世紀の最初の30年で全く変わったらしい。
構造的にも壁で建築していた西洋に対して、
平等院様式の、柱で建築を組み立てるブランは画期的だった。

個人的には「日本美の再発見」を書いた、
独逸の建築家ブルーノ・タウトの功績もあると考える。
彼が賞賛した京都の桂離宮。
極めてシンプルな造形はまさにモダニズムに通じる。
彼の著作は欧州でかなり知られたらしい。
当然これらもバウハウスに影響を与えただろう。

もう一つはキュビスムの影響。
全てのフォルムを幾何的に単純化すること。
単純化した形を面として扱うこと。
面と面の組み合わせをずらしたり、
離したり自由に行うこと。

藤森氏によれば日本の影響を受けた上で、
数学的な幾何学を用いたことが、
モダニズム建築の基本となったという。

これを読み終えた時、
建築に先立って19世紀の印象派美術に対して、
日本の浮世絵版画が与えた影響が頭に浮かんだ。
(つづく)

2011年7月6日水曜日

リア王

水曜日に携帯電話を無くした。
今年に入って2回目。
一度目は西武拝島線、玉川上水駅の車両の中。
翌日に見つかった。

自分の携帯に電話した。
聞き慣れた男の人の声。
夕飯に寄った、思い出横町の定食屋のマスター。
落ちていたのを拾って預かってくれていた。

昨日、1週間以上見つからなかった絵日記が出てきた。
毎日、デタラメな英語と緩い絵を描いていた。
諦めたかけた処に職場の段ボールから発見。

去年から落とし物が悉く見つかっている。
エレキギター、(落とすなよ、オレ)他数点。
ほとんどが電車の中。たいていは酔っている。

その前の数年間、落とし物は必ず紛失していた。
メガネが2点、帽子は5,6個、傘多数。
メガネは電車の途中に無くしているのだが、
何故か出てこなかった。

他にも手提げ袋や何か。
見つからない周期と見つかる周期。
何故だが解らないがそんなものは在る。
まるで、ギャンブルにおけるツキの波のように。

短い一時期のギャンブル体験。
毎日のようにパチンコ屋に通い、そこそこ勝っていた。
ある日から連日負けるようになり、
ただでさえ苦しい学生の身分なので止めた。

先日読み終えたシェイクスピアの「リア王」。
小学校の予餞会の劇がなんとリア王だった。
オレはリア王の末娘、コーディリアと結婚する
フランス王の役で、同級生の紀美子がコーディリアだった。
予餞会当日。シェイクスピアの四大悲劇の一つなのに、
何故か客席は爆笑の嵐。田舎の小学生がリア王だもんな。
オレなんかがフランス王と思ったら笑うよな。

信じた長女、次女に裏切られたリア王。
最後は錯乱の上に死ぬのだが、
かつて王であった自分をただの老人だと自覚する姿が良い。

マクベスもそうだが、
人間を見えない運命に翻弄された存在と描く。
本当は翻弄も何も無く、あらゆるものが移りゆくだけなのだろう。

携帯を無くしたくらいでオタオタとする、
そんな自分の愚かさを嗤おう。
しかし、暑いねーー。

2011年7月3日日曜日

ポスト・モダニズム(近代主義について)

大学時代の現代美術論の教授。
美術評論家の藤枝晃雄氏。
授業は勿論だが、著書でも影響を受けた。

名著「ジャクソン・ポロック」。
「現代美術の展開」や「現代美術の彼岸」とともに
自宅の本棚に今でもある。

「日本は生まれながらのポスト・モダニズムで
モダニズムが欠如している」とかつて指摘されていた。
氏は日本の美術は文学的な色彩の濃い
シュルレアリズムの影響が根強く、
モダニズムの主流たるキュビスムや抽象絵画の系譜
が発展してこなかったという。

ポスト・モダニズムと言えば建築。
その先鞭をつけたのが建築界の巨匠フィリップ・ジョンソン。
彼はモダニズムの延長線にあったミニマリズム。
その標語であったLess is More.
「(より)少ないことは(より)豊か」といった意味か。
それを Less is Bore.と言ったジョンソン。
「(より)少ないことは退屈だ」という意味だ。
ジョンソンはモダニズムの様式に
西洋の古典要素、古代ローマや古代ギリシャ、ゴシック様式、
それらを取り入れることで現代建築の流れを変えた。

藤枝氏の言うモダニズムには
哲学者カントからの「根底を問う」といった
還元主義の思想がある。
絵画の構造や要素を明らかにして
「絵画とは何か」を問い続ける。

ダーウィンの進化論がそうだが、ルーツを辿ること、
集合論に基づいて分類すること、
これらにモダニズムの秘密がある。

絵画においてはモンドリアンの新造形主義を例にとろう。
絵画を線と色彩という要素に還元して、
その組み合わせによって絵画を成立させる。
水平線と垂直線は黒。色面は赤・黄・青に白。
それ以外を持ち込まないし、認めない。

でも、何故そのような考えに取り憑かれたのか。
そこが解らないと、モダニズム、近代主義の秘密は
解き明かされないと思うに到った。
(たぶん、続く)

2011年6月30日木曜日

LET’S TRY AGAIN

夏風邪にやられた。
先週の木曜の朝に喉がおかしかった。
金曜の朝は喉の痛みで目覚めた。

土曜日の朝に医者へ行き、
まる2日間寝込んでいた。

毎年、6月に変調をきたす。
職場が新宿に変わって4年目。
昨年は酷い口内炎。
一昨年はやはり夏風邪。
3年前は目の異常があった。

分析してみると、幾つかの事実に気付く。
昔はゴールデンウイーク明けには仕事が一段落した。
今は6月を過ぎてもバタバタと忙しい。
おまけに6月には祝日がない。日は長い。
青梅市テニス大会と東京片貝会がある。

6月最後の日に休みが取れた。
先週買った、チームアミューズのDVDを観た。
桑田佳祐が大震災復興支援で企画し、
アミューズ事務所所属のミュージシャンや俳優、
コメディアンらが参加した音楽映像作品だ。

福山雅治はやはり男前だなー、パヒュームは可愛いな。
ビギンの歌はいいな、三宅裕司は根っからの喜劇人だな。
などと、「がんばれ日本」が嫌いなくせに、楽しめた。
たぶん、本業の歌や演奏、演技で本気で応援しているからだろう。
それが、公共広告の「がんばれ」とは違うのかな。
企画の意図と桑田のプロデュースの力かな。

勤勉は日本人の美徳なのだろう。
でも勤勉を旨とする人たちに、「がんばろう」は時に酷だ。
精神科医のなだいなだも書いていた。
世界第2位の自殺大国ニッポン。
「がんばらない」勇気の必要性。

夏風邪に罹る三日前、
墨汁で紙に「がんばらない」と書いて壁に飾った。
がんばらない、でも続けること。
さぼりながら、じたばたしながら。
生きることを続けている。

2011年6月28日火曜日

近代主義について

不思議に思う。
それもかなり頻繁に。

日本の近代化とは何だったのか。
そもそも(遅れていた)西洋が強大になった
近代主義とは何か、長年の疑問だったのだ。

理由は簡単だ。
僕らが近代化社会に生きている現実があるのに、
近代主義が分からないのは、
自分の生きている時代の根本が分からない、
そういうことになると考えていたからだ。

ある年齢になると自分の国の歴史、地理、文化について
特に意識するようになった。

自分は西洋絵画を基本とした表現を追求しているのに、
その背景がまるで分かっていない、そう気付いた。
同時に日本についてどれだけ理解しているのか、
ほとんど分かっていないというのが実感だった。

自分が住んでる住まいや着ている服、
使っているモノ、目にするあらゆる人工物。
あらゆるメディア、広告や印刷物、勿論アートも。

文学も音楽も、演劇、映画、デザイン、そして美術。
これらは近代主義とどう関わっているのか。
日本いう国の風土や文化とどう関わっているのか。

極端に言えば、私たちの生活の中で
近代主義と無縁なものの法が少ないのではないか。
では近代主義とは何か?
(続く)

2011年6月23日木曜日

スタンダードナンバー

最近、オアシスやコールドプレイを聞いている。
十代の洋楽好きの男子からオアシスが良いと聞いたからだ。

考えてみれば、オールディーズばかりを聴いてきた。
最近買ったCDはビリー・ジョエルのベスト盤、
ビージーズのベスト盤、後は何とかジャパンてヤツ。
震災復興支援のCDだが聴いていない。

オアシスやコールドプレイはそれなりに気に入った。
毎朝、朝食を作りながら、お風呂に入りながら聴いた。

職場の洋楽に詳しい先輩に、
オアシスとコールドプレイを聴いていると言ったら
怪訝な顔をされた。そして一言。
「僕は彼らの曲がスタンダードになるとは思えないんだ」

厳しいなと思ったが、鋭いなとも思った。
彼らの曲にも当然スタンダードナンバーはあるだろう。
CMにも使われた曲は耳に覚えがあるし。

12日日曜日の午後三時。
午前中の仕事を終えて航空公園に行った。
ビートルズセッションの仲間と公園セッションをやるためだ。
ビートルズセッションではビートルズしかやらない。
後は彼らがソロになってからのナンバーだけだ。

この日は好きな曲と言うことで、
ビートルズが多かったが、イーグルスやニール・ヤング、
デレク&ドミノスにモンキーズなんかもやった。S&Gも。

DAY DREAM BELIEVERとかやってて思った。
やっぱりビートルズは難しいなと。
それは彼の曲の多くがスタンダードナンバーになってことが大きい。

みんなが細部まで知っている曲。これは大変なのだ。
オアシスのナンバーよりも音の歪みが小さく、
ほとんどの音がクリアーなのも実はハードルが高い。

スタンダードは標準の意味だろう。
その時代の標準となるような作品を産み出すこと、
これは画家でも文学者でも大変なことだ。

へっぽこ絵描きの僕には
スタンダードを産み出すのは厳しいな・・。

2011年6月16日木曜日

夢の構造

●以前のブログに乾氏から夢についての助言を
受けたと書いた。
以下は、乾氏からの更なる補足である。
乾氏の了解のもと、ここに掲載します。●

夢に関しては、今までの経験や、本で読んだ話から、
自分なりの答を出しています。(19~20年前でしょうか)

ぼくの答えとしては、
アタマというのは、「高性能なバカ」なので、
一度、ある「連想」のクセが出来てしまうと、
しつこくそれを繰り返すことしか出来ない、
自分ではそれを修正出来ない、ということです。

その「連想」がどうして出来てしまったのかは、
それなりに何かの事情がある場合もありますし、
単に思いつきのような、デタラメの組み合わせの場合もあります。
アタマの方としては、何かで「近づいた」物同士が結びつくだけです。
で、一度結びつくと、それが固定して、連想の「クセ」になるわけです。

まあ、本当に単純な原理なわけです。
ただ、ものすごい速度なのと、絶対的に徹底しているので、
なかなかやっかいです。
自分では決して改めないですから。

   *

で、そのことを分かっているらしい人たちのエピソードを2つほど。

どこかの原住民の村では、夢についてはそれなりの技法が伝わっていて、
家族でも知り合いでも、自分の夢についてはオープンに話すそうで。

たとえば子供が、落ちてゆく夢を繰り返し見て目を覚まし、悩んでいると、
親は「今度その夢を見たら、どこへ落ちるか落ち着いて見ていてごらん、
やわらかい草の上かもしれないし、もっといい所かも知れないじゃないか」
などというアドバイスをします。

   *

いつの時代の、どこの男かは忘れましたが、
ちょっと昔のヨーロッパの貴族で、夢に関心を持って、
夢を記録したりしている男がいました。

そいつは、別に心理学の知識があった訳でもなく(時代が古いので)
ただ、自分の興味で夢を研究していたわけですが、
ある時、蛇の夢を繰り返し見るので悩んでいました。
自分の首のまわりに大蛇が巻きついている夢です。
そこで彼は、昼間の間、起きている時は
いつも自分の首に狩りのためのベルト(銃弾装着の)を掛けて
数日それを続けたそうです。
彼は、狩りが大好きだったようです。

すると、ある日また蛇の夢をみましたが、
首に巻きついていた蛇は、すぐにベルトに変わり、
その後、夢は楽しい狩りの場面になっていったということです。

   *

要するに、夢の中のバカ連想を、
昼間の意識の側から操作して変更してやったわけです。
そして、夢というのは、それだけのことです。

2011年6月14日火曜日

異邦人

 曇り空。
 記憶の中の街。100年前の海を想う。
 ラジオの音が漂う部屋。

 練馬区豊島園のアパート。随分と昔のことだ。
 ガラスの障子を見つめる。
 外は暗い。粗末なちゃぶ台。
 小さな白い冷蔵庫。
 
 ガラスコップにサッポロ黒ラベルの大瓶。
 肴には魚肉ソーセージ。
 湖池屋のポテトチップス。

 フォークソングの甘く寂しい調べ。 
 ぼんやりとビールの泡を眺める。
 外は雨が降り出している。
 
 一本目を飲み終えて、少しいい気分。
 2本目の栓を抜く。
 トクッ、トクッ、トクッと楽しげな音。
 濃い小麦色の液体。苦みが嬉しい。

 油絵の具とテレピンの匂い。
 重く湿った空気。壁にはムンクのマドンナ。
 模写したゴッホの晩年の自画像。
 ピカソの薔薇色の時代、サーカスの親子。
 彼らはみな黙りこくって、
 遙か遠くを眺めている。

 ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」が流れる。
 絵の中の人物も僕も同じ異邦人だ。

 2本目を飲み終えて、とてもいい気分。
 雨音さえもいい調子。
 ラジオしかない、四畳半の部屋。

 もう存在しない、記憶の中の世界。

2011年6月9日木曜日

詩人と絵描きと3匹の猫と

夢の途中で眠りに落ちた。

夢の中で百薬の長で飲んでいた。
勿論、右手にはグラスに日本酒。
目の前にはカウンターがあり、
皿にはモツ焼きがある。

左手にはモツを焼くマスターが居て、
向かい側にはよく知った常連が居た。

僕は睡魔に襲われ、酒を手にしたまま寝てしまった。
目が覚めると、また同じ席に居た。
幸い、グラスは落としていない。

酒を口にして、辺りを見回す。
いつもと同じようだが、何かが違う。
線路に面した窓の奥に
民家をデザインした灯りがある。
その外は線路脇で藪になっている。
しかしその店には奥座敷があったのだ。

「ここは百薬ではない」
「これは夢の世界だ」
そう思った瞬間に目が覚めた。

ぼくが奇妙な夢を見るのは、 
絵を熱心に描いていない時が多いように思う。
文章、とりわけ詩のようなものは特にそうだ。

巨匠ピカソはオルガとの離婚問題で揉めていた時、
絵筆を執らず、詩を書き続けた。
「尻尾を捕まえられた欲望」とタイトルがある。

「詩人と絵描きと三匹の猫と」
パウル・クレーの絵のタイトルだったか・・。
たぶん、そうだと思う。

2011年6月5日日曜日

ROSE CAFE

 国分寺のイングリッシュガーデン
 ‘ローズカフェ’へ出掛けた。
 たぶん、6年ぶりくらいかな。

 まだ営業を続けているか、
 定休日が何時なのか確認もせずに行った。
 5月の下旬。雨上がりの午後だった。

 久しぶりの濃い藍色の空。
 坂道を登って、真っ直ぐに進む。
 玄関がたわわなバラの樹木に埋もれそうな
 ローズカフェがあった。

 近づいて驚いたのは、薔薇の花の豊穣さだけではない。
 昔のひっそりとした店内とは格段の違い。
 ほとんどが中高年の女性のお客で店内はほぼ満席。
 代休で平日の午後に行ったのにである。

 それでも珈琲にクッキーを注文して、
 店の一番奥まった処にある野外テーブルに着く。
 カフェの裏側は丘の斜面になっている。
 その斜面全体が薔薇園になっている。

 目の前には薄いピンク色のたくさんの薔薇が
 空に向かって咲き誇っている。
 午前中まで降っていた雨の雫がキラキラと輝いている。

 クッキーを囓り、コーヒーを飲む。
 菓子の甘みとコーヒーに苦みが口の中で解け合う。 
 濃く暗く感じられる空と陽射しを浴びる薔薇たち。
 その姿は官能的でもあった。

2011年6月1日水曜日

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

 詩人の吉岡実。
 「四人の僧侶」には驚いた。
 若い頃、乾氏から借りた詩集にあった。

 彼のエッセイに「私の作詩法」がある。
 曰く「メモは一切しない」
 「机の上に紙と鉛筆を置き、
 白紙の状態から始める」などなど。
 
 
 そんなやり方でよく書けるものだと思った。
 良いフレーズやイメージが浮かんだら、
 普通は書き留めておきたくなると思う。

 作家村上春樹へのインタビューの本、
 「僕は夢見るために朝目覚めるのです」
 「ねじまき鳥のクロニクル」について聞かれて
 こう答えている。
 「主人公は三十歳の男。台所でスパゲティを茹でている。
 そこに電話が鳴る。それだけです。」
  
 「物語はもう一つの世界だ」と村上は言う。
 そしてその世界は確かに存在しているのだと。
 それは幼児の頃に、空を飛べると信じて
 真剣に空へ向かって跳躍した行為にも似ているだろうか。

 超越を信じること。
 宗教とは違う方法で。

 多くの宗教が持つ弱点は現世利益に応えようとする点だろう。
 あなたの不幸は前世の罪だ。
 こうすれば(寄進や布施など)幸せになれると。
 
 僕は自分が仏教徒といえるのかどうか分からない。
 けれど、仏教の持つクールな感じには惹かれる。
 怨憎会苦、愛別離苦など所謂「四苦八苦」の世界観である。
 そこに煩悩から離れられない凡人の人生が見える。
 決して成功や幸せを前提としていない。
 寧ろ、それらは全てまやかしだと警告する。

 芸術は、とりわけ優れた芸術は
 紛れもなく「もう一つの世界」なのだ。
 宗教よりも、より個人的な世界であり
 自分の内面と芸術の世界を繋ぐための一つの部屋とも言える。
 それは現実と戯れながら、現実とは違う世界だ。

 夢とは違うもう一つの夢なのかもしれない。
 そして僕はその夢を夢見ている。

2011年5月24日火曜日

穏やかな五月

 歌舞伎町の旧新宿コマ劇場脇の広場。
 昔は噴水が在ったところだ。
 
 六大学野球で勝利した早稲田の学生なんかが
 酔って興奮して、噴水に飛び込んだりしてたあの場所だ。

 雨の日の昨日、あの場所にいた。
 午後6時前。手には角瓶ハイボールとカシューナッツ。
 
 新宿コマ劇場は既に長年の活動に終止符を打ち、
 工事用のフェンスに囲まれ、解体を待っていた。
 コマ劇場地下のシアターアプルには何度か出掛けた。
 第三舞台やそのた友人の大高洋夫の芝居を見た。

 初めてディスコに入ったのもこの辺りだし、
 ジンギスカン鍋を初めて食べたのも、
 ビリヤードを初めてやったのもこの辺りだった。

 雨の日に傘を差しながら、ハイボールを飲んでる奴はいない。
 ウイスキーとソーダの味が喉と胃に心地よかった。

 作家の鴻上尚史、高校時代の同級生の荒木と
 ビリヤードをやった店はまだ残っていた。
 椿山荘で行われた大高の結婚式の後、
 吉祥寺で行われる2次会までの数時間をそこで過ごした。

 映画「薔薇の名前」を観た映画館
 シネマスクウェアとうきゅうも残っていた。
 角瓶ハイボールは美味い。

 「ここで寝たり座ったりしてはいけません」
 噴水跡の四角いコンクリートで固められた
 10数畳ほどのスペースにはそんな貼り紙があった。
 「煮炊きをしたりたき火をしてはいけません」
 「法律により罰せられます」

 カシューナッツを囓り、また一口酒を飲む。
 午後6時前、雨の歌舞伎町の広場で。

2011年5月21日土曜日

Day Dream Believer

 映画「いつか読書する日」の冒頭。

 架空の街を牛乳配達するヒロイン。
 まだ夜が明けていない街。
 牛乳を持って坂道を駆け上がる。

 ただその繰り返し。
 駆け上がり、駆け下りる。
 そのリズムが心地よい。

 暗い街に街灯だけが輝く。
 そんな道の合間を自転車で駆け抜ける。
 特撮も何もない。
 けれど魔法がかかったように
 非日常に見えてくる。
 不思議だ。

 ゴールデンウイークの中日。
 誘われて井の頭公園へ。
 ビートルズ研究会のメンバーと
 アコースティックセッション。

 花見でないのに、シートを敷いて座る。
 ビールに焼酎。お寿司にお総菜。
 飲んで食べて、弾いて歌う。

 'IF I FELL''AND I LOVE HER''I WILL'などなど。
 立ち止まって聴いてくれる人たちも居た。
 あいにくの雨で引き上げるまでの2時間。
 楽しい時間だった。

 こどもの頃の夏休み。
 プールの休憩時間。
 煌めく水面を見つめたり、
 プールの縁のタイルが乾いていくの見つめる。
 泳いで疲れた身体のせいで、頭も少しボォーーとしている。
 目の前光景がまるで白日夢のように感じられた。
 
 次の公園セッションは6月12日日曜日。
 場所は所沢市航空公園。
 ビートルズの他にモンキーズのDay Dream Believer
ニール・ヤングのHelplessなんかを演るつもりだ。

2011年5月19日木曜日

自分という物語

 昔のことを思い出す。
 恥ずかしい過去や、くだらない自慢話。
 中一の時のバレンタインデーのチョコの数。

 先日、久しぶりに友人の乾さんと国立であった。
 ドイツビールを飲みながら話した。
 前の個展以来だから、2年以上経つ。

 「よしいさん。
 夢って気にする必要がないですよ。
 誰かの夢を見たり、厭なことを思い出したりしても
 そんなことに意味を見いだす必要なんかないです」

 どういういきさつで夢の話になったかは定かでない。
 でも、この言葉には得心がいった。
 もっと言えば、はっとした。
 そうか、気にすることなんか何もないんだと。

 夕べは凄く眠かった。早く布団に入った。
 瞳を閉じると眠すぎて、瞼の裏がじんじんとする。
 今までならば、そこで「ああ眠れない」と思った。
 寝られなくても構わない、そう思ってやり過ごした。
 変な夢を見て、目が覚めた。でも気にならなかった。
 ちょっと前まで厭な夢を見ると、
 その厭な感じが後まで残ったのに。

 気にならなくなること。
 これを夢の世界だけでなく、昼の時間にも応用出来ないか、
 2,3日前にこう思うに到った。
 
 自分は捏造されている。
 数々の思い違い、勘違い、妄想で構築されている。
 ならば今現在の自分の世界、自分の周りの世界
 この二つに区別があるのかも定かではない。
 そんな不確かな世界について、 
 思い悩んでも致し方ない、そう思った。

 だからと言って何が変わった訳でもない。
 ただ夢をただの夢と知ったことに似ている。
 世界は世界だ。自分は自分だ。
 それ以上でもそれ以下でもなく、 
 僕が日々をただじたばたと生きる
 そのことに何の変わりはない。

2011年5月8日日曜日

ありきたりの狂気の物語

 生きること。
 とりあえず夜になると練ること。
 実際には眠れなくてもかまわない。

 重要なことは部屋があり、寝具があることだ。
 眠れなければ、
 目をつむって妄想でも思い出にでも浸っていればよい。

 朝に起きたら、飲み物や食べ物が身近にあること。
 それらを飲んだり、食べたりする肉体と精神を持つこと。
 酷い二日酔いの朝は食べることは困難だ。 
 怪我や病気でも飲んだり食べたりが困難になるだろう。

 そしてそれらが「美味い」と思えたら、
 まさにそれが「生きている」ことではないか。
 ものを食べたり、飲んだりして
 それが心地よいときは、間違いなく元気だ。
 お酒が旨ければなおのこと良い。

 僕らは、多かれ少なかれ自らの病と付き合う運命だ。
 病には心のそれも含まれている。
 狂気はいつもの私の背後で隙を伺っている。
 それを「ダークサイド」と呼んでも良い。
 「フォースの暗黒面」と書いてもいい。

 ダースベイダーの苦しそうな息づかい。
 それは僕の内側から聞こえてくる。
 「フォーーーーッファーーーーッ」

 排泄が快調なこと。
 以前、前立腺が炎症を起こしただけで、
 尿がでなくなり、辛かった。
 循環器が働かなければ、我々は死を迎えるしかない。

 「死の天使」は私の直ぐ上をぐるぐると回っている。
 見たことは一度もないが、天使の眼差しは感じることがある。
 
 そして一日が終わる。
 その一日の終わりに、ギターを弾き歌い、ブログをしたためる。
 英語絵日記を描いたり、スケッチをしたりする。
 そんな一日の終わり。

 「おやすみなさい」と誰かに言えること。
 もしくは自分につぶやくこと。
 「おやすみなさい」

大丈夫か、ヨシダ

 週刊現代が凄い。
 前から時々は読んでいた。
 新潟の実家に帰ると、親父が買っていた。
 駅の中吊り広告を読んで久しぶりに買った。

 原発関係の記事が満載。
 テレビや新聞では見ることのない内容。
 東電とマスコミ、官僚と政治家。
 四位一体の人災の様相。

 今日、電車で読んだ夕刊フジ。
 何故か東電のトップは東大文系、
 法学部か政治経済学部に占められていると言う。
 これは銀行にも当てはまるそうだ。
 ふーーーん。学閥で情報や権益を独占している訳か。

 ACのCM批判も心地よかった。
 「がんばろう日本」「ひとつになろう日本」
 この広告に異を唱えるのは僕だけではなかった。

 大本営発表への無批判と非国民の排除。
 戦前の日本の犯した行為から
 もう一度我々は学ぶべきではないか。

 雑誌「ビッグ・イシュー」
 「東北への義援金」声高に叫んでも、
 近くにいるホームレスの問題には無関心なのはどうか、
 そんな提議があった。

 週刊現代によれば東電の役員にも
 ヨシダさんのように身体を張って
 「事故後の原発」で頑張っている人もいるそうだ。
 本社とケンカしても現場第一ではたらくヨシダ。
 週刊現代はそんな彼にエールを送る。

 大丈夫か、ヨシダ。

2011年5月6日金曜日

綺麗なロバ

 万華鏡の中に映る
 綺麗なロバ
 
 大きな耳と大きな瞳
 赤い首輪には白や黄色の薔薇の刺繍
 馬の皮の鞍

 紫色の一輪車が綱の上を走る
 暗い藍色の天幕
 眩しいスポットライト

 道化師のパウロは
 泣きながら笑っている
 白と赤のストライプ
 だぶだぶの服が波打っている

 君の家に着いた
 まだ夜は明けていない
 君の窓に明かりはない
 街灯の明かりをじっと見つめている

 綺麗なロバは輪舞を踊る
 万華鏡の中
 パウロが追いかける

 ショーは終わったのに
 まだ誰も帰ろうとはしない
 拍手せず立ちもせず
 皆うな垂れている
 帰り道は細く曲がった道

 舞台裏の綺麗なロバ
 一輪車乗りの少女を見つめる
 少女は万華鏡に夢中だ

 星の明かりは弱く
 月の明かりは強い
 綺麗なロバは月の女王に一礼する

 百草を食べる綺麗なロバ
 階段を昇る月の女王
 天蓋のベッドには金色の雨

 明日の雨を気にしながら眠る

2011年5月3日火曜日

grapefruit juice

 シュルレアリズム。
 超現実主義。
 夢や無意識の領域を
 自動書記やデペイズマン(配置転換)によって
 異なるもの同士を「出会わせる」こと。
 理性を否定し日常の奥に潜むものを露わにすること。
 19世紀になって、近代主義が支配的になった。
 それは「産業革命」とともに欧州に広がった。
 理性中心主義となり「迷信」「本能」「超越」と言った事柄は
 理性的ではないとされた。

 ヒステリーの研究がなされ、
 「無意識の世界」や「精神的な抑圧」が問題となった。
 シュルレアリズムもそんな背景の中で誕生したのだろう。

 たぶん我々は、剥き出しの現実に耐えられない。
 現実自体も一つのフィクションに過ぎないのに。
 僕らは大抵は決まったパターンで思考し行動する。
 感情もほとんどがプログラムに従っている。

 「地球が回る音を聴きなさい」とヨーコが言う。
 「天国なんてないと思ってごらん」とジョンが応える。
 
 「世界の中に神秘はない。
 世界が在ることが神秘だ」ヴィトゲンシュタイン

2011年4月29日金曜日

人生山あり谷啓

 目が覚めて辺りを見たら、
 見知らぬ駅にいた。

 西武新宿線の入曽駅だった。
 昨夜、新宿のハイアットホテルで宴会があり
 なみなみと注がれたバーボンのオンザロックが効いた。
 本川越行きに乗り、小平駅で拝島行きへ乗り換えの予定だった。

 知らない駅に降りたことで、少し動揺していた。
 酔いからは驚いたお陰で、だいぶ醒めていた。
 
 昔から鉄道に乗る夢を度々見た。
 実家の隣町が何故か海辺だったり、
 崖のような処を走る電車や、
 普段の通勤列車が辺境の地を走っている、
 そんな電車の夢だ。

 入曽駅に降りた僕は、
 一瞬、夢を見ているのかと疑ったほどだった。

 多少の乗り越しは、年に何度もあるが
 今度の乗り越しは、3年前に奥多摩行きで乗り過ごし
 御嶽駅の先の川井駅に降りた時以来だった。
 
 川井駅の周囲に人家はない。
 代わりにこんな貼り紙があった。
 「時々熊がでます。ご注意ください」と。
 
 隣の御嶽駅までが遠い。
 一時間近く歩いただろうか。その間人家はなかった。
 通り過ぎる車もほとんどなく、タクシーは皆無だった。

 漸く、御嶽駅に着きタクシーを呼ぶか思案していた時
 目の前をタクシーが通りかかり、慌てて止めた。

 たまに行く居酒屋「虎居」。
 トイレにこんなポスターが貼ってあった。
 「人生山あり谷啓」いかしてる。
 ガッチョ~~~~~ン。 

2011年4月24日日曜日

反省する私

 元来そそっかしい。
 思い込みも激しい。勘違いも、物忘れも甚だしい。
 
 よく考えても間違えることが多い。
 でも頑固な処もある。
 困ったものだと思うが、周りはもっと困るだろう。
 
 「反省」という言葉は「省みることに反する」ではないよね。
 「反して省みる」だとすると、「自分の気持ち、考えに反しても、
 省みる」必要があると言うことだろうか。
 良く解らない。

 所謂「反省」のメカニズム。
 一つ目は自分で自分の言動の失敗に気付き、自分を責める。
 二つ目は人に自分の言動の失敗を指摘され、自分を責める。
 「反省」の正体は、いずれにせよ自分を責めて
 「悔やむ」事にあるのではないか。

 勿論、改善点を見つけて実行すればいいのだが、
 ほとんど出来ない。
 失敗した言動には、自分がそうしたかった理由があるからだ。
 一時的に酷く悔やんでも、「わかっちゃいるけど止められない」。

 昨日も飲み過ぎた。
 仕事の後でモツ焼きの百薬へ寄ったのだが、
 仲の良いキム兄が歌姫ふーさんの歌が聴きたいと言う。
 「よしきた」と誘って、百薬で呑んでスナック京子へ。
 
 スナック京子へ行く前に、
 ビールを少しとお酒を4杯呑んでいた。
 ちょっと飲み過ぎてるなと思ったが、後の祭。
 京子では焼酎の水割りを何杯か・・。
 ちゃんと帰れて良かった。

 「反省などしない串を数えながら呑む」よしい

2011年4月23日土曜日

王様の涙

 一人の王がいた。
 
 王は齢(よわい)、五十を越えていたが、
 身体はいまだ頑強で、日に10里を歩くことが出来た。
 
 王の后はすでに去り、
 宮殿の寝室は一人の身には広すぎた。
 寝室だけではなく、宮殿のどの間も
 「広すぎる」と感じていた

 王は庭いじりを好んだ。
 友人のコーリディ公爵がお茶に寄る時は、
 王は自ら庭に立ち、宮殿のあちこちを飾る
 薔薇の花の摘んだ。

 王は料理も好んだ。
 ほとんど毎日、自らの朝食を拵えた。
 肉や魚も好んだが、年とともに野菜を多く採った。

 ライ麦入りのパンにチュダーチーズ。
 サラダ菜、人参、ブロッコリーに生ハムのサラダ。
 パセリを散らしたオイルサーディン、
 オニオンスープが王のお気に入りだった。

 職務のない朝は、
 一杯か二杯の赤ワインを呑むこともあった。
 ボルドーやブルゴーニュの稀少なワインも呑んだが、
 タンニンの強い、重い渋めのワインなら、
 なんでも美味しいと思っていた。

 王にはスーザンという妹が一人、
 スコットランド王国のエジンバラにいた。
 二人は長い間会ってはいなかったが、
 互いを思い、時折手紙を書いた。

 月よりの使者が王のもとに訪れた。
 使者は月の王が、来月の満月の夜に
 彼の地より訪れると告げた。
 
 突然の訪問は礼に反するものだった。
 王は冷淡で傲慢な処のある月の王を好まなかった。
 けれど、彼自身は月の王に礼を尽くした。
 それは弱小国の王のへつらいなどではなく、
 王道を歩む彼の矜持であったのだ。

 ある夜のこと。
 広いバルコニーの椅子に座り、
 月明かりに照らされた一面のすみれの花を眺め、
 人知れず、王は涙した。  

2011年4月21日木曜日

春の祭典

 春はわさわさする。
 春はそわそわする。

 そして、春はぼわあーーとする。
 でも春は慌ただしく、駆け足で過ぎ去ろうとする。

 春の尻尾を捕まえようと
 あちこちキョロキョロしている内に
 春はあちら側へ向かってしまう。

 花粉症が辛い。
 今年は当たり年だ。
 ウキウキの春がどんよりの春に変わってしまう。

 それでも今年の桜は美しかった。
 去年より、今までより白く可憐に見えた。
 桜が終わって、新緑の季節。

 一年中で一番の季節だと思う。
 日本の新緑は世界一だと、
 何の根拠もなく思ってしまう。

 本当は世界一でも世界100位でも構わない。
 目の前に現れた、新しい生命の息吹。
 まるで奇跡のように思われる。
 「緑あれ!」と誰かが叫んで、
 一斉に現れたような、そんな気さえする。

 「一日の憂いは一日にて足れり」
 山頭火の日記にあった。
 キリストの言葉らしい。良い言葉だ。

 新緑の魔法は長くは続かない。
 一週間か10日もすれば、
 あの淡く繊細は若葉色は、重く強い緑に変わる。
 非日常が日常に変わる。
 春の祭典は終わり、初夏を迎える。

 それでいいのである。

2011年4月17日日曜日

きっこの日記

 友人のあいはらさんから
 「きっこの日記」を読んでみてとメールが来た。
 
 東電「福島原発」の現状や放射能汚染の恐ろしさ、
 チェルノブイリ事故の被害者の報告など、
 新聞やテレビが取り上げない内容が掲載されていた。

 もちろん「きっこの日記」も一つの情報だから、
 別な情報と比較検討して見る必要がある。
 だけど、インターネットや一部の雑誌など、
 テレビや新聞にだけに頼らない情報収集が大切だと感じた。

 大本営発表を鵜呑みに報道していたマスコミと、
 それしか受け取る情報がなかったかつての日本国民。
 そのような構造はまだ尾を引いているようだ。

 かつて「非国民」と言われた人たち。
 その多くは戦争に反対したり協力しなかった人だと聞く。
 最近でもイラクで献身的な復興支援活動をされていた高遠さんが、
 ゲリラの人質となった時に、一部政治家やマスコミから、
 「非国民」のような扱いを受けていたと、強く記憶している。

 いや、正直に言えば彼女のバッシングに
 やむを得ないと一時期でも思っていた自分がいた。
 あの時は確か筑紫哲也氏の「ニュース23」で
 高遠さんの報道を見て自分の不明を恥じた。
 そこではあの事件の後も、イラクの学校へ
 日本で廃棄になった学習机を送るなどの
 支援活動を継続している高遠さんの姿が報じられていた。
 
 今回の震災で、被災者の救済や被災地の復興は何を持ってしても、
 最優先の緊急課題だと思う。
 
 けれど「ひとつになろう、日本」キャンペーンには
 賛成しない者を「非国民」のように見なす
 そんな空気を感じてしまう。
 被災地で苦しんでいる人たちに、
 「ひとつになろう」とは軽々しく言えないと思うのだが。

 それに比べてサントリーのCM。
 「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん、夜の星を」は
 押しつけがましくなくて、見る人をほっとさせる。
 あれにはひねくれ者のこの僕も素直に共感できる。

 「うれしいことも悲しいことも草しげる」山頭火

2011年4月16日土曜日

町で一番の美女

 思い出したようにチャールズ・ブコウスキーが読みたくなる。
 アメリカ西海岸で活躍したサブカルチャー文学の旗手である。

 内容は、お酒の事、小説や詩など文学のこと、
 競馬ばどギャンブルの事、女性との秘め事などなどだ。

 放蕩の限りを尽くしているのが却って爽快に感じる。
 実際の彼は小説ほど自堕落ではなかったそうだ。
 当たり前かもしれない。
 放蕩しか尽くして無かったら作品は書けない。

 ミッキー・ロークとフェイ・ダイナウェイが出演した映画
 「バー・フライ」の脚本をブコウスキーが担当していた。
 それで彼を知ったのだと思う。

 ほとんどホームレスの彼ら二人が、
 なけなしの金でバーで飲み、出会う。
 親しみや愛情も芽生えるが、
 憎悪や暴力も描かれていた。

 小説「女たち」。
 何度か読みかえした彼の長編で代表作。
 彼の分身ヘンリー・チナスキーが主人公。
 サブカルチャーの旗手として有名になった彼が
 「詩の朗読会」を開く度に新しい女性と出会う。

 詩の朗読会の前座がロックのライブだったり、
 ライブより朗読会が盛り上がった等の記述には
 正直に云って「ありえない」感じがした。

 今は日本でも有名俳優・女優・アナウンサーなどによる
 朗読会や朗読劇が認知されてきた。
 文学者による朗読会も昔に比べれば増えたと思う。
 詩人谷川俊太郎氏が米国のそれを真似て
 「詩のボクシング」を始め、
 一時期、教育テレビでの放映をよく見ていたものだ。

 山頭火の日記を読み返している。
 山頭火は句を詠み、酒から離れられず(アル中だと書いてある)
 放浪を繰り返した。
 日記には行乞で訪れた町や村の様子、宿の様子は食事、同宿の客、
 主人や女将さん、お手洗いののことまで子細である。
 そしてお酒のこと、その日に書いた句が書かれる。

 ブコウスキーと山頭火。
 趣の異なる日米の無頼派詩人。
 日常の檻から逃れられない臆病者は
 彼らの文章で救われる。

2011年4月13日水曜日

建築家の孫

 三つ目の家を作った。
 とは言っても50分の1サイズの模型の話である。

 偉そうなことを書いても、
 絵だけでは食べていけないこの僕は
 主な収入を絵やデザインを教えることで賄っている。
 家造りのデザイン実習はもう10年以上も教えている。

 三つ目の家の二階には茶室がある。
 ベランダからも入れるが、空中廊下を通り
 にじり口からが正式な入り方だ。

 一階の中心には和室がある。
 一階も二階も回廊の構造になっており、
 一階は裏庭のベランダを挟んでぐるりと回れる。
 二階はやはりベランダと空中廊下で一周できる。
 屋根裏部屋には二階のベランダからの階段と
 二階寝室から梯子階段の二ヶ所から昇れる。
 この家には幼い日の親戚の家が参考になっている。

 1作目の家は屋上を含む3つのベランダが特徴の家。
 2作目の家は一階に独立したアトリエがある家。
 家造りは自分が何処に焦点を合わせるかで、
 デザインがまるで違ってくる。

 僕の祖父は一級建築士だった。
 最近整理した実家離れの小屋から、
 学生時代の几帳面なノートや、
 佐渡病院の建設に関わったいた頃の手紙が見つかった。

 モダニズムの建築家に憧れていた。
 けれど今好きなのは、藤森照信の建築だ。
 屋根にニラを植えた赤瀬川源平邸「ニラハウス」や
 自らのために建てたツリーハウス型の茶室「高過庵」
 などで知られており、長年東大で建築史を教えていた異色である。

 彼にもモダニズムの基本はあるだろうし、
 ポストモダンも考えているだろう。
 しかし彼の建築からは、近代建築が忘れた何かがある。

 今年も4作目の家模型を作るだろう。
 でも模型作りとして挑戦したいのは、
 かつて僕が住んでいた、今はない実家の家だ。
 
 祖父義一が改築したあの家の模型作りがしてみたい。

2011年4月11日月曜日

勘違いし易い話

 長年の付き合いの乾氏からのメール。
 乾さんとはずっと会っていないが、
 主にメールで時折は電話での付き合いが続いている。
 以下は4月10日に乾氏から届いたメールである。

 *

 これも、今まで遠慮していた話題なのですが、
 やっぱり今のうちに書いておこうと思いました。

 例えば、「煩悩即菩提」という言葉がある一方、
 一休の歌に「煩悩を即菩提ぞと誤りて罪を作りし人のいたまし」
 というのがあるように、同じことに見えて、
 まったく違う実相である、ということがらがあります。

 これに関して、とても良い話があるので、ちょっとそれを。
 ある覚者が、「必要な時は、悟りのことなど忘れてしまえ。
 歌い、泣き、友情に身を投じろ。そうすれば、悟りなどより
 もっと『いいもの』が手に入る」と言っています。

 これと同じことを言っている言葉やエピソードは、やたら沢山あります。
 どこかの妙好人の婆さんが、知り合いの女の子が死んで、
 わあわあ泣いていたら、「なんだ、普段は悟ったようなことを言っていて、
 あの子が死んだんでそんなに泣いているなんて、
 お前も大した事がないな」と言われて
 「うるさい、この涙がこの上ない功徳になるんじゃい」
 とさらに大声で泣いた。
 確か白隠も、師匠と別れるときに、
 二人で号泣したという話があったような。
 臨済も、師匠の死で大泣きしたというような話があります。

 先日のメールで、連ドラの別れの場面のことを書いたので、
 それを使って説明したいと思います。
 子供は、親友と別れることになった時、どうするでしょうか。
 ただひたすら泣くしかないのではないでしょうか。

 それは、その親友との間に彼が注いできた友情の
 「エネルギー」が純真で、大きなものだったことの証しではないでしょうか。
 だからこそ、彼は泣かずにいられないし、
 他の何かでやりすごすことはとても無理なのだ、ということでしょう。
 
 覚者も、そのような「方法」をとります。
 ただ、覚者はそれが心の現象であると同時に、
 完全にエネルギー現象(自然現象)であることを自覚しています。
 すると、「人間的な」人々からは、友情や愛情というような、
 心のことがらを「エネルギー」というような物理現象として
 「処理」しているのか、というように思われたりします。
 (そうには違い無いのですが。)友達のようなフリをしやがって、
 実は全然本気じゃねえんだ、と言われそうです。
 
 以前に書いた「空の下にいるという自覚」を、
 ここに応用して説明します。
 空の下にいるという自覚が完全に身についている人がいたとして、
 その人は外から見て、他の人と違うところは何もありません。
 やっていることも、特に違うことはありません。
 ただ、彼は自分のやっていることを、
 すべて、空の下でやっていること(というより、空の下で起こっていること)
 だと常に自覚している、というだけです。

 その男が他の人たちと一緒に阪神タイガースを
 応援して盛り上がっていたとして、
 最初に「仲間」と思われていたのと、
 やがてどこかで感づかれて「こいつは仲間ちゃうでー、
 ウドンで首吊って死んでまえ」と言われるようになったのと、
 どっちが正しいのでしょうか?

 とても分かりにくい、むづかしい問題です。

2011年4月10日日曜日

終わりと始まり

 先月半ば、松明堂ギャラリーに行った。
 望月通陽さんの個展を見るためと
 購入した望月さんの作品を取りに行った。

 地震の後で被災者の支援を行い、
 ほぼ徹夜での仕事を終えた後だった。
 
 普通なら一刻も早く家に戻って、
 食事を取って休んだ方が良いのだろう。
 でもそうはしなかった。

 松明堂ギャラリーはこの3月で24年間の活動を終えた。
 来年、恐竜のプロントくんシリーズを
 松明堂でと考えていた。
 それよりも素敵なお気に入りの画廊が無くなること、
 そのことが残念だった。

 友人の野沢くんが数回個展をやった
 京橋のギャラリー山口も閉廊となった。
 銀座の老舗で様々な現代美術の作家たちが発表を行った
 村松画廊は昨年やはり閉廊となった。(僕も3度個展をしている)
 大学同期の大浦さんが個展をしていた
 ギャラリーブリキ星もそうだ。

 「散るさくら残るさくらも散るさくら」良寛

 人は必ず死ぬ。
 組織や団体も永遠ではない。
 庄屋だった良寛の実家も今はない。
 終わってしまった各画廊はそれぞれが文化の創造に関して
 重要な役割を演じてきたし、その事実はこれからも変わらない。
 
 これからも新しい文化は生み出されるし、
 新たな画廊も生まれるだろう。
 
 ある物事の終了は新しい何かを生み出した時
 大きな意味を持つ。

 終わりは始まりでもあるのだ。

2011年4月5日火曜日

美しい公式

 ピカソやダ・ヴィンチをライバルとうそぶく。

 そんな僕だが、セザンヌをライバルと呼ぶ気はない。
 とても敵わないからだ。
 
 セザンヌは、僕の大好きなマチスやピカソ、
 彼らが偉大だという唯一無二の存在だ。
 セザンヌとは全く違った絵を描いた同時代のモネ。
 彼もセザンヌの偉大さに気付いていた。

 セザンヌは絵を描く対象、人物や静物、風景を
 異なる複数の視点で描く試みをほとんど独自に始めた。
 簡単に言えば、人の顔を正面と横顔をそれぞれに見て
 それを一つの画面に再構成する「福笑い」だと思えばいい。
 これを徹底的に推し進めたのがピカソのキュビズムである。

 最近の研究で分かったのだが、
 レオナルドの「モナリザ」も顔の右半分と左半分を
 僅かに異なる角度で眺めて、一つの顔にしたらしい。
 さすがに我がライバルだと感心した。

 パリの個展が大評判で、巨匠の地位を晩年に得たセザンヌ。
 彼は成功にも浮かれることなくひたすら描くことに没頭したという。

 セザンヌはインタビューに答えてこう語っている。
 「幸福とは美しい公式を見つけること」だと。

 彼の代表作である「サント・ヴィクトワール山」シリーズ。
 打ち震える細い線と、平筆の筆触を利用した四角い形の断面。
 色彩は固有色を参考にしながら、そこから離れ
 色と色の関係や、調和が重視される。

 線と形と色があるいは一体となり、
 あるいは対立するかに見え、画面の中にドラマが生まれる。

 彼の絵画は対象を描写しながら、
 美しい公式に依って新たな世界を創造することに、
 彼の全精力が注がれていたのだろう。

2011年4月4日月曜日

贅沢は素敵だ 2

 パソコンの調子が悪い。

 メールやインターネットには繋がるのだが、
 そこからニフティなどのプロバイダーに繋がらない。
 地震の後、数えるほどしか繋がっていない。
 パソコンが旧式だからだろうか。

 先の戦争中のこと。
 「贅沢は敵だ」というポスターが貼られたと言う。
 それに何処かの誰かが落書きをした。
 「贅沢は素敵だ」と。

 戦時中のことである。
 見つかれば書いた人は逮捕だけでは済まないだろう。
 しかし贅沢など思いもよらなかった庶民の叫びとも言える。

 震災の後のガソリンや水の買い走りが目立った。
 棚からカップ麺が消え、納豆が消えた。
 今でもヨーグルトや一部食品が、品不足である。
 
 群集心理による買い占め衝動は怖いと思う。
 オイルショックの後でトイレットペーパー不足を
 当時、新潟にいた僕は不思議に思った。
 トイレでトイレットペーパーでなく「便所紙」を使っていた。
 
 公共広告機構のCM.
 「がんばろう」「一つになろう」はちょっと行き過ぎではないか。
 愛する人や家を失った人に「がんばろう」と言えるだろうか。
 目の前にいたら言えないと思う。
 言えるのは傷ついたお互いに向かってではないか。

 具体的な支援とは義捐金を送ること。
 必要な物資を送ること、ボランティアとして働くことがある。
 もう一つは、被災地の産物を買うことではないか。

 放射能汚染の風評被害で、
 安全な農産物、海産物も市場に出なかったり、
 売れなかったりが続いていると聞く。

 公共広告で発信し、被災地を元気にするのは
 「がんばろう」ではなく「被災地のものを買おう」ではないか。
 これにはそこで作られた加工品や工業製品も含まれる。

 実家で父にウイスキーを買ってくれと言われて酒屋に行った。
 すでにニッカの「竹鶴」があったので、
 バーボンにしようかと思った。
 まてよ、と思って見るとニッカのシングルモルトで
 宮城県の醸造場で作られた「宮城狭」があった。
 買って飲んでみると実に旨いウイスキーだった。

 日本を元気にしたいならば、
 こんな時こそ消費を拡大できればいい。
 「被災地の商品を買おうぜ、日本」
 SMAPや蒼井優にそう言って貰いたい。
 倹約が美徳なのは分かるが、
 今は「贅沢は素敵」で「日本を元気にする」と思うのだ。

 *注 放射能汚染の心配についてはブログ「きっこの日記」
 を読んで様々問題があることを知りました。
 このブログの主旨は変わりませんが、「放射能汚染」の恐ろしさ
 は十二分に考慮しないといけないと分かりましたので
 「注」として追記しました。

2011年3月23日水曜日

ある夜の出来事

 それは奇妙な光景だった。

 昨日の夜、西武拝島線小川駅で降りた。
 階段を降りると様子がおかしい。
 階段下の郵貯銀行のATMが暗い。
 右手のセブンイレブンが真っ暗だ。
 計画停電に気付いた。
 振り向くと駅のホームだけが煌々としている。

 ダメもとで行き付けの「百薬の長」へ向かった。
 あの地震の日も開店していたモツ焼き屋である。
 可能性は0では無かった。

 真っ暗な通りを歩き、店に近づく。
 店の前に2台の自転車を発見。
 店の窓から幽かな灯りが見えている。
 少しは客がいるのだろう、そう思って入った。

 ドアを開けて入った瞬間、ペンライトのような光を感じた。
 そして「よしいさああん」「おいっ!ジョン・レノン」
 「こっちが空いてるよ」等の声がけたたましく上がった。

 こちらは目が慣れずに何も見えない。
 けれど店内がほぼ満席なのは分かった。
 なんと言うことだろう。

 狭い店内を何人かの男達が起立してくれた。
 そうしないと空いた奥の席に入ることが出来ない。
 座ってしばし辺りを見回す。
 ぼんやりと見える客席のほとんどは馴染みの常連だ。

 入口脇の焼き場ではマスターが黙々とモツを焼いていた。
 両脇に置かれた大きなハンドライトが、
 もうもうと立ちのぼる煙を映し出していた。

 さっきの喧噪がウソのように、満席の客は静かになった。
 闇の力だろう。
 目の前には前の客が呑み食べたグラスや食器が並ぶ。
 その乱雑とした感じと暗い店内と仕事に励むマスターの後ろ姿。
 それらを眺めて感慨に浸った。

 マスター独りで錐もみするので、暫くはお酒も来なかった。
 マスターが動くと、ペンライトを持った数名の常連が照らす。
 「手元を照らしてあげて」「足下も照らした方がいい」声が飛ぶ。
 うーーーん。いい光景だ。
 
 マスターは岩手県宮古市出身。
 あまり語らないが、相当に心を痛めていると思う。
 中越地震の時は1万円を寄付したと後から聞いた。

 お酒がきて、肴を頼もうと思うが、店内唯一のメニューが見えない。
 「佐々木さん、お願い」そう言うと佐々木さんがメニューを照らす。
 「ハツとヒモお願いします」「あと煮込み半丁」「はあい」。

 闇の中で呑む酒、ハツや煮込みの味は何とも言えなかった。
 入店から30分後、店内の蛍光灯が一つ灯る。
 続いてもう一つ。いつもの店内に戻った。
 客席から拍手が湧き起こった。

 とても不思議な良い光景。
 この店の常連で良かったと
 この日ほど思ったことは無かった。

2011年3月21日月曜日

ありふれた日常

 換気扇掃除をした。
 半年ぶりのことである。

 薄いナイロン製手袋を両手に着け、
 油がべっとりと付いた換気扇を外す。
 新聞紙の上に置いて、専用の洗剤スプレーをかける。

 白い泡が油を浮かせてくれる。
 青いTシャツを切り抜いた布で拭く。
 良く落ちて気持ちがいい。

 換気扇を終えると周りの壁面や窓の周り、
 ガスコンロの下と、シンクの周りも掃除する。
 
 思いもかけない3連休の最終日。
 本当ならば土曜日も春分の日の今日も一日仕事の筈だった。
 3日続けての休みは正月に実家に帰って以来だ。
 田舎では、そんなにのんびりは出来ない。
 本当に何も予定のない3連休は、あまり記憶がない。

 地震の影響で交通機関の運休や二日続いての停電を経験した。
 被災地とは比ぶべくもないが、
 そんな毎日に多少緊張していたのだと思う。

 土曜日に新宿へ出掛けた。
 街はいつもの喧噪を取り戻そうとしているように見えた。
 
 見慣れた光景の大きな通り。
 僕のキャラクターである恐竜のプロントくんが歩いている処を夢想する。
 プロントくんは到るところに現れ、
 少女ナナを背中にに乗せて歩き回る。

 スタジオジブリの中心を支える宮崎駿と高畑勲。
 彼らはアニメの基本は、日常の動作をキチンと描くことにあると言う。
 
 非日常はありふれた日常と対比して考える必要がある。
 不条理や幻想、妄想は日常と共に在る。

 そもそも私たちが日常と信じているものとは何か。
 日常も非日常のいずれも、
 人間の小さな視点から捉えられたものに過ぎないのではないか。

 私たちは自分が日常だと思い込んだ世界から、
 少しずれた地点に立つと、其処を非日常だと認識するのではないか。

 ありふれた日常と我々が思い込んでいる世界は、
 実は奇跡のような偶然の積み重ねによるものではないだろうか。

2011年3月20日日曜日

カッターナイフ

 カッターナイフで左手の人差し指を切った。
 人差し指の先端から真っ赤な血が流れた。

 油断したのだ。
 B2サイズのスチレンボードを裁断していて、
 ふと考え事をして、目を逸らしていた。
 「やってしまった」と思ったが後の祭。

 緑色のカッター台の上に、楕円形に切り取られた
 自分の指先の皮を見つけた。
 よほど、スパッと切り落としたのだろう。
 綺麗な楕円形には血の一滴も付いてなかった。

 直ぐに絆創膏を貼った。
 あっという間に血が溢れ出し、とても追いつかない。
 仕方なく、ガーゼの上にテープできつく巻いて止血した。
 漸く出血は収まったようにみえた。

 地震の時に7階屋上のプールから大量の水が溢れた。
 水はすぐ脇にあった階段を伝い流れ落ちた。
 まるで滝のように。
 階段から各階の廊下に流れ込んだ。
 エレベータにも流れ込んでいる。

 外での一般避難者の誘導を終えて戻った。
 二階の階段前で、 数人が水を階下に流れ落とす作業をしていた。
 大きなベニヤ板で作業していた女性に、
 「替わりましょう」と言った。

 指先に力を入れてベニヤ板を掴み、
 床に水平に水を押し出す。
 20分ほどの作業でほとんどの水は
 一階へ移動させることが出来た。
 左手の人差し指を見ると、
 ガーゼから血が滴り落ちていた。

 ほとんど徹夜での避難者への対応を終えて、
 乾パンが入っていた一斗缶をかたづける作業をした。
 缶切りでギザギザに切り取られた口の処で
 今度は右手の中指を二カ所切った。

 二日で指に三カ所も傷つけたのは
 初めてのことだった。

2011年3月10日木曜日

センスがない

 「よしいはセンスがねえてがんに、 
 絵を描いてるんだ、ごーぎ(偉い)らや」
 豆腐屋の清人がよく言うセリフである。

 オレも清人に
 「おめらって音楽のセンスがねえてがんに
 続けてるんだごーぎらや」と言いたいのだが
 奴には音楽のセンスがある。特に奴のギターは凄い。
 歌がオンチなのはご愛敬だが・・・。

 清人は絵も下手くそだ。
 だから「オメに言われたねーや」ぐらいは言い返す。

 しかし先日、美術指導のある講習に参加した。
 そこでコラージュ指導のレクチャーを受け
 参加者は生徒になって制作をした。

 コラージュ制作久しぶりで、喜々として制作した。
 しかし、素材として用意された雑誌の中に
 蒼井優を見つけてしまった。
 そうしたら蒼井優が主題の中心になってしまった。

 それでも20分ほど楽しんで制作。
 完成作を集めて講評会。参加者は20数名か。
 
 みんな上手い。
 指導者を集めての講習会だから、皆美術のプロ。
 上手くて当たり前かもしれないが、
 描画と違ってコラージュのような構成の方が、
 作り手のセンスが問われる部分が大きいと思う。

 わが作品は残念ながら、センスがない。
 写真や様々な布、アルミやボタンや糸くずなど。 
 つまりある造形的な意図を持って
 素材を生かせるかどうか、そこに作者のセンスが現れる。

 清人が言ってた通りだ。
 オレにはセンスがない。
 
 因みにピカソはお世辞にも色彩センスは良くない。
 だからカラリスト(色彩家)だったマチスを尊敬した。
 けれど、ピカソには形態や面、量感について、
 他の追随を許さない、圧倒的な感覚があったと思う。

 オレには造形的なセンスが無い。
 それを自覚出来たことが、一番の収穫だった。

 日本は古くは中国や朝鮮に憧れ、
 近代になってからは西洋に憧れ、
 見よう見まねで追いつき追い越せと努力を重ねた。

 自分を一番だと自覚した時に凋落は始まる。
 永遠の憧れを胸に抱いた者だけが、
 明日を創造できるのだと思う。

 だからオラも明日へ向かって、精進するのだと
 ブログには書いておこう。

2011年3月6日日曜日

意味なんてない!

 「50代の男性に生きている意味なんて無いですよ」

 明石家さんまの番組「ホンマでっか」に
 チャンネルを合わせたら、ゲストの大竹まことが
 相談回答者の一人にそう言われていた。
 
 どうも回答者は生物学的な生殖機能の意味で言っていたらしい。
 それには同意出来なかったが、
 そもそも生きることに意味が必要なのかと、訝ぶった。

 生きていることに意味づけは必要なのだろうか。
 これはカントの二律背反ではないか。
 カントは「世界に始まりはある」「世界に始まりはない」
 のいずれも論理的に証明してみせた。
 まさに矛盾である。

 「生きることに意味はある」「生きることに意味はない」
 いずれも論証出来そうな気がする。
 
 童話「ムーミン」に登場する、哲学者のじゃこうねずみ。
 彼は「何もかもが無駄であることについて」研究している。
 無駄か無駄でないか、これもどちらもが論証できそうだ。
 じゃこうねずみは「無駄じゃ、無駄」と叫ぶだろうが。

 僕は絵を描いているが、
 描くことに意味があるから描いているのでは無い。
 描きたいから、描いているだけだ。
 暇つぶしじゃなくて人生をつぶしたいのだ。

 生きていることに大切なのは実感で
 意味なんかじゃないと僕はいいたい。
 いや実感も必要ないな。
 ただ生きている、それだけでいいのだ。 

2011年3月3日木曜日

日本のデザイン

 ドコモのロゴデザイン。
 実は僕の親戚がデザイン制作に加わっている。

 贔屓目じゃなくても、一見小さい文字が
 遠くからもはっきりくっきり見える。
 ロゴで珍しい赤色も鮮やかだ。

 親戚はCI(コーポレイト・アイディンティティ)の専門家。
 CIはマークのようなロゴデザインを含む、
 企業の顔となるような、
 視覚的でベーシックなデザインを指す。

 分かり易い例で言えば、
 三菱の家紋のようなマークや、
 トヨタ車についているマーク、
 ソニーのシンプルな文字などもそうだ。

 文字やマークで企業イメージを伝える。
 単純に見えても責任の大きいデザインである。
 その気になって眺めて見ると、
 面白いだけでなく、それぞれの工夫が見えてくる。
 日本のデザインはなかなかどうして大したものなのだ。

 だが僕には日本のデザインに大いなる不満がある。
 それは主として色彩に関してである。
 
 車も家電も白色が未だに主流。
 漸く鮮やかな赤や藍色なども現れたけれど。

 かつてローバーミニに乗っていた時
 個性的な外見も見事だが、
 ブリティシュブルーという藍色や深い緑色。
 これらの色に魅了された。
 
 我が日本の新幹線。性能には信頼してるがやはり白物。
 フランスのTGVやドイツの新幹線の色。
 一言で言えば日本の色にはシックな感じがない。
 清潔感と分かり易さ、それだけじゃないだろうか。

 プロスポーツのユニフォームのデザイン。
 専門家が頑張っているんでしょうが、デザインし過ぎ。
 プロのユニフォームは身体を綺麗に見せること、
 それが基本で最優先ではないか。
 それなのに装飾的すぎたり、色を使い過ぎたりしていると思う。

 日本の伝統デザイン。
 祭の意匠や法被のデザイン。
 かっこいいじゃないか。
 
 色彩と装飾を見つめ直せば、
 日本のデザインきっとまだまだ良くなるはず。

2011年2月26日土曜日

二流の人

 10年ぶりに油絵具を使った。

 絵の指導では使っていたけれど、
 自作で使うのは、最後に風景画を描いて以来無かった。

 次回個展のための「プロントくん」シリーズの
 アクリル着彩作品がどうにも気に入らなかったからだ。
 
 自分の木製道具箱の中は黴だらけだった。
 絵の具は九割方使えなくなっていた。
 
 絵の具が固まっていたり
 チューブの金属が腐食してたりした。
 黄土色であるイエローオーカーのチューブは
 ボロボロと崩れ、中からは鮮やかな絵の具が現れた。

 ボードに和紙を貼り、アクリル絵の具で銀彩を施す。
 その上にアクリル絵の具でさらに彩色をした。
 色彩の強度と絵肌のマチエール(質感)が足りない。
 どうやっても足りない。
 今までは、重色を重ねれば、厚みと強度と変化が現れた。

 仕方なく油絵の具を使ったわけだ。
 樹脂と顔料、水を練って作るアクリル絵の具。
 扱いやすく、発色も良いのだが、乾燥後に絵の具が痩せる。
 つまり、水分が蒸発すると塗られた絵の具の容量が減る。

 油絵の具は酸化によって変化するだけで
 容量はほとんど変わらない。つまり痩せない。

 完成に至らない「プロントくん」の小品。
 油絵の具で加色したら、厚みが出て表情が変わった。
 うーーーん。油絵の具恐るべし。
 
 ピカソが紙に描いた水彩画にも
 油絵の具を何度か加色していた理由が少し分かった。
 遅いぞ、ひろし・・・・。

 80歳を迎えた、俳優で映画監督のクリント・イーストウッド。
 かっこいい。奥さんは35歳年下らしいが、
 彼ならば全然オッケーだろう。だってかっこいいんだもん。

 雑誌ビッグイシューのインタビューに応えてこう語っていた。
 「私が引退するとしたら、何か新しいことを試す気に
 なれなくなった時だろうね。
 新たなことに挑戦して
 それを成功させる機会がやってくると、
 いまだに血がたぎるんだ」

 一流の人は違うなあ・・・。

2011年2月23日水曜日

キャットくんの絵日記

 絵日記を書き続けている。
 
 これまでの人生で、
 日記を書き続けた経験はそんなにはない。
 絵日記は小学校の低学年以来だ。
 英文を添える形式は初めて。

 内容は大したものではない。
 小金井公園で梅の花を観た。
 百薬で呑んだ。
 朝ご飯に豚汁と納豆を食べた。などなど。

 このブログと大差はないが、
 人に見せるものでないのでより簡潔に書いている。
 絵はこんなにゆるゆるでいいのかと
 自分にツッコミを入れたくなる程雑な絵だ。
 でも新鮮でもある。

 もう一つの今年の目標。
 体重計を買う。体重計に載るはまだ達成していない。
 出来そうでなかなか出来ない。

 「一日一日を生きる」はどうか。
 どうなんだろうね。

 個展の前の年は月毎の予定表を立てる。
 今回はまだ立ててない。
 「洪水のあと」と「レクイエム」では出来たのに。
 
 個展会場のイメージがを描き、
 並べる作品の種類と数をおおよそ決める。
 小さな絵を何点、大きな作品、立体作品、版画と素描
 それぞれの完成目標を立てる。

 今回、苦労しているのは絵本とアニメだ。
 絵も手こずっているが、かなり点数が出来、
 方向性は定まってきた。でも核になる作品がないように思う。

 絵本はある程度固まって、完成作品を描き始める処。
 遅いな・・・・。アニメは白紙でやり直し。
 厳しいな・・・・・。

 キャットくんでは絵本だけで約1年間掛かりきりだった。
 絵本とアニメの両方は無理なのか。 いや、やろう。やるんだ、絶対!
 と絵日記には書いておこうっと・・・。

2011年2月18日金曜日

A Day In The Life

 新所沢へ向かう西武新宿線の電車に乗った。
 ビートルズセッションに参加するためだ。

 朝から午後1時まで仕事だった。
 マクドナルドでチーズバーガーを買い、
 コンビニで角瓶のハイボールを買った。

 電車に座るとハンバーガーを囓り、
 ハイボールを流し込んだ。
 旨い。人目が気になるが、
 お酒を抜いた次の日は染み入るように旨い。
 ハンバーガーはめったに食べない。
 ハイボールはほとんど飲んだことがない。
 意外にもこの組み合わせは悪くなかった。

 ライブスタジオネイブでは
 アルバム「サージェント・ペッパーズ」が流れていた。
 凄腕ギタリストのトーマさんに話かける。

 「トーマさん。
 通勤電車で酒なんか呑んでるヤツは
 やっぱクズみたいなもんだよな・・・」
 「よしいちゃん。
 オレなんか我慢できなくてホームで立ち呑みだよ・・」
 「やっぱり・・・」

 高校生の頃、陸上部の練習を終えると
 長岡駅午後5時57分発の信越線に乗った。

 まだ板張りでボックス型の車両では、
 何人もの酒呑みおっさん達がワンカップを呑んでいた。
 オレもあんなおっさんになるのかな。
 漠然と大人になった自分を想像していた。

 目の前では大森さんが
 'A Day In The Life'を歌っていた。

 目の前の赤ワインを飲み干すと
 次の自分の出番の準備のために
 フェンダーの白いエレキを持ち上げ、チューニングをした。

2011年2月13日日曜日

贅沢は素敵だ

 小さな贅沢。
 
 百薬で1,500円以上呑むこと。
 因みにお酒が5杯で1050円。
 ガツ醤油170円、カシラ・ナンコツ140円
 厚揚げ130円でも計1,490円だ。安い!

 ブックオフでCD、DVDを衝動買いすること。
 それでも年に数回あるかどうか。
 この前は桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」を買った。
 藤山一郎の「青い山脈」からスピッツの「ロビンソン」まで
 幅広いレパートリーを堪能した。

 気に入った洋服を買うこと。
 洋服は予め欲しい物の値段とイメージがある。
 でもたいていは古着屋のキングダムかユニクロ。
 実家近く長岡のVOICEは最近のお気に入りだ。

 美術展をチケットセンターの割引券でなく行くこと。
 先日、「カンディンスキーと青騎士展」でそうした。
 会場の三菱一号館は明治の洋館建築でこれがいい。
 建築家は英国人のコンドル。旧岩崎邸も彼の設計。
 カンディンスキーは抽象画になる前が、
 一番優れていると思っていたが、
 今回の風景画を観て確信に変わった。

 あとは何だろうか。
 画材を買うのは商売だから仕方ない。
 趣味の音楽関係はエレキギターと
 アコースティックギターのリペアをしたいけどまだだ。

 この前、腕時計を修理した。
 電池が切れて、皮バンドが切れて2年が経っていた。
 レクソンという仏製の安物だが、文字盤が気に入っていた。
 やはり電池が切れて金属バンドが切れていた
 スウォッチも直したい。
 そうするとセイコーと併せて3つの腕時計になる。
 
 小さな贅沢。
 こう羅列してみると我ながらセコイなと思う。

 借金をしても贅沢をした谷崎潤一郎や川端康成。
 画家では岸田劉生。批評家の州之内徹。美食家魯山人。
 ぼくが芸術家として一流になれないのは、
 借金を出来る甲斐性がないからかも知れない。 

 無駄遣いは愚かしいが、
 贅沢は素敵だ。

2011年2月11日金曜日

雪の降る街を

 西友で半額で買った大根を下茹でする。
 玉子も茹でて、大鍋に出汁昆布と調味料を入れ、
 大根、薩摩揚げ、玉子を入れ煮込む。

 簡単おでんの出来上がり。

 東京に雪が積もった。
 今日は休暇だったので、知り合いの展覧会を見に西荻窪へ。
 東京で雪の日の散歩は悪くない。
 中央線からの雪景色も良かった。

 百薬で知り合った女性の美術家清水さんとしばし話し、
 作品を購入した望月通陽さんの新作展を見に鷹の台へ。
 大好きなラーメン屋東華園で肉野菜ラーメンを食し、
 松明堂ギャラリーへ入る。雪は激しく降り続く。

 本屋さんの一階から階段で地下室へ向かう。
 縦1mほど幅は40cmくらいだろうか。
 紺地に白抜で文字と絵で「いろはがるた」のイメージで
 古今東西の著名人の名言が作品に綴られていた。

 ローマ字の特徴のある独自の書体に人物を思わせる絵。
 これらが絶妙なバランスで配されている。
 観る度に良い作家だなーと感心させられる。

 雪は激しさを増し、あちこちが白くなっていった。
 昨日から良く歩いている。
 電車の中で睡魔に襲われる。
 子規の「仰臥漫録」を置いて目を閉じる。

 アパートに戻ってからもぼんやりする。
 何もする気が起きない。
 I氏が送ってくれた映画
 「ジョゼと虎と、魚たち」を観た。

 漸く重い腰を上げておでんに取りかかった。
 半額の大根は失敗だったかもしれない。

2011年2月10日木曜日

善悪の彼岸

 犯人捜しと流行への雪崩現象。
 この二つが気になっている。

 ついこの前までマスコミは
 小沢元民主党党首の強制起訴のニュース一色だった。
 今は大相撲の八百長ニュース一色だ。
 ちょっと前までは海老蔵一色だったのに。

 マスコミは犯人捜しに躍起になっている。 
 そして自分は告発者、つまり正義の味方を演じている。
 沖縄の基地問題も、尖閣諸島問題も何をどうすればいいのか
 それを真剣に論じたりしないように思われる。

 大切なのは「誰が悪いか」という犯人捜しなのだ。
 一つの犯人捜しが始まると、それは飽きるまで繰り返される。

 誰もが真相究明に熱意を持たない。
 問題点を洗い出し、解決方法を地道に求めたりはしない。
 まるで弁護人がいない裁判みたいだ。

 犯人さえ定めれば自分は正義で安全だと思っているようだ。

 ある新聞に回虫先生で有名な医学博士が書いていた。
 潔癖性が行き過ぎてアトピーや花粉症が増えたのではないかと。

 今の日本は善悪を簡単に分けすぎてはいないかと。
 善玉コレステロールと悪玉は簡単に分けていいのかと。
 体臭は個別性を示し、フェロモンを刺激するのに
 消臭に躍起になって、匂いを差別対象にしていないかと。
 
 我が意を得たり。そう思った。
 新聞でもテレビでも、
 ちょっと前のような識者の意見が見られなくなった。
 賛成意見と反対意見の併記が見られなくなった。
 善悪の色分けが単純で乱暴になってきたのだ。

 コメンテーターと称される人は、
 「空気を読み」犯人捜しに異を唱えることは少ない。
 
 超訳「ニーチェの言葉」マイケル・サンデルの「正義の話をしよう」
 の二冊が共に書店で売れているらしい。
 どちらも哲学を扱った内容である

 哲学の基本は「常識」を疑うことにある。
 日本が「善悪の彼岸」を超えて
 より成熟した思考の国民になるといいなと願う。 

2011年2月5日土曜日

春はあけぼの

 立春の昨日は暖かかった。
 天気図は冬型から春型へ変わったと言う。

 実家のある新潟を含む豪雪地帯に住む人たちは
 胸を撫で下ろしていることだろう。

 二、三日前から朝の富士山が霞んで見えなくなった。
 花粉飛翔が活発になって、目鼻の具合が良くない。
 紅梅・白梅・蝋梅をよく目にする。
 春の兆しははっきりと現れている。

 今年になって始めた英文入りの絵日記。
 何とか一ヶ月は描き続けた。
 
 最初は英文も短く、絵も略画だった。
 日を追う毎に英文は長くなる。
 絵も少し凝ったものに変わった。

 もっとシンプルにとは思う。
 仕事が始まると同じような日常の繰り返し。
 取り立てて書くような内容も無くなっていく。

 けれど、そのような全くの平凡な日常を描くこと。
 そこには意味というか何かの気づきがありそうだ。
 自分のこと自分の日常。
 何となく過ごしているので、
 無自覚に感じ考え、行動している。

 周りの人を見渡すと、
 ちょっと自覚すればもっと良い方向へ変われるのにと思う。
 そう言っても人ではなく自分を対象に研究し
 自分のことや自分の日常に気付くことは難しい。
 絵日記がその気づきのきっかけになるかもしれない。

 清少納言の「枕草子」が素晴らしいのは、
 ありふれた日常や自然の変化を
 「いとおかし」こととして観察していることだろう。

 「我々は我々に知られていない」ニーチェ

2011年2月2日水曜日

美術コレクション

 美術作品を買った。

 1月の半ば過ぎ。松明堂ギャラリーの展覧会でだ。
 作者は望月通陽氏。染色の作品。
 縦長の小品で赤茶の地に白く切り取られた人物と
 ラテン語らしき文字が並ぶ。
 銀色の額が良く似合う。
 ステンシル技法の型染めだろう。

 望月氏は光文社の古典新訳文庫で
 表紙絵も手がけておられる。

 手元にシェイクスピアの「十二夜」がある。
 ペンに依る線描のみで描かれた独特の人物。
 それは羽のある天使のようでもあり、
 長い衣を纏って円舞を踊る人のようでもある。

 PASSATOと名付けられた個展に原画が一点あった。
 パウル・クレーを思わせる細かいギザギザの線。
 描かれた人物のイメージは一目で望月さんと分かる。

 ガラス作家やブロンズ彫刻作家との共同作業の立体。
 唐津焼作家との焼き物の作品。
 お茶席に合いそうな非売の屏風も素敵だった。

 自慢じゃないが金は無い。
 住んでいるアパートも1DKだし古い。
 家財はほとんどがリサイクルショップで買った。
 2千円の洗濯機、炬燵にソファ食器棚も似たような値段。
 
 けれど購入した美術品は5点目。
 トルコの「ノアの箱船」の細密画。
 彫刻家青木野枝氏の銅版画。
 友人で美術家の野沢くんの立体。
 テディベア作家外間宏政氏のクマくんはまさきちと名付けた。

 どの作品も買うつもりで展覧会に行った訳でなく、
 お金もないのに欲しくなって買ってしまったものだ。
 
 買った作品を眺めながら、
 僕の作品を買ってくれた人の気持ちを思う。
 新しい作品もお金を出して買って貰うに値するか考える。
 
 ゴッホも手紙の中で自作の値段について語っている。
 だいたい3万円くらいの価値があると書いている。
 後の彼の成功を知る前に買った人はわずかしか居なかった。

2011年1月30日日曜日

病床六尺

 「ひろしちゃんは昔はよく病気したいね」
 「えっ。そうらったっけのう」
 「よく熱を出したり、腹壊したりしたねかて」

 年始で訪れた隣町の親戚。
 自営業「筆や」を営む繁さんとの会話。
 
 病弱とは言わないまでも、
 自分が思ってた以上に病気をしていたのだ。
 
 思えば、喉が弱くて扁桃腺がよく腫れた。
 蓄膿症で小学4年生から通院していた。
 胃腸が弱く、腹痛や下痢をした。
 中学からは頭痛持ちになった。
 正露丸(凄い名前だ)とノーシン(脳がしん?)
 この二つが放せなかった。

 おまけに色白で皮膚が弱く、
 海に行っては酷い日焼けに苦しみ、
 山へ出掛けては漆かぶれに苦しんだ。
 じんま疹も玉子ほかの食べ過ぎなどでなった。

 20代で原因不明のじんま疹に苦しみ、
 病院での最終診断は
 ジゼル薔薇色症候群。なんじゃそりゃ!(ホントの話です)

 今回の胃炎は峠を越えた。
 昨日の夕方から食欲は戻り、胃痛は弱くなった。
 今日は日がな一日、掃除・洗濯以外はゴロゴロとした。
 身体の芯から冷えるような感じも無くなった。
 お陰で胃炎ダイエット計画も頓挫するだろう。
 明日からのリバウンドが恐ろしい。

 「病床六尺」を書いた正岡子規。
 彼は、悟りというのは平気で死を迎えられる事ではなくて、
 いかなる状況でも平気で生きていられる事だと言った。

 ダイエットに失敗してもリバウンドしても
 平気で生きていこうと心に誓った。

2011年1月29日土曜日

素敵なダイエット

 胃痛になった。
 
 水曜日の夜に異変はあった。
 寒気がして、夕食の後胃が重かった。
 風邪を引いたのだろう。
 そう思って葛根湯を買って飲んだ。

 木曜日の朝、さらに胃が重く食欲は無い。
 二日酔いでもめったに朝食を抜かないのに
 食べないで職場へ向かった。
 
 仕出し弁当の昼食を食べると胃が痛み出した。
 午後の仕事を終えて、自宅へ向かった。
 電車の中でもズキズキと痛い。

 10年近く前に罹った急性胃炎に似た痛みだ。
 だけど、嘔吐と下痢の症状が無い。
 食欲は無くミックスジュースと胃腸薬を買って帰った。

 翌日になっても症状は治まらず、
 却って痛みが増した。朝も昼も食べられなかった。
 医者に行くことにしたが、ふと思った。
 これで痩せたらラッキーだと。

 この前のビートルズ研究会のセッションで、
 ドラマーの景やんがスッキリ痩せていた。
 「どうしたの?痩せたね」
 「原因不明の高熱が出て、寝込んだら痩せました」
 病気は気の毒だし、なりたくは無いが、
 これはこれで究極のダイエットではあるな、
 そんな不謹慎なことを思い浮かべていた。

 医者では胃炎と診断された。
 薬を飲んだら、治った気がして食事した。
 早朝に激痛があったが、回復に向かっている。
 胃炎を機に胃が小さくなって、痩せたらいいな。
 
 大雪の見舞いに実家へ電話をした。
 小千谷市は2mをゆうに超える積雪だという。
 母は疲れで持病の膀胱炎が出たと言っていた。

 「おらは胃炎になったて」そう母に言うと
 飲みが足らねえがねーがかと宣った。
 流石にわが母親である。

 「うまそうな雪がふうわりふわりかな」蕪村

2011年1月23日日曜日

教育テレビ

 例年、年末から年始の時期に、
 NHKで人気のあった番組がまとめて放映されている。

 今年は名物教授マイケル・サンデルの「ハーバード熱中教室」、
 坂本龍一が音楽の歴史と
 それぞれの音楽の特徴を実演つきで語る音楽の学校「スコラ」、
 この二つだった。

 どちらも面白かった。 

 「熱中教室」はテレビで見た内容が活字化されて刊行されている。
 上巻を読んだ。活字だとよりよくその様子が分かる。

 ハーバードで人気のなかった政治哲学という科目が
 1000人を超える学生を集めるようになったという。

 米国の新保守主義の考えの根底が少し分かった。
 リバタリアン。自由主義者と訳せば良いのだろうか。
 これは市場原理主義とも重なっていることが分かった。

 オバマ政権の国民皆保険制度に反対する考えの根底であり、
 スーパーエリート達の高収入を裏付ける根拠である。

 彼らの思想は哲学者ジョン・ロックに由来しており、
 個人を絶対視するその考えから、
 社会福祉を擬声にしても個人を守ろうとし、
 課税でさえも個人の権利の侵害に当たると考える。

 リバタリアンは欧州の福祉政策を社会主義的と呼ぶのだろう。
 しかし社会主義の中国では貧富の差が拡大している。
 資本主義と社会主義の色分けは怪しく、
 それこそサンデル氏の政治哲学の理論から学ぶべきことなのだ。

 西洋的な思想、近代主義もそうだが
 それにはキリスト教の思想、特にプロテスタントが根底にある。
 だからサンデル氏の授業に喝采を送りながらも、
 東洋人の自分としては違和感も覚える。

 それにしても日本の近代化は「違和感」をどう取り込み、
 消化し「和風」にしていくかの歴史だったのではないか。
 それは「洋食」「洋館」が和風であることと同義であろう。
 西洋文明への憧れとその違和感の消化が、
 日本の国の文化に変革をもたらしたと思う。

 そしてますます目先を追おうとする日本社会に必要なのは
 理念を問うことではないだろうか。
 そういう思いを強くする。

2011年1月20日木曜日

アレクサンダーのカード

 エジンバラ在住の妹、スーザンから手紙が来た。
 2年ぶりのことだ。

 中にはどう見ても児童画のイラストカード。
 決して上手いとは言えないが、
 色彩とデザインにセンスが感じられた。

 よく見ると、クリスマスツリーの周りに三つの靴下。
 それぞれにアレクサンダー、ミリー、ロディの名前。
 スー(スーザン)の子ども達の名前だ。

 カードはしっかりとした作りで、
 家庭用のパソコンなどで印刷されたものとは思えない。
 裏面にはアレクサンダーのデザインによるとあった。
 日本の写真入り年賀状印刷業者のように
 オリジナルのクリスマスカードを作る業者が居るのだろう。

 いいなあ。
 思わず顔が緩んだ。
 
 中を見ると懐かしい殴り書きのスーの筆記体。
 僕の日本語なみの下手な文字に、
 流石我が妹よ、と思った。
 血は全く繋がって無いけれど。

 メキシコ湾海流の影響で
 大した雪の降らないはずのスコットランドで
 大雪が降ったらしい。
 学校は一週間休みだと。
 同じ島国なのにおおらかだ。

 フランス語教師のスーも子ども達もみな休み。
 ソリやスケート遊び、かまくら作りにココアを楽しんでると
 手紙にあった。

 よしいの名前がカッコイイと子ども達の評判らしい。
 任天堂のゲームWiiマリオゲーム。
 その中に「ヨッシー」という恐竜のキャラクターと
 同じ名前だからが理由らしい。

 随分昔に、スーと歩いたエジンバラの街を思い出した。
 飛行機の上から見た街並みはお伽噺の世界みたいだった。
 まだ返事は書いていない。
 来月まで書こうと思う。

2011年1月15日土曜日

雪の断面

 母方の祖母風間サイが亡くなった。
 101歳だった。
 あと一ヶ月すれば102歳の誕生日だった。

 正月に帰省した時に祖母を見舞った。
 起きている時は母の声に頷いたり、
 言葉にならない声を囁くように発していた。

 血や体液が上手く循環しなくなり、
 両足が浮腫んでいた。
 必死に呼吸している祖母を見ながら
 もう頑張らなくて良いよと心の中で呟いた。

 だから訃報が母から届いた時に、
 悲しいよりもホッとした。

 喪主の挨拶で叔父がこう言っていた。
 「私は母が人の悪口を言っているのを聞いたことがない」と。
 
 97歳で庭で転倒し、入院するまで
 冬は積雪が4mを超える北魚沼守門村で独り暮らした。
 5人の子どもが代わるがわる訪ね、
 向かいに弟家族が住んでいて助けられていたとはいえ、
 なまじの体力、精神力ではないなと
 我が祖母ながら感心していた。
 偉大な人だったなと思っている。

 自己抑制のとても強い人だった。
 感情を露わにするのを見たことがない。
 日常を淡々と噛みしめるように生活していた。
 
 60歳を過ぎて短歌を始め、
 郷里の歌人宮柊二が主催する「コスモスの会」で作歌に励んでいた。
 86歳で歌集を纏める決意をして
 「雪の断面」を編纂・発行した。

 面立ちは晩年次第に「良寛和尚」に似ていった。
 国宝「百済観音」のあの面立ちと共通している。
 百済人の末裔ではないかと想像している。
 
 「雪割れば土より立ちて湯気白し卯月半ばを春の陽ざしに」
 風間サイ -「雪の断面」老ひとりの死より-

2011年1月11日火曜日

美の壺

 美の壺がいい。
 
 金曜日の夜10時からNHK教育でやっている。
 だいぶ前に「屋敷林」をやっていた。

 上越新幹線で群馬北部と
 新潟の湯沢から川口辺りで見かける。
 住宅密集地でない、風に家が吹きさらされるような土地だ。
 強い風から家屋や庭などを守るのが目的の林である。
  
 前から独特な風情があるなと気になっていた。
 それを「美の壺」は取り上げた。
 偉い。

 その後だったと思うが、
 「昭和のモダン商店建築」も良かった。
 西日暮里など東京の下町や、青梅駅商店街にも残っている。
 家のファッサード、つまり正面の壁面全体を
 店の看板に見立てて個性的な意匠を凝らした建築である。
 
 宮崎駿氏が「千と千尋の神隠し」で取材したという
 小金井公園内「東京たてもの博物館」にも
 幾つかのモダンでレトロな商店が移築されて楽しめる。

 それらの建築はほとんどが素人のデザインによっていたり、
 町の左官屋さん大工さんの工夫に依るものだという。

 他にも「朝顔」や「根付け」など渋いレパートリー。
 「良寛の書」や「魯山人」など所謂正統派美術内容もある。
 それらも面白かった。亡くなった谷啓氏が出ていた頃だ。

 「茶の湯」では日本人の美意識が中国・朝鮮半島から学び、
 そこから独自の発展を遂げたことが
 分かり易く解説されていた。

 テレビ東京の「なんでも鑑定団」も好きだし面白い。
 けれどお金の価値ではなく、
 何を愛でて、面白いと思うのか、 
 そんな美意識を世に問う「美の壺」はやっぱり偉い。

2011年1月7日金曜日

津軽

 寒くて目が覚めた。
 昨日は小寒だった。

 新潟に帰る前は大雪が降った。
 福島県の会津や鳥取などが雪害に遭った。

 去年の正月は10年振りの雪下ろしをした。
 今年も覚悟して帰った。
 しかし毎日雪は降るが、積もらない。
 雨の日もあり、来る前よりも雪は減った。

 それでも屋根の上には30cmの雪が積もっている。
 雨を受けた雪は溶けてまた凍るので固く重くなる。
 次に大雪が来たら直ぐに下ろさないといけない。
 大雪は続いたり、何度も来たりする。

 東京の知人と飲み会で会った。
 知人も新潟の出身だ。
 「新潟にいて一番嬉しかったのは3月ね」
 「雷が鳴って、雨が降るとどんどん雪が溶けたね」
 「そう。それが嬉しくってねぇー」
 「雪が割れて地面が見えると蕗のとうの花が咲くんだよね」
 「とにかく春が待ち遠しかったわ」
 
 生ビールと日本酒と焼酎お湯割りでふにゃとした脳みそで
 高校時代の自分をぼんやりと想い出していた。

 暮れから太宰の「津軽」を読み直したいと思っていた。
 もう何度も読んでいるのに、青森新幹線の開通のせいだろうか。
 太宰が友人の歓待を受けている場面が何だか好きだ。
 つい過剰な歓待をしてしまう津軽の人に親近感を憶えてしまう。

 二次会のカラオケでは
 太田裕美の「雨だれ」と五輪真弓の「少女」を歌った。
 どちらも冬の歌だ。

2011年1月5日水曜日

新年の誓い

 正月に太った。

 いつものことだが、やはり今年もだった。
 体重計を買おう。いや、買う。
 体重をカレンダーに書く。
 これが今年の目標だ。
 断じて「痩せる」でも「ダイエット」でもない。

 テレビを聴きながら書いている。
 バラエティ番組で明石家さんまがカッコイイ願い事を言った。
 「願い事が無くなりますように」
 どこかで使おう。

 昨年暮れに拝島駅中の本屋さん。
 新潮文庫が毎年出している文庫形式の日記。
 買うかどうか迷って買わなかった。
 真っさらな無印商品のノートに書けばいいからだ。

 絵日記を書いてみようと思う。
 今日書いてみた。
 石川啄木の「ローマ字日記」を意識して、
 「英文絵日記」にした。
 英文と言っても基本は一行。
 絵はゆるゆるの落書き。
 
 新しいことを始める年にする。
 そう言う願いを込めた。

 「プロントくん」の個展へ向けて、
 絵本とアニメを完成させる。
 絵画作品はかなり出来た。
 けれど、個展の顔になる作品が出来ていない。

 とりあえず8月まで頑張ろう。
 今気が付いた。
 1年の折り返しは7月なのに、
 夏が終わる9月を折り返しと思っている。
 4月からの1年間では10月が折り返しだ。
 それがごっちゃになっていた事に気付いた。

 欲深い僕には今年の抱負は他にもある。
 「1日1日を生きる」
 これを一番の抱負にしよう。