太平洋戦争終戦(敗戦)に関する特番があった。
二つの番組に惹かれた。
一つはある米国人将校の話。
彼は軍人でありながら、広島・長崎の惨状を知り、
核兵器廃絶を訴え、そのための活動を続けた。
在軍中に彼の意見を取り入れる者は居なかった。
その後、日本の平和式典にも参加し、
亡くなるまで様々な活動を続けた。
もう一つは日本陸軍の小隊の話。
スパイとおぼしき中国人の少年を
処刑するか、解放するか論議になった。
彼らはその少年を保護しかくまうことにした。
少年と小隊の隊員の間には不思議な友情が芽生え、
爆弾で片眼を失った少年に、隊員達は義眼を買って与えた。
敗戦で強制送還されることになった小隊に、
少年は別れを告げに会いに来たという。
いずれも自分の不利益や危険を承知で、
人間としての志操の高さ、尊厳を大切にした例だろう。
けれども同時に人は弱いものでもある。
自らの欲望に弱い。地位や名誉に弱い。権力に弱い。
弱いからより弱い人を見つけ出し、時にいじめる。
自らの弱さを認めたくなくて、大きな組織や権力と同化し、
同化しない他の組織や権力を憎み、排除し、攻撃しようとする。
米国人の多くは広島・長崎の惨状を知らない。
日本人も多くが中国、朝鮮半島、その他の惨状を学ばない。
自国の悲劇に目を向けても、自らの汚点には目をつむる。
情報化社会と言われて長い年月が経つ。
確かに様々な情報が入手し易くなった側面はある。
しかし多くのマスコミが自社の利益(マスコミ収入)のため、
権力におもねず、情報の共有と透明性を守ることをしなくなっている。
戦前の日本社会の反省は生かされようとはしない。
人は歴史から学ぼうとせず、
私は私の弱さから目を背け続けている。
それでも非常時に尊厳を持った人たちに学びたいし、
パンドラの函の底には希望もあるのだと思いたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿