2011年8月19日金曜日

パンドラの函

太平洋戦争終戦(敗戦)に関する特番があった。
二つの番組に惹かれた。

一つはある米国人将校の話。
彼は軍人でありながら、広島・長崎の惨状を知り、
核兵器廃絶を訴え、そのための活動を続けた。
在軍中に彼の意見を取り入れる者は居なかった。
その後、日本の平和式典にも参加し、
亡くなるまで様々な活動を続けた。

もう一つは日本陸軍の小隊の話。
スパイとおぼしき中国人の少年を
処刑するか、解放するか論議になった。
彼らはその少年を保護しかくまうことにした。

少年と小隊の隊員の間には不思議な友情が芽生え、
爆弾で片眼を失った少年に、隊員達は義眼を買って与えた。
敗戦で強制送還されることになった小隊に、
少年は別れを告げに会いに来たという。

いずれも自分の不利益や危険を承知で、
人間としての志操の高さ、尊厳を大切にした例だろう。

けれども同時に人は弱いものでもある。
自らの欲望に弱い。地位や名誉に弱い。権力に弱い。
弱いからより弱い人を見つけ出し、時にいじめる。
自らの弱さを認めたくなくて、大きな組織や権力と同化し、
同化しない他の組織や権力を憎み、排除し、攻撃しようとする。

米国人の多くは広島・長崎の惨状を知らない。
日本人も多くが中国、朝鮮半島、その他の惨状を学ばない。
自国の悲劇に目を向けても、自らの汚点には目をつむる。

情報化社会と言われて長い年月が経つ。
確かに様々な情報が入手し易くなった側面はある。
しかし多くのマスコミが自社の利益(マスコミ収入)のため、
権力におもねず、情報の共有と透明性を守ることをしなくなっている。
戦前の日本社会の反省は生かされようとはしない。

人は歴史から学ぼうとせず、
私は私の弱さから目を背け続けている。
それでも非常時に尊厳を持った人たちに学びたいし、
パンドラの函の底には希望もあるのだと思いたい。

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