2014年7月28日月曜日

真夏の夜の夢

「ライバルはダ・ヴィンチ。
えっ?レオナルド・ダ・ヴィンチだよ」
そう公言して10数年が経つ。

ぼくは自称‘世界で5本の指に入る画家’だが、
日本では50人にも入らない。
これは製本職人のナカちゃんの受け売りだ。
「日本の方がレベル高いんだよ!」
ナカちゃんは笑いながら、そう言い放つ。
いつもの百薬でビールを片手に。

ほとんどの画家は誇大妄想家だと思う。
絵に限らず、妄想は芸術の原点なのだろう。
けれど、どんなに愚かで傲慢な芸術家でも、
芸術には果てしない高みがあることを知っている。

本当は、どんな天才芸術家でも、
芸術そのものが持つ崇高さには及ばない。
人類が成しえた、大きな文化の厚みの中に、
一人ひとりの芸術家が存在しているだけなのだ。

ぼくがダ・ヴィンチを引き合いに出すのは、
彼もそういう大きな芸術の枠組みの中に居ること、
そして彼を「万能の天才」という肩書でくくるのは、
とてもつまらないことだと思うからだ。

ウィリアム・シェークスピアは芸術的には不毛の国だった、
16世紀の英国に忽然と現れた。
戯曲「真夏の夜の夢」は1595年、
シェイクスピア31歳の時の作とされる。
「ロミオとジュリエット」も同年作である。

バッハの多くの曲は、
すべて彼のオリジナルではなく、
当時存在したメロディを対位法や
その他の工夫により、
より高次な楽曲になったとされている。

シェイクスピアの戯曲も、
元から在ったお話を彼の独創によって
再創造された作品だとされている。

ダ・ヴィンチの絵画も、
当時のイタリア・ルネッサンスの影響なしには
存在しなかった。
けれど、「モナ・リザ」等に描かれた背景の風景、
あのような表現は以前になかったものだ。

彼らの時代、彼らの国では
現代の熱帯夜などなかったことだろう。
それでも暑かった日の夜に、
彼らはそれぞれの夢を描いたのだろう。

2014年7月20日日曜日

たそがれ王子


たそがれ時の風景が好きだ。
特に、夏の始まりから、終わりにかけて。

秋や冬も良いけれど、
夏の雲を背景とした夕暮れは格別だと思う。

積乱雲や様々な雲たちが、大空に浮かぶさま。
地球という星の、惑星としてのスケールを感じる。
強い夏の陽射しの空と、地上の木々や建物の闇。
このコントラストが夏のたそがれを、
よりドラマチックにしていると思う。

夏の暑さは疎ましい。
蒸し暑い日は尚更だ。
それでも、夕暮れ時になれば
「たそがれ王子」が顔を見せる。

たそがれ王子は夏の空を舞い、
雲の上に遊ぶ。
小さな笛やハーモニカを持っている。

たそがれ王子が奏でる音楽。
夕暮れのオレンジ色の光と混じり合い、
やがて美しく深い藍色になる。

*写真1-萩山駅周辺(7/11撮影)
  写真2-1984年ごろ作「たそがれ王子」

2014年7月2日水曜日

負の世界遺産

「戦前の治安維持法も
初めは一般人とは無関係だと思われていた」
85歳になった父が言った、

「それがいつの間にか拡大解釈されて、
あんな悪法になった」
特定秘密保護法は、どうなのだろうか。

不思議なのは、政府与党の人間でも
知ることが出来ない内容もあるし、
自分たちが野党になったら、
ますます知りえない。
そんな事態を想定しているのだろうか。
「こんなはずではなかった・・・」
彼らは(ぼくらは)そう呟かないだろうか。

セブンイレブンで雑誌「負の世界遺産」を買った。
チェルノブイリ原発、グランドゼロ、
アウシュビッツ強制収容所、板門店、
スリーマイル島、リオのファベーラ、
ビキニ環礁、知覧特攻平和会館、
長崎原爆資料館、ひめゆりの塔など
世界史の負の部分を特集したものだ。
「負の世界遺産」は人間の愚かさの証左でもある。
私自身の愚かさを見つめる本でもある。

昨日閣議決定した「集団的自衛権の行使容認」
特定秘密保護法と併せて、
21世紀の「負の遺産」になりはしないか。

原発の「絶対安全神話」の時も
それで得をしている人たちに
お人よしの国民は騙されていただけだった。
絶対安全なんて、「何でも突き破る矛」と
「どんなものでも跳ね返す盾」と
同じような論理だった。

集団的自衛権の容認の先にあるもの。
憲法9条との矛盾は甚だしく大きくなる。
「だから改憲しよう」と言い出したいのだろう。
軍事輸出に力を入れようとしている、
一部の企業と関連する行政は、
にんまりするのだろう。

「集団的自衛権の行使」については
憲法に抵触する可能性があるとされる。
今後日本の各地で訴訟が起きるだろう。

その時、三権分立がどう機能するのだろうか。
マスコミはそれをどう報道し、
どのような論評をするのだろうか。

私はそのような夏を
おろおろと歩くのだろうか。

2014年7月1日。
日本の悲劇はあの日から始まったと、
未来の日本人は記すのだろうか。