2009年12月25日金曜日

ハッピークリスマス  War is over.

 もうすぐ2009年も終わる。
 テレビを見てないから、2009年特集を見ていない。
 今年の漢字が「新」だったことも、昨日ネイブで知った。

 スコットランドのスーザンに3年ぶりの年賀状
 (X'mas Card)を書いた。
 エディンバラに住む僕の妹である。(血縁ではない)
 
 20年くらい前に同じ職場に居た。
 彼女との会話と、NHKラジオ「英会話」によって、
 僕の英語力は飛躍的に向上した。
 と言っても、中学生レベルが高校生レベルになっただけだが。
 英検2級を取ったのもその時だ。

 当時、インドでバスが崖から落ちて20名以上の死者が出た。
 日本のマスコミは「邦人の安否」のみを重大に扱い、
 インド人死者に敬意を払っていなかった。
 彼女はそれに憤慨していた。

 英国人と米国人は偉く違うと、あとで気が付いた。
 (スーザンはスコットランド人で、英国人ではないと言っていた。
 これを読んだら怒るだろうな)。

 たまたまかも知れないが、僕の知っているアメリカの知人は
 キリスト教の宗教色が強かった。
 異教徒は死後、地獄に堕ちるだろうと言われて少し驚いた。

 昨日はスタジオネイブでビートルズセッションだった。
 最後の曲は「ハッピークリスマス」。
 
 「今宵はクリスマス。そして新年おめでとう
  戦争は終わった。もしもみんなが望むならば」。ジョンの歌だ。

 B研の打ち上げで焼酎を飲み過ぎた。久しぶりの二日酔い。
 今日から正月4日まで雪の新潟だ。ブログも暫くお休み。
 みなさん良いお年を。
 

2009年12月23日水曜日

冬来たりなば

 新潟の大雪は峠を越したらしい。

 郷里の友人にメールをして、返事を貰った。
 雪景色の写真、雪かきでぎっくり腰になった話、
 同級会の忘年会の盛り上がりの話など。

 川端康成の「雪国」。
 数年前に読んだ。あまりに有名な冒頭部分。
 「国境の長いトンネルを越えるとそこは雪国だった」。
 新潟の人から見れば、話は逆である。
 「雪に閉ざされた越後から、国境の長いトンネルを越えると、
 そこは快晴の世界だった」と。

 どちらからトンネルを通っても、
 雪深い季節にはそのコントラストに驚く。分かっていてもだ。
 三国峠を境に、日本海側と太平洋側に分かれる。
 強い寒気が日本海側を襲うと、
 時に一晩に1mを超える猛烈な豪雪となる。

 昭和38年の所謂「38豪雪」。
 当時の写真(勿論白黒だ)を持っている。
 と言うより、あの時のことは記憶の片隅にある。
 2階まで完全に家が埋まったのは、あの時が最初で最後だったと思う。
 積雪は4mを超えていただろう。
 自衛隊が雪上車で救援に来た。
 交通が完全に遮断されたからだ。

 次の年に「新潟地震」。豪雪と大地震は関係があるのかないのか。
 5年前の「中越地震」次の年が10年以上なかった豪雪だった。
 しかし「中越沖地震」の前後は大雪ではなかった。

 雪国を逃げ出した人間だからか、「雪景色」に弱い。
 吉幾三の「雪国」、千昌夫の「望郷酒場」。
 雪国の映像をバックに聞くと堪らない。
 ついカラオケでリクエストしてしまう。こんな寒い季節は。

 昨日は冬至だった。
 これから一日一日と春へと近づく。
 桜の硬い蕾は、日ごとにふくらんでいく。

 「埋火やついには煮ゆる鍋のもの」蕪村

2009年12月22日火曜日

美味しんぼ

 牛スジのシチュー。
 上手くできた。西友で買った半額の国産牛のスジ肉。
 灰汁を取るために、まず一煮立ち。一度ザルに上げて水洗い。
 さらに水・お酒、牛スジ、ニンニク、玉葱と
 月桂樹、固形コンソメ、粗挽き黒胡椒、塩、砂糖で90分煮込む。

 翌日、さらに煮込みジャガイモ、人参、シメジを加える。
 ハインツのデミグラスソース、ウスターソース、コンソメを加える。
 何か足りない。味が締まらない。赤ワインを加えてみる。
 びっくり!味が締まってまとまった。味見しながらのワインが進む。

 マンガ「美味しんぼ」。
 時々、ブックオフで買って読んでいる。読み終わると実家に持って帰る。
 父親がそれをまた読む。
 単行本が100巻を超え、マンネリだろうがおかまいなし。
 料理や味に関する描写を見たり、知ったりすれば満足なのだ。

 テレビが壊れて一週間。
 テレビ依存症が治って良いのだが、新聞も取ってないし、
 ネットニュースも見ないので、実家の大雪を知らなかった。

 ドラマ「坂の上の雲」と教育テレビが見られないのが痛い。
 大好きな「いい旅夢気分」と代休の日にみる「チイ散歩」。
 石ちゃんの「通りの達人」も好き。
 旅に出られないせいか、金がないせいか、旅&グルメ番組に弱い。
 (単におじん趣味かもしれない)

 大学1年の頃から、自炊を始めた。
 最初に憶えたのは、肉じゃがとカレー。実は材料がほとんど同じ。
 
 父親が夏作る夕顔汁。(ゆうごおじると読む)
 鯨肉の塩漬けに、冬瓜(夕顔)茄子、ミョウガなど野菜と煮込む。
 こんなに旨い物はない。鯨肉料理を新潟以外で食べたのは函館だった。
 新潟の鯨汁(夕顔汁)と違ってた。函館では正月料理らしい。
 鯨肉料理はあまり豊かでなかった土地の料理かも知れない。

 正月は、郷里新潟の鮭を中心にした正月料理がまた美味しい。
 美味しい料理とお酒はダイエットの敵だけど、敵わないな・・。

 「葱こうて枯木の中を帰りけり」蕪村

2009年12月20日日曜日

冬の花火

 明日今年の仕事を終える。
 明後日は新潟県小千谷市片貝町に居る。

 除夜の鐘を聞くことの出来ない地域がある。
 片貝町のほとんどがそうだ。
 代わりに108発の花火が打ち上げられる。
 「冬の花火」だ。

 太宰治の小説に同題のものがあった。
 どんな内容だったか、とんと思い出せない。

 大晦日。
 紅白歌合戦が終わって、「行く年来る年」始まる頃、
 片貝町では花火が上がる。
 
 昔では考えられないが、鎮守様である浅原神社が人だかり。
 容易に参内できない。神社の背後に花火が打ち上がる。
 「ドオーーーーン。ドオーーーーン」と。
 
 今日はクリスマスだ。
 声高に喧伝するでもなく、冬至から初春を迎える日を祝おう。
 冬は、死と再生の季節かも知れない。

 随分昔のこと。年の暮れにスペインに居た。
 街を飾るイルミネーションは、決してチカチカなどせずに、
 歴史の落ち着きをかい間見せてくれた。
 人々は、ワインを片手に爆竹を鳴らす。
 12時の音が聞こえると、誰にキスをしても無礼講だった。

 彼の地でも、本来は新春を祝う意味があったのではないか。
 雪に閉ざされたイングランドで、
 シェイクスピアは何を思ったのだろうか。
 デンマークの冬の海を、
 アンデルセンはどんな思いで見つめたのだろう。

 高校時代のジョン・レノンは、リバプールの冬の海を見て、
 遠い世界に夢を馳せたのだろうか。

 「幾たびも雪の深さを尋ねけり」子規

2009年12月19日土曜日

くよくよするなよ

 ボブ・ディランの名曲。
 ‘Don't Think Twice,It's All Right'
 邦題は「くよくよするなよ」。

 実にくよくよした歌だ。
 振られた女をぐずぐず思っている。それでくよくよするなよ。
 変だ。男は女々しく、女は雄々しい。前から思ってた。
 「僕は彼女に心をあげた。でも彼女は僕の魂を欲しがった」
 女性の方が欲張りなところも真実か?
 男は女を追いかけるのが好きなのか?

 僕の好きなジョン・レノンの名曲‘Jealous Guy'。
 直訳は「やきもち焼き」。実に女々しい。
 「君の瞳を見つめようとしたら、君が目をそらしたと思った。
  それですごく苦しくなった」。バカみたい。でもいい曲だ。
 ビートルズの‘No Reply'訳すと「返事無し」。
 歌詞はストーカーみたいなジョンの苦しい失恋の歌。

 ジョンは女々しく、ヨーコは未だに雄々しく活動している。
 彼女の詩‘Rainbow Revelation’訳して「虹のお告げ」。
 「怒りに祝福あれ。それは湧き上がる力のしるし」。
 実に力強い。彼女の芸術家としての資質は、言葉にあると感じる。

 2009年12月19日。
 僕はいろんな事にくよくよしている。
 「くよくよするなよ」。
 

2009年12月17日木曜日

〆張鶴

 酒が好きだ。特に日本酒が。
 日本酒はそれだけでも旨いが、魚料理にどの酒より合うと思う。
 地元越後の酒「八海山」「吉乃川」「緑川」そして「〆張鶴」。
 山形の「十四代」、石川の「天狗舞」、東京の「多摩自慢」、
 みな美味しい。

 ビールも好きだ。
 特に生ビールが。枝豆に合うのはやっぱりビールだろう。
 サッポロの「黒ラベル」が僕の定番。飲み飽きない。
 たまに飲むなら、エビスの[THE HOPE]、
 キリンのハートランド、サントリーのプレミアムモルツがいい。

 チーズに合うのは赤ワイン。それもフルボディの渋いヤツ。
 カビ臭く、重い感じのがいい。フルーティなワインは勘弁して欲しい。
 白のドイツワインが好きだったのが、フランスに住んでいた
 ほとんど下戸だった野沢くんに勧められて飲んだ赤のテーブルワイン。
 フランスの街角で300円くらいで売られていた。
 最初は渋くて、カビ臭さが鼻につく。
 でも慣れるとライトボディが不満になった。
 チリワインのカーベルソーヴィニヨン種のワイン「サンランズ」。
 手頃な値段で楽しめる。牛スジのシチューなんかあったら堪らない。

 甘い物にはウイスキーがいい。
 美味しいケーキにオンザロック。昔はバーボンにはまった。
 ワイルドターキー、フォアローゼズ、ジムビーンズ、ジャックダニエルズ。
 スコッチもいい。
 村上春樹のエッセイ「もし僕らの言葉がウイスキーであったならば」。
 この本が出た頃は、スコッチのシングルモルトは、手に入り難かった。
 ところが今では郷里小千谷市のスーパーでも
 「ラルフロルグ」だの「アイラ」だのが適正な値段で手に入る。
 それでも、ニッカの「竹鶴」はすごく美味しい。
 普段は「ブラックニッカ」を飲んでいるけれど。

 カクテルなら「ドライマティーニ」。
 飲みたくなった。久しく飲んでないからだ。
 
 今日は酒を抜いた。
 西友で半額だった牛スジを煮込んでいる。
 玉葱、ニンニク、月桂樹と一緒に。
 明日が楽しみだ。

宇宙家族ロビンソン

テレビが壊れた。
 まだ5年しか経っていないのに・・。
 最もリサイクルショップで買ったものだから
 10年以上前の物かも知れない。

 テレビが好きだ。
 白鳩保育園に通っていた頃、「鉄腕アトム」や
 「8マン」「鉄人28号」を夢中で見ていた。
 当時の画帳が、実家の小屋に10冊余り取ってあった。
 見てみると、アトムに8マン、鉄人がそえぞれ戦っている。
 実に一生懸命戦っているのだ。時折、自分の姿も現れる。

 新潟では当時、民法は1局しかなく、
 あとはNHKと教育テレビだけだった。
 しかも、東京から1ヶ月遅れの放映は当たり前。

 アメリカのテレビ番組がゴールデンタイムに放送されていた頃だ。
 「宇宙家族ロビンソン」大のお気に入りだった。
 いつも9時に就寝だったが、土曜の夜9時のこの番組は別だった。
 ロボットのフライデーが出てくるだけで、ワクワクしたものだった。

 「フライマン」「モンキーズショー」「ママは太陽」「奥様は魔女」。
 ブラウン管の向こうのアメリカは、いつも眩しかった。
 
 18歳で東京に出てきて、独り暮らし。
 4年近くテレビを持たなかった。持てなかったのか・・。
 友達の家や実家でテレビを見ると、やたらに面白かったのを憶えている。
 プロレスを見るようになったのはこの頃だ。

 大学4年の時、2千円で白黒テレビを買った。
 室内アンテナだったので、
 チャンネルをかえる度にアンテナの向きも変えた
 5年前にリサイクルショップで買ったビデオ内蔵のテレビも2千円。
 日本はデフレに入っていると思う。

 1980年の12月9日。
 ジョン・レノンの死を告げる放送を繰り返し見た。
 

2009年12月15日火曜日

建築家の腹

 家の模型を作っている。
 昨年に続き2つ目になる。

 自慢じゃないが、借金はあるが金はない。
 「金がない奴はオレんとこへ来い。
 オレもないから心配するな~。」という感じだ。

 高一で美術を志した僕だが、建築家には憧れがあった。
 宮大工の家系で、祖父が建築家だった影響もあるだろう。
 数Ⅰで挫折していなかったら、建築家を志していたかも知れない。

 だからか、大学に入っても建築への憧れは消えず、
 絵画を除けば、建築科の学生作品をよく見たものだった。
 
 建築展へも出掛ける。
 エミリオ・アンバース、ルイス・バラガン、ル・コルビジェ、
 安藤忠雄、バウハウス展など、様々な建築家、建築作品の
 展覧会へ出掛けた。カタログも幾つか持っている。

 「東武スクエアワールド」であれほど感激したのは、
 世界中の名建築、構造物の正確な模型を見ることが出来たからだ。

 家の模型は、美術を教えている生徒と同じく50分の1サイズ。
 平面図、立面図を描いてから作る。
 勿論、現実に建てられる予定は全くない。

 2作目の今年は、1階に「アトリエがある家」だ。
 もう、平面図と立面図はあらかた完成している。
 間取り、通風に採光、動線、収納、空間性、居住性、機能性、デザイン性。
 考え出すと切りがない。だから面白い。

 心理学者のユングは、自邸を自力で建造するために、
 石工のギルドに入門し、家作りに熱中した。
 製作中に、また完成した後で、家の構造はユング自身の精神の構造と
 対応していることに気づいたと言う。

 ユング系の心理療法に「箱庭作り」がある。
 箱の中の庭にその時のその人の精神が現れるだけでなく、
 それを視覚化し構造化することで治癒に役立てるのだと言う。

 家作り(模型だけど)、は自分と向き合う事なのかも知れない。
 そしてそれぞれの家にはそれぞれの精神構造が現れるように思う。
 だからこそ、同じ規格の集合住宅は?を感じる。
 それが必要だと解っているからなおさらである。

 昔読んだ、雑誌ブルータスで海外の集合住宅が特集されていた。
 低所得者のための集合住宅に驚いた。これこそ文化の差ではないか。
 コルビジェのマルセイユのアパートや、ブルーノ・タウトのアパート。
 未だに現役だが、素晴らしい。タウトの建物は世界遺産にも認定された。
 (それらは低所得者のものではないが)。

 日本でも集合住宅のあり方が問われ始めているし、
 その先駆的な例もある。
 しかし、低所得者のための画期的な集合住宅はいつ現れるのだろうか。

2009年12月13日日曜日

不遇の天才

 僕のライバル。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ。
 実は弾き語りの名手だった。楽器は竪琴。

 当時の美術史家ヴァザーリはダ・ヴィンチをこう評した。
 「レオナルドは優れた吟唱詩人でもあった」と。
 イタリア・ルネッサンスについて調べていてわかった。

 ダ・ヴィンチはイヴェントのプロデューサーでもあった。
 彼の師匠、ヴェロッキオの工房は、絵画・彫刻・金銀細工
 建築・甲冑製作・部屋の装飾・服飾製作・兵器製作・楽器製作
 祭の準備等、あらゆることをこなした。
 
 主な発注者は当時のフィレンツェの実質的支配者のメディチ家。
 ヴェロッキオは、レオナルドの師として現在は知られているが、
 彫刻家として当時から大家として認められていた。

ダ・ヴィンチの有名な手稿の中に、戦車のような兵器があるのも
 当時の様子を反映している。ルネッサンスは戦争の時代でもあった。
 彼は治水や灌漑など、土木事業も得意としており、
 ダヴィンチが陣頭指揮を執った運河が、イタリアに今も残る。

 ダヴィンチは年少の頃、役人にしようとした父親が、
 ラテン語や数学の勉強をさせたが成果が上がらず、
 父はダヴィンチを役人にさせることを諦めたと言う。
 今で言う学習障害ではなかったかとの説もある。
 画家になってからの活躍を考えると、人の才能とは分からないものだ。

 その彼も、ミケランジェロやラファエロがローマ法庁で活躍した時期は
 思うような絵の注文が来なかったそうである。
 作品が優れていることと、人気は必ずしも一致しない。
 万能の天才も例外ではなかった。

 最近、僕のライバルは持ち上げられ過ぎだと思う。
 偉大な天才もただの人だったはずだ。
 「僕は不遇の天才」とブログには書いておこう。

2009年12月9日水曜日

師走

 「いねいねと人にいはれて年の暮れ」路通

 毎年9月を過ぎると、時間の流れにターボチャージがかかる。
 今年も気が付いたら、12月だ。

 2月末にビートルズ研究会の仲間とライブ。
 3月末には約2年ぶりの個展「洪水のあと/動物たちの肖像シリーズ」。
 8月には、藤塚さんにこの新しいホームページを作っていただいた。
 9月以降、初めてのアニメーション「プロントくん」制作。
 12月には2年間続いて挿絵を担当した、
 新潟日報、大高洋夫のエッセイ「ナジラネ」が終了する。 
 
 アニメは先日描き直し・描き足しをして、再度撮影した。
 スキャナーで原画を取り込んで編集し、音楽も入れようかと考えていた。
 でも撮り直したアニメを見ても、いまひとつである。 
 友人の作曲家、伊藤祐二さんに作曲依頼はしたものの、
 年内編集はほぼ無理だろう。どうするか。

 いきつけのモツ焼き屋「百薬の長」の帰り、99ショップに寄ろうとした。
 途中で男の横顔の肖像画のポスター。とても気になった。
 小川駅近くの画廊でやっている。
 行ってみると、6時までの展示。閉まっていた。

 後日、NMCギャラリーを訪れる。開いていた。
 ポスターにあった、黒い背景に赤い丸い男の肖像画を見つけた。
 テレピン油の匂いが鼻腔に入り込む。油絵だ。思ったより小品。
 向かい側の白い壁面に、100号くらいの大きなキャンバスが並ぶ。
 いずれも人物が中心だが、デッサンが正確でタッチと色彩が独特である。

 作者のイケダコウイチさんが話しかけてきた。
 「絵を描いてる方ですか?」
 やはり、外務省勤務にも都市銀行勤務にも見えないらしい。
 イケダさんは若いけれど、すでに自分のスタイルを築きつつある。
 たいしたものだと、感心した。

 あっちにふらふら、こっちにふらふらと、
 寅年のオレは、何処に流されて行くのだろうか。

 「さてどちらに行かう風が吹く」山頭火 

2009年12月6日日曜日

紅葉狩

「うらを見せおもてを見せてちるもみじ」良寛

 年を重ねるほどに、紅葉が愛おしい。
 鬼怒川温泉の屋上露天風呂のもみじ。
 東武日光駅ホームのもみじ。
 そして、新宿御苑のもみじ。
 美しいもみじを眺めていると、魂が抜けるような思いがする。
 
 数年前、一度だけ能を見た。
 吉祥寺のお寺での薪能。11月の上旬だったろうか。
 野外の特設ステージが薪の炎に囲まれて、
 静けさの中に幽玄な雰囲気が醸し出されていた。

 演目は「紅葉狩」。
 紅葉狩に出掛けた武士が、非常に美しい紅葉に潜む物の怪に
 心奪われる。物の怪に扮した役者(シテ)の舞が素晴らしい。
 ラストは、物の怪の魔力を振り切って刀で成敗し、めでたしめでたし。
 生まれて初めてのお能を堪能した。

 美しいものには魔物が潜む。
 雪女やお菊さん、雨月物語の姫もみな美しい。
 美しい物の怪は美しいもの、特に子どもに取り付こうとする。
 世界中のあちこちで、男の子を女装させて育てたり、
 化粧したりするのは、物の怪を惑わすためらしい。
 わざと汚いつけ身なりをさせたり、日本では名前に丸や子を付けた
 (いずれも排泄物を意味した)のも魔物から子を守るためだったと言う。

 師走もはや一週間が過ぎた。今年のもみじも見納めだ。
 
 12月9日。強はジョン・レノンの29回目の命日である。
 (亡くなった現地ニューヨークでは12月8日)。
 生きていれば69歳。

 自分が年を取るのも道理である。
 
 

ふるさと未だ忘れ難く -双葉会旅行記6-

 「国破れて山河在り」。
 山河は勿論だが、オレの中のふるさとは友の中にも在る。

 時々片貝町の夢を見る。たいていがお祭の夢。
 浅原神社や、片貝の町中が出てくる。
 それらは現実の片貝町とかなり違っている。
 双葉会の同級生が必ず出てくる。

 その同級生と世界旅行していた。
 「世界遺産の旅」。ピラミッドからエッフェル塔。
 ロンドン橋にミラノ大聖堂。サクラダファミリアからタージマハル。
 25分の1の世界だけど、すごく楽しい。
 本当の世界旅行より疲れないし、空は青いし、陽は高い。
 「東武スクウェアワールド」はとても楽しめた。
 
 「ペコちゃん」も居た。東京駅前の交差点。
 バッキンガム宮殿の見学。日本のお祭の屋台の前にも。
 25分の1の世界の住人として。

 「旅行券か、不二家のお菓子が抽選で当たるがらと」と正敏。
 バスに戻る。ビールを止めて、サワーを飲む。
 「おいっ、〆張鶴があるや!」とジュウゼン。「いいのう」。
 
 「恵司は燗酒が好きらいな・・」「オメは?」。「オラも」。
 「オラは熱燗にしゃっけえ酒混ぜて飲むや」。ヒロミは変わってる。

 土産屋で休憩の後、バスに戻ってまた飲む。
 外の喫煙コーナーに、圭子、光枝、のり、ヒロミが見えた。
 タバコを片手に、何やら楽しそうに談笑している。
 そこにタバコを吸わない恒がニコニコしながら、圭子に話しかける。
 勿論、声は聞こえない。

 「おいっ、見てみーーや。恒が歯見せに来いと言うてるやーー」。
 ジュウゼンの毒舌は止まらない。(恒くんは、歯医者さんです)。
 「42の時、恒んちでたまげたやーーー」。「何で?」。
 「会長の恒が、オラたち役員を呼んでご馳走してくいたがども、
  かか(奥さん)が金寿司、かあちゃん(母親)がおめん寿司、
 二人が別々に頼んで、両方来たがらやーーー」
 ジュウゼンの話を聞いてると、目の前に映像が浮かぶ。
 オラも金寿司と、おめん寿司食べてーーーーー。

 「おいっ、ひろし東武日光らや」。楽しい時間には羽が生えている。
 みんなに別れを告げバスを降りる。ツアーのまとめ役チカシに礼を言う。

 「よしいさん」。二日後いきつけの百薬で飲んだ後、
 常連の星さんと帰りの電車が一緒になった。
 「よしいさん。あの店に来ている年金の人は選ばれた人達なんですよ」。
 「健康で、年金が貰えて、時間に余裕がないと来られないでしょう」。

 そうだ、その通りだ。
 星さんの話を聞きながら、
 オレは鬼怒川温泉ツアーの事を思い出していた。
 (終)
 *ご愛読ありがとうございました。この旅行記はほとんど本当ですが
  オラの妄想も混じってます。オラは妄想系男子です。

2009年12月4日金曜日

80日間世界旅行 -双葉会旅行記5-

 「じゃあ、オラは帰るいやーー」。オレは言った。
 昨日と同じ鬼怒川温泉駅から帰るつもりだった。切符もある。
 「ひろし、東武日光まで行かねーーーか?」チカシが聞く。
 「東武日光か・・・。行こかな・・・」。

 60人乗りのバスに、20人強。贅沢だ。
 最後部はサロンタイプになっている。
 ジュウゼン、ヒロミ、恵司にオレ。
 何故かオレを除いて、中学の時悪かったグループが最後部に集結。
 「ビール飲むか?」ジュウゼンが聞く。
 「おおっ、いいがか・・」「いいこっつあ」。

 朝9時。アサヒスーパードライが胃に染みる。
 「オラはさ・・。今、高血圧に、通風の薬飲んでるや・・・」。
 「実はオラもら・・・」。「薬代もバカにならねーや」。
 そんな会話が行き交う。オレも数年前から緑内障を患っている。

 病気の話をしている内に、東武スクエアワールドに到着。
 正直に言って、さほどの期待はしていなかった。
 展示物そのものより、展示物に潜む不二家の「ペコちゃんを探せ」に
 話題の中心があった。「ペコちゃん探すと何か貰いるがらや」。
 「ウオーリーは居るがらか」。「いねーーや。ペコちゃんらや」。

 総勢21名の双葉会は団体扱いで、説明役のガイドが付いてきてくれた。
 国家か議事堂から、東京駅へ。サイズは全て25分の1だという。
 それぞれオリジナルの建物が、改修されたり、ラジバンダリ。
 いや補修や、清掃などによってオリジナルが変化する度に
 修正を繰り返していると、説明があった。
 
 しかも展示物それぞれの制作費が、5千万円以上。
 数億のものもあると言う。
 夜は建物の窓から明かりが漏れ、電車や車、船などのライトも点灯する。
 あーー、ロマンチックらなーー。さぞかし綺麗らろーーーな。

 「おい、ひろし!昨日カラオケで唄ってる場合らねかったなーー」。
 「ここに夜来ればいかったのになー」。ヒロミとジュウゼンが言う。
 
 最初はマジメに聞いていなかった説明も、良く聞くと面白い。
 エンパイヤステートビル、クライスラービルなど摩天楼から、
 世界遺産の旅に移る。最初がピラミッド。

 ガイドさんの話に呼応して、オラが説明する。
 「ひろしてば、適当なことばっか言ってるがらと思ったら、
 説明と合ってたやーー。たまげた」。圭子が言う。
 「オメはガイド泣かせらな」。ヒロミが言う。

 「ばかいいやーーー!こっていいやーーー!」
 を繰り返すオラに「ひろしが喜んでくいていかったや」。と恵司。
 同級会で世界旅行へ行くとは思わんかったなーー。
 (まだつづくがらやーーー)
 

2009年12月3日木曜日

修学旅行 -双葉会旅行記4-

 片貝中学校での修学旅行は、箱根・鎌倉・東京だった。

 一日目。箱根の芦ノ湖で遊覧船に乗り、ロープウエーで大桶谷へ。
 ホテルの温泉も硫黄の匂いが強くて驚いた記憶がある。

 ラウンジには日本ソバの自動販売機があり、つい食べた。
 味よりも、機械でソバが食べられることに驚いた。

 ジュークボックスがあった。
 ビートルズの曲を見つけると、富士雄がコインを入れた。
 3曲で100円だったと思う。
 曲はサムシングとCOME TOGETHERがあった気がする。
 家で聞くビートルズとは、何だかすごく違って聞こえた。
  
 「おいっ、ヒロシ!ラーメン食いに行こーや」。ヒロミが言う。
 カラオケは2時間で終了した。シメのラーメン。久しぶりだ。

 「あさや」はとても大きなホテルだ。10階以上あり、
 ホテル中央4階のラウンジから天井まで吹き抜けになっていた。
 「おら、高所恐怖症らんだ、おっかねーーや」。正敏が言う。

 気がついたら、七時前になっていた。夕べは12時前には寝たはずだ。
 7階の部屋のベランダに出る。朝の冷たい大気が心地良い。
 ホテルは川縁にあり、眼下に川を臨めた。

 良く見ると、向かい岸はホテルの基礎の残骸が見えた。
 さらに、その下方にはそのホテルから続いたと思われる階段の跡。
 川底には、かつて露天風呂があったのだろう。

 旅行のまとめ役のチカシにそのことを聞くと、
 「前にあったれ。露天風呂が上から見えたもんな」。

 朝の露天風呂。昨日と男女が入れ替わっていた。
 朝陽に映える山並みを眺めながら、悦に入る。露天風呂はいい。
 
 中学の修学旅行。二日目は鎌倉だった。大仏に鶴岡八幡宮。
 夜は東京のホテルに泊まったはずだが、記憶にない。
 三日目。東京科学博物館見学。身体が縮んで見える鏡の前で
 美術の大川先生、同じクラスのヨシノブと写真を撮った。
 あと毎日新聞社を見学して、集合写真を撮った。

 あさやの朝食。広い食堂がほぼ満席に近かった。
 オレはこの後、みんなの乗るバスを見送るはずだった。
 (つづく)

2009年12月1日火曜日

 双葉会 -双葉会旅行記3-

 双葉会は小千谷市立片貝中学校の第28回卒業生だ。
 先輩の17回卒業生はトナカイ。18回卒業生は永遠会だ。

 俺たちの学年は3クラス。当時100人強だった。
 中三のホームルームで、同級会の名前の原案が出された。
 誰かが言った。「おい、鉄人28号てばどうら?」
 「おーーーっ、いいのう。」「いい」「いい」。
 アホな男子(オレを含む)が同調した。

 担任の中村先生が仰った。
 「おめーーら、40過ぎても、‘鉄人28号’で集まる気らか?」
 一同黙り込んだ。結局、投票で双葉会に決まった。
 
 中一の頃、学校給食は牛乳の配布があるだけだった。
 アホな男子(オレを含む)は、女子が牛乳を飲んでいる時、
 わざとアホなことを言ったりして笑わせた。
 女子が、ブファーーーッと白い牛乳を吹き出す。
 「やったあああーーーっ!」本当に幼稚。
 だけど達成感があったなーーーー。

 当然のように、女子は誰も牛乳を飲まなくなった。
 毎日、大量の牛乳が残される。
 「これはマズイ」。同じクラスの直登と相談した。
「余った牛乳がもったいねえーや!」「どうするや?」「飲むか」。
 
 余った牛乳を飲んだ、確かヤッポも飲んでた気がする。
 「ごくごくごくごくっ」1本、2本、3,4,5,・・。
 オレは7本でダウン。直登は10本飲んだ。
 当然、腹を壊した・・・・。バカだ・・・。
 
 あれから何十年経ったのだろう・・・。
 目の前では、正敏と朋夫が「心の旅」を唄ってる。
 「あーーーっ、だから今夜だけはーーーっ、君を抱いていたいーー」。
 一体、こん中の誰を抱きてーと言うがら、オメは。
 
 一次会の静けさがウソのように、カラオケボックスは盛り上がっていた。
 まるで、中学校の修学旅行の続きみたいだった。
 (つづく)