明日今年の仕事を終える。
明後日は新潟県小千谷市片貝町に居る。
除夜の鐘を聞くことの出来ない地域がある。
片貝町のほとんどがそうだ。
代わりに108発の花火が打ち上げられる。
「冬の花火」だ。
太宰治の小説に同題のものがあった。
どんな内容だったか、とんと思い出せない。
大晦日。
紅白歌合戦が終わって、「行く年来る年」始まる頃、
片貝町では花火が上がる。
昔では考えられないが、鎮守様である浅原神社が人だかり。
容易に参内できない。神社の背後に花火が打ち上がる。
「ドオーーーーン。ドオーーーーン」と。
今日はクリスマスだ。
声高に喧伝するでもなく、冬至から初春を迎える日を祝おう。
冬は、死と再生の季節かも知れない。
随分昔のこと。年の暮れにスペインに居た。
街を飾るイルミネーションは、決してチカチカなどせずに、
歴史の落ち着きをかい間見せてくれた。
人々は、ワインを片手に爆竹を鳴らす。
12時の音が聞こえると、誰にキスをしても無礼講だった。
彼の地でも、本来は新春を祝う意味があったのではないか。
雪に閉ざされたイングランドで、
シェイクスピアは何を思ったのだろうか。
デンマークの冬の海を、
アンデルセンはどんな思いで見つめたのだろう。
高校時代のジョン・レノンは、リバプールの冬の海を見て、
遠い世界に夢を馳せたのだろうか。
「幾たびも雪の深さを尋ねけり」子規
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