2013年12月10日火曜日

哲学の起源

柄谷行人の本、「哲学の起源」を読んだ。

中心テーマは古代イオニア哲学。
商業経済を中心にしながら、貧富が少ないイオニアの地。
そこでは人格神ではなく「フィシス(自然)」が信仰されたという。
そしてソクラテスを含む、ソクラテス以前の哲学者に光を当てる。
イオニア哲学の思想的に大きな特徴は、
生命や宇宙は「動いた状態」だと説明したこと。

物事、物質を「静止したもの」と捉えるか。
「動いているもの」と捉えるか。

また事物の背後に「イディア」(プラトン)
「形而上学」(アリストテレス)を想定するか、
それらを退け「自然・物質・宇宙」そのものから出発するか。
この2つがイオニア的なものと、非イオニア的なものとの
分岐点になるらしい。
だから最初の「原子論」も「地動説」も
「進化論」さえ、古代イオニア哲学で生れていたとある。

アテネなど(非イオニア的)ポリス国家の直接民主主義は、
実は奴隷制の元で成立していた。

古代ローマ同様、古代ギリシャ市民の多くは農園主だった。
ずっと農園労働に従事していては、
民会と呼ばれる会議への参加が出来ない。
また古代ギリシャ軍の中心の重装歩兵は
市民によって構成されていた。
これも、農業労働の制約があると、
肝心な時に兵役に参加できなくなってしまうからだ。
だから、彼らには「奴隷制」も「植民地制」も
たぶん、当然のことで問題はなかったと考えたのだろう。

今の民主主義のシステムも基本的には、
古代ギリシャと似ていると思った。
その欠点は「多数支配」となってしまうこと。
ナチス政権だって、不正行動があったにせよ、
ドイツ議会で多数派になった訳である。
「多数」=「正しさ」には決してならないのだ。

古代イオニア哲学はイスラム・アラブの地で生き続ける。
イスラムはかつて、異教徒にも異文化にも寛大だった。
コペルニクス、ガリレオ以降の近世科学の発展や、
ダーウィンの進化論やマルクスの「交換論・経済論」、
現代の「原子論・量子論」も始まりはイオニア哲学だったようだ。

もう一度、「イオニア哲学」を問い直すこと。
柄谷行人はそう説く。

2013年12月7日土曜日

ビートルズ研究会

「よしいさん。
ビートルズセッションに参加しない?」

新所沢のスタジオネイブ。
そこのポップスセッションに参加した
8年以上前のことだったと思う。

今は無き駅前の居酒屋「つぼ八」
打ち上げの座敷で、目の前にいたギタリスト(実はジャズピアニスト)
高木さんにそう声をかけられた。
「ビートルズ研究会、略してB研では、
リクエスト曲の他、毎月アルバム特集をやっています」
「はあ?」
「アルバム特集では全曲を演奏します。
来月は初めてのアビイロードで、分担しないと大変なんです」
「ほおっ。面白そうですね」

ビートルズで最もセールスを上げたアルバム「アビイロード」
解散直前の彼らが、最後の力を振り絞って完成させた名盤である。
演奏では後半のメドレーが難関だが、
コーラスではジョンの「ビコーズ」が大きな山場だ。
彼ら自身がライブ演奏したことがない。

土曜日の午後2時少し前。
ハウスの高木さんと、受付でオーナーのナベさんしかいない。
『変だな・・・・。集まりが遅いのかな。。』
ポップスセッションは盛況で、参加者30人はゆうに超え、
会場はぎっしりだった。
同じくハウスのオイリーさんが来た。とりあえずセッションを開始。
借り物のギターで弾いて歌ったのは、Stand By Me。
ジョンのカヴァー曲。観客はゼロ。
それどころかドラマーがいない。渋々ナベさんが叩く。

常連のポールさん、高安さん、大森さん、川合さんが来る。みな初対面。
それでもドラマーは来ない。
「アルバム特集のドラムは僕が叩きます」とオイリーさん。
1曲目Come Together からアルバム曲順通りに進行する。
自分もボーカルとコーラスで参加するが、芳しくない。
というより、どの曲も、ほぼ散々な出来だった。
「来月、ドラマーのドラさんが来るので、
もう一度『アビイロード』をやります」と高木さん。

あれから8年。
アビイロードの難曲もしっかりとこなせるようになった。
今は30名を超える参加者の日もある。
先月、ビートルズ研究会は第100回を記念した。
思った以上に感動した。

スタジオネイブに来て、セッションに参加していること。
そこで素晴らしい仲間に出会えたこと。
ますます、ビートルズの音楽と演奏にのめり込んでいく。
そんな世界に生れてこられたことを、
感謝している自分がいる。

2013年11月25日月曜日

永劫回帰

生まれ変わりを僕は信じない。
でも、生まれ変わりがあってもぼくは構わない。
生まれ変わったぼくは、
今ここにいるぼくと、全く同じではないと、
そう思っているからだ。

ブッダは「死後の世界」や「輪廻転生」ついて
決して語ることはなかったと、本で読んだ。
あらゆる意味で、徹底したリアリストだったブッダが、
「断定出来ない世界」を説くわけがないなと思った。
だから極楽も地獄も、ブッダには関係ない。

ソクラテスや孔子も、
不確かなことについては語らずだったらしい。

ニーチェの永劫回帰説。
単なる輪廻転生を説いたわけがない。
「100万回生まれ変わって、まったく同一の人生を送ることに、
君は耐えうるか」そうニーチェは問うているらしい。
100万回同じ人生を送ることと、
ただ一回の人生を送ること。
この間に差はないと思う。

だからぼくが生まれ変わりを信じないことと、
100万回の同じ人生を送る覚悟を持つことは
ほとんど同じことなのだ。

実のところ、良くはわからない。
分からないことを受け入れること。
今日、1枚の絵を描いたこと。
他にやりたいことを、少しでもやれたかどうか。
それがぼくの100万回目の人生の秋の一日なのだ。
もしくはあらゆる意味において、
たった一度しかない、ぼくの人生の一日なのだ。

2013年11月10日日曜日

酒場放浪記

吉田類の「酒場放浪記」
昔は実家に帰ると、父と見ていた。
引っ越して衛星放送が見られるようになり、
今は自宅で再放送をよく見ている。

昭和な感じの、一軒居酒屋がいい。
大勢の時は、チェーン店にも行くが、
元来、独り呑みが好きだ。

かれこれ20年近く前、
モツ焼き「百薬の長」を乗り換え駅で発見し、
以後ずっと通い続けている。
先日、見知らぬ青年が、知り合いからこの店を聞いて、
「北千住から来ました」と言う。
常連一同が驚いて、お酒を奢った。

東京に来て、最初に好きになった居酒屋は
豊島園の駅からちょっと歩いた処に在った。
店の名前は忘れた。たぶんもう無いだろう。
ちょっと甘い味噌味にたっぷりした豆腐の入った、
モツの煮込みが安くて美味しかった。

福生にあった名店「より道」
こわい顔のマスターと優しい顔のママさん。
鰯の刺身、レバ刺し(もう食べられなくなりましたね。残念!)
馬刺し、関サバを生れて初めて食べた店。
レモンサワーがメチャクチャ美味しいと思った。
浅利の酒蒸し、煮込みも絶品。しかも安い。
タラの白子、ホタルイカの刺身、アン肝もあった。
メニューには無いが、ママさんに頼むと
インスタントラーメン明星メン吉くんを作ってくれた。
10年程前に惜しまれつつ、閉店してしまった。

小・中学の同級生直登くんから教えてもらった、
長岡駅前の居酒屋「酒小屋」
メニューはモツの煮込みと日本酒、ビールのみ。
帰省する度に、寄っている。
大きな鉄鍋に、柔らかく煮た牛のモツ、玉葱、コンニャク、豆腐のみ。
夏は冷房はおろか、扇風機も回っていない。
団扇や扇子で扇ぎながら、熱いモツ煮を食べ、酒を飲む。
午後4時開店で、モツ煮が無くなると閉店。
「百薬の長」同様、マスターが一人で店をやっている。

田無の「だるまさん」、花小金井の「虎居」、一橋学園の「蔵」もいい。
池袋駅前の「ふくろ」、吉祥寺「いせや公園店」、
上野駅ガード下の「大統領」も何度も行った。

良い雰囲気の居酒屋で独り呑み。
ぼんやりしたり、呑み屋で知り合った人や、
見知らぬ人との会話も楽しい。

2013年11月3日日曜日

おいしい日本酒

日本酒が好きだ。
それもぬる燗。真夏でもぬる燗がおいしい。

新潟生まれだから、新潟の日本酒はイチオシだ。
以前はずっと村上の銘酒「〆張鶴」を飲んでいた。
「吉乃川」も美味い。それから「大洋盛」
名前は知っていたが、飲んでなかった。
山中湖へ所用で出掛けた時に、知人が持ってきた。
あまりのおいしさに驚いた。

ブームになった「八海山」や、全国人気だった「越の寒梅」
「雪中梅」もよかった。「峰の白梅」は飲んだことがない。
この三つで「三梅」と呼ばれていた。
最近では「景虎」もいい。「緑川」も美味。

青梅にある定食屋(居酒屋ではない)で
山形の銘酒「十四代」を飲んだ時は驚いた。
そこでは石川の「天狗舞」、高知の「酔鯨」、広島の「酔心」
他「浦霞」など全国の地酒を堪能した。

しかし日本酒の未来は暗い。
毎年お盆にある新潟の同級会。
30名を超える参加者でも、日本酒を飲むのは5名程度。
夏ということもあるが、新潟だよ、そこは。

ぼくなりに日本酒が何故伸び悩むのか、考えてみた。
一つははアルコール度数が高いこと。
日本酒はアルコール15度前後。
ワインが12度前後、ビールは5度前後だ。

焼酎ブームは酎ハイ、ウーロン杯など、
割って飲めることが、いまだに支持されている。
低迷を極めたウイスキーもハイボールのお蔭で復活した。
いずれもアルコール9%以下が主流で、5%以下もありだ。

ポイントは何かで割れること。
自分好みの味になり、アルコール度数も調整可能。
日本酒の復活には、水割りや炭酸割りと合うような酒の提供と、
イメージ戦略が必要なのだと思う。
そうでないと、女性やアルコール度数が低いお酒を好む人に
支持され、裾野を広げることは難しい。

ぼく自身はぬる燗が良いけれど・・・。

2013年10月26日土曜日

キャットカンパニーの世界戦略

幻想会社キャットカンパニー。
絵本「キャットくんとふうしぎなプール」を出版した時に立ち上げた。

往年のロックバンド‘バッドカンパニー’にちょっと似ている?
(ヒット曲All right nowで有名)

昨年3月の個展「キャットくんのあゆみ」から、
世界進出へ向けて活動をしている。
(なんかかっこいいな、オレ・・・・・)

しかし歩みはのろい。のろいが「365歩のマーチ」みたいに
「3歩進んで2歩下がる」ように、前には進んでいる。

カンパニー(Company)には仲間の意味がある。
辞書で調べたら、元々の意味は「パンを一緒に食べる人」だそうだ。
ぼくはずっと一人で、基本的には画家として活動してきた。
キャットくんの個展や絵本出版の頃から、
それまでとは比べものにならないくらい、
多くの人の助けを借りるようになった。
このホームページやブログもそうだ。

個展もどんどん規模が大きくなり、表現媒体も増えた。
応援してくれる人も、少しずつ増えてきた。(ありがたいです)

世界戦略と言っても大したことは出来ない。
個展の時、作品を見に来た知人にこう言われた。
「よしいさんの絵は海外からの方が反響があると思う。
ホームページに英語のキャプションをつけるといいよ」

昔の偉大な芸術家は得てして、「自作について語らず」が主流だった。
抽象画を描いている時の僕も、
「分かる奴だけ分かればいい」と思っていた。
でも僕のライバルのダ・ヴィンチも、長々と自薦状を書いている。
プレゼンが出来ないと、駄目だったわけだ。

元来引っ込み思案で、人前が苦手だ。
(克服する為にバンド活動している?)
まあ、知り合いの多くは僕を陽気なノータリンと誤解しているようだが、
一人こもって絵を描いたり、物作りが好きな人間が、
本質的に明るい訳がない。(漫才やる人も根暗が多いのも分かる)

でも決めた。キャットカンパニーは世界進出を目指す。
ホームページのリニューアルだけでなく、
アニメや絵本など、動画配信もやる予定。
とりあえず今日は絵本「きょうりゅうのプロントくん」の彩色をして、
お酒を飲んで寝ます。
みなさん、今後も宜しくお願いします。

2013年10月20日日曜日

たむらしげる個展 Micro Monde -夢のジオラマ-

何カ月ぶりでのブログ再開です。
パソコン仕事が多かったこと、ホームページリニューアルの原稿書き、
絵本の編集に止めはパソコンの故障。
とてもブログを書ける状況ではありませんでした。(言い訳ですみません)

今後は週1回を目標に書きたいと考えています。
今後もご愛読をお願いします。

先週のこと。
週3日も美術館を梯子しました。

火曜日午後。東京芸大美術館で興福寺「仏頭展」、都美術館で「汎美協会展」
都現代美術館で「吉岡仁徳展」
吉岡仁徳は何万本ものストローを使った作品やプリズムを利用した光の作品、
塩などの結晶を作品を発表している作家。
欧米系の観客が目立って多かった。

金曜日の夜に国立博物館。「洛中洛外図展」
岩佐又兵衛の洛中洛外図が国宝で上杉本と呼ばれている
洛中洛外図よりもずっと迫力があり、驚きだった。
東洋館の「上海美術館展」も宋代から清代までの名品が見られた。
中国の一流作品には、いつも圧倒される。

そして青山Pinpoint Galleryで見た、「たむらしげる個展」
たむらさん本人からのハガキで出かけた。
紀伊国屋の斜め前の地下にあるギャラリー。今回でたぶん2度目だ。

今回のメイン作品は、ノート大の大きさで深さ10cm程度の
箱に立体構成されたジオラマボックス。
たむらさんのお馴染みのキャラクター「ロボットのランスロット」
「フープ博士」「黒猫」などが、薄い金属板に彩色され、
木に見立てた鳥の羽や様々な素材と重層的な世界を作っていた。

会場の机でゆっくりとサインしている紳士がいた。
「たむらさんだ・・・」縁があって年賀状もいただいたりしているが、
本人にお会いするのは初めてだった。
興奮と緊張が治まらない。
たむらさんの新しい絵本「ねじまきバス」を購入して、サインをお願いした。
濃緑の下地に合わせて、銀色のペンで丁寧にイラストとサイン。嬉しかった。

たむらさんの額入り版画作品も購入した。
大好きなランスロットの絵。安かったことにも感激と感謝。
たむらさんがファンを大切にされて、丁寧にサインされてたこと。
小品や絵葉書やミニブックなど購入し易いものも揃えておられたこと。
そして何よりも新しいジオラマの世界を、作者が楽しんでいると感じられたこと。
収穫の多い、鑑賞だった。

ぼくが絵本やアニメ、版画をやっているのも
たむらさんの影響大だと、改めて再認識させられた。おいらも頑張ろう。

*たむらさんのホームページは「たむらしげる スタジオ通信」です
是非ご覧になってください。You Tubeでも動画像など見られます。

2013年5月26日日曜日

ぼくは負け犬

ビートルズのアルバムFOR SALE。
2曲目がI'm a loser ジョンの歌だ。
直訳すると「ぼくは負け犬」
恋に破れた男の歌。

「八重の桜」を見ていたら、
中村獅童演じる勇ましい武士が、
作戦参謀に向かってこう叫ぶ。
「ぬしは腰抜けか~~~!」と。

「腰抜け」「弱虫」「負け犬」「女々しい」
いずれも居丈高な人が、
回りを責める時の常套句だ。
でもそう言う人の多くは厳しい現場や、
ましてや戦地には赴かない。
(中村獅童は武闘派役だけど)

あれが史実とは思わないけど、
「八重の桜」の慶喜公は、
家臣を焚き付けといて尻を捲る、
困った指揮官として描かれている。

村上春樹の小説「ダンス・ダンス・ダンス」に、
羊の格好をした羊男が出てくる。
彼は「戦争に行きたくない」ので隠棲している。
「いつか必ず戦争は始まるよ」と羊男は言う。

国際関係が悪くなると、
とたんに他国や他民族へ攻撃的になってしまう。
でも本当に自分が一兵卒として
戦地に行くことなど、ほとんど誰も想いもしない。

自分が特攻隊員として出撃しなければならない、
そんな夢を見たことがある。
同級生はすでに行ってしまっている。
夢の中で、悲しくて、恐ろしくて泣いてしまった。
本当にそうだったら、
気が狂ってしまうしまうかも知れない。

負け犬、腰抜けと罵られても、
知らんぷりして、生きていく。
そういう人に、ぼくはなりたい。

2013年5月8日水曜日

A HARD DAYS NIGHT

A HARD DAYS NIGHT
言わずと知れた、ビートルズの名曲。
そして同題のアルバム。(映画もよい)

ビートルズ最高のアルバムとして
よくサージェント・ペッパーが挙げられる。
米国ビルボード誌の歴代最高のアルバムランキングで、
第1位に選ばれたからだ。

まあ悪くはない。
そもそもビートルズのオリジナルアルバムは、
悪くないどころか、どれも凄くいい。
ビートルズのほとんどのアルバムを
聞いているファンにとって、
どれがベストかは難しい。

それでも敢えて言おう。
アルバム A HARD DAYS NIGHTが一番だと。
これほど完成度が高く、
ビートルズの魅力に溢れたアルバムはないと。
しかも全曲で30分ちょっと。
信じられない。

しかしながら、
ぼくの一番好きなアルバムはホワイトアルバムだ。
あのまとまりや一体感のない、バラバラな音楽。
ヘンテコな曲が多いアルバム。
しかしどうしても、このアルバムが好きだ。

次に好きなアルバムが、LET IT BE。
これも完成度の高いABBEY ROADに比べて
旗色が悪く、出来損ないみたいだと悪口を叩かれる。
小六で初めて聞いたビートルズだから、
致し方ない。

A HARD DAYS NIGHTは昔から好きだった。
けれど年を取ってライブセッションに夢中になって、
このアルバムの素晴らしさに気付かされた。

予定は無いが、次のライブでは
アルバム全曲を演奏してみたい。
それがヘボロッカー、よしい・レノンの
ささやかな望みである。

2013年5月7日火曜日

十字路の悪魔(クロスロード)

クロスロード。
言わずと知れた、
ロックの元祖、ロバート・ジョンソンが
悪魔に魂を売り渡した場所だ。

しかしこれは伝説である。
悪魔は何処に居るのか?
たぶん、私たち一人一人の心の中に。
悪魔は決して、私たちの外には居ないのだ。

問題は十字路でも、悪魔でもない。
ロックンロールが、人の魂を揺さぶることだ。
ロックはROCK。即ち人を揺さぶる音楽のことだ。

ぼくは何時、自分の中の悪魔に、
自分の魂を売り払ってしまったのだろうかと?
日本酒やビール、赤いワインを飲みながら、
ロックンロールを聴きながら、
悪魔と取引したのだろうか。
酔った後の記憶は、ほぼ九割方ない。
だから、悪魔との取引の記憶はない。

ぼくは絵描きだから、
ライブはしても、音楽の取引はしないし、あり得ない。
美術に関しても、取引の予定は無い。

けれども、時々こう考える。
ぼくと悪魔の取引は終了しているのだと。
ぼくの作品が、世界に認められた時、
そのような悪魔がぼくの前に姿を見せる。

ぼくは悪魔に告げるだろう。
この十字路では、おまえの技は通用しない。
お前の力は、ロバート・ジョンソンへ
ロックの魂を伝えた時に
既に失われてしまったのだと。

それでも悪魔はこんな風に言うのだ。
「お前がお前の欲望と折り合いがつかなければ、
オレはお前の魂を手に入れる。
それは、いつでも供給されるのだ」

悪魔はいつまでも、
十字路に立っている。

2013年5月6日月曜日

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

ベストセラーになった村上春樹の書き下ろし小説。
「色彩を持たない多崎つくると、
彼の巡礼の年」を見て驚いた。

小説のタイトルとか内容とかではない。
表紙の絵が、米国のカラーフィールドペインティングの画家
モーリス・ルイスの作品だったからだ。

ぼくは学生の頃から、ルイスに憧れていて、
彼の分厚いカタログも持っていた。
カラーフィールドペインティング。
直訳すると「色彩の場の絵画」
大きく明快な色面を絵画の主題としている。
小説の絵画は、ルイスの晩年の
通称ストライプシリーズと言われている。

村上春樹の短編集「神の子どもたちはみな踊る」
その表紙には日本のシュールレアリスト
北脇昇の作品「空港」である。

日米のどちらかと言うと
やや地味な画家の作品の選択には感心した。
(ついでに言うと「1Q84」の文庫版の表紙。
奇想の画家ヒロイムス・ボスの代表作
「快楽の園」が使われていた)

ぼくは昔からの春樹ファンを自認している。
読んでないのは「アンダーグランド」くらいで
好きな作品は繰り返し読んでいる。
(一番好きなのは「羊をめぐる冒険」だ)

毎年、ノーベル賞選考の時期になると、
村上春樹が受賞するか話題になる。
ぼくは大好きな作家だから敢えて言う。
彼はノーベル賞を獲るような作家ではない。
獲る必要もないと思う。

春樹は好きな作家の一人に
米国の小説家、ジョン・アーヴィングを挙げている。
ぼくも好きで何冊か読んでいる。
彼はリアリスティックな文体で
大人のためのお伽噺を綴る。
翻訳で読んでもアーヴィングの方が、
村上春樹よりノーベル文学賞に相応しいと思う。

芥川賞を獲った作家はあまたいる。
まあ獲ることは大変なことだし、名誉なことだと思う。
けれど獲りたくて獲れなかった太宰治の経歴に、
芥川賞のキャリアは必要ない。

ノーベル文学賞は芥川賞とは比べものにならない。
もし獲ったら日本中の春樹ファンが、
ファンじゃない人も喜ぶだろう。

エンタテインメントでも純文学でもない。
そこが村上文学を魅力ではないだろうか。
だから村上春樹にとって、
そもそも賞は必要がないように思うのだ。

2013年4月28日日曜日

UFO現る

13年前の夏の夜、
赤城高原スキー場のゲレンデで、
UFOを目撃したことがある。

星の綺麗な空だったと思う。
夜空に星よりもずっと大きな光が現れた。
人工衛星か飛行機かなと思ったら、
瞬間的に光は消え、離れた処に現れた。
光は直角に曲がるような不思議な動きを見せ、
数秒してから、消えた。

その時ぼくは素面で、
回りには数人の知り合いが、同じ現象を目撃している。
あの飛行体は何だったのか、
未だに解らないし、これからも解らないだろう。

ただそれが宇宙船だとか、
宇宙人に遭遇したのだというような思いは、
当時も今も持っていない。
ただ未確認飛行物体を目撃したという、
それだけのことだ。

3年前に1年の計として、絵日記を書いた。
昨年は日課として、色んなものを毎日素描した。
物を素直にスケッチするという、
画学生のような初心に戻ろうと考えたからだ。

今年のテーマは「山水画」
引越して、ベランダからの眺望が良いことと、
物では無く、空間や精神世界を描こうと思った。
実際の風景や心象風景がほとんどだが、
四月に入って、風景に空飛ぶ円盤を描いている。
有名なアダムスキー型というやつである。

ぼくは宇宙船や宇宙人が存在するとか
しないとかにあまり関心はない。
心理学者のユングはUFOの発見に、
現代人の心の現れを見ているが、
神話なき時代の神話として、
UFOが存在していると考えたのだろうか。

ぼくの空飛ぶ円盤の絵も
単なる象徴として描いているだけだと思う。
でも、これがぼくにとっての、
新しい絵画シリーズの始まりになりそうな、
そんな予感がしている。

2013年4月21日日曜日

どうしようもない私が歩いてゐる

「詩人の散文はいい」
と週刊現代に書いたのは室井佑月だった。

彼女は田村隆一の本や
チャールズ・ブコウスキーの「街で一番の美女」を挙げていた。

確かに正岡子規の「病床六尺」なども名文だろう。
松尾芭蕉も「奥の細道」を書いている。
普段から少ない言葉で
自己表現を追求している詩人にとっては、
より長い散文の方が気楽に書けるのだろうか。

放浪の詩人、種田山頭火の日記。
何度か読み直している。
ほとんどが宿の様子、食事や値段、
同室や隣室の客の人柄などや、
行乞の具合、俳句の書き付け、
酒の失敗や健康の状態、
知人や支援者との出会いや句会、
果ては金の無心などが書いてある。
日記は書き終えると友人に保管を依頼した。

「私はまた旅に出た。
所詮、乞食坊主以外の何者でもない私だった、
愚かな旅人として一生流転せずに
いられない私だった、
浮草のやうに。(略)
水は流れる、雲は動いて止まらない。(略)
それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、
行けるところまで行け。
旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、
うつりゆく心の影をありのままに写さう」
(昭和5年九月十四日の日記)

「一日の憂いは一日にて足れり」
キリストのこの言葉を見つけたのも
山頭火の日記だった。

「なんぼう考えてもおんなじことの草茂る」
新緑の時期は過ぎようとしている。

2013年4月7日日曜日

科学は不確かだ

ファイマン博士の名前も知らなかった。
ただ、本のタイトルに惹かれて読んだ。

ノーベル物理学賞を取った著者の
講演集のタイトルである。

ファイマン博士は言う。
物理学はとても不確かだと。
確かなことはわずかしかないと。
だから物理学者は「より確かなもの」を求めて、
日々研究に励んでいるのだと。

ツボに来た。
兼がね思っていたことだったから。
「数学の確かさを数学は証明できない」
と言ったのはゲーテルの不完全性定理だったか。
数学の正しさの多くは、
ある(特定の)条件の基でしかない。

博士は続けて言う。
この世の中は誤謬に満ちているのだと。
政治家の言うことも、
マスコミの言うこともほとんど正しくなんかないと。
それは科学の不確かさに増してそうだと。

よく「統計上は」なんて訳知り顔にテレビで言う。
その統計がどんなものか知りもしないで。
どれだけの信憑性があるのか知らないで。
愚かなぼくは、根拠の無い統計によく騙される

マツコと池上彰のトーク番組で
池上彰が、「PISAでの日本教育の凋落のウソ」
をあばいていた。
PISAはOECD加盟国の学力調査のことだ。
池上彰は、加盟国が増えて
日本のランキングは下がったが
日本の得点が減ったわけではないとコメントしていた。
これも見かけの順位に惑わされていた訳だ。

ファイマン博士はマンハッタン計画(米国原爆製造)
に関与していたらしいが、サボタージュしていた逸話もある。
その真偽は解らない。
彼はノーベル賞よりも
「物理学教育者」としての自分に誇りを持っていたらしい。
彼は大変なプレイボーイで
女性によくモテたなんて話も聞いたが、
不確かな情報である。

何よりも自分自身が不確かだ。
「不確かな」世の中で、
「絶対」の真理や、正義や、道徳にだけは
騙されないようにしたい。

2013年4月4日木曜日

日本とは何か 2

ずっと考えていたことがある。
日本文化の特色とは何か?である。

いかにヘボ絵描きとは言え、
いやしくも世界を相手に、自己表現として、
絵画を始め美術制作を続けてきた。
それなのに、自分のルーツとなる物を知らない、
これでは如何にも具合が悪い。
30代になってからは、
特に日本や東洋の美術をこまめに見てきたつもりだ。

しかし日本文化の核として、
いつも頭にあったのは
書き言葉としての「平仮名」「片仮名」
「漢字」「ローマ字」の4つを使うことである。

網野善彦氏の本で漢字は「真名」であり、
日本で創られた文字は「仮名」だと気付いた。
うーーーん。
ギリシャ半島を征服した後も、
古代ギリシャ語をラテン語と並んで、
公用語とした古代ローマ人みたいだ。
しかもあちらは二大公用語だが、
日本は真名(漢字)に対して、
仮名(仮の文字)と一歩引いている。

現代日本文化に欠くことの出来ない
「マンガ」と「アニメ」。
何故、日本で独自の発展を遂げたのか。

これは表意文字(つまり絵)である漢字と
表音文字(吹き出しは文字ですね)である
平仮名、片仮名を自在に組み合わせる、
日本の書き言葉の伝統から来ているらしい。

日本は江戸時代、封建制だった。
絶対王政による中央集権国家だった
フランスでは話し言葉も統一された。
日本では戦後のつい2,30年前まで、
隣の県の人との会話さえ不自由した。

それに対して書き言葉は、
江戸時代以前から、日本のほとんどの地域で通用した。

江戸時代の根付(財布・印籠などの帯留め)など、
小さく、可愛らしいものを愛でた。
同時に茶の湯に見られるような、
壊れかけた物、不完全な物、いびつな物を、
「詫びたもの」「寂びたもの」として愛でた。

日本文化は絶えず外国に憧れ、
外国を手本として追いつこうと努力してきた。
その結果、隣国である中国や朝鮮半島にも
見られないような、
独自の文化を産み出したのだと思う。

2013年3月22日金曜日

日本とは何か

日本とは何か。

このタイトルの本を手に取るまで、
漠然と日本列島と日本国、
そして日本人を何となく同一視していた。

「日本が自らの国を
日本と呼ぶようになったのは何時か?」
この質問にほとんどの日本人は答えられない。
勿論、この本を読む前のぼくもそうだった、

答えは7世紀末。
689年に施行された
「浄御原令(きよみはらりょう)」という法令に
日本と書かれたのが始まりらしい。

ついでに701年の遣唐使で、
中国皇帝則天武后に対して、
「倭」から国号を「日本」改めると
伝えた記録が対外的には最初と言われている。

またその頃の日本国の統治は
近畿・中国地方の一部にすぎず、
本州だけでも統一されたのは、
かなり後の鎌倉時代の頃だと思われる。

そもそも鎌倉幕府自体が、元寇が現れるまで、
西日本を統治したわけではなかったとある。
東の鎌倉幕府に対して、
西日本は天皇・貴族の
律令制支配が続いていたと書いてあった。

うーーん。そうか。
今までの、自分の中の日本像が崩れて
新しい景色が現れたような思いがした。

先祖が代々新潟生まれの自分など
鎌倉時代まで日本人では無かったわけだ。
東日本と西日本では元々の文化だけでなく、
遺伝子レベルでも違いが明らかであるという。

日本と言う国名も「ひのもと」を語源と考えると、
中国を視点にしての国名だと考えられ、
それ故に幕末の国粋主義者には
強力な反対者が居たと言う。(他の語源説もあるようだ)

著者は網野義彦。
言わずと知れた日本の中世史の研究者である。
(たぶん続く)

2013年3月10日日曜日

All Things Must Pass

2,3日前から花粉が酷い。
今日は黄砂も飛んでいるようだ。

萩山へ引っ越して、
はや3ヶ月になろうとしている。
真冬の寒さの中に居たのに、
今日は初夏のような暖かさだ。
ちょっと気味が悪い。

明日は3月11日。
あの大震災から満2年になる。
テレビでは大震災の報道特集をやっている。
サンデーモーニングでは、陸前高田他を
生中継で報じていた。

福島の原発は未だ大量の放射性物質を
出し続けていること。
汚染水が処理できず、
敷地をタンク置き場にしているが、
汚染水でタンクが満杯になるのは、
時間の問題だということ。
被災者の救済や、
町の復興の現状は厳しいと言うこと。
それらが少しだけ分かった。

また東日本大震災は太平洋プレートの
一部が引き起こした物であり、
関東以西については、
大地震の起こる可能性は極めて高いようだ。

先日はロシアに大きな隕石が落ちた。
テレビで見た映像はSF映画のようだった。

All Things Must Pass
諸行無常ということ。
だからこそ、自分の方から変わることも必要だ。
全てが移りゆくように、
私も移るゆき、私は何者にも成りうるのだろう。

地震国日本をさらに不安定にする、
電力システムは変えた方がいい。

先が見えない世の中だからこそ、
日々を見つめていようと思う。
今日を生きていると言うことを、大切にしたい。

明日世界が無くなっても、
自分が存在しなくなっても、
今日の日常を生きる他は無い。
そしてそれは、存外悪くない。

2013年3月5日火曜日

絵巻物を描こう

グルジアの国民的画家、ピロスマニ。
彼の画集を小平市中央図書館で見つけた。

ピロスマニは学生の頃、
彼の名前も知らずに、
「ルソーと素朴派の画家たち展」みたいな
展覧会で見たことがあった。

暗い背景に素朴と言うには何とも稚拙な、
しかし何とも言いがたい、
味わいのある動物が描かれていた。

カタログの彼の作品に、収穫祭の場面を描いた、
西洋画には珍しいほど横長の絵を見つけた。
例外としてモネの睡蓮があるけれど。

極端に横長の絵を描いた経験がぼくには無い。
そう気付いて、横長の紙を2枚繋いで、
かなり横長の画面の絵を、
4点ほど描いてみた。
面白い。というか凄く新鮮だった。

元々ぼくは縦長の絵が多い。
縦長は人物画のように、
対象へ直接的に迫り、
断定的な表現になりやすい。

これに対して横長の画面は、
静物画や風景に適している。
キャンバスのサイズでMはMarine
つまり海景画を描くためのものである。
(因みにFはfigureで人物画を意味する)
横長画面は説話的で
繋がりや広がりを表現するのに適している。

高さ20cm横100cmの画面を眺めている内に、
21世紀の絵巻物を描いたらどうか、
そういうアイディアが浮かんできた。

絵本やアニメで表現してきた内容を、
絵巻物で表したら、展覧会場でも映えるに違いない。
長さは数メートルから10メートルくらい。
面白そうだ。
今年の制作目標にしよう。
上手くいくかはお楽しみだ。

2013年3月2日土曜日

スナフキンの手紙 Ⅱ

スナフキンは焚き火で沸かしたコーヒーを飲みながら、
宛名のない手紙を書いた。

ペンをコーヒーポットの脇に置いて、
スナフキンは考えた。
「世界は美しい。
でも何故美しいのだろう。
世界は恐ろしくもあり、不可思議でもある。
そして矛盾に満ちている。
でも、それらはすべて、
ぼくらの心の現れにすぎないのだろうか?」

ジョンは、紅茶とトースト、オニオンスープの
軽い朝食を済ませた後、
新聞を取りに郵便受を覗いた。

新聞の代わりに、ジョンへと書かれた
差出人の名前がない白い封筒があった。
中には真白な紙に
「夢」と大きく書かれていた。

不思議な思いに囚われながらも、
ジョンは考えた。
「夢・・・。
そうだぼくらには夢がある。
みんなが夢や希望を語れば、
世界はもっと美しくなるに違いない。
そしてそのことによって、
ぼくは様々なものと繋がっていくのだ」

ラジオのスピーカーからは、
ジョンの曲である‘イマジン’’が流れていた。
窓の外ではセントラルパークの木々が、
秋の朝日を浴びて輝いていた。

ジョンはふと、秋の光景を描いた
アンリ・ルソーの絵を思い出した。


*1996年作/2013年改訂

2013年2月28日木曜日

スナフキンの手紙 Ⅰ

ある日、スナフキンが魚釣りからテントへ帰ると、
一通の手紙が中に置かれていた。
‘スナフキンへ’と書かれたその手紙には、
差出人の名前がなかった。

開けてみると中には一枚の白い紙があり、
「世界は美しい」と書かれていた。
不思議な手紙を持ったまま、
スナフキンはあたりを見回した。

ムーミン谷は秋の盛りを迎えており、
透き通った青い空には、
白いイワシ雲が漂っていた。
様々な落葉樹は、もみの木や杉の木を背景にして、
赤や黄色に燃え上がっていた。

「そうだ。世界は美しい」
そうスナフキンはつぶやいた。
「いや、まだこんなに美しいと言うべきだろうか」
おさびし山に沈む太陽を見つめながら、そう思った。

ジョン・レノンは奇妙な夢から目覚めた。
昔読んだムーミン谷の世界に、
たった独りでいる夢だった。

そこは真っ暗だった。
ただ一つの家の灯も見えなかった。
そして誰も居なかった。
かすかに見える木々は枯れ果てて、
まるで月面のように荒涼としていた。

暗くて、寒くて、淋しくて、
おまけに腹ぺこだった。
ジョンは恐ろしさのあまり、叫び声をあげた。
その声で彼は目覚めた。

*続く(原文1996年/2013年改訂)

2013年2月19日火曜日

スタジオキャット

引越から、早2ヶ月近く過ぎた。
この間、2度風邪を引き、偏頭痛が起き、
花粉症は現在、悪い状態のピークと思われる。

部屋に合わせて、新しい家具を幾つか揃えた。
照明器具が2つ、大きな本棚が1台。
ブックラックが1台、靴用棚と食堂の棚。
棚は全て組立家具。自分で組み立てた。

イームズの復刻デザインの赤い椅子。
作業用・食堂用兼用の机が1台。
貰った大きな学習机と椅子は大変重宝している。
ソファに合わせた、足載せスツールも買った。
収納用の箱も幾つか買った。

具合が良くない中でも片付けは細々と継続した。
2DKの狭い洋室をアトリエにするためだ。
齢、50歳をとうに超えて、
ダ・ヴィンチのライバルをうそぶきながら、
専用のアトリエを持ったことが無かった。
専用アトリエで制作することが、
ささやかなぼくの夢だった。

2月16日土曜日。
初めて、アトリエで絵具の絵を描いた。
制作途中でいちいち片付けなくてもいい。
描いた作品は次から次へと壁面へ貼り付けた。

あまりの心地よさに、
お祝いのバーボン水割りを拵えた。
スタジオキャットが誕生した。

2013年1月26日土曜日

孤独な神の仕事 (続き)

「さあてと。」
久しぶりの仕事に疲れた神は、
深い眠りに落ちた。

目が覚めて、
神がとりわけ思いを込めて創った
ある惑星を覗いてみた。

ある者は平和な暮らしをしていた。
ある者は自らの欲望を抑えきれずに、
戦争を始めていた。

ある者は自らを「神」と呼ばせていた。
ある者は神を畏れ、神殿を建てた。
ある者は預言者を名のり、
神自身が考えもしなかった、
崇高な言葉を人々に説いた。

ある者は淫行にふけり、
ある者は禁欲を自らに課した。
ある者は世界の理を語った。

そのうちに思いもよらぬ大洪水が起きた。
大地はその全てが水に覆われた。
地上のあらゆるものが、
死に絶えたように思われた。

その時、神はひとつの大きな船を見つけた。
(了)
*1989年原作/2012年改訂

2013年1月13日日曜日

孤独な神の仕事

時間の概念など存在しなかった遠い昔、
神はひとりぼっちだった。

神にはただひとりの話し相手もなく、
そして何をするでもなく、
ただ虚空を漂っていた。

ある時、神は自分が退屈していることに気づいた。
そして、神はかつて自ら創り出した世界の記憶を頼りに、
再び世界の創造に着手した。

神は身の回りにある
気体や固体をこねくり回しながら考えた。
「どうして前は間違えたのだろう?
それとも間違っていなかったのだろうか?」

そう呟いてから、
自分にはもともと善悪の観念など
持ち合わせていないことに気づいた。
「俺には特別な考えなどありはしないんだ」

神は特別意識した訳ではないのに、
かつて存在したものと寸分違わぬ星を、
植物や動物、そして人間を創り上げた。

(続く)
1989年原作/2012年改訂