2013年4月21日日曜日

どうしようもない私が歩いてゐる

「詩人の散文はいい」
と週刊現代に書いたのは室井佑月だった。

彼女は田村隆一の本や
チャールズ・ブコウスキーの「街で一番の美女」を挙げていた。

確かに正岡子規の「病床六尺」なども名文だろう。
松尾芭蕉も「奥の細道」を書いている。
普段から少ない言葉で
自己表現を追求している詩人にとっては、
より長い散文の方が気楽に書けるのだろうか。

放浪の詩人、種田山頭火の日記。
何度か読み直している。
ほとんどが宿の様子、食事や値段、
同室や隣室の客の人柄などや、
行乞の具合、俳句の書き付け、
酒の失敗や健康の状態、
知人や支援者との出会いや句会、
果ては金の無心などが書いてある。
日記は書き終えると友人に保管を依頼した。

「私はまた旅に出た。
所詮、乞食坊主以外の何者でもない私だった、
愚かな旅人として一生流転せずに
いられない私だった、
浮草のやうに。(略)
水は流れる、雲は動いて止まらない。(略)
それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、
行けるところまで行け。
旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、
うつりゆく心の影をありのままに写さう」
(昭和5年九月十四日の日記)

「一日の憂いは一日にて足れり」
キリストのこの言葉を見つけたのも
山頭火の日記だった。

「なんぼう考えてもおんなじことの草茂る」
新緑の時期は過ぎようとしている。

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