2013年3月22日金曜日

日本とは何か

日本とは何か。

このタイトルの本を手に取るまで、
漠然と日本列島と日本国、
そして日本人を何となく同一視していた。

「日本が自らの国を
日本と呼ぶようになったのは何時か?」
この質問にほとんどの日本人は答えられない。
勿論、この本を読む前のぼくもそうだった、

答えは7世紀末。
689年に施行された
「浄御原令(きよみはらりょう)」という法令に
日本と書かれたのが始まりらしい。

ついでに701年の遣唐使で、
中国皇帝則天武后に対して、
「倭」から国号を「日本」改めると
伝えた記録が対外的には最初と言われている。

またその頃の日本国の統治は
近畿・中国地方の一部にすぎず、
本州だけでも統一されたのは、
かなり後の鎌倉時代の頃だと思われる。

そもそも鎌倉幕府自体が、元寇が現れるまで、
西日本を統治したわけではなかったとある。
東の鎌倉幕府に対して、
西日本は天皇・貴族の
律令制支配が続いていたと書いてあった。

うーーん。そうか。
今までの、自分の中の日本像が崩れて
新しい景色が現れたような思いがした。

先祖が代々新潟生まれの自分など
鎌倉時代まで日本人では無かったわけだ。
東日本と西日本では元々の文化だけでなく、
遺伝子レベルでも違いが明らかであるという。

日本と言う国名も「ひのもと」を語源と考えると、
中国を視点にしての国名だと考えられ、
それ故に幕末の国粋主義者には
強力な反対者が居たと言う。(他の語源説もあるようだ)

著者は網野義彦。
言わずと知れた日本の中世史の研究者である。
(たぶん続く)

2013年3月10日日曜日

All Things Must Pass

2,3日前から花粉が酷い。
今日は黄砂も飛んでいるようだ。

萩山へ引っ越して、
はや3ヶ月になろうとしている。
真冬の寒さの中に居たのに、
今日は初夏のような暖かさだ。
ちょっと気味が悪い。

明日は3月11日。
あの大震災から満2年になる。
テレビでは大震災の報道特集をやっている。
サンデーモーニングでは、陸前高田他を
生中継で報じていた。

福島の原発は未だ大量の放射性物質を
出し続けていること。
汚染水が処理できず、
敷地をタンク置き場にしているが、
汚染水でタンクが満杯になるのは、
時間の問題だということ。
被災者の救済や、
町の復興の現状は厳しいと言うこと。
それらが少しだけ分かった。

また東日本大震災は太平洋プレートの
一部が引き起こした物であり、
関東以西については、
大地震の起こる可能性は極めて高いようだ。

先日はロシアに大きな隕石が落ちた。
テレビで見た映像はSF映画のようだった。

All Things Must Pass
諸行無常ということ。
だからこそ、自分の方から変わることも必要だ。
全てが移りゆくように、
私も移るゆき、私は何者にも成りうるのだろう。

地震国日本をさらに不安定にする、
電力システムは変えた方がいい。

先が見えない世の中だからこそ、
日々を見つめていようと思う。
今日を生きていると言うことを、大切にしたい。

明日世界が無くなっても、
自分が存在しなくなっても、
今日の日常を生きる他は無い。
そしてそれは、存外悪くない。

2013年3月5日火曜日

絵巻物を描こう

グルジアの国民的画家、ピロスマニ。
彼の画集を小平市中央図書館で見つけた。

ピロスマニは学生の頃、
彼の名前も知らずに、
「ルソーと素朴派の画家たち展」みたいな
展覧会で見たことがあった。

暗い背景に素朴と言うには何とも稚拙な、
しかし何とも言いがたい、
味わいのある動物が描かれていた。

カタログの彼の作品に、収穫祭の場面を描いた、
西洋画には珍しいほど横長の絵を見つけた。
例外としてモネの睡蓮があるけれど。

極端に横長の絵を描いた経験がぼくには無い。
そう気付いて、横長の紙を2枚繋いで、
かなり横長の画面の絵を、
4点ほど描いてみた。
面白い。というか凄く新鮮だった。

元々ぼくは縦長の絵が多い。
縦長は人物画のように、
対象へ直接的に迫り、
断定的な表現になりやすい。

これに対して横長の画面は、
静物画や風景に適している。
キャンバスのサイズでMはMarine
つまり海景画を描くためのものである。
(因みにFはfigureで人物画を意味する)
横長画面は説話的で
繋がりや広がりを表現するのに適している。

高さ20cm横100cmの画面を眺めている内に、
21世紀の絵巻物を描いたらどうか、
そういうアイディアが浮かんできた。

絵本やアニメで表現してきた内容を、
絵巻物で表したら、展覧会場でも映えるに違いない。
長さは数メートルから10メートルくらい。
面白そうだ。
今年の制作目標にしよう。
上手くいくかはお楽しみだ。

2013年3月2日土曜日

スナフキンの手紙 Ⅱ

スナフキンは焚き火で沸かしたコーヒーを飲みながら、
宛名のない手紙を書いた。

ペンをコーヒーポットの脇に置いて、
スナフキンは考えた。
「世界は美しい。
でも何故美しいのだろう。
世界は恐ろしくもあり、不可思議でもある。
そして矛盾に満ちている。
でも、それらはすべて、
ぼくらの心の現れにすぎないのだろうか?」

ジョンは、紅茶とトースト、オニオンスープの
軽い朝食を済ませた後、
新聞を取りに郵便受を覗いた。

新聞の代わりに、ジョンへと書かれた
差出人の名前がない白い封筒があった。
中には真白な紙に
「夢」と大きく書かれていた。

不思議な思いに囚われながらも、
ジョンは考えた。
「夢・・・。
そうだぼくらには夢がある。
みんなが夢や希望を語れば、
世界はもっと美しくなるに違いない。
そしてそのことによって、
ぼくは様々なものと繋がっていくのだ」

ラジオのスピーカーからは、
ジョンの曲である‘イマジン’’が流れていた。
窓の外ではセントラルパークの木々が、
秋の朝日を浴びて輝いていた。

ジョンはふと、秋の光景を描いた
アンリ・ルソーの絵を思い出した。


*1996年作/2013年改訂