2014年6月28日土曜日

羊男と戦争

「どうしてここに隠れて住むようになったの?」(略)
「戦争に行きたくなかったからさ」
-羊男-村上春樹「羊をめぐる冒険」より

「気をつけるんだよ。殺されたくなければ、気を付けた方がいい
戦争というのは必ずあるんだ。いつでも必ずある。(略)
人間というのはね、心底では殺しあうのが好きなんだ。(略)」
-羊男-村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」より

-非戦を広告する-1982年6月1日・雑誌「広告批評」より

「まず、総理から前線へ」(コピー・糸井重里)

「殺されるために、生まれたんじゃない。
殺すために生まれてきたんじゃない」
(コピー・戸田裕一)

「いかない人がやりたがる」(コピー・岩崎俊一)

「誰のために死ぬのか、軍隊はいつも軍隊のためにある。(略)」
(コピー・小野田隆雄)

「戦争は、あなたが人を殺すこと」(コピー・上田耕平)

「兄弟みな人類」(コピー・佐々木克彦)

「とにかく死ぬのヤだもんね」(コピー・糸井重里)

「戦争はぜいたくだ」(コピー・犬山達四朗)

「アタシ、弱いのよ。」(コピー・糸井重里)

「戦死、お先にどうぞ。」(コピー・菅三鶴)

「若者がスニーカから窮屈な靴に履きかえることが
ないように、戦争に反対します。(略)」
(コピー・徳島昭)

「ノオー!」(コピー・多比羅孝)

2014年6月17日火曜日

小さなアトリエ -スタジオ・キャット-

小さな、とても小さなアトリエを得て1年半がたった。
アトリエの無かった以前と比べて、確実に制作時間が増えた。
 
「ぼくには日曜日がない」
と言った,パブロ・ピカソの真意が分かるようになった。
毎日、制作を欠かさないから、所謂日曜日など無い訳だ。
 
ヘボ絵描きにも精進は必要だ。
正確には精進などではない。
描きたいから描いている、
それだけのことだ。
 
 
 
 
 
お金持ちになる予定も、
画家としてブレークする予定もない。
 
でも大金持ちになったら、何がしたいか。
出来るだけ、今と同じことをしたい。
絵を描き、モノを作りたい。
アニメや絵本を創作したい。
 
ギターを弾いて、ピアノを鳴らしたい。
セッションやライブでシャウトしたい。
テニスが上手くなりたい。
試合に出て、もっと勝てるようになりたい。
教える仕事を除いて、今と同じことを望む。
 
もし大金を使うならば、
モンドリアンか誰かの絵を買いたい。
軽井沢か清里にアトリエを持ちたい。
 
でもこの小さなアトリエを
自分のホームグランドにしたい。
 
*写真左はアトリエの机上
右はアトリエ壁面
  

2014年6月8日日曜日

見知らぬ駅で

「すいません。
乗り過ごしたみたいなんですけど・・・」
ぼくは小さな駅の改札で駅員に尋ねた。

ひとつ前の駅を通り過ぎた時、
知らない駅の表示に気付いたのだ。
ぼくは、パスモの定期券を駅員に見せた。

「おかしいなあ・・・」
帽子をきっちりと被った真面目そうな若い駅員が言った。
「定期券の駅から、何度も乗り換えをしないと
ここの駅には着かないんです」
「えっ。〇〇駅から、何時間ぐらいかかりますか?」
「うーーん。〇時間ですね・・」

咄嗟に曜日と時間が気になった。
今日は何曜日で、今何時なのだろう?
駅の周りは小さな山に囲まれていた。
裸の山に、処々白いものが見えた。

駅舎を出て、階段を下った。
駅は丘の上にあった。奥多摩線に似ている。
近づいてみると、白いものは雪だった。
雪?今は何月なんだ?
白い雪は、残雪ではなく新雪だった。
でも寒くはない。

通りすがりの高校生に尋ねる。
「ここは何処ですか?」
詰襟の学生服をきた男の子が答える。
「〇〇漁港です」
「漁港?」
男の子は坂の下を指差した。

坂を下った右手には海が広がり、
太陽がキラキラと波間に揺れていた。
岸部には割合大きな港があり、
港の周りには街並みが見えた。

振り返ると駅舎があり、
小さな駅前の長い階段には、
通勤客や通学客とおぼしき人が見えた。

頭のうしろから、聴き慣れた声が聞こえた。
以前同僚だった人だ。誰だっけ?
「それでさ、こうなったわけ」
大きな声で隣の少女に話しかけている。

「ああ、〇〇〇さんか・・・・」
それで漸く、ぼくはこの夢から目覚めた。

2014年6月6日金曜日

大きな女王と小さな王様

女王は緋色のドレス
朝食のコーヒーを飲んだ後は
ピアノに向かって、鍵盤を叩く

お気に入りはドビッシー、ラベル、リスト
「巡礼の年」より「ゴンドラを漕ぐ女」
バックハウスが彼女のお手本

王様は濃紺の衣装
大きな薔薇の庭に立つ
小ぶりの花瓶に
サーモンピンクの花
薔薇の棘が王様の指を刺す

曇りがちな6月の空
湿った雨の匂い
丘の上に立つ王の屋敷
麓の牧草と羊の群れ
王様は公爵夫人に想いを寄せる

休日の午後
女王は薔薇の絵を描く
ありったけの集中力で

公爵は女王に微笑む
女王は微笑みを返す
ダージリンの香りと薔薇の香り

昼食の後
女王と王様と公爵夫人と公爵
四人は丸いテーブルに着き
カードゲームを始める
女王が勝ち、王様は負ける
公爵夫人が勝ち、公爵は負ける

子どもたちは知っている
やがて自分も大人になり
退屈な女王、王様、公爵夫人、公爵
そんな存在になることを
そして楽しくもないカードゲームを始めることを

大人たちは忘れている
そんな大人になることを
恐れていた自分がいたことを
そんな大人にはならないと
誓ったあの日のことを

今日も雨は降りだした
晩餐会の夜に
子どもたちの夢は
流れて消えた

2014年6月1日日曜日

夢見るテレーズ

瞳を閉じて、両手を頭上に組み合わせ、
左膝を立てて、スカートの中の下着を露わにするテレーズ。

思った以上に重厚感があり、
しっかりとした構成力を感じた。
それでいながら、堅苦しさは無い。
少女の上半身はしなやかで、
衣はあくまでも柔らかい。
色は渋みがありながら、
不用意に濁らせた処は何処にも見当たらない。

少女からはエロス(生きる力)を感じるが、
同時にタナトス(死へ向かう力)や、
生の危うさ、はかなさも感じる。

手前に描かれた皿をなめる猫や、
左手の椅子の脚は意図的に
描きかけのように表現されている。

絵画のリアリティには仕掛けが必要だ。
そして見たもの、感じたことに忠実でありながら、
そこから逸脱する意志が大切になる。、

エロスは移ろい行く生そのものであり、
タナトスは不変の死の世界を表す。
エロスとタナトスのせめぎあいは、
芸術の持つ「永遠への憧れ」と
常に変化して止まない「時代の精神」
という矛盾した主題と重なると思う。
 

バルテュスの絵画には、
そういった主題への挑戦が見て取れる。

時代の流行には背を向けて、
自らを「芸術家でなく職人」と呼んだバルテュス。
ピカソがバルテュスを
「20世紀最後の巨匠」と言ったのも
さもありなんと思わせる。
それほど力に溢れた作品群だった。

少女は画家のイメージの源泉であり、
バルテュス芸術の道警の象徴であったのだろう。

21世紀の東京でバルテュスと出会えて、
幸せなひとときを得た。