2010年5月31日月曜日

薔薇の名前

 「手にとるように哲学がわかる本」
 を今朝読み終えた。

 たぶん10年近く前に買って
 そのままにしておいた本だ。

 その中にあったトマス・アクィナスの「スコラ哲学」。
 「唯名論」と「実在論」について述べてあった。

 「唯名論」では、例えば個々の種類も生育も違う
 薔薇の花が存在する、そういう考えだ。
 「実在論」では個々の薔薇が在るのではなく
 薔薇という概念こそが実在するという考えだ。

 映画「薔薇の名前」の原作はウンベルト・エーコ。
 イタリア人の現代記号論の哲学者であり、
 当時は大学教授でもあった。
 
 中世の僧院を舞台に起こる連続殺人事件。
 謎を解くのは修道士役のショーン・コネリー。
 異端裁判や、存在しない筈のアリストテレスの著書。

 アリストテレスの著書に書かれた「笑いについて」を巡って、
 禁欲を旨とした当時のキリスト教世界に
 反する著作の秘密を守ろうとする修道院の暗部を描いていた。
 「ダヴィンチコード」の下敷きはこの作品に違いない。

 暗い修道院の中に図書館があり、写本をしたり、 
 薬や様々な実用品が作られたりしている。
 当時の修道院が祈りの場で在るだけでなく、
 教育機関や医療機関、芸術制作の場など、
 様々な顔を持っていたことが窺える。
 
 中世からルネッサンスにかけて、
 キリスト教神学と古代ギリシャ哲学をどう結びつけるか苦心した。
 スコラ哲学や、新プラトン主義などがそうだ。
 と「手に取るように哲学がわかる本」に書いてあった。

 「唯名論」と「実在論」も、「普遍論争」と言う。
 スコラ哲学の中心人物トマス・アクイナスによって
 「信仰」と「理性」の矛盾をどう解決するか。
 神の領域と人間の領域を分けることで解決したとある。
 「分けること」。ここにヒントがありそうだ。 

 ブログを書いている僕も何となくしか分かってない。
 けれど、この辺り西洋の近代主義始まりの秘密がある、
 そのことだけは分かってきた。

 薔薇の季節が盛りを過ぎて、
 紫陽花の季節が始まった。
 そのことだけははっきりと分かる。
 

2010年5月29日土曜日

ハートの女王

 薔薇の季節になっていた。

 一昨日休暇を取り、近所を散歩をした。
 晴れているけど雲が多いので日陰が適度に出来る。
 湿り気の少ない風が心地よかった。

 住宅地に入ると、あちこちの庭に満開の薔薇の花。
 色も種類も異なっており、楽しめた。
 薔薇好きが多いのに驚かされる。 

 「不思議の国のアリス」に出てくる
 ハートの女王の叫び声が聞こえてきそうだ。
 「首を刎ねろ!」

 細い道をすり抜けて多摩川へ向かって歩く。
 古くからの農家だった家が何軒もある。
 広い敷地に昔からの蔵。
 松や楓の大きな木々。

 川の少し手前が小高い丘のようになっている。
 その上から多摩川と秋川の山並みを眺める。
 
 のんびりとした休日の、適度な散歩のお陰だろうか
 次の日には、何日も続いた首の痛みが消えていた。

 ハートの女王が、僕の首を刎ねる代わりに
 僕の首にまとわりついていた、
 目に見えない小さな悪魔の首を刎ねてくれたみたいだ。
  
 「花発(ひら)けば風雨多く
 人生 別離足(おお)し」唐詩選

2010年5月24日月曜日

日本美の再発見

 ずいぶん昔に読んだ本のタイトル。
 ドイツ人建築家ブルーノ・タウト著、
 「日本美の再発見」。

 桂離宮のようなシンプルな造形を
 日本美の最高峰とし、
 日光東照宮をイカモノと切り捨てた。

 最初に日光東照宮を訪れた時、
 この本の影響で醜悪な建築と決めつけていた。
 しかしその後数度、東照宮を訪れたが
 観る度に心地よく感じるようになった。
 実は東照宮と桂離宮はいずれも江戸時代の初期
 ほぼ同時期に作られている。 

 桂離宮には相当な憧れがあった。
 10年ほど前に幸運にも訪れる機会があった。
 夢にまで見た建築だった。

 しかし良かったには良かったが、
 想像ほどではなかった。
 あまりに憧れが強すぎたのかもしれない。
 完全予約制のこの建物に再び訪れる可能性は
 極めて低い。もう一度見られたらと思う。

 東照宮に見られる全てをイメージで 
 埋め尽くすような建築・彫刻は南アジアに顕著だ。
 アンコールワットやバリ島の芸術がそうだ。

 装飾過多とも言える東照宮の世界と
 シンプルの極み桂離宮。
 日本人の感性がこれらの対極と言える二つの世界を
 同時に持てたことが素晴らしいと思う。

 明治期に日本が近代化を成し遂げた時、
 世界の国々は東洋の奇跡と考えたことだろう。
 西欧の文脈に無い国々は、
その多くが植民地のようになっていたからだ。
 しかし日本もまた
 他国を植民地とした歴史を忘れることは出来ない。

 もう一つ、近代化した日本がキリスト教化しなかったこと。
 戦前は強力な天皇制のためだと理解された。
 しかし戦後、宗教思想信条が自由となっても、
 日本のキリスト教徒が飛躍的に増えた形跡はない。

 古代においても外来の宗教仏教と
 日本の神々を共存させた智恵を持つ日本人である。
 他の宗教とに対して
 どちらかと言えば不寛容な一神教であるキリスト教を
 文化を別にして受け入れるのが難しいのかもしれない。

 日本人は日本文化の多様性をもっと認識したらいいと思う。
 そして日本文化を敬愛すると伴に、
 日本人が海外の文化に対して常に憧れを持ち、
 それらを自分たちの文化の中に、
 受け入れる柔軟性を持ち得たこと
 これを評価すべきと考える。
 
 日本人が内向きになると、
 詰まらない背比べをして他人を妬み、
 自国文化至上主義になってしむのではないか、
 そしてそれ日本が本来持っていた
 多様性と柔軟性から遠いのではないか、
 そんなことを考える今日この頃である。

雨の日と月曜日の朝は

 昨日から首が痛い。
 久しぶりのことだ。

 一昨日のビートルズセッションの疲れだけではない。
 4月からの仕事の疲れ、4月のライブの疲れ、
 連休の法事の疲れと先々週のテニスの試合の疲れ、 
 それらがまとめて出た感じがする。

 でも、今日も寄った百薬のお酒は美味しかった。
 だから大丈夫。
 きっと明日には良くなっている筈だ。
 根拠はないけど。

 先日のブログに日本は自然も文化も多様である、
 そう書いた。
 今日も知人と話していて同じことを言った。

 日本の文化の特徴は何か?
 ずっと考え続けているテーマだ。
 一つは話し言葉といての日本語。
 語感や文法、言い回しをも含めて、
 日本語と言う言葉が担ってきた意味。
 そして多様な方言文化。
 これは日本が強力な中央集権国家を明治まで持たず、
 封建制のもと地方が一つの国としての機能してきた
 そのことの証左だと思う。

 もう一つは書き言葉としての日本語。
 漢字を母体としながらも、
 ひらがなとカタカナを生み出し、
 さらにアルファベットを含め
 四つの書き言葉を持つ国は他にないだろう。

 日本は中国、朝鮮半島を師と仰ぎながら、
 それとは異なる価値観を持った。
 
 中国の絵画・工芸は単独としての完璧さを目指す。
 日本文化は単独の完璧を嫌う。
 むしろ掛け軸と花の組み合わせなど、
 お互いを補い合うことで、美を高め合う。

 日本ほど不完全なものに美を見いだす国はない。
 割れた茶碗を接いで、元よりも良しとする国はない。
 これを単純に「和」など呼んではいけないと思う。

 なぜなら予めまとめようとされた「調和」などでなく、
 異質なものを組み合わせて
 「面白さ」「響き合い」を楽しんでいたからである。

 日本は仏教を取り入れた大和時代から、
 日本の神々を否定などせず、
 仏の仲間や守護する存在として残した。

 キリスト教では、異なるものは「異端」である。
 何という違いだろうか。
 (つづく)

2010年5月23日日曜日

ガープの世界

 たぶん雑誌ぴあの映画評を読んだのだと思う。
 今はなくなった名画座三鷹オスカーで、
 「ガープの世界」を観た。
 20年以上前のことだ。

 ビートルズの曲When I'm Sixtyfourが
 オープニングのガープ誕生の場面で流れていた。
 
 原作者はジョン・アーヴィング。
 やはり彼の原作の「ホテルニューハンプシャー」。
 こちらも映画化されていて、名画座で観た。

 なぜか原作の小説は読んだことがなかったが、
 何年か前に「未亡人の一年」と言うタイトルに惹かれ、
 初めてアーヴィングを読んだ。

 面白かった。
 少年だった主人公が人妻と関係する場面から始まり、
 人妻が失踪し未亡人になり、老人になっても
 彼は彼女を思い続ける。
 そこに画家である夫と、その娘の物語が加わる。

 全体としてはお伽噺なのだが、
 性や生理的な現象を描写する彼の筆裁きは、
 生々しいが同時にドライだ。
 現象の記述を簡潔に、努めて客観的にしているからだろう。
 自分の文に入れ込んでいる感じが少ない。

 そして一人一人の人物造形が見事である。
 それぞれの人物の性格や行動が、人物と一体化している。

 そして人間はと言うものは「欲望の虜」なのだと知らされる。
 それぞれが思惑や欲望、偏見を持った存在だと知らされる。
 主人公のガープとて例外ではない。

 それは同時に、
 我々一人一人が不完全な存在で、欲望の虜だと言うことだ。

 「自分は常識がある」と言う人は、
 控えめに見ても、非常識な人が多い。
 「私は人のために働いている」そう主張する人ほど、
 自己利益や思い通りにしたい欲求が強いと感じる。
 「道徳」を声高かに叫ぶ人ほど道徳心が弱いと思う。
 道徳の本質は人に規律を求めることではなく、
 誰よりも自分自身を律することだからだ。

 心理学的に言えば「補償」だろうか。
 自分が無意識に弱点だと思っていることを
 何とか隠そうと努める。

 ガープの世界を読み終えて、
 そんな思いがなお強くなった。

 「どうしようもないわたしが歩いてゐる」山頭火

2010年5月18日火曜日

朝の読書

 まだ寝ていられるのに、
 起きて読みかけの本を読む。

 辺りは静かで、
 時折少し離れた線路から電車の音が聞こえる。
 雨でも、曇りでも構わないけれど、
 晴れていて暑くなければなおのこと良い。

 今、読みかけの本はアーヴィングの「ガープの世界」。
 若桑みどりの「絵画を読むーイコノロジー入門ー」。
 実家で見つけた上山春平の「日本の思想ー土着と欧化の系譜ー」。
 雑誌ペンの「キリスト教とは何か」。
 ニーチェ「道徳の系譜」。などなど。

 寝る前の本は悪夢の原因になることを最近知った。
 朝ならば何を読んでも心配はない。
 毎朝、西武線に乗るとメールの後本を読む。
 10分か20分読むと、ほとんど寝てしまう。

 本に限らず、朝型の僕は大抵のことが
 朝やるのが望ましい。
 夜に描いた作品は朝の光で眺めると、
 出来不出来がよりはっきりと分かるように感じる。

 ユーミンの名曲「雨の街を」。
 「いつか眠い眼を覚まし、こんな朝が来てたら。
 どこまでも遠いところへ歩いて行けそうよ」。
 雨上がりの朝のイメージが良い。

 同じくユーミンの「朝陽の中で微笑んで」。
 「朝陽の中で微笑んで。銀のベールの向こうから。
 夜明けの霧が溶け始め、ざわめく街が夢を誘う」。
 ハイファイセットのバージョンが好きだった。
 
 小説も歌も、細部は具体的でありながら
 寓意性に富んだものが好きだ。
 
 絵画でも作品の中に入り込むことはある。
 その場合作品の中に入った自分の後ろ姿を見ている自分が居る。

 しかし音楽や文学の場合は入り込んだ世界とより一体化する。
 夢の中と同じなので、自分の姿は見えない。
 それが楽しく、同時にちょっと厭だ。
 
 夜に、お酒を飲みながら音楽を聴き、小説を読むのもいい。
 けれど、空っぽな心と体でする朝の読書が好きだ。 

2010年5月16日日曜日

欲望という名の電車

 暇つぶしに見ているNHK教育の「英語教育」番組。
 様々な英語の名言が紹介されていた。
 アインシュタインなど著名な人の言葉だ。

 その中で興味を惹いたもの。
 「人生とは自分を探すためものでなく、
 自分自身を創造するためものである」。
 Life is not finding yourself,
Life is about creating yourself.
 誰の言葉かは記憶してない。

 サッカーの中田英寿が自分探しの旅に出掛ける前から、
 「自分探し」なる言葉が流行っていた。
それは自分の中に眠っている、
 宝のような才能・資質に、
 ある日突然気付くための「自分探し」らしい。

 資質は、例えば野球などスポーツが分かり易いが、
 興味・関心と行動、たゆまぬ研鑽だけが、資質を才能に高める。
 旅をしていて突然気付く自分の資質とは何だろうか。
 自分とは創り上げるものだと、僕もそう考える。

 「気楽なさとり方」と言う本をK氏からいただいた。
 禅の世界で言う悟りとは、
 人が仙人や神のようになることではないらしい。

 人は肉体を持って生きている以上、
 「欲望」「煩悩」を完全に捨て去ることは不可能だと言う。
 けれど、自分の「欲望」や「煩悩」に気付き、
 それをコントロールし、そこから自由になることは可能だと
 著者の宝彩有菜は言う。
 
 僕は「悟り」とはほど遠い人間で、それを目指す考えはない。
 本にも在ったが「悟り」自体が欲望となりうる。
 けれど、自分の感情や行動のパターンが
 自分の持つ「マインド」に依るものだと気付いた。
 そしてそれが変更可能だということにも。

 本は気楽に読めたが、
 「自分探し」などという馬鹿げたことでない、
 自分のマインドに気付くことは
 そんなに気楽なことではないことが分かった。
 
 「才能なんてクズの積み重ねだ」ジョン・レノン

2010年5月12日水曜日

無限の空間

 高一の僕が、由美ちゃんに渡したカセットテープ。
 タイトルは「吉井宏の世界」。書いてて恥ずかしい。
 由美ちゃんは聞いたことも覚えてないだろうな。
 
 アルバム「岡林信康の世界」を真似た。
 当時の代表作「無限の空間」。
 無意識に小野ヨーコのアルバム「無限の大宇宙」、
 これをもじったのかも知れない。

 「無限の空間」は小学生の頃から感じてた
 この世界に自分一人が存在していると言った
 孤独感やある種の虚無感を表した歌だった。
 その歌詞をここに書く勇気はない。

 そのテープを今でも持っている。
 怖いもの見たさで聞いてみたい気もする。
 
 清人とやったデュオ‘ミー&ケイ’。
 清人が好きだったPink Lady から名付けた。
 3年生のクラス企画ライブ喫茶でビートルズをやった。
 そのテープもある。清人のギターがいいので
 今聞いても恥ずかしくはない。

 昔描いた絵は、今見てもほおーーとか、なかなかだなーとか思う。
 多少下手だと思っても、今では描けないなと思う。

 歌や演奏、文章は聞き直したり、読み直したりしても
 絵のようにいいなあとは思えない。ちょっと酸っぱい感じ。
 しょっぱい感じか。恥ずかしい。
 でも止められない。

 昔の絵や、歌、文章や写真に触れると、
 今や幻影の中の風景を思い浮かべる。

 その中で僕は自転車で坂道を登ったり、
 50ccのバイクで海を目指して、峠を越えたりしている。
 冬の弱い陽射しの中で白いマスクをして笑ってた
 大島由美さんのことをごく希にだが、思い出したりする。

 「私の耳は貝の殻。海の響きを懐かしむ」コクトー

2010年5月6日木曜日

北方記念博物館

 宮大工だったご先祖様は代々「伝八」を名乗った。
 田舎では珍しくない「屋号」と呼ばれるものだ。

 父が宮大工だったご先祖様のことで自慢しているのが
 県内に建てられた数々の寺社・仏閣、
 ご先祖様が作った実家の大きな仏壇、
 そして五代前の伝八の弟子達が
 亡くなった伝八のために建ててくれた実家のお墓である。

 新潟県の観光名所に「北方記念博物館」がある。
 数年前に友人の加藤氏、川畑氏と尋ねた。
 その前に見たのは20年以上も前だ。

 広大な敷地に贅を尽くした大きな庭。
 当時の栄華が偲ばれる巨大でがっしりとした屋敷。
 素晴らしい欄間や床の間。螺鈿細工の見事な調度品。
 かつての土蔵の倉には美術品、日用品、農具などが
 ところ狭しと展示されている。

 そこにある別棟の奇妙な三角形の茶室。
 建築の平面が三角形でユニークなのだが、
 最近になってこれを建てたのは
 先祖である伝八だと言う記事を文献の中に父が見つけた。

 伝八が棟梁として建てたと聞いた
 寺社・建築はこれで三つ見たことになった。
 まだ県内に2つ以上は残っていると聞いている。

 実家に向かう新幹線の中で
 トランヴェールと言う無料の雑誌を手にした。
 作家の伊集院静がエッセイを連載している。

 その中に日本の自然の多様さが書かれていた。
 ヨーロッパの自然と比較してである。
 自然は勿論だが、文化も多様だと思った。
 
 一神教であるキリスト教は、
 宗教的な圧力が仏教や、神道に比べて強いように感じる。
 キリスト教が背景として成立した近代主義、
 近代社会も同様に単一な価値への強制力が強い。

 昔読んだ哲学者の梅原猛の著作に、
 教会と寺社・仏閣の比較が書かれていたと記憶する。
 それは南方熊楠の引用だったかも知れない。

 曰く、寺社・仏閣は周囲に木を植え、大きく育てたが、
 ゴシックの教会は内部空間に、
 木の代わりの巨大な柱を構築したのだと。

 木や巨大な柱は、
 天と地を繋げる梯子の役割を持っているらしい。

 僕も日本の自然と文化は、
 多様性に素晴らしさがあると考える。
 そして父や親戚の方々と同様に、
 日本の文化を象徴する建築に携わった
 ご先祖伝八を誇りに思っている。  

端午の節句

 メジロを見たのは久しぶりだった。

 ウグイス色の小さな体に大きな白目に大きな黒目。 
 実家のお墓のある裏山への登り口の
 満開の八重桜に止まっていた。
 頭の上で、「ホーホケキョ」とウグイスの声がした。

 3日前のことだ。
 新潟の春は東京よりも2,3週間遅い。 
 ソメイヨシノは終わっていたが、
 しだれ桜、八重桜、大島桜、山桜、桃などが楽しめた。
 新緑も始まったばかりの萌葱色をしていた。

 あくる朝、自宅の庭に愛らしい小鳥が居た。
 オレンジがかった茶色のボディと白黒の頭部。
 母に聞くと「ヤマガラ」だと言う。

 ゴールデンウイークに実家に帰るのは久しぶりだった。
 祖母の三十三周忌の法要があったためだ。
 
 大がかりな法要は田舎でも減っていると思う。
 お金も手間も掛かるからだ。
 法要は宗教的な意味合いは勿論だが、
 普段はめったに会わないような親族が結集する意味合いがある。
 こちらの方の意味が大きいかも知れない。
 しかし僕より若い世代は、そんな場に集まろうとはしない。
 親戚同士のつきあいも若い世代にはない。

 僕の実家で行われる法事もこれが最後だろうと感じてた。
 参加される親戚も昔の半分近くまで減っている。

 子どもの頃、法事が何だが解らないが、
 たくさんの顔も知らない親戚が大勢集まって、
 それだけで興奮したものだった。

 県外の親戚は泊まりなので、食事の準備もおおわらわだった。
 後からその親戚の多くは亡くなった祖父の兄弟だと知った。

 僕の曾祖父までは、代々宮大工だった。
 祖父と三人の男兄弟はみな建築家になった。

 自分も年を取ったなと思う。
 祖父や祖母の自分の知らない話を聞くのが楽しい。
 そして見たことのない曾祖父伝八(屋号)や
 その前の代の伝八の話に興味を持っているが、
 50歳で若い芸者と出奔した曾祖父を知る人は居なくなった。

 家には宮大工の棟梁として記した建築図面が残るのみである。
 
 実家近所のよその庭では、
 大きな鯉のぼりが風を受けて、気持ちよさそうに泳いでいた。

2010年5月1日土曜日

紙ふうせん

 1970年代には様々なフォークの名曲が登場した。
 拓郎も陽水も中島みゆき、ユーミンも70年代デビューだ。

 60年代のグループサウンズの嵐の後は、
 70年代のフォークの時代がやってきたのだ。
 
 忌野清志郎のRCサクセッションも、
 フォークバンドとしてスタートした。
 ヒット曲「僕の好きな先生」。

 清志郎は「ピーター・ポール&マリーが好きだった。
 フォークの方がかっこよく思えた」と答えている。

 古井戸の「さなえちゃん」もこの頃のヒット曲だ。
 「ゆうこのグライダー」って曲もあったな。
 泉谷しげるの「春夏秋冬」も持ってたな。
 そして赤い鳥の「紙ふうせん」。
 初めてギターの弾き語りが出来た曲だ。
 
 「落ちて来たら、今度はもっと
 高く、高く打ち上げようよ・・・」。
 簡単なコードとシンプルな歌詞。
 
 うん、オレにも出来る。
 直登だって歌を作ったんだ、オレに出来ないはずがない。

「僕は空を飛んでいる」と言う歌だった気がする。
 ギターコードが増えるに従い、曲が増えて行った。
 エコーを効かせるために風呂場で録音したりした。

 高校生の時、同級生の裕之君にピアノを習った。
 でも、楽譜は読めないし、ギターコードみたいな
 ピアノコードも憶えられない。
 マンツーマンで、指遣いを教わった。
 その時覚えたのが'LET IT BE''HEY JUDE'だった。
 あれから、うん十年。
 ピアノの腕はほとんど上達していない。
 
 和音が何となくだが、分かりかけたので、
 それらを使って、ピアノ弾き語りの曲も作った。
 ギター曲と併せて全部で20数曲。テープに録音した。
 
 高一の時、同じクラスの由美ちゃんに聞いて貰った。
 もちろん、彼女が好きだったからだ。
 (つづく・・・・だろうか)