2010年5月24日月曜日

雨の日と月曜日の朝は

 昨日から首が痛い。
 久しぶりのことだ。

 一昨日のビートルズセッションの疲れだけではない。
 4月からの仕事の疲れ、4月のライブの疲れ、
 連休の法事の疲れと先々週のテニスの試合の疲れ、 
 それらがまとめて出た感じがする。

 でも、今日も寄った百薬のお酒は美味しかった。
 だから大丈夫。
 きっと明日には良くなっている筈だ。
 根拠はないけど。

 先日のブログに日本は自然も文化も多様である、
 そう書いた。
 今日も知人と話していて同じことを言った。

 日本の文化の特徴は何か?
 ずっと考え続けているテーマだ。
 一つは話し言葉といての日本語。
 語感や文法、言い回しをも含めて、
 日本語と言う言葉が担ってきた意味。
 そして多様な方言文化。
 これは日本が強力な中央集権国家を明治まで持たず、
 封建制のもと地方が一つの国としての機能してきた
 そのことの証左だと思う。

 もう一つは書き言葉としての日本語。
 漢字を母体としながらも、
 ひらがなとカタカナを生み出し、
 さらにアルファベットを含め
 四つの書き言葉を持つ国は他にないだろう。

 日本は中国、朝鮮半島を師と仰ぎながら、
 それとは異なる価値観を持った。
 
 中国の絵画・工芸は単独としての完璧さを目指す。
 日本文化は単独の完璧を嫌う。
 むしろ掛け軸と花の組み合わせなど、
 お互いを補い合うことで、美を高め合う。

 日本ほど不完全なものに美を見いだす国はない。
 割れた茶碗を接いで、元よりも良しとする国はない。
 これを単純に「和」など呼んではいけないと思う。

 なぜなら予めまとめようとされた「調和」などでなく、
 異質なものを組み合わせて
 「面白さ」「響き合い」を楽しんでいたからである。

 日本は仏教を取り入れた大和時代から、
 日本の神々を否定などせず、
 仏の仲間や守護する存在として残した。

 キリスト教では、異なるものは「異端」である。
 何という違いだろうか。
 (つづく)

0 件のコメント:

コメントを投稿