昨日から首が痛い。
久しぶりのことだ。
一昨日のビートルズセッションの疲れだけではない。
4月からの仕事の疲れ、4月のライブの疲れ、
連休の法事の疲れと先々週のテニスの試合の疲れ、
それらがまとめて出た感じがする。
でも、今日も寄った百薬のお酒は美味しかった。
だから大丈夫。
きっと明日には良くなっている筈だ。
根拠はないけど。
先日のブログに日本は自然も文化も多様である、
そう書いた。
今日も知人と話していて同じことを言った。
日本の文化の特徴は何か?
ずっと考え続けているテーマだ。
一つは話し言葉といての日本語。
語感や文法、言い回しをも含めて、
日本語と言う言葉が担ってきた意味。
そして多様な方言文化。
これは日本が強力な中央集権国家を明治まで持たず、
封建制のもと地方が一つの国としての機能してきた
そのことの証左だと思う。
もう一つは書き言葉としての日本語。
漢字を母体としながらも、
ひらがなとカタカナを生み出し、
さらにアルファベットを含め
四つの書き言葉を持つ国は他にないだろう。
日本は中国、朝鮮半島を師と仰ぎながら、
それとは異なる価値観を持った。
中国の絵画・工芸は単独としての完璧さを目指す。
日本文化は単独の完璧を嫌う。
むしろ掛け軸と花の組み合わせなど、
お互いを補い合うことで、美を高め合う。
日本ほど不完全なものに美を見いだす国はない。
割れた茶碗を接いで、元よりも良しとする国はない。
これを単純に「和」など呼んではいけないと思う。
なぜなら予めまとめようとされた「調和」などでなく、
異質なものを組み合わせて
「面白さ」「響き合い」を楽しんでいたからである。
日本は仏教を取り入れた大和時代から、
日本の神々を否定などせず、
仏の仲間や守護する存在として残した。
キリスト教では、異なるものは「異端」である。
何という違いだろうか。
(つづく)
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