2010年5月24日月曜日

日本美の再発見

 ずいぶん昔に読んだ本のタイトル。
 ドイツ人建築家ブルーノ・タウト著、
 「日本美の再発見」。

 桂離宮のようなシンプルな造形を
 日本美の最高峰とし、
 日光東照宮をイカモノと切り捨てた。

 最初に日光東照宮を訪れた時、
 この本の影響で醜悪な建築と決めつけていた。
 しかしその後数度、東照宮を訪れたが
 観る度に心地よく感じるようになった。
 実は東照宮と桂離宮はいずれも江戸時代の初期
 ほぼ同時期に作られている。 

 桂離宮には相当な憧れがあった。
 10年ほど前に幸運にも訪れる機会があった。
 夢にまで見た建築だった。

 しかし良かったには良かったが、
 想像ほどではなかった。
 あまりに憧れが強すぎたのかもしれない。
 完全予約制のこの建物に再び訪れる可能性は
 極めて低い。もう一度見られたらと思う。

 東照宮に見られる全てをイメージで 
 埋め尽くすような建築・彫刻は南アジアに顕著だ。
 アンコールワットやバリ島の芸術がそうだ。

 装飾過多とも言える東照宮の世界と
 シンプルの極み桂離宮。
 日本人の感性がこれらの対極と言える二つの世界を
 同時に持てたことが素晴らしいと思う。

 明治期に日本が近代化を成し遂げた時、
 世界の国々は東洋の奇跡と考えたことだろう。
 西欧の文脈に無い国々は、
その多くが植民地のようになっていたからだ。
 しかし日本もまた
 他国を植民地とした歴史を忘れることは出来ない。

 もう一つ、近代化した日本がキリスト教化しなかったこと。
 戦前は強力な天皇制のためだと理解された。
 しかし戦後、宗教思想信条が自由となっても、
 日本のキリスト教徒が飛躍的に増えた形跡はない。

 古代においても外来の宗教仏教と
 日本の神々を共存させた智恵を持つ日本人である。
 他の宗教とに対して
 どちらかと言えば不寛容な一神教であるキリスト教を
 文化を別にして受け入れるのが難しいのかもしれない。

 日本人は日本文化の多様性をもっと認識したらいいと思う。
 そして日本文化を敬愛すると伴に、
 日本人が海外の文化に対して常に憧れを持ち、
 それらを自分たちの文化の中に、
 受け入れる柔軟性を持ち得たこと
 これを評価すべきと考える。
 
 日本人が内向きになると、
 詰まらない背比べをして他人を妬み、
 自国文化至上主義になってしむのではないか、
 そしてそれ日本が本来持っていた
 多様性と柔軟性から遠いのではないか、
 そんなことを考える今日この頃である。

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