2011年5月24日火曜日

穏やかな五月

 歌舞伎町の旧新宿コマ劇場脇の広場。
 昔は噴水が在ったところだ。
 
 六大学野球で勝利した早稲田の学生なんかが
 酔って興奮して、噴水に飛び込んだりしてたあの場所だ。

 雨の日の昨日、あの場所にいた。
 午後6時前。手には角瓶ハイボールとカシューナッツ。
 
 新宿コマ劇場は既に長年の活動に終止符を打ち、
 工事用のフェンスに囲まれ、解体を待っていた。
 コマ劇場地下のシアターアプルには何度か出掛けた。
 第三舞台やそのた友人の大高洋夫の芝居を見た。

 初めてディスコに入ったのもこの辺りだし、
 ジンギスカン鍋を初めて食べたのも、
 ビリヤードを初めてやったのもこの辺りだった。

 雨の日に傘を差しながら、ハイボールを飲んでる奴はいない。
 ウイスキーとソーダの味が喉と胃に心地よかった。

 作家の鴻上尚史、高校時代の同級生の荒木と
 ビリヤードをやった店はまだ残っていた。
 椿山荘で行われた大高の結婚式の後、
 吉祥寺で行われる2次会までの数時間をそこで過ごした。

 映画「薔薇の名前」を観た映画館
 シネマスクウェアとうきゅうも残っていた。
 角瓶ハイボールは美味い。

 「ここで寝たり座ったりしてはいけません」
 噴水跡の四角いコンクリートで固められた
 10数畳ほどのスペースにはそんな貼り紙があった。
 「煮炊きをしたりたき火をしてはいけません」
 「法律により罰せられます」

 カシューナッツを囓り、また一口酒を飲む。
 午後6時前、雨の歌舞伎町の広場で。

2011年5月21日土曜日

Day Dream Believer

 映画「いつか読書する日」の冒頭。

 架空の街を牛乳配達するヒロイン。
 まだ夜が明けていない街。
 牛乳を持って坂道を駆け上がる。

 ただその繰り返し。
 駆け上がり、駆け下りる。
 そのリズムが心地よい。

 暗い街に街灯だけが輝く。
 そんな道の合間を自転車で駆け抜ける。
 特撮も何もない。
 けれど魔法がかかったように
 非日常に見えてくる。
 不思議だ。

 ゴールデンウイークの中日。
 誘われて井の頭公園へ。
 ビートルズ研究会のメンバーと
 アコースティックセッション。

 花見でないのに、シートを敷いて座る。
 ビールに焼酎。お寿司にお総菜。
 飲んで食べて、弾いて歌う。

 'IF I FELL''AND I LOVE HER''I WILL'などなど。
 立ち止まって聴いてくれる人たちも居た。
 あいにくの雨で引き上げるまでの2時間。
 楽しい時間だった。

 こどもの頃の夏休み。
 プールの休憩時間。
 煌めく水面を見つめたり、
 プールの縁のタイルが乾いていくの見つめる。
 泳いで疲れた身体のせいで、頭も少しボォーーとしている。
 目の前光景がまるで白日夢のように感じられた。
 
 次の公園セッションは6月12日日曜日。
 場所は所沢市航空公園。
 ビートルズの他にモンキーズのDay Dream Believer
ニール・ヤングのHelplessなんかを演るつもりだ。

2011年5月19日木曜日

自分という物語

 昔のことを思い出す。
 恥ずかしい過去や、くだらない自慢話。
 中一の時のバレンタインデーのチョコの数。

 先日、久しぶりに友人の乾さんと国立であった。
 ドイツビールを飲みながら話した。
 前の個展以来だから、2年以上経つ。

 「よしいさん。
 夢って気にする必要がないですよ。
 誰かの夢を見たり、厭なことを思い出したりしても
 そんなことに意味を見いだす必要なんかないです」

 どういういきさつで夢の話になったかは定かでない。
 でも、この言葉には得心がいった。
 もっと言えば、はっとした。
 そうか、気にすることなんか何もないんだと。

 夕べは凄く眠かった。早く布団に入った。
 瞳を閉じると眠すぎて、瞼の裏がじんじんとする。
 今までならば、そこで「ああ眠れない」と思った。
 寝られなくても構わない、そう思ってやり過ごした。
 変な夢を見て、目が覚めた。でも気にならなかった。
 ちょっと前まで厭な夢を見ると、
 その厭な感じが後まで残ったのに。

 気にならなくなること。
 これを夢の世界だけでなく、昼の時間にも応用出来ないか、
 2,3日前にこう思うに到った。
 
 自分は捏造されている。
 数々の思い違い、勘違い、妄想で構築されている。
 ならば今現在の自分の世界、自分の周りの世界
 この二つに区別があるのかも定かではない。
 そんな不確かな世界について、 
 思い悩んでも致し方ない、そう思った。

 だからと言って何が変わった訳でもない。
 ただ夢をただの夢と知ったことに似ている。
 世界は世界だ。自分は自分だ。
 それ以上でもそれ以下でもなく、 
 僕が日々をただじたばたと生きる
 そのことに何の変わりはない。

2011年5月8日日曜日

ありきたりの狂気の物語

 生きること。
 とりあえず夜になると練ること。
 実際には眠れなくてもかまわない。

 重要なことは部屋があり、寝具があることだ。
 眠れなければ、
 目をつむって妄想でも思い出にでも浸っていればよい。

 朝に起きたら、飲み物や食べ物が身近にあること。
 それらを飲んだり、食べたりする肉体と精神を持つこと。
 酷い二日酔いの朝は食べることは困難だ。 
 怪我や病気でも飲んだり食べたりが困難になるだろう。

 そしてそれらが「美味い」と思えたら、
 まさにそれが「生きている」ことではないか。
 ものを食べたり、飲んだりして
 それが心地よいときは、間違いなく元気だ。
 お酒が旨ければなおのこと良い。

 僕らは、多かれ少なかれ自らの病と付き合う運命だ。
 病には心のそれも含まれている。
 狂気はいつもの私の背後で隙を伺っている。
 それを「ダークサイド」と呼んでも良い。
 「フォースの暗黒面」と書いてもいい。

 ダースベイダーの苦しそうな息づかい。
 それは僕の内側から聞こえてくる。
 「フォーーーーッファーーーーッ」

 排泄が快調なこと。
 以前、前立腺が炎症を起こしただけで、
 尿がでなくなり、辛かった。
 循環器が働かなければ、我々は死を迎えるしかない。

 「死の天使」は私の直ぐ上をぐるぐると回っている。
 見たことは一度もないが、天使の眼差しは感じることがある。
 
 そして一日が終わる。
 その一日の終わりに、ギターを弾き歌い、ブログをしたためる。
 英語絵日記を描いたり、スケッチをしたりする。
 そんな一日の終わり。

 「おやすみなさい」と誰かに言えること。
 もしくは自分につぶやくこと。
 「おやすみなさい」

大丈夫か、ヨシダ

 週刊現代が凄い。
 前から時々は読んでいた。
 新潟の実家に帰ると、親父が買っていた。
 駅の中吊り広告を読んで久しぶりに買った。

 原発関係の記事が満載。
 テレビや新聞では見ることのない内容。
 東電とマスコミ、官僚と政治家。
 四位一体の人災の様相。

 今日、電車で読んだ夕刊フジ。
 何故か東電のトップは東大文系、
 法学部か政治経済学部に占められていると言う。
 これは銀行にも当てはまるそうだ。
 ふーーーん。学閥で情報や権益を独占している訳か。

 ACのCM批判も心地よかった。
 「がんばろう日本」「ひとつになろう日本」
 この広告に異を唱えるのは僕だけではなかった。

 大本営発表への無批判と非国民の排除。
 戦前の日本の犯した行為から
 もう一度我々は学ぶべきではないか。

 雑誌「ビッグ・イシュー」
 「東北への義援金」声高に叫んでも、
 近くにいるホームレスの問題には無関心なのはどうか、
 そんな提議があった。

 週刊現代によれば東電の役員にも
 ヨシダさんのように身体を張って
 「事故後の原発」で頑張っている人もいるそうだ。
 本社とケンカしても現場第一ではたらくヨシダ。
 週刊現代はそんな彼にエールを送る。

 大丈夫か、ヨシダ。

2011年5月6日金曜日

綺麗なロバ

 万華鏡の中に映る
 綺麗なロバ
 
 大きな耳と大きな瞳
 赤い首輪には白や黄色の薔薇の刺繍
 馬の皮の鞍

 紫色の一輪車が綱の上を走る
 暗い藍色の天幕
 眩しいスポットライト

 道化師のパウロは
 泣きながら笑っている
 白と赤のストライプ
 だぶだぶの服が波打っている

 君の家に着いた
 まだ夜は明けていない
 君の窓に明かりはない
 街灯の明かりをじっと見つめている

 綺麗なロバは輪舞を踊る
 万華鏡の中
 パウロが追いかける

 ショーは終わったのに
 まだ誰も帰ろうとはしない
 拍手せず立ちもせず
 皆うな垂れている
 帰り道は細く曲がった道

 舞台裏の綺麗なロバ
 一輪車乗りの少女を見つめる
 少女は万華鏡に夢中だ

 星の明かりは弱く
 月の明かりは強い
 綺麗なロバは月の女王に一礼する

 百草を食べる綺麗なロバ
 階段を昇る月の女王
 天蓋のベッドには金色の雨

 明日の雨を気にしながら眠る

2011年5月3日火曜日

grapefruit juice

 シュルレアリズム。
 超現実主義。
 夢や無意識の領域を
 自動書記やデペイズマン(配置転換)によって
 異なるもの同士を「出会わせる」こと。
 理性を否定し日常の奥に潜むものを露わにすること。
 19世紀になって、近代主義が支配的になった。
 それは「産業革命」とともに欧州に広がった。
 理性中心主義となり「迷信」「本能」「超越」と言った事柄は
 理性的ではないとされた。

 ヒステリーの研究がなされ、
 「無意識の世界」や「精神的な抑圧」が問題となった。
 シュルレアリズムもそんな背景の中で誕生したのだろう。

 たぶん我々は、剥き出しの現実に耐えられない。
 現実自体も一つのフィクションに過ぎないのに。
 僕らは大抵は決まったパターンで思考し行動する。
 感情もほとんどがプログラムに従っている。

 「地球が回る音を聴きなさい」とヨーコが言う。
 「天国なんてないと思ってごらん」とジョンが応える。
 
 「世界の中に神秘はない。
 世界が在ることが神秘だ」ヴィトゲンシュタイン