2011年5月8日日曜日

ありきたりの狂気の物語

 生きること。
 とりあえず夜になると練ること。
 実際には眠れなくてもかまわない。

 重要なことは部屋があり、寝具があることだ。
 眠れなければ、
 目をつむって妄想でも思い出にでも浸っていればよい。

 朝に起きたら、飲み物や食べ物が身近にあること。
 それらを飲んだり、食べたりする肉体と精神を持つこと。
 酷い二日酔いの朝は食べることは困難だ。 
 怪我や病気でも飲んだり食べたりが困難になるだろう。

 そしてそれらが「美味い」と思えたら、
 まさにそれが「生きている」ことではないか。
 ものを食べたり、飲んだりして
 それが心地よいときは、間違いなく元気だ。
 お酒が旨ければなおのこと良い。

 僕らは、多かれ少なかれ自らの病と付き合う運命だ。
 病には心のそれも含まれている。
 狂気はいつもの私の背後で隙を伺っている。
 それを「ダークサイド」と呼んでも良い。
 「フォースの暗黒面」と書いてもいい。

 ダースベイダーの苦しそうな息づかい。
 それは僕の内側から聞こえてくる。
 「フォーーーーッファーーーーッ」

 排泄が快調なこと。
 以前、前立腺が炎症を起こしただけで、
 尿がでなくなり、辛かった。
 循環器が働かなければ、我々は死を迎えるしかない。

 「死の天使」は私の直ぐ上をぐるぐると回っている。
 見たことは一度もないが、天使の眼差しは感じることがある。
 
 そして一日が終わる。
 その一日の終わりに、ギターを弾き歌い、ブログをしたためる。
 英語絵日記を描いたり、スケッチをしたりする。
 そんな一日の終わり。

 「おやすみなさい」と誰かに言えること。
 もしくは自分につぶやくこと。
 「おやすみなさい」

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