2012年9月25日火曜日

原点に帰る

昨年から新年の誓いを立てることにした。
残り少ない人生を有意義に過ごすには
自分に課題を課すのもよかろうと思ったからだ。

昨年度の誓いは二つ。
①絵日記をつけること。
②体重計を買うこと。
①は達成出来た。
②は達成出来ずに今年の6月に購入した。

絵日記をつけることは、たぶん小学校の低学年以来だと思う。
何故絵日記か?理由は二つ。
①今まで取り組んでない課題は有意義だと思ったこと
②数年前に小学校時代の絵日記を発見し、
これは自分にとって原点だなと思ったから。

石川啄木のローマ字日記を真似て
全文を英語で書くことを決めた。
勿論、めちゃくちゃな英文でである。

絵日記を始めて数日後、101歳の祖母が亡くなった。
暮れより予想したことだったので、驚きはなかった。
亡くなった祖母を見て、101年間の生涯を想った。

3月には東日本大震災があった。
他の帰宅困難者と過ごした夜、原発の爆発や、
電車の運休、停電の夜のことなどを書いた。

年の後半になると飽きてきた。ネタ切れである。
一週間に2度は百薬の長で呑んでいる記述。
来年は止めようと思った。

でも成果は幾つかあった。
自分の日常を外側から眺め描写する。
英語だから、内心の吐露なんて無し。(書けないし)
絵は様々なアングル(主に俯瞰図)で試みた。
だって、何十回も呑んでる場面を描くのだもの。
工夫ぐらいする。

描写するには、もう一度写生が大切だと分かった。
だから今年の誓いは写生を日課とすることにした。
現在まで続いていて、達成は問題ないと思う。
しかも、飽きない。英文はポップスの詩や人の文章の写し。
「原点に帰る」これが今年のテーマなのだ。

2012年9月23日日曜日

停電の夜に

イタリアのベルルスコーニ前首相。
原発推進を目論んだが、国民投票を実施。
原発推進を否決されたら、推進を断念した。

スイスでも推進か否か国民投票を行ったという。
北欧ではかなり前に国民の信を問うている。
ドイツのメルケル首相は、原子力の専門家に
頼らない委員会で(メルケル首相は物理学が専門らしい)
「原発推進は倫理的に問題がある」として
全原発の廃炉を決定し、解体作業に取り組んでいる。

問題は原発推進か原発停止かではなく、
いずれにせよ国民に信を問うている点にある。
そして国民の声を尊重している。

日本には国民投票自体が行われたことがない。
原発の是非を国民投票で計る署名活動が行われた。
しかし今日まで実施の予定は聞いていない。

多数派がいつも正しいなんてことは無い。
ヒトラーだって、(不正はあっただろうけど)
選挙で勝利して、首相になっているのだから。

国民投票を行うには事前に十分な準備や論議が必要だろう。
それでもエネルギー政策のような
国民全体の将来像を決める時に、
国民の直接的な審査を仰ぐことはあっていいのではないか。
色んな事柄は不透明なこの国では必要なことではないか。

「オスプレイを東京に配備して欲しい。
そうすれば沖縄の人の気持ちが分かるから」
と沖縄の婦人がインタビューに答えていた。
「東京に原発を」は広瀬隆氏の本だが、
原発推進の国フィンランドでは、本社ビルが
原子力発電所の隣に立っている。

2011年3月11日以降に分かったことは、
電気エネルギーが独占支配されていたことと、
絶対に安全な原発は無かったことだと、ぼくは考えている。

本当の理由がよく分からない計画停電の夜、
闇の中で「ずっと騙されていたんだな」と思った。

2012年9月20日木曜日

乙なもの

今年の1月のことだった。
北京の故宮博物館が誇る絵画「清明上河図」
これが日本の東京国立博物館へやってきた。

展示期間は2週間ちょっと。
宋代最後の皇帝、徽宗が国を追われた後で
絵師にかつての宋の街の賑わいを描かせて
懐かしんだとの説がある。

高さは30cmくらい、長さは10mくらいだったか。
河を中心に両岸には家が建ち並び、
市場が立ち、人々の営みが事細かに描かれている。
圧巻は大きな船が橋の下を潜ろうとする場面。
帆をたたみ、マスト(帆柱)を外して横たえる。
人々はせわしなく働いている。
その描写はまさに神業かと思うほどだ。

中国の宋代の芸術は、完璧な表現を目指していた。
絵画でも陶芸でも、おそらくその他の芸術でも。
中国に学び、その文化を尊重しながらも、
日本人は不完全なものをも愛した。

いやむしろ古びて汚れたもの、欠けたり壊れたもの、
それらがやがて日本的な美意識を生み出したのだ。
甲(=優れたもの・一流のもの)に対して
乙(=おつ/2番手なもの・一流にはない親しみ味わいのあるもの)
を自らの独自性の現れと考えたのではないか。

声高な「ますらおぶり(男性的なもの)」がかつての日本を滅ぼした。
戦国時代でさえ大切にしていた文化の持つ価値を、
「たおやめぶり(女性的なもの)」と蔑むような時代はごめんだ。

もっと乙な時代を創りたいとぼくは願う。