2012年9月20日木曜日

乙なもの

今年の1月のことだった。
北京の故宮博物館が誇る絵画「清明上河図」
これが日本の東京国立博物館へやってきた。

展示期間は2週間ちょっと。
宋代最後の皇帝、徽宗が国を追われた後で
絵師にかつての宋の街の賑わいを描かせて
懐かしんだとの説がある。

高さは30cmくらい、長さは10mくらいだったか。
河を中心に両岸には家が建ち並び、
市場が立ち、人々の営みが事細かに描かれている。
圧巻は大きな船が橋の下を潜ろうとする場面。
帆をたたみ、マスト(帆柱)を外して横たえる。
人々はせわしなく働いている。
その描写はまさに神業かと思うほどだ。

中国の宋代の芸術は、完璧な表現を目指していた。
絵画でも陶芸でも、おそらくその他の芸術でも。
中国に学び、その文化を尊重しながらも、
日本人は不完全なものをも愛した。

いやむしろ古びて汚れたもの、欠けたり壊れたもの、
それらがやがて日本的な美意識を生み出したのだ。
甲(=優れたもの・一流のもの)に対して
乙(=おつ/2番手なもの・一流にはない親しみ味わいのあるもの)
を自らの独自性の現れと考えたのではないか。

声高な「ますらおぶり(男性的なもの)」がかつての日本を滅ぼした。
戦国時代でさえ大切にしていた文化の持つ価値を、
「たおやめぶり(女性的なもの)」と蔑むような時代はごめんだ。

もっと乙な時代を創りたいとぼくは願う。

0 件のコメント:

コメントを投稿