2011年6月30日木曜日

LET’S TRY AGAIN

夏風邪にやられた。
先週の木曜の朝に喉がおかしかった。
金曜の朝は喉の痛みで目覚めた。

土曜日の朝に医者へ行き、
まる2日間寝込んでいた。

毎年、6月に変調をきたす。
職場が新宿に変わって4年目。
昨年は酷い口内炎。
一昨年はやはり夏風邪。
3年前は目の異常があった。

分析してみると、幾つかの事実に気付く。
昔はゴールデンウイーク明けには仕事が一段落した。
今は6月を過ぎてもバタバタと忙しい。
おまけに6月には祝日がない。日は長い。
青梅市テニス大会と東京片貝会がある。

6月最後の日に休みが取れた。
先週買った、チームアミューズのDVDを観た。
桑田佳祐が大震災復興支援で企画し、
アミューズ事務所所属のミュージシャンや俳優、
コメディアンらが参加した音楽映像作品だ。

福山雅治はやはり男前だなー、パヒュームは可愛いな。
ビギンの歌はいいな、三宅裕司は根っからの喜劇人だな。
などと、「がんばれ日本」が嫌いなくせに、楽しめた。
たぶん、本業の歌や演奏、演技で本気で応援しているからだろう。
それが、公共広告の「がんばれ」とは違うのかな。
企画の意図と桑田のプロデュースの力かな。

勤勉は日本人の美徳なのだろう。
でも勤勉を旨とする人たちに、「がんばろう」は時に酷だ。
精神科医のなだいなだも書いていた。
世界第2位の自殺大国ニッポン。
「がんばらない」勇気の必要性。

夏風邪に罹る三日前、
墨汁で紙に「がんばらない」と書いて壁に飾った。
がんばらない、でも続けること。
さぼりながら、じたばたしながら。
生きることを続けている。

2011年6月28日火曜日

近代主義について

不思議に思う。
それもかなり頻繁に。

日本の近代化とは何だったのか。
そもそも(遅れていた)西洋が強大になった
近代主義とは何か、長年の疑問だったのだ。

理由は簡単だ。
僕らが近代化社会に生きている現実があるのに、
近代主義が分からないのは、
自分の生きている時代の根本が分からない、
そういうことになると考えていたからだ。

ある年齢になると自分の国の歴史、地理、文化について
特に意識するようになった。

自分は西洋絵画を基本とした表現を追求しているのに、
その背景がまるで分かっていない、そう気付いた。
同時に日本についてどれだけ理解しているのか、
ほとんど分かっていないというのが実感だった。

自分が住んでる住まいや着ている服、
使っているモノ、目にするあらゆる人工物。
あらゆるメディア、広告や印刷物、勿論アートも。

文学も音楽も、演劇、映画、デザイン、そして美術。
これらは近代主義とどう関わっているのか。
日本いう国の風土や文化とどう関わっているのか。

極端に言えば、私たちの生活の中で
近代主義と無縁なものの法が少ないのではないか。
では近代主義とは何か?
(続く)

2011年6月23日木曜日

スタンダードナンバー

最近、オアシスやコールドプレイを聞いている。
十代の洋楽好きの男子からオアシスが良いと聞いたからだ。

考えてみれば、オールディーズばかりを聴いてきた。
最近買ったCDはビリー・ジョエルのベスト盤、
ビージーズのベスト盤、後は何とかジャパンてヤツ。
震災復興支援のCDだが聴いていない。

オアシスやコールドプレイはそれなりに気に入った。
毎朝、朝食を作りながら、お風呂に入りながら聴いた。

職場の洋楽に詳しい先輩に、
オアシスとコールドプレイを聴いていると言ったら
怪訝な顔をされた。そして一言。
「僕は彼らの曲がスタンダードになるとは思えないんだ」

厳しいなと思ったが、鋭いなとも思った。
彼らの曲にも当然スタンダードナンバーはあるだろう。
CMにも使われた曲は耳に覚えがあるし。

12日日曜日の午後三時。
午前中の仕事を終えて航空公園に行った。
ビートルズセッションの仲間と公園セッションをやるためだ。
ビートルズセッションではビートルズしかやらない。
後は彼らがソロになってからのナンバーだけだ。

この日は好きな曲と言うことで、
ビートルズが多かったが、イーグルスやニール・ヤング、
デレク&ドミノスにモンキーズなんかもやった。S&Gも。

DAY DREAM BELIEVERとかやってて思った。
やっぱりビートルズは難しいなと。
それは彼の曲の多くがスタンダードナンバーになってことが大きい。

みんなが細部まで知っている曲。これは大変なのだ。
オアシスのナンバーよりも音の歪みが小さく、
ほとんどの音がクリアーなのも実はハードルが高い。

スタンダードは標準の意味だろう。
その時代の標準となるような作品を産み出すこと、
これは画家でも文学者でも大変なことだ。

へっぽこ絵描きの僕には
スタンダードを産み出すのは厳しいな・・。

2011年6月16日木曜日

夢の構造

●以前のブログに乾氏から夢についての助言を
受けたと書いた。
以下は、乾氏からの更なる補足である。
乾氏の了解のもと、ここに掲載します。●

夢に関しては、今までの経験や、本で読んだ話から、
自分なりの答を出しています。(19~20年前でしょうか)

ぼくの答えとしては、
アタマというのは、「高性能なバカ」なので、
一度、ある「連想」のクセが出来てしまうと、
しつこくそれを繰り返すことしか出来ない、
自分ではそれを修正出来ない、ということです。

その「連想」がどうして出来てしまったのかは、
それなりに何かの事情がある場合もありますし、
単に思いつきのような、デタラメの組み合わせの場合もあります。
アタマの方としては、何かで「近づいた」物同士が結びつくだけです。
で、一度結びつくと、それが固定して、連想の「クセ」になるわけです。

まあ、本当に単純な原理なわけです。
ただ、ものすごい速度なのと、絶対的に徹底しているので、
なかなかやっかいです。
自分では決して改めないですから。

   *

で、そのことを分かっているらしい人たちのエピソードを2つほど。

どこかの原住民の村では、夢についてはそれなりの技法が伝わっていて、
家族でも知り合いでも、自分の夢についてはオープンに話すそうで。

たとえば子供が、落ちてゆく夢を繰り返し見て目を覚まし、悩んでいると、
親は「今度その夢を見たら、どこへ落ちるか落ち着いて見ていてごらん、
やわらかい草の上かもしれないし、もっといい所かも知れないじゃないか」
などというアドバイスをします。

   *

いつの時代の、どこの男かは忘れましたが、
ちょっと昔のヨーロッパの貴族で、夢に関心を持って、
夢を記録したりしている男がいました。

そいつは、別に心理学の知識があった訳でもなく(時代が古いので)
ただ、自分の興味で夢を研究していたわけですが、
ある時、蛇の夢を繰り返し見るので悩んでいました。
自分の首のまわりに大蛇が巻きついている夢です。
そこで彼は、昼間の間、起きている時は
いつも自分の首に狩りのためのベルト(銃弾装着の)を掛けて
数日それを続けたそうです。
彼は、狩りが大好きだったようです。

すると、ある日また蛇の夢をみましたが、
首に巻きついていた蛇は、すぐにベルトに変わり、
その後、夢は楽しい狩りの場面になっていったということです。

   *

要するに、夢の中のバカ連想を、
昼間の意識の側から操作して変更してやったわけです。
そして、夢というのは、それだけのことです。

2011年6月14日火曜日

異邦人

 曇り空。
 記憶の中の街。100年前の海を想う。
 ラジオの音が漂う部屋。

 練馬区豊島園のアパート。随分と昔のことだ。
 ガラスの障子を見つめる。
 外は暗い。粗末なちゃぶ台。
 小さな白い冷蔵庫。
 
 ガラスコップにサッポロ黒ラベルの大瓶。
 肴には魚肉ソーセージ。
 湖池屋のポテトチップス。

 フォークソングの甘く寂しい調べ。 
 ぼんやりとビールの泡を眺める。
 外は雨が降り出している。
 
 一本目を飲み終えて、少しいい気分。
 2本目の栓を抜く。
 トクッ、トクッ、トクッと楽しげな音。
 濃い小麦色の液体。苦みが嬉しい。

 油絵の具とテレピンの匂い。
 重く湿った空気。壁にはムンクのマドンナ。
 模写したゴッホの晩年の自画像。
 ピカソの薔薇色の時代、サーカスの親子。
 彼らはみな黙りこくって、
 遙か遠くを眺めている。

 ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」が流れる。
 絵の中の人物も僕も同じ異邦人だ。

 2本目を飲み終えて、とてもいい気分。
 雨音さえもいい調子。
 ラジオしかない、四畳半の部屋。

 もう存在しない、記憶の中の世界。

2011年6月9日木曜日

詩人と絵描きと3匹の猫と

夢の途中で眠りに落ちた。

夢の中で百薬の長で飲んでいた。
勿論、右手にはグラスに日本酒。
目の前にはカウンターがあり、
皿にはモツ焼きがある。

左手にはモツを焼くマスターが居て、
向かい側にはよく知った常連が居た。

僕は睡魔に襲われ、酒を手にしたまま寝てしまった。
目が覚めると、また同じ席に居た。
幸い、グラスは落としていない。

酒を口にして、辺りを見回す。
いつもと同じようだが、何かが違う。
線路に面した窓の奥に
民家をデザインした灯りがある。
その外は線路脇で藪になっている。
しかしその店には奥座敷があったのだ。

「ここは百薬ではない」
「これは夢の世界だ」
そう思った瞬間に目が覚めた。

ぼくが奇妙な夢を見るのは、 
絵を熱心に描いていない時が多いように思う。
文章、とりわけ詩のようなものは特にそうだ。

巨匠ピカソはオルガとの離婚問題で揉めていた時、
絵筆を執らず、詩を書き続けた。
「尻尾を捕まえられた欲望」とタイトルがある。

「詩人と絵描きと三匹の猫と」
パウル・クレーの絵のタイトルだったか・・。
たぶん、そうだと思う。

2011年6月5日日曜日

ROSE CAFE

 国分寺のイングリッシュガーデン
 ‘ローズカフェ’へ出掛けた。
 たぶん、6年ぶりくらいかな。

 まだ営業を続けているか、
 定休日が何時なのか確認もせずに行った。
 5月の下旬。雨上がりの午後だった。

 久しぶりの濃い藍色の空。
 坂道を登って、真っ直ぐに進む。
 玄関がたわわなバラの樹木に埋もれそうな
 ローズカフェがあった。

 近づいて驚いたのは、薔薇の花の豊穣さだけではない。
 昔のひっそりとした店内とは格段の違い。
 ほとんどが中高年の女性のお客で店内はほぼ満席。
 代休で平日の午後に行ったのにである。

 それでも珈琲にクッキーを注文して、
 店の一番奥まった処にある野外テーブルに着く。
 カフェの裏側は丘の斜面になっている。
 その斜面全体が薔薇園になっている。

 目の前には薄いピンク色のたくさんの薔薇が
 空に向かって咲き誇っている。
 午前中まで降っていた雨の雫がキラキラと輝いている。

 クッキーを囓り、コーヒーを飲む。
 菓子の甘みとコーヒーに苦みが口の中で解け合う。 
 濃く暗く感じられる空と陽射しを浴びる薔薇たち。
 その姿は官能的でもあった。

2011年6月1日水曜日

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

 詩人の吉岡実。
 「四人の僧侶」には驚いた。
 若い頃、乾氏から借りた詩集にあった。

 彼のエッセイに「私の作詩法」がある。
 曰く「メモは一切しない」
 「机の上に紙と鉛筆を置き、
 白紙の状態から始める」などなど。
 
 
 そんなやり方でよく書けるものだと思った。
 良いフレーズやイメージが浮かんだら、
 普通は書き留めておきたくなると思う。

 作家村上春樹へのインタビューの本、
 「僕は夢見るために朝目覚めるのです」
 「ねじまき鳥のクロニクル」について聞かれて
 こう答えている。
 「主人公は三十歳の男。台所でスパゲティを茹でている。
 そこに電話が鳴る。それだけです。」
  
 「物語はもう一つの世界だ」と村上は言う。
 そしてその世界は確かに存在しているのだと。
 それは幼児の頃に、空を飛べると信じて
 真剣に空へ向かって跳躍した行為にも似ているだろうか。

 超越を信じること。
 宗教とは違う方法で。

 多くの宗教が持つ弱点は現世利益に応えようとする点だろう。
 あなたの不幸は前世の罪だ。
 こうすれば(寄進や布施など)幸せになれると。
 
 僕は自分が仏教徒といえるのかどうか分からない。
 けれど、仏教の持つクールな感じには惹かれる。
 怨憎会苦、愛別離苦など所謂「四苦八苦」の世界観である。
 そこに煩悩から離れられない凡人の人生が見える。
 決して成功や幸せを前提としていない。
 寧ろ、それらは全てまやかしだと警告する。

 芸術は、とりわけ優れた芸術は
 紛れもなく「もう一つの世界」なのだ。
 宗教よりも、より個人的な世界であり
 自分の内面と芸術の世界を繋ぐための一つの部屋とも言える。
 それは現実と戯れながら、現実とは違う世界だ。

 夢とは違うもう一つの夢なのかもしれない。
 そして僕はその夢を夢見ている。