2011年6月1日水曜日

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

 詩人の吉岡実。
 「四人の僧侶」には驚いた。
 若い頃、乾氏から借りた詩集にあった。

 彼のエッセイに「私の作詩法」がある。
 曰く「メモは一切しない」
 「机の上に紙と鉛筆を置き、
 白紙の状態から始める」などなど。
 
 
 そんなやり方でよく書けるものだと思った。
 良いフレーズやイメージが浮かんだら、
 普通は書き留めておきたくなると思う。

 作家村上春樹へのインタビューの本、
 「僕は夢見るために朝目覚めるのです」
 「ねじまき鳥のクロニクル」について聞かれて
 こう答えている。
 「主人公は三十歳の男。台所でスパゲティを茹でている。
 そこに電話が鳴る。それだけです。」
  
 「物語はもう一つの世界だ」と村上は言う。
 そしてその世界は確かに存在しているのだと。
 それは幼児の頃に、空を飛べると信じて
 真剣に空へ向かって跳躍した行為にも似ているだろうか。

 超越を信じること。
 宗教とは違う方法で。

 多くの宗教が持つ弱点は現世利益に応えようとする点だろう。
 あなたの不幸は前世の罪だ。
 こうすれば(寄進や布施など)幸せになれると。
 
 僕は自分が仏教徒といえるのかどうか分からない。
 けれど、仏教の持つクールな感じには惹かれる。
 怨憎会苦、愛別離苦など所謂「四苦八苦」の世界観である。
 そこに煩悩から離れられない凡人の人生が見える。
 決して成功や幸せを前提としていない。
 寧ろ、それらは全てまやかしだと警告する。

 芸術は、とりわけ優れた芸術は
 紛れもなく「もう一つの世界」なのだ。
 宗教よりも、より個人的な世界であり
 自分の内面と芸術の世界を繋ぐための一つの部屋とも言える。
 それは現実と戯れながら、現実とは違う世界だ。

 夢とは違うもう一つの夢なのかもしれない。
 そして僕はその夢を夢見ている。

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