2012年12月17日月曜日

終の棲家

かつて繰り返し、家の夢を見た。
現実には存在しない家や部屋の夢だ。

それらは時に懐かしいものもあったが、
多くは恐ろしいものだった。
それらの家に自分以外の人はおらず、
ぼくは恐怖を感じながら、
家の奥へ、奥へとやがて真っ暗な部屋へと
向かおうとするのだった。

あるものは恐ろしくはなく、
友人や家族が出てきたりした。
けれどどうにも奇妙な家や部屋が多かった。

それらの部屋や建物の一部は、
未だにぼくの心の何処かへ存在している。
ふいにそれらは頭の中をよぎったりする。
もはやそれらは恐ろしくも奇妙でもなく、
過去に存在した新潟の実家の記憶や、
親戚や友人の家の記憶と等しく、
自分の記憶の一部になっている。

かつて本当に在ったと思われることと、
夢の中や想像の中で存在したことの違いが、
ぼくの中で明瞭ではなくなってきている。

これを退化や老化、あるいは呆けの症状、
幻覚みたいな精神的な疾患の兆候と、
言えば言えるのかもしれない。

しかし、一方でやはり現実の世界は、
そもそもが危うく脆いもので、
それぞれの勝手な妄想から出来ているのだと、
強く思う今日この頃である。

2012年12月13日木曜日

怪物の誕生

その怪物がいつ生まれたのか。
正確には分からない。
およそ20万年前というが、
昔過ぎて見当もつかない。
その原型は700万年前だと言われても、
さらに見当もつかない。

怪物が地上に現れてた時、
それが大きな力を持っているとは思われなかった。
さほど大きい訳でも、力が強い訳でも、
走力、跳躍力、その他の身体能力が、
取り立てて他の生物を凌駕していた訳でもない。
つまり、怪物は怪物と認識されていなかった。

怪物自身も自分が怪物なのだとは、
今現在も気づいていないと思われる。
しかし、怪物は存在する。
怪物はこの地上を覆うように存在する。

怪物の特徴は二足歩行をすること。
「言葉」を使って、情報伝達が出来ること。
環境に適合できない、弱い身体を守るため、
衣が身体を覆っていることなどがある。

そしてさらに、頑強とは言えない身体を
他の生物よりも強固にするために、
道具を作り出したことが挙げられる。
怪物は今では、この星のあらゆるものを、
全て破壊できる道具さえ創り出したのだ。

怪物は他の生物を手名付け、
自らの家臣として従えるようになる。
そして、いにしえの王たちがそうであったように、
家臣の一部を家族のように扱ったりする。
家臣が王をどう思っているかを、気にもせずに。

それでも怪物は時に不安になる。
その手に余る道具を目にして。
もう他の生物の仲間にはなれない己を思って。
怪物として、王として君臨していると言う、
その妄想を時に自覚して。

怪物も多くは夜に眠る。
そして時には甘美な夢を見る。
そして再び目覚めた時に、
怪物は怪物になるのだ。

2012年12月11日火曜日

いつか引越する日

引越の経験を数えてみた。

新潟では一度だけ。
旧居から新居へ移った。11歳の時だったと思う。
初めて自分の個室が出来た。
道路拡張に伴い、ほとんどの家が建て直した。
それまでの道路は舗装されておらず、
大雪の年は、除雪車が間に合わず、
しばし(時にはかなりの期間)通行止めになった。

18歳で上京し、最初の住居は練馬区豊島園。
東京で都心からさほど遠くないのに、
アパートの回りには大根畑が多くあり、
「東京なのに・・・」と驚いた。西日のキツい部屋だった。

1年間の浪人生活の後、
大学に近い、東村山へ移った。
4畳半から、6畳になっただけで嬉しかった。
中学の同級生、10人近くが泊まったことがある。

仕事が西多摩郡瑞穂町に決まり、
東青梅の独身者用住居に住んだ。これが四回目。
結婚して福生に移ったが、すぐに青梅の公営住宅に転居。
福生が初めての風呂付き住居だった。

河辺にマンションを購入して、10年以上住んだ。
羽村市五ノ神の1DKのアパートに移る。
8年近く住んで、この12月23日に、
萩山の団地に移り住む。通算では9回目の引越になる。

8階の2DK。眺めが良く、駅から近く、リフォームも綺麗で、
気に入ったので、直ぐに契約した。
板の間の1部屋をアトリエにするつもりだ。

天才浮世絵師、葛飾北斎は、
引越マニアみたいな人だったらしい。
一日に2回引っ越したこともあると言う。
彼の独創的な視点を持つ作品群、
「富嶽三十六景」シリーズは、新しい土地を求める、
彼の貪欲な好奇心から生まれたのだろう。

引越の荷造りその他で忙しい毎日だが、
新しい土地で、
新しい生活と新しい作品が始まることを念じて、
日々を過ごしている。

2012年12月5日水曜日

哲学者(宗教家)の言葉2

「世界の中に神秘はない。
世界が在ることが神秘だ」
ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)

「怪物と対峙した時には、自らが怪物にならないよう、
気を付けなければならない。
深淵を覗く時、深淵もまたあなたを覗いているのだ」
ニーチェ(1844-1900)

「幸福だから笑うのではない。
笑っているから、幸福なのだ」
アラン(1868-1951)

「安定していないこと。
それが、世界がここに存在するときの定まった形式である」
ショーペンハウエル(1768-1860)

「人生は短くなどない。
ただ与えられた時間の
ほとんどを無駄遣いしているだけなのだ」
セネカ(BC1-AD65)

「苦悩の元は事柄ではない。
その事柄についての自分の思いだ」
エピクロス(55-135)

「一日の憂いは一日にて足れり」
キリスト(不明)

「明日ありと思う心の仇桜。
夜半に嵐も吹くものがな」
親鸞(1173-1262)

「かたみとて何か残さむ春は花
山ほととぎす秋はもみじば」
良寛(1748-1831)

2012年12月4日火曜日

哲学者の言葉

高校生の時、それも入学して直ぐに、
自分が勉強に向いていないことに気づいてしまった。
まあ、中学の時も勉強はしなかったから、
気づくのが遅過ぎた訳だが。

前にもブログに書いたと思うが、
美術の道を選んだのは、
勉強には向かない、運動はクラスの荒木に敵わない、
音楽はクラスの清人に敵わない、
文学や批評ではクラスのムロコに敵わない、
女を口説かせたら小酒井に敵わない、(関係ないな)
謂わば消去法で選んだだけだった。

自分に本当に自信があったら、
ただのアホとして生きていけたかも知れない。
いや、どっちにせよただの阿呆には違いないのだが、
フォークデュオの「あのねのね」の影響で、
ちょっと知的なカモフラージュがしたかったのか、
勉強に替わる知的なものを求めていたのか、
哲学の本を読むことにした。

あのねのねの清水国明が本で書いていたのが、
ドイツの哲学者「ニーチェ」だった。
高校時代、安保闘争後の世代の我々は
「三無主義」とか「無気力世代」と言われてた。
「新人類」とか「ゆとり世代」と同じ、
自分より下の世代を揶揄するレッテルだ。
クラスに哲学書を読む生徒は、
他に居なかったと記憶している。

よく分からないのに
ショーペンハウエルの「自殺について」を買った。
「全ての悪心は、生きようとする意思が、
あたりかまわず激しく働くことから生じるものである」
とあり、ふーんと思った。

ショーペンハウエルは「受動的ニヒリズム」で
ニーチェは「能動的ニヒリズム」と知ったのは
その頃だったのか、大学時代だったのか。

大学のトイレの個室で、
ニーチェの言葉の落書きを見つけた。

「君の愛を伴い、君の想像を伴って、
君の孤独の状態へ赴け。
私を見よ。自らを超えて創造しようと欲し、
かくして滅びる者を、私は愛する」

その隣にはこの言葉をもじった、
所謂「下ネタ」の言葉が書いてあった。
その個室は「お気に入り」になり、
用は出来る限りそのトイレで足した。

「ニーチェをもっと読もう」そう思った。
(続くかも知れない)