2011年5月19日木曜日

自分という物語

 昔のことを思い出す。
 恥ずかしい過去や、くだらない自慢話。
 中一の時のバレンタインデーのチョコの数。

 先日、久しぶりに友人の乾さんと国立であった。
 ドイツビールを飲みながら話した。
 前の個展以来だから、2年以上経つ。

 「よしいさん。
 夢って気にする必要がないですよ。
 誰かの夢を見たり、厭なことを思い出したりしても
 そんなことに意味を見いだす必要なんかないです」

 どういういきさつで夢の話になったかは定かでない。
 でも、この言葉には得心がいった。
 もっと言えば、はっとした。
 そうか、気にすることなんか何もないんだと。

 夕べは凄く眠かった。早く布団に入った。
 瞳を閉じると眠すぎて、瞼の裏がじんじんとする。
 今までならば、そこで「ああ眠れない」と思った。
 寝られなくても構わない、そう思ってやり過ごした。
 変な夢を見て、目が覚めた。でも気にならなかった。
 ちょっと前まで厭な夢を見ると、
 その厭な感じが後まで残ったのに。

 気にならなくなること。
 これを夢の世界だけでなく、昼の時間にも応用出来ないか、
 2,3日前にこう思うに到った。
 
 自分は捏造されている。
 数々の思い違い、勘違い、妄想で構築されている。
 ならば今現在の自分の世界、自分の周りの世界
 この二つに区別があるのかも定かではない。
 そんな不確かな世界について、 
 思い悩んでも致し方ない、そう思った。

 だからと言って何が変わった訳でもない。
 ただ夢をただの夢と知ったことに似ている。
 世界は世界だ。自分は自分だ。
 それ以上でもそれ以下でもなく、 
 僕が日々をただじたばたと生きる
 そのことに何の変わりはない。

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